わたしの指と眼
わたしには カセットのふたを開けて
テープを入れる指がない。
ずうとずうと以前
わたしも指を持っていたのに、
四、五年前から、
指がなくなった。
外科にみんなあずけてある
眼も二十五年前
手術でとって
先生にあずけてある。
わたしが死んで
小さな箱に納まるその日
先生が
「香山さん、眼をかえすよ、
なんでもいっぱい見ることだ・・・」と言い
外科の看護婦さんは
「香山さん、指を返します
どうぞ何んでも自由にお使いなさいね・・・」
そういってくれるかな?
そういってくれるのを
わたしは
胸の中でしきりに願っている
忘れていた韓国
カセットテープに
喋りかけ 戻して聞く
忘れていたふるさと
韓国
韓国人ということを忘れていた
韓国人ということを思い出しても
すっかり忘れてしまった言葉
思い出さん国の言葉
発音だけにはまだ韓国が
そっくり残っている
みんなといっしょに
笑い喋って
私は
韓国を忘れていた
毎月二十日には
給与金 支払いの放送をする
そのつど
そのつど
すぐまた
韓国人を忘れ大きな顔をして
皆と一緒に
笑い 喋っている私
月に小遣いが八百四十円
淋しかった
けれど今では
みんなと同じ金額になりうれしい
山の病院で
心も 小さく丸まったようになり
悲しく淋しい時もあった
でも地震があっても壊れそうにない
あの立派な納骨堂に
皆と一緒に
私も納まることだろう
空に座って
澄んでいる空 真っ青な空
二十何年も見ないんで
おあずけ おあずけ
これからも何年も何年も死ぬまで
おあずけしたまま
見るのはもう夢だけ
真っ青で
澄んでいる空色が
あの空の上でピーンと張っている
手でさわったらどんな感じだろうな
毎日毎日外科通いしている
繃帯を今日も巻いてもらって帰る
うっとおしいこと
あのピーンと張った空の中で
じゃぶじゃぶと
洗えたら
なんぼか気持がいいだろうな
いっそ あの空に上って空の上で坐って
空を撫でていたら━━
そんなことばかり考えて
タンポポ
私の庭先に三年間 抜きとらずに
大切にしているタンポポがある
付添さんが「まあいい色だこと━━」
眺めながら一つ二つとかぞえてくれる
昨日は二十五個、今日は三十個も咲いた
と、よろこんでくれる
花が大きいので暫く口唇に触れて遊んでいる
その感触がふさふさとしていた赤ん坊の頭の毛を想い出させる
前の庭を通る人が時々 タンポポきれいに咲いたねといってくれる
そのたびになつかしい子供がよみがえってくる
母の面影
お母さんも日本にきていた
お母さんは朝から晩までため息をついて
私の病気を嘆いていた
私が家に戻って半年後
お母さんは心が変ったように
国へ帰ると頑張りだし
言葉もわからん、末子が病気になっては━━
情けない 情けないと繰り返して
私が入園すると帰って行った
重い心を私一人が背負っているようだった
それから三年たったある日
お母さんが亡くなった、と
おじさんからの便りであった
私は一晩中闇の中を歩き廻わりながら
お母さんの面影に向って
掌を合わすばかりだった
汐風
十五銭のうどん一杯
うまい、匂もいい
あんなうどんは
もう戻らんだろうな・・・
夜中の十二時
豊橋の駅
最終列車は止まった
みんな店を閉めて
静まっていたが
店屋のおじさんに
特別にたのんで作って貰ったうどん
十五銭か二十銭の
あのうどんを食べた時は
病気もない
何んの苦労もなかった
大きな希望に燃えて
先に日本へ来ている主人の
そこに胸の思いは走っていた
唱和十六年三月十日
豊橋の駅に着いた時には
真暗い駅で
夜明けまで待っていた
汐風が冷たく
一番電車を待つ時間が永かった
香山末子さんの過去記事
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