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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  秋田穂月さん


生き恥という名の証明



ぼくは

ぼくを産んでくれた母を

恨む


ぼくは

近所の人々の目からも

のけものにされ

友人からもうとんじられ

故郷のすべてが

ぼくを

見捨てた日々を憎む


くる日も

来る日も

ぼくが

最も望んでいたものは

死神からの招待状だった


両手は神経麻痺でぶらぶら

足の自由も喪失してしまったぼくは

鏡の中の

自分自身に

唾を吐きつけながら

泣いた


熱い味噌汁を啜ると

唇の皮が赤くはがれた

朝の食事━━

ぼくは

もう朝も昼も夜も

いらない人間になりたかった


このやり場のない

見捨てられた悲しみを

涙と同居させながら

また朝を迎えるのだ

<武の病気は治らんのやったら
島の療養所に行ったって一緒のことや>


それよりか死んだ方がましやのに・・・


と近所の人々の陰口が

ぼくの耳に突き刺さる

五十年前の

「死んだ方がましや」と

囁かれた日々が甦える

ぼくは

ハンセン氏病を告知されて七十年

七十年の頭陀袋に

死を一杯詰めて

よろめきながら

今日も歩いているのだ

ぼくが

一歩あるくたびに

頭陀袋の裂け目から

死神がからからに渇いた悲鳴をあげるのだ

今日も明日もぼくの命がある限り


この命のある限り

いや命果てても

蔑みの重荷を頭陀袋に詰め込んだまま

冷え冷えとした姿で歩き

生きている苦悩をまた一杯

頭陀袋の紐がぼくの両肩に食い込む

それでもなお

ふるさと人が恋しくそれでもなお

幼な友達に逢いたく

ぽろぽろ涙が落ちるのだ

この苦い雫を

そっと舐めるのだ


<死んだらあかん>

生きとらなあかん

「生きとったらきっといいこともある」



両眼を失った老人が

ぽつんとぼくに云った・・・

その老人も逝った━━

<死んだらあかん>

「生きとったらきっといいことがある」

ぼくの頭陀袋の中から

今日も

盲老人の声が聞こえるのだ━━








姉やんの土産



杉 檜 欅 檪 楢

栗の木等々に囲まれていた


ぼくの故里は伊勢の山奥・・・

石ころだらけの坂道を歩いて半時間

やっと学校にたどりつく

姉やんが学校から帰って来ると 
 
「武、お土産」と言って

ハンカチに包んだ弁当箱をぼくにくれる

弁当箱を開けると

姉やんが食べ残した飯がどんぐりより

ちょっと大きい形の悪いおにぎりとなっていた

ぼくはパクリとそれを食べる


楽しみの姉やんのおにぎりは

ぼくが一年生になるまで続いた・・・


・・・その姉も逝って十五年


ぼくももう八十歳


死んだらわき目もふらず行く所がある
 

父やんは

黙ってうなずくだろう

母やんは

お帰りと言うだろう


姉やんは 幼い日と同じ顔で

「武、お土産」と言って

ハンカチに包んだ

弁当箱をくれる━━。 
 







こころの痛点



注射針の

尖が

ぼくの

痛点をまともに

突き刺す


午前

午后の

いちにち二回の

針先と

ぼくの闘いなのだ


無数の

数限りのない

痛点が

ぼくを

縛り付けながら

他人面して黙っているのだ


はびこったまま

そしらぬ顔をしている

痛点は

ぼくにとって

無用の証である

転びながら

悲しみ

まともによろこびながら

何を



よろけまた歩む

ぼくの裡の

生の歴史なのだ


くる日も

来る日も

隙間のない

こころの痛点だけが

殖えながら

おびえ乍ら

数をふやしているのだ


見つからない

ぼくの倖せと

無数の痛点との

出会を

じっと噛みしめながら

看護婦に

すべてを託す

日々の


進展を持たない

充実を味わいながら

一日が暮れてゆく

こころの

痛点の累積を

背負いながら

走りながら

あせりながら

涙の跡を

追い続けるのだ━━。 
 
 


秋田穂月(秋田武松)さんの略歴
1916年6月17日三重県に生まれる。子供の頃発病し、小学校途中から自宅療養を続けるが、母の死をきっかけに入所を決意。1940年8月12日邑久光明園に入所。翌41年、南早苗と結婚(48年死去)。同年4月より浜中柑児、本田一杉両氏に俳句の指導を受けるとともに園内文芸団体・卯の花俳句会に入会。昭和二十年代より俳句誌「冬扇」「季節」などに投句。三十年代以降は詩作に専念。1999年10月26日死去。詩集『空白への招待』『生きて逢いたし』。

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ポトフ


今日の夕飯
(1)ポトフ
(2)オクラの醤油・カレー粉炒め
(3)エゴマの葉の醤油漬け
(4)甘いハーブティ


ポトフ→鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切り、ベーコン1連の細切りの順に炒め、野菜全部(タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、ナスピ、ピーマン)を入れて炒め、油が全体にまわったら水をたっぷり入れてコンソメ2個を入れ、煮立ったら弱火にして20分煮て、コショウで味付けして出来上がり。


オクラは1分ほど茹でて、よく湯切りし、半分に切り、熱したフライパンにオリーブ油を入れて炒め、醤油とカレー粉で味付けして出来上がり


エゴマの葉は洗わずにタレ(醤油100㏄、ごま油小さじ1、みりん大さじ1、豆板醤大さじ1、ニンニク1片のすりおろし、一味唐辛子を入れて混ぜたもの)に浸し、容器に重ねて入れて出来上がり。


甘いハーブティ→沸騰したら火を止めて入れ、3分ほど蒸らしてすべて取り出し、ステビアだけ戻して30分ほど浸して出来上がり。麦茶代わりに冷やして飲む。
 
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ライでないという不思議 ライであるという不思議

 

わたしがライでないという不思議

あなたがライであるという不思議


わたしがライであるという不思議

あなたがライでないという不思議


たまたま

ライという病にかかった

運命のいたずら


その運命を受容し

受容できない葛藤を言葉に託し 

そんなあなたの一文字一文字に今夜も癒されている


すぐ近くだったのに

すぐそばだったのに

深く知ろうとしなかった

知ってはいたが 橋がなかった

橋はできたが 経済的時間的精神的余裕がなかった


ブログのネタという最大の理由で

年金をもらいだした経済的な後押しがあって

そんな計らいや理由はともかく

知らず知らずのあいだに

はまってしまったライ文学


点字


ここに僕らの言葉が秘められている

ここに僕らの世界が待っている


舌先と唇に残ったわずかな知覚

それは僕の唯一の眼だ

その眼に映しだされた陰影の何と冷たいことか


読めるだろうか

星がひとつ、それはア

星が縦にふたつ、それはイ

横に並んでそれはウ

紙面に浮かびでた星と星の微妙な組み合わせ


読めるだろうか

読まねばならない

点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ

予想したであろうか・・・


ためらいとむさぼる心が渦をまき

体の中で激しい音を立てもだえる

点と点が結びついて線となり

線と線は面となり文字を浮かびだす


唇に血がにじみでる

舌先がしびれうずいてくる

試練とはこれか━━

かなしみとはこれか━━

だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない

この文字、この言葉

この中に、はてしない可能性が大きく手を広げ

新しい僕らの明日を約束しているのだ

涙は

そこでこそぬぐわれるであろう 

 


近藤宏一さん著作『闇を光に』の中の「点字」

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ミツバチが1群逃去、残りは3郡


日曜日にミツバチが逃去した。弱小群であったが、何とか群をキープしていたものの、働き蜂や蜂児の死骸が巣箱の底にしばしば落ちていて、これが止まらず、巣もなかなか大きくならず、結局逃げ出した。


働き蜂や蜂児が死んだ原因は「ネオニコチノイド系農薬」が原因と思う。


もっとも強群だった群も6月中旬頃に突然、蜂数が半減した。群が強すぎて夏分蜂をしたかもしれないと思ったが、巣は上から3段目に伸びてきたばかりで、巣作りのスペースは十分あって夏分蜂は考えられない。


おかしいと思ってネットで「蜂数が突然減った」と検索したら、「蜂群崩壊症候群」という説明があった。


標高が高く、蜜源の多くが平野部ではなく山の中にあると考えられる「葉タバコ跡地の山の一群」は現時点では活発であり、平野部でも150メートルほど離れた場所の一群は活発なので、これも蜜源が異なるのだろう。

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昨日と今日の夕飯


昨日の夕飯
(1)キュウリの酢の物
(2)ピーマンのじゃこ煮
(3)ゴーヤとツナの苦くないサラダ
(4)ゆで卵
(5)ジャガイモの蒸し煮
(6)干しキュウリのパリパリ漬け

キュウリの酢の物→キュウリ3本はスライサーで切り、軽く塩もみをして10分ほどおき、さっと水で流し、水気をしぼりながらボールに入れる。カニかまぼこ2本をほぐしながらボールに入れる。お椀に、酢大さじ3、醤油大さじ1、砂糖大さじ1を混ぜ、ボールに入れて和えると出来上がり。


ピーマンのじゃこ煮→ピーマン12個ほどを細切りし、小魚は熱湯をかけておく。鍋にだし汁大さじ2を入れ、醤油、酒、蜂蜜で味付けし、煮立ったらピーマンと小魚を入れ、中火で4~5分煮て水気が少なくなれば出来上がり


ゴーヤとツナの苦くないサラダ→ゴーヤは半分に切り、中のズをとって薄切りし、塩もみをして5分ほどおき、熱湯で30秒ほど茹でて冷水にとり、水気をしぼりながらボールに入れる。玉ねぎはスライスして5分ほど水にさらし、水気をしぼりながらボールに入れる。ツナ缶の油を切り、ほぐしながらボールに入れる。マヨネーズとレモン果汁大さじ1で味付けして出来上がり。「ゴーヤとツナの苦くないサラダ」を参考にしている。 


ジャガイモの蒸し煮→熱した無水鍋にバターを入れ、薄切りしたジャガイモを置き、蜂蜜を入れ、弱火で20~25分、火を止めて余熱5分で蓋を開け、オイスターソース大さじ1、醤油小さじ1で味付けして出来上がり。


干しキュウリのパリパリ漬け→キュウリ3本は3分割し、縦に4等分し、5~6時間天日で干す。食べやすい大きさに切り、瓶2つに入れ、醤油100㏄、酢100㏄、だし汁200㏄(醤油+酢の量)、ニンニク1片をすりおろし、瓶に注いで出来上がり。翌朝には食べれる。  




今日の夕飯 
(1)ナンキンの煮物
(2)ゴーヤチャンプル

ナンキンの煮物→熱した無水鍋に大さじ2のだし汁を入れ、醤油と蜂蜜で味付けし、煮立ったら弱火にして乱切りしたナンキンを入れ20~25分煮て火を消し余熱5分で蓋を開け、さっくり混ぜて出来上がり。


ゴーヤチャンプル→ゴーヤは半分に切り、中のズを取り、薄切りして塩もみをして5分ほどおき、熱湯で30秒ほど茹でて冷水にとり、水気をよくしぼる。豚肉100グラムは80度の湯で15秒湯通ししておく。熱したフライパンに油を入れ豚肉、ゴーヤの順に炒め、ニンニク醤油で味付けして出来上がり。 

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栗生楽泉園  藤田三四郎さん





落葉が一枚二枚と落ちる時

風が生まれるのだ

その風をとらえるために

呼吸を止め

心を注ぎたす

落ちて行く姿を

土に帰る姿の

あいだに

風は立ち止っていた

使命が終る、この一瞬の時に

風が生まれ落葉は帰る

生まれるひとひらの風のために

落葉があった

大樹のため

散っていた

俺はなんのために散るのか

目的を探していると

落葉が教えてくれた。

(1979年)








四月一日の朝
 

今年も栗生の地に

沈丁花の花が香りをただよわせてくれた

俺はこの花が好きだ

氷の中に、北風に

雪の中にも青い米粒のような蕾が

だんだん

赤紫色になって

春を呼んでくれる

一人一人は

小さな花

だけど

力をあわせて、小枝の先に集まると

丸い一輪の花になる

沈丁花の花が咲くと

思い出が浮ぶ

風化のときがすぎても

四月一日の入隊の朝

見送りの列を割って

彼女が春の香りを手に

そこに涙が光った

俺の手に

沈丁花の小さな枝を握らせてくれた

胸、ふさぐように言う

この花ですと、他に言葉はなかった・・・

戦争が終り

俺はライを病み

栗生に護送された

彼女と再会が出来ない

でも

あの時の沈丁花の花の香りが

まだ美しくやさしく

香りを放って生きて行けと語ってくれる

四月一日の朝の香りであった

(1981年)








満月


月は俺と歩く

後ろからついてくる月

風呂への道へ来る月

俺が裸になって風呂に入ると

月も入ってくる

俺の背を流してくれ

沈むと月も笑う

子供の時に接した

母の乳房のように丸い

故郷の話に花が咲き

今年の作柄はどうか

冷夏だから

稲穂は頭を下げない

不況の風に苦しいと言う

こんど逢う時は

ふる里の便りを

月に一回ずつ

お前に届けてやるからと

月は世界どこでも

歩いているからと

お前の旧友や知人
  
肉親のことを

こんど逢う時に知らせてやると

俺を慰めてくれた

(1982年)


藤田三四郎さんの過去記事

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長島愛生園  島村静雨さん





黒夜の潮騒に

おののく

島があった。


島は

暗い海にいっけん

穏やかな外観を横たえていた。


だが

そこに住む人々の

貌は醜かった。

その足は萎え

指は曲り

掌はかさかさに荒れて

肉体はいたましく病んで変貌していた。


彼等は大地に

義足をきしませても歩くことを

止めなかった。

掌に鍬をしばりつけて耕すすべを覚えた。

ペンをしばりつけて

文学を生み真実を探求した。


盲は唇で点字を読み

舌で便りを聞いた


たまには自らくびる者もあったが

その暗黒のなかから

ひかりを掬み

生きる可能を知った。

闇の中にひかりを

絶望の中からのぞみを

不可能の中に可能を発見した。


病める歌人は歌った

「みずから燃えなければ
ひかりはない」と。


傷ついた詩人は詩った。

「絶望のはてに甦り
泥沼のなかから
まことのいのちはめばえる」と。


そして すべての人の世のように

恋愛や結婚もあった。

たまにはこそどろや醜聞もあった。

いざこざや抗争もあった。


またこの島に

地上の父がいた。

慈悲深い聖母がいた。

彼等はそのふところに

失った故郷を感じ

幼い日を夢みた。


島を訪れる

人々は いたましい彼等の醜貌に

顔をそむけ その悲惨さに

憐愍の涙をながした。


彼等はもうその場限りのあわれみや

なぐさめの言葉に
 
感動もしなかったが
 
ささやかな真実に涙を流し

いたわり合った。

そして天国には遠かったが

天国を感じた。


彼等は

人権を叫び

偏見を憎んだ。

地球の黄昏を憂えて戦争に反対し

平和を叫んだ。


夜明けをまちわび

淡い夜に 吐息し

やがて訪れるであろう

島の夜明けに

人類の歓喜を

世界の黎明を夢みた。


地球の谷間 未知の海の

黒夜に

おののく

孤独な島があった。








彫刻 ━━癩者の表情━━


彫深い苦悩の淵に

濁った腐水が澱み

━━光うせただれた眼

陥落した山嶺

古の面影とどめぬ悲哀の峰

━━造形美を喪失した鼻


雪崩に変形した丘陵

荒涼と殺伐な平野

━━生彩なく硬直した頬


激痛に引裂かれた地平の地割れ

惨禍の跡は無残にひん曲り

━━サタンの嘲笑に歪んだ口


その貌は笑を失って

呪いと悔恨に満ち

陰惨と翳が住み 歪み

表情は凍てている。


この荒んでいたいたしい広野に

喜びや希望や平和の住家もなく

朽ちてゆく廃都のようだ。


神の見事な傑作。

この傑作になおも深い悲しみと

悩みの魂を与え連日連夜

厳しい試練の責め苦の鞭をあてる

神よ━━

あなたはあまりにも厳しく

あまりにも惨酷で偉大すぎる。

この傑作があなたの御作であるとしたら?


偉大な神よ

不可解な神の傑作よ。









詩について


生きることのむなしさの故に。

生きるあかしのために。


ときのまを燃焼する火花

飛散するいのちの結晶でありたいと

やがて燃えつきるもの

いのちや言葉や願望を

きらめく水晶の刃物と研ぐ









わたし達は何かを


いつからかわたし達は何かを失ってしまったのです。

わたし達は何かを奪われてしまったのです。


その日からわたし達は

つきまとう影に怖れる存在となってしまったのです。

しつような影の存在の意識に

すっかり己を見失い 彷徨ったわたし達です。

たしかに故郷もあったのですが

もはやそれさえ幻の城のようにあこがれのむなしい

遠い存在となってしまったのです。

故郷を美しい追憶で飾るのは 健やかな夢です

わたし達の夢はいたんでいる。


わたし達は何も知らないのです。

わたしがわたしでなくなった理由を━━

全く知らないのです 速い引潮のようにわたし達から何かが

去っていった理由を━━


それは満ちてこない潮です。

藍さを失った海です。

渇き 地割れした干潟の孤愁の横顔です。


あなな方は知らないのです。

わたし達の求めるものを━━

わたし達からうばい去ったもの わたし達が失ったものを返して下さい。
 


「島村静雨 全作品集 遺稿詩集1」より抜粋させて頂きました。


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栗生楽泉園  高橋晴緒さん


誰に手紙を書こう


あの日

あなたの悲報を裏付けるかのように

葡萄の花に

冷雨がけぶっていた


・・・海辺の病院で 千鶴子さんが亡くなった・・・


母は死を悼むように書いたのであろうが

便箋の一行に人の死があっけなく書かれたことが

癒えることのない疾病の私には耐えられない苦痛だった


あの切れ長の大きい眸に黒く豊にあった睫毛を音するようにまばたいたあなたの眸は

もう久遠にひらかない

笑うときなど声を呑むように笑ったあの声も

もう聴くことが出来ない

ヘンタイ仮名をよく使う文字の手紙も

もう来ないのだ


現在の私には ただひとりの

文通の出来た人だったのに

ああ 海辺のサナトリュウムの片隅で

独り侘しく斃れていったあなた


あれは支那事変の苛烈の頃だった

二十代の私には背負い切れない宿命の重量を背負って武蔵野の癩園に入った

あの柊の垣の中に若い世代の血を秘めて暮すことは苦しい忍従だった



あの雑木林の果てから響き来る武蔵野線の車音を呪い

倖せという人生の位置に生きられる人達に
 
私は限りない羨望と憎悪と悔恨を覚えた


その頃あなたは小学校の教職をひき

結婚 戦争 夫の戦死 戦争未亡人

こどものないあなたは夫の一周忌後実家へかえった

「自己を拘束するような侘しい時代の流言、私には耐えられなかったの、子供のないということより、(戦争未亡人)ということが。いったい戦争というものが人類に何を残すのでしょう。
わがままないけない私を批判してちょうだい」


落葉の小径を歩いて四年

結婚後絶えていた最初の便りだったが

もうあなたはこの世にはいない


あの日

あなたの報せをうけた日

私は果てしない空に

切れ凧みたいになっているような哀しさを感じ

これから私は誰に手紙を書こうかと思った








癩夫婦


六部屋つづきの四畳半の一部屋

六十ワットの電灯の下で

男は机に向って本を読んでいる

女は癩園の限られた収入のなかから買いもとめた新柄のセルを縫っている


時折り男のめくる紙の音と

女のよりをもどす糸をはじく音が

部屋の中に音するだけだが

二人の抒情があたたかく部屋の中に満ちていた

外には小さな風が出たのか角の妄導鈴がチンチンと鈍くなって夜の静けさを深めてゆく


男は知っていた

女には子供のあることを

そして生理のように

そっとブレストの痛みの哀しさを抱くことをも


女は知っていた

男の絶ちがたい杳いひとへの愛着を

癩者という自負の排泄をどこに苦しみもとめていることをも


宿命のなかに自らもとめ倖せを希っている二人には

小さな波風があってもそうしたことを口にしなかった

今夜も

男と女の 二人の抒情は

六十ワットの電灯の下に

あたたかく満ちていた








いのち


今日も正確に

太陽は山脈の向側に落ちて行った

その風景の向側には

僕のふるさとがある

母が

妹がいる

僕の杳い友がいる

愛する恋人がいる

山がある

河がある

幼い夢がある


━━僕の心が

今日をいわれもなく病んでいるのは

山脈の向側の

風景が恋しいからではない

僕の病巣が永いからではない


自然があまりにも美しく

昨日のうえに

今日が

今日のうえに

明日が

あるように

僕の昨日のいのちのうえに今日のいのちがあるからだ




高橋晴緒さんの略歴
1913年11月2日静岡県生まれ。1940年12月23日栗生楽泉園入所。「高原」編集部に所属。同誌に随筆などを発表している。1958年12月4日死去。


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邑久光明園  沢野千鶴男さん


野菊


小島の磯の岩陰に何時の頃からか

私の知らないずっとずっと前から

めぐり来る秋を力一ぱいに讃えて

咲き香っている野菊よ

お前は瞑想する詩人だよ

人にも知られず蜜蜂の訪れすらなく

儚い風の便りに希望を繋いで

やるせない孤独の寂しさを

おおその

薄紫の花片に湛えて

澄み切った青空に推哲し

秋と云う自然にぴったりと溶けあって

ああ

清楚で巧まない野菊の情勢が

私の胸底にだんだんと

つたわっている

うずいている







傷む心


いたつきに傷む心よ

ほろほろと

花散る朝を鳴いている

小鳥の心 春の心


いたつきに痛む心よ

いらいらと

暑い真昼を鳴いている

蝉の心、夏の心


いたつきに痛む心よ

しみじみと

灯ともし頃を鳴いている

蟋蟀の心 秋の心


いたつきに痛む心よ

ひしひしと

冷い夜を鳴いている

風の心 冬の心


沢野千鶴男さんの略歴
邑久光明園に在籍。沢野千鶴男はペンネームと見られ、詳細は不明である。1954年刊行の『光の杖』には故人とある。

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ブログを続ける上での弱点


新しいパソコンにかなり手こずっている。

入力の途中で、少しでも他のキーボードに触れると、途端に画面が切り替わってしまう。これに悩まされている。

キーボードの配置も 前パソコンと異なっている箇所がいくつかあり、それも気にさわる。

数多く、入力を繰り返し、慣れるしかないのか・・・。


実際にこのパソコンを使ってみると、買う時には見えなかった(わからなかった)いろんな問題が浮上している。


前パソコンを修理に出して、2つのパソコンで更新をしたほうがいいかもしれないと思っている。もしくは使いなれたDELLのパソコンの新品(多分10万円以内で買える)に買い替えるか。

1週間後にパソコン教室の予約を頂けたので、それまでに入力を数多くして(訓練して)、方向を決めたい。

まだこの先、何十年もブログを続けるつもりなら、危機管理の面からも1台でなく2台が必要のような気もする。若しくは、こうなる前に、それを想定して、4年に1度の間隔(もしくは5年に1度の間隔)で先手、先手と買換えをしたほうが、結果的に安くつくし、機種変更による「入力の違和感」にこんなに悩むこともないだろう。

ウインドウズME→ウインドウズXP→ウインドウズビスタ→ウインドウズ7と、その時、その時のパソコンの先生に、全て購入してもらった。

目的のための「道具」で手こずるのは時間のロスであり、そういうハード面は先生に依存しながら、自分はソフト面だけに没頭した方がいいと思う。

たまにしか使わないパソコン機能は、ほとんど覚えれない。

今回のパソコントラブルで、ブログを続けるための弱点を思い知らされた。新しいパソコンに慣れるのは本当に大変だ。

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栗生楽泉園  古川時夫さん





ガサガサと

背に積んだ刈青草を

ゆさぶりながら

バッタリバッタリ

すれちがって行った

馬が

すっかり忘れていた

ふるさとの匂いを

私に置いていってくれた
 






義眼の奥の風景


立秋を過ぎると

ここ高原の風景は変る

松虫草の花の色から

竜胆りんどうの花のむらさきに変り

澄みきった青空に魅せられたように

白い雲が吸われてゆく

一瞬 浅間山は

噴煙の呼吸を止める

すると神経質な白樺の梢は

早くも冬の気配を感じて風におびえ


そして眼ばたきせず

日射しはね返えす義眼

義眼の奥の私の風景







一枚の年賀状


元旦の朝

配達された年賀状のなかに

私への宛名以外

何も書いていない一枚の年賀状があった

差出人の住所も名前もないなんて

やっぱり少し気になる


死とむきあう病床から

私は生きている証しにと短歌をつくりはじめ

また詩も口述筆記してもらうようになって

同病の詩や歌の仲間

そしてこんな私の詩や歌を通じ

療養所外にも一人二人と友だちができ

ふえた


差出人不明のこの年賀状は

きっと年末の忙しい仕事の合間をぬって筆をとってくれた人が

宛名だけしたため

あとはうっかり書き忘れてしまったのかも・・・

そう思いながら

ふと脳裡を

私の病気ゆえ世間をはばかる

ふるさとの兄の顔が

よぎる


何も書いてない年賀状

その年賀状を

今朝いただいた年賀状の一番上に乗せて

輪ゴムで止めた







春の雪


大きな雪が降っている

綿を千切ったような春の雪が降っている

掌を差し出して受け止める

雪は静かにつもる

耳を近づけると

何んて慎ましやかな音を立てて

春の雪は掌に降る

まだ麻痺に侵されずにいた四十年前を

思い出しながら受け止める

私の病気を治そうと

親たちがあれほど心配してくれたのに

知覚を失ったこの掌

今では元の形すら残っていない

忌わしい時間と空間を雪は埋めるように

掌に降りしきる

掌に雪を乗せたまま

私は雪の中を歩いている








明日へ


サク サク

火山灰の小さな庭に
石楠花しゃくなげを植える

盲人の私にとって

何の保障もない明日だけど

石楠花を植える


石楠花は

三年先き

五年先きに

花咲く希望をいだいて

じっと待っている


今日から私も

この石楠花のように

明日に向かって耐えるのだ



古川時夫さんの過去記事(1)

古川時夫さんの過去記事(2)

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栗生楽泉園  小林弘明さん


元手


ライを元手に詩を書いて

できれば一生をと思っていて

ところが

詩ができないどころか

嫌な性格まで浮かび上がってきて

年齢と共に持て余している


らい園に入所して半世紀以上が経過している

らいが治って かれこれ三十年ぐらい

らいが不治でないと証明されて

時には外出などしてみるが

今更という感じで億劫になるばかり


「できれば代ってやりたい」と嘆いた母

たまたま帰省したぼくを

他人目から避けるようにかくまって

酒など用意してくれた


らいの人生恨みっこなし

ぼくがたとえ健常者であったとしても

果たして母を今より安心させ得たかどうか


昔の小学校時代の唯一の友だちが

「らいを糧に君は詩を書いている
 ぼくにはその体験ができない」

と言ったことがある

らいの存在がそういう役割をしているかどうか

今のところ判らないが

死んでしまおうという気にもなれない


故郷を忘れて療園暮らし

母には悪いが

ライがぼくの元手だと思っている







うん、そうだ


青い顔になって

手術を受けたが

お陰で助かったようだ

助かってありがたさが身に沁みる


庭の朝顔は咲き乱れて

そのまわりを蝶が舞っている

久しぶりにお目にかかった

ありがたさ


あのまま見えなくなってしまった事例は

つい最近まで続いていたが

ライの眼にも現代医学の光が差し込んで

九死に一生を得た

運が良かった


この良運に出会わなかった者たちが過去にいる

私の妻もその一人

朝から洗濯機を回し

鉢植に水をやっている

運の良し悪しについて口にはしないが

両手を拡げて部屋の中を

日に何度となく通り過ぎて行く

私は惜しみなく

この眼を貸し与えなければすまない

うん、そうだ、と思い込むようにしている 



過去の小林弘明さんの記事


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邑久光明園  味地日出男さん


一つの喜び


おずおずと治療待合室に入り来し一人の盲

杖にたずねて行きあたりの隅を

そっとさぐりて腰を降ろしぬ


親しみを画に見つつ歩み寄り

並びてかけし顔丸き男

言葉出さずそっと盲の手を取りき



眼球は痩せて小さき眼をしばたたき

腫みたる指に神経あって

盲は不意の友を読まんとせる


互に手を取り合えば

二人の呼吸のひそかに通う

盲はその体臭を聞きて名を云いしが

男は尚も黙をつづくる

一ずなる盲の心今は迷いて

腕ひき寄せてもの云いねと云う

ああ吾も男の名を知らず

囁きて告ぐる術なし


ひらめきし盲の六感は

男の名を遂にあやまたず

云いあてられて明るく笑えば

耳に響きし其の声を懐しみ

盲はそもそも満足気に笑を浮べぬ

ああ今は

見守りていし吾の心も軽く何か楽しき



味地日出男さんの略歴
1913年8月5日兵庫県に生まれる。1933年2月14日、外島保養院に入院。1934年の風水害後、栗生楽泉園に委託。詩のほかに短歌もある。1945年3月17日死去。


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パソコンの購入


一昨日の夜、パソコンを打とうとしたら、キーボードの一部キーが入力できなかった。他にも何か所か不具合が出て、これはいつものエラーと状況が違うと感じて、ヤマダ電機へ行ったら、一部のキーボードが壊れているので、修理に出すしかないと言われ、7日~10日はかかると言われ、費用も1万円以上と言われた。

今使っているノートパソコンは22年の2月に購入し、すでに4年半ほどになるので、買うことにした。今回はNECのパソコンで146664円だった。


パソコンの先生にインターネットでDELLのノートパソコンを買ってもらうと安いが、今回は急だったし、高校生の時から教えてもらっている先生はすでに社会人となって働いており、なかなか時間が取れない。

パソコンの先生、ヤマダ電機、NECと三者に質問できる状況を作って置いたほうがいいと思った。

パソコンの初期設定やインターネットへの接続はヤマダ電機にしてもらったが、その他はパソコンの先生にしてもらう。自分ではデジカメの接続等ができず、当分の間、画像はなしで、言葉だけの夕飯になります。

7月9日の夕飯
(1)オクラの湯通し
(2)焼きなすび
(3)ピーマンのじゃこ煮
(4)キュウリの酢の物

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菊池恵楓園  山崎玲子さん




私の胸は熱い涙にぬれています。


私の想いは遠く故郷に走ります。

父母のいるなつかしの土地なのです。


私の手はしきりにペンをにぎります。

そのペンは私の思いを書くのです。


私の眼はまるい月を眺めます。

暗い夜空を青く照らす月なのです。


私の耳には彼の人のいびきと、

無心に鳴く虫の声だけが聞えます。


私の心は何かを思います。

虫の声が月の光が、そうさせるのです。


私の胸は熱い涙でぬれています。








何が私の悩みを


何が私の悩みを救うのか

時間か。


仕事にまぎれることか

静かに座して祈ることか


そぞろ歩きの回想か

おお何が私の悩みを解決するのだ。


傷つけられた胸の痛みに

魂の深い傷のうずきに

どこの特効薬がいいというのだ


この悩める私の心を

そっと愛の衣に包み快よく温めてくれる

かぎりなく尊い愛の神を

私の心は強く感じているのだが

所詮生涯つきまとう私の悩み

いつまでも私について来るお前

ああ何が私の悩みを救うのだ







不思議な女


その女の顔は

会う度に変っていた。


天気のよい朝は

生き生きと輝き。


曇った昼は

抜けたようにぼんやりし。


雨の降る日は

怒ったように。


何物かを信頼し

何物かに抵抗するような眼を光らせていた


夜は

悪魔の真黒い誘惑の掌が

黄泉の国からのびて来る

絶望と苦悶の中で

悪魔とのたたかいに

女の胸ははりさけそうに痛み、


うつろなひとみには

不気味な蛾の

ゆるやかな羽ばたきが映る。


だが

再びこの地上に太陽が上ると

女は、

さらりと暗いかげを捨て

充実した一日の仕事に精を出す。


太陽が雲にかくれる度に

女の顔にも影がさす。


そして又、女には絶望の夜が来る。


だが

女は死なないで生きている。


山崎玲子(伊藤富子)さんの略歴
1932年4月5日鹿児島県に生まれる。1947年8月23日菊池恵楓園に入所。1994年8月18日死去。


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初物 ゴーヤ

 
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ゴーヤはまだ少し小さかったが、「ゴーヤとツナの苦くないサラダ」を食べたくて収獲した。このレシピに去年からはまっている。

ゴーヤは半分に切り、中のズを取って薄切りし、軽く塩もみをして5分ほど置き、沸騰した湯で30秒ほど湯がいて冷水にとり、水気をよくしぼりながらボールに入れる。タマネギ1個もスライスして5分ほど冷水にさらし、水気をよくしぼりながらボールに入れる。

ツナ缶の油をよく切り、ほぐしながらボールに入れ、マヨネーズ、レモン果汁大さじ1を入れて和えると出来上がり。

かるく塩もみをして、30秒ほど湯がくと、ゴーヤの苦みがほとんど消える。苦味は少し残った方がおいしいかも知れない。 




ジャガイモの蒸し煮
  
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熱した無水鍋にバターを入れ、薄切りしたジャガイモを入れ(混ぜないで置くだけ)、ローズマリーを置き(風味付け)、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ローズマリーを取り出し、オイスターソース大さじ1、醬油小さじ1で味付けして出来上がり。砂糖を入れ忘れたがおいしかった。




インゲンの蒸し煮

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熱した無水鍋に大さじ1のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、半分に切ったインゲンを入れ(混ぜないで置くだけ)、弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油で味付けして出来上がり。


無水鍋が最近やっと使いこなせるようになった。大さじ1の油か、大さじ2ほどのバターか、もしくは大さじ2の水を入れ、弱火(極弱火)で15~20分煮て火を消し、5分の余熱処理をすれば、たいていの野菜は焦げ付かないで火が通る(煮える)。

鍋底に「油」か「バター」か「水」がないと焦げるので、混ぜて分散させると焦げつきやすい。

無水鍋は「野菜料理」に使うのがメインで、他の料理では使いづらい(使えない)ように思う。
 




本が届いた

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画像ではわかりづらいですが、かなり部厚く、読み応え十分で、内容も濃く、しかも高級用紙を使っていて読みやすく、ページがきれいである。


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栗生楽泉園  小林弘明さん


近藤宏一さん著作「闇を光に」

桜井哲夫詩集

ハンセン病文学全集第4巻 記録・随筆
ハンセン病文学全集第5巻 評論・評伝
ハンセン病文学全集第6巻 詩一
ハンセン病文学全集第7巻 詩二

以上を今日注文した。明日届く予定で楽しみである。借りて読むと「書き込み」ができないから。



ねすがた


投げすてられた着物が

そのまま

寝具の上で私の形をなしてねています

いつも私がするように

顔を壁にむけ

うずくまる恰好で

熟睡しているのです

もう苛ら立ちも消えうせ

時の脅迫から逃れて

もの言わぬ物体化しているのです


姿は

グロテスクです

でも ほんとうの安らぎをつかみ

夜の灯の下に

姿なくねむっているのです







病室で


なぜこんなにもおちつかないのだろう


なぜこんなに不安になるのだろう


眼を覚ますと

素晴しい紫紺の夜明を迎え

運ばれるお茶をすすりめしを喰べ

タバコをくゆらし

さて と読書にふける

足には今日の繃帯を巻き

傷口も癒やされている

枕もとの床頭台には

赤と白の花を活け

果物は籠の中


手を出せば

すべてが解決する


空間

空間

さめていく

さめていく

ぼくの世界








残骨蒐集作業


遅きに失した感があった

しかし 無言で

各々が手に鍬とスコップを持ち

通称地獄谷の急斜面に分け入った


今にも降り出しそうな空模様の下で

男も女も

働ける者たちが集って

降り積った朽葉を掻き分け

熊笹の根を掘り起して

散在する残骨を探し求める


女性たちは髪を布で包み

大きな穴の周囲に丸くなって

ていねいに一つ一つ拾っている


鬱蒼と茂る木立

背丈もある熊笹

それらを刈る男たちの群


この谷の上の旧火葬場は

戦中 戦後の時期

飢えと過労と 病魔のために死ぬ者たちで

釜の冷える暇がなかった


患者は火葬当番になって

この谷で生木を倒し

雪の中でも背負い揚げた


そして昭和二十年

死者はついに一三八名となって

遺体は重なり合いまるで地獄絵であった


赤錆びて 折れた煙突

しかし煉瓦づくりの
かまどの中は 

今も人脂で光って

当時の面影を残している


眠っていたか

覚めて いたか

朽葉の下から

土中の暗間から

不明の骨が掘り出されるたび

死者が姿を見せ

嗚咽する


ああ 消えないのだ

痛みは 時 を越えて

この地に木の葉のように貼りついている


小林弘明さんの略歴
1925年生まれ。1943年栗生楽泉園入所。1999年11月19日死去。詩集『闇の中の木立』(1979年 梨花書房)、『ズボンの話』(1989年 私家版)、『元手』(1996年 私家版)、遺稿詩集『リンゴの唄』(2000年 土曜美術社出版販売)。 


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イワシの梅煮


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いつものスーパーでイワシを買った。小さかったので頭も腹ワタもとらなかった。

鍋にだし汁150ccを入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、生姜1片をすりおろし、煮立ったら、洗ったイワシを入れ、小梅4個の種をとっていれ、落し蓋をして、再度煮立ったら極弱火にして40分ほど煮て出来上がり。「イワシの梅煮」を参考にしている。

うまく煮えたが、食べて、あまり生きがよくないと思った。


 



オクラのカレー炒め 
 
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オクラとキュウリの2作物だけは、出荷があってもなくても毎日収穫する必要がある。1日とばすと大きくなりすぎる。

大きいオクラは少し長めに湯通ししてザルに上げ、2~3分割する。熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、強火で炒めてオクラの水分がとんだら、カレー粉小さじ1と醤油で味付けして出来上がり。「オクラのカレー炒め」を参考にした。 


 

ニラ卵

 
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ボールに卵3個を割り、出し汁、醬油、砂糖で味付けし、熱したフライパンに小さじ1の油を入れて、卵を流し入れ、ニラを置き、弱火で蓋をして2分ほど焼いて巻き、何回か裏返して出来上がり。

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多摩全生園  光岡良二さん

水はさらさら流れてゐた



水はさらさら流れてゐた

まだ
はやの影もなかった

渓合たにあいのひろい川原に

春先の薄陽が時々さしてゐた


あと三日すれば療養所へ行く私だったが

もう泣きはしなかった

口笛を吹いたり 笑ひ合ったりした

おまへはあどけない少女のやうに

手を繋いで水を見てゐた

萌え出た茱萸ぐみの枝を浸して

水はあとから後から流れて来た

見てゐると 心が

遠くとほく 流れに乗って

私からさへ離れ漂って行った


━━節ちゃんにもって行ってやるの

おまへは紫や茶の可愛い小石を

ハンカチに拾い集めた

子供のない私たちが ゆくゆくは

貰ふつもりの子であった


振り向いたおまへの頬は

川風に曝されて蒼かった


そして ああ いまは秋

葡萄いろの黄昏の底に浮び出る

おまへの細い顔のうへを

水はさらさらと光ってゆく。

(September,1948)









葦笛にのせて
━━訳詩風の断章



どうか咎めないで下さい

哀しみのはての

ひとり遊びにとりだした

わが玩具箱


あなたと過したのは

あれは本当にきのふだったのか

窓硝子にひびいて

降りしぶく晩秋の雨


あなたは黒いコートを着てゐた

喪服のように。

白い額のかなしみの炉に

瞳と頬だけが火と燃えてゐた


蜜蜂のやうに

口づけが溜められるものならば━━

だがもう今日私は飢ゑて

あなたの熱い現在プレゼンス
を恋ふ


草の葉がくれなゐに染まって

もう 冬

わがあひびきの場所も

明日からは風が鳴るばかり


考へればくるしいので

考へないであるく

夜霧に凍えた

あなたの手の冷たさだけを思ってゐよう


所沢駅 田舎びた木製のブリッヂ

くらい灯によりそって

寒さとかなしさに顫へてゐた

半日のあひびきのフィナーレ


もうひとつ電車をやり過すと言ふ

いくつ過さば

こころ満つるぞ


発車ベル鳴る間の


あはただしい接吻くちづけ

喪はれた《時》が

きらきら微塵にとび舞ふ

あなたの肩をつつんで


とうとう帰って行った

閉ったエヤー・ドアの中の

おほきな 黒い眸


そのあと 知らず


何おもひ 今宵寝
ぬるぞ

修院附病院の

ナザレト寮の 看護婦さん


たった一つ残された

それは幼な児が手に提げる

小さなバスケットほどの

われらの《愛》

それさへも取りあげ給ふ

おん神のきびしさよ


なんにも求めない

なんにもねがはない

ただ一すぢの葦の葉ほどの

こととひをこそ。

(November、1948)








色彩画家カラリストの日誌



その人の手に提げたパラソルは

白かった

雨あとの濡れそぼった

萱原の緑を分けてゆくときに。


別れねばならぬ人であった

別れられない人であった

たったひとつの微笑みが

別れをたやすくするのを

待ちながら歩いてゐた

めいめいが同じことを考へながら

くるしみの分け前は

それぞれに孤りであった。


灌木が路をふさぎ

その人は立ちどまる

陽のしづんだ水浅葱あさぎ
の空に向いて

━━どうしたらいいか

   わからなくなったわ


かすかに 消え入るやうに言ふくせに

涙ははげしく惜しげもなく

すばやい渓流の飛沫のように

頬を光ってさばしり落ちた

草原の雨にまじった。


そんないさぎよい嘆きの姿勢を

はじめて見た

つめたい虹が身の内を流れとほり

私はおののきながら立ってゐた。

ひとは去り

草原は モネーの色の夜になった。

(September,1949)






菜の花



庭畑に採りのこした菜から

いつの間にか
がたち

ひと群がりの黄いろい花をつけた

ミルク缶や切れ草履が散らばる

殺風景な独身寮の庭に

それはたった一つのたをやかな色彩だ。


痩せた ひょろひょろした

色も薄い花だが

照りかげりの多い三月の空から

陽が蒸れたつやうに射すときなど

そのひとむらの十字花冠の聚楽が

燃えあがる清純な色の炎になって

それはうつくしい。


いらいらと物侘びしい日ごろのこころが

ふとその炎に吸はれて

無心になってゐる時がある。

そして障子を開けはなち

その花の見える畳に

気をとりなほし

倦怠のフランス文典に帰ってゆき

また愛するものの便りを待ったりする。


眼だたず つつましく

貧寒なこの庭の春を
めて

せいいっぱいに咲いている菜の花

わが生もそのやうでいいのだなどと思ったりする。

(April,1950)
 

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焼きナスビ


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熱したフライパン(無水鍋の外蓋)に大さじ2の油を入れ、弱~中火で蓋(無水鍋の中蓋)をして、裏表2~3分ずつ焼いて皿にとり、醬油をまわしかけて出来上がり。
 
フライパンを使うより、無水鍋の外蓋や中蓋を使ったほうがうまく焼ける。

焼きナスビは「油食い」であり「醬油食い」であるが、おいしい。


  
オクラの湯通し 

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オクラは1分ほど湯通ししてザルに上げ、斜めにざく切りしてポン酢で食べた。

前日のおかずが残っていたので2品しか作らなかった。

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長島愛生園  小村義夫(小酒井時則)さん


午後の凝視


萎えた手の 歪められた指が動いて

赤い鉛筆は 今日も山脈を描いた

その細い腕に 乱れ打つ呼吸

谷深き私のいのち


感覚の断層  赤いラインを挟んで対峙する

生きなければならない命の欲求

避けられない苦悩


人間は生命の赤線上をのたうちまわっているのか

ひそひそと秋風は 落葉の歌を唄い

午後の日射しは

薬壜の目盛りをじっと
凝視みつめている








花を活ける女


大晦日の午後の病室では

どちらを向いても

色彩はむなしい風景をなげだし

病んでいる


今年も冬を病み

大晦日の午後を熱っぽくしている病室


花を活ける女よ

快活な白衣のあなたは

空間にかわいた
はさみの音をはじけさせ

水盤に向うときシンとして

妙に真剣な表情をつくる


ひたひたと水盤に水をひたし

梅 松 葉牡丹に調和を与え

病室にかわった風景を置き

花を活ける看護婦よ


活けられた花はむなしさを断ち

ここまで生き・・・生かされてきた時間のなかの旋回で

細くなった腕を感情にまかすごとく

ふたたび生きようとする新しい年へ!


むなしさを鋏できり

むなしさにふるえをのこし

花を活けている女よ







白い行間をみつめて


じっと

白い行間をみつめていると

何か むなしい思いだけが

反転してくる


色彩は悲惨であっても

この行間に又とない生命の記録を

つづって行きたいと思う


久しぶりに丘に登った今日

大きな木のもとに立って

風雪にたえてきた樹齢を考え

きざまれた年輪のことを思う


白い行間をみつめながら

そのむなしさをのり越え

せっかくらいを病んでいることだから

むなしい時間の経過であってはいけない

青いインクで力一ぱい充実した

生活の記録をつづってゆこうと思う



小村義夫(小酒井時則)さんの略歴

1919年2月24日愛知県に生まれる。1942年11月11日長島愛生園に強制収容される。1945年頃より永瀬清子に師事し、詩作を始めた。1948年失明、1949年受洗。詩集『花を活ける女』


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初物 スイカ


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よく熟れておいしかった。



インゲンの蒸し煮

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熱した無水鍋に大さじ1(で十分だった)のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、半分に切ったインゲンを置いて、弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油で味付けし、また蓋をして数分、味を馴染ませて出来上がり。



甘いハーブティ

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左からステビア、コモンタイム、レモンバーム、アップルミントで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして全て取り出し、ステビアだけ戻してそのまま放置して出来上がり。



オクラの湯通し

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沸騰した湯で1分ほど茹でてザルに上げ、湯切りし、1~2分して冷めたら薄切りする。

カツオブシをふり醬油をかけて食べる。



ナンキンの煮物 
    
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無水鍋に出し汁大さじ3、醬油、ハチミツを入れて煮立たせ(つまり無水鍋を熱して)、ナンキンを置き、弱火で20分(前回少し硬かったので5分長くした)、火を消して余熱5分で出来上がり。



ピーマンの煮物


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鍋にだし汁を入れ、いつもの醬油、砂糖、酒、ミリンで味付けし、煮立ったら半分に切ったピーマンを入れ、中火で7~8分煮て出来上がり。

煮えた時に汁気が少し残っているくらいがいいので、出し汁は少しで足りる。

ジャコ煮とあまり変わらないが、ピーマンを細切りするのが面倒だったから。





出し殻でふりかけ


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昨日作った出し汁の出し殻はみじん切りし、熱したフライパンで乾煎りし、砂糖と醤油で味付けして出来上がり。

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長島愛生園  島村静雨さん 森春樹さん


長島愛生園から送って頂いている冊子「愛生」5・6月号に、島村静雨さんと森春樹さんの詩が載っていた。


望郷の詩(島村静雨)


俺は孤独の旅に出て

十五年振りに追憶の町に還って来た。


何の用もなく

誰に会いたい意思も持たず

ただ ふらふらと足が向いて

ふるさとの町にたちどまっている。


そうだ この十五年の間に

大きな戦争があって

この町も戦争で焼けて

昔ここに住んだ人々も散りじりになった。


俺も戦争で

あの血なまぐさい戦場で

身も心も痛み果て

うらぶれた姿で還って来た。


ふるさとも

親しかった多くの友も失って。


俺はおおっぴらに敷居もまたげない家と

生きていても自由に会えもしない肉親と

路で往き合っても昔のように

気安く語れない友のいる

想い出の町に来ている。


━━この町はもう俺のふるさとではなかった。白い風が俺の周囲を吹くばかりだ━━


俺は

追憶だけを温めて

明日はまた 知らない街を旅する。








海猫のいる海(島村静雨)


遠くアジア大陸から

日本海流に吹き荒れる

季節風に

浪はごうごうと岸壁を噛み

その轟きにかき消され

その浪音にたえだえと

海猫の鳴声は

夕暮れの葬列の鐘の音のように

わたしのこころの扉にささる。


そこには荒波に逆う

海人の 雄々しくたくましい海の唄声

みなぎり満ちて

日本海流にいどむ

海国日本の貧しい漁民の群。


ごうごうと浪打つ岸辺

それらの人々のたわいなく疲れて眠る

家々の灯が


わたしの憂悶の胸底でゆらぐ。


海猫は

北国の寒い港の

浪にたえだえ鳴く。








指(森 春樹)


いつの日から か

指は

秋の木の葉のように

むぞうさに

おちていく。


せめて

指よ

芽ばえよ。


一本 二本 多くてもよい。


少なくてもよい。


乳房をまさぐった

彼の日の触感よ。


かえれ

この手に。



島村静雨さん 1955年3月に詩集「冬の旅」を橘香社より出版。

森春樹さん 1955年11月に詩集「巨大なる石」を炉書房より出版。


島村静雨さんの略歴
1919年9月19日三重県に生まれる。1944年5月6日長島愛生園入所。1993年8月27日死去。74歳

森春樹さんの略歴
1915年2月23日愛知県に生まれる。1940年12月20日長島愛生園入所。1991年11月25日死去。76歳。
 
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無水肉ジャガと無水タジン鍋


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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。熱した無水鍋にバターを入れ、スライスしたタマネギ、小さく乱切りしたジャガイモ、ニンジンを置き(これらは混ぜない)、醬油とハチミツを入れ(これらも混ぜない)、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、さっくり混ぜてできあがり。

オイスターソースではなく醬油だから、最後ではなく最初に入れた。水は全く入れていないが、中央下の画像のように焦げていない。






タジン鍋

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タジン鍋を熱して(陶器だから弱火で加熱)、大さじ1のオリーブ油を入れ、タマネギ、ナスビ、オクラ、ピーマンを置き、最後にベーコン1連を置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。

タジン鍋も、他の無水鍋と同様、加熱してから材料を投入した方がいいような気がして、始めてそうしてみた。

イオン(マックスバリュー)のPB商品のベーコンはあまりおいしくない。ツナ缶、スライスチーズ、小魚に関してもそう思う。安いと思うが、品質がよくない。しかし出荷の帰り道に寄れて便利がいいし、近くにスーパーがないので、ここで買うしかない。

ベーコンでなく、湯通しした肉や魚を置いてもいいが・・・。



干しキュウリのパリパリ漬け

   
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11時頃から5時頃まで天日干ししたが、途中で2回も雨にあたった。

キュウリの量が少し多かったので、醬油90cc、酢90cc、出し汁180cc(醤油+酢と同量)の漬け汁を作った。ニンニク1片をすりおろして入れた。




出し汁作り

   
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干しシイタケ、昆布、煮干しを水に浸して6時間ほど置き、中火で点火し、煮立ったら昆布を取り出し、弱火にして削り節を入れ10分ほど煮て、出し殻を全て取り出し、再沸騰させてアクをとって出来上がり。

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大島青松園  塔 和子さん


青い炎のように


あの声は

去年の虫の子供だよ

そして

ずっとずっと太古からつづいているものの流れだよ

私達がいまこうしているのと同じに

幼虫



そして 

あんな美しい声の主になる

いま虫は

虫である証しに鳴いて産んで

ただひたすらに虫であろうとするだけ

何代も何代も虫であった

何代も何代も虫である虫が

何も言わずにすごした時間をになって

いま青い炎のように鳴いている







さわらないで

私は

はじける前の木の実

咲く前の蕾

孵化する前の卵

さわらないで下さい

どこへさわっても  

なにかか始まってしまうのです

はじまる前のぼうちょう感の中で

いつまでも

夢を見ていたい

始まってしまったら 

あとは

とめどもなく

上昇し華やぎ溢れ

終わるだけ

その命の果てを思うとき

うっすらと涙さえにじむのです








水仙


ゆらりと咲いた水仙

切るとじくから花へ

真直ぐにゆきわたっていた水が

切られたところで勢いあまって

したたる

水は花になったり

野菜になったり

果実になったり

さまざまな姿をもって

現れる

しかしこの奥深い水の変身

こまやかな芸の

神秘に思いをめぐらせて

見るものがあろうか

切った水仙を

花瓶の水に移すと

水仙は

その成り立ちの水を

音を立てるように吸い上げ

清楚な香りを波ように

ゆっくりと広がらせて

活けた私をたじろがせる


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初物 ナンキン


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初物のナンキンは乱切りしておく。無水鍋にだし汁大さじ3、醬油、ハチミツを入れて煮立て、ナンキンを入れて(混ぜない)弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。

少し未熟のナンキンだったが、砂糖でなくハチミツにしたことと、無水鍋で煮たからおいしかった。

油やバターだったら、無水鍋を熱してから入れるが、出し汁等の場合、無水鍋を熱すること=煮立てることである。




ピーマンのジャコ煮
   

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ピーマンは細切りし、小魚は湯をかける。鍋にピーマン、小魚を入れ、出し汁を大さじ2入れ、醬油、酒、ハチミツで味付けし、中火で4~5分煮て、煮汁が少なくなれば出来上がり。





オクラの湯通し


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沸騰した湯で1分ほど茹で、湯切りして薄切りする。カツオブシをふり醬油をかけて食べる。




タマネギとウインナーの炒め物


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タマネギ1個、ウインナー3個、ニンニク1片は薄切りしておく。熱したフライパンに油を入れ、ニンニク、ウインナー、タマネギの順に炒め、火が通ったら弱火にしてニンニク醬油で味付けし、さっと炒めて出来上がり。

先日、フリーザーバッグ(ジップロック)に入れ冷凍した青シソの袋を手で揉んで粉々にし、ふりかけた。青シソの香りが弱かったのは、ふる量が少なかったせいか?
    


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栗生楽泉園  竹村昇さん


目玉


この朝

躰中で一番目覚めがおそい目玉を

ぼくはこの朝もこすっていた

この朝に限りこすってもこすっても

こすりつける布団が

日照りの泥沼のようだった

ひと皮むけよとばかりこすりにこすった目玉は

おこりたった炭火に置かれた肉塊のように真黒にくすぶっていた

ぼくは厚い黒い布を凝視しながら

よろめく足で立った



家系をけがす病気と言う

大きな荷を背負って

戦争参加の勤労奉仕の明け暮れ

一度はつかんだ制服をはなしていた

手当りしだいに

ぼくは押入を掻きまわしていた

手さぐりのぼくの手は

ボロ服をつかんでいた

なでるぼくの躰に

ボロ服のさけ目の底に肉体の温感がある

晴眼の時知らなかった

やわらかい肉体の温感

その下を血液がかぎりなく流れていた

家裏の渓流の音が聞えていた



色彩も形もないただ真黒い世界を

逃げ出そうと窓に向けた目玉の先に

晩夏の日を受けた

坂道がかすかに横たわっていた



目玉は

冷めたい黒しゅすに覆われて覚めてこなかった



僕が佇っている現在

遠くの山野を形造って汽車の汽笛が流れる

そこの幹のみんみん蝉の声が

三つの波紋を重ねて広がってゆく



厚い黒い布で

千枚張りに継ぎ張りをした僕の目玉



二十年来

片時も消えなく脳裡に焼きついた

失明のあの恐怖

そして

僕の目玉に熱の通う限り

見え続くであろう

真黒いあの恐怖



竹村昇さんの略歴
1917年2月20日長野県に生まれる。1939年11月30日栗生楽泉園に入所。俳句が多いが、1953年頃から詩作も始めた1980年7月21日死去。


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干しキュウリのパリパリ漬け


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「ポリポリキュウリ」より「パリパリ漬け」の方が健康的でおいしい。理由は塩もみをする必要が無く、干すことによっておいしさがアップする。

大キュウリ3本は半分に切り、縦に4等分して4~6時間天日で干し、食べやすい大きさに切り、瓶に入れる。ボールに醬油70cc、酢70cc、出し汁140cc、ニンニク1片(もしくは生姜1片)のすりおろし、一味唐辛子(あれば)少々を入れて混ぜ、キュウリに注いで出来上がり。
(1)漬け汁は少なくても、瓶を何回かふっているうちに漬け汁の中におさまる。
(2)キュウリは瓶の半分までにした方が、ふりやすい。




チンジャオロースー


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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通しし、ピーマンは細切りしておく。熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、豚肉、ピーマンの順で炒め、ピーマンに火が通ったらオイスターソース大さじ1、醬油小さじ1で味付けして出来上がり。「我が家のチンジャオロースー」を参考にしている。




オクラの湯通し

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オクラが大きかったので1分湯通ししてザルに上げ、小口切りする。カツオブシと醤油で食べた。




焼きナスビ


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定番です。 


 

ニンニクをジップロックに入れ冷蔵庫へ


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ニンニク4個は鱗片をはずすと30個余りになる。ジップロックに入れて冷蔵庫に保存した。理由は、タマネギネットに入れ、軒下に吊り下げているが、いちいち取りに行くのが面倒なため。なお10月(植えつけ時期)以降は芽が出て来るので「冷凍庫」で保存する。




エゴマの葉の醬油漬け


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エゴマの葉は洗わずに、タレ(醤油大さじ5、ごま油小さじ1、みりん大さじ1、豆板醤小さじ1、ニンニク1片のすりおろし、一味唐辛子少々)に1枚1枚浸して容器に入れて出来上がり。「簡単☆ご飯によくあうエゴマの葉の醬油漬け」を参考にしている。




ニラ卵

    
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卵3個、出し汁、醬油、砂糖を入れて混ぜ、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、ニラを置き、蓋をして弱火で3~4分焼いて巻くと出来上がり。

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長島愛生園  山田青路さん


郷愁


遠く山河のへだたりを 痩せた胸骨の疼きに埋めて

レプラ10年旅に臥すれば

日毎老ひ 日毎朽ちゆくこの身内に

炎の如く燃え立つ郷愁の心切つなく

幾度を思慕の小鳩の 杳かなる青空を望んで

この胸を飛び立ちしことか


だが 十年を流れながれる歳月の波濤に

古里は日毎遠のき 遠のいて

あはれ空しくも翼疲れて

この胸に舞ひ戻りし 我が思慕の小鳩よ


あゝ今日も

蜿蜒と連なる山脈の彼方

赫々と燃ゆる茜の雲を眺めては

又しても我が思慕の小鳩は

薄暮れの空にあえかなる想出の夢を追って

はた・・・はた・・・と

羽搏くのだ 飛び立つのだ







冬近き墓場に

━レプラ病みて十年古里は懐かしされど山川草木ことごとく我に冷たし━━


鬱蒼と繁る常緑樹の葉陰を盗んで、ちら ちらとこぼれ落ちる薄れ陽に、磨かれた石面を蜥蜴の眸の様にうるませて、冷めたい墓石の沈黙よ。


父の! 祖父の! 曾祖父の! つながる血縁の上に課せられた永久の寂寥を慰むと、墓前に植えられた菊花の薫香も、打ち振ふ季節の触手に霜枯れて・・・。
死におくれた蟋蟀の一つ二つ・・・鳥も啼かぬこの静謐の真昼間。亡霊の咽ぶが如きすすり音の哀しさをなんとする。


十年を歳月のデスタンスに断たれ、今墓前にぬかづく宿命の子の脳裡によみがへるものは冷めたく、六十余年の足跡を自ら柿の小枝に消した祖父の死貌と・・・愛憐の双手に火の鞭を下げて宿命の子を裏木戸に追った父の涙の眸と・・・


あゝ、だが総てはこれ杳い想出、父よ! 祖父よ! 我が血縁の諸霊よ、陰鬱な墓場の木洩陽をすくって、永久に瞑想の胡坐を続けよ、宿命の子は再び旅に出る、諸行無情の木枯を衝いて、遠く山河の果てに宿命の旅に出る。


山田青路さんの略歴
1933年8月9日長島愛生園入所。1945年9月5日死去。
 
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ナスの味噌煮


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ナスは乱切りして鍋に入れ、ひたひたより少なめに出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして10分煮て、味噌をミリンでのばして入れ、煮立たせないようにさらに3~4分煮て出来上がり。

レシピではゴマ油で炒めてから出し汁を入れるようになっていたが、油は使わなかった。味はあまり変わらなかった。



塩サバ

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昨日買った塩サバを焼いた。



インゲンの蒸し煮

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無水鍋を熱して大さじ1余り(焦げつかない程度に減油を心がけた)のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、半分に切ったインゲンを置き(混ぜない)、弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油で味付けし、2~3分蓋をして味をなじませて出来上がり。

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在66才、農業歴30年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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