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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

邑久光明園  鹿島太郎さん





逃げ場もない連続大空襲で

さすがの大都会も

一日にして灰塵に帰してしまった


驟雨の過ぎ去った夜

大阪城の上にきれいな虹がかかった

私と妻子は抱きあって黙って見ていた

何もかも焼けてしまったのだ

しかしもう一つ最も恐ろしいものが

残っていた

ああ 私は家と一緒に

何故焼けてしまわなかったのであろう


「あなたこれからどうするつもり」

妻の悲しげな問いに答える力もなく

黙って妻子と別れてしまった

妻は私の病気を知っていたから

私の心の底を見抜いている筈だ


こうして十年も消息を絶ってしまうと

さまざまな不安や苦悩が襲ってくる

蠅を払いのけるように

もがいているのだ私はいつも







崖上の石蕗


汐風のはげしい崖上に

石蕗の花が数本低く咲いている


岬の岩の上に憩いつつ

崖下の潮騒に小石を抛げた

その一つ一つの水の輪に

私のもの憂い思念を乗せて

消え失せてしまった


ふと仰向いた空洞な瞳に

蒼空が透いて見える

鏡のような空の蒼さが私の顔に

思いなしか滲んでいた


崖上の石蕗の花は

揺れ乍ら私に微笑を向けて

哀愁にやつれた私の顔に

美しい愛情の

パフをたたく







牡丹


花瓶の中で

馥郁と匂いを放っている大輪の牡丹


この暗い病室の風景と

凡そちぐはぐなそして清純であって

強烈に明るい花弁


私のじっとみつめる瞳の奥に

杳い記憶の中の彼の人の美しい微笑がよみがえる

こうして側に倚って牡丹を眺めていると

薄紅色が己が肌に沁み込んでくるようだ


じっとり濡るゝような愛の色よ


その花弁のしげみの奥に

私の心の揺籠を静かに揺り動かす手がある

こうして牡丹を瞠めていると眼が痛くなる

眼をとじると急に周囲が明るくなって

病室が花園に見える


牡丹の中に私があるのか

私の心の中に牡丹があるのか

━━わからなくなる







子守歌


浜の砂の上に寝ころんで

黄昏の海をじっと見つめている

海を見つめる瞳は郷里をあこがれているのだ


此処へ来た当時はもだえ狂ったものだが

今はもう郷愁の涙も涸れてしまった


嗚々何時ともなく時の中に溶けこんでしまったのだろうか

もう何を求めようと言うのではない

ただ一つ かすかに覚えている

母の子守歌が聞きたいのだ


こうして浜辺に寝ころんでいるのも

何処からか聞えて来はしないか

心の底から湧き出て来はしないかと

儚ない希望があるからだ


それだけでもいい

こうした私にもかつてはやさしい母の手が

あったのだ

美しい子守歌があったのだ


それだけでいい

それ以上何を求めよう

それ以上何があろう


私は何時迄も砂の上に寝転んでいる

嬰児のように・・・








癩者


暁の島を

白いベールが幾重にも覆っている


一条の光が

暗雲を斜に射し照らす頃は

もうすっかりベールをぬいでいた


親を捨て去り

妻子を捨て去り

兄弟姉妹を捨て去り

この島の周囲には涙の海が浪音をたてている


貴方達には絶対に見られたくない部落

癩者の部落の中心の治療場

そこに通う雑踏を

杖をひきながら行く盲

太き嘆息をはきつつ

操り人形そっくりに歩いて行く姿を

私は彼等と共にささやかな望みが

思われてならない


ああ神様は我等の為に嘆いているだろうか

癩者の眼は空洞のように

永遠の闇がひそんでいる

それでも ときどき

はげしい光りが点滅するのだ


この癩者にも静かな祈りがある

幼子のように神々しく笑うこともある

癩者の園が

神のパラダイスとひとしいと云うことは

何と云うよろこびだ


鹿島太郎さんの略歴
1912年5月7日山口県に生まれる。1928年県立萩商業学校を卒業、1931年応召。満州に渡る。1943年発病し内地送還、11月11日大島青松園に入所。1951年9月11日、邑久光明園に転園。」光明園では詩作会会員としても作品を発表したが、活動の中心は絵画にあった。光彩会会員として大作を数多く手がけている。1973年1月28日死去。
 


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初物 オクラ


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初収獲のオクラは薄切りし、かつおぶしをふり、醬油をかけて食べる。30秒ほど湯通ししてから薄切りした方が口当たりがいいが、収穫初期は生でもいける。




甘いハーブティ

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左から、コモンタイム、アップルミント、レモンバーベナ、ステビアで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして全て取り出し、ステビアだけ戻し、30分ほど浸す(好みでそのまま放置する)と甘いハーブティの出来上がり。




青シソとスイートバジルの冷凍
 

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青シソも冷凍できるようなので、収穫後(洗ったりせずに)どちらもポリ袋に入れて冷凍庫に入れた。野菜炒めやパスタやポテトサラダ等に粉々になった葉をふりかける。




リメイクしてカレー


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カレーが食べたくなって昨日、ポトフを作った。残ったポトフにルーを2個入れ、煮立ったら弱火にして、時々混ぜながら15分煮て出来上がり。




干しキュウリのパリパリ漬け


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大キュウリ3本は半分に切り、縦に4等分し、10時頃から4時頃まで(あまり日照はよくなかった)干し、食べやすい大きさに切って瓶に入れ、酢70cc、醬油70cc、出し汁140cc、ニンニク1片のすりおろしをボールで混ぜ、にキュウリに注ぐと出来上がり。

その後2つの瓶に分けた。理由は漬かりやすく、取り出しやすいから。5時間ほど常温に置いてなじませ、その後、冷蔵庫で保存する。2時間ほどで食べれる。






ジャガイモの蒸し煮


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熱した無水鍋にバターを入れ、ジャガイモの薄切りを置き、大さじ1の蜂蜜を入れ、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、オイスターソース大さじ1、醬油小さじ1を入れて混ぜ、3~5分ほどまた蓋をして出来上がり。

始めからオイスターソースと醤油を入れるのではなく、最後に入れたら、焦げることはない。味は変わらないと思う。
 

   



ポン酢作り
 

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醬油70cc+酢50cc+ミリン30cc+出し汁25cc+レモン果汁25cc=200ccの7・5・3ポン酢の出来上がり。ジョウゴで瓶に移し冷蔵庫で保存する。

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多摩全生園  白浜 広さん


路傍の歌


母さん━━

あなたは知らない

谷合の流れに

白樺の梢に

荒れた地平の涯に

しとしとと みぞれ降る

今日の日を


幽遠のかげりに

あなたが逝ってから

あなたを慕い

どんなにか恨み

昼は太陽に眼をそむけ

星々の睡る夜空の下で

冷たい靄の立ち籠める

暗い山里を

幾度も幾度も越えました


また渇き餓えて

黒い淀に眠るとき

あなたのいない夕暮が

あなたの見えない空の色が

童子のように

わたしを悶えさせ

ひとつの肯定も

否定もなく はては

無限の彼方に

押しやるのでした


母さん━━

果しなき紺青の下に

あなたの知らない

旅路があるのです

あなたの知らない

轍があるのです

わたくしだけに約束された

滂沱のあしたがあるのです


母さん━━

ひとり佇む雪の夜

隙間もれる薄ら灯の中で

ぎりぎり握りしめた

節くれのこぶしが今凍っても

わたしには

振り捨てることの出来ない

負債があったのです

鉄鎖に繋がれた

掟があったのです

天に祈り泥土に跪いても

なお 呵責な

地上の摂理があったのです


でも母さん みんな

あなたの知らない事なのです

もし天国のあなたに

聞えてくるものがあったら


それは しとしとと霙降る

とおい地の涯で

癩という名の病を背負った

浮浪の子が掻き鳴らす

長い長い巡礼の旅の

鈴の音なのです


白浜広(伊藤博、伊藤赤人)さんの略歴
1928年北海道礼文島に生まれる。ハンセン病の宣告を受けて3か月後、全生病院に入院(1934年)。自治会文化部に勤務、また評議委員を務めた。1940年「多摩」に詩を投稿、以来1954年同人誌「灯泥」、1957年「石器」に参加。その後北見洋介の筆名で約20年間「多摩」に発表する。1985年「多摩」俳句欄に投句、1999年五行歌の短詩型の魅力にひかれ投稿。五行歌同人。


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ポトフ


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ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、ナスビ、ピーマンを適当な大きさに切る。鍋にオリーブ油大さじ1を入れ、ニンニク1片の薄切り、ベーコン1連の細切りを炒め、野菜全部を入れて炒め、ひたひたに水を入れ、コンソメ2個と月桂樹3枚を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て火を消し、塩・胡椒で味付けして出来上がり。「野菜がとろける!簡単ポトフ」を参考にしている。

ポトフはまことに簡単だ。ポトフの翌日は定番の・・・。



キュウリの酢の物

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キュウリ3本はスライサーで薄切りしてボールに入れ、塩をふってもみ5分ほど置いて、さっと洗い、水気をしぼりながらボールに入れる。酢大さじ3、醬油大さじ1、砂糖大さじ1を混ぜて入れ、カニかまぼこ2本をほぐしながら入れて混ぜると出来上がり。

冬にしぼった「ユズ酢」を使おうと思ったら、冷蔵庫の瓶の中で腐っていた。



インゲンの蒸し煮

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熱した無水鍋に大さじ2のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、半分に切ったインゲンを入れ(混ぜると油が全体にまわり焦げる。鍋底だけ油が必要)、弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油で味付けして出来上がり。

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長島愛生園  森 春樹さん


微笑まなかった男


あの宗教家は

神を信じなさい

と 云った、が。


ある政治家は

もっと皆様の幸福のために

努力しましょう

と 云った、が。


ある慈善家は

あなた方は こんな風光明媚な所に

住んでいて 倖ですよ

と 云った、が。


いつかの慰問団は

いつの日か 機会が

ありましたら またきましょう

と 云った、が。


ある医師は

きっと いつかは

なおる時代もきましょう

と 云った、が。


あの男は微笑まなかった。


  つれづれの 友ともなりて

  慰めよ ゆくことかたき

  我れにかわりて

あの御下賜の歌にも

男は 微笑まなかった。


すべてが信じられないように

あの男は

固く口を閉ざし

ただ空間の一点を

見詰めていた が

とうとう蝕まれて

死んでいった。


あの男は

そのとき火葬場の煙突から

天に

一羽の小さい鳥となって

舞あがり

はじめて微笑んだのだ。


私は

あの男の微笑を

見逃さなかった。









病が深まり指は蝕まれ

掌に 鎌を握らせるのに

幾度も 繰り返し 繰り返し

繃帯で やっと結えつけるのである。


庭で咲きおえ枯死した

ダリヤの花を

見ている と

むしょうに 耐えられなくなってきたから

主幹をぶった切った。


するとその主幹から

夢想もしなかった音が とびだした。


神を信じない私だが

その音が とび出したので

いつ死んでもよい と思っていたが

死ぬことが ふと厭になった。








ペンダコ


曲折した指に

ペンダコが出来た。


この頃

つとめて倖であることを

書きとめようと努力するのだが

文字になると

━━ライ者が倖である訳がない━━

と 他人が云うように

空々しく真実私の遺書とはならなかった。


たった一つの真実の倖を

詩うために

今日もペンを持つが

さまざまの欲望が浮び

思いかなわぬ思いがかけめぐり

世の中で 一番不倖な者のように

私はユーウツになる。


私のどこかに

他人の知らない倖がある筈だのに

その倖をペンでまさぐりあてるために

いびつな指に

人並のペンダコができた。


カチン と化石したような音がする

なんの神経も血もかよわぬ

ペンダコである。


このペンダコの中に

私のみいだせない倖が

いまにもとび出して来そうである。


森春樹さんの略歴
1915年2月23日、名古屋市に生まれる。板前職人として働いていたが発病、1940年12月20日長島愛生園入所。独学で勉強。1991年11月25日死去。詩集『巨大なる石』(1955年 炉書房)、創作集『微笑まなかった男』(1983年 近代文藝社)。


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焼きナスビ


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ワンパターンの料理が続いているが、食べたいから作っている。ただナスビは「油食い」であり、「醬油食い」である。これだけの量で、大さじ2のサラダ油と、醬油(醤油は量っていないが、多分大さじ2に近い)を身体に取り込むことになる。

これは中ナスビ2本分であるが、これくらいならペロリとなくなり、翌朝や翌昼のおかずにならない。



ピーマンのジャコ煮

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これも好きなメニューである。ピーマン(12個ほど)は細切りし、小魚は湯をかけて鍋に入れ、醬油、酒、蜂蜜で味付けし、出し汁を大さじ2~3入れ、中火で4~5分煮て、煮汁が少なくなれば出来上がり。



ゆで卵


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星塚敬愛園  松田一夫さん


確証
━ある患者のノートより


私ガココニ入ッテカラ十四年モタッタ

アマリニモ長イ歳月ハ

私ノ感情ヲ奪ッテシマッタ

悲シミモ嘆キモ

私ニハ他人事ト同ジデス

化物ノヨウニ腐レ果テタ顔

ツブレタ眼

坊主頭ノヨウナ手

私ハ自分ノ醜悪サヲ良ク知ッテイマス

シカシソレハ外観ニ過ギマセン


私ガ十四年間生キテキタノモ

死ヌ事ガ出来ナカッタノデモナク

マタ惰性デモアリマセン

私ニアタエテアル生命ヲ

唯一筋ニ守リ抜コウト思ッタカラデス


私ノ顔ヲ見テ

オ前ガ人間ダッテ?

トイウ人モイルカモ知レマセンガ

容貌ノ醜悪サハ病気ノセイデス

私ハ三度ノ食事モ欠カサズ

タマニハ情欲モ覚エマス


ソレヨリモ

私ハ呼吸ヲシテイマス

心臓ハ正確ニ打ッテイマス

コレ以上ノ確証ハナイデショウ

私ガ人間デアルコトガ━━。



松田一夫さんの略歴
1928年8月21日鹿児島県に生まれる。1948年2月21日星塚敬愛園に入所。詩作よりも小説を書くのが主であった。1958年同人誌「火山地帯」創刊に参加した。1991年12月1日死去。


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新ジャガのオイスター炒め


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焦げたのはオイスターソースで、芋は焦げついていない。焦げた原因は無水鍋の中蓋だけでいいのに、うっかり外蓋もかぶせていたため。

最初からオイスターソースを入れるのではなく、次回は火を止めてからオイスターソースを入れて混ぜ、余熱5分で出来上がりという方法をとってみようと思う。

テリッテリッ!新じゃがのオイスター炒め」を参考にしている。
  
 

  
インゲンのニンニク醬油炒め 

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熱した無水鍋に大さじ2のオリーブ油を入れ、ニンニク1片のみじん切りを炒め、半分に切ったインゲンを入れ(混ぜない)、弱火で15分、火を止めて余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油を入れて混ぜると出来上がり。


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菊池恵楓園  重村一ニさん


宣告の手記


━━あなたはレプラです

といわれたその一瞬

硝酸をあびせられたように思った

私の二十五年の歴史の

全リズムが

果てしもない奈落に

頭蓋骨を粉々にくだかれ

心の水銀が

無限のかなたに飛び散ったかのように思った


あの激しい戦場で

すこしもひるまなかった私が

今 恐怖と絶望のどん底で

こんなに青ざめなければならない


パーヴに 電車が走り

ネオンは輝き

人は流れている

が もう私とは遠い


妖婆は異様に叫び

私を追いたてる

あたりは

無数の癩菌が

爪をかざし

ガッガッ牙をならし

私の肉体に這っている

医務室の古棚の上にある

ぞっとするようなライの標本が

私に迫ってくる


ああ いやだ!

私一人がレプラなんて とても耐えられない

みんなレプラになれ みんな

私はどうすればいいのだ

もう私の皮膚の下では

底設導抗を穿っているのだ

明日にでも

あの戦慄的なバラのような結節が

火山のように爆発するのだ


ああ それでも私は

この肉体のなかに

自分をゆだねて

深淵のなかで呼吸しなければならないのか







山羊の歌


桜の根元に

今日もお前はたっている

長老の髭さみしく

むすばれたクサリを

じっとみている


高い青い空の下で

お前はたゆみなく廻った

枯木のような足で

退屈な円周をえがいて


太陽がかえる頃

お前は哀愁をこめてないた

その声が余りに不気味なので

仲良しになろうとした

小鳥たちを追いかえした



重村一ニさんの略歴
1922年山口県に生まれる。村役場、海軍工廠、鉄道などに勤めたのち、1943年応召、南方派遣、1945年復員、1946年菊池恵楓園に入所。自治会副会長を務めたほか、園内の青年団・婦人会機関紙「晩鐘」に詩などを発表(1947~1950年)。園内の詩誌「炎樹」には1959~1961年に発表。「菊池野」には1951年より論文を発表している。2003年2月死去。


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ピーマンのジャコ煮


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ピーマンを細切りして鍋に入れ、湯をかけた小魚を入れ、出し汁を大さじ2入れ、酒、醬油、蜂蜜で味付けし、中火で4~5分煮て、煮汁がなくなれば出来上がり。



焼きナスビ


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熱したフライパンに大さじ2の油を入れ、弱~中火で蓋をして、裏表3分ほどずつ焼いて皿にとり、醬油をまわしかけて出来上がり。翌日食べてもおいしい。




甘いハーブティ
 

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左からレモンバーム、レモンバーベナ、アップルミント、ステビアで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして全部取り出し、ステビアだけ戻して30分ほど浸すと甘いハーブティの出来上がり。冷やして麦茶代わりに飲む。



韓国カボチャ

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韓国カボチャを輪切りにして、マヨネーズ、豆板醤、粉チーズをのせ、オーブントースターで9~10分焼いて出来上がり。おかずというよりおやつ。

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邑久光明園  山田法水さん


夜話


俺が懐しさと喜びに慄えながら

七年振りで古里の土を踏んだ時

待っていて心から受け入れてくれたものは

真暗な闇と古巣の納屋だけだったよ


俺が二日間元の主人顔をしていた時

昼間訪ずれて来てくれたものは

節穴から忍びこんだ白っちゃけた光線と

蟋蟀の老ぼれだけだったよ


俺が後悔のほぞを噛みながら

しょんぼり帰園ってくる時

沁々と来し方行く末を囁きながら

駅まで送って来てくれたのは

闇夜が産んだ

あの時雨だけだったよ







やすらい


麗らかな日が

憩うている私の足を

撫でてくれる

暖めてくれる

峨々たり峯を攀じ

底しれぬ谷を辿り

風雨の暴力に耐え

果しない吹雪の広野を

越えてきた

足を

七十余年の労れ

萎えはてて

盲杖にすがっていても

ひょろひょろと

よりどない歩み

その歩みから

人々に切れ凧を

連想させて

秘かにそう呼ばれている

足・・・・・

私はこの足で

あすも歩まねばならない

すべてを越えて行かねばならない

足跡には

鮮血が滲むだろう

だがその奥に法悦よ

燿やいてくれ

・・・・・・・・・・

麗らかな日が

草に憩う

私の足を

撫でていてくれる

あすを励ましてくれている


山田法水さんの略歴
外島保養院に入院。日蓮宗の熱心な信者で、昭和二十年代前半まで邑久光明園の日蓮宗立正会の役員を務める。詩のほかに短歌も発表。早くから視力を失ったが、文芸活動に専念した。風水害後、多摩全生園に委託。生没年、入所年は不詳。


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ラッキョ漬け

 
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ラッキョは洗い、ラッキョの目方の10%の塩をまぶし、水をひたひたに入れ、10日ほど漬ける。塩漬けができたらザルに上げて水洗いし、上皮をむいて天日で3時間ほど干して瓶(瓶も干した)に入れ、市販のラッキョ酢を注いで出来上がり。

甘酢を作ればよかったが、手抜きして市販のラッキョ酢を使った。おいしくないかも知れない。2ヶ月ほどしたら食べれる。



干しキュウリのパリパリ漬け


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昨日の残りの干しキュウリは今日も3時間ほど干して適当な大きさに切って瓶に入れ、醬油60cc+酢60cc+出し汁180cc=300ccと漬け汁の割合を替えてみた。昨日は各100ccで合計300ccだったが、味が濃いような気がした。

今日は唐辛子は入れずに、ショウガ1片のすりおろしだけにした。





ゆで卵

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新ジャガのオイスター炒め 

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おいしかったので今日も作った。おやつにもなる。

熱した無水鍋にバターを入れ、薄切りしたジャガイモを置き、蜂蜜大さじ2、醬油小さじ1、オイスターソース大さじ1を入れ(これらは混ぜない)、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、さっくり混ぜて出来上がり。

水は全く入れていないが、焦げていない。





出し汁作り


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干しシイタケ、イリコ、昆布は5時間ほど水(コーヒーの瓶一杯)に浸し、中火で点火し、沸騰したら昆布は取り出し、弱火にして削り節を入れて5分ほど煮出し、出し殻は全部取り出して再沸騰(日持ちをよくするため)させ、アクを取って出来上がり。



出し殻でふりかけ

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出し殻はみじん切りし、熱したフライパンで乾煎りし、砂糖と醤油で味付けして出来上がり。
 

   


ツルムラサキのゴマ和え
 

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ツルムラサキの茎の太い分は縦に薄切りし、時間差をつけて葉とともに茹で、冷水にとってざく切りし、水気をしぼりながらボールに入れる。

お椀に市販の練りゴマ大さじ3、醬油大さじ1、みりん小さじ1、砂糖小さじ1(袋の表示通りに)を混ぜ、ツルムラサキと和えると出来上がり。市販の味だった。あまりおいしくなかったが、捨てるのはもったいないので使い切るつもり。



モロヘイヤの湯通し


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モロヘイヤの茎は使えないので、葉と葉軸をとって30秒ほど茹で、冷水にとってざく切りし、水気をよくしぼる。ポン酢で食べた。モロヘイヤはポン酢が合うように思う。

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長島愛生園  小酒井時則さん


斜陽のゆれる部屋で


何事もなかったように

壁にゆれている光を凝視ていると

二十三年振りに面会に来た

姉と妹の顔が浮かぶ

それは

呟くように

古里の変貌を語る姉

その向うに

帰ってゆけない

風景の広がりを見る

工場の進出

煙突の煙は

吹き上げる胎動のなんだろう

田園にも土の匂いがないという

二十三年の空間に刻まれた歴程か

容赦なく反転しながら

耐性をもった病菌の

染みこんだ惰性の悲しみのあけくれ

窓の外に鉛色の風景があり

滔滔としてつきることを知らない

隔絶の流れに

雲のかげりを

深い淵に沈めようとしながら

重症棟の一室で

斜陽を背にして

貧しい営みの中で

祈りを忘れた人間のように

今日から明日への位置を

確認する







海景


たれこめた雲

風速が加わると海は ばんばんと鳴りはじめた


白い馬が駆けて来る

激しい衝動が岩盤に追突すると

ぱっと 波の花々が散った





私は海のように強い男になろうと思った

杳い傷心の日

今日 はたはためくるもの


惜しみない太陽の饒舌を浴び

砂金をまきちらした広い海


流れるともなく

悠々と流れる潮流

青く

深く

この海底ふかく海藻のうたが聞えてくる


誰れかのささやきのように





海のような静かな男になりたいと思う







足音
━━若いナースの成長を喜びながら


卓上の花瓶の花のように

あなたは

すっくと私の前に立っていた

南の陽を受けた病室

旋回する時間の中で彫り深き映像がある

清潔な白衣は私の眼に痛い朝

帽章のローマ字は若い心の張り

ああ あの日

関心と好奇と未知への瞳をすまし

あなたは白い繃帯を私の手に巻き

下垂した足に松葉杖を持たしてくれた

あれから一年霜雪の過程をふみ越え

新らしい姿勢で私の前に立つ


体温計を脇にはさませ

ストップウオッチの秒針を巧みにとらえ

脈を計りながら次のベッドに移って行く

快活な足音は確信にみちあふれ

コツコツと

静かな病室に遠のきながら伝わる







桟橋


霜雪の過程を閉じている桟橋

風がはたはたと海をめくる音に

季節のない潮騒は

島にやむものの胸をたたき

橋脚はきりきりゆさぶられた

きしみ音に釘づけされる

千数百の自由は

潮さびた影となり

やむものの海へむかう音を

たばねせきとめていた

時にさからうこともなく

内海の海面に姿をうつした

新しい沈黙は

らいの島の縮図となって

弁証の輪をきょうもひろげている







白い手
━━外傷の痛む夜に


鈍感な手のひらに

レプラの哄笑が初まると

戦慄した感情の中に

氷柱のような冷さが突刺さった


主治医の手に握り締められた湾剪

バシバシと表皮をはぐ音がはしる

ナースの繊手が運ぶ消毒綿

つぎつぎに添附される白い軟膏

結集する視線の下に漿液の滴り・・・

帰ってこない風景の頁を閉じると

失われた平行線が上下動する一端に

色彩の無い風車がキリキリ廻っていた

我執へのいらだちが囁く

消灯された病室

霧の深い夜がやってくると

すでに繃帯に巻れた手は

花よりもなお静な時間を捕えようとしている 


小酒井時則(小村義夫)さんの略歴
1919年2月24日愛知県に生まれる。1942年11月11日長島愛生園に強制収容される。1945年頃より永瀬清子に師事し、詩作を始めた。1948年失明、1949年受洗。詩集『花を活ける女』


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干しキュウリの漬物


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キュウリは干しやすいように切って3~4時間天日で干し、食べやすいように切って瓶に入れる。
酢100cc、醬油100cc、出し汁100cc、生姜1片のすりおろし、トウガラシ1本の小口切りを入れた漬け汁を鍋で作り、キュウリの瓶に入れると出来上がり。明日朝には食べれる。干すと「ポリポリ」ではなく「パリパリ」なので、干しキュウリのパリパリ漬け。

地這いキュウリは見逃すことがあり、取り遅れた大キュウリが適する。 




ピーマンのチンジャオロース

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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。熱したフライパンに油を入れ、豚肉、細切りしたピーマンの順に炒め、オイスターソース大さじ1、醬油小さじ1で味付けして出来上がり。「我が家のチンジャオロース」を参考にした。




インゲンの蒸し煮


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熱した無水鍋に大さじ2のオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、ヘタをとり半分に切ったインゲンを置き、軽く塩、胡椒で味付けし(インゲンを置いたら混ぜないこと)、弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、ニンニク醬油(ニンニクの皮をむき、醬油に漬けたもの)で味付けして出来上がり。




エゴマの葉の醬油漬け

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醬油大さじ4、ゴマ油小さじ1、みりん大さじ1、豆板醤(あれば)大さじ1、ニンニク1片のすりおろし、一味唐辛子少々を入れたタレを作り、エゴマの葉を1枚1枚浸して容器に入れて出来上がり。
簡単☆ご飯によく合うエゴマの葉の醬油漬け」を参考にしている。





新じゃがのオイスター炒め

    
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熱した無水鍋にバターを入れ、薄切りしたジャガイモを置き、蜂蜜大さじ1、オイスターソース大さじ1、醬油小さじ1を入れ(これらは混ぜないこと)、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、さっくり混ぜて出来上がり。「テリッテリッ!新ジャガのオイスター炒め」を参考にした。

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松丘保養園  掘由紀子さん


うぶ声


もうろうとした眼ざしで

不安と苦痛に争った

十数時間

精神も肉体も疲れはて

青白く張られた天井裏に

無心のままの空気穴だけが

じっと動かない

・・・・・

長い旅路から安楽の港に

辿り着いた喜びが

薬品臭い室内の中で

オギャーとさけぶ

うぶ声と共に

始めて母になった知らせが

この肌を通して聞こえて来る

・・・・・

人間として 女として

かならず訪ずれるこの日を

ライゆえに

生んではならない歴史の中で

生きる望みを捨てきれず

閉ざされた心の雑木林を

切り開きゆれる灯を

そうっと両手に包みながら

私は明日にむかって

両乳房に

幼児の顔を埋めさせる



堀由紀子(野中京子)さんの略歴
1937年4月26日北海道生まれ。1948年9月7日松丘保養園に入所。


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無水鍋で2品

 
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混ぜないで置くだけ。そうしたら2品とも全く焦げなかった。要は鍋底に油があれば焦げず、同じ油の量でも混ぜると、まんべんなく行き渡り、鍋底の油が少なくなって焦げる。

水も全く入れなかったが2品ともほとんど焦げなかった。

熱した無水鍋に大さじ2のオリーブ油を入れ、半分に切ったインゲンを置き、すぐに蓋をして弱火で15分、火を消して余熱5分で蓋を開け、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。




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熱した無水鍋にバターを入れ、薄切りしたジャガイモを置き、ローズマリー2本を置き、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、塩、胡椒で味付けして出来上がり。
    




ツルムラサキの茎はアスパラ感覚で
 

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ツルムラサキの太い茎は縦に薄切りし、バターで炒め、醬油で味付けして出来上がり。




葉の方は辛子和えに

 
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ツルムラサキの葉は沸騰した湯で1分ほど茹でて冷水にとり、ざく切りして水気をしぼりながらボールに入れる。お椀に辛子(チューブ)を入れ、めんつゆで溶かし、ボールのツルムラサキと和えると出来上がり。

ソーメンをたくさん頂いたので、今日、麺つゆを買った。だから「出し汁+醬油」の代わりに今回はめんつゆを使った。

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長島愛生園  北浜志郎さん


空腹


「お食事ですよ」

運ばれるお膳には

どれも同じ食器

同じ献立が

同じようにつがれているのに

むかえる顔と眼は

どれも同じではない


生きるための食事か

死を恐れた食事なのか

時間と時間の間だけが

食事の唯一つの理由なのか

食事のときだけ

ぼくはライを意識する


ハシが持てない手にも

お祈りはでき・・・

熱っぽい傷口が唾液をねばらせ

乾いたパンを吸いとり・・・

ひと口ひと口こごとをはさみながら

ナースの介助を受け・・・

みんななにを失ってしまったのか

なにが必要なのか


「お食事ですよ」

三度 三度

運ばれる食事をもてあましながら

ぼくは満たされない







ダルマ


小さな手のひらから

地上にころがり落ちた

ダルマは

なぜ

手や足がないのと聞く

遠い日の幼児の言葉に

窓辺に傾く夕陽の影は

黒く揺れ動いて

僕の足を立止まらせる

古ぼけた部屋の片隅で

幼児の見たダルマを

僕も見る

深い傷跡

メスのきらめきにも似た

母親の視線

その瞳の中でダルマは

立上がって語る


楽園の仲間達の

手や足を奪ったのは



ダルマの瞳に怒りへの血流が走る

社会の片隅に追いやり

今もなお

手足を奪い去ろうとする悪魔

ダルマのライ者に

その苦悩と不安


誰もが知らないであろう

幼児以外に知ろうとしない怒り

病魔 隔離 偏見 惰性

この角ばった島

厚い座布団はダルマの楽園

こけては起き

ころんでは立上がろうとする

固くぬい合わされた座布団の

四面の一針一針の糸目も

新しい脱皮への流れの中で

苦悩と渇望にすりきれながら

その生甲斐を求めて

ころがっては

明日に立上がろうとする



北浜志郎さんの略歴
1932年6月19日兵庫県に生まれる。1959年5月21日長島愛生園に入所。1984年2月21日、多摩全生園に治療のため移る。「愛生」などに詩を投稿。


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インゲンの蒸し炒め


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熱した無水鍋にオリーブ油を入れ、ニンニク1片の薄切りを炒め、ヘタを取り半分に切ったインゲンを入れて炒め、塩・胡椒で味付けし、大さじ2の水を入れ、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。

無水鍋で蒸し煮する場合、全体を混ぜると焦げやすくなり、大さじ2の水が必要になるが、油を少し多めに入れ、インゲン(もしくはジャガイモ)を入れた後、置くだけで混ぜなければ焦げないし、水もいらないと思った。

明日、ジャガイモとインゲンでこのことを再確認してみる。



甘いハーブティ

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左からステビア、コモンタイム、アップルミントで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして取り出し、ステビアだけ戻してさらに30分ほど浸すと甘いハーブティの出来上がり。




ポリポリキュウリ(キュウリの即席漬け)

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塩もみして2時間ほど置いたキュウリの水気をしぼりながら容器のタレ(醤油大さじ2、胡椒とゴマ油を少々、ニンニク1片のすりおろしを混ぜる)とからめて出来上がり。




タマネギとツナ缶のサラダ


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タマネギ大1個をスライスしてボールに入れ、油をよく切ったツナ缶を入れて混ぜ、それを半分に分け、一方はマヨネーズを、一方は花かつおを入れて混ぜ、どちらも醬油を少したらして食べる。

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栗生楽泉園  武内慎之助さん


かえって来た視力



ああ、

全身が戦慄する

私は開眼手術を受けた

繃帯がとれた

時が流れた

新しい生命の芽ばえを知った


ある日油絵が送りとどけられてきた

私は夢中で油絵に触れてみた

みえる、見えてきたのだ

グリーンの密柑みかん

赤茶色のりんごがみえてきたのだ

白色の風呂敷に

暖かい人の手がかかっている


続いてシクラメンの絵が

とどいた

赤い花と緑の葉っぱがみえる

手術した網膜に現映してきた

絵に描かれたりんごと密柑が

宇宙を飛び廻る

人工衛星にも見えてくるのだ

手術した網膜に

秋の陽光が強く差す

青いシクラメンの葉っぱは

星が流れるようにもみえる

人のまごころが

シクラメンの一枚一枚の葉に光っている

私は絵を

顔すりよせて眺め続けた







ここは蟻の巣だ


ここは妙義山の中腹、握り飯食う所に決めた

底知れない断崖、絶壁の所だ

真菰と枯木、落葉を積み上げた蟻の城だ

雪解けを待ったのだろう、蟻の活躍が始まる

茶褐色の山蟻は私等が来るのを待ちかまえていた

山蟻は生命の火を燃やし続けて寄って来たのだ

蟻は私等の握り飯に、卵焼きによじ登ってきた

蟻は今日があり、明日があり、無限の世界を働き廻っている思いがする

蟻はアカシヤの木を登り、野苺の木をも登っている

蜜蜂の真似をなし、花の蜜をも漁るのだろうか

ああ、私は妙義の山中に来て山蟻の活躍に遭遇した

蟻はらい者に訴えてきた

盲目といえども命の限り働け邁進せいと

人間の生き長らえた尊さも告げてくれる

蟻の世界に人間が生きていることをも告げてくれる

ああ蟻よ、知覚ないらい者の全身をしたたか射した

らい者の空間と主観を鋭く射した

私は、この蟻の巣に妙義山へ来た甲斐のあったことをも知った

私を射した蟻に感動した

そっと握り飯半分、卵焼き、バナナ等々

古新聞広げて置いてきた

蟻よ、また会う日を思い

妙義の中腹、大自然の中の小さな蟻の活躍を想像し

いつまでも妙義の絶壁に、山蟻を思い共に別れを惜んで来た



武内慎之助さんの略歴
1908年3月1日京都府に生まれる。1938年栗生楽泉園に入所。1950年失明、1953年より詩作を始める。詩集『裸樹』(1958 私家版)。短歌もあり、『慎之助歌集』のほか、栗生楽泉園の合同歌集『盲導鈴』、『山霧』、『冬の花』などに残っている。1973年4月5日死去。


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ナスの味噌煮


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ナスは乱切りしてゴマ油で炒め、出し汁を入れ、煮立ったら弱火にして10分煮て、味噌をみりんでのばして加え、さらに5分煮て出来上がり。(野菜はともだち参照)

「煮物」が好きでよく作るが、アゲや練り製品を入れずに、野菜単品の煮物の方が、野菜そのものの味が楽しめる。

家人はおかずの「不平」は言わないので、その日に自分が食べたいもの、もしくは思いついたものを作っている。





新ジャガのバター醬油炒め

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ジャガイモを薄切りして無水鍋に入れ、大さじ3の水を入れ、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、バターを入れて混ぜ、醬油を入れて混ぜると出来上がり。

前回は水を入れずに、最初にバターを溶かしてからジャガイモを入れたが、今回は煮えてからバターを入れて混ぜたら崩れてしまった。

水は使わない方がおいしいし、バターの方が焦げにくいので、次回は、無水鍋を熱してバターを溶かし、ジャガイモを置き、醬油を入れ(この時、全体を混ぜ合わせない)、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、さっくり混ぜて出来上がり、という方法をとりたい。

なお、ローズマリーか月桂樹を忘れずに入れようと思う。




タジン鍋

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冷凍庫の鯛アラを早く使おうと思ったら、タジン鍋しか思いつかなかった。鯛アラは80度の湯で15秒湯通ししておく。タジン鍋にスライスしたタマネギを置き、その上に鯛アラを置き、その上にインゲンと韓国カボチャを置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。インゲンが少し硬かった。  
  


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多摩全生園  長浜清さん


月よ
 

月よ

裕福で美しいかおをしていて

なぜ お前は泣いているのだ

大地に深く刻まれた

私の惨めな姿を眺めて

泣いてくれるのか

ありがとう


月よ

私だっていつまでも

こんな貧しい心でいたくない

お前のかおにかけている

ベェールを取り除けて

私の未来を

明るく映しておくれ







自責


一片の白雲が

紺青の空に吸われて消えた


あの空に

倖せが

インスピレーションが

秘められていると云うのか

手の届かぬ夢を 空想を

無限に拡がる空に求めて何になるのだ

過去の思い出にけり安閑として

絵筆を把らない

それでどうして

自分の生命をカンバスに傾注できるのだ

「馬鹿野郎!」

私は思い切り自分の頭を打擲ちょうちゃくした

━━ハンセン氏病と宣告されたと同時に

   過去の私は私でない

   現在の私がほんとうの私だ

   あとの半生

   絵に生命を託した私だ━━

病の重圧が

私の生活を乱し 気力まで圧し潰した

「それは偽りだ」

数奇の道を辿った数多あまたの芸術家を知るのだ

悲運のどん底へ叩き込まれながらも

人間性を見失わず運命を切り拓いた

彼らの揺ぎない

気魄が 情熱が 生涯が

永遠に地上に輝き残っている

「私に何が欠けているのだ」

病人という管笠を取り捨てよ

大地に

しっかりと体軀を立脚させるのだ







薬包紙に Ⅲ


皆々へ心配をかけ 苦労をかけて

未だ志成らず 業現われずして

ここに命尽くること

如何ばかりか口惜しく 残念なれど

諦めれば前世よりの因縁にて

小生が苦しみたる二十数年の生涯も

技能も光輝なく 水の泡と消え

此の世の怨恨と 憤懣と呪詛とを捨て

静かに 永遠の平安なる眠りに就く



長浜清(名村好文、名村好之)さんの略歴
1949年4月12日長島愛生園に入所。1969年11月29日多摩全生園に転園。愛生園では詩、絵を「愛生」に発表。油絵の勉強をしたいがために東京に転園したものの病状が芳しくなく、ほとんど入室したまま過ごし、1971年1月15日43歳で死去した。詩作は愛生時代が中心であったと見られる。遺稿詩集『過ぎたる幻影』(1971 私家版)。
 

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ツルムラサキの辛子醬油和え


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ツルムラサキの茎の太いところは縦に薄切りして沸騰した鍋に入れ、時間差で葉を入れ、冷水にとってざく切りし、水気をよくしぼりながらボールに入れる。

お椀に醬油大さじ2、出し汁大さじ2、みりん大さじ1、辛子(チューブ)を入れて混ぜ、ボールのツルムラサキと和えると出来上がり。



ダイコンおろし

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タマネギと豚肉の炒め物


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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。熱したフライパンに油を入れ、ニンニクの薄切り、豚肉、タマネギの順に炒め、オイスターソース、醬油、胡椒で味付けして出来上がり。



エゴマの葉の醬油漬け 

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皿に醬油大さじ4、ごま油小さじ1、みりん大さじ1、豆板醤小さじ1、ニンニク1片のすりおろし、一味唐辛子を入れて混ぜ、エゴマの葉を1枚1枚浸して容器に入れると出来上がり。「簡単☆ご飯によく合うエゴマの葉の醬油漬け」を参考にしている。

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栗生楽泉園  香山末子さん


また浮ぶ嫌な言葉


自分の心の中の

思ったままのことを

言葉に出し、なんとか

詩らしいものをつくっている


それだけなのに

韓国の宣伝になって

本にしたら向こうの人が

うんと買ってくれるだろう━━

と言われた

一生懸命だった気持が

一瞬崩れそうになったが

また思い直して書こう

下手でもいい

嫌な言葉より

詩ができたよろこびの方が大きい






朝湯


朝の四時から五時が

私の入浴の時刻

やっと支度をととのえて

窓を開けて外を眺める

外はそよそよと風が吹いて

はるか遠くまで流れて行く

草の色や葉の恰好までが

みんな見えそうな感じ


ビニール袋を足に被せ

足首のところでゴム紐で止める

そんな苦労も

あの風にのってとんでいってしまったようだ







梅の花


なぜても感じのうすくなった私には

花など縁遠いものと思っていたら

耳鼻科の婦長さんが

新聞紙に包んだ大きな梅の枝を渡してくれた

私は匂いをかいで思わず唸ってしまった

「香山さん いい香りを嗅いだ時ぐらい 軽い声を出しなさい」

婦長さんの声ははずんでいる

しばらくして私は

去年梅の花と会わずじまいだったことを思い出す







朝焼け


男の付添さんが大きな声で

━━朝焼けだ━━

と教えてくれた

ぶっきらぼうないい方だけど

私の暗い気持がとんでいく


朝焼けの真赤な空の色

だが強い太陽が昇ると

消えてしまう

いつまでもつかまえて欲しい

今日の朝焼け


今日一日

昔見た朝焼けの色を思ってみる


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韓国カボチャのタレ、3種類


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韓国カボチャは6枚だけ輪切りし、豆板醤、粉チーズ、マヨネーズをつけ、オーブントースターで9分焼いて出来上がり。

韓国カボチャは大中小と随時取りができ、今日のは大きかったので9分焼いた。味噌(豆板醤)がおいしかった。

韓国カボチャは、韓国ズッキーニと言ったほうが適切である。カボチャの料理法ではおいしくない。




焼きナスビ


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熱したフライパンに大さじ2の油を入れ、弱~中火で、蓋をして、裏表3分ほどずつ焼いて皿にとり、醬油をまわしかけて出来上がり。




ポリポリキュウリ(キュウリの漬物)


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キュウリは乱切りして塩もみをし、2時間ほど置く。容器に醤油大さじ2、胡椒とごま油を少々、ニンニク1片をすりおろし、水気をしぼったキュウリを入れて和えると出来上がり。




インゲンの煮物
 

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インゲンはヘタを取り、半分に切って鍋に入れ、出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして10分煮て、大さじ2の酢を入れ、さらに5分煮てできあがり。


これから出かけて帰りが遅くなるので、昼に作った。


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栗生楽泉園  古川時夫さん(その二)


日めくり


柱にかけてある暦をめくる

知覚が残っている口で一枚をたしかめ

夢と期待をこめて

今日の扉を開く

だがそこには昨日とおんなじ

仏滅もない

大安もない

日曜もない

虚無の活字が印刷されてあるだけ

その暦に

私の義眼が映っていた

片っぽうが横っちょになって

おどけたように

映っていた






流れ


NHKの朝のドラマが終る八時半

これを合図のように

私たち不自由者は廊下へ流れ出る

せわしく杖でまさぐりながら

大きな靴をひきずりながら

義足を軋ませながら 歩く

不自由者棟と医局をつなぐ

百歩余りの接続廊下を

追われるように

廊下いっぱいになって 歩く

リハビリテイションに

ホータイ交換に

内科にと

それぞれ流れをつくって 歩く


この流れの中から

不自由者棟の仲間が

今年はまだ九月だというのに

もう九人も消えてしまった

毎月一人の割合で消えてゆく

私もこの流れの中にいて

すでに逝った仲間たちを思いながら

流されている









重監房跡地にて


春の陽を背にいっぱい受けながら

私はこの道を踏みしめて歩く

上り坂からやや下り勾配になると

もうそこが重監房跡地

かつてここへ引き立てられて来た人は

辺りの風景を目にとめただろうか

不安と恐怖でそんな余裕などなかったにちがいない

全国の僚友から”草津送り”と恐れられていた「特別病室」という名の当園重監房

まったく職員の勝手な判断一つで投獄され

そしていったい幾人が生きてふたたび戻れたというのか

獄内で重態に陥りようやく担ぎ出されたもののすぐに息絶え

またすでに早や死体となってボロ布みたいに運び出され━━

今日その跡地に来て立てば

周囲の松の葉は春風にむせて鳴る

1982年・開園五十周年記念に建立の

「重監房跡」と刻んだ石碑

私は白杖で台座をさぐり

台座にのぼってポケットからタオルをとり出す

真新しいタオルを手にし

これからはけっして汚してならない「重監房跡」の碑文を拭く

いつのまにか涙が流れおちていた


ハンセン病患者の文学とは何か━━、偶々そうした質問を受けたり、またひとり自問することがあります。もちろんむずかしいことはわかりませんが、たた私にとっての短歌や詩は、ハンセン病の後遺症に全身おおわれながら、いわば唯一保ちえた残存機能とでもいうべき「心」のその表白の場、今日に生きる方法論とだけはいえるとおもうのです。たとえば私には、こんな経験があります。それは気候の変化のはげしい高原の或る冬の日、自分の住んでいる不自由舎より医局へ治療に行った帰り道のこと、私はいきなり猛烈な吹雪にみまわれ、おもわず方向感覚を失ってしまったのでした。眼の見えない者がいったん方向感覚を失ったとなると、それをその場でとりもどすのは、まさに至難の業。結局あわてふためき、いわば「めくら滅法」白杖で辺りをさぐりながらますます迷ってしまうのです。しかも吹雪、隅に行き交う僚友も盲人の一人歩きは見馴れているためさほど気にかけず、吹雪から逃れるように先を忙ぎます。ではあっても、もちろん声をかけ助けを求めれば手をかしてくれるでしょうが、気管切開したカニューレで声帯をも押しつぶされている私には、どんなにがんばっても蚊の鳴くほどの声しか出ず、まして吹雪の中、とうてい聴きとれるはずなどありません。━━つまリ私の短歌は、文字通り”声”そのものであり、また詩は、眼が見えなくとも色をもって描ける”キャンバス” さらに言い換えれば、それは私なりのリアリズムとロマンチシズムの二つの翼、生きていくうえでどうしても必要な心の羽搏きだったのです。


今日の午後、入所者の講演を聞かせてもらってから神谷書庫へ行き、ハンセン病文学全集4(記録・随筆)を見ていたら、その中に、上記のように書かれた古川さんの一節があった。
ハンセン病文学全集は10冊あり、1冊が4800円だから、全部そろえると48000円もする。それでもあまりにいい本だから、この内の5冊ほどは買って手元に置きたいと思う。
ハンセン病文学全集1(小説)
ハンセン病文学全集2(小説)
ハンセン病文学全集3(小説)
ハンセン病文学全集4(記録・随筆)
ハンセン病文学全集5(評論)
ハンセン病文学全集6(詩一)
ハンセン病文学全集7(詩二)
ハンセン病文学全集8(短歌)
ハンセン病文学全集9(川柳・俳句)
ハンセン病文学全集10(児童作品)


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初物 インゲンとツルムラサキ

 
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インゲンとツルムラサキを初収獲した。


インゲンの煮物

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インゲンはヘタを取り半分に切って鍋に入れ、出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして10分煮て、大さじ2の酢を入れ、さらに5分煮て出来上がり。インゲンの煮物は「酢」を入れるとおいしい。



ツルムラサキのニンニク醬油炒め

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ツルムラサキの葉はざく切りし、太い茎は5㎝ほどに切り、縦に薄切りしておく。熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片の薄切りとウインナー3個の小口切りを炒め、ツルムラサキを入れて炒め、ニンニク醬油で味付けして出来上がり。

ツルムラサキはざく切りして茹でて冷水にとり、水気をよくしぼってから炒めたら、こんなに水は出なかったと思う。


塩サバ

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いつも行くスーパーで、いい塩サバがあったので買った。


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栗生楽泉園  古川時夫さん(その一)


プロミン


らいに侵され傷ついた指先の

厚いかさぶたがとれた

と そこには

赤ん坊の肌みたいな

柔かい皮が張っていた


指紋のない皮膚だけど

ふたたび失った知覚がよみがえってくれば

この指先で点字のあの小さな点をとおし

人いきれと埃立つ街

時の往来も見えるかもしれない


だが

プロミンで傷は治り

新しい皮膚が生まれたというのに

知覚は戻って来なかった


プロミン
戦後の1946年、すでにアメリカで開発をみていたスルフォン剤によるハンセン病(らい)治療薬プロミンがわが国でも合成に成功。直ちに一部患者に試用の結果その特効性が認められ、ようやく1949年全国のハンセン病療養所でいっせいにプロミン治療が開始された。しかし私の場合、この時もはや眼をうばわれ、また咽喉にできたらい性結節のため呼吸困難におちいって気管切開するなどの障害を身に刻んでいた。





カニューレ


私は大きな声で喋ってみたい

思いきり声立てて笑ってみたい

けれど私の声帯は

いちど私が息絶こときれてまた生きかえった時から

動かなくなってしまった

胸が痛くなるほど力を入れて動かそうとしても

こわばった声帯は動かない


あれからずいぶんと

プロミンを射ってきたのに

声帯はちっとも動いてくれない

固く冷たいカニューレに押しやられ

とうとう声帯はつぶれてしまったのか

窮屈なカニューレを引抜き

私はじぶんの声帯を心ゆくまで躍動させたい

だがカニューレをはずせば

たちまち呼吸は止ってしまう

カニューレは私を削る風穴

同時にまた私といのちをつなぐ管

いくら邪魔になっても

私はやっぱり

重くかなしいカニューレを

首にきつく結わえつけなければならないのだ


カニューレ
気管切開は<のど切り>とよばれ、本病の病巣の一種=結節によって塞がれた気管をのどぼとけ下辺りで切開し、そこから呼吸できるようにする。「カニューレ」とは、その気管切開孔を維持するために挿入された金属管のこと。 
 





春は遠いのに


私の白い瞳に

陽炎かげろう

夜も昼もゆらいでいる

こんなに寒い冬だというのに

まだ春はずーっと遠いのに

陽炎は訪れ

固く閉ざした

私の心を開こうとしている








耳鳴りしか聞こえなかった耳に

看護婦の足音がしてきた

寝返りのベッドの軋みを聞いた

松の枝を風がゆさぶっていた

いきなりトンネルから飛び出てきたような

友の声


口いっぱいお茶を含んで

まっしろい視界に

わたしは音をたしかめていた







高原は四月


高原は四月

永すぎた冬が

ふんぎり悪い終止符をうった

葉を巻いて寒さに耐えた石楠花しゃくなげ

すっかり葉を広げ


高原は四月

防寒の手袋を脱ぐ

白杖を握る手

麻痺して冷たいけど

母の形見の温かい血潮が

毛細管にまで流れる


高原は四月

残雪をはねのけ

熊笹ははね起きる

たくましいおののきをおこす

鶯が

つっかえながら歌い出した






消えた指


温泉場の崖下の川原を

学生たちが歩いている

先生に連れられて

ガヤガヤと学生たちが行く

堤の上のおれを見て

先生も学生たちも

歓声をあげながら

手をふっている

「おーい」と呼びかけてくる

おれも手をふって応える

すると歓声が止み

しーんとなった

先生の視線が

学生たちの視線が

おれの手にみな集ってしまった

手を見ると

あれ?

さっきまでポケットの中で

十円玉をもてあそんでいた指が

一本もついていなかった


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新ジャガのバター炒め


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熱した無水鍋にバターを少し多めにひき、薄切りしたジャガイモ大3個を適当に重ね、弱火で20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、塩、胡椒して混ぜると出来上がり。




出し殻でふりかけ
 
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昨日作った出し汁の出し殻はみじん切りし、熱したフライパンで乾煎りし、砂糖と醤油で味付けして出来上がり。



甘いハーブティ

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左からステビア、レモンタイム、アップルミントで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして取り出し、ステビアだけ戻し、さらに30分ほど浸すと甘いハーブティの出来上がり。



エンサイのおひたし

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エンサイは太い茎の部分は捨て、沸騰した湯で30秒ほど茹でて冷水にとり、ざく切りして水気をよくしぼり、花かつおとポン酢で食べた。



ニラ卵
    
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ボールに卵3個、出し汁大さじ3、醬油と砂糖を適量入れて混ぜ、ニラの小口切りを入れ、熱したフライパンに油をひいて流し入れ、弱火で蓋をして3分ほど焼いて巻くと出来上がり。


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栗生楽泉園  越 一人さん


復活祭の日に
復活祭の日に

かすかな

樟脳のにおう着物の奥襟をなおさせ

お前は 教会に行った


昨夜十二時過ぎても眠れなかった

そのことしか言わない

平均寿命の歳に近いお前

教会では どんな神の御業みわざを聞いているのだろうか

もしかすると

眠れなかった時間の行方を尋ねてしまうのかも知れない

つらい眠気をこらえながら

何も祈らず

何も聞かず

軒下にころがっている石ころのように

ただ そこにいて

聞きおぼえの聖歌を口ずさんでいるのだろう


そうだ

それでいいのだ

歳老いた妻よ

今日はお前にとってどんな一日なのか

着飾ったかすかな香りが

漂っているだけのようだ

それが無信心のオレを

包みこんでくるのだ







新年


すこし硬い黒豆をつまみながら

ぼくは

ただ笑いこけているテレビを見ていた

豆のつぎは

芋の煮っころがしへ箸をうごかしていく

そんなぼくに

ふいっ と

お前は 花芽が赤くなってきた と

カニの足のような

シャボテンの一鉢を見せ

日射しの溢れる廊下に出ていった

何かぶつぶつ言っている

花の言葉のようだ

ゆらぐ日射しにふりむくと

とことこ歩いている

花の言葉に絡みついて

新年の

日射しの中を行き来している

お前の

少しうつむいている姿

ライの 長い旅の乾いた音を呑みこんで

何か大切なものを

育てているようだ






ゲート・ボール


ほんのすこし打つだけだのに

全身を硬くさせ

長年たくわえてきたものを

吐きだすかのようにボールを叩いた

ボールはため息を引きずるようにころがった

わずかに

そのわずかなことにはしゃいで

人はスチックを立て

そっと 時間の重さを置いた

なんともいいようのない風が吹き抜け

みんな一様に苦しみ耐え

みんな一様に歳を経た

それだけにちょっとしたことが

おもしろくてたまらないのだ


コツン と音たて

ボールは低いゲートをくぐり

また

つぎの朝にころがっていく



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ジャガイモとタマネギの煮物


ピーマンのジャコ煮


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鍋に細切りしたピーマンを入れ、水洗いした小魚を入れ、酒、醬油、蜂蜜(砂糖)で味付けし、煮立ったら弱火にして5分ほど煮て出来上がり。




エゴマの葉の醬油漬け

 
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おいしかったのでまた作った。まず漬け汁を作る。醬油大さじ4、ゴマ油小さじ1、みりん大さじ1、ニンニク1片のすりろし、一味唐辛子少々を皿に入れ、エゴマの葉を浸しながら容器に重ねていく。最後に漬け汁が残ったら上から注いで出来上がり。昼作れば夜には食べれる。



ポリポリキュウリ(キュウリの漬物)

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容器に醤油大さじ2、ゴマ油少々、ニンニク1片のすりおろし、胡椒を入れておく。

乱切りしたキュウリは塩もみをして2時間以上おき、水気をしぼりながら容器に入れ、タレにからめて出来上がり。



ジャガイモとタマネギの煮物


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新ジャガは乱切りして鍋に入れ、出し汁がなかったので、水と市販の調味料を入れ、いつもの醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして5分ほど煮てタマネギのスライスとグリンピースを入れ、さらに15分煮て出来上がり。 



出し汁作り    
    
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コーヒーの瓶一杯の水を入れ、干しシイタケ、煮干し、昆布を入れて6時間ほど浸しておく。夜なべ仕事にする。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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