日めくり
柱にかけてある暦をめくる
知覚が残っている口で一枚をたしかめ
夢と期待をこめて
今日の扉を開く
だがそこには昨日とおんなじ
仏滅もない
大安もない
日曜もない
虚無の活字が印刷されてあるだけ
その暦に
私の義眼が映っていた
片っぽうが横っちょになって
おどけたように
映っていた
流れ
NHKの朝のドラマが終る八時半
これを合図のように
私たち不自由者は廊下へ流れ出る
せわしく杖でまさぐりながら
大きな靴をひきずりながら
義足を軋ませながら 歩く
不自由者棟と医局をつなぐ
百歩余りの接続廊下を
追われるように
廊下いっぱいになって 歩く
リハビリテイションに
ホータイ交換に
内科にと
それぞれ流れをつくって 歩く
この流れの中から
不自由者棟の仲間が
今年はまだ九月だというのに
もう九人も消えてしまった
毎月一人の割合で消えてゆく
私もこの流れの中にいて
すでに逝った仲間たちを思いながら
流されている
重監房跡地にて
春の陽を背にいっぱい受けながら
私はこの道を踏みしめて歩く
上り坂からやや下り勾配になると
もうそこが重監房跡地
かつてここへ引き立てられて来た人は
辺りの風景を目にとめただろうか
不安と恐怖でそんな余裕などなかったにちがいない
全国の僚友から”草津送り”と恐れられていた「特別病室」という名の当園重監房
まったく職員の勝手な判断一つで投獄され
そしていったい幾人が生きてふたたび戻れたというのか
獄内で重態に陥りようやく担ぎ出されたもののすぐに息絶え
またすでに早や死体となってボロ布みたいに運び出され━━
今日その跡地に来て立てば
周囲の松の葉は春風にむせて鳴る
1982年・開園五十周年記念に建立の
「重監房跡」と刻んだ石碑
私は白杖で台座をさぐり
台座にのぼってポケットからタオルをとり出す
真新しいタオルを手にし
これからはけっして汚してならない「重監房跡」の碑文を拭く
いつのまにか涙が流れおちていた
ハンセン病患者の文学とは何か━━、偶々そうした質問を受けたり、またひとり自問することがあります。もちろんむずかしいことはわかりませんが、たた私にとっての短歌や詩は、ハンセン病の後遺症に全身おおわれながら、いわば唯一保ちえた残存機能とでもいうべき「心」のその表白の場、今日に生きる方法論とだけはいえるとおもうのです。たとえば私には、こんな経験があります。それは気候の変化のはげしい高原の或る冬の日、自分の住んでいる不自由舎より医局へ治療に行った帰り道のこと、私はいきなり猛烈な吹雪にみまわれ、おもわず方向感覚を失ってしまったのでした。眼の見えない者がいったん方向感覚を失ったとなると、それをその場でとりもどすのは、まさに至難の業。結局あわてふためき、いわば「めくら滅法」白杖で辺りをさぐりながらますます迷ってしまうのです。しかも吹雪、隅に行き交う僚友も盲人の一人歩きは見馴れているためさほど気にかけず、吹雪から逃れるように先を忙ぎます。ではあっても、もちろん声をかけ助けを求めれば手をかしてくれるでしょうが、気管切開したカニューレで声帯をも押しつぶされている私には、どんなにがんばっても蚊の鳴くほどの声しか出ず、まして吹雪の中、とうてい聴きとれるはずなどありません。━━つまリ私の短歌は、文字通り”声”そのものであり、また詩は、眼が見えなくとも色をもって描ける”キャンバス” さらに言い換えれば、それは私なりのリアリズムとロマンチシズムの二つの翼、生きていくうえでどうしても必要な心の羽搏きだったのです。
今日の午後、入所者の講演を聞かせてもらってから神谷書庫へ行き、ハンセン病文学全集4(記録・随筆)を見ていたら、その中に、上記のように書かれた古川さんの一節があった。
ハンセン病文学全集は10冊あり、1冊が4800円だから、全部そろえると48000円もする。それでもあまりにいい本だから、この内の5冊ほどは買って手元に置きたいと思う。
ハンセン病文学全集1(小説)
ハンセン病文学全集2(小説)
ハンセン病文学全集3(小説)
ハンセン病文学全集4(記録・随筆)
ハンセン病文学全集5(評論)
ハンセン病文学全集6(詩一)
ハンセン病文学全集7(詩二)
ハンセン病文学全集8(短歌)
ハンセン病文学全集9(川柳・俳句)
ハンセン病文学全集10(児童作品)
プロミン
らいに侵され傷ついた指先の
厚いかさぶたがとれた
と そこには
赤ん坊の肌みたいな
柔かい皮が張っていた
指紋のない皮膚だけど
ふたたび失った知覚がよみがえってくれば
この指先で点字のあの小さな点をとおし
人いきれと埃立つ街
時の往来も見えるかもしれない
だが
プロミンで傷は治り
新しい皮膚が生まれたというのに
知覚は戻って来なかった
プロミン
戦後の1946年、すでにアメリカで開発をみていたスルフォン剤によるハンセン病(らい)治療薬プロミンがわが国でも合成に成功。直ちに一部患者に試用の結果その特効性が認められ、ようやく1949年全国のハンセン病療養所でいっせいにプロミン治療が開始された。しかし私の場合、この時もはや眼をうばわれ、また咽喉にできたらい性結節のため呼吸困難におちいって気管切開するなどの障害を身に刻んでいた。
カニューレ
私は大きな声で喋ってみたい
思いきり声立てて笑ってみたい
けれど私の声帯は
いちど私が息絶れてまた生きかえった時から
動かなくなってしまった
胸が痛くなるほど力を入れて動かそうとしても
硬ばった声帯は動かない
あれからずいぶんと
プロミンを射ってきたのに
声帯はちっとも動いてくれない
固く冷たいカニューレに押しやられ
とうとう声帯はつぶれてしまったのか
窮屈なカニューレを引抜き
私はじぶんの声帯を心ゆくまで躍動させたい
だがカニューレをはずせば
たちまち呼吸は止ってしまう
カニューレは私を削る風穴
同時にまた私といのちをつなぐ管
いくら邪魔になっても
私はやっぱり
重くかなしいカニューレを
首にきつく結わえつけなければならないのだ
カニューレ
気管切開は<のど切り>とよばれ、本病の病巣の一種=結節によって塞がれた気管をのどぼとけ下辺りで切開し、そこから呼吸できるようにする。「カニューレ」とは、その気管切開孔を維持するために挿入された金属管のこと。
春は遠いのに
私の白い瞳に
陽炎が
夜も昼もゆらいでいる
こんなに寒い冬だというのに
まだ春はずーっと遠いのに
陽炎は訪れ
固く閉ざした
私の心を開こうとしている
耳
耳鳴りしか聞こえなかった耳に
看護婦の足音がしてきた
寝返りのベッドの軋みを聞いた
松の枝を風がゆさぶっていた
いきなりトンネルから飛び出てきたような
友の声
口いっぱいお茶を含んで
まっしろい視界に
わたしは音をたしかめていた
高原は四月
高原は四月
永すぎた冬が
ふんぎり悪い終止符をうった
葉を巻いて寒さに耐えた石楠花
すっかり葉を広げ
高原は四月
防寒の手袋を脱ぐ
白杖を握る手
麻痺して冷たいけど
母の形見の温かい血潮が
毛細管にまで流れる
高原は四月
残雪をはねのけ
熊笹ははね起きる
たくましい戦きをおこす
鶯が
つっかえながら歌い出した
消えた指
温泉場の崖下の川原を
学生たちが歩いている
先生に連れられて
ガヤガヤと学生たちが行く
堤の上のおれを見て
先生も学生たちも
歓声をあげながら
手をふっている
「おーい」と呼びかけてくる
おれも手をふって応える
すると歓声が止み
しーんとなった
先生の視線が
学生たちの視線が
おれの手にみな集ってしまった
手を見ると
あれ?
さっきまでポケットの中で
十円玉をもてあそんでいた指が
一本もついていなかった