妹の骨を抱いて
去ったときのままの 山や川がある
かつての日 八年間通学した道を
一歩一歩がたまらなくなつかしいのに
らいを病むわたしは 人の眼をさけ
妹の骨をじっと抱いて
夜道を急ぐ
「少女寮でわたしは病気が重いから 乙女寮に移るまで
生きていないかも知れない・・・」と
言っていた通りになって
二十二年一月五日朝十五歳で死んだ
その年の四月 沖縄帰還があった
故郷への想いは絶ちがたく
戦禍のままの沖縄に帰る病友と早岐駅で別れてきた
いまは こんなに軽い妹よ
どんなにか 帰りたかっただろう
六年目に帰る骨より
おまえのその想いが両腕に重いのだ
仏壇には新しい花があげてあった
継母は実家に帰っていた
はじめて会う幼ない腹違いの弟二人は
わたしをオジチャンとよび
祖母に言われて妹の骨に手を合わせた
何んにも知らずに
夜が更けても眠りを忘れ
波の音が 懐古の情と
すぐ去らねばならない惜別のかなしみをかきたてた
生きている
死をおもい
生きるということを
考えるようになったのは
いつ頃からだろう
いま 生きているのは
死ねなかったからか
それとも 何かを待っているのか
待つことのむなしさを知り尽していながら
生きている時が
わたしであると━
らい者はすべてを失って
苦しみと哀しみに打ちのめされても
生きている
かつての日
自殺をあれこれ思いつめたことが
芝居じみて
なんとつまらない
きょうも わたしは
生きている
子供の日に
その子供は
未感染児童と呼ばれました
明け方に夢をみました
らい療養所の廃墟に建った母子像の物語りをきいていました
その日 嵐のように
通学拒否のはげしい声がおそってきました
その子供は
戦災孤児と呼ばれました
明け方に夢をみました
平和の塔の前で戦争のオトギ話をきいていました
その日 押しつぶすように
ジェット機の爆音がかすめてゆきました
その子供は
混血児と呼ばれました
明け方に夢をみました
見知らぬ国でシンデレラと遊んでいました
その日 豪雨のように
黒人霊歌のコーラスがひびいてきました
まだ まだ いるのです
農村の子供
漁村の子供
露路の子供
何百万の子供です
児童憲章の一字一句からはじき出された子供です
条文の行間からはみ出た子供です
ありのままの形をうつし
その澄んだまなざしは
子供だけが持っている抗議です
らいの偏見に
戦争の残酷に
人種の差別に
生活の貧困に
子供たちよ
瓦礫の間に生きる
いのち
存在の意味をにぎりしめたとき
測定できなかった暗やみを蹴って
光と空気にふれた日をかなしんではならないのです
子供たちよ
わたしの 屈辱と忍従と怒りの底に生きる精神を
まだ まずしい言葉だが
太陽のひかりを染めて編んであげよう
まちがいなくとどくように
2030年 農業の旅→

作家の岡部伊都子さんがハンセン病に関して造詣が深く、かつ親しく交際していたということを「ハンセン病とともに」という本を手にして始めて知った。
その中にゴーガン「癩患者の像」という一節がある。
『これは1848年パリに生まれ、1903年ドミニカ島で亡くなったフランス人画家ポール・ゴーガンが、思いがけない彫刻を作っているのを知ったときの、わが感動を記したものだ。
南仏アルルで、ゴッホと暮らしたことのあるゴーガンの人生も、絵を描くために家庭を離れ、貧しく、恵まれぬ状態で各地に渡り住んでいる。いかにも熱帯の島らしい鮮やかな色彩の絵を、生命力あふれる土地の女たちの絵を、画集や雑誌の特集で見ていた。美術館や美術展でも、油絵作品を見ている。
しかし、いつの時だったか、「ゴーガン展」を見た。
そしてー
会場の入り口に、等身大の椅子にすわった像がありました。男性です。こんな真っ正面に飾られているなんて、大切な像なのだな、いったいどなたの?
そばの標示を見て、心中、うなり声をあげました。
「うーん、あ、これはすごい」と。
そこには「癩患者の像」と記されていたのです。
ゴーガンというフランスの画家は、こういう彫刻を造るお人だったのかと、わたくしはそれまで、カラフルな絵の、それもほとんどは画集でしか見ていなかったゴーガン作品からの印象を、思いかえしてみました。(中略)
当時の島々には、ハンセン病の人びとが多く、完全に治癒する現在とはまったく異なる、惨鼻な状態だったろうと思われます。けれど、隔離することなく、ふつうにいっしょに暮していたのでしょう。そして、ゴーガンも、その病む人びとをまともに見て、まともにつき合っていたんですね。
美術という「美」のせかいで、美的造型である「癩患者の像」とぶつかった時のうめきは、「負けた」という、感動的敗北感でした。
椅子に腰かけて正面むいている人物は、たしかに病相を現じていますが、堂々たる像でした。ゴーガンは、ハンセン病を病む人びとのなかに、かがやく美しい魂を、尊敬していたにちがいなく、そうでなければ、こうした心のこもった像の大作は、制作されなかったことでしょう。
そう言わずにはいられないほど、真正面からまっすぐに見つめた彫刻だった。圧倒された私は、さらに言葉をついで・・・続きは略させて頂きました。
神谷書庫は想像していた外観と異なり、頑健で重厚な色調だった。
小鳥のさえずりを聞きながらの読書といいたいが、実際は外の騒音も少し耳についた。
全国の療養所の入所者が書かれた著作も多く、新聞等で目にしたことのある名前もあった。貸してはもらえなかったが、家から30分もかからないのでいつでも来れる。
自治会の図書室の本は借りれる。今日借りた本の中から、群馬県の栗生楽泉園に入所されていた桜井哲夫(本名・長峰利造)さんの詩をご紹介します。
天の職
お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を
しっかりと首に結んでくれた
親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた
らいは親が望んだ病でもなく
お前が頼んだ病気でもない
らいは天が与えたお前の職だ
長い長い天の職を俺は率直に務めてきた
呪いながら厭いながらの長い職
今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける
終わりの日の喜びのために
(詩集「津軽の子守歌」所収)