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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園(鹿児島)  つきだまさしさん

妹の骨を抱いて


去ったときのままの 山や川がある

かつての日 八年間通学した道を

一歩一歩がたまらなくなつかしいのに

らいを病むわたしは 人の眼をさけ

妹の骨をじっと抱いて

夜道を急ぐ


「少女寮でわたしは病気が重いから 乙女寮に移るまで
生きていないかも知れない・・・」と

言っていた通りになって

二十二年一月五日朝十五歳で死んだ

その年の四月 沖縄帰還があった

故郷への想いは絶ちがたく

戦禍のままの沖縄に帰る病友と早岐駅で別れてきた

いまは こんなに軽い妹よ

どんなにか 帰りたかっただろう

六年目に帰る骨より

おまえのその想いが両腕に重いのだ


仏壇には新しい花があげてあった

継母は実家に帰っていた

はじめて会う幼ない腹違いの弟二人は

わたしをオジチャンとよび

祖母に言われて妹の骨に手を合わせた

何んにも知らずに


夜が更けても眠りを忘れ

波の音が 懐古の情と

すぐ去らねばならない惜別のかなしみをかきたてた





生きている


死をおもい

生きるということを

考えるようになったのは

いつ頃からだろう


いま 生きているのは

死ねなかったからか

それとも  何かを待っているのか

待つことのむなしさを知り尽していながら

生きている時が

わたしであると━


らい者はすべてを失って

苦しみと哀しみに打ちのめされても

生きている


かつての日

自殺をあれこれ思いつめたことが

芝居じみて

なんとつまらない

きょうも わたしは

生きている




子供の日に


その子供は

未感染児童と呼ばれました

明け方に夢をみました

らい療養所の廃墟に建った母子像の物語りをきいていました

その日 嵐のように

通学拒否のはげしい声がおそってきました


その子供は

戦災孤児と呼ばれました

明け方に夢をみました

平和の塔の前で戦争のオトギ話をきいていました

その日 押しつぶすように

ジェット機の爆音がかすめてゆきました


その子供は

混血児と呼ばれました

明け方に夢をみました

見知らぬ国でシンデレラと遊んでいました

その日 豪雨のように

黒人霊歌のコーラスがひびいてきました


まだ まだ いるのです

農村の子供

漁村の子供

露路の子供

何百万の子供です

児童憲章の一字一句からはじき出された子供です

条文の行間からはみ出た子供です


ありのままの形をうつし

その澄んだまなざしは

子供だけが持っている抗議です


らいの偏見に

戦争の残酷に

人種の差別に

生活の貧困に

子供たちよ

瓦礫の間に生きる

いのち


存在の意味をにぎりしめたとき

測定できなかった暗やみを蹴って

光と空気にふれた日をかなしんではならないのです


子供たちよ

わたしの 屈辱と忍従と怒りの底に生きる精神を

まだ まずしい言葉だが

太陽のひかりを染めて編んであげよう

まちがいなくとどくように


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ゲタの煮付け


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夕方、1時間半ほど水やりして、帰りが少し遅くなったら、家人がすでに作っていた。ゲタの煮付けとコマツナの煮物。



レタスの酢味噌和え

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他にレタスの酢味噌和え(酢、味噌、砂糖)。


豆腐

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長島愛生園  庸沢 陵さん


もう一人の私がどこかにいる


ここは瀬戸内の小さな島という

私は

その島のすみっこの世すて人という

━それはみな嘘━

そんな気がしてならない時がある


日日単調な生活の中に生存している

この私が

私であるのか

━疑心するのはなぜだろう━

いま 午前一時

スタンドの灯の中で詩を書いている

私が

私でないような気がする

「精神分裂病」

━そうかも知れない━

が まて

太郎さんと呼べば・・・はい

花子さんは・・・といえば 私よ・・・と

返事はするものの

それとて

名前という

生まれながらの身分証明書があるからだ

いいかえれば

荷札のようなものだ

いつだったか・・・

新聞の三面記事に

━送られていく山羊の

自分の荷札を食ってしまったとか━

もし

おまえが あなたが

一人

荒漠千里の真中に生まれおちたそのまま

置きざりにされ成長したと仮定すると

━どうだろう━

おまえも あなたも

きっと

自分が誰であるのか

そして

どこかで

自分を呼ぶもう一人の自分の声の錯覚に

おち入りはしないだろう・・・か


この島の中にいる 私は贋物

枯れて 朽ちて 土になる

道程の中に住む 私は贋物

もう一人の私

その本物がどこかにいる

油まみれの服を着て

旋盤の騒音の中にいるのか

それとも

大都会の真中で人いきれにもまれ

生存競争の渦の中で 妻と子の笑顔を抱いて

汗まみれとなって働いている

そんな私が

もう一人

確かにどこかにいる






鎖につながれる

それが

当然のような顔をしている おまえ

三度の食事を

うすぎたない椀に盛られて

腰のまがった爺いさんが持ってくると

必要以上に尻尾を振り

きまってすっかりたいらげる おまえ


頑丈な鎖につながれて

うれしいのか

仕方がないのか

朝の散歩に爺いさんを引きずっていく

それも

食事をくれる義理か


陽が高く昇る頃

玄関の脇の地べたに寝そべって

物音がしても起きようともせず

聞きなれぬ声がしても吠えようともせず

むなしい時間を過す

それが

おまえの日課


夕方

今日はおまえの誕生日・・・と

大きな尾頭付きを提げて爺いさんがやってくると

鎖の音があたりにひろがって

脚をあげ

尻尾を振って

お世辞を振りまく  おまえ


やがて

おまえの夜がやってきても吠えることも知らず

牙をむくほどの知恵もなく

鎖を切って自分の時間を楽しむ利口さもなく

飼いならされて麻痺したのかおまえの神経

ただ

爺いさんの臭いを嗅いで

二十四時間を生きている おまえ




ある旅人の譜


おまえの墓標は この島に

そう

誰かが言った 遠い記憶

そんなことが・・・と

いいきった おれは十九


あの

長い時間

でこぼこの道を車にゆられ

着いた漁村の 油くさい渚に立って

あの島に・・・と言われても

不安もなく

かなしみも湧かず

ただ

旅をしているに似てそう思っていた おれ


これから どうなっていくのか

これから どんな生活にはいるのか

その知識もなく

それを知ろうとする 思考力も湧かないまま

やっと着いた島

その

こわれかかった桟橋に立ってふりかえると

離れさったはずの故郷は意識のなかに近く存在し

桟橋を打つ飛沫の中に

航跡の泡の中に

きのうまでの出来ごとが浮遊する

はじめての風景の中で自分の位置をみつめた

その日

あれから二十数年

今日

古い手紙のひと束を手にとると

その

消えかかった日付のなかに

整理しきれぬまま終った おれの記録があり

なすこともなく過ぎた

光と影の交錯する時間があり

いつか

消えかかった おれの足跡がいっぱい

この島に印されてもいた
 

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ソーメン

 
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暑かったのでソーメンにした。3~4分茹でて冷水にとる。市販の麺つゆを使い、薬味は生姜にした。



ラッキョ

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6月中旬頃がラッキョの収穫期であり、今年もラッキョ漬けを作るので、それまでに、去年漬けたラッキョを食べ終える。



タマネギと豚肉の炒め物

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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、タマネギのスライスの順に炒め、オイスターソース、醬油、胡椒で味付けして出来上がり。



レタス

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栗生楽泉園 高野金剛さん


面会


視線と視線がぶっつかると

一瞬 激しい火花が散る

そして

なにもかも焼き尽してしまうまで

燃える

会ったら

あれも聞いておこう

これも聞いておこう

そう思って待っていたのに

言葉はみんな焼かれてしまった


「なんだまた来たのか?」

「ええ、だって━」

わずかに

視線の炎がいった

狂った時計のように

二人の間を

速い時間が流れ

木枯らしが 心を吹きぬける




夫婦


夫婦というものを

何に喩えることができるだろう

たとえば 池の面に

小石ひとつで波紋を立てる


たとえば垣根の朝顔のように

その種子が

つるから放れて行った時

世界は終わるものだろうか?


たとえば

一枚の袷のように

表生地が破れてしまえば

裏生地には若さが残っていても

捨ててしまわなければならないものか?


欲情の処理に苦しむ女と

初老のセックスに悩む男が

お互いに お互いの胸中を察し合う

それが夫婦というものなら

夫婦とはせつないものだ




道しるべ


海抜1000メートルを超える高原でも

夏の太陽の直射は暑い

だが一歩 足を木陰に踏みいれると

高原にはひんやりと肌をさす冷気がある


白樺の大きな陰に茣蓙を敷いて

うら若い主婦がひとり

昼寝をしている夫の傍で

無心に編み機を操作していた


編むということの楽しさに

主婦は 眠っている夫の存在を忘れ

自分自身の存在も忘れて

美しい秋を織っているのだろう


私も編んだことがある

幼ないころには虫籠を

青年になってからは草刈り籠を

そして 世帯を持ってからは

妻にせがまれて茶碗を入れる籠を編んだ


病を得てからは

失なうものは失なってしまったので

なんにも編むことはできないが

たった一つ 編んで置きたいものがある

たった一つ 残っている足跡で

小さな小さな道しるべを━




水蓮の花に寄せて


水蓮の花が咲いていた

年古リて噴水は昇らず

水面に紙屑や板切れの浮いている

瓢箪池の片すみに━


池の底からは間断なく

メタンガスが泡を吹きあげていたが

水の汚れにも染まらないで

いじらしいほどすがすがしく

白く小さく咲いている


ハンセン氏病に侵されて四肢は萎え

肺結核に侵されてからは内臓まで萎えて

医薬の力で病状の悪化を抑えているが

肺の空洞は埋められない

機械だったらとっくの昔に

私はスクラップにされていたろう


部屋の掃除も食事の世話も看護人にしてもらって

顔を洗う湯まで汲んでもらうようになっても

欲望は瓢箪池の泡のように

次から次へと湧いてくる


水蓮の花のように

疾患の苦痛にも染まらないで

たとえば 少年の笑いのような

少女の涙のような

たとえば 草の葉先に宿る朝露のような

そんな詩をうたいたいと 私はひとり

小さな願いをいとおしんでいる


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初物 キュウリ


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初物のキュウリは塩もみにした。初物は味がのらないので、あまりおいしくない。毎日食べれるようになるのは1週間ほど先になる。



鯛アラとタマネギの煮物


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鯛アラは80度の湯で15秒湯通ししておく。

鍋に水を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、沸騰したら弱火にして鯛アラを入れ、その上にタマネギのスライスを入れ10分煮て出来上がり。さめる時に味がしみるので時間をおいて食べる。



ダイコンおろし

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ハンセン病療養所でC型肝炎が猛威


ハンセン病療養所の治療棟は、現在も混雑は恒常化されたままで解消されていない。

それの最も多いのが眼科だ。視力障害者や、ハンセン病特有の紅彩炎を患う者が多いからだ。正しい医療指導や治療が行われていれば、失明しなくても済んだ者は多いのだ。そして内科だが、その受診に多いのがC型肝炎である。

今日、ハンセン病療養所の中で、C型肝炎が猛威を振るい発症している。国内の患者発症率は0.7%なのにたいし、ハンセン病療養所は実に24%の高率で発症している。国内の34倍の高さだ。これはあまりにも異常というほかはない。

なぜなのか、かつての大風子油注射や、プロミン注射が感染源ではないかと、医師たちは推測している。100%それは当たっているだろう。

大風子油注射は1本の針で何百人もの人に注射したのだ。その間いちども消毒することはなかった。射しにくくなると、砥石で研いでまた打ったのだ。この非人道的な処置こそ、隔離撲滅を図った実態なのである。肝臓癌の80%がC型肝炎からの移行と言われる。そのため、すでに命を落とした者は数限りない。わたしたちは大風子油時代を、今日も病んでいる。このことを問わなければならない。

わたしも現在、大風子油注射が感染源と考えられるC型肝炎を患っている。わたしはやがて肝臓癌でもがき苦しみ、そして命を奪われるだろう。しかし、本当にわたしの命を奪うのはらい予防法である。無数の命を奪ったらい予防法は、またわたしの命を奪うことになる。1本の針で消毒もせず、何百人もの人に注射した、あのおぞましい処置こそ、C型肝炎を発症せしめた元凶、らい予防法なのである。

らい予防法は患者を強制収容し、医療不在のまま放置してきた。その結果が今になって塗炭の苦痛を与え、死に追いやられている。これらは人間扱いをされなかった強制隔離の曲型的な被害である。ハンセン病は完治する病気と言われながら、多くの僚友が大風子油時代の過去を現在に病んでいる。

(生きて、ふたたび  著者 国本衛さん)P237~P238を一部抜粋させて頂きました)

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お好み焼き


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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。

キャベツ200gを細くざく切りしてボールに入れ、小麦粉100g、水100cc、溶き卵1個、湯通しした豚肉を入れて混ぜ、熱したフライパンに大さじ1の油を入れて具材を入れ、弱火で蓋をして5分、裏返して5分焼いて出来上がり。ソースで食べた。

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ー鎌倉観音堂にて

火山列島のまんまん中

群馬倉賀野は真佐子の故郷

水力発電技師を父とした真佐子は

川に生まれ、せせらぎを子守唄に成長した

工事が終わると父は川の流れとともに台湾、朝鮮へと流れていった

台湾花蓮港の女学校に入学した真佐子は北朝鮮鴨緑江の工事を半ばに家族と別れ故郷の女学校に転向してきた
女学校を卒業した秋、真佐子は敗戦間もない楽泉園の門をくぐったのです

私の傍らに立つ結婚して間もない真佐子の瞳は

給食棟の煙突から吐き出される細くて弱い煙を離れ、勢いよく立ちのぼる火葬場の煙の果てを追い掛けている

食糧も治らい薬もなかった終戦当時のらい園の火葬場には煙の絶えることはなかった

二人の薄い布団の中にも忍び寄る明日の不安の煙が流れていた

十九歳で結婚した真佐子は二十六歳の激しく雪の降る朝、私の腕の中からするりと抜けて消えていった

死亡診断書には白血病とあった

私は今、鎌倉観音堂の前にひざまずいている

僚友の鳴らす鐘の向こうに真佐子の唄う口語と散文によるラブとエロスのセレナードを聞いた

浅間山は限りなく高く

空は果てしなく青かった

真佐子の唄うセレナードはいつまでも地底深く炎となって燃えたぎるのです


(栗生楽泉園  桜井哲夫さん)

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タマネギとグリンピースの煮物


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タマネギとグリンピースを鍋に入れ、水と市販の調味料を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして10分ほど煮て出来上がり。昼作り、味がしみた夕飯に食べる。




キャベツのレモン醬油和え
 
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キャベツは細目にざく切りして、沸騰した湯で2分ほど茹でて冷水にとり、水気をよくしぼりながらボールに入れる。レモン果汁大さじ2、醬油大さじ2、砂糖とミリンを少し入れて混ぜ、小魚を3分ほど浸し、ボールに入れて和えると出来上がり。



ダイコンおろし

 
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キンリョウヘンの株分け

昨日、キンリョウヘンの株分けをした。合計で14鉢になった。あと2鉢、株分けした方がいい鉢があったが、これ以上増やすと世話が出来なくなるので止めた。

株分け方法はネットで検索して参考にした。

株分け後1週間は日陰に置き、水をたっぷり与えて活着を促す。1週間が過ぎたら戸外に置き、透光率60~70%の寒冷紗をかぶせて、2日に1回(夏場は毎日)水やりをして、1週間に1回は液肥をやり、ナタネカスの置き肥えは1鉢に5個置き、1ヶ月に1回、置き肥えを新しいのと変える。この作業を9月末まで繰り返す。

梅雨の長雨の時は上にポリをかぶせて雨除けをするが、通常の雨なら何もせずに放置する。

来年は2月20日頃、蜂仲間の農業ハウスに4鉢置かせてもらおうと思う。そうすれば4月1日頃には開花するだろう。

今年の反省として、
(1)近くに元巣が2つあれば、同一日に分蜂する可能性が高い。蜂にとっての「分蜂びより」は、どの群でも同じ。
(2)キンリョウヘンで蜂球になったら、いずれ箱に入ってくれるだろうと傍観せずに、積極的に取り込む。傍観したため、今年は2群も取り逃した。
(3)蜂がいくつかのキンリョウヘンに分散したら、取り込んだ箱に他のキンリョウヘンを近づけて統合を促す。これをせずに働き蜂が女王蜂とはぐれたら、どちらにも致命傷となる。

現在、合計で4群いるが、この内の1群は出入りが多くないので、梅雨明け頃まで持ちこたえてくれるか微妙な状態である。たくさん置いたキンリョウヘンが原因?で、分蜂の時に、多くの働き蜂と女王蜂がはぐれてしまい、小群のまま、なかなか大きくならない。

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風の造形


ー1992・8・25 竜飛岬にて

山の療養所から五十年ぶりに帰った故郷

津軽には遠い日の津軽はなかった

車のドアが開かれた

一千㎞の旅を看取ってくれた

二十四歳の中林和子と

竜飛岬の風中に立つ

津軽の海に今生まれたばかりの風は

和子のジーパンの裾を翻し

髪をなぶって真っ直ぐに空に昇る

津軽の潮騒

風立つ音、潮の香

たしかに聞いたのです、嗅いだのです

おふくろの子宮の羊水に揺れながら聞いていたの
だと思う


その日のおふくろは竜飛岬に親父と

それとも村の女房達と来たのだろうか

私は知らない

知らないはずの耳底に残っている津軽の潮騒を

今聞いたのです、今知ったのです


風が吹きます、風が立ちます

東北電力の風力発電所の風車が回ります

竜飛岬の風に昨日はない

竜飛岬の風に明日もない

竜飛岬の風は今生まれて今吹くのです

竜飛岬の風の造形の只中に

私は中林和子の腕に支えられて

今を立っています


(栗生楽泉園  桜井哲夫さん)

桜井哲夫さんのプロフィールです。

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豆ごはん


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3合の米を洗って無水鍋に入れ、4カップ余りの水を入れ、塩少々とグリンピース250gを入れ、煮立ったら弱火で30分、火を消して余熱30分で出来上がり。



エンドウと卵の煮物


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鍋にエンドウと水と市販の調味料を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして卵2個を入れ、5分ほど煮て出来上がり。




タマネギと豚肉の炒め物


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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通ししておく。

熱したフライパンに油を入れてニンニク1片のみじん切りを炒め、肉を入れ、最後にタマネギを入れて炒め、オイスターソース、醬油、胡椒で味付けして出来上がり。

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私は沙漠にいたから

   一滴の水の尊さがわかる

海の中を漂流していたから

   つかんだ一片の木ぎれの重さがわかる

闇の間をさまよったから

   かすかな灯の見えたときの喜びがわかる


過酷な師は

私をわかるものにするために

一刻も手をゆるめず

   極限に立って一つを学ぶと

   息つくひまもなく

   また

   新たなこころみへ投げ込んだ

いまも師は

大きな目をむき

まだまだおまえにわからせることは

行きつくところのない道のように

あるのだと

   愛弟子である私から手をはなさない

そして

   不思議な嫌悪と

   親密さを感じるその顔を

   近々とよせてくるのだ


(大島青松園  塔和子さん)



胸の泉に


かかわらなければ

   この愛しさを知るすべはなかった

   この親しさは湧かなかった

   この大らかな依存の安らいは得られなかった

   この甘い思いや

   きびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

   子は親とかかわり

   親は子とかかわることによって

   恋も友情も

   かかわることから始まって

かかわったが故に起こる

幸や不幸を

積み重ねて大きくなり

繰り返すことで磨かれ

そして人は

人の間で思いを削り思いをふくらませ

生を綴る

ああ

何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人

   私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも

落としてはくれない


(大島青松園  塔和子さん)

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タジン鍋

 
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ざく切りしたコマツナを下敷きにして、タマネギのスライスを置き、ベーコン一連を置き、グリンピースを置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。



ダイコンおろし

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豆腐


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レタス

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人の林で


花に蜜がなければ蜂も寄ってこない

海に魚がいなければ釣り糸をたれはしない

地下に水がなければ掘りはしない

   花も海も地面も

   あるがままにあって

   ゆったりとしている

関心がないものは見つめることさえしないが

その魅力を知る者は

どこからともなく寄って来て

貪婪に摂取する

ああ人の林で

意識することなく

蜜をもつ花になりたい

豊かに魚を住まわせている海になりたい

質のいい地下水を

たっぷりふくんでいる地面になりたい

作意もなく誇張もなく

見せかけもなく

花が花であることにおいて

海が海であることにおいて

地面が地面であることにおいて

おのずからもつ

魅力を

身のうちにもちたいのだ
 

(大島青松園  塔和子さん)




それは

生き作りの鯛

ぴいんと

いせいよく尾鰭を上げて

祝いのテーブルの上で

悠然と在りながら

その身は

   切られ

      切られて

   ぴくぴくと痛んでいる

人々は笑いさざめきながら

美しい手で

ひと切れ ひと切れ

それを口にはこんでいる

やがて

宴が終わるころ

すっかり身をそがれた鯛は

   すべての痛みから

      解放されて

ぎらりと光る目玉と

清々しい白い骨だけになり

   人々の関心の外で

ほんとうに鯛であることの孤独を

   生きはじめる


(大島青松園  塔和子さん) 

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スナップエンドウの煮物


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スナップエンドウを始めて煮てみた。タマネギのスライスといっしょに、水と市販のダシを入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして3分ほど煮て卵を入れ、さらに5分煮て出来上がり。

味はエンドウとほとんど同じだった。




スナップエンドウの炒め物

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定番です。


ハーブティ

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左からアップルミント、コモンタイム、レモンバーム、セイジで、沸騰したら火を止めて入れ、3分蒸らして取り出すと出来上がり。


ダイコンおろし

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一部はツナ缶と混ぜた。



タマネギとツナ缶のサラダ
 
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タマネギをスライスしてボールに入れ、ツナ缶の油をよく切って入れ、花かつお1袋を入れて混ぜると出来上がり。醬油を少したらして食べる。



豆腐


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カラーテレビ


初めて東京から来てくれたお客さん

暫く話をしていたが

「香山さん、失礼な事聞いていいですか」

失礼な事聞いていいかと言われた時

私は男のことばしか言えず

俺が俺がと使っていることか

それとも、頭を刈り上げていることか

てっきりその話だろう

そう思い込んでしまった

「見えないのにどうしてカラーテレビが入っているの」

私の思っていた話と違って

チョッピリきまりが悪かった

「白黒の小さなテレビでもいいんでしょ」

盲人の耳は

耳と目の両方を兼ねている

カラーテレビは白黒テレビより

遥かに音がいい

離れたり、くっついたりの若い男女

熱がいっぱい燃え上がるドラマ

始まる時、終る時の音楽は

きれいで柔らかく、いい音

出て来るドラマの若い衆に

年も忘れ、盲人ということも忘れ

頭の中、胸の中で

昔を振り返って

最高にいいぞ

来たお客さんは

「へんな事聞いて馬鹿みたい、おれ本当馬鹿みたい」

そんなふうに云って帰っていった


(栗生楽泉園  香山末子さん)



暗い原稿


沢山な詩原稿を持って行って

一つくらいは合格するだろうと思っていたのに

━はい書き直し、と云われて帰る足どりは重い


やっとの思いで帰ったところへ

栗林先生が面会に来てくれた

私は先生に原稿を見て貰った

先生は何も言わずに他の話ばかり

やきもきしている私へ

帰りぎわ

━香山さん貴女は笑い声と大きな声が似合います━

━暗い詩は似合いません━

そう云って出て行ってしまった


(栗生楽泉園  香山末子さん)



面会


四十年ぶりに姪と再会した

「おばさーん」の一声で

何を喋っていいのかわからない

撫ぜてみると

背が高くてがっちりとした身体

姉さんに似て大きいね・・・

と言っても言葉が通じない

彼女が何か云っても私にわからない


私の指のない手を握って

泪をすすっていたが帰って行った

三つの時別れた彼女の姿が浮かんで

韓国の話や姉さんのこと

山ほど話があったのに

胸がいっぱいで言葉が出ない

言葉がわからない

私は一晩中眠らず闇に残された


(栗生楽泉園  香山末子さん)

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タマネギとグリンピースの煮物


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タマネギのスライスとグリンピースを鍋に入れ、出し汁がなかったので、水と市販の調味料を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、水で戻した干しシイタケを入れ、煮立ったら弱火にして10分ほど煮て出来上がり。

煮物は冷める時に味がしみるので、時間が経過してから食べた方がおいしい。




ダイコンおろし

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レタスの酢味噌和え

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レタスは洗い、一部は酢、味噌、砂糖で和えた。

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かすみ草


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名刺の見本が届いた。上下どちらにするかと問われ、網模様の入った上を選択した。裏は同じ。




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橋の上から写した虫明漁協。50年余り前、商売っ気なしの寡黙なおじさんが自転車で虫明から魚を売りに来ていた。10年ほど前、知り合った虫明の人に話したら、もう亡くなられたがその人(祖母がりーさんと呼んでいた)をよく知っているという。



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本土と長島の距離は右の画像のように、最も短いところで30メートルしかないが、潮流が早くて泳ぎ切れない。逃亡しようとして海に流された人も・・・。




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神谷書庫。



かすみ草

雪の夜の病室

消灯後の瞬間の

静寂を破り

ドアをノックして入ってきたのは

単身赴任の事務職員さん


起きているかね

町の酒場で飲んでいたら

酒場の女が

詩集『津軽の子守唄』を読んで

感動したと言って

かすみ草の花束を頼んだのだと言う

広げた胸の中に花束を抱かせて

職員さんは雪の中を帰って行った


顔をうずめた唇に

花びらの小さな震えがあった


花束を贈った酒場の女に

再び会えなかったと

職員さんは伝えてくれた

名も告げぬ湯の町の酒場の女の痛みが

いつまでも小さく唇に残った


(栗生楽泉園  桜井哲夫さん)




榛名グラス


真昼のほてりを残した病室

友よ7月10日は俺の誕生日そして君の誕生日

門灯の光を透かして国立療養所栗生園の表札を読んだときも

空腹のあまり農園の南瓜を盗んで食べた夜にも君は俺と共にあった

破れたパンツの繕いを

汚れたシャツの洗濯を

17歳の俺に教えたのも友よ君だ

盲人将棋を指しアマチュア四段の免状を将棋連盟から贈られたときも

一番大きな拍手を送ってくれたのも君だ

第二詩集『ぎんよう』出版会の日も

花束を贈る西毛文学の詩友飯島豊子さんの眼鏡の奥の優しい瞳を

頬に浮かべた微笑みを俺の耳元で囁いたのも君だ

その日詩友の新井美代子さんから贈られた榛名グラスに
看護婦は琥珀の液体を満たし二個の氷片を浮かべてくれた

友よ榛名グラスを上げてくれ

二人の誕生日

上げた榛名グラスに療養所で送った年輪が輝いている

友よ 友よ 俺の友よ

友よ 君の名は癩


(栗生楽泉園  桜井哲夫さん)

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鯛アラでタジン鍋


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帰りが遅くなったので、これになった。鯛アラは出かける前に冷凍庫から出しておいた。

タジン鍋にタマネギのスライスを置き、湯通しした鯛アラを置き、エンドウとウインナー3個を置き、タマネギの葉を置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。




スナップエンドウの炒め物

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熱したフライパンに油を入れ、スナップエンドウを炒め、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。

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ゴーガン「癩患者の像」


作家の岡部伊都子さんがハンセン病に関して造詣が深く、かつ親しく交際していたということを「ハンセン病とともに」という本を手にして始めて知った。

その中にゴーガン「癩患者の像」という一節がある。

『これは1848年パリに生まれ、1903年ドミニカ島で亡くなったフランス人画家ポール・ゴーガンが、思いがけない彫刻を作っているのを知ったときの、わが感動を記したものだ。
南仏アルルで、ゴッホと暮らしたことのあるゴーガンの人生も、絵を描くために家庭を離れ、貧しく、恵まれぬ状態で各地に渡り住んでいる。いかにも熱帯の島らしい鮮やかな色彩の絵を、生命力あふれる土地の女たちの絵を、画集や雑誌の特集で見ていた。美術館や美術展でも、油絵作品を見ている。
しかし、いつの時だったか、「ゴーガン展」を見た。
そしてー

会場の入り口に、等身大の椅子にすわった像がありました。男性です。こんな真っ正面に飾られているなんて、大切な像なのだな、いったいどなたの?
そばの標示を見て、心中、うなり声をあげました。
「うーん、あ、これはすごい」と。
そこには「癩患者の像」と記されていたのです。
ゴーガンというフランスの画家は、こういう彫刻を造るお人だったのかと、わたくしはそれまで、カラフルな絵の、それもほとんどは画集でしか見ていなかったゴーガン作品からの印象を、思いかえしてみました。(中略)
当時の島々には、ハンセン病の人びとが多く、完全に治癒する現在とはまったく異なる、惨鼻な状態だったろうと思われます。けれど、隔離することなく、ふつうにいっしょに暮していたのでしょう。そして、ゴーガンも、その病む人びとをまともに見て、まともにつき合っていたんですね。
美術という「美」のせかいで、美的造型である「癩患者の像」とぶつかった時のうめきは、「負けた」という、感動的敗北感でした。
椅子に腰かけて正面むいている人物は、たしかに病相を現じていますが、堂々たる像でした。ゴーガンは、ハンセン病を病む人びとのなかに、かがやく美しい魂を、尊敬していたにちがいなく、そうでなければ、こうした心のこもった像の大作は、制作されなかったことでしょう。

そう言わずにはいられないほど、真正面からまっすぐに見つめた彫刻だった。圧倒された私は、さらに言葉をついで・・・続きは略させて頂きました。

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ダイコンおろし


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春のダイコンは料理法が少ないが、今の時期のダイコンおろしはおいしい。

明日は初出荷するので「苦味」がどれほどか、食べて確認しておく必要があった。今年は品種を変えたので、苦味が多くなくてよかった。



豆腐の白和え

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ダイコンの葉は沸騰した湯で2分ほど茹でて冷水にとり、小さくざく切りし、水切りした豆腐と混ぜ、タレ(酢大さじ1、醬油大さじ1、ごま油大さじ半分、トウガラシ小口切り1本)と和えると出来上がり。



豆ご飯

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この時期のグリンピースの豆ご飯は毎日でも食べたい。ただ、もったいないので入れるのを50g減らして300gにした。

米3合を洗って無水鍋に入れ、水を4カップ余り入れてグリンピースを入れ、塩少々を入れ、煮立ったら弱火にして30分、火を消して余熱30分で出来上がり。



タマネギとツナ缶のサラダ

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タマネギ1個はスライスしてボールに入れ、油切りしたツナ缶を入れ、花かつお1袋を入れて混ぜると出来上がり。醬油をたらして食べる。

マックスバリュー(イオン)のPB商品のツナ缶はあまり品質がよくないが、他のメーカーのツナ缶を置いていないし、置いていても高い。



コマツナの煮物

   
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収獲末期のコマツナは硬くなっているので煮物にした。

ざく切りして水を少し入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、出し汁がなかったので、市販の調味料を使い、コマツナのかさがかなり目減りしたら弱火にして3~4分煮て出来上がり。30分以上経過して味がしゅんでから食べる。



ダイコンおろしとツナ缶

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ツナ缶は少し残してダイコンおろしと混ぜ、ポン酢で食べるとおいしい。

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天の職


神谷書庫は想像していた外観と異なり、頑健で重厚な色調だった。

小鳥のさえずりを聞きながらの読書といいたいが、実際は外の騒音も少し耳についた。

全国の療養所の入所者が書かれた著作も多く、新聞等で目にしたことのある名前もあった。貸してはもらえなかったが、家から30分もかからないのでいつでも来れる。


自治会の図書室の本は借りれる。今日借りた本の中から、群馬県の栗生楽泉園に入所されていた桜井哲夫(本名・長峰利造)さんの詩をご紹介します。


天の職


お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を

しっかりと首に結んでくれた
 
親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた

らいは親が望んだ病でもなく

お前が頼んだ病気でもない

らいは天が与えたお前の職だ

長い長い天の職を俺は率直に務めてきた

呪いながら厭いながらの長い職

今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける

終わりの日の喜びのために


(詩集「津軽の子守歌」所収)


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スナップエンドウの炒め物


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帰りが少し遅くなり、身体が反応したのはいつもの料理だった。

スナップエンドウのスジを取り、熱したフライパンに油を入れて炒め、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。



タマネギとベーコンの炒め物

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熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、ベーコン2枚の細切り、タマネギのスライスの順に炒め、胡椒、オイスターソース、醬油で味付けして出来上がり。


 
エンドウと卵の煮物

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鍋にエンドウと出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして卵2個を入れ、5分ほど煮て出来上がり。
 
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初物 豆ご飯


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初収獲したグリンピースは豆ご飯にした。米3合を洗って無水鍋に入れ、4カップの水を入れ、グリンピースを350g入れ、塩少々を入れ、水を40ccほど加え、煮立ったら弱火にして30分、火を消して余熱30分で出来上がり。

おいしかったが、水加減が少しゆるかった。



お好み焼き
   
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キャベツ200gは細切りしてボールに入れ、薄力粉100g、水半カップ、溶き卵1個を入れて混ぜ、湯通しした豚肉100gを加えて混ぜる。

熱したフライパンに大さじ1の油を入れ、弱火で蓋をして5分、裏返して5分焼いて出来上がり。キャベツと薄力粉の相性はとてもよい。



深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければ何処にも光はない

明日は雨の天気予報だったのに、夕方、ネットで再確認したら、雨はほとんど降らないようだ。だから明日は朝から井戸水をポンプアップして「水やり作業」を2時間ほどする必要がある。

4月から5月中旬にかけて身辺が何かと忙しく、春夏作の各種種まきや定植作業があり、ミツバチの分蜂期間でもあるので、愛生園に出かけることが出来なかったが、農作業も一段落ついたので、明日は愛生園に出かけ、長く借りていた自治会図書室の本を返却する。その後、もう一つの書庫「神谷文庫」を始めて訪問する。

講演を聞かせてもらったり、お話をさせて頂いた後、入所者の方から名刺を頂くことも多いので、ボクも久しぶりに名刺を作る(業者に依頼)ことにした。裏には「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければ何処にも光はない」という長島愛生園の有名な盲目歌人「明石海人さん」の言葉を拝借した。

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鯛アラでタジン鍋


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冷凍庫に鯛アラがまだ2パック(小分けして4袋)あるのに、スーパーで見てまた買った。

鯛アラは80度の湯で15秒湯通しする。タジン鍋にタマネギの葉とスライスを下敷きにして、鯛アラを置き、ベーコン3枚を置き、エンドウを置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。



エンドウと卵の煮物

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鍋にエンドウと出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして卵2個を入れ、5分ほど煮て出来上がり。

   

ポン酢作り
   
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醬油70cc+酢50cc+みりん30cc+出し汁25cc+レモン果汁25cc=200cc(1カップ)のポン酢の出来上がり。


レタス
  
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黒豆の煮物


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黒豆150gは一晩水に浸しておく。

戻し水ごと圧力鍋に入れ、砂糖100g、醬油小さじ1、塩少々を入れ、おもりが回り始めたら弱火にして20分、火を消してそのまま放置して出来上がり。



スナップエンドウの炒め物

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熱したフライパンに油を入れてスナップエンドウを炒め、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。



タマネギとツナ缶のサラダ

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タマネギ2個をスライスしてボールに入れ、油切りしたツナ缶をほぐしながら入れて混ぜ、半分はマヨネーズで和え、半分は花かつおを入れて混ぜ、どちらも醬油を少したらして食べる。

新タマネギだし、水にさらす必要もないと思い、スライスしてすぐツナ缶と和えた。水にさらす、水気を手でしぼるという工程が不必要となり、要する時間は半減した。
 


分蜂はまるで台風一過のようである。翌日には、全く何もなかったような静寂な里山に戻る。

昨日、今日と好天が続いたが、待ち受け箱で探索蜂は1匹も見かけなかった。20~22日頃まで、もう1回チャンスが巡ってくると思うが、探索蜂(分蜂の前に新居を捜すため、一群につき数百匹が下見に出かける)を見かけなくなれば、今季の分蜂は終わったことになる。
 
しかし当地では1か月後の6月15日~6月20日頃の間に夏分蜂(強群だと、たった2ヶ月ほどで大量の蜜を集め、居住空間が手狭になり再度住居替えをする。自然巣に多い)が時々あり、ラストチャンスをそれに賭ける。
 
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豚肉とタマネギの炒め物


スナップエンドウの炒め物


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熱したフライパンに油を入れ、スナップエンドウを炒め、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。



エンドウと卵の煮物


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鍋にエンドウと出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして卵2個を入れ、5分ほど煮て出来上がり。



豚肉とタマネギの炒め物

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豚肉100gは80度の湯で15秒湯通しする。

熱したフライパンに油を入れ、ニンニク1片のみじん切り、豚肉、タマネギのスライスの順に炒め、オイスターソース、醬油、胡椒で味付けして出来上がり。



レタス


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豆腐


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生姜をすりおろした。

ニンニクは1片ごと切り離し、ジップロックに入れて冷凍している。生姜(三州生姜)は洗って小指の先ほどに分解し、半日ほど陰干しして水分をとばし、これもジップロックに入れて冷凍している。三州生姜は小粒の生姜で親指の先2つほどの種芋を植え付けると20倍ほどに増える。収量も多く小型(小粒)なので大型のお多福生姜より使い勝手がいい。

ニンニクも生姜も冷凍のままみじん切りやすりおろしができる。

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タジン鍋


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サケは80度の湯で15秒湯通しする。

タジン鍋にタマネギの葉とスライスを置き、サケを置き、ニンニクの茎とエンドウを置き、ベーコン3枚を置き、胡椒で味付けし、弱火で15分、火を消して余熱5分で出来上がり。ポン酢で食べる。




ニンニクの茎のベーコン炒め  
   
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ニンニクの茎はざく切りして、沸騰した湯で2分ほど茹でて湯切りし、細切りしたベーコン2枚と炒め、胡椒と醤油で味付けして出来上がり。

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ハチクの木の芽和え


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孟宗竹の竹の子が終わって3週間ほどすると、ハチクの竹の子が出始める。ハチクの竹の子は「アク抜き」をする必要がないらしいが、一応アク抜きをした。

鍋にハチクを入れ、水をひたひたに入れ、米糠を大さじ2ほど入れ、煮立ったら弱火にして30分ほど煮て、そのまま冷ます。

ハチクは小さな正方形に切り、お椀で味噌、砂糖、酒、みりんを溶かし、すり鉢で木の芽(山椒)をすり、お椀の味噌をすり鉢に入れてすり、ハチクと木の芽味噌を和えると出来上がり。「たけのこの木の芽和え」を参考にした。

ハチクの竹の子は柔らかく、ニワトリやヤギの大好物なので、イノシシにやられる前に掘る。ハチクの竹の子はいっぱい出るので、イノシシの食べ残し(腹いっぱいになったらそれ以上は食わない)も多い。

  
 
エンドウの湯通し

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エンドウと卵の煮物

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鍋にエンドウと出し汁を入れ、醬油、砂糖、酒、みりんで味付けし、煮立ったら弱火にして卵2個を入れ、5分ほど煮て出来上がり。

 

スナップエンドウの炒め物

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スナップエンドウを油で炒め、塩、胡椒、醬油で味付けして出来上がり。



レタス

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タマネギとツナ缶のサラダ
  
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タマネギ2個をスライスして3分ほど水にさらし、ザルに上げ、水気を手でしぼりながらボールに入れ、油切りしたツナ缶をほぐしながら入れて混ぜ、それを半分に分け、一つはマヨネーズで和え、一つは花かつおを入れて混ぜ、どちらも醬油を少したらして食べる。



ミツバチ捕獲の反省
 
     
5月3日と昨日の2回とも「無王群」と書いたが、どちらも女王蜂はいたようだ。

なぜ女王蜂と離ればなれになってしまったかといえば、8鉢のキンリョウヘン(11鉢あるが3鉢は貸出中)には平均7本の花茎があり、それらが満開で、この匂いが強烈(人間には無臭)で、分蜂の移動は数千匹の大群であり、キンリョウヘンの匂いに騙され、女王蜂とはぐれてしまった可能性が高い。

今後は、ある程度の大きさの蜂球なら、その中に女王蜂がいると考え、傍観するのではなく、夕方までに待ち受け箱に、ちりとりとハケを利用して「優しく静かにゆっくり」と、取り込もうと思う。いったん女王蜂が箱に入ったら、はぐれた蜂も箱に入ってくる可能性が高い。それでも入らなかったら、他のキンリョウヘンで小さな蜂球になっている鉢を女王蜂が入っている箱の前に近づけてみる。蜂の喧嘩が始まらなければ、それは同一群といえる。


蜂球の中に女王蜂がいなくてもいい


取り込み中に逃げられてもいい(2キロ以内に住みついて来春の元巣となってくれる可能性もあるし、数日後に別の待ち受け箱に入ってくれる可能性もある)

何もしないでただ傍観しているよりは

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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