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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大晦日の夜

 
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大晦日の夜、どんな夜を過ごされていますか。

我が家の年越しそば。毎年こういう感じで、ソバに市販の天ぷら、ブリの照り焼き、ダイコンなます、ハム、ホウレンソウのソテー。

おせちとかは食べず、明日朝はお餅を3つ入れたお雑煮を食べる。


ここ2日ほど腰痛で、あまり腰が曲がらず、野良着の着替えに時間がかかる。これといった原因は思いつかないが、体調のバランスが崩れたから腰痛が生じた。田んぼで動き回るのもよくないし、長時間机に座っているのもよくない。どちらかに傾きすぎると腰にこたえる。


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来春はこの場所に、左右の支柱からシカクマメとニガウリを各5本ほどと、間の2列にはトマトを植える予定である。余裕をもって来春の準備ができた。

直売所出荷も3年目に入り、どれくらいの出荷量なら完売できて、どういう野菜なら他の出荷者と競合を避けれるかということも少しずつわかってきた。今の直売所ではシカクマメとニガウリは5本も植えれば十分であるし、ワンパックにも毎回入れることができるだろう。

電柵の開閉とヤギの世話にも慣れて、2012年は少しは余裕ができると思う。春夏作の定植本数や収穫時間、仕分時間も細かくシミュレーションできるようになった。

「あまり頑張らない」生き方をしようと思う。過去3年間の疲労がたまっている。 


今日、「今夏の畝間潅水」の集金に来られた。10アールが千円なので、4アールだから400円だった。申し訳ないような少ない金額である。稲作は10アールが3千円であり、1ヘクタール(100アール)だと3万円もかかる。

逆方向へ流れる水路をせきとめて、竹やぶ沿いの水路に水が流れるようにして、その水路から田んぼに水を引き込むことができるなら、井戸水をポンプアップして散水することに比べ、エンジンポンプのガソリン代も散水労力も大幅に短縮でき、しかも効果は飛躍的に上がる。

引水する作物は4アール(エンサイ1列、ツルムラサキ2列、オクラ2列、ナスビとピーマン0.8列、スイートバジル0.7列、青シソとモロヘイヤ1列、その他0.5列)。これに加えて来夏は、ダイズ(エダマメ)2アールとサトイモ1~2アールを増やす予定なので、合計7~8アールが畝間潅水の対象作物となる。

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光崩壊性マルチ

  
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直売所仲間が紹介してくれた「石灰マルチ」のことがずっと気になって、今日、店へ行った。


光崩壊性(サンプラック マルチ)
※このマルチフィルムは保温性が高く、特に夜間の地温が高めに保てます。
※日光に当たった部分は次第に脆くなり、展張後2~3ヶ月でロータリー等ですきこむ事が可能です。

(注意)
※マルチはあまり強く張らず、やや緩めに張って下さい。穴あけは丸カットにし、-カットやTカットは避けて下さい。
※直射日光が当たらない土中部分は崩壊が進みません。又、秋冬や日光が弱く低温の時期には寿命が長くなります。
※ハウス内での使用は崩壊があまり進みません。
※クロルピクリン等の燻蒸剤により寿命が短くなることがあります。
※フィルム断片が風で飛散する事があります(飛散フィルムを家畜等が食べる恐れがあります)ので注意して下さい。
※本製品はロータリー等で数多くすき込む事でより細片化しますが、完全に消えて無くなるものではありません。
※保管の際は、直射日光の当たらない乾燥した涼しい場所に保管して下さい。

商品説明は上記のように書いてあったが、気になったのは「完全に消えてなくなるものではありません」という一行(アンダーラインをしたのは自分)と、このマルチの「原料表示」がどこにも書いていないことだった。

この点に関しては、直接、メーカーに電話して確認する必要があると思った。この商品は光崩壊性マルチだが、同じメーカーで生分解性マルチもあるので、違いを説明してくれると思う。

値段は通常のポリより千円ほど高いだけで、むしろ安いくらいだと思った。

「光崩壊性マルチ」を使った方がおられましたら、感想などを教えて頂けませんか。よろしくお願い致します。



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いつまで保存していても仕方がないので、家畜に食べてもらおうと田んぼへ持参した。ミニトウガン、ナンキン、夏にもらったソウメンナンキン。
韓国カボチャも先日、家畜に与えたばかり。
ナンキンは冬至に食べなかった。
ソウメンナンキンはもらってから1個食べただけだった。
ミニトウガンは今日、ダイコン、ニンジン、タマネギと一緒に煮物にしたが、あまりおいしくなかった。トウガンはミニより大型の方がおいしい。ミニはニワトリもあまり好まない。

 

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ヤギが大好物のキンカンだが、後1回で収獲が終わる。
   
    
    
   
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正月用の葉ボタンを玄関先に置いた。正月らしいものはこれだけ。お飾りは玄関に飾るのを1個だけ毎年スーパーで買っていたが、ばかばかしくなって去年から止めた。

  
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お墓と家の神棚には、山に自生している「榊(さかき)」を生けた。
 
   
 
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榊に似ているが、これは「カナメ」。庭の剪定枝だがヤギが好んで食べる。 


春夏作の種の注文書を書いた。タキイ種苗が12000円ほど、ナント種苗が2000円ほどで合計14000円。なお、苗からスタートする野菜も多い。ナスビ20本、ピーマン30本、トマト20本、ニガウリ5本、スイカ5本は農業資材店で毎年4月20日頃に購入しており、合計で5千円ほどかかる。
ナント種苗の2千円の内訳はナンキン2種類とシカクマメ。 


青年就農給付金

農業再生予算の主な項目に「新たに農家になる人への給付金」104億円が計上された。内容は、就農前の研修期間と、経営が安定するまでの最長7年間、年150万円を支給する「青年就農給付金」を新設する。原則45才未満の新規就農者が対象。(朝日新聞12月25日)
なお、今日の農業新聞に「親元就農から5年以内」なら給付金の交付対象にすることを明らかにしたと出ていた。

7年間にわたって年150万円もらえるなら、14年間にわたって、年75万もらえることと同じ。75万円という数字は「ベーシックインカム」でよく例示される年80万という数字に近い。つまり、青年就農給付金は、14年間にわたってベーシックインカムが支給されることに似ている。

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行く年 来る年


今年もあと3日。

今日は散髪に行って、やっと年賀状を数枚書いて、もっとぐずぐずしてまだ書いていた家人が郵便局へ持参するのに託した。 


3月11日に大きな災害があった。回復には1世代(30年)はかかるだろう。永遠に故郷に戻れない人もかなりいるだろう。

2万人以上の死者を出した明治三陸大津波(1896年)の被災地を、25年後に訪れた民俗学者柳田国男は「疵は既に全く癒えて居る」と『雪国の春』で記した。家も船もエコ素材。残骸は少なく原発はない。何より、人と自然とが近かった。(朝日新聞12月27日)

東北地方も他の地方も、100年前とは状況が一変している。すでに自給できるものはほとんどない。「買わざるをえない、買った方が安い」システムの中に我々は取り込まれてしまっている。最も自給に近いと思える食料でさえ、大多数の人はすでに自給できなくなっている。

そして、近代が構築してきたシステムの料金はあまりに高い。電話代、電気代、上下水道代・・・等、月に5万円はくだらない。

このような近代システムの元では、復興自体が難しい。自助努力では回復不可能とさえ思える。

しかも放射能汚染で故郷を追われている。

大地と故郷を追われたら、ボクはもう生きていくすべがない。家の再建も人間性の回復もできそうにない。この年になったら新たな故郷など作れるはずがない。それでも生きていかざるをえない状況など、想像を絶する。

そんな試練に立たされている何百万人もの人たち。

たった一人に対しても手を差し伸べることができない。

たった一人に対しても受け入れることができない。

こういう自分であり、こういう社会になっている。


おかしすぎる「就活」という雇用社会・・・。

おかしすぎる「年金」・・・高齢者がもらい過ぎ。

ライフラインという生活の最低線の金額があまりに高い。
 
押し寄せる害獣・・・なぜ口蹄疫に感染しないのか。

中途半端に野菜や米を作ることは買うことより数倍高くつくという現実。

会社に縛られた人生。

土から離れないと、大多数の人は生きていけないという現実。

敷かれたレールの上の人生から、中途で降りなければならなかったが、結果的にそれが、今の低い安定につながっている。低いほど安定する。それは「大地と故郷」の恩恵によるところが大きい。

近代システムとは大地と故郷を破壊してきたシステムであり、現代人の人生航路はその上に敷かれている。
 
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下り坂の農業って、いいね

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何をぜいたくと思うかは、人それぞれだが、「食のぜいたく」は農家の最たるものだと思う。

これは買えないぜいたくである。
 
料理自体ははなはだ質素でも、それに大きな自己満足を感じているなら、これほど大きな喜びはない。

食べ方は生き方であり、この原点から離されるほど高齢になるとボケやすい。

高齢になってボケるのは、田舎より都会在住の方がかなり多いのではなかろうか。

田舎の人のボケが少ないと思えるのは、土(家庭菜園)と日常生活と食生活が連なっていて「分断」されていないことが要因と思う。


「自分はいまの状況に満足している」と感謝して生きると、どんな状況にあっても幸福感に満たされる」と老子は説いた。荘子と合わせ、「老荘思想」と呼ばれる。「上り坂の儒家(孔子)、下り坂の老荘」と言われるように、特にシニア世代にお勧めなのが老荘思想という。上り坂は必死で、下り坂は景色を味わいながら、ゆっくり歩いている感じです。(朝日新聞12月25日、人生の下り坂に老荘思想)

農業は、30代、40代、50代より、60代からが大いに楽しめる職業と思う。

満足して感謝しても、「安住」してはいけないと思う。


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昨晩も今晩も「ヤーコンとサラダミズナとアイスプラントのサラダ」を食べた。

真冬のサラダが「身体を冷やす」わけではない。ダイコンの千切りやキャベツを細切りしてユズドレッシングで食べることが多いし、いずれも「旬」の野菜である。

ヤーコンはいろんな食べ方があるが、千切りしてサラダにするとおいしい。この点は、納品書を書くときにワンパックの顧客に説明する必要があると思った。キクイモと並行して送るなら、キクイモは煮物や炒めものや味噌汁に使ってもらい、ヤーコンは生食サラダに使ってもらう。
 
売れ残ったアイスプラントを出荷仲間にもらったが、画像の容器で100円で売っている。春作もできるので、ぜひワンパックに入れたい。イタリア料理店には確実に売れる。

ミズナは大、中、小取りといつでも収獲でき、シャキシャキしてサラダにもなるという料理法の広さで最近とみに人気を博している野菜である。いつ頃からミズナに「しゃきしゃき感」が加わるように品種改良されたのかよく覚えていない。秋冬野菜は大型野菜が多く、ワンパックに入りきらなかったのでミズナはあまり作らなかったが、サラダにも使えるとなるとメリットは大きい。10月以降に蒔いて定植が遅くなっても成長スピードが速い。11月10日頃に定植したのがもう出荷できている。



石灰マルチ

先日、農業資材店のコメリに寄ったら、生分解性マルチも石灰マルチも置いてなく、取り寄せも難しいようだったが、直売所仲間が石灰マルチが通常の黒マルチの2倍もしない価格で売っていると教えてくれた。近い店なので買いに行こうと思う。

常々、土に戻るマルチがポリマルチの価格の2.5倍以内なら、すべて切り替えたいと思っていた。手や器具で穴開けをして破れが容易に広がらなければ十分使える。分解してしまうまでに2年ほどかかるらしいが、見た目は少々悪くても、いずれ土に戻るなら問題はない。石灰が原料だから土のPH調整もできるのではなかろうか。田んぼには石灰(苦土石灰)などはほとんど入れてこなかったが、石灰マルチは二重に役立つかもしれない。


電柵の外に定植した桑の木が何回かイノシシに掘り返されている。合計で50本以上植えているが、来春うまく育ってくれても、桑の葉が自給できるカイコ数は300頭ほどだろう。カイコは5齢になると、音をたてながら、まるで雪崩のように桑の葉を食べまくる。 
 


大規模原発=大規模農業

原発は大規模発電。水力や風力やメタンガスは小規模多数発電。

大規模だから自然災害に強いということはなく、リスク管理からいえばマイナスが多い。大規模の方が効率的に見え、より経済的に見えるだけ。

農業での大規模志向も原発と同じで、誤った方向性であり、20世紀的発想である。環境側面から考えても、農業は家庭菜園型農業で維持していくしかないと思っている。
 
農業は癒しであり、楽しめるものであり、健康であり、風景であり、自給自足であり、輪廻転生を感じることができる数少ない職業である。経済的側面だけで評価しがちであるが、それは農業の2割ほどを占める概念でしかない。

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ヤギのメイちゃん&柴犬ルンルン


メスヤギが生まれたら福島県のOさんにお送りする予定だったが、オスが2頭だったので送れなかった。そのOさんがヤギを飼い始められ、11月20日から「ヤギのメイちゃん&柴犬ルンルン」というブログも立ち上げられた。

ブログの表紙がとてもかわいい。「売り」は3つあると思う。
(1)メイちゃんとルンルンが仲良く遊んでいる姿
(2)雪
(3)背後の山や周りの風景

雪国「南会津」は福島県だが、同じ福島県でも栃木県や群馬県や新潟県に近く、原発の被害を免れた数少ない地域である。今朝の積雪は60㎝と書かれている。


12月中旬頃から3月中旬頃まで雪に埋もれてしまう南会津では、ヤギやニワトリに与える青菜の確保が難しいので大変だろうと思う。  
 

ブログを見て、かわいがって育てれば角で危害を与えることはないんだと思った。メスは除角しないで飼われている人も多い。
 
ヤギにとって「除角」という大手術は、「去勢」以上に負担がかかるように思う。角は頭蓋骨とつながっているから。


一世代前の人のヤギを飼う目的は、「ヤギの乳を飲むこと」と、「ヤギの糞尿をとること」と、「子ヤギの販売」の3つだったと思う。飼われているのはザーネン種なので将来、ヤギ乳を飲めるし、ザーネン種のオスと掛け合わせれば、生まれてくるのは純粋にザーネン種であり、ザーネン種のメスなら欲しい人がいると思う。ただ、オスが生まれた場合、当初の1~2頭なら欲しい人があっても、何年もとなると広範囲に貰い手を探す必要があるだろう。


ヤギには「腰麻痺」という病気が多いらしいが、何が原因でそうなるのかはよく知らない。放牧という飼い方だと病気は少ないように思うが、夏のハミ(マムシ)と蚊が要注意と思う。ハミは少し注意すれば防げるような気がするが、蚊は防ぎようがない。

動物病院のお世話になるような事態になればかなり費用が発生するので、よくよくの場合でなければ獣医さんの世話にはならず、運命に任せるという飼育方法を自分は取るだろう。


群を好むヤギのような家畜は、家畜福祉の観点からスイスでは2頭以上飼うことが法律で義務付けられているらしいが、メイちゃんの場合、いつもルンルンがいるので仲間がいる状態と同じと思う。


家畜が食べる青菜は半端な量ではない。ヤギ2頭とニワトリ19羽という少羽数でも驚くほどの青菜を食べる。冬場には、ハクサイ、キャベツ、ダイコン、ニンジンという4種類の野菜が欠かせないし、夏場には、エンサイとツルムラサキの2種類の葉野菜が欠かせない。ヤギの場合、山に雑木を切りに行ったり、草場に連れて行くより、飼料野菜を作った方が手間が省けるし栄養も高いと思う。

去年までは義父から大量のコゴメをもらっていたのでニワトリだけでなくヤギにも与えることができたが、今年は知人から3袋頂いただけなのでヤギに与える量はない。


ヤギはブログの画像にしばしば使えるしネタも増えるという意識が飼う動機にもなったが、ヤギ乳は飲めず、放牧だと糞尿も取れず、小屋や放牧場作りなど初期費用もかかり、世話をする時間も結構かかる。ペットという意識もなく、一世代前の人から見たら「何のために飼っているんだ」という声が聞こえてきそうだが、飼ってしまった以上、運命を共有(受容)するしかない。観光農園の駒の一つにはなっているが、今のところ観光農園の需要もない。


Oさんがヤギを飼おうとしたコンセプト(基本理念)はよく知らない。うちの子ヤギが生まれる前、ネットで子ヤギを飼ってくれる人を公募した時に、最初にメールをくれた人だった。 

インターネットにつなぐとアメショッスの銀ちゃんラムちゃんが現れるようにしているが、それにかえて「ヤギのメイちゃん&柴犬ルンルン」を壁紙に使おうというまでには至っていない。それでも、当地とは全く異質の風景や、メイちゃんとルンルンが遊んでいる様子は癒される。たびたびブログを見に行くという積極的行為はなくても、1週間に1回は見せてもらうだろう。
 
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小作料の感慨

  
  
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ここで車を止めて電柵を開けて入るが、22年前にこんな現実だったら、農業に転身できていたかどうかわからない。電柵を張ったりする能力は極めて劣るから。

イノシシが初めて当地に進撃してきたのはブログを始めた年の8月末だった。

ただ、その後の3年間は「サツマイモ畑」だけを電柵で囲えば、他の被害はなかった。

2年前の10月7日の台風の日に、サツマイモ畑以外でもかなりの被害がでて、その後、電柵ができる11月24日までの間に数回やられて、その年の秋冬野菜は壊滅状態になった。

今年の夏、草が伸びて電柵に触れて漏電し、サツマイモだけがまたやられた。電柵をしてからこっち、入られたのはこの1回だけである。

しかし現在、電柵の周囲はイノシシが激しく掘り返している。池の土手も近くの田んぼも。

奴らは雪だるま式に増え続けている。 


今はまだ出ていなくても、あと2~3年のうちに瀬戸内海沿岸部までイノシシやシカは進撃していくだろう。山から離れた場所ならいいが、山ぎわの田んぼは無防備ではできなくなる。かなりの費用(電柵設置料金)と、かなりの労力(電柵の下の草刈りもしくは除草剤散布)と、かなりの時間(定期的な見回り)が必要になる。 
 

小作料金(借地料金)の支払い

平成2年・・・・ この年にスタート。0円
平成3年・・・・ 39164円
平成4年・・・・ 39164円
平成5年・・・・ 39164円
平成6年・・・・ 39164円
平成7年・・・・ 39164円
平成8年・・・・ 39164円
平成9年・・・・ 39164円
平成10年・・・39164円 
平成11年・・・18216円
平成12年・・・18216円
平成13年・・・18216円
平成14年・・・12523円
平成15年・・・12523円
平成16年・・・12523円
平成17年・・・12523円
平成18年・・・12523円
平成19年・・・12523円
平成20年・・・12523円
平成21年・・・12523円
平成22年・・・12523円
平成23年・・・12523円
 
来年から、小作料はもういいからと言ってくださった。

感慨深いものがあるなあ・・・。

通算で493190円の支払いをしている。

スタートした翌年から22アールほど借地。

田んぼの所有者が今年から、耕作していた他の田んぼを無料で委託に出した(作ってもらうようになった)ため、当方も同じ扱いをしてくれたのだろう。

2年前からイノシシが急激に増えたため、借りた人(地域外の大農家)も対策に苦慮するだろう。稲作も大豆も無防備ではもう作れない。


当方が所有する田んぼは合計で93アールほどあり、このうち23アールは現在地の田んぼであり、これ以外の方々に散らばっている70アールの田んぼは、父が亡くなった前年(平成5年)から委託に出している。

委託しているのは同じ集落内の親戚であり、小作料(借地料)として長く4俵(240キロ)を頂いてきたが、2年前から、圃場整備している1枚が27アールの田んぼ以外の10枚(合計面積43アール)は、稲作面積を減らしたいからと戻された。
 
現在、この43アールの田んぼは10キロほど離れた地域外の人に小作料なしで作ってもらっている。集落ではもう作ってくれる人がいないから。

現在、我が集落の田んぼはだんだん地域外の農家が請け負って作り始めた。

当方が委託している農家はすでに70才を超えているので、いつまで作ってくださるかわからない。もし戻されたら、次は作ってくれる人はいないだろう。この43アールは山からかなり離れていて、イノシシやシカの被害はないが、国からもらえる補助金なしで稲作を請け負ってくれる人はもういないだろう。


圃場整備している1枚が27アールの田んぼの小作料として去年からは2俵(120キロ)頂いている。この田はイノシシやシカの被害は決して起きない田んぼ(山から1キロ以上離れた広い平野の中だから)で、稲作には優良地だが、当方が違う人から借りている22アールは来年から無料にしてもらったのに、作ってもらっている田んぼは小作料を頂くというのは矛盾する。ただ、圃場整備した優良地を集落の他の人も作ってもらっており、その人たちの意向も聞いてから考えようと思う。
 

イノシシやシカが出没する山ぎわの田んぼは、無料でも今後は誰も作ってくれないだろう。

山からかなり離れたイノシシやシカが出没しない田んぼでも、「今の補助金がなくなれば」、耕作してくれる人はなかなか見つからないだろう。

集落で法人化して「補助金の受け皿」のような稲作を画策するなら、ボクは反対する。

こんなに害獣が増えて、農業はどういう形態をとっても、いい結果にならない。
 
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今日の一日


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12月中旬以降、寒風にあたりだすと、同じように動いたつもりでも、疲れ方が大きい。今日も夕飯後、ブログの前のウオーミングアップにブログサーフィンしていたら眠くなり、起きたら9時だった。夕飯後2時間~2時間半ほど寝ることが最近多い。

夕飯のおかずはいつもと変わらなかったが、その前にケーキを食べた。苦い物(酒、ビール)はいらないが、甘い物はいくらでも食べれる。

夕飯はブリのアラとダイコンとタマネギを炊いた。それとホウレンソウのおひたし。


夕寝から覚めた時、まだ夜が長いし、何か食べようと思い、茶碗にご飯を少し入れ、温めた味噌汁をかけて食べた。

今朝は家人がいなかったので、久しぶりに味噌汁を作った。ダイコン、ニンジン、タマネギを適当に切り、水を入れて、だしの素とイリコを少々入れ、沸騰したら火を弱め、しばらくして味噌を入れ弱火にして数分煮てタマネギの茎(ネギの代用)を入れてできあがり。他に納豆と前夜のホウレンソウと、チリメンジャコに醤油をかけて食べた。 
 

ヤギにはクリスマスも正月もない。いつものように、巻かなかったキャベツ、ハクサイ1個、大きくならなかったダイコン、ニンジン2~3本をあげる。好物の穀類は与えていないので野菜、特にニンジン等で栄養をとってもらうしかない。他には雑木(主に常緑樹のどんぐり)の葉や竹の葉をあげる。購入したものは一切与えないかわりに、出荷できるような野菜も少しはあげる。

ニワトリが後回しになるのは、ヤギが感情をあらわにして要求するから。
 

朝は強い霜が降りていたが、野良着に着替えて一歩、家の外に出るまでが億劫であり、一歩出れば通常モードになって寒さはあまり気にならない。田んぼに着いたら9時だった。霜が降りた朝は9時はまだ農作業がしずらいが、ヤギの様子を見たり、ニワトリにエサを与えたり、去年の籾殻を果樹の根元にふったり剪定したりしていたら、霜が溶けて農作業や収穫作業ができるようになる。12月に入ったら葉物以外は前日の午後に収穫・仕分をしておいた方が野菜の状態がよい。 
 

ブログに合わせて体調やリズムを整え、少し緊張モードに入る。日中は当日のブログ記事のことをしばしば考える。ブログを優先しているので農作業に多少差支えもあるが、逆に、頑張れるバネにもなっているのでプラスマイナスゼロ。 

新聞を読むのもブログに似ている。明日は明日の新聞が来るので、今日の新聞は明日に持ち越せない。持ち越すことはブログをパスすることと同じで、当日の新聞はなかったも同然で、当日のブログも永遠に書けない。
 

明日は高校駅伝があるので楽しみにしている。9時半~3時頃まで。その後、大急ぎで家畜に餌を与え、ニンジンとダイコンを収穫して4時半には戸締り(電柵ゲート)をして帰り、かど先の簡易水道(山水)で洗う(直売所出荷は洗わざるをえない)。日が暮れるのは早いので5時を過ぎると仕事にならない。 

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今夏の畝間潅水の報告


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義父から、使わなくなった稲作の農具をもらってきた。「霜除け」や「1月中旬~3月中旬のヒヨドリ避け」に使う。


土木委員に畝間潅水(合計7回)の報告

8月6日 (1回目)時間帯不明        1時間半
8月9日 (2回目)4時~4時45分     45分
8月12日(3回目)3時35分~4時20分 45分
8月16日(4回目)3時35分~4時15分 40分
8月19日(5回目)5時50分~6時25分 35分
8月30日(6回目)3時55分~4時40分 45分
9月13日(7回目)5時35分~6時20分 45分

約4アールの畝間潅水は、平均45分で終わるということがわかりました。私の場合、城山の北側を流れる水路を、ある程度堰き止めしないと、竹やぶ沿いに水が流れず、水量が少ないと潅水時間も多くかかり、水も無駄になるような気がします。4アールで45分間というのは一定の水量(水の勢い)があった場合の数字です。使わせてもらえるなら水稲と同じ価格でいいと思っています。(水の必要な野菜は1枚の田んぼに集めるようにしています)。

(畝間潅水をした作物)
エンサイ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、青シソ、スイートバジル、ナスビ、ピーマン、オクラ、サトイモの9種類で、合計4アール。

来年はサトイモを少し増やし、新たにダイズ(エダマメ)を作る予定なので、2アールほど増え、畝間潅水は合計6アールほどになる。

負担金は10アールが千円なので、ごく少ないが、井戸ができてからは池の水は使わせてもらっていなかった。

今年13年ぶりに畝間潅水をさせてもらったが、井戸に比べて、費用的にも時間的にも労力的にも大変少なくてすみ、しかも作物における効果も高かった。

井戸の場合、エンジンポンプのガソリン代が結構かかるし、毎日、夕方になると1時間ほどの散水という時間と労力もかかり、効果は畝間潅水に比べてはるかに劣った。

上記9種類は全て黒マルチをしているので、なおのこと、畝間潅水の方が効果的である。


水の問題ではいろいろあって、それが井戸につながったし、池の水はあまりきれいでないという意識(水が不足した時には岡山三大河川の一つである吉井川からポンプアップできる施設ができている)もあって、使わせてもらわなかったが、今年、土木委員さんが変わったことでふと、お願いしてみようという気持ちが起きた。

瀬戸内市でも牛窓町のような野菜産地には「畑潅」が整備されていて、負担金は10アールにつき7千円である。高いように思えるが、蛇口をひねれば水が出るので、井戸からの散水に比べて、費用、時間、労力のトータルではかなり安いと思う。


当地の稲作は高齢化して、すでに数軒しか稲作をしていないし、イノシシやシカの被害が大きいので、稲作も野菜も果樹も無防備ではもう作れなくなっている。

子供の頃には池で泳いでいたきれいな水で、もちろん吉井川からのポンプアップ設備もなく休耕田もない2集落の水稲の水が、十分賄えていた(上流にダムともう一つ池がある)が、45年ほど前に上流に牧場ができ、その牧場が破たんした後、長く放置され、その後、「美しい森施設」に整備されたりして、山の生態系が変わってしまい、山の保水力も失われてしまった。

ここ50年ほどの間に日本の各地で開発の名のもとに勧められた治山治水は「開発」ではなく「自然の大破壊」だった。
地域の人がよくこれを認めたと思うが、時の権力に迎合した議員や、地域の一部の有力者の根回しや、利権がらみで押し切られてしまったのだろう。このような場合、地域での人間関係を壊してまで反対する人は少ない。原発の誘致も同じ構造だろう。

その代償は、後の世代が何代にもわたって支払わされる。

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人は何かに狂いたがっている



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20年前には、今の田んぼ風景をイメージすることなど全くできなかった。スタートして10年ほどは、目先のことだけでせいいっぱいだった。

20年前にはもちろん、「インターネット」や「ブログ」の世界など想像もしなかった。

それでも、インターネットが流布した時はまだ、さほど変化を意識していなかった。

変化を実感したのはブログが日常化してからである。

1代前の世代も、戦争を体験した後の平和な世界の享受、高度成長と、激動の人生を歩んだであろうが、自分たちの世代はインターネットが人生に大きな影響を与えている。 

1年間分のあめんぼ通信を冬の農閑期に200枚ほどにまとめ、商業出版をめざして十数社の出版社に送り続けたが、よい返事はもらえず、3年間、90冊ほどずつ自費出版(費用は90冊で約9万円)を続けた。4年目も挫折し、これからどうしようと思っていた時に、ウインドウズXPという9万円ほどのノートパソコンを紹介してもらい(当時のパソコンの先生が勧めてくれた)、その後すぐ「人気ブログランキング」という存在を知った。4ヶ月後にはブログを始めていた。

ブログという新しい目標ができた。

振り返ってみれば、抜群のタイミングだった。

ブログが浸透し始めて3~4年の頃だったと思う。

ウインドウズXPというそれまでにない高性能の機能を備えたパソコンが出て3年が経過していた。

持っていたウインドウズMEが5年目に入り、買い換えの時期が来ていた。

ノートパソコンがついに10万円を切る時代に突入していた。

そのノートパソコンは「キーボード」の高低が少なく、格段に入力しやすかった。

ブログが誰でも簡単に立ち上げれるようになっていた。ブログの立ち上げは誰の力も借りず、自分でできたくらいだから。

表紙もFC2ブログのテンプレートの中にあったサンプルから選んだ。

みるみるうちに「はまっていく」のを感じた。

それでも、始めた当初はボールペンで下書きをして清書がパソコンだった。頭に浮かんだ言葉を書くのはボールペンという長年の習性があったから。

しかし毎日更新するには、そんなことをしていたら間拍子に合わず、どうしても「いきなり入力」に変更する必要に迫られた。

切り替えなければブログができないという「強迫観念」もあったのか、1週間ほどで、下書き⇒清書から「いきなり入力」に変えることができた。

ボールペンが10本の指に変わった時、言葉が頭に浮かぶスピードと入力スピードのアンバランスに悩まされたが、それも1ヶ月もしないうちに気にならなくなった。

あれから5年と5か月ほど、今はどっぷり深みにはまっている。

これでいいのだと思っている。

家族にそれほど迷惑はかけていないし、そんなに費用がかかっているわけでもないし、農作業に支障が出ているわけでもない・・・。 

「吹けば飛ぶようなブログの画面に、賭けた命を笑わば笑え」という村田英雄の王将をよく口ずさんでいる。

もっと良い方に解釈すれば、作家の夢枕獏さんが新聞に書いていた、「人は何かに狂いたがっている。それを実現してしまった人間がうらやましいのです。ぼくは釣りに入れ込んでいますがそれは2番目。一番好きなのは今も小説を書くことです」・・・この言葉に出会った時も感激した。

農業とブログ・・・とても合っている。 

50年後の未来から見たら、今はブログの「駆け出し」にあたる年代である。この草創期に幾多の人たちがブログを楽しんでいることだろう。各ジャンルで20年ブロガーや30年ブロガーが続出する時代が来るだろう。

本とブログに優劣はない。本は長距離のマラソンであり、ブログは短距離の100m走である。同じ陸上競技でも競う世界が異なる。

インターネットという道具を手にしたおかげで、10年前には想像もできなかった「画像」や「言葉」を残すことができるようになった人も多い。自分もその恩恵を受けている一人である。 

ブログは大多数の人にとって、カネにはならないだろう。芸術?がカネになった時代が過去にあるだろうか。それは近世のごく最近のことである。 

大多数の人にとってブログは趣味や自己実現の世界なのだから、自分が楽しめて自己満足できたらそれでいい。それを見ず知らずの他の人が見てくれるということは大きな喜びである。

インターネットは「無料のツール」だからカネにするのは難しい。しかしネットショップ等で間接的に少しは収入につながるかもしれない。

目標は ささやかに「明日も元気で更新」できること。

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14年前の百姓塾の看板


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明日は冬至で、ナンキンを食べる風習があるが、韓国カボチャはナンキンというより「ズッキーニ」だから、冬至に食べても・・・?

韓国カボチャは完熟して収獲すると長期保存ができる。家畜の餌にするならいいが、販売するには「未熟の青果」を収穫してズッキーニと同じような食べ方をする。

さっきネットで検索したら、5ミリほどにスライスして塩・胡椒をして、小麦粉と溶き卵をくぐらせフライパンで焼くという料理法が多かった。

極めて多収であるが、料理法をポップで表示しなければならないような野菜は直売所では売れず、ワンパック宅配向きの野菜である。

韓国カボチャの上に見えるトウガンやソウメンナンキンも長期保存がきくが、ソウメンナンキンはナンキンよりウドンコ病に弱いので今は作っていない。



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数日前、22年目で初めて「剪定バサミ」を買った。今までは収穫バサミと鋸で済ませていた。ウオーミングアップにキーウイを剪定したが、やはり便利だった。

安い剪定バサミもたくさんあったが、「安物買いの銭失い」が多いので、今回は高いのを買った。2980円。

もうひとつ「ステンの肩掛け噴霧器5リットル入り」も買った。「除草剤用の噴霧器」と「農薬用の噴霧器」は別にするのが常識と教えられ、農薬用の噴霧器を購入した。粉剤や粒剤は使っても、希釈して使う農薬は使ったことがなかった。買おうと思ったのは、粉剤だと少量をガーゼにいれて落としても均等に落ちないし、見た目がよくないから。

家のかどまわりの除草に使っていた噴霧器は父が買っていたものだった。少なくとも22年以上前のものだが、昔の製品は性能がよい。今回買った農薬用の噴霧器も安いのはやめて、ステンの4480円のものにした。
 

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主はいないが、来春の分蜂期に備えてキンリョウヘンの世話も怠ってはいない。水やりのために物置から外に出した。1年間を通してみるとキンリョウヘンにかなりの時間をとられている。だから今は人にミツバチを勧めなくなった。 


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大きなドングリの枝を数本入れておくと、他の餌をせっつかない。ただ栄養のために野菜の葉や野菜くずは必要である。ヤギはあまり根菜を食べないが、ニンジンは好物である。

ニワトリは葉菜類も根菜類もどちらもよく食べる。ただ、カブは好物なのにダイコンは他に食べる青菜がある時は食べない。カブの方が肉質が緻密でおいしいのだろうか。

人間はカブよりダイコンの方を好むと思う。

イタリア料理店ではカブはよく使われるが、ダイコンの注文はほとんどない。

害虫はダイコンよりカブをはるかに好む。

ダイコンとカブは類縁だと思うが細部ではこれだけ異なる。 

       
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1ヶ月ほど前にダイズの作り方を教えてもらった集落の人が、来年用の種を1.5キロもくださった。ダイズにすると収穫の手間が大変なので、エダマメで出荷が終わる量だけ作る。
 
    
    
    
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美しい森」に行く道沿いにある軽四の車庫に「百姓塾」の看板を出したのは、今から14年前の農業歴8年の時だった。この看板は2万5千円で、この他に立て看板も4つ作ってもらい、これは1つが9千円で、合計で6万1千円かかった。

費用対効果を考えるなら、出費の方がかなり多い結果となった。需要が少しあったのは新聞に取り上げてもらった当初の半年間だけだった。

1年ほど経過後、4つの立て看板は納屋の奥深くにしまったが、画像の看板だけは14年前からの状態が続いている。開店休業でも取り外す気は全くない。自己満足の塊のような看板だから。

ネットショップと観光農園が、百姓塾の看板の二の舞にならなければよいが・・・。もちろんネットショップと観光農園も自己満足の最たるものだからサイトの消去はありえない。

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今日の夕飯


田舎で育ったせいか、都会には住めない。一時期、住んだことがあるが、それは若さの特権だった。ある程度、年がいくと都会や地方都市には自分は住めない。

都会はどうしても、必然的に欲望の塊になるような気がする。自然や大地から離されるとどうしてもそうなる。

田舎に住んでいたら、パチンコやゲームセンターのような刺激的な遊び場は少ないので、休息のためにカネを使うことはそう多くないと思う。

生きていくためのランニングコストが、限りなく少なくなっていることが自分に安心感を与えてくれる。

都会だったら、食事ごとに常にカネがいる。

ところが田舎ではカネを使わない朝飯や昼飯や夕飯も可能である。

旬の新鮮な野菜をいつでも十二分に食べれる状態は精神安定剤でもある。

グルメブログを見ても、旬の野菜だけを食べている自分の方がご馳走を食べていると心底思う。

今晩は、
ダイコン、ニンジン、タマネギ、ベーコンの煮物・・・前夜の残り
ホウレンソウのおひたし・・・前夜の残り
サラダ(レタス、ミズナ、アイスプラント等)・・・前夜の残り
サンマ・・・夕飯に焼いた
カリフラワー・・・もらいものを湯通しした
ダイコン・・・家人の大好物で毎日千切りにして食べている
コロッケ・・・前日買った惣菜

明日朝は、
味噌汁・・・前日の残り
カリフラワー・・・前日の残り
納豆

明日昼は、
前々夜のダイコン等の煮物に卵を1個落とし、食べて片付ける。


食べるものを購入することなく、田んぼに行けばいくらでもあるという状態は、田舎に住む特権である。都会のように食べるものを全てカネで買う必要があるなら、いくらカネを持っていても安心感は持てない。  
 
食料品はさほど買わないのでエンゲル係数も高くない。
 
もちろん、5食入りのラーメンとか、4食入りのカレーとかも常備しているし、コロッケ等の惣菜もよく購入するが、都会の人が1回の昼食に使う金額と比較すればたいした額ではない。 

夕食後に毎日キーウイを2個ずつ食べても1月末頃まである。キーウイがなくなったらハッサクが3月頃まで食べれる。

ユズ茶も2月頃まで楽しめる。 

 
口に入れる食べ物が、いつの時期でも家の軒下や田んぼにあるという現実は、高齢になればなるほど助かると思う。
年がいけばだんだん肉も食べたくなくなり、野菜中心の食生活になる。

ご馳走を食べるわけではない。ご馳走を食べたいという欲求も少ない。ただ、毎日、何らかのおひたしやサラダ野菜やシンプルな煮物があればそれでいい。家人が仕事から帰って何か1品は作るので品数も増える。

都会の1人暮らしでは、1人食べる食事は寂しいし、どうしても外食が多くなる。外食すれば1回に少なくとも500円ほどかかる。

田舎でも家族が多いと食事の用意は大変である。母は6人分の食事をよく用意していたと思う。しばしば台所に立つようになってそれを痛感する。2~3人分の食事の用意と6人分の食事の用意は全然違う。2~3人分だとメニューなど考える必要もなく、そのあたりに転がっている食材で適当に煮たりおひたしにすればいいが、6人分だと今晩は何にするかメニューが必要な気がする。
 
今は田舎でも6人以上の大家族はごく少ない。


食べることが簡単ではない都会。

食べるものが側にころがっていて、食べたいものをいつでも手にできるのが田舎。
 
ころがっている材料を見ながら何を食べようかと考える田舎に対し、都会ではメニューを決めてから必要な材料を購入する。
 
はぐくんでくれる自然と、最低限の衣食住に事欠かない生活ができれば、他に何を望む必要があるだろうか。しかし、都会の空間ではそういうわけにはいかないだろう。都会には必然的に欲望の塊となる何かが存在する。
 
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アイスプラント

 
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直売所仲間にアイスプラントというサラダ野菜をもらったので、夕方、一緒にサラダにする野菜を少し収獲して帰った。 

   
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左から、サラダミズナ、キャベツ、ロケット、ミニレタス、サラダシュンギクの5種類。


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このうちキャベツは使わずに、もらったアイスプラントを加えて、ドレッシングをかけて食べた。アイスプラントの存在感はロケットより一段と際立つ。そしておいしい。しかし作るのは難しい。

同じ人から苗ももらったのに、定植した状態からあまり大きくなっていない。その人はハウスで作っている。成育中に塩水の散水も必要であるらしい。

こういうサラダ野菜が作れたら、業務用では飛ぶように売れるだろう。現にアイスプラントだけでかなりの売上にしているらしかった。

ボクとは異次元の野菜作りをしている。ナスビ、ピーマン、キュウリ、ナンキン等の夏野菜は家庭菜園でも簡単に作れるが、秋冬野菜は難しいので、秋冬野菜の方が稼げると言う。シュンギクとホウレンソウを中心に多種類の野菜を出荷している。

技術力も販路も、その人その人によって独特なものがあり、できる人は3~4年で農業で食べれるだけの実績を残す。

3~4年のうちにそのラインに達せない人は、ボクのように何十年やっても一定の水準から進歩しない。

どこが違うのかと聞かれてもわからない。できる人に聞いてみるしかない。

勉強のできない人が、できる人を見て「何であんなにできるのだろう」と思うのと同じで、できない自分に失望することなく、できることをこつこつ続けるしかない。 

人生もそうじゃないのかなあ・・・。

  

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霜で弱っていたルバーブも今年最後の収穫をして、ルバーブのジャムを作った。

  
  
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小口切りして、目方の半分の砂糖を加え、弱火で20分ほど煮るとできあがり。5月連休明けの頃のルバーブに比べて、味も見た目も劣るが、簡単に手作りのジャムができる。

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現役40年間の自由時間、定年後15年間の自由時間


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暇な農閑期を与えてくれた万物の神に感謝!

たまにはこんな年があってもいい。ヤギを飼い始めてから農閑期にもゆっくりできたことがないから。58歳の冬。

田んぼ中で、鳥小屋に最も早く朝陽があたる。その東側でヤギは毎朝ひなたぼっこをする。今日は明日の出荷準備で ニンジンを10キロ、ダイコンを15本ほど抜いたので、かなりの量の葉を与えることができた。栄養は野菜の葉からとってもらわないと、雑木の葉からはとれないだろう。


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山仕事は今年はしないが、葉タバコ跡地の草刈りだけはしておく必要がある。今年は6月中旬に1回草刈をしているので、草があまり伸びておらず、例年より楽に刈れる。

ただ、親戚の葉タバコ跡地にも巣箱を置かせてもらっているので、2倍の20アールの草刈りが必要である。親戚の跡地は我が家の跡地の上にある。

草刈だけなら時間はかからないが、それを結束して田んぼにおろして使おうとすると、上がり下りだけでも相当の時間がかかる。まず、池の土手の刈り草をもらい、時間があれば葉タバコ跡地の草も田んぼにおろして使いたい。池のすぐ上の道には大量の落ち葉があり、これも20袋ほど田んぼに運ぶ。


26箱の空き箱があるので、今年は巣箱は作ってもらわない。これ以上作っても置く場所がない。初年度に4箱もミツバチが入ったという衝撃的な感動の余韻があるので、来春にゲットできなくても止めたりはしないし、巣箱は多少古びる程度で4年は持つと思う。


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ゲットに大きな役割をするのはやはり「キンリョウヘン」だろう。左の画像のように今は物置の中に入れて霜除けをしている。この場所は半日は陽があたる。 

今日、今週のワンパックメニュー観光農園メニューを更新した。観光農園は桜が咲く頃まで誰も来られないだろう。ワンパックメニューはかなり豊富な状態である。直売所には出しづらいがワンパックで送れる野菜はたくさんある。


直売所が全国各地にできだしてから、まだ10年にもならない。裏を返せば、この10年ほどの間に田舎でも、家庭菜園をする人が随分減った背景がある。 

稲作も激減しているし、「お飾り」も家で作らず、スーパーで購入する時代になった。

野菜を作る人が減っても、人口も減っているから、野菜が不足しているわけではない。

20年後は我が家も完全に買う立場になるだろう。2人の娘は農業に全く興味がないし、農業センスもない。このように育ってしまったのは自分の不徳の極み。

インターネットで後継を公募する方法もあるが、20~30年という長期契約となり、借りた人の権利の方が強い。

やはり、いざという時のことを考えて、子孫に「美田」を残したい。残せる財産は他に何もないから。

ただ、今は美田でも、1年間、耕作をしなかったら草山になり、元に戻すのも大変になる。竹藪から竹が道に侵入し、草刈もしなければ、田んぼまで行けれなくなる。田んぼ周辺の道は全て自分が草刈をしているから。
電柵のこともあるし、次の代は到底、ダイコン1本も作ることができないだろう。 

仕方がない。今さらどうすることもできない。

自分がしなければならないことは、田んぼの場所を教えておくことや、山の場所を教えておくこと。

とにかく、現在の田んぼの現状維持をしながら、バトンリレーができるだけ遅くなるようにする。子供も年がいけば転機が何回も訪れるだろうから。


現状維持なら少しの時間でできる。定年後に何をするか、定年までに決めておく必要がある。

農業の新しい取り組みはもうしないだろうし、技術的な追求はその方向にあまり興味がないし能力もないのでしない。

最も大事なことは高等な技術ではなく、ごく初歩的な家庭菜園の仕方を次の代に伝えていくことだと思う。

定年までに、ネットショップの現況、観光農園の現況、ヤギ、ミツバチ、カイコに関して3~5年の経験が積めそうなので、それを踏み台にして新しい何かにチャレンジできると思う。現役時代の40年間の自由時間より、定年後の15年間の自由時間の方がはるかに多いのだから。

安住はしない。安住していたらブログが続けれない。 

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風景が荒れると心もすさぶ

親が建てた家があることは、親の財産を少しずつ食いつぶしながら生きているということか。

すぐに耕作できる田んぼや農具があったということは、これも親の残した財産の食いつぶしか。

集落の人間関係も、親の残した財産か。

考えてみると、田舎には有形無形の財産がそこそこ、ころがっている。

ただ、田畑や山林はすでに財産ではない。負債というほどでもない。隣近所の田んぼが草ぼうぼうなら、自分の所の田んぼが草ぼうぼうでも何ら迷惑はかからない。単に風景が台無しなだけ。
 
農業をするなら、少しは風景もカネにしたい。少なくとも自分は「そういうふうに心がけて」、田んぼ周辺を見回している。



あかぎれ

手足は外気温に敏感に反応する。気温が下がると「あかぎれ」が生じる年齢になった。この季節になると、風呂上りに祖母がメンタム(メンソレータム)をつけていた光景を思い出す。見るからに痛そうな手だった。室内の仕事だったら年齢が上がっても「あかぎれ」とは無縁と思う。



サツマイモ

サツマイモを作ると、他の作物に比べてイノシシに狙われやすい。「匂い」でやってくるのだろう。「自家用のふかし芋」と「ワンパック用」と「焼き芋(焼き芋にすると、おいしくない芋でもおいしくなる)用」に、250株ほどはどうしても必要である。ニワトリとヤギがいるのでツルの利用価値も高い。


電柵の囲い方を変えると・・・

「あんたがはよう死んだら食べれんなるので、ニンジンとダイコンとスイカとキーウイの作り方だけは教えてもろうとかんとおえんなあ」と家人が言うので、キーウイは食べれても、他はイノシシが出るから食べれんじゃろうと話した。無防備ではもう何も口に入らない。

就農準備期間中にすでにイノシシが出没する状況であったら、農業への転身はかなり躊躇しただろう。20年後だったから、心身ともに防御できる体制ができあがっていた。定年帰農で今頃から農業を始めるなら、害獣の出没状況から考えて、大儀になる(防御してまで作るのがばかばかしくなる)かも知れない。その仕事(職業)に参入できるかどうかは「外部の状況というタイミング」も大きい。 
 
今後は、家庭菜園を始めるにも「害獣防御力」という、得意、不得意問題が浮上してハードルが高くなる。


自給用の家庭菜園だけになっても、今まで通り電柵は必要であり、朝、夕の電柵の開閉が従来通り続くなら、少しだけ多く作ってワンパック宅配用の野菜は作り続けようと思うし、ニワトリとヤギを飼い続けても、朝、夕の拘束に大差はないので飼い続ける。つまり、直売所出荷は近い将来止めるようになっても、週に4個ほどのワンパック宅配(自給野菜の延長で簡単に送れる数)、観光農園、ニワトリ、ヤギの飼育は、身体が動かなくなるまでするだろう。「半農半X」ではなく「3農7X」くらいの時間配分で。
 
道の左側の借地を返還して、当方の所有地のみに作付を縮小すれば電柵の囲い方が違ってきて、朝、夕の開閉の手間は省けるかもしれないが、そうすると乗用トラクタでの耕運は不便となり、管理機(ミニトラクタ)しか使えない。そうする選択もあるが、借地である道の左側の23アールを返還すると、稲作はされていないので、周囲の風景が台無しになってしまう。

風景が荒れると心もすさぶ。田んぼへ行く楽しみも減ってしまう。

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ボケ防止に簡素な煮物をマスターする

8時までに家庭ゴミ4袋を近くの集配所まで持っていき、昼休みに、土木委員さんに報告する今夏の「畝間潅水」の記録を書き、昼過ぎに米ヌカ12袋を農協へもらいに行き、その後、昨日に引き続いて稲わらを結束し、物置の軒下に積み重ねた。



逆境こそラッキー

ネットショップと観光農園は閑古鳥が鳴き、ワンパック宅配も少なく、直売所へ出す野菜も少ないという逆境?も、すべていい方に解釈して、他の仕事が大いに前へ進むし、忙しかったら無駄遣いも多いが、忙しくなかったら出費も少ないというふうに考える。



ブログのメール配信

ブログランキングの「温泉」というジャンルを開いたら、ブログのメール配信(メルマガ)をしている人が何人かいた。それを見て、メール配信をしてみるのも一つの手かも知れないと思った。ただ自分のブログは、全く顧客(消費者)の方へ向かず、農業者や農業希望者を意識しながら書いている。だから、顧客や将来の顧客へメール配信するのは良し悪しかなあと思う。



ボケ防止に簡素な煮物をマスターする

経済メリットだけを考えたら都市がいいが、精神バランスまで含めて考えると、還暦を過ぎたら田舎で住む方が「ボケ防止」になると思う。

ボケ防止には「食べ物」と「食べ物を自分で料理すること」と、「自然とのふれあい」の3つが特に大事と思う。人との会話やつながりは、この3つに比べたらボケ防止の効能は低い。

つまり、食べる意欲というか、食べたいという気持ちというか、食べる喜びというのは生きる上での最大の活力と思うし、それを自分で料理できるなら、ボケは近づけない。

料理は家人がしてくれるので、全然詳しくないが、サトイモやキクイモのシンプルな煮物、ダイコンの煮物(おでん風)は簡単なので自分でも作れるし、おひたしの材料(ホウレンソウ、ナバナ、ロケット、ブロッコリー)には事欠かないので、いずれか一つはテーブルに並ぶ。困った時には卵と味噌汁がある。それとタマネギを中心にした炒め物も、料理は知らなくてもできる。

ボケ防止は料理(食べ方)が一番と思う。マズローの欲求5段階説の最低位に属するが、これこそ生きていく原点と思う。

全然、豪華でなくてよい。シンプルであればあるほど身体にやさしい。豪華な食事はグルメブログで疑似体験するだけで十分満足できる。たまに食べる機会があっても毎日は欲しくない。

料理に使う原料(野菜)も自分で作るなら、ますますボケは近づけない。

大都会の人混みの中で激しい孤独を感じても、大自然の中で孤独を意識させられることはない。

ボケ防止は欲求5段階説のうち上段の4つを無視すること。まさにあべこべの発想である。最上位に位置する「自己実現の欲求」など近づけないものを追っかけていたら返ってボケてしまう。

サトイモとアゲの煮物のようなシンプルで質素な料理は、心も身体も癒してくれる。

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携帯を持たない自由

 出来事(A子はB子と遊ぼうと思い、携帯に電話したが、出ない。電話も返ってこない)→A子の考え(B子に何か悪いことをしたのかな)→気分(落ち込んだ)→行動(宿題が手につかない)。・・・友人関係でよくありそうな例をスライドで示し、講師が約40人の学生に問いかけた。(朝日新聞12月15日)

携帯を持つと、こういうことがあるのだろう。
 
人にあまり期待してはいけないし、まして強制になるようなことをしてはいけないのに、無意識にしてしまっているのが携帯だろう。


今はまだ携帯を持つ必要に迫られていない。

サラリーマンだったら持たざるをえないと思うが、農業だから、持っていなくても誰にとやかく言われるわけでもない。


どんな時間帯にでも電話が入ってきたら迷惑する。

着信とかがあって、こちらからまた電話をしなければならないのなら、もっと億劫である。

電話は昼休みの時間帯か、夜の時間帯だけでよい。

自分があまり電話をかけないせいか、人から電話があまり入らない。


パソコンのメールもこちらからは、ほとんどしない。

メールが入ってくると、返すことにエネルギーがいるので、あまり返していない。

ブログのネタになりそうでない限り、コメントにも返していない。一言返すだけでも、かなりのエネルギーがいるから。


田んぼとの往復がほとんどだから携帯はいらないが、他所で人と待ち合わせる場合は、家人の携帯を借りていく。

家人は職業上、持たざるを得ないが、携帯を肌身離さず持っているのではなく、しばしば家に置いている。

これだったら、携帯の意味はないのに。 


携帯の維持費はどれくらいかかるのか知らないが、そんなに安くはないと思う。
 
自分の場合、携帯はなくてもパソコンとデジカメは必須なので、安くついているわけではない。

デジカメは絶えず軽四に乗せているが、身につけてはいない。重く感じるから。

携帯も同じ理由で、仮に買ったとしても、身につけることはしないだろう。 


学校や会社等、何らかの組織に属していると、今の時代、携帯は半強制的であり、持たないという自由もない。

定年後、携帯から解放されて、やれやれと思っている同世代の人も多いのでなかろうか。

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黒マルチの処分

 
  
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3年間分の黒マルチを産業廃棄物処理業者に引き取ってもらった。

60キロ×1キロ(50円)=3000円、消費税込で3150円だった。引き取り料金はたいてい1キロが50円と思う。

黒マルチを買う時は、処分料金も考えて買う必要があるが、黒マルチはとても便利なので、なかなか手放せない。

生分解性マルチ(トウモロコシ等を原料にした土に戻るマルチ)が、黒マルチの2.5倍ほどなら、片付けの手間や処分料金のことも考えて生分解性マルチを買いたいと思うが、現状ではまだ4倍ほどの価格である。

4倍しても一部の作物には導入してもよいと思うが、農業資材店のコメリには売っていないし、近くの他の店でも売っておらず、生分解性マルチを買うなら通信販売しかない。

黒マルチは0.02ミリか0.03ミリの厚さなので重くないが、ブルーシートなどは重いので処分料金は安くない。

規模が大きければ、それだけ廃ポリも多くなる。

ハウスがあれば、ビニール等の処分費用も高くつくだろう。


今年は物置と納屋の片づけをするので、今日行った業者に何回かお世話になる。

何か事をおこせば「資材」を購入する事が多くなり、それが物置の一定のスペースを陣取ってしまう。

ヤギを導入すれば、ヤギ関連の資材が物置にとどまり、

ミツバチを導入すれば、ミツバチ関連の資材が物置の一角を占める。 
 


去年は元気に稲作をしていた義父だが、今年は一転、介護がいる状態となった。稲作の農具は早くも息子(妻の兄)が処分したらしい。大きな倉庫は空っぽ。
 
稲作の農具は、引退時期や、後継者問題や、処分するときの価格や、倉庫の価格等を考えたら、とても買えない(稲作はできない)のではなかろうか。

1世代前までは集落の大半の家が稲作をしていたが、次の世代になって稲作はことごとく放棄している。

稲作の農具で野菜に使えるものは何もなかった。乗用トラクターは大きすぎるし、我が家のがまだ使える。一つだけ使えると思うのは育苗(苗代)に使っていた厚手の白い覆い。ホウレンソウやサラダミズナの育苗、シュンギクの霜除けに使えるような気がするが、よく考えてもらわないと処分する時にまた費用がかかる。

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ナバナ(三陸つぼみ菜)

  
  
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9月20日に蒔き、2月末頃から収穫が始まる予定だったナバナ(三陸つぼみ菜)が、暖冬のせいか、早くもトウ立ちを始めた。

太い茎も柔らかい。

ただ、このナバナは直売所向きのナバナではない。花蕾が、花蕾より長い葉によって隠されてしまうから。
売っているナバナは、葉より上に花蕾が出ている。

このナバナは、見た感じはナバナらしくなくても、おひたしにすると量が取れるので食べ応えがある。

つまり、こういう品種はワンパック向きであり、収獲期間も長く、4月上旬頃まで収獲できる。


  
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ロケットも直売所ではほとんど売れないと思う。おひたしならホウレンソウの方がおいしいし、菜っ葉を炒めるという利用者は多くないだろうし、レタスやキャベツと生食サラダで食べるなら、量はそれほどいらない。

しかしロケットも、ワンパック宅配になると俄然、威力を発揮してくれる野菜と思う。

ロケットは大きくなった外葉から「摘み取り収穫」もできる。トウ立ちしても、トウ立ちした茎を切り取っておけば、冬中出荷できる。ホウレンソウと同じように、霜にあたればあたるほど柔らかくておいしくなる。

ロケットはイタリア料理店からの注文が多いが、画像のような大株になると出荷しづらい。ただ炒めて使う場合も多いようで、大株でもさほど問題にならないイタリア料理店もある。




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劣化したタマネギから伸びた茎も直売所では売れないが、ネギよりおいしい。これもワンパック向きの野菜である。

ただこれらは、実際に自分で食べてみて、味や利用法を確認してから送った方がよい。上記のナバナは、さっそく今日、おひたしにして食べてみた。


キクイモも直売所ではあまり売れず、ワンパック向きの野菜である。単品で煮物にしても、まことにおいしく、親しい人にあげると喜ばれる。なぜこの芋が、家庭菜園で一般化していないのか、不思議でならない。

家庭菜園ではほとんど見かけない。

多分これは農協や農業改良普及所の怠慢ではないかと思う。 売れるか売れないか、市場性があるかないかで、その野菜を判断した結果が、家庭菜園でもそのような流れになったのではなかろうか。

種苗会社にとっても、キクイモは全くメリットがないから扱いはごく小さく目立たない。

ヤーコンに関しては十数年前にブームとなったが、あまり一般化しなかった。

キクイモはこの20年ほど、ほとんど取り上げられたことはなく、今も全然話題にならない。「シンプルな煮物がおいしい」というメジャーになりえる要素を抱えているにもかかわらず。

今後も、裏街道では大輪の花を咲かすが、表参道でのデビューは無理だろう。こぶんこぶんした姿・形のせいで。

昨日の晩も、今朝も、昼も、夜もキクイモの煮物を食べたが、飽きがこないおいしさである。

キクイモはボクだけでなく、クズはニワトリが残さず食べてくれるし、葉はヤギの好物である。

皮ごと食べれるというのも、この芋の大きな特徴である。

天変地変が起こり、食うものに困り出したら、キクイモのありがたさとおいしさがわかるだろう。

春の彼岸の頃、親指の先ほどの芋を1個植えると、10月10日頃には「30倍」ほどになり11月上旬頃には「40倍」ほどになる。


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たった19羽のニワトリでも、ハクサイ1個なら4時間ほどで跡形もなく食べてしまう。これ以外の青菜をやらないなら、1日にハクサイ3個は軽く平らげてしまうだろう。ニワトリはそれくらい青菜をよく食べる。 

秋冬野菜は、ナバナを除き、11月~2月末の4ヶ月間で全て片付くように出荷する。ワンパックは2月末で終わる(10種類揃わなくなるから)ので、ワンパックだけの時はそれを徹底していた。

だから、2月末までの出荷を見通しながら、余りそうだったらニワトリやヤギに与え始める。自分の決めた価格以下で直売所に出したりはしない。 

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田舎と都会、徹底比較

 
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金柑の時だけはメスも負けてはいない。息遣いも荒くなり、頭突きを食らわされてもすぐに戻ってくる。大好物なんだ。

金柑は出荷していない。今の品種のように粒が大きくないし、あまり甘くないし、収獲が手間だし、我が家ではあまり食べないし、ヤギにあげた方がいい。


ネットショップを立ち上げるだけなら、意味がないので、人にはあまり勧めない。

ネットショップは名刺や表札のようなものだから、あれば「かっこいい」と思う。

時間的に少し余裕のある時に、ネットショップを立ち上げるだけでも立ち上げておけば、何かに利用できるかも知れない。友人や知人を介して3万円以内の予算で! これ以上の費用がかかるなら作成メリットは少ない。

ボクの場合はこの金額よりかなり安くしてもらった。通常なら、これくらいのネットショップを作成しようとすれば7~10万円は少なく見積もってもかかるのではなかろうか。 


ネットショップより、紹介や口コミの方が営業成果ははるかに高い。

自分の最大の失敗は、過去にワンパックを購入してくださった人は、現在は止められていても、一度は興味を示してくれた顧客だから、その後に、「お中元ワンパック」や「お歳暮ワンパック」のご案内のような形で、年2回ほど定期的にハガキを出し、関係を失くしてしまわない方がよかったということ・・・・。

こういう営業は顧客の新規獲得より営業成果は大きいような気がする。

出そう出そうと思いながら、つい「よだって(手間がかかったり、面倒くさがったりすること)」、出すところまでいかなかった。パソコン操作もあまり得意でなかったから。

ネットショップに続いて、過去の顧客に対してのハガキのダイレクトメールもO君の後押しで出す準備が整った。1回で終わらせるのではなく、年に2回ほど。


業務用のイタリア料理店でも、定期的に電話をして注文を伺うようにしなければ、関係はすぐに切れてしまう。
 
そのイタリア料理店の1軒から、年に4~5回ほど「ディナーのお知らせ」のような形でメールが入ってくる。ワンパック宅配でも「今月のワンパックメニュー」のような形でメール配信ができるようになれば理想的である。

ブログは先方の積極的行為を待たなければならないが、メール配信は受動的行為で見て頂けるので、この方が営業効果は高い。


直売所へ出荷するようになって始めて直売所の「厳しさ」と「不向き」を知り、またワンパックに主体を戻したいと思っている。

しかし今、両方の出荷形態が経験できていることは、大変貴重である。  


  
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病害虫のほとんどないホウレンソウに今年初めて病気らしきものが発生している。

従来とは品種を変えたからか、暖冬のせいか、草がはびこったせいか、理由はわからない。

ワンパック宅配用と、直売所用では、作る作物も、品種も、ちょっと異なる。
   
   
 
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ミカンの皮やジャガイモやダイコンの皮など、台所から出た生ごみは果樹の間に捨てている。冬は2~3ヶ月ほど、夏なら1ヶ月ほどで土に返っていく。

都会ではこんな生ごみも自分で処理できず、ゴミに出すのだろう。ペットの糞くらいはプランターの花等の肥料にしてほしいと思う。


田舎へ行ったら物価は安いし、空気はきれいだし、自然は豊かだし、暮らし安いだろうと思ったら、それは甚だしい見当違いである。

田舎では人間関係が前の世代から続いているので、冠婚葬祭費が欠かせないし、

各種物価は、田舎へ行けば行くほど都会より高くなるし、

野菜を作ろうとすれば買うより3倍以上高くつくだろうし、最低でも2ヶ月は待たなければならない。

電気、ガス、上下水道料金等は全国一律に近く、田舎で自給できるライフラインは今はほとんどない。

交通機関がなく、都会と違って車が必需品であり、維持管理費は安くない。

ライフラインに加えて、社会保険料の負担(健康保険の支払いや年金の支払い)も全国一律になっており、この面でも田舎のメリットはほとんどない。

銀行、郵便局、行政、買い物等が不便であり、時間と費用が都会に比較してかさむ。

現在では、「田舎でも自給できるものがほとんどなく」、「家庭菜園で自給しようとするとかえって高くつく」という時代である。働ける場所も限られている。 

それでもあなたは、田舎にメリットがあると思われますか。


      
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ヤギに竹を与え、葉を食べ終わったら、竹は来春のニガウリの支柱に、画像のように早くも立てた。後は4月下旬に定植するのみ。

定植はまだ4ヶ月先だが、草が生えたら鎌で刈って畝上に置き、ワラの部分に生えた草はメタン菌液肥と米ヌカで抑える。

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いま、地方で生きるということ

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熊手はさほど使わないが、鋸はしばしば、鎌とフゴは家畜に青菜を与えるため毎日使う。

農業を始めた頃には「稲わらで編んだフゴ」が家にあり、それを使っていたが、うっかり雨にあてたりして、、間もなく使えなくなり、その後は画像のような化繊のフゴを使うようになった。


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そのフゴを利用して今日は、前年の籾殻を片付けるために、果樹の根元などにふった。クン炭(焼きすくも)は今年の籾殻でないと焼けない。籾殻をふっておけば草が少し抑えれるし、生えても抜きやすい。この作業だけで今日は2キロほど歩いたと思う。

こういう作業をしなくても、青菜や餌(ニワトリ)や水を与えるために鳥小屋や放牧場まで1日に6~8往復はするので、それだけでも軽く1キロは歩くことになる。

ヤギには青菜と雑木と竹を与えるだけだから、餌代は1円もかからない。ヤギはまるでパンダのように竹の葉も好物である。
 


出荷が少ないと、農作業が大いにはかどる。全農作業時間の半分は出荷作業なので、その出荷が少ないということは出荷以外の農作業が大いに進む。出荷が少なければ収入が少なくなるが、いい方に解釈すればそれほど損失は大きくない。
 



地方で生きる

仕事は会社から、食べ物はスーパーから、水は上水道からしか得られないとしたら、もしそのチャンネルが駄目になった場合、生きてゆくこと自体が難しくなってしまう。会社から与えられなくても自分で仕事を得られるように、と思いながら辞めましたが、同じく、都市というシステムに頼り切っているのはまずいと感じていて。地方でも都会でも、おのおのが今自分のいる場所で、身近な関係の中で充実を図っていくことが大事だと思っています。『いま、地方で生きるということ』西村佳哲(働き方研究家)朝日新聞12月10日

農家の場合、上水道以外の仕事と食べ物はクリアーできている。我が家の場合は山水もあるので、上水道だけに依存はしていない。山水はペットボトルに入れて水筒がわりにしているし、家畜の飲み水に毎日持参しているし、野菜を洗う場合でも山水がないと、とても不便で高くつく。

今は田舎でも自給できるライフラインは「水(山水)」くらいしかなく、その「水」も自給できている人はかなり少なくなっているだろう。

そして種はほとんどの農家は種苗会社に依存し、F1種でない在来種を自家取りしている人はごく少ない。

現実問題として、ダイコン1本を作ることより、ダイコン1本を買う方が、3倍は安くつくだろう。定年後の農業においては、金持ちは作り、貧乏人は買うことを選択せざるをえないのが現実である。

というのは、ダイコン1本を作るには、1袋が500円ほどの種を購入し、肥料を施し、防虫ネットか農薬を購入し、水を与え、草をとり、間引き作業をして、60日間という時間の経過を待たなければならない。

水を与え、草をとり、間引き作業をして、時々見回りという時間を金銭に換算せずに、単純に必要だった「種代」と「肥料代」と「防虫ネットまたは農薬」の3項目の合計だけで、安く見積もっても2000円はかかる。週に1本(約130円)食べても11月~2月の4ヵ月間で16本ほどで2000円ですむ。

現実には、種を蒔く作業、肥料を散布する作業、防虫ネットや農薬を使用する作業、水を与える作業、草抜きをする作業、間引き作業、時々見回りをする作業、収穫して洗う作業という時間も、経済を論じる場合には金銭換算する必要があり、この時間を金銭に置き換えれば2000円×3倍=6000円内ではとても収まらない。

作ることは買うことに比べて3倍以上高くつく理由である。
  


55歳からのハローライフ(村上龍)

格差を伴った多様化によって、定年後を生き延びる戦略は個々に違ったものになる。定年後の人生は悠々自適層、中間層、貧窮層に分かれる。
定年後、どの層の人生も決して楽ではなく、ときに絶望にとらわれる。だがいずれにしろ、財政破綻寸前の国家に頼りきるリスクは大きく、サバイバルの戦略と方法は個人にゆだねられている。(山陽新聞12月9日)


妻が稼いでいるからといっても、財布は全く別である。どんぶり勘定にはしていない。それぞれが稼いだものはそれぞれの人のものである。少なくとも我が家では先代からそうだった。

だから、ボク自身の生活も甘くはない。しかし、長年の百姓生活で、少なく稼いで、少し使い、しかし充実した生活を送るという田舎暮らし術が身についている。生きていくための自分のランニングコストは限りなく少ない。だから自由度も大きい。
年間3万6千円ほどの掛け捨ての火災保険料。
年間2万円ほどの掛け捨ての生命保険料。
年間5万円ほどの固定資産税。
年間5万円ほどの交際接待費(親戚、集落)。
毎月のライフライン(割り勘で2万円×12ヶ月=24万円)。
毎月のスーパー等での買い物(1万5千円×12ヶ月=18万円)。
農業経費は農業収入から差し引かれる。
携帯電話は持っていない。
自分の小遣いは散髪代くらい。
交際費も多少あるが農業経費で落ちる交際費。
築60年の家屋だが、屋根瓦等の大きな修理がなければ費用はさほどかからない。

かかっていないようでも合計すれば60万円ほどかかっている。年金で賄える範囲と思うが、それは運よく病気をしないことが前提になる。

直売所出荷は厳しいだろうが、ワンパック宅配と観光農園で収入の道も残る。

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八塔寺のNさんを訪問


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八塔寺のNさんを訪問する時はきまって、この八塔寺川ダムに立ち寄り、周囲の風景を楽しむ。
 


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ニワトリを1400羽ほど平飼い(地べたで飼う)しているので、ここで消毒をして入る。
 
  
  
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2トン車に描かれたこのデザイン。至る所に見受けられるこの人の芸術性の高さに感心する。


 
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大阪にある自然食品の大手宅配業者へ出荷している。もちろん有機認証をかなり以前から取得している。県の認定農業者でもある。 


  
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いつ行っても、技術力の高さに圧倒される。排水が悪いので高畝にされているが、かなりの高畝である。畝立てひとつとっても、真似ができない。



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キュウリを1200本、キュウリが終わった後にその支柱やネットを利用してモロッコインゲンを400本ずつ3回ずらし蒔きをする。

そのキュウリであるが、今年は6月の水害で全滅し、その後にモロッコインゲンを蒔いたが、野ウサギの被害でモロッコインゲンもほとんど出荷できなかったようだ。
 始め、おかしいなあ、何が原因かなあと思い、糞を見てシカは電柵を飛び越えれないしと考えていたら、ウサギがぴょんぴょん跳ねているのを見つけたらしい。


 
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ピーマンも1200本の定植。自然食品の大手宅配業者の契約農家だから、作ったものを全量引き取ってくれるのかと思ったら、そうではなくて注文が入ってからの出荷らしい。

この3種類は春夏作であり、以前は秋冬作でホウレンソウを出荷していたが、今はホウレンソウの出荷はされていない。だから秋冬は卵の収入だけになる。 


  
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見事な完全無農薬、完全無化学肥料の野菜である。無農薬でも立派なのができているなあと尋ねたら、稲作の後作で田畑輪換になっているし、遅まきしたから害虫被害をまぬがれ、今年は暖冬だから、遅まきでも通常の大きさになっていると話してくれた。

肥料は飼っている鶏糞のみで、残った鶏糞は130アール(1町3反)の稲作の肥料にされている。近くの友人たちも鶏糞をもらいにきている。
  
    
    
    
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その鶏糞はとても取扱いがしやすい。理由は、鶏舎の下敷きに籾殻を活用しているからであり、3ヵ所に広い籾殻置き場がある。この大量の籾殻は自家用の2トン車で運んでいるが、かなり険しい山道を4キロほど入った深い山の中の一軒家である。 


 
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30年以上前に集落全体が「廃村」になったくらい不便な場所にあり、ここに27年前に夫婦で移り住んだ。

就農準備期間中に読んだ「百姓になるための手引き」という本でその存在を知り、まだサラリーマンをしていた頃に訪ねたのが初対面である。

1980年代後半をリードしたのが「自然食通信」なら、1990年代前半をリードしたのは、まさしく「百姓天国第1集~第10集」である。その第1集に次のような手記が載っている。
『「農業なんかで食っていけるか」という周りの声をはねのけての百姓稼業は10年目に入った。俗にいう脱サラ百姓である。大阪の北端、能勢町に始まり、今、岡山の山村で4年を経た。試行錯誤の日々は今も続いているが、夫婦のみの出発は、今、おじいちゃんも入れて6人の大家族になり、(立派に?)「農業なんか」で食っている。田畑は借地も入れて約1町。採卵用の地鶏が200羽。米は自給用のみ。無農薬野菜づくりが中心で、生産物は大阪へ出荷している。自然の生態系を壊さないような、循環型の小さな農業の確立が目標である。
 「どうして百姓になったん」、とよく聞かれるが、いつも答えに困ってしまう。今から思えば無茶な百姓志願だった。耕す土地もなく住む家もない。そのうえ農業高校は出たものの素人同然、鍬や鎌の使い方もままならない・・・』

それでもNさんには天賦の才能も備わっていたのだろう。4棟の大型鶏舎は全て本人の手作りだし、陸の孤島のような「この地」を選択したということ自体、他の人にはなかなかできない選択だろう。初めてこの地を訪問した時、でこぼこ道の片側は断崖で、何度も引き返そうと思ったほどの奥地にある。

それと、Nさんのスタートは人より10年早い。第2の人生として農業を選択する人は多いが、その多くは30代前半~後半の転身が多い。Nさんは25才で転身している。この10年の「先見の明」の差は縮まらない。


   
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石垣の上のむこうに見えるのは堆肥舎で、右は手作り鶏舎のほんの一部。

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トンネル被覆の手間を惜しむなら無農薬はできない


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オクラの後作に植えたサラダミズナは、年明け頃から出荷できそうである。
 

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もらったタマネギを定植するのに、今日の雨はいい雨だった。エンジンポンプはしまったので、火曜日に施したメタン菌液肥が雨で薄まってから定植する予定だった。

       
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物置の東側のこの場所はすでにメタン菌液肥を施し、稲わらも敷いているので、5月になったら、ニガウリ6本とシカク豆6本ほどを定植するだけに用意ができている。


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大型過ぎてワンパックで送りづらいハクサイ1個とキャベツ1個を半割して、それぞれのヤギに与えた。



出荷の帰りに寅壱により5足入り軍足、起毛ハイネック、中綿ベストを購入したら2915円かかった。

その後、すぐそばの山陽マルナカにより、アゲ、トーフ、味噌、豚肉を買い、菜飯用に「チリメンジャコ」を2袋買い、煮物と炒め物用にベーコンを買い、コロッケとサンマの惣菜を購入し、嗜好品のあんぱん等を買ったら4168円だった。

美しくラップ詰めされた豚肉を見ても、生きている姿などみじんも想像できない。スーパーの店頭に並ぶと、生き物ではなく単なる商品となってしまう。背後に隠されている命の断末魔の叫びなど知る由もない。

だからといって、肉類は食べないというわけではない。ただ、牛肉と鶏肉はほとんど買わず(料理にほとんど使わず)、300~400円ほどの豚肉を1パックだけ買って帰る。 

「Mのランチ」や「生まれる前から不眠症」、「西成おやじ必死パンチ」等のグルメブログを、ブログを書き始める前のウオーミングアップとしてよく見るが、見ても「食べたい」という欲求はあまりない。

コロッケ等の惣菜もよく購入するし、昼には前日の残り物を食べることが多いが、それでも季節の野菜がふんだんに食べれる農家の食生活は豊かだと思う。
 


先日の訪問でメタン菌液肥の師であるKさんから教えられたことが2つある。

一つは、ハクサイやキャベツは定植と同時にパオパオのような被覆資材をトンネル状にかぶせて裾に土をかけて密閉し、コオロギやダイコンサルハムシが入らないようにする。定植後1ヶ月が過ぎた10月中旬頃に取り除けば、無農薬でもいいのができる。これをしなかったら、ハクサイなどはコオロギで全滅してしまうだろうと言われた。
 
秋の3大害虫
(1)コオロギ・・・ぴょんぴょんと三段跳びで来る虫。
(2)ダイコンサルハムシ・・・ぞろぞろと這ってくる虫。
(3)キスジノミハムシ・・・直売所の出荷仲間がよく口にするが、ボクはこの害虫をよく知らない。とにかく、コオロギとダイコンサルハムシの被害があまりに大きいので、他の害虫は目に入らない。

トンネル被覆の手間を惜しむなら到底無農薬ではできない。そして作付も各200本ほどに留めておかないと、多かったら資材もたくさん必要だし、時間もかかると言われた。

そして、手間が取れないのは「あんたの作付量が多いからだ」と言われた。

現在の作付量でも多すぎるのか・・・。


もう一つは、ダイコンやカブに関しても、播種と同時に被覆資材をトンネル状にかぶせるのは無農薬でするなら当然のことであり、加えてコマツナやサラダミズナを「混播」するようにと言われた。ダイコンはこれによって必ず防げるし、うまくいけば10月中旬頃に、ダイコンの間引き菜、コマツナ、サラダミズナの3種類が同時に出荷できると教えられた。

方法は150㎝の畝に3条蒔きで、ダイコンは3粒ずつ点播し、同時にその株間に、コマツナやサラダミズナをぱらぱらっと蒔くという方法だった。

トンネル被覆は無農薬で作ろうとするなら当然のことだと言われた。

ただ、そうするには、パオパオか防虫ネットのどちらかを2巻ほど購入する必要がある。現在の在庫だけではたらない。電話をしてコメリで値段を聞いたら、
防虫ネット180幅×200m=3780円
パオパオ180幅×200m=3180円 
 

上記の方法に加え、播種予定日より1週間ほど早くコマツナ等を蒔いて、ダイコンサルハムシをおびき出して草焼きバーナーで「第1世代」を徹底的にたたき、繁殖を防ぐ。

出荷仲間からもらった草焼きバーナーがあるが、不器用なのでうまく使えるかどうか自信がない。来夏までに、高くても使いやすい草焼きバーナーを新調する必要があるかもしれない。

有機栽培をしている人は除草剤は使えないので、草焼きバーナー(いいのは2万円を超えるらしい)を活用しているようだ。



今日は雨の予報だったので、昨日、ダイコン、ニンジン、サトイモ、キクイモの4種類は収穫しておいた。だから今朝はそれ以外の葉物を収穫した。2軒だったのでもちろん午前中に終わった。

120サイズのダンボール箱は、縦33センチ、横58センチ、高さ28センチであり、手で持つ箇所に3センチ×7センチの楕円形の穴が左右2ヶ開いており、サイドには4センチ×10センチの楕円形の穴が左側面、右側面に2ヶずつ開いている。

今の時期はハクサイやキャベツ、ダイコンのような大型野菜や、ホウレンソウやロケットのような場所をとる野菜も多いので、120サイズの箱でもぎゅうぎゅうになり、上から押さえつけるようにしてガムテープで閉じる。

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野菜の単価は20年前と全く変わらない


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昨日、タマネギの苗も少し頂いた。

タマネギが草まみれになって「糸のような苗を植えた」と話したら、「ニンジンの種蒔き床の草枯らし(土が湿っている時に透明のポリをべた掛けして天日による草枯らし)をする時にどうしていっしょにしなかったのか」と聞かれた。

ニンジンの1ヶ月後に蒔くタマネギにも「草枯らし」が必須であると言うことを、ニンジンを蒔くときには忘れてしまっていた。


スーパーの野菜価格は20年前と全く変わらない。ボクも20年前と同じ価格で納品書を書いている。パート等の時間給は当時より下落しているのではなかろうか。現在、自給800円くれるところは少ないように思う。

毎年昇給があるのは正社員のみ。これでは格差は広がる一方。 


サトイモの種芋の植え方

サトイモの種芋を400個ほど植えるつもりだが、どういう植え方にしようか迷っている。
1月中に畝立てをして、米ヌカ、鶏小屋の鶏糞、消し炭、メタン菌液肥をふり、集落の出仕事で刈った土手草を集めて、畝の上に敷き詰めておくという方法にしようかと思う。通路は籾殻をふっておけばよい。4月上旬に40センチ間隔で土手草をかきわけ、手で掘って植える。・・・今のシミュレーションだとこの方法。


今晩のおかず

今晩のおかずは、ダイコン、ニンジン、ゴボウ(昨日もらったもの)、キクイモ、タマネギを適当な大きさに切り、アゲとベーコンを入れた煮物を作った。こんなのを作っておくとまた2昼夜食べれる。

キクイモはとろけるように柔らかいのに煮崩れはしない。ただ、掘り出して10日ほど経っていたので、少し皮が硬く、皮ごとは食べれなかった。しかし、口の中で容易に皮離れする。
 
病人食や老人食に最適と思うが、病院や介護老人ホームでキクイモを食べさせてくれる所があるだろうか。市場や直売所出荷には適さなくても、細かい選別をせずに病院や介護老人ホームに一定量が出せるなら、生産者にもメリットは大きい。


粘土の塊が机の上にあって、どういう形のものになるかイメージはできず、こねこねしている間に、何かの形になっていく。ブログもそんな感じ。


ネットショップオープン記念と銘打って300円引きにしても、肝心の過去の顧客はボクがブログをしていることなど知らない。やはり最初はハガキでそのことを紹介し、ブログに誘導した方がよい。

過去の顧客は一度はワンパックに興味を示してくれた顧客だから、ネットショップで「随時コース」があることを紹介したら、何割かの人はまた買って下さる。それはネットで新規の顧客をゲットするより、はるかに簡単で効果も高い。

そういうことは、頭では「わかりすぎるほどわかっているのに」、なかなか身体が動いてくれなかった。ハガキを出すことにたいそう「よだって(面倒と感じて)」、ずるずると先延ばしになり、結局出せずにおわっていた。 

そんな現況をO君がまた背中を押してくれた。
『オンラインショップ開設を知らない、以前のお客様に対してポストカードを作成して送ってみてはどうでしょう。』 

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冬の装い

   
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本家のメタンガス発生装置は冬の装いだった。

冬に温度が下がると、ガスの発生が弱くなるので、装置の周囲を踏込温床で覆う。温床の材料は、田んぼの周囲に生えている笹やカヤのような硬い雑草と落ち葉。発酵熱を出すために米ヌカを10袋投入されている。

春の苗物を作るのと同じ踏込温床で、苗物の温床には米ヌカを1袋だけ使われるようだ。25度の温度を1ヶ月間キープできるかどうかがポイントで、鶏糞のような窒素の多いものは温度が急激に上がり、下がるのも早いので、米ヌカだけがよいらしい。
   
   
   

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豚汁と胡桃入りご飯をご馳走になった。材料は、ニンジン、タマネギ、サトイモ、ダイコン、豚肉、アゲ、チクワ。

豚肉⇒味噌を入れると⇒『豚汁』

牛肉⇒醤油を入れると⇒『芋煮』


胡桃入りご飯は初めてだったが、栗ご飯と同じくらいおいしかった。普通にご飯を炊くのと同じ水加減で、胡桃と少量の塩を入れるだけ。ご飯が胡桃色になる。

白いご飯で食べるより、豆ご飯や、サトイモご飯にすることが多く、「菜飯」もよくされるらしい。ワンパックでダイコンを送るなら、必ず葉も付けてあげるようにと教えられた。
菜飯は、
(1)大さじ1ほどの油でチリメンジャコを炒める。
(2)その中にとき卵を入れいり卵にする。
(3)ダイコンの葉は、葉だけすごくようにしてとり、細かく刻んで入れる。
(4)塩、胡椒で味付け。
(5)ポイントはダイコンの葉をご飯と等量か、それ以上にたくさん入れることらしい。

  
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ガスコンロでは、「メタンガス」の炎が出ているが、ガスの火はデジカメには写らない。
  
  
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灯油ストーブは使わず、暖房は画像のような炭暖房。七輪は煮炊きの時に、ガスコンロと併用している。

炭暖房は夜中に起きた時でも台所が暖かい(消さないで灰をかぶせておく)らしい。ただ空気転換はしばしばされている。


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左からホウレンソウ、ニンジン、ゴボウ。完全無農薬、無化学肥料の野菜を自然食品店等に出荷されている。


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ゴボウを頂いて帰った。こんな作物、農業を始めてから22年間作ったことがない。


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イノシシの防御は電柵ではなく、竹や鉄柵。 

   
 
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メタン菌液肥は1荷で50リットル(25リットル×2)を担がれている。



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左の画像でわかるように、ボクの場合は1荷で36リットル(18リットル×2)を担いでいる。その差は14リットル。50リットルなど、とても担げない。天秤棒は太い竹の棒だった。木のようにしわらないし、肩にかかる表面積が多いのでいいらしい。

150㎝の畝幅(通路を入れると180㎝)で長さ20メートルの畝に2荷(100リットル)施すのが基準で、作物によって、ナタネカスを入れたり入れなかったりと、きちんと計算して施す。ボクの場合は十把一絡げになりがちなので、ここが異なる。

100リットルを施すには自分の場合、同じ畝だと3荷(36リットル×3荷=108リットル)施す必要がある。

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50年前の草刈



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時間があれば、畔草を刈って与えることもある。急ぐときはハクサイなどを丸ごと与える。通常は収獲時に出たダイコンやニンジンの葉を与える。

畔草を一度刈ると、冬の草はあまり伸びない。50年前、多くの家が1頭の使役牛を飼っていた時代に、冬の牛の餌はどう調達したのだろうか。牛はヤギと違って硬い雑木の葉は食べない。あまり記憶に残っていないが、冬の牛の餌は大半が「稲わら」ではなかっただろうか。二毛作で麦も作っていた時代なので、稲わらが終わる頃には麦わらを与えることができ、麦わらが終わる頃には、雑草の伸びが著しくなる。

そんな春夏秋冬の営みの中で、やっと1頭の牛の餌が自給できていた。

時間は現在の10分の1以下のスピードで流れていた。

手作業で刈る草刈は、マムシ等の危険性はあっただろうが、牧歌的な農作業だったに違いない。

そして草は、家畜の貴重な飼料になった。今は、草を除草剤で枯らす時代である。まさに価値が180度転換したのである。50年前はカネを出してでも、草を刈らせてもらっていた。


人糞尿も50年前は貴重な肥料だった。50年後はその処理のために、下水道という巨大な「ハコモノ」が導入され、その維持管理費のために、多くの地方公共団体は巨大な債務を背負うことになった。

そしてこの巨大な「ハコモノ」は30~40年という耐用年数の経過とともに、また新たな巨大債務を背負わせる。

この巨大なハコモノは自然に敵対しながら居座っている。大都市ならともかく、過疎の田舎にこんなハコモノはいらないのに、いったん据えつけられると原発と同じように、なくすることができない。

人糞尿はいずれまた、自然の循環のサイクルの中に取り込まなければならない時代が来る。たった50年前まで、そのような自然のサイクルの中に人糞尿は位置していた。もちろん家畜の糞尿も同じである。


自然に反するものは、いつか自然から大きなしっぺ返しをくらう。原発災害のように。


時代は大規模農業から、小規模リサイクル農業へと大きな転換期に位置している。


自分の農業の中で反自然的なものは、やはり「黒マルチ」が断トツである。これに変わるものがまだ見えてこない。

他のものは大半が自然に則している。ごく少量の農薬やごく少量の化学肥料は、自然に反しているとは思っていない。逆に、完全無農薬や完全無化学肥料には、自然はそこまで要求はしていないと感じる。

少数の家畜もいて、田んぼから出た売り物にならない野菜は全て、家畜の飼料として有益に使っている。

時々、経済という壁に打ちひしがれる時はあっても、農業を止める選択まで追い込まれることはなかった。

時代は変わり、世の中も変わる。

50年前の人から見たら、空前絶後に見えるだろう、おびただしい数のイノシシやシカの進出。

我が家を含め、集落の次の代はどういう選択をしていくだろうか。 

ボクはただ、この田んぼ風景を維持し続けていきたい。


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朝のヤギ、朝のニワトリ。

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第3号被保険者は二重にお得

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メタン菌液肥は、3月中旬に植え付けの春ジャガイモの元肥に施すまで当分使わない。3か月ほど深い眠りについて春の到来を待つ。

各種果樹には寒肥を施すが、これには鳥小屋の鶏糞を使う。1年たまれば、かなりの量になる。


害獣のすさまじい進出により、2年前の11月24日に田んぼ全体を電柵で囲んだ。こんな状況で果たして農業が続けれるだろうかと思ったが、雑草による漏電さえ注意すれば、電柵で十分防げることがわかった。

毎朝、農道のゲートを開け、夕方、戸締りをして帰るという10年前には想像もしなかったことが日課になったが、慣れるものだ。

農業を止めるわけにはいかず、慣れるしかなかったことも背景にある。 

ゲートの開閉は第一線を退いて自給用野菜だけになっても続く。これを生涯続けなければならないのなら、ニワトリやヤギを生涯飼い続ける方が簡単である。口のある生き物は、朝か夕のどちらか1回ですますこともできるから。 


 
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ハッサクは他の柑橘類の台木に多く使われる。ここにはハッサクではないミカンを植えていたが、誤って草刈機で刈ってしまい、その後、残っていた台木が大きくなり、何が生るだろうかと思っていたらハッサクだった。


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ビワは実が目的ではなく葉が目的だったが、まだ「ビワの葉茶」は飲んだことがない。その後、ビワの花は、他に花が少ない冬季に長期間ミツバチの大切な蜜源になることを知り、剪定枝はヤギの大好物であることを知った。 
 


今週のワンパック野菜と今週の観光メニューを夕方に更新した。操作がなかなか覚えれず、今日のパソコン教室でやっとできるようになった。

週に1回の更新だから、操作に慣れれば時間はそんなにかからないし、書く内容のパターンは決まっているので、内容を少し変える程度ですむ。

更新をしたら、そのことをブログに書いて、ブログ画面から今週のワンパック宅配今週の観光メニューに飛ぶような設定をすれば、検索エンジンの評価が高くなり、上の方にランクされアクセス数が多くなるので、その表示を忘れないようにとO君に言われた。

   
 
直売所へ出荷できる野菜も少なく、山仕事も今年はしない予定なので、ここ数年できなかった「家のごそごそ用」ができる。
(1)家のそばの防火用水(掘り池)の泥上げ
(2)門先へ土入れ(道路より低く、排水も悪いため)
(3)納屋の片づけ


第3号被保険者

「収めなくても、もらう時は満額ですか?」というコメントを頂きましたが、低収入による「減免措置」と異なり、払ったことになるのだから満額です。「第3号被保険者」になったという変更通知がありましたが、もらえる金額の変更はなかったです。

扶養になったことで、国民年金だけでなく国民健康保険も払わなくてよくなったので、年間合計で23万円ほどがゼロになったわけです。国民健康保険の方は所得が少なかったので減免措置があり国民年金と合わせて23万円ほどでした。

国民年金の方には減免措置はありませんでした。国民年金の方は妻の収入と合わせて評価の対象となったらしく減免措置はありませんでした。

つまり、会社員の妻(夫)などの第3号被保険者になると、国民年金も国民健康保険も支払う必要がなく、しかも、年金をもらう時に、支払ったものとみなされて、払ってもいないものをもらえるわけですから、二重にお得です。

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「いんちき」のような話じゃなあ


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9月に2回、首まで浸水したが、ニンジンは強かった。去年は発芽に失敗して、秋冬のワンパックが送れない原因の一つとなった。


今日もまた、昼間にデスクワークをした。
(1)納屋に山積みとなっている黒マルチを処分しようと、購入店に電話をしたが引き取ってくれない。ずっと以前に引き取ってもらったことのある廃棄物処理業者に電話をしたら、1キロ50円(一般的な価格)で引き取ってくれるようだ。この冬の間に片づけたい。

(2)火災保険の見直しを考え、2店に電話をした。現在は、住宅2600万、家財1600万、合計4200万の火災保険に入っており、年間の掛け捨てで3万7千円ほど支払っている。

(3)すでに25年以上使っている私室の蛍光灯が明るくないので、本体を替えようと電話をしたら、出張料や取り外し料金や本体等で3万円ほどかかるようだ。


去年、57才の時、妻の扶養控除に入った。そうすることで、妻の源泉徴収税額が少なくなるのなら助かると思った。しかし、扶養控除になることによって国民年金まで免除になるとは夢にも思わなかった。

まさに「無知の涙」だった。

そして、58才と59才の2年間でも、国民年金を払わずにすむのは助かるなあと思ったが、その後にまた仰天の事実を知った。

これを知ったら、農業仲間が憤慨するだろうから話すまいと思った。

その後の2年間を払わずにすむだけでなく、当年と過去5年間に支払った国民年金保険料の総額100万超の金額が還付になったのだ。

「いんちき」のような話じゃなあ・・・、こんなことを知ったら、そうでない立場の人は怒るだろうなあと思った。

それでも、その100万が振り込まれてきた時、これで今後5年間ほど(年金をもらうようになるまで)、食いつなげるなあと思った。

自分の農業収入は少ないが、使うことも少ないし、ライフラインは家族で割り勘にしており、自分の口座からは上下水道代金と電気代は落ちていない。自分の口座から落ちるのは固定電話代、冬の灯油代、プロパンガス代、新聞代、固定資産税、火災保険料。

夫婦2人で農業をしていたら、2人分で年間34万円ほどの国民年金保険料を支払う必要が出てくる。農業収入の多少により減免措置はあるだろうが、国民年金が払えない農業者は多いと思う。

会社員の夫を持つ専業主婦に「3号被保険者制度」があるのは、会社員の夫の厚生年金の半分は会社が負担しているから、それが配偶者の分になるということらしい。

こういう制度がいつできたのか詳しくは知らないが、このような施策は、自営業者(大半は農家)より、サラリーマンを有利に取り扱い、高度成長期に人手不足だった第2次産業、第3次産業に人口流入を促すのが目的だったのではなかろうか。

扶養になったから、60才まで国民年金を払わなくてよくなったと話したら、「いんちきのような話じゃなあ」とボクと同じことを言った親しい農業仲間に、「当年を含め過去6年間に支払った分が返ってきた」と話すことは到底できなかった。 



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黒マルチをして、劣化したタマネギの下半分を埋めていたら、画像のように1~2ヶ月でかなりおごっている。一度刈っても、左のようにまた茎が伸び始めている。  

       
 
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エンドウ類は近日中に2~3本に間引く予定。
 
    
 
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ダイコンは収穫期に入ると上半身が土の上に飛び出してくる。ニンジンは土の上には飛び出してこないのに、なぜダイコンは飛び出してくるのだろうか。  



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ルバーブ。フキのような茎を小口切りして、目方の半分の砂糖を加え、弱火で20分ほど、ことこと煮ると、酸味のあるおいしいルバーブのジャムの出来上がり。

5月連休明け頃の、野菜の種類がまだ少ない時に重宝する。収穫期は5月~6月と11月~12月10日頃の年2回。

1株で6~8株に株分けでき、11月に株分けして植えておけば、翌年の5月にはもう収獲できる。かなり強いハーブだと思う。

 
 
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左のレモンバームは強い霜にあたると枯れるが、右のコモンタイムは常緑草である。どちらも株分けでいくらでも増やせる。

 
  
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ロケットはホウレンソウにそっくりで、霜にもホウレンソウと同じくらい強い。葉をちぎってレタスやキャベツと生食サラダで食べるとおいしいが、炒めものやおひたしにも合う。
   
   
   
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池の土手まで一っ走りして、今日はドングリの葉を与えた。「山羊」というだけあって、柔らかい草より硬い木の葉のようなものを好む。2ヶ所に分けて与えるのはオスが頭突きを食らわして独り占めしようとするから。

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今晩のおかず

 
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家人が帰る前に、晩のおかずを作った。ダイコンとニンジンとタマネギを適当に切り、アゲと練り製品のヒラテンを入れて煮た。こういう煮物を作っておくと、2昼夜食べれるので、昼のおかずにも困らない。
 
そのおかずがあったので、今晩はブロッコリーを茹で、ソーセージと目玉焼きで5分もかからずに夕飯の用意ができた。

農業のいいところは、15種類ほどの野菜の中から、その日に食べたくなったものをピックアップできることである。

まだホウレンソウは食べていないし、ハクサイも食べていない。今年は暖かいので、こういう野菜がまだ欲しくない。


午後からデスクワークをした。デスクワークなど夜すればいいのに、夜はブログで悶々とした?長時間をすごすので、これ以外のデスクワークができない。
 
デスクワークの目的は、「今週のワンパック」と「今週の観光メニュー」の更新方法を覚えることだった。ブログと方法が違うので覚えづらい。土曜日に何回も教えてもらってメモも残していたのに、いざ練習しようとすると操作がわからない。
 
昨晩、O君が送ってくれた「パソコン画面に基づいて順序よく操作方法がわかるような添付ファイル」を見て操作すると、すぐに画像のアップができるようになった。

練習をしていって、わからない点を教えてもらうようにしないと、新しいことを教えてもらっただけでは、その時はわかったつもりでも、数日たつときれいさっぱり忘れている。


年金定期便専用ダイヤルに電話して、もらえる年金額の再確認をした。失業を繰り返しながらのサラリーマン生活だったので、もらえるトータルの年金は少ないが、現在の農業収入より多い。65才でなく63才からもらおうと思う。63才からもらい始めると総支給額が80才から逆転するが、80才まで生きれるとは思わない。

60才からは厚生年金の報酬比例部分と、勤めていた職種の2つの基金からも少しもらえるので、合計で年間に20万円近くもらえるようになるので、これも大いに助かる。


自分の中の漠然としていたものが、O君が背中を押してくれたおかげで、突然、「形」にすることができた。それがネットショップと観光農園だった。

形にできたことで大満足している。結果はそんなに期待しているわけではない。安住することなく次のテーマを探したい。 

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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