


出荷のない日の朝は楽しい。軽四を止めると物置の中の蚕が見える。いの一番に状況を確認し、桑の葉を収穫して、右端のように金網をのけて蚕の糞をバケツに捨て、新しい桑の葉を与える。合計で300頭はいると思う。その後、竹やぶ沿いに歩いてヤギの顔色をうかがいつつ、やっぱり山へ上がってミツバチの様子も見に行く。
数年前、桑の木をホームセンターで1本購入し、それを挿し木で増やしていたから、農業新聞で蚕の販売の記事を目にした時、飼ってみようと思った。
蚕を飼う目的で桑の木を植えたのではなく、シンボルとして桑の木が1本必要と思っただけだった。増やそうと思ったのは、果樹を植えてもカラスのエサになるだけだから各種1~2本ずつあればそれ以上はいらず、それならと桑の木を増やしていた。
蚕もヤギもミツバチも農業本体の労働を妨げる大いなる「無駄」であるが、無駄が多いほど農業本体も頑張れる。
現在は無駄であっても将来、「有機的な関連」ができる可能性も無きにしも非ず。 無駄が多すぎて「休息日」が全く持てないのは考え物だが、数多くのことを並行して進めないと新たな道は見えてこない。原発がいきなり「廃止」はできないように、いきなり他の道へは進めない。少なくとも数年の準備期間がいる。
今一番必要と思っているのは、「週に1日は農業から離れて休息日を持つ」という並行処理。ますます農業本体がおろそかになりそうだが、「多くの無駄」と「休息日」が持てないなら、新たな展開は何も期待できない。
「葉タバコ栽培」より「蚕の飼育」の方がはるかに楽しそうだが、蚕を駆逐したのは葉タバコ。その葉タバコもたった15~20年ほどで「サラリーマン稼業」に駆逐された。
牛やニワトリの歴史は結構長かったが、豚は当地では、導入から廃業までたった6年ほどの期間しかなかった。豚が加わって家畜が3頭になったと思ったら、ボクが中学校の頃には3種類ともすでに影も形もなくなっていた。
サラリーマン時代も農業に転身してからも、収入はずっと低空飛行だったから、納屋も牛小屋も豚小屋も当時のままで変わっていない。豚小屋は現在、軽四の車庫になり、鳥小屋は宅配のダンボール置き場になり、牛小屋は黒マルチ等の廃材置き場になっている。


くちなしの白い花もグイチゴも、足早に季節が過ぎ去ろうとしている。今年もゆっくりめでることも口にすることも少なく、せかされて過ぎ去ろうとしている。

カラスが狙わないので「フェイジョア」は5本も植えている。外観はアケビに似て、熟すと落下する。それを拾い集めて10日ほど「追熟」させてから食べるが、11月中旬の収穫期から2月末頃まで、キーウイと同じ期間保存できる。パイナップル風味がしておいしい。

ユズの葉をかじっていたカミキリムシ。2日前のカミキリムシとは模様が違う。