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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

想像力の欠如


年越し派遣村に集まった人たちは、震災被害者と状況はほとんど同じである。

生活保護の見直しが着手された。論議の焦点は、
(1)国と地方の負担割合
(2)不正受給のチェック強化
(3)期限つきの制度を導入
(4)最低賃金や年金額とのバランス

働けるのに生活保護を受けている人がいる・・・

自立する意欲が見られない場合は打ち切りを可能にする仕組みの導入も提案・・・

期限を設けることには慎重論が強い・・・

不正受給を減らすことも課題の一つ・・・

最低賃金や年金よりも生活保護の支給水準が高いケースもある・・・


低所得者層に対して社会は、こんなに「想像力が欠如」しているのか。

社会がますます弱肉強食になろうとしている。働きたくても働く場所がなかったり、自分に適した仕事がない場合が大半なのに。

働く場所がなくても自営ができて、年収が100万ほどになれば問題ないが、自営できる産業は限りなく少なく、農業の自営も極めて難しい。

ボクは63才からもらい始める予定の年間72万円ほどのベーシックインカムを本当に楽しみにしている。

65才まで待てば年間84万円ほどになるが、それまで待てない。

国民健康保険料等が引かれて手取りはどれくらいになるのかわからないが、それでも大いに楽しみにしている。

状況は若い人も同じと思う。働ける場所は本当に少ない。

雇用の場がないなら、自営業としての農業への転身にベーシックインカム的な支援ができないだろうか。つまり自営業の「創出」である。

抜本的な改革には、困難と思える雇用創出ではなく、農業問題と雇用問題と環境問題を同時に解決の方向にむける「自営業としての農業転身支援」しか日本の生きる道はないと思う。

農業転身支援とは最低限のベーシックインカム(年間80万円ほど)で支援することである。

しかし、特定の人をとなると事務処理があまりに煩雑である。だから老若男女が同一のベーシックインカムしかない。ベーシックインカムは震災被害者も救う。
 
財源に関してはベーシックインカムの専門家が提示している。既得権益を保護するだけのあらゆる補助金を廃止して、これらの財源をすべてベーシックインカムに振り向ける。生活保護も子ども手当もベーシックインカムに統一する。

農業は商工業のように利潤を生みだす産業ではない。500年前からさほど変わらない成育スピードであり、広い土地も必要であり、土地はせいぜい1年に2回転しかしない。

ベーシックインカムが農業への転身を促し、震災被害者を救い、あらゆる問題を解決に導く。それ以外は徹底した弱肉強食の資本主義でいいと思う。

ベーシックインカムはそれほど困難な政策ではないと思う。EU(欧州連合)ではベーシックインカム以上の社会福祉政策が充実しているのではなかろうか。

ベーシックインカムがなぜもっと新聞紙上で論議されないのか不思議である。

年金のおかげで生活ができている高齢者と同じように、若い人も年金がなければ生活ができない人が多い。そんな「想像力」も働かないのだろうか。

それは本人の努力の問題ではなく社会の在り方の問題である。


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復興にカネがかかりすぎる社会


自然災害に対して現代のシステムは復興にカネがかかりすぎる。

たとえばトイレだったら、穴を掘ったり、カメを埋めたりして、周りを囲えば、簡単なトイレができる。たまったらそれを汲み取りして、春の踏込温床に利用したり、堆肥を積む時に発熱剤として利用したり、野菜の元肥として施していた。たった50年前までは、そんな「循環」ができていた。

現在では、
(1)トイレを作ろうとすれば100万円仕事である。
(2)下水道があるなら下水道代がかかる。
(3)トイレで水を多く使うので上水道代も高くなる。
(4)下水道敷設の負担金が5%(約20万円)ほどかかる。
(5)国や県や市町村の負担は残りの95%だから、税金も多く使われる。
(6)トイレも下水道も減価償却資産だから、トイレなら15~20年の間に設備の更新を迫られ、下水道も30~40年の間に設備の更新を迫られる。
(7)すでに国や県や市町村の財政はパンク状態だから、下水道敷設は今後はあまり進まず田舎では、経費が少なくてすむ合併浄化槽に移行しつつあるようだ。

いずれにしても、下水道や合併浄化槽は「循環」のシステムではない。循環のシステムは昔の「汲み取り式便所」しかなく、結局それが、個人にも自然環境にも、最もエコなシステムだった。

現代のシステムは、トイレ一つとっても、このように厖大が費用がかかる。こんなにカネがかかると復興は簡単ではない。 

トイレの復興に60年前ならほとんど費用はかからなかった(大工さんや人夫さんに依頼しても1日でできただろう)と思うが、現代だと水洗トイレを2つ作るだけで100万円超の費用がかかる。
 
こんなことを考えれば下水道システムが果たして近代的と言えるだろうか。少なくとも田舎では大地との循環から切り離された孤立したシステムである。

そして下水道システムは30~40年後の耐用年数の到来とともに設備の更新を迫られ、次の世代の財政をますます圧迫する。



養鶏、養豚、養蚕のうち、エサが完全自給できるのは養蚕だけである。

桑が自給できる範囲内でしか蚕は飼えない。

養鶏はたった15羽ほどでもエサの自給が難しい。



ソフトバンクの孫社長は「2020年に日本の発電量に占める自然エネルギーの比率を30%に上げる必要がある。全国の休耕田・耕作放棄田の2割に大規模太陽光パネルを設置すれば5千万キロワットが賄える」と語った。

田舎の景観がどういうふうに変化するかわからないが、この案はいいと思う。今後の害獣被害のことを考えれば電柵を張り巡らせて作物を作るより太陽光発電の方がメリットは多いと思う。
 
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大地が乳を吸う


雨が降っていてもできる農作業がある。合羽を着てメタン菌液肥を4荷担いだ。

メタン菌液肥を作物の根本に施すと「濃すぎて肥料あたりする」ことがあるが、土が水分をたっぷり含んでいたり、雨が降っていたら、そのまま根元付近に施しても肥料あたりは少ない。

13本の桑の木、4本のニセアカシア、ハッサク、ビワ、フェイジョア、キーウイ、他にハーブの「ルバーブ」に施した。


雨が降り続くと、田んぼのそばの細い水路の見回りも欠かせない。落ち葉や枯草が水路のところどころをふさいで、水が田んぼの方に入り込むことがある。せき止められる場所はたいてい決まっているので、その地点だけは忘れずに見回る。この作業を怠ったら野菜の畝間に水がたまり、作物に大きな影響を及ぼす。


雨でも、村道の電柵の開閉と、ニワトリとヤギのえさやりがあるので、朝と夕方はたいてい田んぼに行く。村道といっても突き当りで、集落の人が通ることはめったにないが、家畜もいるから。

ニワトリは周囲の草を適当に刈って与え、今の時期はハチクも5~6本投げ込んでおく。自分の対応が悪かったのか、オンドリが最近特に凶暴になって襲われることが多い。向かってくるので、しばしば足で蹴っ飛ばしていたが、油断ができなくなった。棒を持って入ることもある。ハチクを与える時など、オンドリをめがけて投げつけることがある。

義父が今年から米作りを止め「コゴメ」をもらえなくなるので、ニワトリを半分の15羽ほどに減らそうと思う。秋にもらったコゴメがまもなく無くなるし、購入飼料への依存度(現在は2~3割ほど)をアップさせたくない。

ニワトリは野菜くず(野菜残渣)の処理が主目的なので、卵は食べ量を産んでくれたらよい。今後は米ぬかを主体にする。無精卵になるが、減らす時にオス2羽も手放そうと思う。ニワトリは喜んで食べてもらえる人のところに持っていく。


子ヤギ2頭は25日に引き取ってもらっていて本当によかった。晴れたのは24日、25日の2日間だけだった。雨天が続いて大半の時間を1メートル四角の小屋で過ごすには、親子3頭ではすでに狭すぎる。たった1日でも親子ともに大きなストレスになる。除角から10日しか経過していなかったし、月末まで60日間は養育した方がいいか迷ったが、天気予報も見ながら25日に引渡しができて本当によかった。

子ヤギがいなくなってオスヤギの嫉妬心も目に見えて消え、メスヤギも2日ほどで子ヤギのことを忘れたかに見え、オスヤギとの距離も縮まった。


メスヤギの乳は張っているが、飲んでくれる子ヤギはいない。たった2~3分だが左右の乳房から乳を搾っている。乳を搾る品種ではないせいか、乳頭も小さく、搾られることを嫌う。左手で首輪を持ち、ヤギの体を抱え込むようにして右手で右側の乳房を搾る。左の乳房は体を抱え込めないので搾りづらい。ポリバケツを受けたらいいのかも知れないが、コップ1杯も出ているかどうかわからない。

今はただ、地面に放出させているだけである。自分もヤギも搾り搾られることに慣れたら、そのうちポリバケツを受けることがあるかもしれない。飲んでみたいのはやまやまだが、搾るタイミング、ポリバケツを受けるタイミングのどちらも難しく、出る量も少ない。搾るのは好物の木の葉やハチクを与えて食べることに注意が向いている時である。子ヤギでもそのつど15秒ほどしか飲ませてもらえていなかった。ただ15秒が1日に何回あったのかはわからない。
 
大地が乳を吸う。大いなる浪費と見えるかもしれない。それにしてもコップ1杯のヤギ乳を飲むために何と厖大な時間を消費しなければならなかったか。
 
このヤギは乳が出る品種ではないとわかってから、乳を飲むことはあきらめていた。ただ、たとえ乳の出る品種であっても、去勢や除角、引き取り先(その後の処置)という現実を知ってから、出産は最初で最後にしようと思った。
 
ヤギは草刈効果などほとんどない。おいしい草をと日々つなぐ場所を変えるので、どの場所も中途半端にしか食べず、草刈効果はゼロに等しい。

ヤギを飼う目的をすでに見失った。しかし、飼い始めたという現実は受け入れざるをえない。70才くらいまでのヤギとの長い時間が始まった。無駄な時間になるかも知れないし、癒しの時間になるかも知れない。今はただ、その存在を受け入れるだけ。 


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「筑豊炭鉱画」世界記憶遺産に登録


「山本作兵衛」、こんな人全然知らなかった。63才から絵を描き始めた炭鉱労働者で、この人の描いた炭鉱の様子や日記がこのたび世界記憶遺産に登録されたらしい。

63才から絵を描き始めるという遅いスタートなのに、すごすぎる。昨日の朝日新聞に載っていて感動したが、今日は第1面の「天声人語」に登場し、第2面でも大きく紹介されていた。

幼少期から両親について福岡県の筑豊炭田で働いた。各地で炭鉱の閉山が相次ぐ中、作兵衛さん(1892~1984)は子孫に炭鉱のことを伝えようと63才から絵を描き始めた。92才で没するまで、日記と記憶を頼りに千点以上を残した。

記憶遺産には「アンネの日記」「フランス人権宣言」など、人類史に刻むべき文物が名を連ねる。炭鉱絵は、近代化を底辺で支えた人々を同じ目線で描いた点が評価された。日本から初めて、そうそうたる資料の仲間入りだ。早くから絵の価値を認め、とうとう世界に発信した筑豊の人たちにも、乾杯。
(朝日新聞5月28日)

炭鉱には興味があった。近くの(といっても吉井川沿いに車で1時間)柵原鉱山を何回か見学し、坑道にも入ったことがある。沿線を走る片上鉄道(今は片鉄ロマン街道という自転車道と遊歩道に整備されている)に1度は乗ろうと思ったのに、1度も乗れずに終わった。

炭鉱労働者は現代の「非正規社員」や「年越し派遣村」に通じるものがある。資本主義社会の縮図である。資本主義は一見、自由な制度に見えるが、いったん既存のレールからはずれると、元のレールに復帰するのは極めて困難である。能力の有る無しに関わらず状況は同じ。

炭鉱労働者も同じだったと思う。濃密な関係は下層社会にいけばいくほど濃くなる。貧しい人ほど他の人に施し、親切である。支配階層はそのことを熟知し、その関係を経営的にうまく利用する。

資本主義は自由なんだけれど、現実には、炭鉱労働者には他に行く場所がなかった。現代の非正規社員が正社員にほとんどなれない状況と同じ。農業のような自営業という逃げ場もごく少ない。  


   
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今年も梅漬けの季節がやってきた。今年は3年ぶりに2キロほど収穫できそうである。去年、一昨年とほとんど収穫ができなかったのは、右の画像の害虫が原因である。カイガラムシといって梅の木を好む害虫であるが、この害虫をそのままにしていたら木が枯れると聞いているのに、すでに3年越しで農薬散布するところまで手がまわらない。


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柿の木の老木をこの冬に倒した。毎年虫害が多く、たまに実がついてもカラスにやられてしまうので、若返りと低木にするために太い幹の部分だけ残した。


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ハッサクの花のつぼみが大きくなった。いい香りがして、いい蜜源でもある。ハッサクとキーウイとフェイジョアの3種類はカラスが狙わず、病害虫もほとんどなく、長期貯蔵もできるので数本植えておくと重宝する。


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ヤギは左の画像の「グイチゴ」も好物である。「グイイチゴ」と言った方がいいかもしれない。木にグイがあって口の中が痛いと思えるが、ヤギは平気である。花が終わって6月下旬頃には真っ赤なグイイチゴが鈴なりになる。この辺りではどこにでもある雑草で、もちろん食べれる。
 
    
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雨が多いが、今年はまだ病気がきていないジャガイモ。収穫まで後3週間を切った。


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キクイモが早くもこんなに大きくなった。雨が止んだら中心部の茎を止め(切り)背高にならないようにして脇芽の成長を促し、その脇芽も背高にならないように途中で切り戻す。放任していたら台風で簡単に倒れる。

ヤーコンはまだ茎が伸びていない状態。キクイモとは成育に雲泥の差がある。 



史上最高齢で世界アマチュア囲碁選手権に臨む「平田博則さん(84才)」。曰く、「囲碁には数理的な面も必要ですが、感覚的なものが重要で芸術に近い」(朝日新聞5月27日)

農業も全く同じと思う。一見、技術的なセンスが必要に思えるが文化系のセンスも必要。農業を志す人に文系、理系はほとんど関係ない。農業系の学校を出たかどうかもあまり関係ない。

農業に数学や理科が必要とも思わない。

現代においては、半分の人は農業に癒しを求めて参入すると思う。経済が伴うにこしたことはないが、二義的な問題である。

技術的なことは劣っても、農業は無茶苦茶でも半分近くは作物自身の力で成育する。いい野菜が作れなくても、直接の顧客(ワンパック宅配)があるなら、農業はまわっていく。つまり「売る能力」は農業においては技術と同じくらい重要である。

理系のセンスがなくても、文系のセンスがあれば、農業が楽しめる。農業の楽しみ方は人それぞれである。

ただ、理系の能力がないと収入にはつながりにくい。農業を始めて3~4年のうちに、その人が農業で稼げる収入はだいたい見えてくると思う。稼ぐ能力が少ないと認識させられても、その収入の範囲内で何とか生活がまわっていくなら、農業は続けれる。

理系センスはゼロだが、同業者に比べてトータルで農業能力が劣っていると思ったことはない。伸ばしたい方向が違うし、興味のある方向が違うし、大切だと思う視点が違うだけ。農業に癒されているし、農業がおもしろい。

農業の技術的側面にはあまリ向かない(能力がない)ので、それ以外のことに目を向けてきた。

農業はどんな人をも受け入れてくれる万能型の職業だと思う。ただ、これを実現するにはベーシックインカム(現役世代の年金)がないと難しい。

この国には今、生きていくうえでの「最低限の保障」が全くない。だからこそベーシックインカムで最低限の保障がなされるべきだと考える。ベーシックインカムがあれば被災地の現役世代はどんなに助かるだろう。

最低限の保障(ゆりかごから墓場まで一定年金を支給)があれば、 
(1)いざとなれば農業を逃げ場にできる。
(2)自給自足的な生活も選択肢に加えることができる。
(3)自営業も視野に入り雇用問題が解決に向かう。
(4)少数の大規模農家だけでなく、小さな個人農業が増え、環境的にはいい方向に向かう。大規模農家はどうしても反環境的な農業になりやすい。
(5)小規模農家が増えれば、気象等のリスクも軽減される。
(6)資本主義社会(雇用社会)からの逃げ場となる職業(自営業や農業)が成り立たないなら「健全な社会」は保てない。 

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「ハチク」の竹の子

    

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梅雨のように雨がよく降ると思ったら、梅雨入りが発表された。この状況ではタマネギの収穫ができないし、ナンキン類の敷き藁も急ぐ必要があるが、明日、明後日も雨の予報。
 
エンサイ、ツルムラサキ、オクラを蒔き直してからまた気温が下がり、月曜日に蒔いたエンサイがやっと半分ほど発芽した。ツルムラサキはまだ土をもたげてもいない。

この予報を見て、サツマイモ(紫芋)の挿し木をした。この紫芋は早生品種なので苗が早く摘み取れる。「すいおう」や「高系14号」は6月中旬にならないと摘み取れない。

画像はおいしそうに「ハチク」の竹の子を食べるヤギ。竹藪沿いの道には5月下旬になるとこんな風に竹の子がいっぱい生えてくる。孟宗竹の竹の子に比べて細く食べやすいのか、ヤギの好物である。ニワトリはヤギ以上に好物で、「ハチク」には産卵促進剤でも入っているのかと思えるほど産卵率が上がる。

ワンパックの出荷にタイミングが合えば送るが、多くはニワトリとヤギの口にはいる。
 
本来ならイノシシと競争になるが、雨天が多いせいか次から次へとたくさん出て、イノシシが食べきれないようだ。シカは竹の子でもワラビでも先っぽだけを遊び半分のように食べる。

そのイノシシであるが、電柵の下の草がすぐに伸びて漏電が多いが、イノシシにはまだ入られていない。多分、田んぼより山や竹やぶの中においしい物(竹の子)がいっぱいだから入ってこない。サツマイモの収穫期が最も危ない。シカは電柵を4段にしているので入らない。シカは冬はホウレンソウや麦を好み、今の時期はジャガイモの葉を好むので油断はできない。

電柵の下だけは漏電防止に除草剤を使おうと思ったが、子ヤギがいて使えなかったのと、除草剤という一手間が面倒で結局去年も春先に1回使っただけだった。

今日の農業新聞に漏電の他に「放電」のことが出ていて、電気にもからきし弱い自分は放電?と思って読んだら、電柵の線の結び方(つなぎ方)によって、そこから「電気が逃げていく」と書いてあった。「紐結び」も極めて弱い部分である。だから自分にできる防御策は、
(1)イノシシの好きな作物は作付を最小限にする。
(2)電気柵と山との間の緩衝地帯を広く取る。
(3)電柵の周囲の草はよく刈って漏電防止と見晴らしをよくする。



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先週は気温が上がりメタン菌が活発になった。メタン菌は35度の時、最もよく活動する。米ヌカとナタネカスがもり上がっているのはガス(メタンガス)が発生しているからだと思う。

温度が上がるこれからは仕込んでから2週間ほどで使えるようになるが、液肥がたくさん必要になるのは黒マルチを張る前の4月で、5月中旬を過ぎるとあまり必要でなくなる。これからは果樹の根元等に使う。

500リットルタンクが2個と50リットルタンクが8個あるが、500リットルタンクが2個あれば十分だと思う。1度に担ぐのを4荷ほどにとどめるなら楽しく担げる。液肥は「果報は寝て待て」を絵に描いたような肥料である。 
  

 
今日の朝日新聞によると、原発が集中する若狭湾にも「天正大地震の津波文献」があることがわかったが、関西電力は「文献などからも周辺で津波による大きな被害記録はありません」と説明してきた。

天正大地震は1586年に発生し、ポルトガル人宣教師フロイスの「日本史」の文献に、現在の若狭湾にあたる場所で「山と思われるほど大きな波に襲われ、引き際に家屋も男女もさらっていってしまった」と記載している。  
 

米国のミズーリ州で竜巻の大きな被害が発生しているが、当方の田んぼでも2回起きている。どちらも夜間に生じたもので、朝見たらハクサイの霜よけにしていた黒い寒冷紗が見当たらない。抑えに瓦も置いていたのに。さんざん探したがキツネにつままれたように見当たらなかった。その後かなりの日数が経過してから、お墓の上の山に寒冷紗がまきあげられているのを見つけた。10メートルほどの寒冷紗だったのに。もう1回は、霜よけにしていたパオパオというべた掛け資材が池の土手の上の木に引っ掛かっているのを見つけた。距離にして200メートル以上も空中をさまよったことになる。その場所にもしハウスがあったらどうなっていただろう。


桑の木13本とニセアカシアの木4本が順調に成育している。桑の木は蚕とヤギ用。ニセアカシアはミツバチの蜜源用とヤギ用。

日本を代表する木といえば「桜」であるが「桑」もその次くらいに位置すると思う。桑は葉タバコによって駆逐された。葉タバコもたった15~20年ほどで、ほとんどの農家が止めていった。

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ミツバチを意識しながら毎日すごす

分蜂期は4月中旬~5月中旬の1ヶ月間ほどであるが、この1ヶ月のために11ヶ月の準備期間がいる

巣箱の置き場所

巣箱を置く数

巣箱の春夏秋冬の太陽のあたり具合

巣箱周辺の草木の状態

キンリョウヘンを分蜂期に合わせてきちんと咲かす

周辺の農家の農薬や除草剤散布の状況

半径2.5キロ以内に同好の士がいるかどうか。いれば蜜源の競合になる

住処を探す探索蜂は分蜂期だけでなく、1年中探し続けている

ミツバチのための山仕事(山整備)は注意する必要がある

山仕事で出た雑木は頻繁に焼くとミツバチに影響が出る

近くの同好の士の現場をできるだけ多く見せて頂き、話を聞かせてもらう

新しい巣箱なら1年は風雨にさらして風化させる必要があると思った

ミツバチがゲットできていないなら「野生のエルザ」であり、ゲットできたら「家畜のエルザ」になるが、どちらの状態もあまり差はない。ミツバチの群が半径2.5キロの範囲内にどれだけ存在するかが重要

採蜜して食べることより、ミツバチの見回りができることにより高い価値をおいている

蜜源作物を作るのは手間だが、地域の蜜源樹木は知っておく必要がある

ミツバチのことを毎日意識しながら過ごすことが来春のゲットに有効だと思う
 
ミツバチのことを考えながら里山歩きをする

今年1群もゲットできなかったことは将来にとって大きな意義がある

ミツバチを想い続ける気持ちが途切れなければ、いつかまたミツバチをゲットできる

1群も4群も見回りに大差はない。1群も15群も見回りに大差はない

空箱の時は、大きな黒蟻、大きな蜘蛛、ムカデ、ヤモリの4種類に注意

入っている時は、巣門で待ち伏せするカマキリ、巣門近くの蜘蛛の巣を払うために見回る

8月盆明け~11月上旬頃まで襲ってくるスズメバチにはペットボトルの罠を仕掛ける
 
なぜミツバチのことをそんなに思うのか

20年間、ミツバチのことを全く何も知らなかったから
 
西洋ミツバチと日本ミツバチの違いも知らなかったから

始めてゲットした時の感動が忘れられないから



分蜂期が終わったので、1群だけ残っている巣箱の内見をした。

麦わら帽子につけた防御ネットをかぶり、手には厚手のゴム手袋という出で立ち。

小雨が降っていたし、夕方だったので、蜂の出入りが少ないし、分蜂期も終わったので巣箱の中の様子を確認しておく必要があった。

門番の蜂も10匹ほどいたが、巣箱の一番下の開閉扉をゆっくり、そろ~りと開けた。

中には巣くずもほとんど落ちてなく、死んでいる蜂も1匹もいなかった。デジカメで写すと中が暗いのでフラッシュが出て、ミツバチに刺激を与えてしまうので、今日は手鏡で見ようとしたが、うまく見えなかった。だから箱の底からのぞくようにしてみたが、貯蜜は巣箱の台座近くまではまだ伸びてきていないようだった。

1年と1ヶ月が過ぎて、まだ1回も採蜜をしたことがないのに、この群はあまり貯蜜をしない。箱も4.5段(0.5段は開閉扉のついた箱)のままで重箱を増やせれていない。

採蜜は横取りになるので時期を選ぶ必要があるが、巣箱の台座近くまで貯蜜が伸びてきたら、梅雨明けする7月20日頃までなら採蜜し、それ以後だったら今年も採蜜はしない。


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こんな風景が最後となった


記憶に残らない1日であっても、印象に残る1日であっても、今日感じたことは今日何らかの形で残さないと、明日にはもう記憶が薄れてしまう。

ブログに出会えたから残せるようになった。必要にせまられて(都市宅配のため)始めたミニコミ(あめんぼ通信)であるが、十数年の間にいつのまにか作文が習慣になり、単なる自己満足であるが、ブログに結実できたと思う。
 
何をやっても続かなかったのに信じられない。ヤギやミツバチや農業よりもブログを大切にしている。

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こんな風景が最後となった。

平和な日々は長くは続かない。自分には2頭飼うのが限界だった。寂しいというより大きな安堵感だった。

昼食後、崩れるように横になり、目が覚めたら2時だった。


まだ現役だから収入にもっと目を向ける必要がある。ただ、ヤギもミツバチもこの年齢だから手を出すことができ、投資できる多少の余裕も生じ、かなりの時間をまわすことができた。55才より若ければできていないと思うし、逆に60才を超えていれば、手を出すエネルギーが少なくなっていたかもしれない。まさにぎりぎりのタイミングだった。

貴重な経験だったが、頭でよく考えたらこういう結果が見通せたと思う。しかし計画的だったら飼えなかった。いきあたりばったりの「勢い」という衝動があったから飼い始めることができた。

子ヤギをもらってきて2年4ヶ月が経過するまで「乳を飲むことの現実」を身体で把握できていなかった。ヤギを飼うことはできても、乳を飲むまでに至る能力は明らかに欠けていた。


今日は60才前後の4人の方が子ヤギを迎えに来てくださった。 地域の村おこしの人たちである。1人ではなくたくさんの方がヤギの世話をされている。

 
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こんなヤギさんが迎えてくれた。ものすごく人なつっこい。入るとすぐに寄ってきてしきりに愛想をふりまき、手などを甘噛みしてくれた。警戒して近寄らないものだと思っていたが違った。
 
地域の小学校の子どもたちがつけた名札も首にかかっている。表情から、かわいがられて大事にされている様子が伝わってきた。高低差はないが面積は当方の放牧場よりかなり広いし、雨の日でもゆったりと過ごせる大きな小屋(家)もある。

      
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上の小屋(家)に入る予定だったが、家主さんが数日留守で、数日間はこちらの放牧場で過ごすことになった。つまり、放牧場が2ヶ所ある。

こちらの放牧場は10アール以上の広い田んぼであり、周囲は電柵で囲んである。ハウスの支柱にブルーシートをかぶせた小屋があり、これが寝床で広いので、雨の日でもこの中で遊べる。うちと同じ1メートル四角の小屋も2つ作られている。

こういうところにもらわれていって2頭は幸せである。こっちの放牧場には柵がないので、数日間は鎖につながれる状態だが、かかわっている人やそのお孫さんたちが来てスキンシップをしてくれる。


当方では2頭の子ヤギは放し飼いで、なかなか捕まえれなかったが、休みの日に家人が行くと、子ヤギの方から寄ってくると言う。そして今日も、引き取りに来られた村おこしのメンバーの一人に子ヤギが近寄るのを目の当たりにした。

毎日世話をしている自分には近寄らず、家人や初めての人に近寄っていくという現実。これは自分がゆったりと子ヤギに接することをせず「急いで用事をすますような感覚」で接していたからだと思う。痛切なしっぺ返しだったが、目線を同じにして「近寄っていくのではなく子ヤギが来るのを待つ」という姿勢がとれなかった。

次々とやってくる日々の作業をこなすのが忙しく、ペットという感覚もなかった。あくまで家畜だった。

家畜とゆっくり接することはできなかったが、家畜が喜ぶだろうと思って毎日外に連れ出した。ただ、外に連れ出す時でも途中でオスヤギががんと足を突っ張って動かなくなっても、力づくで目的地まで早く引っ張ろうとし、ヤギが動き出すのを待つ余裕はもてなかった。

つまり、ヤギに対する気の使い方の方向性が違った。 

家から近いので、時々見させてもらおうと思う。近くにこんなネットワークができて心強い。 

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最後の団らん

    
  
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明日になれば永遠の別れがやってくることを、子ヤギも母ヤギも知らない。

母ヤギは2日ほどは大いに寂しがるだろう。

子ヤギは2頭いっしょだし、若いから、新しい環境にすぐに慣れるだろう。

今日は少し感傷的な気分になった。


除角の時のつんざくような声を子ヤギが発することはないだろうが、軽四に乗せられていくのを見たら母ヤギはどう思うだろう。

メスヤギを種付けに連れて行くために軽四に乗せた時は、オスヤギが異常な興奮状態に陥った。それは初めて見る光景だった。いつもいっしょだったのに、片方だけが残されたせいかも知れない。

牛や豚をたくさん飼えばこういう経験はしばしばあるだろうが、自分にとっては最初で最後の経験である。

それでも、「肉になることがわかって」見送りをするのではなく、他所で飼ってもらうのだから、そう悲哀に思うことはない。
 

どちらもオスだから、兄弟だけどいずれ「決闘」があるかもしれない。決闘があったとしても、うまく折り合いをつけて同居してほしい。 

子ヤギを見送ってどんな心境の変化があるか、明日が終わってみないとわからない。
 
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蚕の卵を注文


去年おもしろかったので、今年も蚕を注文した。

購入先は群馬県蚕糸技術センターで、品種は、
(1)世紀21・・・・・・1が(1000円)
(2)ぐんま黄金・・・・1が(1000円)

去年の購入先は京都の塩野屋だった。初心者の場合は、ここで購入すると育て方のパンフレットがついてわかりやすく、桑の葉も同封されているし、繭は黄色でとてもきれいだった。蚕の卵数は12個ほどと少ないが、初心者の場合はこれくらいの数がちょうどいいと思った。

今年は2品種を100頭ほどずつ飼ってみたかったので、1が(400~500個の卵)単位で送られてくる群馬県蚕糸技術センターを選択した。

卵は3人ほどで分けようと思っている。蚕を飼うことに何の目的もないが、3人集まればそれぞれ利用の仕方も異なるし情報交換もできる。

ただ、桑の木が1本はないと蚕は飼えない。

蚕は桑の葉を収穫して与えるだけで、手間はほとんどかからず、成長過程が意外と癒しになった。2ヶ月ほどで卵から蚕、繭、蛾になって生命が尽きる。 
 

去年、とても参考になったのはネットで見つけた下記の2つだが、特に蚕観察日記がわかりやすかった。
(1)蚕観察日記
(2)大野城市 蚕を飼育しています

去年でだいたい様子がわかったので、今年は家ではなく田んぼの物置で飼おうと思う。「ネズミ」と「テン」の被害がちょっと心配だが多分大丈夫だろう。10月上旬までの4ヵ月間で2回転させる予定。

去年、卵で越冬したのを部屋の中に置いていたが、1週間ほど前に見たら、孵化しているようだった。気づくのが遅く「蛾死」したかもしれない。きちんと冷蔵庫に入れておくべきだった。


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牛の除角や去勢はどんな現実なのだろうか。ヤギの除角から考えさせられた。家畜の肉を食べることや家畜の乳を飲むことは、こういう現実を越えていくことなんだと考えさせられた。

牛にはもうひとつ「鼻輪」という苦痛の現実がある。  


傘をさしてミツバチの巣箱置き場を一周しながら、 
(1)冬に15本ほどの大木を切り倒したこと
(2)山仕事で出た雑木を毎日のように放牧場で焼いたこと
(3)葉タバコ跡地の上の親戚の葉タバコ跡地も10アールほど整備したこと
これらの環境の変化はミツバチに大きな影響を与えたかも知れないと思った。 

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「まねる力」は農業で最も必要とされる能力

  
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エンサイ、ツルムラサキ、オクラの3種類を今日、蒔き直した。

16日に蒔いて19日に発芽が失敗したのを認識し、20日の夜に農業仲間に電話をしたら種が残っていると言われたので21日にもらい容器に入れて一晩吸水させ今日蒔いた。

この3種類に青シソ、スイートバジルを加えた5種類が7月~9月の主要な出荷なので、これ以上に遅れることも失敗することもできない。

通信販売で再注文すれば1週間ほどかかるし、市販の種にはいい品種がない。だから農業仲間に予備があって本当に助かった。そして、今からだとオクラは直播に、ツルムラサキは種が多いので直播とポット育苗の両建てに、エンサイはポット育苗にしたらいいと教えてくれた。


週に1日くらいは農休日にしたいが、1日も休めない。作付面積は他の農業者に比べてかなり少ないのに休めない。身体の動かし方にロスが多いのか、家畜の世話に時間をかけすぎか。年齢的なことも少しあるが、能力の問題が大きい。


「まねる力」がない。まねる力があればとっくに安定した農業をしていると思う。人の田んぼを見せてもらっても、まねる力がなければ同じようにすることはできない。人の田んぼを見れば、まねれるかどうかは農業初心者でもある程度は判断ができるのではなかろうか。「まねる力」は農業で最も必要とされる能力だと思う。

田んぼで育つ野菜は自分以上でも自分以下でもない。限りなく自分自身を反映する。

ここ15年ほど、ほとんど進歩していない。努力をしなかったわけではないが、農業技術が上がらなかった。

技術が上がらなくても、ワンパック宅配ならできた。 


どうしても受け入れたくないこともある。しかし、受け入れざるをえないこともある。そんな場合、やはり日数がかかる。かなり日数が経過してやっと受容に向かう気持ちが少しずつ生じる。

いかなる場合でも神にすがったりはしない。神は何の役にも立たないことを父の生き方から逆説的に学んだ。父は宗教が趣味のような人だった。

こんな時は自分以外の何かのことに気持ちを向けるしかない。夢中になれることがなくても田んぼにいれば忘れられる。

震災では最後のより所である田んぼや海も奪われたのだから、身の置き場もない。

 
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すでにカウントダウンが始まって後2日。母ヤギにとって「別れは突然にやってくる」。

朝9時頃に引き取りに来られるが、当日は一緒についていって様子を見させてもらおうと思う。 

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キンリョウヘンは5月、6月の成育が特に大切

 
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25日に引き取ってもらうことになった。愛らしい画像をアップできるのも後5日間。半分は寂しいが、半分は安堵している。

子ヤギはつないでいないので、これ以上おいていたら桑などの大事な作物の被害が大きくなる。3月31日生まれの55日養育。草木の食いっぷりもよい。

除角のダメージも回復しつつあるし、とにかく2頭いっしょだから新天地にもすぐに慣れるだろう。同じような放牧場があり当地から3キロほどだから環境も変わらない。

村おこしネットワークの人たちで飼ってもらえるので、目になってくれる人も多いし、近くの小学校の生徒も楽しみにしてくれているようだ。すぐに名前もつけてもらえるだろう。先方には2才ほどのメスヤギが2頭いて、婿殿としてもらわれていく。

オスだから除角が必要だった。この出来事が「ヤギからの撤退」の気持ちを起こさせた。残る2頭のうち1頭がいつ亡くなっても相棒はもう導入しない。


ヤギを導入して2年と4ヶ月。この間、ヤギに振り回されて、ほとんどどこへも出かけることができなかった。だからちょっと距離を置きたい。

今日の朝日新聞に「日本の棚田百選」に選ばれている美咲町の大垪和西棚田の田植え風景が載っていた。棚田めぐりをもう3年もしていない。気持ちを切り替える意味で今年は行きたい。

大垪和西棚田周辺には、大垪和西の他に3ヵ所の「日本の棚田百選」に選ばれている棚田があり、農家民宿の「園田ファーム」に1泊して、田植え後と、彼岸花の咲く稲刈り前の棚田をドライブするのを楽しみにしていた。

田植え後の4ヶ所の棚田はまさに「日本の原風景」といえる。もしお泊りをご希望なら園田ファーム(0867-28-4808)へ電話してみてください。その農家民宿から4つの棚田はどれも30分以内で行けるし、特に棚田の夕日がすばらしい。
園田ファームの住所は、岡山県久米郡久米南町上籾359 
1泊2食付で5500円です。料理も楽しみで、風呂もあり、一昔前の隠居部屋のような離れで泊ります。1日1家族(1人もしくは1グループ)だけの受け入れという対応もうれしいです。


日本ミツバチの分蜂期も終わった。お世話になった木工作家とスロー人さんに報告の電話を入れた。結局今年は1群も取れなかったが、そんなにショックはない。

半径2.5キロの範囲内に住み、山中の大木の祠(ほこら)で増殖し、また来春この山に戻ってきてほしい。4月20日~5月20日の1ヵ月間は愛鳥週間ならぬ愛蜂週間だった。それは木の上に巣箱を設置するか、木の根元に巣箱を設置するかの違いしかない。そして備え付けた巣箱を気に入ってくれるかどうかは、野鳥もしくはミツバチに聞いてみるしかない。
 
市販している板は防腐剤を散布している可能性が高く、1年は風雨にさらした方がいいらしい。

スロー人さんに、とにかくこの1年は「キンリョウヘン」に力を入れて育てることだと指摘された。
(1)5月、6月に来春に咲く「花芽」ができるから、この2ヶ月の成育が特に大切。
(2)5月、6月はたっぷり太陽にあてて管理すること。盛夏は半日陰に移し、9月中旬頃からまたたっぷり太陽にあてる。
(3)あまり細かく株を分割すると花芽がつくまでに3年ほどかかってしまう。
(4)花芽ができる5月、6月は株分けは控えて9月に株分けした方がよいと言われたが、時期的には花の時期が終わる(ミツバチの分蜂期が終わる)5月下旬にしたくなるが、この点は?
(5)5月、6月はたっぷり肥料を与え、肥料を与えたら毎日欠かさず水やりをして、根が肥料あたりしないようにする。休眠期の7月、8月は肥料はやらず、秋になったらまた5月、6月のような管理をする。

以前に、グーグルで「キンリョウヘンの育て方」として検索したが、具体的な説明がある記述を見つけることができなかった。

鉢の土の入れ替えは、底に軽石の大きいのを置き、その上に鹿沼土を入れ、その上に旧鉢から取り出したキンリョウヘンの土を少し払いながら置き、その周囲と鉢の上にも鹿沼土を置いた。水はけがよくて水もちもよく空気の流通する土がいいらしい。 


木工作家はこの分蜂期に2群ゲットして合計で3群になった。越冬した1群が昨日分蜂し、その蜂球をいったん巣箱に入れたが、その中には女王バチが入っておらず、再度できた蜂球を取り込んだらその中には女王バチがいた(はっきり確認できたらしい)が、今朝見たら逃げられていたらしい。

それでも3群もいれば見回りが楽しみになると思う。
  
  

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5月16日に蒔いた、エンサイ、ツルムラサキ、モロヘイヤ、オクラの発芽失敗。何をやっているんだ。明日中に蒔き直しするつもり、
今まで5月3日蒔きでは失敗したことが何回かあったが、5月15日以降蒔きで失敗したことはなかったのに。高温になりすぎたことが原因だったようだ。情けない。



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ウリバエと寒さ避けにパオパオをかぶせていたが、今日取り除いた。すでにツルが伸び始めており、大急ぎで周辺の草刈りをして、ナンキンのまわりに敷いた。黒マルチをしているのでもう1~2日遅れればこちらも焼けていた可能性がある。ナンキン、韓国カボチャ、トウガン、スイカは危機一髪だった。


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あいまいな日本の私

 
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こんな時こそ「皇室関連費用の削減」を提案したい。皇室関連費用は年間にどれくらいの金額が計上されているのだろうか。グーグルで検索したら1年間に200億円程度らしい。

国の一大事が生じた場合、英国だったら必ず王室関連費用の削減が浮上する。


ノーベル賞作家の大江健三郎さんは最近とみに政治的発信をされている。原発問題でもしかり。
『私の終わり近い文筆生活で、いまでも国の内外で引用される言葉は「あいまいな日本の私」ですが、まだ収束もおぼつかないのにフクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私たちに、はたして未来はあるでしょうか?』(朝日新聞5月18日、一部抜粋)

同じくノーベル賞作家の川端康成さんは「美しい日本の私」と言っていた。

今の日本の田畑は荒れ放題。全然美しいとは思わない。そして「道路」と「ハコモノ」の建設で大借金を作ってしまったのが長期の自民党政権である。

一人頭800万円以上の借金を支払うためには、とにかく「経済成長が必須」らしい。そんな目的の経済成長になぜつき合わされなければならないのか。

このまま経済が停滞したら、いつまでたっても一人頭800万超の借金は払えない。

この国の民主主義では、この借金の問題は解決できないだろう。政治がとにかく劣化している。

中国の一つの省か、アメリカの一つの州に組み込まれた方が、経済的には恵まれるのではなかろうか。愛国心や自尊心より、貧乏人は明日の経済の方が大事である。


午前中、青シソ70本ほどとスイートバジルを60本ほど定植した。11時頃、120幅の黒マルチとマルチ止めを買いに農業資材店へ行き、帰りにスーパーで買い物をして帰った。

午後、ナバナの黒マルチを1列片づけて、メタン菌液肥を1荷担ぎ、黒マルチを張った。そこにミニレタスとサラダ菜を定植したかったが時間が取れなかった。

午前中に定植した苗物に夕方また水をやり、その株元にフォース粒剤というネキリムシ防除の農薬を少量ずつ落とした。

田んぼから帰る前に初物のスナップエンドウとエンドウを少し収穫した。成り具合を見て、明日はワンパックが送れると思い、夜、顧客に電話を入れた。県内なら午後1時までに宅急便の営業所へ持ち込むと当日中に届く。明日の出荷野菜は、
エンドウ・・・1単位250円×3単位=750円
スナップエンドウ・・・1単位250円×2単位=500円
新タマネギ(葉つき)・・・1個50円×10個=500円
レタス・・・2個200円
春キャベツ(小)・・・2個150円
チンゲンサイ・・・1単位200円
サラダシュンギク・・・1単位100円
サニーレタス・・・1個100円(サービス品)
ハーブティ用ハーブ・・・セイジ、レモンタイム、アップルミント、レモンバーム(サービス品)
合計2400円+送料800円=3200円。100サイズの箱を使うことはなく、個人用は全て120サイズの箱で送っている。ワンパックの価格は3200円を上限にしている。
箱に隙間ができるかどうかは、長年やっているので勘でわかる。 
    
    
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同じく25箱ほど設置している木工作家は16日に2箱目をゲットした。今回はキンリョウヘンの威力をまざまざと見せつけられたようだ。なかなか入らないのでキンリョウヘンを違う巣箱の前に置いたら当日の夕方4時に入ったと言われる。1箱目は納屋の中に設置した巣箱で、今回は同じく屋根のある資材置き場の中に設置した巣箱だったらしい。

画像はボクのキンリョウヘン。今年は1鉢しか花が咲かず残りの11鉢は出番がなかった。

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ささやかな日常

    
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ささいな日常が取り戻せるなら、それだけでいい。

3日目の今日はだいぶ元気になった。

大好きだった頭突きも、一方が自粛して空中で(直前に)頭突きを止める。まるで相手の痛さがわかっているみたいに。

「1週間くらいで精神的ショックから立ち直ると思います」というコメントを頂いたが、25日の引き渡し予定日は、状況を見て2~3日先延ばしになるかも知れない。


ささやかな日常も取り戻せない震災被害の人たち。

復興に莫大な金額がかかってしまう現代という時代。こんな状況では大多数の人は元通りに戻れない。

自然災害においては、家だけでなく、田んぼや漁場も大きな被害を受けて簡単には元に戻せない。

政策のスピードも上がらない。これは現政権のせいではなく日本的システムの問題と思う。戦後65年が経過しても「民主主義」が醸成されてこなかった。

結局、立ち直るには自分自身に頼るしかないが、震災で家も土地も失った。


自分は家も耕す土地もあるが、日々の生活に追われている。働いても働いてもその日暮らしの状況から抜け出せない。一生抜け出せないだろう。

それでもささやかな日常が自転車操業でまわっていくなら、かなり恵まれた状況であると思っている。

震災や失業に遭遇するとささやかな日常も崩れる。いったん崩れたら現代社会では谷底へ突き落とされる。

誰も救いの手は差し伸べてくれない。誰も差し伸べれる状況にない。もちろん神のおかげなどあるわけがない。

絶望から立ち直れるのは、「少しの金額で日々の生活が回っていくと想像できる時」。

雇用されなくても「最低限の定期収入が見込める時」。


自然災害や失業に対して、あまりにもリスクが大きい社会になった。

失業によっても人は奈落の底に突き落とされる。

現代の雇用制度は、士農工商の身分制度があった近世以前の世界と比較しても、経済的にはより厳しい面がある。身分制度の時代には最低限の自給自足的生活は「自然の恵み」で何とかまわっていったが、現代の雇用制度の元では自給自足的生活自体が立ちいかなくなった。一昔前には貧乏人は買わずに自給したが、現代社会では自給しようとすると3倍ほど高くつくので貧乏人は買うことを選択するしかない。

現代の資本主義社会では、最低限度の生活の保障はベーシックインカム(現役世代の年金)しかない。欧米ではベーシックインカムはないが、それ以上の社会保障政策が日本と異なり段違いに充実した福祉国家である。

世代間格差を取り戻すにも「ゆりかごから墓場まで」、1人年間80万ほどのベーシックインカムの権利を勝ち取るしかない。

ベーシックインカムは高度資本主義社会における「現役帰農」を促し、「大地への回帰」、「自然環境へのアプローチ」、「雇用制度からの脱出」という人間性回復のための大きなインパクトになる。


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ヒモケイトウ・オオイヌタデが除染作物として有望

 
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画像の白い花は雑草化しているカモミール。タマネギのコンパニオンプランツとして有名なハーブだが効果は? いったん種を落とすとカモミールは至る所で雑草化する。

それでもカモミールは小菊のごとくきれいなので満開にして種を落とさせ来年も楽しむ。不耕起ならもちろん、数回耕起してもかなり発芽する。


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雑草化するキクイモ。これは去年のキクイモ跡地。指の先ほどの芋の切れ端からたくさんの芽が出る。
 

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雑草化するアカザ。アカザはおひたしにして食べれる(少し硬い)と聞いて去年もらってきて植えたら、今年早くも至る所で雑草化している。アカザは背高になり茎が硬いので「杖(つえ)」になる雑草としても有名。


『ヨウ素、セシウム、ストロンチウムの放射性物質を多く吸収、蓄積しやすい植物として、ヒマワリとアマランサスが除染作物として有望らしい。

野生植物でも同様の実験を行ったところ、アマランサス属の野生種であるアオケイトウ、ヒモケイトウの方が栽培種のアマランサスよりもセシウムの蓄積量が多いことが分かった。

ストロンチウムに関しては、タデ科の野生植物オオイヌタデが栽培作物も含めた全体の中で飛び抜けて蓄積量が多かった。』
(農業新聞5月13日)

ヒモケイトウやオオイヌタデも雑草化するが、カモミールと同じく花としても見応えがある。
 


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去年青シソを植えていた場所で、こぼれ種から発芽したのを5センチポットに鉢上げして育苗中。

なおスイートバジルは稲の苗箱にばら蒔きしたのを5センチポットに鉢上げして育苗中であるが、先行して購入苗を既に定植しているが、そのうちの半分40本ほどがネキリムシ(ヨトウムシ)の被害にあった。

ツルナシインゲンも半分以上がヨトウムシの被害にあったので、今度何か定植するときは「ネキリムシ防除」の薬剤を使おうと思う。

去年、青シソを定植した時もかなりヨトウムシにやられた。ヨトウムシは田んぼによって大発生することがあり、予備苗を半分ほど用意しても足らなくなることがある。
  

    
   
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昨日、ヤギの除角をしてもらった。除角がこんなにもヤギに負担を負わせるものだったとは想像もしなかった。ボクもかなりダメージを受けて農作業をする気になれなかった。

もう2度と出産に立ち会うことはないだろう。

1頭の子ヤギが身を挺して教えてくれた。

除角は去勢ほど簡単ではなかった。

かなりの出血、あやまりながら押さえ続けた。角は頭蓋骨とつながっていてショック死する場合もあるらしい。

もう2度と子ヤギの画像は写すまいと昨日は思ったのに、この現実を伝えようと思った。

「2020年、日本農業史にヤギが復活」と何度か書いたが、全く自分の誤りだった。こんなにもヤギに負担を強いることが広がるはずはない。

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「警戒区域」家畜の餓死

  
 
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東日本大震災発生前、20キロ圏内には、
牛、約3500頭
豚、約3万頭
鶏、約68万羽
馬、約100頭
がいたが、多くが餌や水を得られずに餓死したとみられる。

農水省によると、警戒区域設定後に同県が調査したところ、牛約1300頭、豚約200頭の生存が確認された。

警戒区域に残る家畜について、所有する農家の同意を得たうえで安楽死とするよう福島県知事に指示した。原子力災害対策特別措置法に基づく指示。
(朝日新聞5月13日) 

ボクだったら、たとえ犯罪であっても、ヤギ2頭とニワトリ28羽は山に放って避難した。少数だったら可能である。放していなかったらニワトリは確実に蛾死する。ヤギは追いつめられたら脱柵し、里山周辺で野生化していくだろう。

鶏・・・68万羽の餓死。ほとんどが大羽数のケージ飼いだろうから、放置すれば蛾死しかない。

牛・・・3500頭のうち1300頭は生存。避難する前に放たれた牛だろう。ただ、生存が確認された牛も「警戒区域設定後に同県が調査したところ」と書いてあるだけで、調査の日付も公表されていない。

豚・・・3万頭のうち200頭しか生存が確認されていない。豚は牛以上に多頭数飼いが進んでいる。3万頭はいったい「何軒」で飼われていたのだろうか。
 
現代は「畜産の現場」が一般の人の目に触れることが本当に少なくなった。命の現場をみることもできない。

以前、人気のない市街地を牛が走り回っている様子がテレビで放映されたが、避難する前に放たれた牛だろう。


蛾死とは、あまりにむごい。

避難指示が出た後、すぐにこういう現実を想像したが、新聞の公表は、2ヶ月も過ぎた今頃になってから。

それでも朝日新聞には震災前に20キロ圏内で飼われていたそれぞれの家畜の数が出ていたが、もっと具体的に書かなければならないはずの農業新聞には「同圏内には牛約1300頭と豚約200頭が生きていると推定される」と書いてあるだけで、震災前の頭数も出ておらず、扱いもごく小さく、どこに書いているのか、何回も見直してやっと見つけたくらいの小さい記事だった。


蛾死する現実はわかりきっていたはずだから、何とか打つ手はなかったのだろうか。同じように家畜を飼う者として腹立たしい。

ペットのことはすでに何回も新聞に出ていたのに。

放射線を浴びた家畜の肉を販売することは不可能とすぐにわかっていたはずだから、もっと早く「安楽死」の道を選択してあげるべきだった。蛾死するのを見殺しにするのではなく住民の避難と時を同じくして「安楽死」の選択ができなかっただろうか。


口のある生き物は、たくさんは飼えないと思う。いざという時に、自分の手におえる範囲の羽数や頭数しか飼えないのではなかろうか。

家人に時々それを聞かれる。「あんたが急に死んだらニワトリとヤギをどうするかきちんと書いといて」。
   

ニワトリはYさんに連絡すれば処分先へ持って行ってくれる。少羽数だから時間もかからない。ただしその間の「エサやりと水やり」を忘れないように。オンドリは危ないから棒を持って入るように。

ヤギは市役所の産業振興課か家畜保健所に聞いて安楽死の道を模索して。ヤギを飼っている人が引き取ってくれる可能性は少ない。自分の寿命が尽きる前にヤギに死んでもらおうと思ったら、60才を超えたらヤギの導入や出産は控えざるをえない。


鳥インフルエンザや口蹄疫では、国が損害を補償して飼育者がリスクを負うようになっていない。これでは「大羽数飼い」や「多頭数飼い」という家畜福祉や環境に反する飼い方の見直しは進まない。

「大羽数飼い」や「多頭数飼い」における自然災害のリスクも今後は考える必要がある。

これらのリスクは飼育者が背負うべきものではなかろうか。
「リスク分散」や「家畜福祉」の観点から、そして「環境問題」や「食の安全性」や「飼料の自給」の側面からも、小規模飼育が21世紀の趨勢である。
 


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「待ち受け箱」の基本形

 
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当地で住ごすのは後10日ほど。先方でもこういう飼い方をしてくださる。2頭いっしょだから心強いはず。

すでに草をよく食べるし、コゴメも母ヤギを押しのけて食べる。それでも乳離れはまだしていない。乳を飲むときは必ず2頭いっしょであり、母ヤギが特有の鳴き声を発すると2頭が全速で走り寄って2つの乳房に吸い付く。ただし20秒ほどしか飲ませてもらえない。




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放牧場は青々としていても、ヤギは糞尿のかかった草は食べない。雨で流亡していると思うが食べようとしない。

  
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雨が多いせいか、いまだに竹の子が出る。4月上旬がかなり低温だったせいもあるが、例年なら4月末には孟宗竹の竹の子は終わるのに、今年はいまだに出ている。 

ヤギはそれほど食べないが、ニワトリは大好物なので、全部ニワトリにあげた。竹の子を与えると産卵率がかなりアップするような気がする。

残したい竹の子もあるが、掘らなければいずれイノシシが食べてしまうので、掘ってニワトリに与えている。


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これが「待ち受け箱」の基本形。

ブロックを2つ置き、その上にコンテナ(収穫容器)を置き、その上に置き台を置き、その上に巣門の付いた2分の1のサイズの箱を置き、その上に通常の巣箱を2つ置き、その上にベニヤ板をかぶせ、その上からふたをして、その上にレンガを置き、その上に雨よけの波板をかぶせ、マイカ線かPPバンドでこれらを締めて完了。
なお、巣箱と巣箱はガムテープで留めてもいいし、留めなくてもいいと思う。

木工作家の場合、これらをすべて分割し、
置き台・・・1000円
巣門の開閉扉のついた2分の1の巣箱・・・1000円
通常の巣箱・・・1箱1000円(3箱ついて3000円)
ふた・・・1000円 
これら合計で6000円で売っているが、個別でも売っている。もちろん仕様説明書付きで、初歩的な飼い方のパンフレットも付きます。巣箱をご希望の方はメールを頂ければご紹介致します。県外なら送料込みで8000~8500円ほどになると思います。

巣門は高さ6ミリ×幅12センチ
板厚は15ミリ
1箱の高さは14センチ(巣門の扉のついた箱は7センチ)
正方形で内径24センチ(外径は27センチ) 
 
なお、待ち受け箱は1箱はずして2.5箱で待ち受け、入ったら状況を見ながら1箱挿入し、最終的には4.5段、もしくは5.5段にして、最上段の1箱が年に1回採蜜できる。ただし、初年度は採蜜しない方がいいらしい。

待ち受け箱の中は空洞です。

材木が新しいと中が匂うので、3ヶ月以上前から設置して野ざらしにしておいた方がいいようだ。来年の分蜂期までこの状態にしておこうと思う。

今年の新バージョンの巣箱は、夏の暑さ対策のために縦穴も1ヶ所つけてくれているが、待ち受け箱の場合は、下部の横穴の出入口が一つあればいいので、今日、すべての縦穴をふさいで回った。材木が新しく、箱の中が匂うので縦穴も開けていたが、去年は縦穴のあいていない巣箱に4つ入ったので、同じようにした。

いよいよ、分蜂期の旬は残り1週間ほど。自分なりに勝負をかけた2年め(当地で養えると思った最大限の箱数を設置した)であるが、仮に1箱もゲットできなくても、森林整備等を含めベストを尽くしたので悔いはない。1群残っているし、来春に捲土重来を期する。

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ダンボールの注文


今日で3日連続の雨。

昨日の朝、水路をせき止める落ち葉や枯れ草の掃除をしておけばよかったのに、たいした雨にはならないだろうと自己判断していたら、昨晩大雨が降り、せき止められた水路から田んぼの方に水が入り、水浸しになっていた。

こういうパターンが自分の場合は多い。

すぐに水路のポイント(ゴミがたまる場所は決まっている)の落ち葉を岸に引き上げ、水が下方へ流れるようにした。


ヤギは火曜、水曜と外に出せなかったので、小雨だったが今朝は1時間ほど外に出した。


4月18日に挿し木をしたサツマイモの購入苗は、やはり早すぎたのか、寒冷紗をかぶせていたが3分の2ほどしか活着しなかった。冷床の自家育苗の苗が6月10日頃には切り取れるだろう。


雨前の月曜日に施したメタン菌液肥は、雨で流亡してしまった。急用ができて雨前に黒マルチを張る所まで進めなかった。もう一度液肥を施す必要があるが、この3日間の連続雨で、乾くまでしばらく田んぼに入れない。

電熱マットを敷いて蒔く予定だったエンサイ、ツルムラサキ、オクラは忙しくてまだ蒔いていない。明日から雨が上がる予報なので、15日の日曜日までに蒔きたい。
エンサイ・・・144穴の発砲スチロールの連結ポットに2ケース
ツルムラサキ・・・144穴の発砲スチロールの連結ポットに2ケース
オクラ・・・5センチポットに250ポットほど


昨日、久しぶりに120サイズ(単価150円)のダンボールを250枚注文した。

1回の注文単位は最低200枚から受け付けてもらっている。

年間を通して100サイズを使うことは少なく、業務用も含めてほとんど120サイズを使っている。

120サイズは、縦33センチ、横58センチ、高さ28センチの箱を使っている。サイドに3センチ×7センチの楕円形の手で持つ穴が2つ開いてあり、もう一方のサイドには4センチ×10センチの空気穴が2×2開いている。空気穴は大きい方が夏に蒸れない。

盛夏でもクール宅配便は使ったことがないが、問題が生じたことはない。

120サイズのダンボールは、平成19年までは1枚が120円だったが、平成20年に1枚が130円になり、平成21年には1枚が150円に値上がりした。原料の原油価格が値上がりしたことが直接の原因だが、自分の注文数も少なくなっているので値段交渉ができなかった。

宅急便の運賃もそれまでは回数券だったが、現在は口座引き落としとなり、ワンパックの送料は740円に値上がりした。送るワンパック数がかなり減っているので、こちらも値段交渉はできない。ワンパックの送り先のほとんどが神戸と大阪市内である。

ダンボール代150円+運賃740円=890円であるが、送料は800円負担してもらっている。90円の赤字になったが、900円から800円に下げていたので、今さらまた900円にアップは言い出しづらい。

振り込み手数料は数年前から、先方負担にしてもらっているので、この変動はない。


ワンパックから直売所出荷へ切り替えようと思ったが、直売所出荷は1回出荷しても手取り5000円にはなかなかならず、ワンパックなら2パック送れば自分の取り分は4800円になる。ワンパックは平均して中身2400円+送料800円=3200円だから。

ワンパックと直売所出荷を並行するようになって1年半がくるが、やってみて、ワンパックの方がメリットが多いと思った。

直売所出荷の1単位の価格はだいたい100~120円で、50単位売れても5~6千円。それから15%の販売手数料を取られる。袋代も1枚2円×60単位=120円ほどがそのつど費用として発生する。外観(見栄え)もよくないと売れない。

ワンパックなら、その時期のものを10~14種類ほど箱詰めすればよく、袋詰めはせず新聞紙を利用し、外観もあまり問題にならない。箱に隙間ができれば、ハーブや多量に収穫できた野菜をサービス品して3~4種類入れても手間はそう変わらないので、顧客にもメリットが大きい。

ただ、現役をそんなに長く続ける予定はないので、ワンパックの営業はしないで、現在の顧客を大切にしたい。

ワンパック歴は20年を超えたが、直売所出荷はまだ1年半であり、自分の中でまだ納得できていない。

現役を退いても自給用の野菜は止めることはないし、自給野菜を作るなら朝夕の電柵の開閉も続く。電柵の開閉という一手間が欠かせないなら、ニワトリを飼い続けても負担はそう変わらないし、ヤギも寿命まで飼い続ける。

それなら、自給野菜、ハーブ、ニワトリ、ヤギ、ミツバチ、里山歩きを組み合わせて、あまり労せずに観光農業ができ、多少でも収入につなげることができる。


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「三陸海岸大津波」増刷15万部

    
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雨だったから、小屋の中にいた。

村道の電柵を開閉し、ヤギの顔色をうかがい、ニワトリにエサを与えるとすぐに家に戻った。

夕方5時、ニワトリにエサを与え、ヤギにも草を与え、傘をさして巣箱も見て回った。電柵を閉めて帰った。


『2006年に死去した作家吉村昭さんが40年前に発表した記録文学「三陸海岸大津波」が東日本大震災後に全国から注文が相次ぎ、この2か月間で15万部を増刷している。
吉村さんは昭和40年代、三陸海岸で明治から昭和にかけての津波を取材。生存者の証言などから「三陸海岸大津波」を著した。
災害時に飛び交った様々な流言飛語を取材した「関東大震災」も東日本大震災後に3万部を増刷しているという。

これらの印税を、妻で芥川賞作家の津村節子さんは被災地の岩手県田野畑村に全額寄付している。田野畑村は少年たちの集団自殺をテーマにした吉村さんの初期の小説「星への旅」の舞台になった地。吉村さんは同村の名誉町民でもあった。

津村さんによると、吉村さんは「津波の被害を受けても、結局は海岸に街ができてしまうんだよな」と口にしていたという。津村さんは「作品に創作は含まれておらず、今読んでも臨場感がある。津波の恐ろしさに対する警告や、被災地の復興の参考になればうれしい」と話している。』(朝日新聞5月10日)

ボクはこういう本があることも、三陸を襲ったこんな大津波があったことも、東日本大震災が発生するまで知らなかった。

新聞は大半が「後追い報道」であり、「先行き報道」はほとんどない。先行き報道はいろんな横槍が入るし、正確性も欠くからだろうが、事後報道ではあまり価値がない。  

今回の大震災は、地震学会の怠慢であり、東京電力の怠慢であり、政府の怠慢であり、マスコミの怠慢が複合的に絡んだ人災だった。そして結局、責任は誰もとらない。

日本が加害者である第2次世界大戦に至った経緯も、ドイツのように追求されることもなく、それが戦後の民主主義の発展を決定的に阻害し、現在に引き継がれている。そして、広島や長崎を強調することで加害者というより被害者のような心境になっている。世界初の原子爆弾の悲劇が、なぜ原子力発電の抑制につながらなかったのだろう。

三陸海岸大津波が近世に入ってからでもこれだけ頻発しているのに「想定外」という言葉は通用しない。

見直すには費用がかかりすぎた
原発立地に絡む政官業の癒着
原発は周辺に多くの仕事を提供してきた
原発は地元に莫大なカネを落とす

資本主義とは弱肉強食だから、被害にあえば単なる被害損のみ。以前の生活に戻すのに1千万~3千万も必要なら、多くの人はあきらめざるをえない。300万~500万ほどで元通りの生活に戻れるような社会でないと、生きていくことが厳しい。

いったい誰に助けを求めたらいいのか。兄弟も親戚も同じように被災している可能性が高い。

ホームレスの人はホームレスを続けるしかないという、現代日本は底なし沼の資本主義である。東日本大震災の被災者もまさに同じ状況。

「年越し派遣村」はいつのまにか新聞紙上から姿を消し、今年は「年越し震災村」で終始するだろう。年越し派遣村は深く静かに潜行し、日の目も見ない。
 
どんなに厳しい経済状況でも年に5千円~1万円なら、何回かに分けて義捐金を送ることもできる。そして1年に5万円~10万円はできなくても、10年間にわたって5万円~10万円なら、しようという意思があればできる。


今日の朝日新聞のオピニオンで宇宙飛行士の山崎直子さんがいいことを述べられていた。『25年前のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故は打ち上げ73秒後に爆発し、搭乗員全員が死亡した。原因究明と再発防止のため大統領直属の委員会が作られ、そこにノーベル物理学賞を朝永振一郎氏とともに受けたリチャード・ファイマン氏がいた。氏は事故原因を固体ロケットブースターの継ぎ目のゴム製オーリングが低温で硬化して弾力性を失うことにあったと突き止めただけでなく、真の原因が、組織の評価をあげようとして安全性の基準をゆるめてしまう組織体質にあることを指摘する「シャトルの信頼性に関する個人的見解」を委員会に提出した。この見解は正式報告書に入れることを拒まれ、「付録F」として報告書に添付されることになった。後に、これこそチャレンジャー事故の最も本質的な背景をつづった文書として有名になり、私にとってもバイブルとなっている文書である。事故の前、NASA幹部は宇宙船も人命も失われる大事故の発生確率は10万分の1と計算していた。現場のエンジニアは100分の1ぐらいと見積もっていた。「付録F」はこう締めくくられている。「技術が成功するためには、対面よりも現実が優先されなければならない。何故なら自然は騙せないからだ」。今回の大震災でも、原子力発電所など巨大システムの安全性が問題になっている。過去の事例から学び、今後への教訓に繋がることを願っている』

アメリカの民主主義だからここまで解明できた。
今回の原発被害責任は、戦争に至った究明と同じく、結局深くは追及されずに終わる。そして形を変えた新たな被害がまた発生する。

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来月からまた違った一歩を

 
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2回目の分蜂は今日もなかった。午後6時がまわってから、巣箱の中の様子をデジカメで写してみたが、この画像では近日中に分蜂があるかどうかわからない。

明日から3日間は雨の予報なので、次に分蜂があるとすれば13日の金曜日以降。



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キンリョウヘンは咲いたが、ミツバチの気配もない。 

今季は1群もゲットできないかも知れない。4月20日~5月20日頃の分蜂期が終われば、来年の春までまた1年先と思うと、あまりにも長い。

ミツバチ以外に夢中になれるものを見つけなければ。

 

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子ヤギも分蜂期が終わる頃、時を同じくしていなくなる。

興味の対象を野菜や出荷に向けるといっても、夢中になれる素材ではない。

ミツバチや子ヤギに代わる何かを求めて、来月からまた違った一歩を踏み出す。

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生肉食中毒



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子ヤギが「高歩き」をしだした。入られたくないジャガイモやレタスの畑にも入る。それでも後2週間ほどしか当地にいないからこのままにしておく。

子ヤギがもらわれていく頃、ミツバチの分蜂期も終わる。寂しくなりそうだが静けさも戻る。

ミツバチは今日もゲットできなかった。分蜂期が1日1日と少なくなっていく。

まだ、探索蜂が巣門から出入りしているのを1度も見たことがない。それでもヤモリが潜んでいるということは探索蜂が出入りをしていると思う。すでにヤモリを5匹ほど仕留めた。


最近、生肉の食中毒が新聞をにぎわせている。

生肉は飼っている農家でも食べないのに。

軒先で飼っていたニワトリは50年ほど前までは、たまにしか口にできないごちそうだったが、「生で食べた」ことは一度もないし、家族の誰かが生の肉を口にするのも見たことがない。

野生動物の肉はもちろん生では食べない(ギョウチュウやカイチュウが多い)し、家畜の肉も生では食べれないと思っていた。

料理・飲食店ブログや食べ歩きブログでは、生肉を食べる料理がしばしば画像でアップされているが、「気持ちが悪い」としか思えなかった。


魚は「刺し身」があり、生で食べる料理として一定の分野があるが、考えてみれば、これも生肉と同じで気味が悪い。ギョウチュウや細菌がいっぱい付着しているのではなかろうか。現に清流の川魚でも生で食べることは全くなかった。
ただ、刺し身はたまに食べることがある。「刺し身の食あたり」は多いのではなかろうか。
 
「カキの生食」は食中毒の原因とみなされている。カキも生で食べた経験は一度もない。


肉の生食に関して、今まで保健所の規制が何もなかったというのもうなづけない。細菌検査をしていたら、基準値をはるかに上回っていたのではなかろうか。

飼っているニワトリの卵でも、生の「卵かけご飯」はめったにしない。青菜をたらふく与えているといっても衛生上の観点から加熱したものを食べている。 

「ヤギの乳」も少しは加熱してから飲むのではなかろうか。

日本では「肉の生食」の風習は昔からなかったと思う。いつ頃から料理店で出されるようになったのだろう。 

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次の一手

  
 
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キンリョウヘンの花が一片だけほころび始めたので、それにネットをかぶせ、待ち受け箱の前に置いた。

去年はこのネットにミツバチがまぶれついている光景を何度も目にした。ネットをかぶせていなかったら花が受粉して長持ちがしないらしい。

 
 
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残りの11鉢のキンリョウヘンは花芽がつかなかったので、土の入れ替えをした。鉢の底には軽石を置いて水はけをよくし、その上に鹿沼土を鉢の半分まで入れ、その上に根の土をあまり崩さないようにしてキンリョウヘンを置き、その周囲にまた鹿沼土を入れた。

今年は土の入れ替えだけで株分けはしなかった。小さく株分けして花が咲かない失敗をするより、1鉢だけでもよいから、それから3~5本の花茎が出るようにした方がよい。5本の花茎が伸びれば5つの待ち受け箱に使える。
 
  
  
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鉢は半日陰になる物置の北側に置いた。初霜の頃までこの場所で管理する。来春まで1年の世話がまた始まるが、数日に1回の水やりだけであり、物置の出入口の傍だから忘れることもない。

明日は8メートルほどの竹の先に網を取り付け、先日の蜂球ができた場所にとどくかどうか確認してみる。高い場所の蜂球も何とか工夫して取った方がよいとスロー人さんに言われた。


木工作家の紹介で、去年からミツバチを飼い始めた人と電話で話をしていたら、その人はサラリーマンで、夜、懐中電灯で巣箱の中の様子を見たりすることがあるらしく、王台の様子やミツバチの数の激変で分蜂を知り、今年はすでに4回分蜂した群があると話された。去年3群捕まえて、それらが全て越冬し、今年はその分蜂を1群と、野生からの1群の合わせて2群を捕まえ、現在5群いるらしい。
巣箱は自分で作り、外から巣箱の中の様子がわかるような工夫もされているらしい。同じくキャリア1年でも、これだけの差がある。




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草刈機と鎌

   
 
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「分蜂びより」の天気だったが、今日も分蜂はなかった。

去年に比べて巣箱置き場の状況はいいし、去年は5箱だったのに、今年は25箱設置している。

置き場所も、墓の上、竹藪沿い、放牧場の南、山の上り口、葉タバコ跡地、この冬新たに整備した親戚の葉タバコ跡地と方々に置いているが、それでも効果が現れていない。

他からの分蜂はゲットできなくても、今いる1群の分蜂だけでもゲットしたい。

本によると「最初の分蜂から2回目の分蜂までは4日ないし10日あり、その後は1日おきに分蜂する」と書いてある。そして「女王バチになる王台は普通7~8個あるが、その数だけ分蜂があるわけではない。流蜜の状況と天候に応じて女王は巣箱の中で間引きされる」と書いてある。

自然の摂理からいっても3~4回は分蜂しないと種が維持できないと思う。3~4回分蜂しても自然界で淘汰されずに残るのはせいぜい1群と思う。 


今日は久しぶりにパソコン指導を受け、ユーザータグをカテゴリ一覧に変更して、検索しやすいようにしてもらった。半年ほどかけてカテゴリーをもっと適切な言葉に統一し、30分類ほどにしたいと思う。


草刈機は鎌の10倍以上のスピードで草刈をしてくれるが、草刈機がまだ普及していなかった45年前の方が今より忙しくなかった。

10倍の仕事量をこなしてくれても、それによって得た時間を他に割振りして他で収入を得て、草刈機を購入しなければならないし、機械には「耐用年数」があり、何年か経過したらまた購入を迫られる。今の世の中はこの繰り返しであり、次から次に新製品も出て、それを購入せざるをえない状況にも追い込まれる。つまり、これでもかこれでもかというくらい新しい物が出てきて、それに追従しなけばならなくなる。どの時点かでそんなサイクルを遮断できればよいが、電化製品でも何でも遮断できる状況にはない。

つまり農業の生産性は上がっても、購入資材が多く、出費が生産性の向上による収入増に追いつかない。だから忙しさの悪循環は続く。それは第一線を退くまで続くし、死ぬまで続くことも多い。

どんなに動いても農業の生産性はしれているし、他産業に比べて収入も少ない。それがまた労働強度を高める原因になる。

45年前より確かに生活水準は上がっているが、物に囲まれて生活しているので、そのための現金が必要になり、飛躍的に忙しくなった。

ある日突然の自然災害や失業により、いったんレールからはずれたら、元に戻すのは厳しい。そのためのセキュリティは自給自足かベーシックインカム(最低限の定期収入)の2方法しかないと思えるが、電気、ガス、水道、電話等のライフラインのどれ一つをとっても自給自足は現代社会から拒絶されている。
 


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憲法第25条

  
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雇用されなくても生きていける社会の構築。

雇用が、格差や貧困や序列を生む。
 
雇用制度社会は、江戸時代の身分制度社会以上に最低限度の生活が守られない社会システムである。

憲法第25条 
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。


雇用されなかったら、最低限度の生活もままならない。

独立自営業でも最低限度の生活が回っていくような社会。

自営業の代表的なものは農業。

失意に陥った時、農業という逃げ場があれば本当に助かる。

老若男女1人年間80万ほどのベーシックインカムがあれば、誰もが農業に参入できる素地ができる。

ベーシックインカムは東日本大震災のような自然災害の時、特に大きな威力を発揮する。
 
失業保険がなくても、失業をそんなに恐れる必要がないし、生活保護も廃止することができる。各種補助金やハコモノを作って支援することも必要でなくなる。もちろん農業補助金も全廃する。
 
TPPで自由市場に参入し、多くのメリットを受けると同時に、影響のある分野もベーシックインカムがあれば保障される。

ベーシックインカムのある資本主義でないと、日本のような資本主義では、最低限度の生活もままならない。

ベーシックインカムによって「雇用と農業」が解決の方向にむき、最低限度の生活も保障される。


誰もが簡単に農業に参入できる社会とは、ベーシックインカムで最低限度の生活が保障された社会である。

ベーシックインカムがあれば、少しのアルバイト収入や少しの農業収入でも最低限度の生活はまわっていく。
 
政府や地方行政が主導する復興プランはうまくいかない。支援はベーシックインカムにとどめ、復興はできるだけ個人の自由裁量に任せた方がよい。ハコモノはもういらない。


働いても働いても、生活は楽にならず

働けば働くほど、格差や貧困や差別が助長される

それが日本の資本主義。


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田んぼ状況

 
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畝の中央を管理機で起こし、消し炭を3袋投入し、メタン菌液肥を4荷施し、かまぼこ状に土を戻し、黒マルチを張った。これに明日、ナンキン、韓国カボチャの一部、スイカ、ミニトウガンを定植する。

画像の管理機(ミニトラクター)は農業を始めた年に購入したもので22年目。畝上げもこれでしているので、高畝にできない。

メタン菌液肥は、135センチ幅で17メートルの長さの畝に「2荷」を基準にしている。向こう岸まで34メートルあるので「4荷」施す。

1回に担ぐのを「4荷」ほどにとどめるなら、そんなに重労働ではない。

メタン菌は35度の時に最も活動的になる。今はまだ気温が低いので液肥が未熟状態であるが、春夏作では黒マルチを張る4月中旬~5月中旬の1ヶ月間が液肥の必要な時期なので、未熟、完熟に関わらず使っている。

メタン菌も本当にいるのかどうか、活躍しているのかどうかもよくわからない。もらってきてすでに8年以上になるし、その後は、米ぬか4に対して、ナタネカス1の割合で投入(液肥タンクが半分になったら仕込み)して井戸水を満杯になるまで補充する。

結果的に野菜が「思った量」収穫できれば、肥料はそれでよい。


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キクイモの芽が出揃った。合計で250個ほど植えた。


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4月18日に挿し木をしたサツマイモであるが、3週間ほどこの状態にしておき、5月10日頃に寒冷紗を取る。



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4月30日に、ピーマン24本、ナスビ18本を定植した。これだけあれば十分と言うより、これ以上定植すると労力的にきつい。
ナスビ、ピーマン→収穫時間10分
オクラ→収穫時間20分
エンサイ→収穫時間15分
ツルムラサキ→収穫時間15分
スイートバジル→収穫時間10分
青シソ→収穫時間10分
その他→収穫時間10分
を予定しているが、これで合計90分かかる。収穫後の仕分、袋詰めに同じ時間(90分)がかかる。

農業は個人差が大きいので、他人と比較しないようにしている。
 
   
 
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4月20日頃に蒔いたミニレタスとサラダ菜が発芽した。定植は5月20日頃になるが、梅雨本番までには収穫できると思う。


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ジャガイモ(種芋15キロ)とレタス類の現在。

エンドウとスナップエンドウの成育が遅れている。これらが収穫できるようにならないとワンパックは送れない。


  
  
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先日、待ち時間に週刊誌を見ていたら、「踊子草」と「ショカッサイ」が出ていた。

左の草花の名前が「踊子草」であることを初めて知った。群生するありふれた雑草であり、花はとてもきれいであるが、一種独特の匂いがする。
イタドリを取りにいったらこの花の匂いがよくしたので、子供の頃から特に印象深い雑草である。

右の画像は「ショカッサイ」であるが、去年の春に種をもらって鶏舎周辺にふりまいていたら、きれいなブルーの花が咲いた。 


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現在、田んぼにはびこっている雑草は「カラスノエンドウ」。マメ科の雑草なので、はびこらせて耕運すれば「緑肥」となり、ニワトリやヤギも大好物である。  


     
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去年の5月3日は3箱目のミツバチがゲットできた日なのに、今年はまだゼロ。

天気予報によれば明日は穏やかな晴天になりそうなので、ひょっとして2回目の分蜂があるかもしれない。他所からの分蜂も期待したい。ゴールデンウイークは晴天に恵まれそうなので、ミツバチゲットの「天王山の戦い」になるだろう。

肝心のキンリョウヘンは、蕾ができるのは早かったのにまだ花が咲かない。

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分蜂群は去っていった

  
午前9時半、ミツバチの本を持って山へ上がり、昨日同様、分蜂群の見える場所に座り込んだ。

10時10分過ぎ、蜂球がざわめき始めたのを見て、新居が決まり、移動の準備に入ったことを感じた。

その後、ものの20秒ほどで蜂球は崩れ、周囲の木の上でうなるような羽音を上げ始めた。

どこへ行くか、まんじりともせず注視していたが、あっという間に池の向こうの山へ飛んで行った。

その間、1分ほどのできごとだった。

期待していた方向とは逆方向だった。

25用意した新居はどれ一つ、選んでもらえなかった。


ドラマの第1幕は終わった。

どうしようもなく落ち込んだ。

でもまだ終わってしまったわけではない。

分蜂期間は残り3週間ほどある。

ここであきらめてしまうわけにはいかないのだ。

この1年、ミツバチのための森林整備や見回りに厖大な時間を費やしてきたから。

投資は15万円ほどだから、そんなに大きな金額ではない。巣箱はすぐに腐ったりせず3~4年は使えるだろうから。

金額より、ミツバチにかけた思いが大きいから、ここでくじけるわけにはいかないのだ。


どこがいけなかったのだろう。ベストを尽くしたつもりなのに。

何かが足りなかったのかも知れない。「キンリョウヘン」もその一つである。

夕方、巣箱の中に置いた蜜蝋の小片を巣門の表と裏になすり付け、それをカセットガスバーナーで焼いてまわった。こうした方が効果があると聞いたから。


気持ちを切り替えて、近日中にあるはずの第2分蜂を待つ。

今度こそゲットしたい。

最悪のパターンになったとしても、今いる1群だけは何としても保持していく。

「蜂浪人」だけは絶対に避けたい。1年の間に気力が失せてしまいそうだから。 

分蜂期間はまだ残り3週間ほどある。最後の1日まであきらめない。

 
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まだ新居が決まらない

    
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集落の行事が終わった午後1時から~3時の間、分蜂球の下で新居への移動を待ったが、今日の移動はなかった。
25箱も新居を用意しているのに、どこが気に入らないんだ。


昨日、巣箱の中に、去年採蜜した時にとった蜜ろうを少しずつ置いた。匂いで少しでもミツバチを引きつけようと思ったからだが、大きな黒蟻が寄ってくる危険性もある。

だから、探索蜂の動きが少なくなる5時をまわってから巣箱の中を確認したら、早くも大きな黒蟻が来ていた巣箱が3箱、大蜘蛛が入っていた巣箱が1箱あった。ヤモリは今日はいなかった。

どうしてもこの分蜂球を25箱の新居のどれかに誘導したい。

この分蜂球の移動を見届けるために、明日から、9時半頃、11時頃、午後1時半頃、2時半頃の4回は山に上がろうと思う。移動は10分ほどで終わってしまうので、この4回くらいでは見逃す可能性もあるが、9時~3時の6時間も座りこんで見続けるわけにもいかない。

座り込んで待つなら、ミツバチの本を読みながら待ちたい。
「我が家にミツバチがやって来た」の本によると、『最初の分蜂から2回目の分蜂までは、4日ないし10日あり、その後は1日おきに分蜂する』と書いてある。

つまり、近日中に2回目の分蜂が起こる可能性もあり、これも見逃せない。1回目の分蜂が2時半頃からだったと思うので、今後1週間はこの時間帯は必ず山へ上がろうと思う。もちろん、9時半頃、11時頃、午後1時半頃も見に行く。

58才という年齢だから、ヤギを飼ったり、ミツバチを飼ったりができる。55才頃までは経済に結びつかないと思えることは手が出せなかった。

毎晩ブログを書いていると、ミツバチの本を読んだり、他の本を読んだりする時間がほとんど取れないので、新しい知識が増やせない。これがブログの最大の欠点と思うが、ブログと読書を1日おきに交互にするような芸当はできない。
できないと思っても、するようにしないと、進歩はない。
 



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4月前半の気温が低く、このところ雨がよく降るせいか、タケコノやシイタケがまだ収穫できている。すでに5月1日であり、例年なら4月20~25日で終わっている。
   
      
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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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