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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

今日、初の分蜂があったが・・・

 
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午後3時10分、山への上り口付近で、うなるようなミツバチの羽音が聞こえた。

最初、何の音だろうと思ったが、すぐに「ミツバチの分蜂」だと気付いた。

空を見上げたら、木の上で無数のミツバチが乱舞している。

いつごろ分蜂を始めたのか、正確な時間はわからないが、多分2時半が過ぎてからだろう。

とにかく、この群がどこに落ち着くのか、見届けなければならないと空を注視していたら、ほどなく、高い木の上の三又になった枝にかたまり始めた。

最初は逆富士山型の小さい山と大きい山の2つに分かれて塊になっていたが、すぐに、画像のような1つの塊に落ち着いた。

こんなに高かったら、竹竿の先にくくりつけた網ではとどかない。

もし羽音に気付いてなかったら、まずわからないような、木や竹の茂った高い場所である。

その間は5分ほどだったので、山に上がるのがもう少し遅かったら、分蜂はあっても、どこにかたまったのか、わからなかっただろう。


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他所から来た分蜂なら、もっとうれしかったが、うちの群からの分蜂だということが、巣箱を見てすぐにわかった。分蜂群はこの巣箱から5メートルほどの高いクヌギの木の上の方にかたまった。

この巣箱も30分ほどの間にいつもの出入りに戻った。だからタイミングよく山に上がって来なかったら、分蜂があったことにも気づけなかった。


何で今日なんかに分蜂したのだろう。明日は雨の予報なのに。実際、夜半前から雨が降り出した。

ミツバチには明日の雨は当然わかっていただろうし、雨量は少ないということもわかっていたのではなかろうか。そうでないと、太い木の枝の下といえども、雨にあたる確率は高いだろうから。


分蜂したら、いきなり他の巣箱に入ることは少なく、いったん近くの木の枝に塊を作ってから、定住場所に移るらしい。
どうかこの分蜂群が、25設置した待ち受け箱のどれかに入ってくれますように。

どれにも入ってくれなかったらショックは大きい。

多くの探索蜂の多数決で新居は決まるらしい。明日午後には雨が上がるので、早ければ明日の1~3時の間に新居へ移動するだろう。3時が過ぎれば明日の移動はない。

明日は集落の行事があって昼過ぎまでは役の仕事(順番で今年は班長)があるので、新居への移動に立ち会うことができない。

もし塊が消え、25の待ち受け箱のどれにも入ってなかったら、他へ移ってしまったことになる。


何としてもゲットしたい。

今日が初の分蜂だったのかどうかも正確にはわからない。分蜂のタイミングに出くわさず、他の場所へ移動した可能性もあるから。

とにかく、この分峰群が25の待ち受け箱のどれかを選択してくれることを願う。
    
 
 
  
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子ヤギが「捕まえれない」というのは、ちょっとの間のことで、杞憂だった。容器にコゴメを入れて母ヤギに与えようとすると、すぐに子ヤギがやってきて親子の競争になる。

  
  
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母ヤギが特有の鳴き声を発すると、2頭が同時に走り寄って乳房に吸い付く。1回に飲める時間は「たった30秒」ほどで、すぐに母ヤギが後ろ足をはねて子ヤギから離れる。

  
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いまだにゲットできない

  
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これは巣箱を置いている黄色のコンテナですが、小さなジョウゴのような巣くずが落ちている。これは雄蜂の巣房の蓋(ふた)で、これが巣門の外で目につくようになると分蜂が近いらしい。

今日は4月29日だが、まだ1群もゲットできていない。木工作家は納屋の壁に設置した巣箱で今日1群ゲットしたらしい。越冬した1群を加えてこれで2群である。

うれしかっただろうなあと思う。野生のものを捕まえるのは本当に難しい。去年は怖いもの知らずで4群もゲットできたが、巣箱の出入口と天井にはスロー人さんが蜜ろうを塗ってくれていたし、キンリョウヘンも1鉢くださって、1輪ずつ5箱の箱の前に設置していたので、怖いもの知らずといっても、用意周到に設置できていた。


気があせる。

少なくとも、去年と同じ4群にはしたいと思う。群はそれぞれ個性が異なるので、4群ほどにならないと、多くのことが学べない。

4群のうち3群はだめになったが、多くのことを学ばせてくれ、採蜜も3回経験でき、毎日の見回りという楽しみも与えてくれた。

今年も去年と同じように楽しみたい。そのためには1群ではやはり寂しい。
 
田んぼ周辺の、考えられるすべての場所に、合計で25の待ち受け箱を設置している。

分蜂期の日々は刻々と過ぎ去っていく。例年なら後20日間ほどの期間しかない。

最後の最後まであきらめないが、日数計算がだんだんと引き算になってきた。


日が沈んでミツバチの出入りが少なくなった6時20分過ぎに、ジャンバー、ゴム手袋、麦わら帽子に取り付けた防虫ネットという出で立ちで、また山に上がり、残っている1群の巣門掃除をした。巣くずはほとんどなく、花粉くずのようなものが少し落ちているだけだった。
 
出入りが激しくないというだけで、この時間帯でも結構出入りはしているので、掃除や巣門の開閉の時に1匹も殺さないように、「そろ~り」「そろ~り」と作業をした。

短時間で終わらせるより、時間がかかっても、やさしく丁寧に取り扱った方がいいようだ。


明日もまた、「岸壁の母」のような気持ちで何回か山に上がる。

太古の時代から当地に住み続けてきた、半径2.5キロほどが行動圏である土着性の日本ミツバチ。

豊かな里山だったのに、45年ほど前、何ヘクタールもの山林が牧場に開発され、その牧場が閉鎖された後は十数年にわたって放棄され、15年ほど前に「美しい森」として整備され今日に至る。

その間、長期にわたる「松くい虫の空中散布」もあった。

そんな時代を乗り越えて、壊滅せずに子孫を残し続けてきた土着性の日本ミツバチ。

農業を始めて20年間は、ミツバチのことを何も知らずに過ごしてきた。去年初めてミツバチをゲットしてから、はまってしまった。

明日もまた山に上がる。希望という名のあなたをたずねて。


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雨ニモマケズ

  
 
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投げ出さずに水やりを続けていたら、ナンキン、韓国カボチャ、ミニトウガンも8割ほど発芽した。スイートバジルも芽が出た。すでに一部は苗を購入しているが、これらは補充苗に使える。

  
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ルバーブの花が咲いた。ルバーブは「ハーブ」として扱われ、茎を小口切りし、目方の半分の砂糖を加え、水は入れずに、弱火で20分ほどことこと煮ると、酸味のあるおいしいルバーブのジャムができる。株が弱るので花は早めに切り取る。
 
耐寒性があり、株分けで簡単に増やせる(乗用トラクターで3回も耕運したのに、切れ端の株からかなり芽が出た)が、突然枯れることも多い。

ルバーブは、野菜の種類がまだそろわない5月上旬のワンパックに重宝する。

  
 

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子ヤギも雑草をよく食べるようになった。芽ぶいたばかりの桑やジャガイモの葉やサラダ菜等の野菜も食べるが、体躯がまだ小さく、食べる量はしれているので今のところ放任している。
 

今日、ミツバチの巣箱を確認していたらまた、ヤモリが2匹、大きなクモが1匹、そして大きな黒蟻がいた巣箱もあった。新しい巣箱なら少ないと思うが去年の巣箱なら1週間に1度は中を確認した方がいいと思った。探索蜂がせっかく訪問してくれてもヤモリやクモがいたら食べられてしまう。


宮沢賢治が生まれたのは、1896(明治29)年8月27日。マグニチュード8.2とされる明治三陸地震の2か月後だ。東北の沿岸部を大津波が襲い、死者・行方不明者は約2万2千人にのぼった。
 亡くなる約半年前の1933(昭和8)年3月3日には、約3千人の死者・行方不明者の出た昭和三陸地震(マグニチュード8.1)が起きた。地震の4日後、賢治は詩人の大木実にあてたはがきに「被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です」と記している。(朝日新聞4月5日)

すでに近世に入ってから、こんなに大きな津波が2回もきているのに、子や孫の代に引き継がれていない。

多分、当時の人にとっては今ほどの衝撃を受けなかったのではなかろうか。

自然は時として大きな災害をもたらすが、それ以上に三陸の海は豊饒の海であり、豊かな恵みをもたらしてきたのだ。

現在のようなライフラインは全く整備されておらず(昭和8年には電気だけは引かれていたかもしれない)、家も比較的簡素な造りで、自給自足的な生活だったので雇用されなくても十分に食べていけたし、海の幸、里の幸、山の幸も豊富な時代だった。自然と隔絶した生活ではなく自然に寄り添った生活だったので、復興も3年ほどでできたと考えられる。

現代の文明は三陸といえども、自然と隔絶して成り立っているので、復興は困難を極める。
(1)ライフラインという固定的家計支出が高止まりしているし、電気、上下水道は自然災害にあまりに脆い。
(2)家というものが不必要に高価になりすぎている。仮設住宅程度の家でいいのではなかろうか。雨露がしのげれば。
(3)大半の人は雇用されないと収入がない。


現代文明の基盤は自然災害に対してはあまりに脆弱に見える。

元通りに戻すには、莫大な資金がかかる。 

元通りに戻しても、働く場所がなければ若い人は住めない。 

元通りに戻しても、ゴーストタウンのようなことにならないか。岡山県でいえば「吉備高原都市」のような。

新たな高台に画一的な住宅を整備しても、それが果たして三陸の人の多くの希望に沿えるものになるだろうか。

それよりもっと良い方法は、老若男女1人年間80万円ほどのベーシックインカム的支援(年金型支援)が適切と思う。つまり「ハコモノ」に支援するのではなく、「個人の懐」に単刀直入に支援する。3人家族なら年240万の収入になる。

こういう支援がないと、現代文明の元では、立ち直れないと思う。

それにしても、1896年の明治三陸地震と1933年の昭和三陸地震の両方ともスルーした「原子力発電」やそれに加担した「日本地震学会」という組織はいったいどうなっているんだ。

太平洋戦争に向かった空気を止められず、戦争責任もうやむやできちんと究明されず、政治に対してはどうしようもない無力感に囚われ、原子力発電も遠いところで決められてしまい、地元でありながら他人事のように傍観するしかないのに、最も被害を受けるのは傍観しかできない個人。 

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ヤギの屠殺について

 
 
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3時半頃から雨が降り始めたので、ヤギを放牧場に戻した。1メートル四角の小屋なので、母ヤギと子ヤギ2頭では少し狭く感じるようになった。


農業は癒しの職業である

その癒しの職業を津波や原発被害で奪われたら・・・


午後、田んぼに着くとすぐヤギを外につなぎ、ニワトリに午後のエサを与え、水を入れ替え、集卵し、草を刈って与える。育苗中の苗物に水をして、今晩の食用のタマネギや春キャベツやサラダ菜を収穫し、3時が回ったら巣箱を見て回る。

午前中は、ピーマンとナスビ予定地の畝に、消し炭を3袋施し、メタン菌液肥を3荷担ぎ、2つの液肥タンクに米ぬか4袋とナタネカス1袋を投入し、水が一杯になるまで補充した。

クン炭作りの「旬」をはずしてしまい、クン炭は作れなかったが、消し炭が大量にあるので、カリ肥料はそれで代用する。

液肥は担ぐのはちょっとえらいが、液肥を作るのはごく簡単で、自分にとってはこれが一番楽である。ただ作付面積が多いと重労働になるので、このやり方は勧めれない。


子ヤギは自分で「屠殺」して肉にして食べるなら、「引き取り先」の問題は生じないし、除角や去勢の問題も生じない。

販売目的でなく自給用なら、県に届ければ、生後1年以内の家畜なら「自家屠殺」ができるらしい。

問題は「自家屠殺」をする勇気もしくは度胸があるかどうかということ。

ニワトリならできるし、野生動物ならできるが、ヤギとなると勇気が出ない。

世界では日常的に行われている光景であるが。

ニワトリには感情というものがまるでないが、哺乳類であるヤギは感情が表情によく現れて不気味に感じることさえある。「馬鹿」と思えることも多いが「賢い」と感じることも多い。子ヤギが生まれてからは特に、オスヤギの「嫉妬心」を頻繁に感じるようになった。

ヤギにはこういう感情があるから、屠殺しづらい。

ただこれは、恵まれた環境にある自分の場合の話であって、肉を口にする機会の少ない後進国では「うれしい行事」の一つではなかろうか。

現に子供の頃、祖父がしていたニワトリの解体を見るのが好きで、その晩は「すき焼き」が食べれると思うと、うれしかった。50年ほど前には、肉を口にできるのは1ヶ月に1回ほどだった。

菜食主義の人も何人か知っているが、多くの人は肉を好んで食べる。

沖縄ではヤギの肉を食べる風習があるし、韓国では犬の肉も食べられている。 

飢饉等、世の中の状況が変われば、ニワトリの解体くらいは日常茶飯に誰でもするようになるだろう。ただ、ヤギや豚、まして牛となると後ずさりする。これができる人を尊敬する。

スーパーに並んだ肉からは、生きている姿を想像することもできないし、屠殺の現場を眼にすることもない。だから平然と食べれる。生き物なのに単に肉片にしか見えない。 

生きていくことは、他の生きている動物の命をいただくことなのに、今の世の中は、その現場が全く見えなくなっている。

ヤギの乳を飲むことは「生まれた子ヤギをどうするか」という、とんでもない高いハードルを越える必要があることを、はっきりと悟らされた。

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朝日新聞から感じる匂い

      
  
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今日は比較的おだやかな1日だったので、分蜂があるかなと少し期待していたが、今日もなかった。去年の4月26日は第2弾をゲットした日である。

気持ちがあせる。

今年は一つもゲットできないのではないかと。

  
  
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分蜂はなかったが、初物の竹の子が収穫できた。他にワラビやイタドリも取った。

4月26日というこの時期の竹の子は例年より2週間ほど遅れている。だから分蜂が遅いのも気候のせいか。

昨日上がった時には竹の子に気づかなかった。1本見つけたので、その気になって探したら画像のごとく収穫できたが、すでにこの2倍ほどイノシシに掘り返されていた。

もし今日見逃していたら、明日朝までにはほとんど食べられていただろう。イノシシは満腹になったら、それ以上は食べない。

シカは竹の子は食べないが、ワラビは食べる。

ただ、イノシシもシカも巣箱には興味を示さないので、それが大いに助かる。ボクは「防御力」に弱いので、もし狙われるようになったら、防御してまでは、やる気が起きないだろう。
  
  
  
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ナバナを少しずつ片づけながら、ニワトリとヤギに与えている。家畜がいると最後の最後まで野菜の無駄が出ない。


今日の朝日新聞に「原子力と日本人」というインタビュー記事で見開き半ページで中曽根康弘元首相のインタビュー記事が載っていた。93才。

「何で今この人なんだ」と、瞬間、朝日新聞の見識を疑った。見開き半ページものインタビュー記事を載せるなら、他にもっと適当な人がいっぱいいるではないか。もちろん読む気もしなかった。ボクと同じように感じた人も多いと思う。
23日の土曜日には「私の視点」で、ジャーナリストの田原総一郎さんの「管氏抜きの連立政権を」という記事が載っていた。田原総一郎さんと自分の考えはことごとく対立する。

田原総一郎さんは「週刊朝日」でも「管首相抜きの救国内閣をつくれ」という記事を載せている。


中曽根康弘元首相や田原総一郎さんが朝日新聞に時々登場することに関して、はっきりした「朝日新聞の意思」を感じる。最終的に当日の記事の項目(内容)を首脳陣の円卓会議で決定する時に、中曽根さんや田原さんを載せようとする多数決の決定があったのだろう。

朝日新聞からは「反民主」の姿勢を感じることが多い。そう感じるのはボクが管政権をずっと支持しているせいだろうか。

批評家で作家の「東浩紀」さんも朝日新聞好みの論客なのか、よく登場する。


自民党よりの姿勢が顕著に見えたから、地元の山陽新聞を購読するのを止めたが、朝日新聞も、読売や産経や日経ほどあからさまでないにしても「反民主」の姿勢を感じる。

長期政権をやっと変えれたばかりであるから、もっと長い目で見る必要がある。


京都の禅寺・妙心寺を大本山とする臨済宗妙心寺派の河野太通官長(81才)が東日本大震災の被災者に対して『それでも「頑張れ」と言う』記事が今日の朝日新聞に載っていた。

宗教家でも、こういう風に考えるのかなと、妙に違和感があった。

ボクはあまり頑張らない。

ブログを「頑張って」続けているように見えますか。

自分の中では頑張っていない。ただ、何をやっても続かなかったし、ことわざ以上に転職も繰り返したので、ブログは続かせたいと思っている。

頑張らなくても、そう負担にならなかったから続いている。

ボクは「受容」とか「諦念(あきらめ)」という言葉を好む。例えばガンとは戦わずに受容して残りの月日で優先するものを決めて行動する。

経済に結びつくことは頑張れたためしがないが、経済に関係のない趣味とか癒しになることでは、頑張らなくても時間のたつのを忘れる。

震災にあったり、親しい人の死に遭遇すると、頑張る気持ちは起きないと思う。それを受容して、諦念を受け入れることができても、カネがなかったら一歩も前に進めない。

生活保護の申請はすぐに認められるのだろうか。震災による生活保護申請について、朝日新聞でまだ一度も目にしていない。

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「多様」と「小ぶり」と「分散」が経済社会の道標

    
   
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今日の夕飯は、「シイタケと新タマネギの煮物」と「サラダ菜にドレッシングをかけて」。

今の時期はタマネギの葉がおいしい。

 

分蜂期に入っているのに分蜂に適した「分蜂びより」が今年は少ない。

女王蜂候補は7~8匹いるが、その数だけ分蜂があるわけでなく、流蜜の状況と天候に応じて女王は巣箱の中で間引きをされる。雨だと普通は順延する。晴れるのを待っている間に次の女王が出房しそうだと女王が妹女王を刺し殺す。後は、働き蜂が王台の側面を噛み破り死骸を処置する。(我が家にミツバチがやって来た・久志富士男著)

女王蜂作る成分発見(富山県立大 鎌倉講師)  
 
ミツバチの女王蜂と働き蜂は同じ遺伝子だが、ローヤルゼリーをエサとして育てられた幼虫だけが女王蜂になる。働き蜂が分泌するローヤルゼリーのどの成分が決め手となっているのかは謎だった。

富山県立大の鎌倉講師(発生生物学)は、40度で30日間保存したローヤルゼリーではどの幼虫も働き蜂になることを見つけた。新鮮なローヤルゼリーとの成分組成の違いを調べ、女王蜂へ誘導するたんぱく質「ロイヤラクチン」を発見した。
(朝日新聞4月25日)



浜矩子(同志社大学教授)…「多様」と「小ぶり」と「分散」が経済社会の道標

新聞で時々見かけるエコノミストだが、いいことを言っている。まさに資本主義に逆行するような政策。

農業で言えば「一昔前の自給自足型農業」と言える。有畜・小農・複合・自給が主体の農業である。

東北はこういう形の復興をめざすのがいいと思う。つまり、雇用に依存しない一昔前型の半農半漁の生活である。
 
「雇用制度」は明治以降のせいぜい100年ほどの歴史しかない。50年前「雇用されていた人」は30%に満たなかっただろう。

提案
(1)仮設住宅は希望者には永住できるようにする。
(2)雇用されてなくても食べていける生き方(独立自営・自給自足・半農半漁)を提示する。
(3)老若男女、1人年間80万円ほどの年金型(ベーシックインカム型)の支援をする。
(4)年金型の支援が難しければ、復興支援員として国が全ての被災者を臨時職員として10年ほどの長期にわたって雇う。
(5)資本主義ではなく社会主義的な政策で支援する。
(6)被災前の元通りにするのではなく、50年前の三陸に戻せる工夫を。 

 
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ヤギに関する試行錯誤

     
  
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この母ヤギの出産はもうないかも知れない。

乳のよく出る品種ではなかった。

母ヤギ(祖母ヤギ)、そして近くにいた父ヤギ(祖父ヤギ)をみて、大きくなったらこういう風なヤギになると想像したが、大きくなってみると、その母ヤギに似ていなかった。

この母ヤギをもらってくる時に、『大きくなったらこの母ヤギ(祖母ヤギ)のような恰好になるんですよね』と聞いたら、これよりちょっと小さくなると言われたが、その意味に気づくこともなく、もっと尋ねることもせず、ただただ無料でもらえることがうれしかった。

大きくなってみて、この母ヤギには「シバヤギ」の血が混じっているように感じた。つまり、乳を搾る品種ではなく、どちらかといえばペット系の品種である。


飼い続けてきて、今頃の段階になって、「乳のよく出る品種でないと、ヤギを飼う意味がない」と感じるようになった。

自分が希望しない品種の出産は望まない。

しかし、この母ヤギを手放すこともできないような気がする。2年3ヶ月ほど飼って、すでに愛着があるから。

多分今後は、この母ヤギと去勢オスを「単なる草刈目的」で飼い続けることになる。たいした草刈効果はないが。

癒し効果や風景効果は、「ヤギに費やす多大な時間(自分の時間の提供)」を考えたら相殺感情になる。

それでも飼った以上は責任もあるし、今さら手放せないという意識もある。
そんなに時間を取られるというわけでもない。

同じく口のある生き物であるニワトリもいるし、朝夕の電柵の開閉もあるから、ヤギから受ける拘束は、現実には3分の1に縮小されている。

自分にはヤギをペットで飼うという精神的余裕はないが、手放すほど、せっぱつまった感情があるわけでもない。

ただ、後何年生き続けるのだろう。10年超、それとも数年。

ニワトリはせいぜい4年ほどのサイクル(プロは1~2年)だから、導入に関してそんなに熟慮するには及ばないが、ヤギは通常12~14年の寿命と言われている。


この母ヤギでは乳はほとんど飲めないだろうという意識はあるが、そんなに落胆はしていない。多少の癒しになり、田んぼの風景を作り、ブログのネタも数多く提供してくれている。しかし、今後の出産はあまり望まない。

ヤギを飼う人にはいろんな動機があるので、これは単に自分とヤギとの関係です。

この母ヤギの出産は望まないが、ザーネン種(乳がよく出る品種)のメスが1頭欲しいという気持ちがある。導入すると3頭になる。3頭となると外に連れ出すことが飛躍的に負担になりそうな気がする。そんなに草場はないし、3頭を4メートル間隔でつなぐとなると、より広い畔と田んぼと時間が必要になる。

やはり現在の2頭を飼い続けることが自分の運命なのかも知れない。


誰でも、その時の「単なる思い付き」や「勢い」で導入する。深い思慮を持って導入する人は少ない。

導入してから初めて、ヤギのことが少しずつわかるようになり、ヤギの本を手に取ることになった。

最初の小屋は「物置の一角(3畳)」とイメージしていたが、放牧場など全くイメージはしていなかった。飼い始めて数か月経過してから初めてイメージするようになった。放牧場はイメージできなかったが「草を小屋に持ち込む」のではなく「草場にヤギを連れていく」ということだけは自分の中で直観的に決まっていた。ただ、1頭と思っていたので、2頭くださると言われた時には正直驚いた。そして瞬間的に2頭の方がいいかも知れないと思った。

ヤギを飼うなら、小さなヤギ小屋や、簡易な放牧場くらいは「自分で作れる器用さ」が最小限必要と思う。自分で作れないなら、大工さんに頼んだりするしかない。そういう先のことも考えず(頭に浮かばず)に「勢い」だけで導入したのだった。


子ヤギのオス2頭は行き先が決まっている。5月下旬に引き取ってもらうが、それまでに、角が生えてきた1頭は除角を終わらせる必要がある。

5月末には元の2頭になり、また普通の日常に戻っていく。自分のヤギ史のなかで出産という神秘と畏敬を経験することはもうないかもしれない。

それは「種付け」、「去勢」、「除角」、「引き取り先」という、毎年発生する4項目が自分にとって重すぎるから。

集落の中でヤギが日常的に飼われていた50年前とは、状況がかなり異なる。

ヤギを毎日のようにブログにアップすることで、間違ったイメージを与えてしまったかもしれない。

自分とヤギとの日常は今後も続いていく。とにかく子ヤギ2頭を元気な姿で見送り、その後、少しであっても母ヤギの乳を搾り、この1年もまた、ヤギに関する試行錯誤が続く。

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ヤギ飼育で毎年発生する「問題点」

  
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昨日のスイートバジルは1本ずつ5センチポットに小分けしようと思ったが、時期的にそう早くないので直に植えた。日除けと寒さ避けに10日間ほど黒い寒冷紗で覆う。

  
 
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先日購入したサツマイモの苗も、昨日~今日の雨で活着したと思う。
 



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この田んぼは集落共有田で休耕田。3アールあり放牧場から近いので連れて行きやすい。もちろん母ヤギを連れ出せば自動的に子ヤギはついてくる。

ヤギは小型の家畜だからと侮ることなかれ。意外と体力がいるので還暦を過ぎてからのヤギ導入は安易にしない方がいいと思う。そして、種付け、去勢、除角、引き取り先等、ヤギ飼育にはこのような問題が「毎年」発生する。


鳥インフルエンザ→30羽養鶏がなぜ発生源にならないか

口蹄疫→イノシシやシカの野生動物になぜ感染しないか

上記2つの原因究明と情報公開を進めるべきだ。こんな初歩的な疑問がなぜ新聞に載らないのか。


ボクは超不器用なので、巣箱を作ったり、巣箱に工夫を加えたりすることはできない。だから、
(1)巣箱をどこに置くかにより多くのエネルギーを費やす
(2)巣箱置き場の前の草刈り
(3)毎日見回って、クモの巣やカマキリの除去
(4)スズメバチを捕獲するペットボトルの設置
(5)2週間に1度、巣門を開けて掃除
(6)足音が肥やし→毎日見回って微妙な変化に気づく

上記のようなことに力点を置いている。人にはあって自分にはない「能力の、ないものねだり」などせず、自分でもできる方法で同好の士と競う。 
 

「沖縄ノート」、大江健三郎さん勝訴
    
    
 沖縄戦の「集団自決」に旧日本軍が深く関与していたと認定した判決が、最高裁で確定した。日本史教科書の検定にも影響を与えた「沖縄ノート」訴訟。勝訴したノーベル賞作家の大江健三郎さん(76)は22日の記者会見で、「自分が一生をかけてきた仕事。力強い励ましになる。子どもたちにも読んでもらいたい」と語った。

真珠湾を忘れた日本人 日野原重明(99才)

 70年前、旧日本軍の爆撃機などが真珠湾を宣戦布告なしに攻撃し、アリゾナ、オクラホマなど数隻の戦艦が沈没しました。アリゾナは艦内の火薬庫に爆弾が命中し、多くの兵士が船体と共に海底に沈み、今日に至っています。このような奇襲を、日本軍の大成功と大本営は報じ、日本全体が日米戦争の勝利を確信して大騒ぎになりました。
 真珠湾攻撃を行った日、すなわち開戦日にあたる12月8日ですが、昨年も日本の主要新聞やテレビの報道がほとんど無かったことに私はがくぜんとしました。 

どちらも今日の朝日新聞に載っていた記事であるが、大江さんや日野原さんの「意志」を引き継いで、ブログで戦いたい。 

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まるで岸壁の母

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母は来ました 今日も来た

この「寺山」に 今日も来た

とどかぬ願いと 知りながら

もしやもしやに もしやもしやに

ひかされて


今日は分蜂などあるはずがない、小雨が降っているのに。それでも、まるで「岸壁の母」のように、寺山の葉タバコ跡地へ上がった。

これから1ヶ月間、あまり雨が降ってほしくない。それと気温がもう少し上がってほしい。


昨日購入したトマトとニガウリを定植した。

引き続いて今日の午後、苗物を買いに3店を見てまわった。スイートバジル、イタリアンパセリ、モロヘイヤ、ナンキンを購入した。スイートバジルやモロヘイヤは6~3本立ちだったので、5センチポットに1本ずつ植え替えし、活着したら5月連休明けに定植するつもり。

時期が来たから種を蒔いても、適期から多少遅らせて種を蒔いても、肝心の気温が適温になっていなかったら、うまく発芽しない。今年の4月1日~4月20日は寒い日が多かった。

今日も3千円ほど苗を購入した。トータルで1万円ほどになっても、2週間早く出荷できればすぐに取り戻せる。


春の育苗が毎年、どうもうまくいかない。かなりの苗が必要な、エンサイ、ツルムラサキ、オクラの3種類に関しては購入すると高くつくので、買うわけにはいかない。5月3日頃に蒔けば失敗することがあるが、2週間後の5月17日頃に蒔けばたいてい成功する。

7年ほど前に購入した1畳サイズの電熱マットとサーモスタット(合計で2万円ほどかかった)があるのに、ふた春続けて育苗に失敗したために、その後は使っていない。今年それをまた使ってみようと思う。
 
    
    
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種まきと苗の購入

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ホームセンターで苗を購入した。

ナスビ・・・・・18本×58円=1044円
ピーマン・・・24本×58円=1392円
トマト・・・・・・19本×58円=1102円
ニガウリ・・・・5本×128円=640円
スイカ・・・・・・6本×198円=1188円
合計5366円。ナスビとピーマンはもう少し購入する予定。 


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ツルナシインゲンを1列蒔いた(左から3列目)。


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チンゲンサイとサラダシュンギクの2回目を1列蒔いた。

  
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サラダ菜とミニレタスの2回目、及びネギを蒔いた(地床育苗)。 


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エンドウ類がまだこの大きさ。花も咲いていない。例年4月25日頃から収穫できていたのに寒さで遅れている。
 
   
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今日は絶好の「分蜂日より」だったが、分蜂はなかった。明日、明後日は雨の予報なので、あるとすれば次の分蜂は24日の日曜日。5月20日頃までの1日1日を「引き算」で計算している。野生の生き物だからひたすら謙虚に待つ。去年は大まぐれが続いた。
去年の分蜂ゲットは、4月20日、4月26日、5月3日、5月16日の合計4回。 

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巣箱に「ヤモリ」や「大きな黒蟻」が

 
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一群だけ越冬したこの巣箱。貴重な一群である。

去年初めて日本ミツバチの分蜂をゲットしたのは4月20日。あれからちょうど1年が過ぎた。今日は朝から風が強く、気温も低かったので、分蜂はあまり期待できそうになかった。

それでも3時が回ってから(分蜂は9時~3時まで)チェックに行った。同時に巣箱の中も再々度チェックした。巣箱の2つには「ヤモリ」がいて、3つには大きな黒蟻が十数匹いた。やっぱり確認しておいてよかった。どちらも去年の巣箱である。


原発の町 産業壊滅

「戻りたい」と募る気持ちに、原発に依存してきた雇用や産業が壊滅した「町の現実」が立ちはだかる。原発の地元、双葉町の町長が埼玉に長期滞在を決めた理由の一つが「雇用」だ。「震災と原発事故に見舞われた福島より首都圏の方が仕事は多いはず」という。
(朝日新聞4月20日)  
 
現代の被災は、60年前までの被災に比べて、復興に莫大なカネが必要で、しかも長期にわたる。60年前までの被災なら、整備された道路やライフラインなどほとんどなかったので何ら復旧に手間がかからず、しかも大多数の人は半農半漁の自給自足的な生活だったので、「雇用」を考える必要もなかった。

塩害で「半農」は壊滅しても、「半漁」の方は機械化が進んでおらず、大至急に船を作り漁に出て、山間地に行商して米や野菜と物々交換した。 


「災害援護資金」重い返済

東日本大震災の被災者の生活再建に向けて、家財が損害を受けたリ、世帯主が負傷したりした世帯に最大350万円を融資する「災害援護資金」の受付業務が、一部自治体で始まった。多くの利用が見込まれるが、16年前の阪神大震災では4人に1人がいまだに返済できていない。支援団体などからは、将来の返済負担を懸念する声が上がる。
(朝日新聞4月20日)


北陸電力志賀原発がある石川県志賀町でも町議選が告示された。志賀町はこれまでに約200億円の原発関連交付金を受け取り、固定資産税収も年約30億円にのぼる。現職11人はいずれも現状維持の立場・・・。

当然のことだろう。こんなにカネが落とされるのだから。
 


ナバナが10単位ほどしか収穫できなかったので、今日の出荷は止めた。これからしばらくは、直売所へ出荷できる野菜がない。

ナバナは黒マルチをして定植したが、2月末から45日間ほど出荷できた。少しずつ片づけながら株ごとニワトリとヤギに与えているが、ナバナに関する限り、食いっぷりはニワトリよりヤギの方がいい。

直売所へ出荷できる野菜はしばらく途切れるが、ワンパック野菜の宅配は5月連休明けから始める。 

    
    
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子ヤギがよく青菜を食べだした。今日はコゴメも食べた。

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世界では、再生エネが原発を逆転

   
   
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まだ雨が降っていなかった午前中に、サトイモの黒マルチを張り、半分植えた。

この8アールほどの田んぼ1枚で、夏作の大半を作る。
ナスビ・・・・・・・・・・・・・半列
ピーマン・・・・・・・・・・・半列
エンサイ・・・・・・・・・・・1列
ツルムラサキ・・・・・・・2列半
オクラ・・・・・・・・・・・・・1列半
青シソ・モロヘイヤ・・・半列
スイートバジル・・・・・・半列
(合計7列)
サトイモ・・・・・・・・・・・・2列
キクイモ・・・・・・・・・・・・2列
ツルナシインゲン・・・・1列
(合計5列)

今年は5日間に1回、3時間ほど、池の水を引かせてもらう予定なので、引きやすいように夏作を一ヶ所の田んぼにまとめた。なお、キクイモとツルナシインゲンの畝には水は入れない。


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注文していたサツマイモの苗が入ったので今朝植えた。鳴門金時と安納芋の2種類で70本ほど。明日、この上に黒い寒冷紗をかぶせて保温と日除けをする。スイオウ、紫芋、高系14号の自家苗が切り取れるのは5月末~6月上旬頃で、3種類で200本ほど植える予定。


朝日新聞の全国定例世論調査(電話)で、原子力発電の今後について聞いたところ、
増やす方がよい・・・5%
現状程度にとどめる・・・51%
減らす方がよい・・・30%
やめるべきだ・・・11%

この数字にはちょっと驚いた。「減らす方がよい」と「やめるべきだ」は合わせて41%止まり。大事故の直後なのに信じられない。ボクはもちろん「やめるべきだ」。

震災への管内閣の対応を「評価する」と答えた人は22%にとどまり、「評価しない」が60%に上がった。ボクは他の政権よりいいと思う。

大連立政権に対しては「賛成」43%、「反対」37%。ボクはもちろん「反対」。大連立政権は戦時中の「大政翼賛会」の匂いがして危険を感じる。 
(注)大政翼賛会は1940~1945年まで存在していた公事結社。国粋主義的勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ左右合同の組織である。


韓国の養豚農家で再び口蹄疫発生

韓国で猛威をふるった口蹄疫の拡散は、ワクチン接種などの対策でようやく落ち着きを見せていたが、最後の殺処分から26日ぶりに再び発生した。(朝日新聞4月18日)


キューバ 平等主義脱却(14年ぶり共産党大会)

半世紀続く社会主義を守り続ける策として、「平等主義」の廃止や市場経済の部分的導入を盛り込んだ経済社会計画を採択する予定だ。(朝日新聞4月18日)
 
日本は逆にした方がよい。つまり最低限の「平等主義」であるベーシックインカムを導入し、それ以外は弱肉強食の資本主義のなすがままにまかす。


原発の街、敦賀市長選

原子力のおかげで潤沢な市財政を維持してきた。原子力との共存が日本にとって重要だ。

各候補が原発容認の姿勢を見せるのは、関連産業が地域の雇用や経済を支えているからだ。増設計画がある敦賀原発3、4号機だけで、地元に1200億円の経済効果をもたらすとされる。敦賀商工会議所の加盟企業のうち、原発建設や補修に携わる加盟社は550を数える。

タクシー運転手の男性(62)は「この町は原発があってなんぼ。仕事を細々とやってこられたのも電力関係者が利用してくれたから」

配管工事会社の元経営者の男性(65)は「市は雇用や財政で原発に依存しているが、1人ぐらい原発反対を訴えてほしかった」と語った。
(朝日新聞4月18日)
 
何か、沖縄の米軍基地と同じに見える。命より大事な「経済」によって首根っこを押さえつけられている。仕方がないことなのだろう。

しかし、原発立地は大きな利権であり、政・官・業の癒着のなせる業だと思う。薬害エイズと同じ構図である。天下りが日常茶飯と化し、そして国の賠償責任。  


世界では、再生エネ 原発を逆転

原発は、安全規制が激しくなったことや建設費用の増加で1980年代後半から伸び悩み、2010年の発電容量は3億7500万キロワット。一方、再生可能エネルギーは地球温暖化対策で注目されて急激に増加し、風力と太陽、バイオマス、小規模水力の合計は3億8100万キロワットになり、初めて原発を上回った。(農業新聞4月18日) 


反経済成長、脱企業組織、ベーシックインカムのある資本主義、ベーシックインカムに支えられた自給自足主義、土への回帰、価値観のコペルニクス的転回。 

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資本主義難民

  
  
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昨日と違って今日は風の少ないおだやかな1日だったので、いよいよ分蜂があるかもしれないと気分は高ぶっていたが、今日もなかった。

木工作家の知り合いの人が今日、分蜂をゲットしたようだ。去年スズメバチに襲われ逃去したが、同じ置き場所に入ったらしい。 

明日、明後日は天気が崩れる予報なので、次に分蜂が期待できるのは4月20日の水曜日頃か。
 

2月末から収穫が始まった「三陸つぼみ菜」は、1か月半ほど収穫が続いたが、そろそろ終わりに近づいた。その2週間後に収穫が始まった「のらぼう菜」はもう少し続くが、出荷量が半分になると、それに費やす往復の時間がもったいない。

ハウスはないので4月中旬~6月中旬に直売所へ出荷できる野菜は少ない。
レタス・・・雨が少なく、少し寒いので成長が遅れている。
サラダシュンギク・・・春は初めてなので、どうなるかわからない。
チンゲンサイ・・・サラダシュンギクと同じようにすじ蒔きにした。菜っ葉はあまり得意でないので、出荷できるかどうかわからない。
早生タマネギ・・・今年は欠株が多い。

直売所に出荷できなくても、エンドウ、グリンピース、スナップエンドウ、春キャベツ、ハーブ類もあるので、ワンパックの方は何とか出荷できる。


例年より1週間遅まきしたのに低温で、ナンキン、韓国ナンキン、トウガン、キュウリ、スイートバジルの発芽が悪い。何年やっても懲りずに失敗を繰り返している。
 

ある日突然、東北のような被災にあったら、ボクは立ち直れない。がんばる気力も失う。「がんばろう」などの活字を目にしたら多分、腹が立つだろう。

年齢的にもがんばる気力はない。ただひたすら年金の支給年齢が来るのを待ちわびながら、それまでは定期収入のある家人にすがるしかない。

本人や家族に定期収入がない場合、もしくは借金して新築等をしていた場合、もしくは家族で農業や漁業をしていた場合、今後の生活はどうなるのだろうか。貯金がある人ばかりではないと思う。

想像の域を超えている。

こんな時、ベーシックインカムの支援があったら本当に助かる。ボクが年金の支給年齢を待ちわびるのといっしょ。


日本の資本主義はリスクが大きすぎる。新卒でいい企業に入れなかったら、いったんレールからはずれてしまったら、甚大な被災を被ったら、健康でなくなったら、その日から突然、坂道を転げ落ちるようになる。今の日本にセキュリティ網はほとんどない。

世代間格差もベーシックインカムでしか取り戻せない。「ゆりかごから墓場まで」、生きていくための最低限の保障がベーシックインカムだと思う。

そして、雇用問題、農業問題、環境問題、今回のような被災の問題等、多くの複合的難問を同時に解決するのがベーシックインカムである。

共産主義難民より資本主義難民の方がはるかに多い。


子ヤギがますます活発になり、なかなか捕まえれなくなった。このまま放任しておいていいのか、それとも首輪に1メートルほどの紐を常時つけ(多少のストレスや危険を伴うかもしれない)、しばしば捕まえてスキンシップを多くした方がいいのか、次の飼育者に相談して意向に従おうと思う。
 
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民主主義の機能不全は1910年が原点

   

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東日本大震災を起こしたM9の巨大地震と大津波は「容易に想定できた」とする見解を東京大理学部のロバートゲラー教授(地震学)がまとめた。「想定外だった」とする政府の地震調査委員会を批判、地震の将来予測の見直しを求めた。
 東北地方では明治三陸地震(1896年)や、昭和三陸地震(1933年)など、20~30メートルを超す津波の記録もあり、「福島第一原発の設計段階で対策の検討は可能だった」としている。
(朝日新聞4月14日)

時の政権や業界にとって「都合の悪い見解」は無視される。この国には、きちんとした民主主義が根付いていない。それは政界でも、業界でも、学界でも。

「菊と刀」や「日本人とユダヤ人」で、戦後に目覚ましい復興をとげた日本人の卓越した能力を美化した時期もあったが、個々の能力と民主主義の発達は別問題である。

日本の民主主義が機能しなくなったのは、100年前の1910年に起きた「大逆事件」と「韓国併合」という歴史的事件が原点になっていると思う。

各家庭においても、本人の今あるのは祖父母の時代からの因果応報である。良いことも悪いことも含め、先代の生き方や考え方が現在の自分の骨格を形作っている。

大逆事件も韓国併合も、中学校や高校の歴史の教科書でちょっと触れているだけで、大半の人の記憶には残っていないだろう。もちろんボクもそうである。

それでも現在の日本の「民主主義の機能不全」を考えると、どうしても100年前のこの事件に遡って考えるしかない。


地震学会でも時の政権や業界に都合の悪い「想定」は、否定されたり無視されたのだろう。時の政権や業界に都合のよい「御用学者」がマスコミに登場する。

原発立地でも当然そういうことが起こる。

国の大借金も、民主主義が機能不全に陥っていることの証明である。
 

地震の復興には1人につき年間80万円ほどを支給する年金型の「ベーシックインカム」がぜひ必要だと思う。

家を失い、職場を失い、田畑を失った人が、どうやって復興できるだろうか。


以下は高澤秀次著『文学者たちの大逆事件と韓国併合』の書評を述べた「良泉の日記」というブログを抜粋させてもらった。 

大逆事件と韓国併合。この二つの大きな歴史的事象が、同じ年1910年に生起したことは決して偶然ではない。国の内に向けての大逆事件と、国の外に向けての韓国併合。この両にらみの我が国の強行姿勢をもって、日本は天皇制全体主義国家像を国の内外に明確に示した。
 うちに向けては、国民に知らしめるかのように。外に向けては、欧米ロシアなど強国に対する挑戦状・国力誇示の証として。アジア諸国に対しては“アジアの盟主”を語った覇権姿勢の表明として。
 
 著者はあとがきで言う。
『大逆事件を機に顕わになった、あらゆる「理想」と「虚構」の「不可能」性を歴史的に隠蔽する『坂の上の雲』のような作品に、国民が熱狂していることが、おぞましく感じれた・・・どう見てもそれは、日本近代史の汚点から目を背ける、歴史離れの自虐的徴候なのだ。大逆事件や韓国併合を忘却し、あるいは隠蔽して、明治という時代の「可能性」を語るなど、およそ雲を掴むような話でしかない。』
 あの“暗黒の時代の日本”を決して忘却に追い込んではいけない。
 そのために、まずは反応すべき文学者たちは、この日本の“大国主義へ歩み始めた日本”に対しどのような態度をとったか・・・。 


1910年の事件は厳然と現代に続き、生きている。1910年を契機とした「民主主義の機能不全」は、このたびの巨大地震の復興においても、大きな足かせとなるだろう。 

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25の「待ち受け箱」

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待ち受け箱を4つ追加した。お墓の上に2つと放牧場の南に2つ。合計で25の待ち受け箱。こんなに予定していなかったのに、こうなった。

25という数字は、この地域の蜜源をすでに突破している箱数かも知れない。移動しない日本ミツバチは、どこの地域でも20ほどの箱数が限界のようである。同じ地域に競合する飼育者がいたら、20からその数を差し引いた箱数になるだろう。

この1年間、待ち受け箱をどこに設置するか、考え続けてきたが、イメージしたすべての場所に待ち受け箱を置くことになった。

墓の上も放牧場の南も当方の所有する山林ではないので許可をもらう必要があったが、「見回りのコース」からは、さほどはずれてはいない。ただ今日設置した4つは、あくまで「待ち受け箱の置場」であり、運よくゲットできたら当日中に(日没後20分が経過してミツバチが全て巣箱に戻ってきてから)、葉タバコ跡地の年間飼育場所に移動する。

お墓の上は墓参り客もあって、ちょっと問題があるかなと思ったが、どうしても待ち受け箱を置いてみたい場所だった。1ヵ月間ほどの限定で置かせてもらった。

放牧場の南は「北斜面」の置き場所になリ、一般的な置き場所である「南斜面」とは逆になるが、ここは春~初秋の午前中は太陽があたる。もちろん巣門(出入口)は東~東南向きにした。  
 

昨年、今年の2年間でかなりの投資になった。
巣箱・・・約15万円
ブロック・・・60個×88円=5280円
レンガ・・・10個×148円=1480円
波板(雨避け)・・・6枚×1480円=8880円
緑色コンテナ・・・6個×560円=3360円
合計で17万円ほど。最初は自分で作ろうと電動ドライバー等も購入したのでそれらを含めると18万円ほど。

ヤギも、放牧場作り、小屋作り、その他でこの2年間に10万円ほどの投資になっている。
 
合計でこの2年間に18万円+10万円=28万円。多大な出費になった。元は取れるだろうか。取れそうにない・・・。

ヤギは売れるものはないし、

ミツバチは自然や環境を考えることが目的だし。

しかし長く続ければ、投資したものの減価償却はできるだろう。  
 
ヤギは「直売所出荷の出会いをセット」してくれたし、「援農復活」のきっかけを与えてくれたし、「ミツバチの先達との出会い」をもセットしてくれたのだ。

そしてミツバチは「里山歩きの楽しみ」を日々提供してくれている。

両者とも、ブログネタとしての貢献度は計り知れないし、金銭に換算できない有形無形のものを惜しみなく与え続けてくれる。 

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木工作家の「待ち受け箱」置き場

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木工作家だけあって、いろんなタイプの「待ち受け箱」を家の周辺に置かれている。鳥小屋の側面につるしたり、納屋の中や納屋の側面や納屋の板壁にも設置している。

   
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右の画像のように1群だけ越冬している。

   
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木にぶらさげている待ち受け箱もある。待ち受け箱の下が「分蜂板」の役割を果たし、分蜂板に蜂玉を作った群が自動的に待ち受け箱に入るような仕組みである。

合計で20ほどの待ち受け箱を置かれている。今季にかける思いは強い。

 


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その帰り道、サトイモの種イモをわけてもらいに行った。画像は2年前に一緒に購入した「岡崎おうはん」というニワトリだが、羽がふさふさして、よく肥えている。我が家のは首や尻尾の羽がかなり抜けて見苦しい。そんな状態がすでに1年以上にわたって続いている。だから画像をブログに載せていない。

青菜は毎日たっぷり与えているが、何かの栄養素が決定的に足りないから「突つき」によって羽が抜け落ちているのであるが、それをどう補充していいのかわからない。「米ぬか」、「コゴメ」、「コメリで購入している1袋1230円の購入飼料」をそれぞれ3分の1ほどづつ与えているが、その他の飼料は手に入りにくい。Yさんは外食店からダシガラ等をもらい、自家配合した飼料を与えている。成育中のニワトリも入れて合計で400羽ほど。

    
  
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午前中にキクイモを250個ほど植えた。右の2列には今日わけてもらったサトイモを植える予定。畝の中央に画像のように消し炭をふり、メタン菌液肥を施して土を戻し、黒マルチを張って植える予定にしている。


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天下の悪法「改正家畜伝染病予防法」


   
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今日でちょうど2週間。親より軽いフットワークで岩を上がり下りする。すばしっこくて、なかなか捕まえれなくなった。小屋の中にいる時だけさわれる。

出し入れの時は母ヤギを動かせば後をついてくるので、これは問題ない。

 

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当地の「美しい森」施設。巣箱置き場から直線で200メートルほどであり、ここでの蜜源の量がミツバチの箱数に大きく影響する。


3月29日に成立した改正家畜伝染病予防法では、鳥インフルエンザや口蹄疫の疑似患畜を殺処分した際に、国が損失の全額を補償することになった。

この法律により、大規模養鶏や大規模畜産という飼い方のリスクを当事者は背負う必要がなくなった。

もし当事者がリスクを背負うなら、大規模養鶏や大規模畜産は廃れてしまうだろう。

なぜなら、鳥インフルエンザも口蹄疫も、特殊な伝染病というより、日常のありふれた病気の一つと思えるくらい発生頻度が多くなっているから。

国が補償するのだから、飼い方の見直しをする必要もない。そして飼い方の見直しをしないなら、今まで通り、鳥インフルエンザも口蹄疫も発生し続けるだろう。これらの伝染病の原因は「飼い方」に問題があると考える。


自分に関して言えば、鳥インフルエンザはあまり怖がっていない。なぜなら少数飼いのニワトリが発生源になったことはまだ1度もないから。大半がケージ飼いの大規模養鶏である。

しかし、口蹄疫は怖い。鳥インフルエンザのような「点」的な発生ではなく、ある場所で発生したらその場所を中心にして面の広がりを見せるという点で脅威である。

そして口蹄疫に関しては口蹄疫対策特別措置法の第6条で、
『度道府県知事は、法第3章に規定する措置だけでは、口蹄疫のまん延の防止が困難であり、かつ、急速かつ広範囲にわたる口蹄疫のまん延を防止するためやむを得ない必要があるときは、農林水産大臣が口蹄疫のまん延を防止するために患畜等以外の家畜の殺処分を行う必要がある地域として指定する地域内において、都道府県知事が指定する家畜(患畜および疑似患畜を除く)を所有する者に、期限を定めて当該家畜を殺すべきことを勧告することができる』とある。

つまり、もし近くに口蹄疫が発生したら、我が家のヤギも予防的殺処分の対象になる可能性がある。

ヤギを殺すなら、同類のシカやイノシシも殺処分する必要がある。ヤギだけというのは予防的観点からはまことに不備である。それとも野生動物には口蹄疫は伝染しないとでもいうのだろうか。我が家のヤギは野生同然の飼い方をしている。

鳥インフルエンザも口蹄疫も大規模飼育という飼育法に原因があると思うので、これらの伝染病を防ぐには飼い方の見直しが必要なのに、国が損失の全額を補償するので、飼い方の見直しは進まず、従来通り今後も頻繁に鳥インフルエンザや口蹄疫が発生し続けるだろう。

国が補償ということは税金を投入することであり、これをどう思われますか。

エサの大半は輸入品であり、しかも伝染病のリスクは国が負うというなら、卵や乳製品や肉を直接輸入した方がかなり安くつく。

また、殺処分した家畜の埋却が迅速にできるよう、都道府県が補完的に土地を準備することも盛り込まれた。・・・まさに至れり尽くせりである。

これでは民営というより国営である。収拾策が東京電力と同じに見える。

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後半から読んでください

 
  
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「独占」の弊害なくす契機に
(経済学者・八田達夫さん)

電力の自由化が進んだ多くの欧米諸国では、発電会社と送電会社は別会社だ。発電事業には民間企業の自由な参入を認め、送電線は国営か半官半民で管理している。送電の料金は規制価格だが、電力価格は市場の需給で決まる。電力不足のときにも需要家に節電の動機が生まれる。
需給に応じて自動的に電力節約を促すには、多くの発電会社による競争によって、時間ごとに細かく形成される電力価格が、安定供給に中心的な役割を果たす制度にする必要がある。そのためには発送電の分離と、発電会社の分割が不可欠だ。

それができていないのは、電力会社の独占力のためだ。私は経産省総合資源エネルギー調査会の委員を長年つとめた。そこで感じたのは、さまざまな癒着ともたれ合いの構造だ。

電力業界は会社と労働組合の集票力によって政治に影響を及ぼし、役人を天下りで受け入れ、官僚と癒着した。世論形成に影響のあるテレビ番組のスポンサーにもなっている。電力の発送電一貫体制を分割することは、この地域独占を破壊することになる。

欧米並みの制度をまず東電の区域に導入すべきだ。原発被害への賠償に対する国の補助と引き換えに、東電をいったん国有化する。その後、発送電を分離し、発電会社は複数に分割する。いったん国有化することは、発送電分離を可能にする上で重要だ。

欧米では、政府が電力会社から料金を取って原発の使用済み燃料を最終処分する仕組みだが、日本ではそうなっていない。これでは費用がわからず、原発を推進すべきか否か経営判断できない。

こんな制度では、国と電力会社が責任を押し付け合って、問題を先送りするだけだ。東電から原発を切り離し、政府の管理下に置くべきだ。責任を誰が取るのか、あいまいなのが一番いけない。
(朝日新聞4月12日・オピニオン一部抜粋)


理解するのが難しいオピニオンだったが、言おうとしていることは漠然とわかる。取り返しのつかない原子力災害によって今、多くのことが明るみに出ようとしている。こうなる前に、閉鎖的な体質(独占的な体質)を打ち破る手だてが必要だったのに。

農業も農協が「独占的」過ぎると思う。

現実には、肥料や農薬の販売は自由化されている。

農業資材の販売も自由化されている。

しかし、補助金だけは自由化されていない。

そして不透明である。

すでに30年以上にわたって2兆5千億円~3兆円以上の予算が毎年投下され続けてきたにもかかわらず、農業は斜陽の一途である。

農協に責任がないと言えるだろうか。

50年以上にわたって、農協、自民党、農水省は三位一体でやってきたのに。

政権が代わってまだ数年しか経過していない。


農協も「自由化」する必要があると思う。

そうしないと、日本の農業が変わっていかない。

「自由化」のためには「TPP」を推進する必要がある。

農作物の輸入自由化こそが、新しい農業の復興を促す。


農業補助金は不透明過ぎる。

既得権益だけが利益を得ている。

費用対効果が全く現れていない。

大多数の農業者にとってTPPより害獣問題の方がはるかに切実で重要問題である。

輸入自由化によって消費者メリットは飛躍的に増大する。 


大規模農業に支援を集中していこうという流れであるが、それは原子力発電に似ている。

大規模酪農には口蹄疫のリスクがつきまとい、

大規模養鶏には鳥インフルエンザのリスクがつきまとい、

大規模農業は環境破壊のリスクを伴い、少数単一作付のため異常気象にも対応できない。

口蹄疫や鳥インフルエンザは改正家畜家伝法で保護され、当事者は飼い方のリスクを背負わない。

大規模農業も「経済的、効率的」という一面的な側面だけで、支援をそれに集中しようとしている。

おかしすぎる。21世紀の流れに完全に逆行している。

原発もこれに似ている。いかに効率が悪くても、いかに経済的でなくても、次の世代のために自然エネルギーに変換していく必要がある。


電力も地産地消が言われている。農業も必要最低限のものは自分で作る、もしくは田舎とのネットワーク作りをしていくことが大飢饉に遭遇した時に役立つ。

環境的な面からも、癒しの面からも、古里作りの面からも、自給率の面からも、逃げ場を作る面からも、「有畜小農複合自給型農業」が21世紀の主体である。

農業に補助金は本当に無意味だと思う。すでに40年以上にわたって斜陽の一途であるのをみても、補助金が効果的に使われていない。これは税金の無駄使いであり、他にまわすべきだ。それでも農業補助金を続けるなら、EU(欧州連合)のように補助金を明瞭化する必要がある。

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写真集「屠場」本橋成一さん

 
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寝起きに、2頭そろって「伸び」をしている。

 
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2頭そろって、乳を飲んでいる。


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2頭そろって、おしっこをしている。後ろ足を少し引き気味に踏ん張ってする。

 
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2頭そろって、休んでいる。いつも同じ行動をとる。


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竹やぶ沿いにツバキがたくさん落下している。ヤギはツバキの葉は食べないが、花は食べる。踏んで歩きたくなかったのでヤギにあげた。


巣箱の見回り

午前11時半頃と午後2時半頃の2回、21箱設置した「待ち受け箱」の見回りを昨日から日課にした。5月20日頃まで40日間続ける。

4月5日まで低温が続いたので、第1分蜂は4月15日以降と思うが待てなかった。

1回の見回りに15~20分を費やしている。「入ってるかな」というわくわく感で1箱ずつ注視するが、そう甘くはない。


米糠

一昨年までは米糠が無料で手に入ったが、今は1袋250円もするので、メタン菌液肥にたくさん使えなくなった。これだったら1袋1000円ほどのナタネカスの量を増やした方が肥効的にはいいかなと思うようになった。

つまり、今までは米糠とナタネカスの割合は4対1だったが、半々くらいにしようかと考え始めた。古賀綱行さんの「自然農薬で防ぐ病気と害虫」という本にはナタネカスだけを使った液肥が紹介されている。

ただ自分の場合、米糠は利用範囲が多い。
(1)ニワトリには米糠3分の1、購入飼料3分の1、コゴメ3分の1
(2)出産前後のメスヤギには米糠かコゴメを与える
(3)メタン菌液肥



震災後の日本「提言論文」募集

朝日新聞が、震災後の日本「提言論文」を募集しています。テーマは、(1)東日本復興計画私案、(2)これからのエネルギー政策、のいずれか、または双方を論じてください。400字詰め原稿用紙で20枚まで。
 最優秀など入選作を決めて、紙面に掲載するとともに副賞も差し上げます。締め切りは5月10日。
(朝日新聞4月10日)


本の紹介 「屠場」(本橋成一さん)71才

 賭場は、温かいのだという。そこで働く人間も、「食肉」になる動物も、温かい血が流れる生き物だからだ。人間が生きていくために動物の生命をもらう。その仕事の現場が写真集になるのは例がない。差別を受ける職業だからと、見ない見せない事態が長く続いた。
 大阪・松原市の屠場で1980年代半ばに撮ったモノクロ写真が中心だ。大きな牛を人が引いてくる。鉄の心棒が飛び出すピストルを眉間に当て、一発で気絶させる。でなければ苦しむ牛が暴れて危険だ。「現在はもっとシステム化していますが、当時は牛の生命も、それに向き合う人の仕事も、よく見えましたね」
 撮影も余裕がなかったという。あまりの迫力に気押されてシャッターを押せない、興奮してピントがぼけブレる、レンズに血痕が走る・・・。
 「僕はもともと技術が達者じゃないけど、経験を積めばそれなりに撮れるようになる。そんなことが吹っ飛んで、面と向かっていった」
 40年前、筑豊を撮ったデビュー作『炭鉱』の原点に戻ってこられた、という思いひとしおだ。
 「立派な本だ」と屠場の人たちが喜んでくれたそうだ。「うれしいです」と喜ぶ。(平凡社・2940円)
(朝日新聞4月10日)

人が殺した肉は平気で食べるが、自分はこの写真集を見る勇気がない。

スーパーに並んだパック詰めの肉から、生きている姿をほんの一瞬でも想像しながら購入している人が何人いるだろうか。

ニワトリをつぶすことはできても、ヤギに同じことをする勇気はない。

父は屠場見学に行った後2~3日、飯がのどを通らなかったそうだ。子供の頃に聞いたことがある。

近所のおばさんから「うちのお父さんはニワトリもよう絞めんので、いつもわっちが絞めとった」と聞かされた。

子どもの頃、祖父が、飼っていたニワトリを肉にするのを何回か見た。いつのまにかニワトリが小さな肉片になるのを見て、今日はスキヤキが食べれると思うと夕飯が待ち遠しかった。 

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ある日のできごと

 
 
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自然災害はガンの宣告と同じ

がんばれないし、戦えない

運命を受容するしかない


その日はある日突然やって来る

その時になって、あわてふかめないように常日頃から緊張の糸を張って暮らすといっても、いつも安きに流れる

ガンの宣告も、命の余命も、自然災害も、肉親との突然の別れも、ある日、突然にやってくる

心の準備もできてなく、わが身の不運をなげく

それでも、どうすることもできない

ただ、月日だけが過ぎていく

そして、すべてを受容するしかないのだとわからされる

神などいない

神などにすがらない


突然、ガンを宣告されたからといって、自分の思考回路が変わるわけでもない

運命の不運を嘆いても仕方がない

いつその宣告を受けても動じないように、常日頃からそういう生活態度を心がけるといっても、それはなかなか難しい

他人でなく自分なら

肉親でなく自分なら

どちらにしても、とってかわることもできない

その時が突然やってきても、あわてふかめないように・・・

それでも、日常から逸脱することはできない

がんばらないし、がんばれない

今日の日が過ぎていくのを、ただ見ているだけ


明日になっても状況が変わるわけではない

ガンを宣告されたら、致命的な自然災害にあったら

今までの日常から退くしかない

それはある日突然やってくる

人はその日にむかって歩んでいる

まだ心の準備ができていなくても  

受容するしかない

そして、最後の最後になっても最も必要なものはカネ

しかし、稼げないという循環の中にいる自分は貯蓄などできない

今までのようにその日暮らしを続けるだけ 

ただ、家族にはこれ以上の負担はかけれない

ガンの宣告や致命的な自然災害で、そんな緊張の糸が切れる
 
人は、その日にむかって歩いている

心の準備ができていなくても

どうすることもできない

きちんとまとめることもなく

有終の美を飾ることなど全くなく

ある日突然、普通の日常が途切れる

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ヤギは成長するにつれて多くの問題が浮上する

  
 
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ヤギがかわいいのは、ほんの一瞬。成長するにつれて、多くのいろんな問題が浮上してくるので、それを一つ一つ克服していく必要がある。

オスなら去勢の問題

メスの種付けの問題

産まれた子ヤギの引き取りの問題

角が生える可能性もあり除角の問題 

ヤギには近年、口蹄疫の問題もある

50年前のように集落に何軒もヤギを飼っていて、バクロウ(家畜の仲買人)さんが定期的に顔をのぞけてくれていた時代と異なり、今のヤギ飼いは各地に点在しているだけ。

こんな時代であるが、インターネットで全国のヤギ飼育者の様子を知ることができるし、メールで相談をすることもできるし、多くの事例をブログ等から学ぶこともできる。


2頭のオスのうち1頭に角が生えそうな形跡が見られる。「ヤギの除角」で検索してみた。
 
「ヤギの搾乳台」も検索してみたが、こちらは簡単そうなのが見つけれなかった。必要に迫られてからにしようと思う。

雨模様だったので、先日図書館で借りた「我が家にミツバチがやって来た」のうち、「分蜂と待ち箱と捕獲」の章だけ繰り返し読んだ。

「キンリョウヘンの土」も検索したら、軽石(大・中・小)+鹿沼土+マグアンプ(肥料)という組み合わせがよく、鹿沼土を30%以上混ぜると書いてあった。山の腐葉土も少し入れるといいらしい。


ミツバチの分蜂時期が終わり、子ヤギもいなくなる5月末頃から、蚕を2回転させる予定で6月~9月の4ヵ月間飼う。ヤギの出産を予定していた物置の一角(3畳)を蚕部屋にしたい。去年は家で10頭ほど飼っただけだが貴重な経験になった。今年は100頭ほど飼いたい。桑の木は一昨年、昨年に挿し木をしたのが合わせて15本ほど成育中であるが、ヤギも大好物なので30本ほどに増やしたい。 
 

    

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スモモの花も満開になった。去年の春にミツバチをゲットできたのは40月20日が第1回目で、4月26日が2回目、5月3日が3回目、5月16日が4回目だった。

今年は明日から5月20日頃までの40日間、午前と午後の2回、巣箱の見回りをする。

今日の雨量はほんの少しだった。作物には全く足らない。このところの少雨はミツバチや草木の開花にどのような影響を及ぼすのだろうか。


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春のスタート

  
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春ジャガイモと冬越しのレタス類の定植は3月中旬にしているが、春の実質的なスタートは今日である。例年4月1日~2日にスタートしていたが、今年は寒かったので5日ほど遅らせた。今晩はストーブがいらないほど暖かい。

ナンキン→12粒
韓国カボチャ(リッチーナ)→20粒
ミニトウガン→12粒
キュウリ→6粒
スイートバジル→1袋

スイートバジルは「稲の苗箱にばら蒔き」と、「144穴の発砲スチロールの連結ポットに種まき」の2パターンで蒔いた。


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ポットの8分目まで山の腐葉土を入れ、その上に消し炭混じりの土をフルイでおろしたものを入れた。スイートバジルの連結ポットの土は市販の育苗土を使った。

ナスビ、ピーマン等、育苗に手間がかかるものは市販の苗を購入する。

キュウリが少ないのは、苦手なので直売所には出さず、ワンパックの必要量だけ、1ヶ月おきに4回蒔く。


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サツマイモの芋伏せをした。温床ではなく冷床でしている。今頃すれば5月末~6月頭には苗が切り取れる。

130センチほどの畝を作り、中央部分を深く掘り、そこに鳥小屋の鶏糞、消し炭、メタン菌液肥を施して土を元に戻し、肩の部分に芋を並べる。画像の左から、スイオウ、高系14号、紫芋、他にハヤトウリ。 

今年は市販の「鳴門金時」と「あんのう芋」の苗を少し注文したので、自家製の苗作りは減らした。  
    
    
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チンゲンサイ、サラダシュンギク、ニンジン、サラダナ、ミニレタスを蒔いた。チンゲンサイとサラダシュンギクとニンジンは、畝立てをして2条に蒔き、その条間にメタン菌液肥を施した。

15日頃までにキクイモ、ヤーコン、サトイモの植え付けをし、20日頃にチンゲンサイ、サラダシュンギク、サラダナ、ミニレタスの2回目を蒔く。

明日は久しぶりの雨。まとまった雨が欲しい。シイタケが干からびたようになり、ワラビも生えず、草木のためにも、たっぷりの雨が欲しい。

雨後の4月10日頃には、いよいよ待ちに待った日本ミツバチの第1分蜂が始まる。
 
    
      
    
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2頭いっしょのポーズで、しかもカメラ目線をしてくれる。

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「復興財源」、三者三様の意見

 
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12鉢あるキンリョウヘンに水やりをしながらふと見たら、1鉢だけ花芽がついているキンリョウヘンがあった。1輪でも咲けばオロナミンCの小瓶に入れ、ネットをかぶせて巣箱の前における。ネットをかぶせておけば受粉はしないので、ゲットできたら他の巣箱にまわせる。

今年は花をあきらめていただけに、とてもうれしい。不手際の原因は細かく株分けしすぎたことと、キンリョウヘンに適した土を使わず適当にあるものですませた点だった。



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メスの鎖を放したら勝手に放牧場に向かい、そのあとを子ヤギが追いかけた。放牧場へ帰る道中をご覧ください。



昨日の朝日新聞のオピニオンにまた「復興財源」の、三者三様の意見が載っていた。

こういう意見には、その人の経済知識というよりも「人生観」が色濃く反映すると思う。二者の意見には全く反対だった。

経済知識は少なくても、これまで生きてきた経験や人生観、職業等から、誰でもその人なりの経済概念は持っている。同じような(近い)考えに出会わないのは、新聞が一面的(一方的)な意見しか載せていないからである。

物事にはすべて相対立する考えがあるのだから、新聞なら少なくとも対峙して載せる必要があるし、今回のように3人のオピニオンが載ると、より鮮明に見解の相違がわかる。 


江戸時代の自然災害、明治時代の自然災害、現代の自然災害の3つを対比すると、同じような災害でも、現代の自然災害が最も悲劇的である。高度資本主義社会の致命的欠陥は、復興に莫大なカネがかかることである。

資本主義的な復興を進めても、被災者は癒されない。
カネのかからない住居(仮設住宅を壊さずに住宅に転用)
カネのかからないライフライン
カネのかからない日常生活
こういう「生き方」ができるような復興にする必要がある。

現代社会は、生きていくための必要最低限の「固定費」のハードルがあまりに高い。

それでもサラリーマンならまだいい。土地も海もすぐには使えない第1次産業従事者は、これからどう生きていったらいいのか。 

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「自粛」「不謹慎」同調圧力に警鐘

    
 
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歴史的な災厄に直面する日本社会に今、「正しさ」を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めてはいないか。識者たちから、そのような懸念が聞こえ始めている。オールジャパン的な体制が必要視される状況にあって、「団結」の内実を問おうとする視点だ。

「私は『自粛』 『不謹慎』反対運動を立ち上げることにしよう」。ジャーナリストの佐々木俊尚は週刊ポスト4月1日号に、そう記した。

ある音楽公演に「不謹慎だ」「節電しろ」と批判が相次いだことを紹介。「節電は必要だが、我々は普通に経済活動をし、日常生活を送ればいいのだ」と述べたうえで、こう警鐘を鳴らした。「『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイトに転ぶ」。

フランス現代思想が専門の内田樹も同誌で、「『この非常時に、そんなふるまいが許されるのか』という恫喝から『非国民』という名指しまではわずかの距離しかない」と述べた。

作家の高橋源一郎は3月下旬、ツイッターで「祝辞『正しさ』について」と題する連続ツイートをしたhttp://togetter.com/li/114133
 
 
震災を前に「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴える学生に、「『正しさ』への同調圧力」に押しつぶされないように、と助言する。悲劇を前に連帯や希望を語ることは「正しい」。しかし「社会の全員が同じ感情を共有しているわけでは」ないのだよ、と。
「気をつけて」と、高橋はツイートで次世代に呼びかけている。「『不正』への抵抗は、じつは簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです」。


以上は4月5日の朝日新聞の記事であるが、これを読んで、自分自身も「知らず知らずのうちに」、家族や他人に対して同調圧力をかけていた(かけられていた)と気づかされた。

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連れ出す方が楽か、刈って与える方が楽か

  
 
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(1)ヤギを草場に連れ出す方が楽か
(2)草を刈ってヤギに与える方が楽か

50年前はほとんどが(2)だった。その方が楽だったからである。

しかし今は格段に安く、そして便利なヤギ用品がホームセンター等に置いてある。これらはヤギ用品というよりペットの犬用品である。

(1)2メートル30センチほどの鎖
(2)40センチの杭
(3)首に付けるフック
(4)杭に付けるフック
(5)首輪

50年前はこれらが簡単に手に入らなかったので、ヤギを外に連れ出すことは難しかった。

今は外に連れ出す方が楽だと思う。特に草があまり伸びていない今の時期はそうである。


太いドングリの木などを切って投げ込んでおけば、エサの半分は賄える。外に出すといっても、外につなぐ時間はせいぜい2~7時間ほどであり、22~17時間ほどは舎内もしくは放牧場内で過ごすようになるので、その間のエサとして木や竹を切って入れておく。

50年前までは木は貴重品(クドや風呂焚きに使っていたから)だったので、勝手に切ったら叱られたが、今は一言おことわりすればどこでも切らせてくれる。

ヤギは大型犬ほどの大きさなので、食べる量はたかがしれているように思えるが、犬のような肉食ではなく草食なので、半端でない量の草や木の葉や竹の葉を食べる。家畜は1日の大半が、寝ているか、食べているかの、どちらかである。
 
出産前後は栄養がいるのでメスの方だけ(オスに見えないように)、コゴメか米糠を少量与えている。 


たった2頭でも、山の木をかなり食べて、今はだんだんと遠方へ行かないとヤギの好物の木がなくなった。特に冬期間は草が伸びないので、山の木や竹の葉がエサの主体になる。ハクサイやキャベツや菜っ葉類を少し多めに作っておくと楽である。

牛はヤギと違って山のものを食べず、ほとんど草だけなので昔の人は大変だったろうと思う。体躯もヤギの10倍(ヤギはせいぜい50キロで牛は500キロ)あるので10倍食べるだろう。朝飯前にチョウタ(猫車)に乗せた「竹かご」いっぱいの草を牛に刈ってくることが50年前の人の日常だった。だから畔草も貴重品だった。

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義父は今年から稲作を止める

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これが巣箱(待ち受け箱)の全ての画像。こんなにオープンにしていいのか。盗難も多いのに。

それは多分大丈夫。盗難が多いのは日本ミツバチの巣箱ではなく、動かせる西洋ミツバチの巣箱である。日本ミツバチは原則として巣箱(場所)を動かせないし、蜜量が5~10倍も少ないので盗んでもメリットが小さい。

油断はできないが、朝夕はたいてい田んぼにいる(電柵の開閉と家畜の世話のため)し、葉タバコ跡地の山へ入るには車を止めて100メートル以上歩く必要があるし、夜間はシカやイノシシが出没するので危険である。 

   
  
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サクランボの開花は山桜より1週間ほど早いが、今年はサクランボの開花期に霜にやられてくすんだようになり、あまりきれいでない。


義父は今年から稲作を止める。年齢はすでに80才を超えているし、息子(妻の兄)もサラリーマンの仕事が忙しく、あまり気がのらなかったようだ。

稲作の大型機械やそれらを収納する倉庫への投資が惜しい。

今まで、籾蒔きや田植えや稲刈りや籾すりの手伝いに行っていたが、それも行かなくてよくなった。やれやれという気持ちと、残念という気持ちが半々である。

やれやれと思ったのは、応援に行く日を忙しい日々の中から捻出する必要がなくなったから。

残念と思ったのは、食べ量の米と、籾すりの時にできたコゴメ(鶏のエサ)を今後はもらえなくなるから。

コゴメがもらえないなら、ニワトリは30羽から15~20羽ほどに減らす必要がある。オスも1羽にする。

ニワトリは喜んで食べてくれる人がいるので処分には困らない。 


    
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ヤギの乳が飲みたければ「搾乳中のヤギを数か月貸してあげるよ」と言ってくれる人がいる。

乳搾りは朝と夕でそれぞれ30分はかかるだろうし
3頭となると世話が大変だし
大人のヤギを借りて、短期間で慣れてくれるだろうか

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三陸海岸の未来の形

  
 
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子ヤギの引き取り先に関して、数人の方からコメントやメールを頂き、まことにありがとうございました。

今日、子ヤギを引き取って下さる「村おこし」の方たちが見えられ、2頭いっしょに引き取ってもらえることになりました。こんなに早く行き先が決まってうれしい。

乳離れする5月末頃までの2ヶ月間、よく触れあって、人に懐くようにしたいと思います。 


文化の退行

退行とは「発達や進化がある段階で止まり、むしろ元に戻るような変化を起こすこと」。

もともと地震と津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たして何か。(哲学者、鶴見俊輔)


最近、どういう形の復興がいいかという記事が多い。

そういう記事を読んで思うのは、資本主義的な復興をめざすのではなく、資本主義以前の時代への復興をめざすことはできないかという問いである。

つまり、資本主義の次にやってくる政治経済システムを先取りするような復興をめざす、もしくはその「さきがけ」となるような復興形態にすべきだと思う。

そして、次の世代の負担をふやす莫大な資金を投入しての復興ではなく、カネをかけない復興の仕方が最も大切だと思う。

自給自足主義は、資本主義によって滅ぼされたが、資本主義は後30年持つかどうか疑問である。こんな生きづらい経済システムは長くは続かないだろう。

資本主義の次の経済システムは元の自給自足主義である。これは「文化の退行」ではなく、多くの人が今後求めていく生き方だと思う。

もうこれ以上の経済や文化の進歩はいらない。「脱経済成長」より一歩進んだ「反経済成長」を信奉する。
 
経済成長をしなければ国の大借金(生まれながらにして1人800万円超)が払えないと言うなら、予算規模を縮小し、税金の中で賄えるだけの予算規模にして、差額を国債の返済にまわす。それぞれの族議員を国会に送り込んでいる既得権益集団に予算を奪われていたら、国の借金は増え続ける。

高度資本主義になればなるほど、貧乏人はますます貧乏になり、カネ持ちにますますカネが集まる。

そして、働いても働いても格差が拡大し、働けば働くほど貧しくなり、働けば働くほど自分を見失うという回転の中に、多くの人は取り込まれる。

資本主義は一極集中が進めば進むほど効率がよくなるが、「就活」のような資本主義の奴隷となることなく、一人一人が独立した経済システムに移行しないと幸福は得られない。


大きな被害を受けたが、その昔、三陸海岸は自給自足の半農半漁の村だったはずである。復興や再起をめざす時、現在のような資本主義ではなく、新しい半農半漁を目指す復興にしたい。これは「文化の退行」とは言わない。

カネをかけない復興の形

次の世代に負担(国債の発行)をかけない復興の形

資本主義的な復興をめざさない形


文明の進歩は人間を苦しめる。再起に巨額のカネがかかるから。

三陸海岸の未来の形は、時代を先取りする自給自足的な半農半漁をめざしたい。

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巣箱の最終チェック


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3月は例年雨が多いのに、今年はきわめて少ない。だから遅れていた農作業も追いつくことができた。

出産や子ヤギの成長にとっても、晴れが続いているのはいい環境である。


朝の低温が続いているので、まだ春のスタートはしていない。

例年、4月1日~4月3日の間にナンキン、キュウリの種を8センチポットに蒔き、スイートバジルは稲の苗箱にばら撒きし、ニンジン、菜っ葉類は畝立てし、すじ蒔きをしているが、今年は4月4日~4月7日の間にしようと思う。

たくさんではないので半日もあれば終わる。

   

   
 
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設置した巣箱の前後左右の水平をチェックするために、画像のような「水平器」を購入した。大工さんがよく使っている。値段は高くないし肉眼でするより正確に早くできる。

その水平器を使って、巣箱の最終チェックをした。巣箱を選ぶ「探索蜂」がそろそろ活動を始めるので、今後は巣箱の近くを頻繁に行き来することは控えたい。

何か受験生のようであるが、この1年間、ミツバチをゲットするためにしてきた努力が4月10日~5月15日の35日間に試される。

(1)咲くかどうかわからないが「キンリョウヘン(ミツバチを引き寄せる東洋ラン」も水やり等の世話を1年間してきた。

(2)11月~2月の冬の農閑期の4ヵ月間、巣箱を置く山の整備をした。

(3)どこに巣箱を設置したらよいか、ミツバチの気分になって何回もシミュレーションしてきた。

(4)できるだけ数多くの「待ち受け箱」を設置して、ゲットできる確率をあげた。この春に設置したのは20個ほど。

(5)設置場所は南向きの斜面で、巣箱の出入り口は東~東南向きがいいようだが、セオリーを無視した置き場も数か所試みている。 

(6)楽しく見回れて、コースが一巡できるように設置した。

(7)去年初めて5箱設置して、奇跡的に4箱もゲットできたので、それが大きな自信になっている。

(8)そのうち1箱(1群)だけしか越冬できなかったが、その分蜂を2つはゲットしたい。

(9)ミツバチに関して学べる期間は4月10日~5月15日の35日間ほどしかないので、農作業よりミツバチを優先したい。

(10)今春と来春の2年間で、当地におけるミツバチの動向や飼える箱数(蜜源の量)がわかると思う。ゲットできたら今年はできるだけ採蜜は控えたい。

(11)元気でおれたら今後20年間ほどミツバチに関する記録が残せる。

(12)ミツバチウオッチング→里山歩き→森林セラピー

(13)日本ミツバチと西洋ミツバチはトンボと蝶ほどの違いがあると先人に教えられた。日本ミツバチは野生、西洋ミツバチは技術(プロ)。

(14)日本ミツバチは森林を蜜源とする土着民族型、西洋ミツバチは花を求めて移動する遊牧民族型。 

2030年 農業の旅→
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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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