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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

山仕事 11回目

 
 
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田んぼの周囲の里山がきれいになるのは気持ちがいい。

きれいになっても自分は後20年ほどしか楽しめないが、次の代?が引き続いて楽しめるだろう。

50年以上切っていない大木ばかり。今切っておかないと次の代が手に負えなくなる。

ただ伐採作業はかなり危険を伴う。Uさんに怪我がないことを祈るばかり。

山仕事に経済的メリットはほとんどない。数年後にシイタケが生えれば、それが少々ビジネスにつながるだけ。

いい形で次の代へつなげれればそれでよい。 



家におれば昼は、前夜の残り物や朝の味噌汁に卵を落として食べるが、外に働きに行くなら弁当を作らない限り、コンビニ等で昼食を買う必要があり、すぐに400~500円かかってしまうだろう。

出荷をしないで自給野菜だけを作るなら、スーパーで野菜を購入することに比べ、「持ち出し」の方が多くなる。趣味と実益と癒しの3つを兼ねているのだから採算など全く考える必要はないかもしれないが、ぎりぎりの年金暮らしなら、やはり天秤にかけて考えるだろう。 

自給野菜だけでも、種代と苗代は意外とかかり、春夏作と秋冬作で合計1万2千円はくだらないだろう。 


     
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40センチの杭を土中に首まで打ち込み、鎖は2メートル30センチほど。つなぐ場所は毎日変えている。

冬でも多少は草が伸びるので、それを与えている。

40センチの杭でもヤギは上には引っ張らず、横に引っ張るだけなので、抜けることはまずないし、連れ出し、連れ戻しはそんなに時間はかからない。草を刈って与える方がかえって時間がかかるだろう。

4月2日の出産予定日まで後2か月。乳房が少し目立つようになった。



明日からもう2月。今は農閑期だが山仕事をすると農閑期がなくなる。伐採後の事後処理に時間がかかるから。


物は考えようで、農業はすべて複合的に絡まっている。
電柵・・・害獣が出る地域の苦労が初めてわかった
ヤギ・・・ブログの表紙に最適と考えたのが飼う動機
山仕事・・・山仕事の仕方が傍で学べる
直売所・・・ワンパックと両方の出荷が学べる。並行すべき
ブログ・・・緊張感のある日々にしないと書けない
ニワトリ・・・30羽養鶏と農業は切り離せない
ミツバチ・・・日本ミツバチと西洋ミツバチは蝶とトンボほど生態が違う。分蜂期間に全力投入し、蜂浪人は禁物
蚕・・・歴史への散歩
ハウスなし・・・農閑期が自然とできる
多種類作付・・・不得意が多くても少しなら作れる 
 


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新聞には書けない問題だろうか

  
 
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鳥インフルエンザが多発する原因の一つは、ニワトリの飼い方が誤っているからだと思う。なぜ新聞はこのことを書かないのか。

(1)土に触れられないケージ飼いの環境
(2)太陽があたらない環境
(3)ほとんど身動きできない環境
(4)青菜が全く食べれない環境

これでは病気にもかかりやすいし、生き物が飼われる環境としては不自然すぎる。


そういう飼い方に対する反省は全くなく、
(1)防鳥ネットに隙間や穴がないか確認する。
(2)ネズミなどの野生動物の侵入を防ぐ。
(3)農場内専用の衣服や履き物の用意と出入り時の消毒。
(4)ニワトリの飲用水は消毒済みを使う。
都道府県内のすべての家きん飼養者が、家畜伝染病予防法に基づく飼養衛星管理基準と飼養衛星管理基準チェック表を守るよう、都道府県が点検・指導するよう促した。

上記のような「北風政策」ではなく、自然卵養鶏が主導する「太陽政策」に変換しない限り、鳥インフルエンザは決して回避できないだろう。
 
現在の鳥インフルエンザに対する空気は、第2次世界大戦前のような雰囲気になっている。とにかく徹底して予防をするという考え方。飼い方を批判するような記事は全くない。

太陽政策とは、
(1)足で土を羽にかける砂浴び(土浴び)
(2)たっぷりの青菜
(3)朝陽が差し込む鶏舎
(4)自由に動ける空間
の4つである。これが一つもないケージ飼いで、ニワトリの健康が保てるか。

鳥インフルエンザに対する予防を徹底すればするほど、抗生物質や各種抗菌剤の多用につながり、卵を通して人間の身体に蓄積される。


当方の30羽養鶏の場合、
(1)二重金網であり、野鳥の入る余地は全くない・・・青菜を通して野鳥との接触は大いにありえるが、これなしでは自分の鶏は飼えない。
(2)シンプルな鶏舎なので、 ネズミなどいない。 
(3)農場内専用の衣服や履き物の用意と出入り時の消毒・・・最初の電柵ゲートの前に石灰を置くくらいならできる。来客はUさん以外はほとんどない。
(4)ニワトリの飲用水は消毒済みを使う・・・消毒済みとはどういう水を言うのだろうか。上水道の水を使えということだろうか。


20~30羽養鶏は、
(1)くず野菜の処理とリサイクルのために必須
(2)卵と肉が自給できることは、いざという時に必須
(3)肥料としての鶏糞もかなりとれる
(4)扱い安く、手間がかからず、好き嫌いがない雑食性
(5)総合点でヤギよリ数段優れている

 
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土着性

   
   
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キクイモは日照りにもめっぽう強く、しかも多収である。5株掘っただけでこれくらいの収穫がある。これで400g×20袋ほどになる。

くず芋や収穫時の四爪切れも多いので、5分の1ほどがニワトリ行きとなる。もちろん土もいっしょに与える。

ニワトリは土も結構食べていると思う。だから土つきのものを多く与える。

鳥インフルエンザの最も大きな問題点は、「ケージ飼い」によって、ニワトリから「土との接触」を取り上げてしまったこと。

土から切り離したことがあらゆる病巣の源である。

人間も同じである。

大多数の人間は今、土と接触することがほとんど不可能になった。

土はあらゆるものを吸収してくれるし浄化もしてくれる。

土と日常的に接するようになれば、精神的な解放になるし、弧族になっても、土は心身ともに癒してくれるだろう。

というか、自然の中では人は孤独(弧族)にならない。草木や昆虫や野鳥や大空は、1人の時の方が楽しませてくれる。
 
社長とか医者とか学者等のいわゆるステイタスの高い人より、はるかに豊かな気分で、しかも学究的でいられるのは、日々、大地や自然と接することができる職業のおかげである。彼らは逆立ちしても、この境地に近づくことはできないだろう。

人間の本質は「土着性」であるにもかかわらず、土から離された状態で生きていかなければならないことが、多くの悲劇の根源である。

近代とは「人間」も「家畜」も土から切り離されて生きていかなければならない状態を言う。

大多数の人間や家畜はすでに、土の上に戻れない。


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口蹄疫にかかった牛や豚の多くも、土との接触を断ち切られた状態で飼育されているのではなかろうか。もちろん、太陽や青菜との接触も。

土はすべてのものを吸収し浄化してくれるのに、土は不潔であり病根の源のように捉えられている。 

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追悼 今関知良さん

 
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今朝、電柵の出入口に着いたら、2頭が竹藪沿いの道をうろちょろしていた。「あれ、また脱柵している」と思い、大急ぎで駆けつけたが、こんな時に限ってなかなか捕まえれない。放牧場の中で自由にしているのに、外に出るのはよほどうれしいのか2頭とも全速で走り回る。それでも追いかけていたら、自然に放牧場の中に走りこんだ。

電柵の外を走り回ってくたびれたのか、今朝はしばらく小屋の中から出なかった。


今関知良さんが亡くなられていたことを奥さんからの封書で知った。

1987年、50才の時に脱サラ。

1990年、53才の時に千葉県から徳島県の山川町に移住。

2009年、72才で死去

山川町に移住してちょうど20年。亡くなる前の10年間に9冊の本を出版された。


50才という比較的遅い時期からの転身であるが、22年間という農業人生を燃焼しつくされたから、あれだけの本が書けたのだと思う。

ボクももうじき22年目に入るが、まだまだ農業でやり残していることがいっぱいあるので、突然にガンなどを宣告されたら、どういう心境の変化が起きるだろうか。

今関さんの場合も、亡くなった年の7月の検査で突然に末期ガンの宣告を受けたようだ。亡くなられたのはその年の12月31日。その月の12月9日までホームページで日記を更新されている。

今関知良さんのことは、雑誌「百姓天国」の第1集でその存在を知った。内容が面白かったので、当時発行されていたミニコミ「ななほしてんとう」を毎月送ってもらえるように頼んだ。

15年ほど前に岡山県で有機農業研究会の総会が開かれた時に徳島から来訪されてお会いしたのが最初で最後である。

四国に渡ったのは4年前に祖谷温泉に行った1度きりであるが、その時に、今関さんはこの近くに住んでおられるのかなあと想像したが、同じ徳島県でも山川町から祖谷温泉までは3時間ほどかかるらしかった。

今関さんの活躍は、時々、ホームページで拝見させてもらっていたが、ここ2年ほどは自分のブログの更新で精一杯で、同業者のブログはほとんど見ていなかった。だから今関さんの亡くなったことも全く知らなかった。


長くご無沙汰していたが、その後に今関さんに電話をしたのは2003年の春だった。冬の農閑期に13年間分のミニコミ(あめんぼ通信)を1冊の小冊子にしたが、それを出版社に売り込みたくて今関さんに相談(依頼)した。

まるでワンパック(セット野菜)の電話営業をするみたいに、かたっぱしから出版社に電話をするように言われてその通りにしたが、小冊子を送ってもいい返事はもらえなかった。

その後は毎年のあめんぼ通信を農閑期に1冊の小冊子にして、4年間いくつかの出版社に送り続けたが、結局1冊も商業出版にこぎつけることはできなかった。

商業出版はあきらめざるをえなくなり、これからどうしようと考え続けていた時にブログの存在を知った。
 
今関さんも同一の出版社から出し続けたのではなく、断られると他の出版社に送り、結局、書いた本はことごとく出版できた。

今関さんはマラソンのように思考がつながるらしかった。ボクの場合は1キロ走を42個つないでマラソンにするような書き方しかできなかった。

しかし、この挫折の経験で、ブログ1本でいくしかないと覚悟ができた。


今関さんの農業歴は22年ほどの運命だったが、まことに充実していたから9冊もの著作が残せたのだろう。72才という年齢は世間的にはまだ若く、無念の思いが残ったかも知れないが、「登りつめられた」農業人生だったと思う。



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企業が「田舎の農地を買い占め」

 
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朝は大霜が降りているので、太陽があたり始めるまで農作業はできないが、焼却作業ならできる。事(山仕事)を起こせば、事が増える。焼いても焼いてもなかなか片付かない。


鳥インフルエンザが拡大しているが、大規模養鶏場ばかりで、20~30羽養鶏が感染したという事実はない。

渡り鳥の感染も公表されているが、ごく少数であリ大量死ではない。

ニワトリの命は、
(1)土との接触
(2)太陽の光
(3)青菜
だと思うが、大規模養鶏場ではこの3つは1つもクリアできていない。

集中治療室のような大規模養鶏場では雑菌が入ればひとたまりもないが、自然との接触が豊富な家庭菜園養鶏では、かなりの抵抗力があるはず。簡単には感染しないと思う。

(1)渡り鳥(カモ)が池に常駐しているので、池の水を飲み水にすることは止めた。
(2)青菜はたらふく与える。糞を通して野鳥との接触が大いに考えられるが、家庭菜園養鶏にとって青菜は命であり、元気の源である。

「20~30羽養鶏がなぜ鳥インフルエンザにかからないか」。新聞も検査機関も、もっとこのことを大々的に報じるべきだ。今まで大規模養鶏は感染しても20~30羽養鶏はほとんど感染していない。 感染が認められれば必ず新聞に公表されるはずだから。
 


行政刷新会議の規制・制度改革分科会は26日、中間とりまとめを公表した。
『農業分野では、農地の大規模化を進めるため、農地集約の仲介業務について、自治体や農協だけではなく、民間企業の参入を促すよう求めている。また、農地をほかの用途に転用する規制について、許可権限を握っている農業委員会のあり方の抜本的な見直しも提言。農業へ参入規制を緩める一方、転用規制は厳格に運用すべきだとした。』 (朝日新聞1月27日)

企業の農業への参入は全然かまわないが、農地の大規模化は進めてはいけない。大規模化は農業を壊滅させてしまう。日本の風土や国土にも大規模化は不適切である。21世紀の流れにも逆行している。

小規模の土地所有は、次の代のために何としても残す必要がある。

田舎では今、土地は資産ではなく負債になっている。土地はほとんど売れないし、放置しておけば草ぼうぼうになるし、イノシシやシカが出るので、無料でも田んぼを作ってくれる人がいない。

だから、企業が田んぼを買いたいと言って来れば、すぐにでも売りたい人の方が多いだろう。

そういう状況下で集落の田んぼのあちらこちらをまるで継ぎはぎのように買い占められたら、隣の田んぼで何をどう作られようと多勢に無勢で何も言えない。

同じ集落の人なら遠慮はあっても、企業となると遠慮などしてくれない。

企業に、田舎の二束三文の土地を買い占められだしたら、次の世代が農業を始めようにも、親がすでに田んぼを売っていたという現実に直面する。

企業の農業参入は食糧事情に貢献すると思うが、企業の土地所有は決して認めるべきではない。繰り返すが、土地所有の大規模化は日本の農業を壊滅させる。

小規模農業こそが、未来につながる農業を持続できるのである。この点に関して行政刷新会議の規制・制度改革分科会は全く誤っている。 



日本における「就活」とはいったい何だろう。就活して名の知れた企業に入り、企業の下僕になり企業にさばりついて定年までの40年間ほどを過ごす。こんなマニュアル通りの人生が果たして人生を生きたと言えるだろうか。しかし、こういう選択をする以外に他の選択肢がないのも現実。どうしてこんな画一的な社会になってしまったのだろう。

大卒のレッテルはいい会社に入るためのパスポートになるかも知れないが、ドロップアウトして底辺の社会を生きることになったら、そんなレッテルは何の役にも立たない。

底辺で生きるようになったら、学校で習ったことなどほとんど役に立たず、中学校卒業程度の学力で十分だと気付くだろう。

農業など始めたら、大卒のレッテルなどどぶに捨てたも同然である。しかし現在、そういう人が増えている。しかも一流大卒を平然と捨てている。

平然と捨てさせるくらい農業は魅力的である。最低限の生活がまわっていくなら農業へ進みたい。今はそういう価値観の時代である。
     
 


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新聞のTPP論客は農業をしたことのない人ばかり

  
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現在、キクイモとダイコンしか出荷できるものがない。キクイモは400グラムを120円で売っている。スーパーの産直では1週間に15~20袋しか売れない。1日平均にすると2~3袋。

キクイモは掘り上げて、それを選別し、泥を落とすために洗い、その後、収穫バサミで不良部分を切りとり、袋詰めをするので、手間がかかり採算に合わない。しかし10月末~2月末頃までコンスタントに出荷できる。

作るのは超簡単だが出荷が面倒。ニワトリの餌用に作るとよい。

皮をむかずに、おでんにしたり味噌汁に入れると意外とおいしい。


春が待ち遠しいような、まだ来てほしくないような、半々の気持ちである。春が待ち遠しいのは山桜が散る頃、春の分蜂が始まるからであり、来てほしくないのは冬の間にしなければならないことが、まだいっぱい残っているから。


農業の能力は同業者に比べてかなり劣るが、とにかく「自分の農業世界」を作りあげることに集中している。


ヤギの乳を飲むには出産が必要である。今妊娠中のヤギの乳量が少なければ、ザーネン種の雌をもう1頭飼いたいという気持ちがあるが、生まれた子ヤギの引き取り手の問題もある。子ヤギを飼いたいという希望が少ない「望まれない出産」なら、今後はあまり出産させたくない。その場合、ザーネン種でも意味がなくなる。

口蹄疫の問題は「ヤギを飼ってみたい」という気持ちに水を差すだろう。



TPPの論客は、実際には農業をしていない著名人ばかりで、肝心の農業者がほとんど登場してこない。だからばかばかしくてあまり読む気がしない。本来なら農業者におけるTPP賛成論者と反対論者の2つの異なる意見を対峙しながら新聞紙上に載せるのが筋。

農業新聞はTPP反対一辺倒であり、その「御用学者」のような人しか登場しないが、現実の農業者においては、TPP賛成・反対はせいぜい半々か、むしろ賛成が多いように思う。

すでに農業者の平均年齢は65才を超えており、とっくに農業は崩壊している。TPPを推進してもしなくても大勢に影響はなく、すでに末期的状態である。

TPPに反対することによって特定の大規模農家を守ったとしても、本当に彼らが日本の食糧を守ってくれるだろうか。

鳥インフルエンザや口蹄疫で最も影響を受けるのは大規模畜産であり、気象変動の影響を最も受けるのも大規模農家である。気象変動により農作物に甚大な被害があったとき、大規模稲作や大規模野菜農家は真っ先に影響を受けて、「自給率」など意味をなさない。明日の食べ物を守り、親戚や友人知人が最も頼りにして疎開して行くのは「小さな家庭菜園型農家」なのである。大飢饉に陥った時、あなたを守ってくれるのは昔も、戦中戦後も、今も、未来も、自然に寄り添う有畜小農複合自給型の小規模農家であり、決して大規模農家ではない。

農業補助金がまわるのは、食糧維持にほとんど意味をなさないと思える大規模農家や大規模法人や集落営農や特定農家だけである。


TPPに反対してどういうメリットがあるだろうか。

安い海外農産物がたくさん入ってくるようになれば、貧乏人は選択肢が増えて大いに助かる。
 
業務用や冷凍食品は安い海外農産物に置き換わるだろうが、一般の個人が購入する生鮮野菜は逆に国産(地場産)が支持されるだろう。 

 
21世紀は、リスク管理の面からも環境問題からも、大規模から小規模へ移行する時代である。そして、機械に疎外された農業から手作業を取り戻して農業に癒される方向に進むしかない。 

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卵の値段は昭和20年代よりも安い

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『平成22年(2010年)の鶏卵の価格は、実は昭和28年(1953年)当時より安いのです。つまり、50年以上たっても値上げどころか、値が下がっているのが現状です。「物価の優等生」と言われているとおり、鶏卵の価格は長期にわたって安価であり、少ない幅で安定していると言えます。

鶏卵生産者の数は、信じられないほど減っています。約40年前のおよそ300万戸から、3000戸へと、何と1000分の1に激減しています。それでも皆様に鶏卵をお届けするために、生き残ろうと必死で頑張っています。』

昨日の朝日新聞に上記のような半ページの広告が載っていた。


ボクがまだ子供の頃、卵は1個、5~10円で売れると何回も聞いていたので、売価はその2倍の200円ほどで売られていたのだろう。広告のグラフによれば、1953年は1キロ224円で、57年後の2010年は187円と出ていた。

卵の値段は40~50年前より下がっているんだ。

生産者の数は40年前の1000分の1に激減とあるが、専業農家の数も同じような減り方をしていると思う。

我が家がニワトリを飼うのを止めたのは今から45年ほど前の12才(小学校6年)の頃であり、時を同じくして集落からニワトリが消えた。

葉タバコを止めて、両親とも外に働きに行くようになったのもその頃であり、時を同じくして集落から専業農家がほとんどなくなった。

時を同じくして、集落から牛や豚も消えていった。

今から45年前とは1965年(昭和40年)。

卵の自給率は40年前は100%、現在は96%でほとんど変わらないので、卵の生産者の数が40年前の1000分の1になっているなら、これとは逆に、1軒あたりの飼う羽数は40年前の1000倍以上ということになるだろう。

つまり小規模飼育が駆逐され、その減少分が大規模化されたことになる。

牛や豚もニワトリと同じ流れになった。

すなわち徹底した資本主義化(機械化、大規模化、オートメーション化)が追及された。 



宮崎県で2例目の鳥インフルエンザが確認されたのは、新富町にある県内最大級の採卵鶏の生産団地だった。死んだ鶏が見つかったのは、建設して間もない最新鋭の鶏舎だけに、関係者に動揺が広がった。発生した鶏舎は同町最大の養鶏団地の一角で、日ごろから徹底した消毒をしていたという。周辺はカモやカラスなどの野鳥の飛来が多いとはいえ、死亡した鶏のケージは出入口ではなく、鶏舎の中ほどだった。(農業新聞1月25日)

…とても野鳥が原因とは思えない。 

鳥インフルエンザの発生はいつも大規模養鶏で、20~30羽養鶏(地べたで動きまわれる)はほとんど発生源にならない。青菜を通して野鳥との接触ははるかに多いはずであるが。

「なぜ20~30羽養鶏が鳥インフルエンザの発生源にならないか」をもっと考察し、飼い方の見直しが必要と思う。

家畜福祉とは、ニワトリに土との接触を持たせてあげること。太陽の光をあげること。青菜をたらふくあげること。動き回れる自由な空間をあげること。



1例目の農場では、ニワトリの飲用水に未消毒の湧き水を使っていたことや、1例目と2例目農場で死んだ鶏を収集する業者が同じであることも明らかにした。(農業新聞1月25日)


20~30羽養鶏では薬を使うことはまずありえないし、飼育期間中(4年ほどの間)に死ぬニワトリはわずかである。

未消毒の湧き水が否定的にとらえられているが、ボクは上水道より簡易水道(山の湧き水)の方が健康によいと考え、ニワトリの飲み水はもちろんのこと、田んぼに持参する自分の飲み水も、上水道ではなくあえて簡易水道の水を選択している。

簡易水道は冬の朝はたいてい凍っているので、前日の夕方に容器に入れておくが、忘れた場合は「池の落ち水」をニワトリに与えることもある。池には渡り鳥のカモがたくさん飛来している。

自分のような飼い方では鳥インフルエンザにはかからないと認識しているが、万一かかった場合、たまに使う池の水や、野鳥の糞を持ち込む可能性が大きい青菜が非難の対象になるのだろうか。


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山仕事(10回目)

  
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半日でシイタケの原木が40本ほどできた。Uさんの山仕事のスピードは確かに速い。ぼう~っと立って見ていたら、作業を次々に言われて、ついていくのが忙しいほど。

自分が倒すわけではないのに、1本倒すごとに心拍数が上がる。危険と隣り合わせの作業だから。

大木だったので重すぎて、多くはシイタケの原木には不適だった。

太い部分は70センチに輪切りしてUさんが薪に使われるが、その他の部分は他に利用方法がないので焼却(野焼き)して消し炭を作る。半日の山仕事の後は2時間×2回ほどの焼却時間が必要になる。

日本中の里山は、45年ほど前から利用価値がなくなり、大半は放置されたままである。燃料が木材からプロパンガスや灯油や電気に置き換わってしまったのだから仕方がない。

その里山は今、カシノナガキクイムシが媒介するナラ菌により、ミズナラ等が集団的に枯損する「ナラ枯れ」が大問題になりつつある。

その上、イノシシやシカに加えて「クマ」が、里山に増えつつある。

イノシシやシカは人間を襲うことは少ないが、クマは人間に対して攻撃的である。

すでに我が家から直線で25~30キロほどの美作市にはクマが出没するようになった。

近くでクマの目撃情報があれば、容易には里山に入ることができなくなるし、蜂蜜はクマの大好物なので、巣箱も置けなくなる。

クマが当地に進出してきたら、里山は放棄せざるをえない。そして、サルが進出してきたら電柵だけでは防げないので田んぼも放棄せざるをえないかも知れない。

野生動物保護や、禁猟期間など言っている場合か! 大至急に駆逐していかなければ、里山の近くでは農業ができなくなる。

 

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イノシシ肉、シカ肉に続いてUさんから今日、キジの肉をもらった。持った瞬間、キジの肉にしては重いと思った。1羽のニワトリ肉より量も多く感じた。

野生動物の肉はなかなか口に入らないので、もらったりすると家人も喜ぶ。一部は焼き肉にして、一部はダイコンと煮る。

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農業の多面的機能

 
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今日は集落総出の池の土手の草刈りと、当方の田んぼの下にある集落共有田の草刈りがあった。

池の土手がきれいになると気持ちがいいし、害獣避けにもなる。共有田の方は、昔、「お大師講」や「お伊勢講」の費用に使っていたのだろう。
 
  
 

韓国や日本での発生状況を見て、鳥インフルエンザや口蹄疫の発生を防ぐことは難しいように思う。リスク回避は、一ヶ所での飼育頭数(羽数)を減らして、被害金額を最小限に留めるしか方策はないと思う。

飼育頭数や飼育羽数を増やさないと効率や採算が取れなくても、それでも頭数や羽数を減らすしかないと思う。

環境問題や家畜福祉の観点からも、21世紀は畑作や畜産の規模縮小が求められる世紀と思う。第一次産業に工業や商業と同じ規模拡大や採算や効率という資本主義を持ち込めばますます荒廃する。

第一次産業は生産性や自給率という農産物の供給の側面以外に、国土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、景観の形成等、多面的機能がある。

第一次産業に徹底した資本主義を持ち込めば、生産性以外の他の側面が破壊されてしまう。

加えて第一次産業には、多面的機能の他に「自分自身を癒す」という側面もある。第一次産業における資本主義路線の追求は「癒し」よりも「疎外」を増幅させる。


農業には、徹底したビジネス路線と、家庭菜園や定年帰農等、自給や楽しみや癒しを求める路線の、大きく分ければ2通りある。農業の多面的機能を支えているのは後者の方であり、前者の方はむしろ多面的機能を破壊する側面が大きいと思う。

この観点から、前者の農業に補助金を集中させても、全くいい結果にはならない。農業に徹底した資本主義を持ち込めば破壊しつくされる。この国の農業を土台で支えているのは兼業農家型(家庭菜園型)や定年帰農型の農業なのである。ただ、こういう人たちにも補助金を投入することは単なる「ばらまき」である。どちらの農業者にも補助金など出してはいけない。 
 

ボクはある意味、理想的な農業をしているし、理想的な農業と思えるものを追求している。

田んぼのくず野菜や雑草をリサイクルする少数の家畜を飼い、ランニングコストが大きくならないように設備投資や機械の購入を極力控え、規模を大きくせず、旬に忠実に、農閑期のある農業にして、里山に手を入れるような農業形態を心がけ(落ち葉集め、森林セラピーや里山歩き等のグリーンツーリズム)、農業景観を大切にし、直売所等には依存せずにできるだけ直接に顔の見える関係(直接取引)を主体にして、完全無農薬や完全無化学肥料のような路線とは一線を画して、自分の身体が負担にならないよう、近代科学の恩恵を少しは享受する。
 
農業の評価を稼いでいる金額だけでするなら、自分のような農業は論外である。しかし農業はビジネス以外の側面がまことに多い職業である。



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投資は投資を呼び、機械は機械を呼ぶ

 
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第2の人生で農業を始める場合、30代半ば頃からのスタートが多いと思う。その場合、農業人生はせいぜい25~30年だろう。

35才+25年=60才
35才+30年=65才

農業に定年はないといっても、還暦を過ぎる頃には体力もスピードもかなり低下するのではなかろうか。

たった25~30年ほどしか農業ができないなら、あまり大きな投資は禁物だと思う。

8万円前後のパソコンを購入する時には、何度も検討するのに、農業に300万を投資する時にはあまり熟考しないように見える。

どうしてだろう。

農業だと気分が大きくなるのだろうか。

投資が当然と考えるのだろうか。

それでも実際に机上で減価償却費を計算してみると300万の初期投資で、25年しか農業ができないとすると、年間で12万円の費用がかかっていることになる。

農業で1か月に12万円を稼ぐのは大変である。


井戸は12年前に堀ったが27万円かかった。27年間(72才まで)使えば、1年に1万円の井戸代(水代)がかかったことになる。

1年に1万円の井戸水代は安い金額ではない。

その上、投資は投資を呼び、機械は機械を呼ぶ。

つまり、井戸に投資しただけでは終わらず、井戸水をポンプアップするためのエンジンポンプと100メートルホースは必需品となり、エンジンポンプのガソリン代も安くない。そしてエンジンポンプの修理代や、ホースの買い替えも発生してくる。

自分の場合、1回はオイル交換の忘れでエンジンポンプがパーになり、もう1回は冬に水抜きを忘れて1万円以上の修理代がかかった。

とにかく、何かに投資すれば、それに付随して必要になるものが必ず生じる。そしてこの付随費用がバカにならない。

投資は投資を呼び、機械は機械を呼び込むようになるから、極力、設備投資や機械の購入は控えた方がよい。修理代や油代に加えて、盗難防止のための時間もかかる。


たとえばハウス。

ボクは超不器用なので、結局、ハウスは持たなかった。

ハウスの場合、3~4年に1度のビニールの張り替えが必要だろうし、台風や大雪や竜巻による倒壊のリスクもはなはだ大きい。そして、ハウスの開閉という手間が新たに発生するだろうし、開閉のために留守ができなくなるだろう。冬物を育てるために農閑期もなくなる可能性がある。雨水が入らないので水やりの手間も加わる。

ハウスを持てば、ビニールの他にもいろんな付属部品が必要になるだろう。つまり、投資が新たな投資(費用)を呼ぶ。
農業をリタイアする時も、投資が大きければ「まだ元が取れていない」と思い、リタイアに二の足を踏む可能性もあり、引退の時期まで左右される。

ある程度は投資しないと収入につながらないこともあるだろうが、要は自分の適性をよく考えて、最小限の投資にとどめておいた方がよい。それでなくても農業は細かい出費が毎年多い。軍手、軍足、地下足袋、鎌、収穫ハサミ、黒マルチ、農作業着・・・。

設備投資が少なければ少ないほど、機械が少なければ少ないほど、農業のランニングコストは少なくなるし、リスクも少なくなる。

ほとんど投資してこなかったように思える自分の場合でも、
物置と鳥小屋(平成3年5月)41万
井戸(平成10年10月)27万
軽四買い替え(平成18年5月)74万
電柵(4年前そして去年追加)合計で17万

完全に割り切って考えるなら、農業などせずに、購入した方がかなり安くつく。

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先が全く見えなくなった時、突然何かがひらめく状況

  

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例年になく寒いが、ヤギは元気である。

家畜としてのヤギは優れた長所がいくつかある。
(1)体躯が大きくないので、人が十分に操れる。
(2)牛だったら、これくらいの柵は簡単に壊される。
(3)ザーネン種なら乳が搾れる。
(4)飼料代が無料。
(5)外への連れ出しも簡単。
(6)外へ毎日連れ出すなら、小屋+放牧場は3坪(6畳)ほどで十分と思う。小さければ堆肥(糞尿)も取れる。
(7)角がないメスや去勢オスなら子供が近づいても大丈夫。

ただし、ヤギには草刈効果はほとんどなく、害獣忌避効果もないので、「ヤギ乳を飲みたい」とか「ヤギで観光農業をしたい」等の強い欲求がないなら飼うべきではない。時間的負担だけが残る。
 

   
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今日も2時間ほど燃やした。


作曲家でピアニストの天平(30才)という人が最近ちょくちょく朝日新聞で取り上げられる。中学で飲酒、高校で金髪、煙草にけんか。半年で高校を退学。大阪で日雇い労働をしながら格闘家を目指した。仲間は気っ風のいい若者ばかり。・・・だが、何か違う。「自分を変えないと、ずっとこのままだ」。ほかにできることは? 音楽だ。5歳から電子オルガンやピアノを習い、浮いていた学校でも音楽の時間は一目置かれた。(朝日新聞1月20日)

中高時代は不良で高校中退でも、「5歳から電子オルガンやピアノを習い」から良家の育ちのように見える。

大半の人は、「自分にもできる何か」など思い浮かばないだろう。


自分の場合も、地盤、看板、鞄を引き継いだから、今の農業がある。祖父の代から農業をしていて、家庭菜園程度であるが父親という農業の先生がスタート時点では存在し、家も土地も農具もそろっていた。だから、完膚なきまでに挫折して明日が見えなくなっても「農業がひらめく必然(土壌)」があった。つまり天平さんと同じく幸運だった。ドン百姓のせがれだが、ある意味で農家は資産家とも言える。その後の努力などたかが知れている。

先が全く見えなくなった時、180度異なる進路が突然ひらめいてくれる状況が大切である。しかしこういうインスピレーションが生じる境遇にある人はごく少ないと思えるので、社会がその道を開いてあげる施策をする必要がある。


雇用でなく自営!

がんばらず、田舎の自然の中で歩む生き方。
 
異なる価値観の生き方。

そのためにはどうしても年間70~80万ほどの最低補償年金のようなものが必要である。


こんなに経済が成長しているのに、まだまだ成長し続けないと生きていけないのはおかしい。 

経済は成長すればするほど多くの人の生活は苦しくなる。

経済が成長し続けないと、1人当たりの国民の借金700万が払えないそうである。 
 
そんなことのために、成長に付き合わされるのか。 

もとはといえば自民党の長期政権が犯した政策。 


若い人でも今は働き口がなく、正社員の口も少ない。

農業でも害獣の著しい進出で農作物は相当に作りづらい。 

老年世代が年金をもらえなくなったら困るように、今は、若年世代も年金がなかったら3分の1ほどの人は生きていけない時代である。

雇用や企業という概念では閉塞感は打破できない

今こそ、ニューディール(農業)政策で、「農業」、「雇用」、「自然」、「環境」、「里山」、「エネルギー」を改変する必要がある。

TPPで市場を開放し、一部の既得権益を保護する「農業補助金」ではなく、万人に平等な「最低保障年金(ベーシックインカム)」で、農業だけでなく生き方全般を支援する。


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巣箱の内見

  
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半月に1度の巣箱の内見。 

1月3日に内見した時は、上の巣箱では巣くずはこれくらいだったが、死んでいたミツバチは数匹だったので、前回より10匹以上増えている。下の巣箱では前回同様巣くずは多かったが、死んでいたミツバチの数は前回と同じくらいだった。これから言えることは、下の巣箱の方が巣虫が多いということ。巣虫は今でも巣を食べているので、ミツバチと競争になっている。下の巣箱のミツバチが越冬できるかどうかは予断を許さない状況である。次回の内見は2月頭の予定。

下の巣箱では襲ってこなかったが、上の巣箱では番兵役のミツバチが3匹ほど襲ってきた。寒い時期はより攻撃的になると聞いていたので、もちろん防虫ネットをかぶり、手には厚手のゴム手をして巣箱の掃除をした。 
      
     
 
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真ん中の画像の木を境に左が第1ミツバチ圃場(10アール)、右が第2ミツバチ圃場(10アール)。日本ミツバチは1ヶ所定住型の農耕民族型であり、西洋ミツバチは移動型の遊牧民族型である。だから日本ミツバチは飼育数に限りがある。3キロ四方のエリアにどれだけ蜜源作物があるか、競合相手がいるかどうかで、飼育箱数が決まってくる。

 
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昨日の山仕事で倒したドングリの木。大木を1本倒せば、ヤギの1週間分以上のエサになるが、ヤギは多種類を好むので、これだけでは足りない。


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昨日の山仕事で出た雑木や竹を今朝さっそく焼いた。火の扱いは癒しになるが、2時間近く、くべ続ける(投入し続ける)と、かなりのエネルギーも消耗する。それは竹や木のエネルギーを焼却しているからだろう。

    
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石垣も見えてきた。この竹藪の中には近世以前に寺があったそうで、石垣で水平な土地になっている。我が家の所有地ではないので石垣周辺を今まで整理することができなかった。なお、葉タバコ跡地の山は「寺山」と呼ばれ、田んぼの地名は「大門田(だいもんだ)」と呼ばれている。寺があった名残りだろう。  


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魚のアラは昨日、Uさんが持ってきてくださり、茶碗のは昨日の我が家の食べ残り。いくら少量でも安易に廃棄せず、ニワトリの腹を通してリサイクルさせている。田んぼの雑草や野菜くずもほとんど、ニワトリとヤギの腹を通してリサイクルさせている。50年前はどこの家でもそうだった。決して粗末にすることはなかった。

家畜はリサイクルの要なのに、今は田舎でもほとんど家畜を見かけない。そして、鳥インフルエンザと口蹄疫は、楽しみや自給やリサイクルが目的の20~30羽飼いや1~2頭飼いをますます遠ざける結果となった。それでもいつの日か、こういう飼い方をしなければならない状況が必ずやってくる。

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山仕事(9回目)

 
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目の傷は当日より翌日、翌々日の方が痛くなる。

今朝は目が開けておれず、家人の運転で医者に連れて行ってもらった。幸い、何回か通院するくらいで大した怪我ではなかった。

帰りにコメリによって、ゴーグル(198円)とヘルメット(2100円)を購入した。随分と安い。ヘルメットは高い方を買ったが、安い方は1000円もしなかった。しかもどちらもかなり軽い。

今日の山仕事で初めてゴーグルとヘルメットを着用したが、着けてみて、意外と負担にならなかった。こういう防御用具は随分と進歩しているのを感じた。

特にゴーグルは、竹を扱ったり焼却したりする場合には、メガネをかけていても、着けておいた方がいいと思った。ヘルメットは木や竹を倒す時だけでいいと思った。

Uさんは現役時代は仕事上で、現在はシルバーの仕事で常時ヘルメットやゴーグルを着用されているが、援農の場合は「レジャー」と言われ、着用されていなかったが、今日はされた。


農業では21年間、大きな怪我はなかったが、
(1)医者にかかった鎌による怪我…3~4回
(2)アシナガバチに刺された…3回ほど
(3)去年ミツバチに刺された…3回
(4)目の怪我…今回で2回め(12年前は柿の枝だった)

農業ではやはり鎌による怪我が最も多いと思う。1週間ほど風呂につけたり水につけたりできないので、とても不便である。

目の場合、メガネの下から小枝や笹が入った。 


午前中医者に行って、午後から休む予定にしていたが、治療してもらったら山仕事ができそうだったので、すぐに再電話をして援農のお願いをした。

今日の山仕事は特に大仕事だったし、今日のをしておかないと次へ進めないから。

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うかされていたらミツバチになっていた

昨日、右目に笹の枝が入り、明日は眼科に行かざるをえなくなった。

急いでいたわけではないのに、むきになっていたわけでもないのに、考え事をしていたわけでもないのに・・・山仕事をしていたらこういう事にも遭遇する。

昨晩は視神経が高ぶったのか、深い眠りに入れなかった。うかされていると、いつの間にかミツバチになって、20アールの葉タバコ跡地をぶんぶん飛び回っていた。春が来て、いっぱいある巣箱を探索しながら、どの箱にしようかと決めかねている。他にもいっぱい仲間がいて、ここはミツバチ王国だった。

ミツバチなど1匹も飛んでいない厳寒期なのに、気分はもう菜の花が咲く春。まるで蛍のように乱舞している。


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ダイコンの霜よけが10日ほど遅れてしまった。横に寝かせて土をかぶせる。こうしておけば凍らない。 

  
  
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今日もキンカン。ヒヨドリより先にヤギに。
 

  
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渡り鳥のヒヨドリの糞が草や野菜の上にたくさん落ちている。当然、野鳥の糞が混じっているだろうが、たっぷり青菜を食べて、こういう飼い方では鳥インフルエンザにはかからないことを実証してくれ。


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あまりに寒いので、昨日、コンパネの床の上に初めて稲わらを敷いた。コンパネだけだったら、小屋の中に糞尿はほとんどしない。 

    
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毎日のように焼いているので、早くも消し炭が合計で35袋ほどになった。

 


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1本の木を倒す時

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竹藪の中にあって、太陽を求めて田んぼの方にせりだしている木も倒してもらう。

この木には太い蔓(カズラ)が巻き付いており、竹も巻き込んでいるので、倒すのが大変である。まず、蔓を切り、竹を切ると、竹は宙に浮いた状態になる。この状態で木と蔓と数本の竹を同時に倒すので、かなり危険である。今度はヘルメットを着用してもらうようにUさんにお願いしようと思う。
田んぼ仕事に危険はほとんどないが、山仕事は危険と隣り合わせであり、竹は「はねる」ので、木よりもだいぶ危ない。

20年前、この木はこんなには田んぼの方へせりだしていなかった。いつのまにかこういう状態になったが、20年前の様子も10年前の様子も5年前の様子も定かではない。日々の変化はごく小さく、積み重ねで、気付いたらこうなっていた。

この木を倒すには、その前にある電柵もいったん倒す必要がある。半日で大小5本の木を倒し、輪切りにして片付け、電柵を元に戻す。
 
 

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田んぼの象徴的な木だった画像の柿の木も、この冬の間に大きく切り戻すことにした。子供の頃からこの姿で、農業を始めた頃もこの姿で、今の姿も50年前とほとんど変わっていないように見える老木である。

1本しかなかったこの柿の木は、農業を始めて15年間ほど毎年楽しみに食べ続けてきたが、ここ4~5年、口に入ることが少なくなった。虫害で夏頃から実が落下することも多く、あまり落下しなかった年でもカラスが先に食べてしまうようになった。

子供の頃から木に上がって柿をとっていた思い出の多い柿の木であるが、2年経過すればまた生り始めるらしいので、太い幹だけ残し3分の2ほど切って低くすることにした。


山の中の1本の木を倒す時、とても迷うことがある。そんな時はその木の周辺を何回も歩き、見上げたり、周辺の木も見て、何日間か考え続ける。
(1)風通しはどうなるか
(2)日蔭はどうなるか
(3)落葉樹か常緑樹か
(4)人目を防ぐ役目がなくなりはしないか
(5)倒す時に危険を伴わないか
(6)倒しておく必要がある木なのかどうか 
(7)放置していたら10年後、もっと困ることにならないか

いったん、ミツバチの巣箱を置いたら、その周辺の木はどんな木でも切らない方がいいと思うので、設置する前にいろいろ考える。

大木は自分では倒すことができず、援農だよりなので、優先順位を考え、1年後、2年後のことも考えながら、そして、まだ見ぬ後継者のことも考え、20年後の姿もイメージしながら、今、倒しておいた方がいいかどうか考える。


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世代間格差と同世代間格差

  
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ヒヨドリがキンカンを狙い出したので、早めにヤギに与えている。オスは独り占めしようとして、メスのじゃまをしたり頭突きをしたりする。だから手にとってメスには別に与えようとするとオスも同じく手にあるものを欲しがる。

放牧場の外に連れ出す時も、出入口に必ず先にオスが来て、メスが先に来ようとすると頭突きや腹突きをする。

感情が顔によく現れ、軽四の到着にいち早く反応して足を柵に上げてこちらの動向をじっと窺がうのもオスである。




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昨日残った竹を今日も2時間ほどかけて焼いた。
 


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ヤギのエサに木や竹を切るので、去年は毎日のように使った鋸であるが、切れ味はよく、刃の交換は1年に1回ほど。鎌もニワトリに青菜を与えるのに毎日使うが、鎌は半年ほどで買い替えが必要になる。



50年前の山仕事は、ほとんど「自給用の山仕事」だった。ビジネスのための山仕事は重労働だが、自給用の山仕事は楽しかったと思う。生活に必要だったから里山にきちんと手が入り、秋の実り(マツタケ等)もたくさん享受できた。

ライフラインが激変(薪からプロパンガスへ一変)して、山のものは必要でなくなったのだから、もう一度カムバックしてもらって里山を維持管理してもらうのはかなり難しい。
(1)ある程度収入の裏付けがあり(年金等)
(2)目的があって(自分の場合は主にミツバチのため)
(3)しかも楽しめないと(山の中は不思議と楽しい)
里山の維持管理はできない。だから害獣も増える一方。

里山の維持管理にビジネスの手法を持ち込むのは難しいと思う。



団塊の世代の人の強みは、ごく貧しい時代と豊かな時代の両方を経験していること。だから急に逆境になっても生き残れる。

団塊の世代は幼少時代に粗食だったから健康で、最も長生きをする世代だろう。年金ももらいすぎ。人数も多く、長生きされたら年金がパンクする。

こんなお得な世代は歴史上、後にも先にも団塊の世代だけだろう。


この世代間格差を是正するには、「ゆりかごから墓場まで」のゆりかごの世代からベーシックインカム(生きていくための最低限の基礎年金)をもらい始めないと、格差は決して解消されない。

同世代間でも、正社員と非正社員で生涯賃金格差は4倍ほどと言われているが、世代間格差は内閣府の試算でも、祖父母と孫の世代の負担格差は1億円近い。

こんなに格差が表面化したら治安はますます悪化するし、「経済力に応じた交際や友人関係」に固定してしまうだろう。

格差はとどまることなく広がり続ける。それでもベーシックインカムさえあれば、「異次元の価値観」で、格差の上部に存在する人の価値観とは異なる価値観で生きることができる。農業はその最たるものである。

しかし今はすでに、格差の上部に位置する人しか農業に参入できなくなっている。だからこそベーシックインカムが必要である。

農業だと、他とは異なった価値観を生きることができる。

つまりベーシックインカムは、世代間格差と同世代間格差の両方を是正する方向付けができる。

ベーシックインカムで「農業」と「雇用」と「風景」が守れる。

そして農業を続けるためには、どうしても里山に切り込んでいかざるをえない。里山にひそむ害獣から田んぼを守る必要があるし、エネルギーの自給(風呂沸かしや暖房のための薪や炭)や、落ち葉や腐葉土、水源(山の湧き水)も必要になる場合がある。結局、ベーシックインカムでしか里山も守れない。


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いっぱい義理を欠く

    
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年賀状が出せなかった

もらっても出せなかった

コメントにもほとんど返答しない

メールが来てもあまり返答しない

空気に逆らう

いっぱい義理を欠く



生きる力が強くない

稼ぐ力も少ない

それでも生きていかざるをえない



午後からスーパーへ買い物に行ったら3395円かかり、

スーパー内の薬局で目薬とカットバンとあかぎれ軟膏を買ったら2399円かかり、

スタンドで軽四にガソリンを入れたら3043円かかり、

野良着を買いに職人の店に寄ったら、気に入ったのがなかったので買わずに出て、

コメリによって地下足袋と、ボードン袋9号と、シイタケ種駒2袋と、ニワトリの飼料を買ったら5972円かかり、

合計で、14809円もかかった。

家と田んぼとの往復だけなら出費はないが、たまに買い物に出ると大きな出費になる。

それでも長年つちかってきた生活の知恵で、出費は少ない方だと思う。

生活のランニングコストと農業のランニングコストはできるだけ小さい方がいい。

農業をしていても買わないのは野菜だけで、日用品や食料品代に結構かかる。

農業のランニングコストは、大きな投資をしていないし、農具をあまり持っていないので、他の農業者に比べたらだいぶ少ないと思う。ただ、スーパーの産直に出荷するようになってから必要になったボードン袋は年間トータルするとかなりの出費になる。この経費は無視できないので、「ボードン袋代」という勘定科目を設けて、年間の金額を把握する必要があると思った。


自分もいわゆる「畜産農家」なので、朝と夕方はエサやり等の世話があり、田んぼに必ず出向く必要がある。50年前のように、家の玄関先や軒先や納屋の一角で飼い、家族の多くが家畜の目になっていた時代と異なり、現在はボクの両目しか家畜を見守る者がいない。だから気は抜けない。50年前には想像もしなかった鳥インフルエンザや口蹄疫という病気も流行しているし。


田んぼにいると時間がたつのが早い。瞬く間に11時が来て、瞬く間に4時が過ぎる。今日も2時間燃やしたが、昨日切り出した竹の半分しか片付かなかった。明日もまた続きを燃やす。

2日前に燃やしてできた消し炭を2昼夜おいてから(クン炭と同様、1昼夜では危険だから)米袋に入れ、今日燃やしたのは、つるべで井戸水を汲み上げ、タゴに一荷かついできて柄杓で消す。こういうことにも意外と時間がかかる。

飽きもせず、巣箱置き場をイメージしながらミツバチ山に一度は上がる。ミツバチになった気分で周囲をめぐらす。
 
ヤギは毎日、新しい草場に連れて行き、ニワトリには青菜(今は不結球ハクサイが主体)をたらふく与える。家畜の喜びは世話をする人の喜びである。


人は誰も人生に夢破れ
人は誰も故郷を振り返る
帰っておいでよと振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ


都会には故郷がないという
故郷がないなら
これから故郷を作ろう
自分のために
そして、まだ見ぬ次の世代のために


最後は土に帰りたい
最後は土と共に過ごしたい
DNAがそう騒いでいる


でも帰れない

カネがない 
対し方がわからない
怖い気がする
習慣も経験もない
疎外されている
遠い世界のようだ
年が行き過ぎている


どうしようもない
どうすることもできない
土から離れないと
自然から離れないと
生きて来れなかったのだから

たった50年前まで、人間は土や自然と共に生きてきたのに


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山仕事(8回目)

 
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山仕事が進捗しているのが目に見える。週に1回、半日ほど援農してもらっているが、Uさんは林業科を出られているので、山仕事のスピードが早い。ダイコンを間引くようにはいかないから、どういう手順で倒すかを瞬時に判断することが大切らしい。

農作業は1人でもできるが、山仕事は2人の方がはるかに手際よく進む。

手斧や鋸で切り出してもらった竹を焼却場近くまで運ぶのが自分の役目である。

切り出した竹は明日、2時間ほどかけて焼く。


山仕事自体は「経済的な動き」にあまりつながっていない。ただ、こういう「無駄な動きや時間」が農業や人生には必要と思う。
 
あまり得意でないので、援農してもらえなかったら、木を倒したりする山仕事はできない。


今年の山仕事の期間もすでに半分が過ぎた。3月中旬頃まで残りは半分。


山仕事は直接にはカネにならないのだから、自分なりの楽しみや意義を山仕事の中にたくさん見い出すことができなかったら、とてもできない。

(1)シイタケ原木
(2)ミツバチの巣箱置き場の整理
(3)竹藪を整理して原木置き場にする
(4)竹藪の石垣を見て、古人と会話をする
(5)田んぼの傍らの高木を倒して日当たりをよくする
(6)木や竹を切って害獣との緩衝地帯を広げる
(7)雑木や竹を整理して里山歩きの楽しみを増やす
(8)竹や雑木を燃やせば消し炭がたくさんできる

これくらいの目的がないと山仕事はできない。太い部分はUさんが薪ストーブに使われるし、竹や雑木は、草が伸びない厳寒期に重宝なヤギの飼料にもなる。

50年前までは、ライフラインに必須(プロパンガスがなかったから)だったので、冬の山仕事をパスするわけにはいかなかった。1年分を11月中下旬~3月中旬の4ヵ月間で確保する必要があった。

山仕事はつまり里山整備である。このようにして日本の里山の景観が保たれてきた。今は山仕事など誰もしない。必要もないし、そんな時間もないし、危険を伴う作業であるし、カネにもならない。

それでも、

ふるさとの山に向かいて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな 


韓国の口蹄疫

韓国農林水産食品省は11日、口蹄疫の感染拡大により、殺処分された家畜が140万頭を超えたことを明らかにした。内訳は、牛約11万頭、豚約129万頭、ヤギ約3千頭、鹿約1千頭。これらは4種類全体の約10.3%にあたるという。(朝日新聞1月12日)

我が家のヤギも、近くで口蹄疫が発生したら殺処分される運命にあるのだろうか。


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TPPに賛成する理由

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竹をどんどん燃やしているので、消し炭がたくさんできる。2時間ほど焼くと、米袋で5袋ほどとれる。他がいっぱいになったので新たにここを置き場所にした。この冬の間に60袋以上できそうである。米袋も有効活用できる。

ここは放牧場ができる前のオスヤギの小屋だが、ここだとカラスやその他の害獣に子ヤギが狙われやすいので、出産はメスヤギがいた物置の中にする。



TPPに賛成するのは、とにかく農業の現状を変える必要があると思うから。

TPPに参加すればコメが最も影響を受けると言われているが、国産を希望する人はインターネット等を利用して生産者との直接取引が広がり、生産者にとっては顧客が増え、一定の価格で売れる。


「AKB48の経済学」を現わした田中秀臣上武大教授(日本経済論)は、「グローバル化が進むと、逆に非貿易型のローカル産業が発展する現象が起きる。地域に根ざすAKB48的な集団が各地で育っていく可能性はある」とみる。(朝日新聞1月11日) 

地域の直売所やスーパーの産直は、地場産を求める人で、より繁盛するだろう。

TPPは安ければ安い方がいい人にも大きなメリットになる。



農業の現状を変えれないなら、外からの圧力(刺激)は、改革の一歩につながる。

外食産業や加工品は安い外国産に置き換わるだろうが、個人の家庭が選択するのは国産の地場野菜が主流と思う。

従来型の市場出荷の人には不利になるだろう。



機械が高くつくので、貧乏人に稲作はできない。

稲作は高齢化していて、新たに機械を購入してまでする人は少ない。

TPP参加云々ではなく高齢化が原因で、あと数年のうちに稲作農家は激減する。
 
稲作農家の激減や輸入自由化で、逆に意欲ある若い稲作農家は自立できるチャンスである。自由化されれば必ず国産は脚光を浴びるようになるので、まさに「売り方」次第で活路は開ける。

6次産業化ではなく4次産業化(自分で作って自分で売る、つまり1次と3次)こそ大切である。6次産業化などまやかしであり、「加工」には大きな投資が伴うのでリスクが大きい。



大規模農業はこの国には適さない。多くの人が定年帰農型農業(家庭菜園型農業)を始めることが、この国の農業を支えることにつながる。

大規模農家(法人)に支援を集中しても、農業にも環境にも決していいことにならない。 

大規模養鶏や大規模酪農が鳥インフルエンザや口蹄疫に対するリスクが大きいように、大規模稲作や大規模園芸は気候変動に対するリスクが大きい。小農こそがこの国の自給率を支え、環境を維持し、農の風景を作る。

小農はTPPなどに影響されない。 

小農は小回りがきくし、投資が少ない。ぎりぎりの生活であっても補助金などあてにしていない。 
 
農業法人や集落営農は、補助金とセットのような一面もある。


外観やサイズや箱数が要求されるから、小農は農協や市場には出荷しない。

小農が売るのは地域の直売所や朝市やスーパーの産直やセット野菜の宅配等であり、TPPには影響されないし、逆に消費者から支持される。 



管政権を支持しているが、コメや野菜の戸別所得補償は単なる「ばらまき」であり、農業の展望は全く見えない。

農業も基本的に「自由競争」であるべきだ。補助金のあるところ必ず既得権益が生じる。



結局、農業を支えるのは小農(定年帰農型農業、家庭菜園型農業)であり、小農は補助金とはあまり縁のないところに位置し、TPPにも全く影響されない。

TPPは産地の農業や農協は困るのかもしれないが、小農には追い風になると思う。


では、小農を育てるにはどうしたらいいだろうか。ベーシックインカム(生きていくための最低限の基礎年金)が全世代に支給されるなら、多くの都市住民が農業に向かう奔流となるだろう。

小農を育てなければ、農業も里山も風景も早晩失われる。

最もシンプルに、もっとも簡便に、もっとも明瞭に、小農を至急に増やす手立てがベーシックインカム以外にあるだろうか。

ベーシックインカムは現実離れしたものではなく、すでに試算されており、多数決の問題である。

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ラストの農業をクライマックスにしたい

 
きちんとしたサイズや外観のものを作る自信はなかったので、そういうことが問題にならない直接の販路を求めて、地元の団地を引き売りしたり、県外の料理店に電話営業を試みた。
 
各地に直売所ができ始めたのは、ここ6~7年のことである。

作ることが上手でなくても、直接の販路が確保でき、その顧客が続いてくれるなら、農業はまわっていく。

作ることは全然、上達しなかった。今さらどうしようもないが、残り4~5年のラストの農業をクライマックスにしたいという思いがある。職業人生の集大成というべきか。 
 
集大成はもちろん技術の集大成ではない。最近始めたものも多いが、4~5年すれば一応の達成感もある。自分の農業のトータルな形としての集大成である。

総面積→50アール(正味作付は30アールほど)
設備造作→鳥小屋4坪半、物置6坪
水→井戸(27万)とため池の水
果樹→多種類の果樹を1~2本ずつ
ハーブ→料理用ハーブ6種類、ハーブティ用ハーブ6種類
野菜→少量多種類
農薬→秋のアブラナ科野菜に1~2回
化学肥料→年間に1~2袋
ニワトリ→メス30羽、オス2羽
ヤギ→メス1頭、去勢オス1頭
日本ミツバチ→目標30~35群
蚕→30頭ほどを癒しの昆虫として年2~3回転
里山歩き→グリーンツーリズム
ハウスなし、露地野菜のみ
シイタケ
山仕事(冬の農閑期)
簡易な消し炭作り・クン炭作り

スペシャリスト型農家にはなれず、家庭菜園型農家としての集大成である。


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大事な作物にはパオパオ(べた掛け資材)をかぶせてヒヨドリ避けをした。渡り鳥のヒヨドリは12月中頃に当地にやってきて、山の中のおいしいものを食べつくすと、田んぼの野菜が狙われる。3月上旬頃まで当地に留まり、いずこへともなく去っていく。 

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キンカン

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午前と午後の2回、先日切り出した竹を焼いた。

竹はパーン、パーンという騒々しい音がする。木槌でたたき割ってから焼けば、音は出ないが、かなり手間がかかるのでそのまま、そして長い竹のまま焼いた。

いったん火がつけば、生竹でもよく燃える。

風のない日に、まわりに燃え移らない広い場所で、あまり「大ごや(大火)」にしないように焼く。

自分の農業では竹を利用することはほとんどないので焼くしかない。ただ、竹藪をいったん整理すれば、その後に竹の子が生えても今はイノシシが食べてしまうし、イノシシが食べなければ直売所で売れるし、ニワトリも大好物である。
今後はイノシシのせいで竹藪は広がらないので、大切な竹は注意して残す必要がある。


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キンカンは毎年、ちぎるのが大変なくらい鈴なりになる。キンカンの前を通ったら5~6個を口に入れるが、年明け後のキンカンは甘くなって、のどを潤すのによい。ヤギも大好物である。ちぎる手間暇や選別を考えたら、直売所に出すよりヤギにあげた方がいい。


今日の夕飯は「ダイコンなます」、「菜っ葉の煮もの」、「シカ肉とタマネギの炒め物」だった。先日もらったイノシシ肉もそうだったが、野生動物の肉はとてもおいしい。飼っているニワトリ肉よりおいしいと思う。

自給自足の王者であるニワトリは、今は顧みられることが少ないが、いざ食糧難が到来したら、最も脚光を浴びるのがニワトリだろう。50年前の人はニワトリが肉に見えたはず。数人の仲買人さんがしばしば集落に出入りして、ニワトリの回転も早く、卵と肉のウエートは半々ほどだったろう。50年前までは、肉といえば飼っているニワトリをつぶして食べることだった。牛肉や豚肉は高価で、日常ではほとんど口に入らなかった。


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ヤギ肉・・・想像したくない。それでもオスが生まれたらヤギ肉用になるのだろうか。

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口蹄疫・鳥インフルエンザ

  
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当地にはシイタケの原木に使うクヌギの大木が多い。大木はほとんどクヌギのみ。

他の木に比べて成長がかなり早いのか、それとも当地の風土にあっているのか。

50年ほど前までは土間の台所にクドがあって、煮炊きに大量の割り木が必要だったので、こんなに大木になる前に利用した。 


あまり大木になると重いのでシイタケの原木にも適さない。
チェーンソーが使えたら、毎年少しずつシイタケの原木を増やしていただろうが、チェーンソーの刃がどうしてもうまく研げなかったので、できなかった。



農業のイメージ

子供の頃の農業風景が頭に残っていたので、農業がどんなものかイメージはあった。

手で田植え、鎌で稲刈り、稲を束にしてはざかけ、脱穀機で収穫、ムシロで天日乾燥の時代だった。

軒先でニワトリを20羽ほど飼い、黒い牛が1頭いて、豚も2~3頭飼っている家があった。ヤギも3軒ほどが飼っていた。

野菜は自給程度だった。

葉タバコは集落の10軒ほどが作っていた。

現在55才くらいから上の年齢の人は、こんな農村風景が頭の中に残っているのではなかろうか。


スタートが36才の末だったので、自分に何ができて何ができないかくらいはわかる年齢である。

スタート時にイメージできた農業しかできていない。

コメは機械代が高くつくし、機械が苦手だったので最初からする気はなかった。

ニワトリは30羽ほど飼おうと思った。鳥小屋が自分で建てれないなら、これ以上は増やせれないと思った。

野菜は家庭菜園規模を少し大きくしたくらいの規模で30~40アールが限度だろうと思った。特定の専門作物を持つことは自分には適さず、多種類をごちゃごちゃと作るしかないとスタート前にすでに感じていた。

専業農家を目指すというより、家庭菜園型農業しか自分にはできないと思った。

頭に描いた通りの農業をしてきたが、それ以上には決して脱皮できなかった。

家庭菜園型農業でも、売り方次第で手取り150~200万ほどにはなるだろうと想像したが、現実はその半分までしか届かなかった。

農業収入が手取り200万以上になるとは最初から全く想像しなかった。 



鳥インフルエンザ・口蹄疫

農業をしながら20~30羽ほどのニワトリを飼うのは、とてもいい組み合わせだが、鳥インフルエンザが発生するようになってから、20~30羽養鶏が廃れてしまったように思う。
(1)20~30羽養鶏が鳥インフルエンザの発生源になることはまずない。
(2)野鳥から野鳥に感染することはほとんどない。
(3)大規模養鶏における各種抗菌剤や抗生物質の多投による耐性菌の突然変異が主原因ではなかろうか。
(4)野鳥との接触なら、20~30羽養鶏の方がはるかに多い(青菜を大量に与えるから)にもかかわらず、家庭菜園養鶏が発生源になったことはまだ1度もない(厳密に言えば1例のみ)。
(5)地べたで動き回れる(土と接触のある)20~30羽養鶏は、鳥インフルエンザに対して抵抗力があると思う。


口蹄疫も同じように考えている。野生のイノシシやシカが大量死したとはまだ一度も聞いたことがない。これだけ感染力の強い口蹄疫なら、必ずイノシシやシカも感染しているはずだが、死んでいない。

新聞報道にはこの点に対する論考が全く見られない。

鳥インフルエンザや口蹄疫は、資本主義的大規模飼育に対する家畜の反逆だと思う。

大規模飼育という飼育方法に対する批判記事が全く出てこないのもおかしい。

リスク分散や家畜福祉、飼料の地域内自給の観点から、21世紀は少数飼育に移行していかなければならないが、こういう記事もほとんど出てこない。

効率や採算の観点だけの飼育方法がとられている。

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山仕事(7回目)

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朝は霜が降りて農作業はできないが、山には霜が降りないので、すぐに山仕事ができる。

  
  
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午前8時半、朝のヤギはたいていこの場所から動かない。鳥小屋の東側のこの場所は、田んぼじゅうで最も早く冬の陽があたり始める。

ニワトリにもヤギにも、今の時期の朝陽は特に大切である。農業を始めた頃は、朝陽のあたり具合がよくわからなかったが、1年後、鳥小屋を建てる時には、冬の朝陽がどうのぼって、どうあたりだすかわかっていたので、この場所を鳥小屋に選んだ。

鳥小屋も放牧場も同じ1枚の田んぼの中にある。

ニワトリは四面オール解放の金網でも、寒さは全く問題でない。


午前中は、第2・葉タバコ跡地(集落内親戚の葉タバコ跡地)の枯れ木や小木を隣接する山の中に移して草刈りがしやすいようにした。この跡地は太い笹が生えて「ごそ」になっていたが、草刈機で刈り払えたので、意外と簡単に整備することができた。今後の草刈りは我が家のと合わせて合計20アールになったが、歩く楽しみも2倍に増えた。

この20アールの斜面に最終的には30箱ほど設置して、「ミツバチ王国」にしようと思う。

この場所は巣箱の盗難も少ないと思う。山に上がる道は4か所あるが、どこから上がるにしても、軽四は150メートル以上離れた場所までしか入れず、竹やぶ沿いを通る以外の3コースはかなり険しい道であり、夜はイノシシやシカが出没して危険でもある。

田んぼ周辺にも巣箱設置に適した場所はたくさんあるが、この山の中にまとめる。半径2~3キロが行動圏なので、巣箱の設置場所を50~100メートルほど離して点在させても意味がなく、ミツバチにとっては人目につかない山の中が安全であり、自分にとってもこの場所が最も楽しめる。


午後からUさんに援農してもらって7回目の山仕事をした。山仕事は農作業より随分楽しい。Uさんの来られない日も山仕事は毎日している。田んぼのそばに山があり、ため池があるという、まさに絵に描いたような里山であり、山が近いので害獣のリスクは大きいが、リスクを凌駕する楽しみがある。

近代以前の自給自足の時代には、農業と山仕事(生活のライフライン)は遊びであり喜びだった。資本主義の勃興と比例するように農業と山仕事だけでは食べていけなくなった。

資本主義が発展すればするほど、食べれない人がますます増えた。


逆戻りなど「無理」かも知れないが、異次元の発想をしなければ、すでに世界は行き詰まっている。

いまだに経済成長、経済成長と言っている。 

これだけ経済成長すれば、もうそんなに働かなくても、富が平等に分配されたなら生きていけると思うが、現実はあべこべであり、食べていけない人がますます増え、労働も過重さを増している。つまり、経済成長すればするほど不幸な人が増え続ける。


経済成長などもういらない。

働きたくもない。

資本主義が発展すればするほど、この国の人間は大地から離され、土から疎外された状態(生活)を余儀なくされる。


自然に帰れ

帰りたくても帰れない

資本主義と農業は相克する。



害獣のすさまじい進出で、すでに農業は壊れている。

TPPに参加して農作物の完全自由化を促し、多くの低所得者を擁護する。

既得権益を保護する2兆5千億円もの農業補助金は至急に全廃する。

消費税を10~12%に引き上げ、ベーシックインカムに限定した財源とする。

生活保護、雇用支援、子育て支援等のあらゆる補助金を、年間80万ほどのベーシックインカム(全世代の年金)に統合する。3人家族なら240万の別途収入になる。 

企業の下僕になリ下がるのはもうたくさん。「企業に就職するしかない」という生き方の選択肢をベーシックインカムで壊す必要がある。


働かない

がんばらない

地位も名誉も権威も大金も希望していない

自然の中で、自然と共に人生を歩みたい

そういう人生こそが別の世界観の構築につながり、農業や里山を復活させ、最低限の生活を維持し、独立自営の仕事で「雇用」と「環境」と「農業」の新しい展開を促す。

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籾殻運び、4往復

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今の自分に結構、満足している。これはやっぱり、農業という職業のせいだろう。

定年後は田舎暮らしの方がよっぽど楽しいと思う。自然に囲まれているから。

そして自然は、無表情ではなく、かなり刺激的である。

里山を歩く、故郷を歩く、残りの人生の20年弱を考えながら歩く。

30代後半からの第2の人生で、思いもしなかった職業に出会えた。

昭和25~35年の日の出の農業ではなく、今にも沈みそうな夕暮れの農業だから、農業がいとおしい。 

8時半頃には田んぼに行き、電柵のゲートを開け、ニワトリに餌を与え、ヤギに朝の挨拶をする。そして巣箱を置いている(置く予定の)葉タバコ跡地を一周する。冬の出荷は週に2~3回を予定。



スタート時点の規模から広げなかったから

機械やハウスにほとんど投資をしてこなかったから

20年ほど、売り先はワンパック宅配の直接取引だけだったから

今の自分の農業がある。



田んぼ周辺や里山を整備して、自分の城を固めるつもりはない。

整備しているように見えても、城を固めるつもりはない。

固めてもせいぜい残り20年弱で、後継ぎもいない。

よどみに浮かぶ泡沫のようなフィナーレにしたい。



遠くは行けれないが、半径50キロほどを行動圏にして、

滅びゆく里山を見て回リ、知己を訪ねる。 



城を固めるつもりはないが、自分が培ってきた農業のアウトラインは最後まで維持して、次の誰かが、いつでも農業を始められ、手取り100万円ほどなら何とか稼げる農業現場という引継ぎをしたい。

季節の果樹を楽しみ、30羽ほどのニワトリを畑の掃除婦として飼って副産物の卵と糞(肥料)を頂き、ヤギ乳を口にできる日を夢みて、ミツバチで野生を学ぶ。そして春夏秋冬の旬の野菜を楽しむ。

これ以上、人生に何を望むというのか。



恵まれた環境には人生の豊かさは近寄らない。つつましい生活にこそ人生の豊かさがある。

平穏な老年も考えていない。いかなる境遇でも人生の最後まで自分なりに戦い続けなければ、心の平穏は得られないと思う。ふっとした時に「束の間感じる平穏」が「幸せ」と思う。 

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今年の予定

 
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明日は市役所へ行って「山の境界線と山の所有者」を確認する。巣箱を置いたリ、笹を刈ったり、日照をさえぎる木を切るために必要だから。

使い捨てにしている鋸の刃も、帰り道のホームセンターで買う。ヤギには雑木や竹も与えるので、山仕事期間中だけでなく、ほとんど年中使う。それでも1年に1回、刃を交換する程度でよい。使用頻度から考えたら、きわめて安い農具である。

ニワトリはあらゆる野菜くずを食べて田んぼを片付けてくれるが、ヤギは3日に1本ほど竹を切って与えると、1年で120本ほどの竹を間引いてくれる。 
 

1月中に春夏作の種の注文(タキイ種苗等の通信販売を利用)をして、確定申告もできれば終わらせたい。

今年は集落の班長の役が順番でまわってくるので、配り物等の仕事が増えるし、4月以降、ヤギの乳搾り(乳量は少ない)にも一定の時間が必要にある。

ブログを始めてから片付かなくなった「私室」と「納屋」と「田んぼの物置」の3つを今年こそ、最優先に片づけたい。

農業をリタイア後、何をするか、3~4年の間に見つけてスタートもしておく必要がある。そのための時間を割く必要がある。

テーマの一つにしている「棚田めぐり」は、ここ2年間ブランクになっている。継続しておかないと、道や風景や棚田の状況がわからなくってしまう。


以上のようなことを予定したら、農作業や出荷作業にかなり食い込む。

いくら頑張っても農業売上は知れているから、他のことに時間を割いた方が、将来的には利益につながる。というか、農業で頑張れば頑張るほど他のことができなくなり、時間や仲間や健康、無駄使い、農作業危険等、失うものの方が多い。
 


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昨日、掃除をするために巣門を開けたら、20匹ほど死んでいて、巣くずもたくさん落ちていた。台座に落ちていたのは巣くずだけでなく巣虫の糞もあるようだ。

それでも巣門を開けた時にシャーという威嚇音を継続して聞いたので、まだたくさん生存していることは確かで、次回掃除予定の2週間後にどういう状況かが問題である。 


もう一つの箱も数匹死んでいたが、巣くずはあまり落ちていなかったので、こちらは今の所、春まで生き延びてくれると思う。

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久しぶりの訪問

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1年ぶりに訪問させてもらい、雑煮をいただいた。


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きょうは雪景色だった。


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メタンガス発生装置も冬の装い。まわりを温床で囲んでいる。


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イノシシ避けに竹で作った防御柵。現在の主な作物は、春夏作ではキュウリとインゲン、秋冬作ではホウレンソウとニンジン。

冬の農閑期にネパールへ農業指導に行かれるので、秋冬作は少し減らされている。


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しばしば農業研修生を受け入れられている。画像のような手作りのログハウスもある。床下暖房(オンドル)も独力で考案されている。


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サツマイモをたくさん作られていた時の、地下6.5メートルの貯蔵庫。これも手堀り。

古希を過ぎられているのに、考えられないほどのバイタリティ。

まさに「赤土の魔術師」だと思う。すでに20年以上にわたって完全無農薬、完全無化学肥料のパーフェクト野菜を作られているが、安全性より味を追求されている。食べ比べたとき、この人の野菜のすごさがわかる。


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手作りのビオトープ。かなり大きな池である。40年ほど前に所有の山を開墾された畑なので、水辺といえばここだけ。ここで育つカエル等の益虫が無農薬のカギだと話される。


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第一次オイルショックの時に酪農で抱えた負債は、10年ほどかかってシイタケ栽培で返却された。すでに25年ほど前のこと。農業高校で農業全般のことは学んでいたので、シイタケ菌も本を読んだら自分で培養できたと言われる。つまり手作りの菌で生やしたシイタケ。菌を買うカネがなかったから自分で作らざるをえなかったと言われる。原木切りや原木の持ち運びが重労働でその後シイタケは止められた。画像は食べ量を少量植菌。



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田んぼは100メートルほどずつ離れて大きく3か所に分かれている。前作の残り肥をなくし、根が深く張って土つくりにもなるからと麦を輪作に組み込んでいる。


小学校を卒業するころまでは家は蚕農家であったが、葉タバコが作られだすと、葉タバコの匂いで蚕に病気が出たり死んだりして、昭和30年代の初めに蚕農家はほとんどなくなったようだ。当人は一時期、山繭(野生の繭)を研究していたこともあるらしい。

ミツバチもすでに10年以上飼われていて、主に受粉目的でミツバチの巣箱を置いている。当地では4群が限度だと言われる。


何でそんなに器用なのですかと聞いたら、子供の頃にすでにウサギ小屋やニワトリ小屋を作った経験があり、ウサギやニワトリの解体も小学校の頃には見よう見まねでしていたと言われる。

最初の画像の炭(煮炊き用および暖房用)もこの冬に友人と炭窯(本窯)で焼かれたもの。

同じ農業者として足元にも及ばないが、ボクにできることは、この人のされてきたことの話を聞かせてもらい、時々、ブログで紹介させてもらうこと。

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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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