

巣門を開けて、下からデジカメで写してみた。左はまずまずだが、右はミツバチの数がかなり少ない。
ミツバチのストレスも顧みず、あれから毎日、巣門を開けて巣クズの掃除をしている。毎日、結構な量が落ちている。
ペットボトルのトラップに、大きなムカデが2匹も入っていた。針金を伝って入ったのだろうが、ムカデもこの液が好物? 地上1メートル以上もあり、しかも木の枝の先のほうに吊り下げているのに。



孵化が近いので、卵を産みつけた紙コップを切って菓子箱の中に入れた。稲の苗箱でと思ったが、とりあえず菓子箱で飼うことにした。


産卵が肉眼ではわかりづらいので、最も早く産卵した卵には、桑の葉をかぶせた。蚕に限らず、どんな虫でも葉の裏側を好む。葉を刻むとすぐに乾燥して丸まってしまうし、孵化した蚕がどこにいるかわからなくなるので、1枚か、2~3枚にちぎって卵の上にのせておく。

一対の蚕はずっと交尾中のままだった。その一対を別の箱に移したら交尾から離れ、産卵を始めた。え、今頃まだ産卵? そして「初尿」も。
「蚕観察日記」によると『昨日の産卵で務めを終えた蛾は、今朝死んでいるのを確認しました。生涯を閉じたのです。成虫になって3日間足らずの命でした。成虫になった蛾の生存期間は、オスの場合8日前後、メスの場合は3日前後でした。』と書かれているので、個体差があるのかも知れない。3頭は死んだが4頭はまだ生きている。9月20日~9月23日にかけて羽化したので、20日に生まれた蛾ならすでに10日生きていることになる。

午前中は雨が降ったり止んだりした。雨でも、村道の電柵の開閉と家畜の世話があるので、いったんは田んぼに行く。
9月30日朝日新聞「論壇時評」・・・一部抜粋
『今年に入り、急速に注目を集めている社会思想、ベーシック・インカム(略してBI、国民全員への無条件一律現金給付)。
BIについて、まず焦点となるのは実現可能性である。日本におけるBI研究の第一人者である小沢修司は、月額8万円の現金給付が現在の日本の経済状況でも十分に実現可能であるとの試算を提示している。
経済全体への影響はどうだろうか。橘木俊詔はBIの導入は労働意欲を阻害し、経済成長を鈍くすると懸念するが、飯田泰之は逆に、BIは人材流動化を促進し、労働環境を改善するので成長につながると主張する。BI導入により経済が崩壊するのであれば、むろん小沢の試算も成立しない。議論の成熟を待ちたい。
萱野稔人は、BIの導入は働きたくない人を救うことはできるが、「働きたいけど働けない」人は救えない。その点で致命的な欠陥があると論じる。労働は多くの人にとって、単なる生活確保の手段ではなく、他人からの承認の証しという重要な役割を担っている。したがって、生活保護や年金を現金給付に一本化し、弱者を労働から解放することは、結果的に彼らから承認の場を奪い、社会の「心のつながり」の機能を著しく阻害してしまう。それゆえ、BIは導入すべきではないと言うのだ。
いまBIの思想が広がりを見せている背景には、人々が、家族や地域など、共同体の精神的な機能に絶望し始めているという現実があるからである。萱野と松原がともに憂慮しているのは、まさにそのような状況、人々がもはや社会に「心のつながり」を期待しなくなり、ドライな富の再配分しか望まなくなってしまうことに対してなのではないか。
家族や地域の安易な再興は望めない。しかし、ではそこで家族や地域抜きの社会保障が可能だったとして、そのとき人は誰に承認され、どこに居場所を求めるのか。斎藤環の言葉を借りれば、「家族依存型社会」が壊れたあと、人々はどこに依存の場を見いだすのか。現代日本の状況は、思想的にも実践的にもじつに厄介な課題を突き付けているのである。』
この点に関して自分の考えは実に明快。「土に帰ること」ただそれだけで解決できる。
人間のDNAは森の中にある。現代人の不幸の源は「大地から離されすぎたこと」に尽きる。月額8万のBIがあれば、それを頼りに「大地に帰依」することができる。都市から山村に移住しても最低限の自給自足的な生活が可能と思う。
田舎育ちなのに、土から離され過ぎていた。生活のためにそんな生き方を余儀なくされていた。だから36才の時に再び土の上に立てた時は新鮮だった。なんか気恥ずかしいような、どうもしっくりこないような、本当に久しぶりの土の感触だった。
大多数の人にとって労働は「単なる生活確保の手段」だと思う。そこが萱野の思想とは根本的に異なる。生活確保の手段でないのは、職業を通して自己実現できた1~2割のエリートのみ。
BIの導入がなされれば、心身を大地に遊ばせ、森の中にたたずみ、本来の人間の遺伝子に立ち返ることができる。
BIの導入によって、過疎の山村を50年前のような「にぎやかな空間」にすることも可能である。そうすれば、自然も里山も農業も心身も少しずつ修復に向かうだろう。
家族や地域の再興は、まず自分が「土に帰依」することから始まる。これが先である。
そして、自分自身に執着するのではなく、自分以外の何かに無目的に夢中になることが自分自身の解放につながると思う。
無目的に夢中になるとは、最初はとにかく手当たり次第に手をつけてみるしかない。最初から興味のあることなどは少ない。3ヶ月~半年続けてみないと面白いかどうかもわからない。それがカネになろうとなるまいと、それは大した問題ではない。無目的に夢中になれることに比べれば。