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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

今日のつぶやき

今日は久しぶりの雨。雨は身体を休ませてくれる。ただ、朝夕の2回は田んぼへ行く必要がある。ヤギ、ニワトリ、電柵(ゲートの開閉)という3つの拘束があるから。ヤギとニワトリだけなら1日1回でもよい。 


農業は自国の農業だけを見ていたのではわからない。中国やヨーロッパの農業の実態と比較してみた時に、始めて客観的に考えられる。インターネットを検索すればわかるかも知れないが、それはしていない。農業新聞に取り上げてほしいが、「農協系列の新聞」だから、それを期待することはできない。

「資本主義と農業」とか「資本主義と過疎問題」にもっと切り込んだ朝日新聞等の記事がほしい。ヨーロッパ、特にドイツでは「過疎問題」がないという。週末はクラインガルテンで過ごすということが一般化しているせいかも知れない。日本とはくらべものにならない「豊かさ」を感じる。

農業補助金の実態も、中国やヨーロッパがどうなっているのか、客観的な記事がもっとほしい。

日本という狭い国土で、相変わらず「規模拡大」が唱えられているのもおかしい。日本に適した小規模の「古来からの循環農業」があるのに、それをもっと見直す必要がある。

規模拡大のための「圃場整備」は、景観の破壊であり、それまでの田んぼの特性を壊し、補助金とセットではあるが農家負担金もあり、農家の借金も合わせて増やす。

集落営農が補助金なしで成り立つとは到底思えない。勧めるなら、補助金に依存しない集落営農にすべきだ。集落営農に対する補助金の「情報公開」も全く進んでいない。 

生物多様性を保持するには、決定的に少ない農業者人口を増やしていく必要がある。農業法人、集落営農、認定農業者など、いわゆる農業の「担い手」と言われる企業や人に農業(補助金)を集中していくなら、ますます経済性だけの農業になり、生物多様性からもほど遠くなる。

農業者人口を増やすには、従来の補助金の抜本的な見直しが必要である。

農業を組織化した農業法人や集落営農なら、農業が「癒し」には到底ならない。

マスコミが作り上げた「農業ブーム」にのせられて農業に新規参入しても、「害獣の出没」という厳しい試練が待ち受けているだろう。情報として知っていても、自分が「体感」しないと実感として迫ってこない。


人口が少ない田舎でも直売所が成り立つのは、「地産地消」からではなく、田舎でも家庭菜園をする人が少なくなっているからだ。わざわざ都会から買いにくる人は少ない。害獣にやられ続けるとむなしくなって家庭菜園を止める場合も出てくる。 
(1)次の世代が家庭菜園の技術的継承を受けていない。つまり家庭菜園力が著しく低下している。
(2)作るより買った方がかなり安い。近くに直売所があればなおさら。
(3)農業が基本的に好きでない人も多い。人それぞれ。


都会より田舎の方が自然災害に対しては安全性が高いと思う。これは阪神大震災で強く感じたことである。 ただ、新潟のような山間地の地震や、水害、台風では都会の方が安全と考えれるかもしれない。

田舎より都会の方が安全と思いますか?

水・・・上水道に加えて山の湧き水を利用する簡易水道もある。どちらも使えなくなれば、一番上の池へ水を汲みに行き、沸かして飲む。
米・・・玄米で保存している米が1年間分ある。
野菜・・・田んぼに行けばたいていの野菜がある。
肉・・・いざとなればニワトリをつぶして食べることもできる。
トイレ・・・来客用の簡易トイレが田んぼにある。山の中でもできる。
火・・・炭もあるし七輪で煮炊きもできる。炊き出し用の大釜もある。

田舎でも備蓄が必要だろうか。


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元気な百姓たちの手づくり本「百姓天国」からもう19年

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 今の時期は、ヤギやニワトリに与える草がない。だからどちらも青菜が不足気味である。


 元気な百姓たちの手づくり本「百姓天国」の第1集が発売されたのは1991年だから、今から19年前。この本からはすごい熱気を感じたし、読んでおおいに励まされた。土に対峙していると書かずにはいられない欲求が湧き出てくるのだろうと思った。目次を見ると懐かしい名前に出会える。

 この19年間、農業はやはり斜陽の一途だった。あの頃の熱き思いを、どのような形で昇華させたのだろうか。


過疎対策

 それは、都会に働きに行かなくても、地元、もしくは地元から通える範囲で職場があること、もしくは、働きに出なくても農業で自給自足的な生活ができることである。これが崩れているのに、小手先の過疎対策など何の役にもたたない。過疎対策の多くの補助金(税金)は全く無駄だと思う。単なる延命措置としか思えない。

 今まで30年以上も同じような補助金(税金)を投入してきたにもかかわらず、結果は逆になっている。つまり効果は全くなかった。

 定年帰農みたいに現役帰農ができる道を作ってあげるしかない。それには現役にも「年金」のようなものが必要である。


集落ごとぐるりイノシシ防除柵

 イノシシ被害に悩む香川県高松市香川町東谷の天神地区で、29戸の農家が全戸で防除柵設置工事に取り組み、集落を囲う4.2キロの柵が完成した。
 県の補助はあったが、農家の自己負担は1戸10万円を超えた。後継者のいない農家から「そこまでして、この後、誰が農業を続けるのか」との声もあったが、「農地を守るのが、今の農家の役割だ」と設置を決めた。
 「柵を設置しただけでは駄目。点検や除草で柵の周辺に人の気配を残すことも大切だ」と点検当番の看板を立て、気を引き締めている。(農業新聞1月30日)

 後継者はいなくても、続けれる間は続けるのが農業。1年でも中断するとカンも鈍るし、元の畑にするのに手間取ってしまう。

 稲作でも防除柵でも農家は採算抜き。風景や里山を維持するボランティアといえる。もうじきそのボランティアもいなくなる。

 

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 毎日、切り倒した木の枝葉や雑木を焼いている。50年前なら、クドや風呂炊きに利用できたが、今はもう利用することがないので単に焼くだけである。落ち葉も炊きつけに利用していたので、山の中を掃くようにきれいにしていた。

 今はもう山の木を利用することがない。Uさんが薪ストーブを使っているので、木の太い部分は薪割りをして使ってもらうが、その他の部分は焼くだけである。一部の木の葉はヤギに与えるが、1日にそんなにたくさんは食べない。

 ああ、山仕事はもう、本当に意味がなくなっている。時代が変わってしまった。

 明日でもう1月が終わる。この冬の山仕事はこれ以上は進めず、現在切り倒している木が片付いたら終わらせようと思う。

 楽しいが、収入に結びつく労働ではない。50年前までは「自給燃料」としてとても貴重であり、稲秋が終わる11月下旬頃には集落の人はこぞって山に入り、2月末頃まで山仕事にいそしんだ。3ヶ月間で、次の1年に使う「炊きつけの落ち葉」、「クドで使う割り木」、「風呂に使う下刈り」を用意した。各家には、それらの置き場所が軒下等にあった。
 その光景が頭の中にまだうっすら残っている。


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新聞における情報操作とマインドコントロール

新聞における情報操作やマインドコントロールは簡単である。例えば、ある新聞社の経営層が自民党寄りであれば、自民党系の「論客」を数多く登場させればよい。以前の山陽新聞は、そういう傾向が多く見て取れた。だから批判的に読んでいた。

今回の朝日新聞の記事も「小沢幹事長」に対する記事は痛烈だったが、自民党時代に多くあったこの種の事件に関して、ここまで書いていたかなという気がする。

長かった自民党政権がやっと終わった。今の政権に期待できなくても、逆戻りすることだけは御免被りたい。政権が変わったことで赤裸々になった事実は多い。農協も自民党と長い蜜月時代が続いた。政権が変わって少しは変わるのだろうか。

新聞が、ある事件や経済問題に対して「論客」を登場させる場合、対照的な2人の論客を登場させるべきだと思う。片方ばかりだと、いかにもそういう考え方が正しいと誤解を受ける。紙面の関係で2人載せれなければ、翌日には考え方の対照的な論客を登場させるべきである。

社会保障に関しても、派遣村とか生活保護などを取り上げる時に、ベーシック・インカム論も合わせて取り上げてほしいと思う。資本主義の底が抜けてしまった今、最低限度の文化的生活を保障する政策として「ベーシック・インカムのある資本主義」は今後主流になっていかなければならない思想だと思う。そんなことも提示できない新聞ならブログより劣る。
 

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今日は月夜。家畜は長い夜をどうやってすごしているのだろう。一昔前のように、玄関先で飼っていたり、納屋や軒下で飼っていたり、台所や居間の隣で飼っていたら、寝る前に様子をうかがうこともできるが、田んぼで飼っているので、そういうわけにはいかない。

電柵をするまでは、小屋の目の前にイノシシやシカが来ていたはずだが、怖くなかっただろうか。それとも友達のような感覚で見ていたのだろうか。

ヤギは世話人をはっきり識別する。姿格好、臭い、しぐさ、顔かたち、そんなもので識別していると思う。他人が来ると警戒した様子を見せるが、鳴き声は発しない。鳴き声はボクに対して発することが多い。食べ物よこせとか、外に出せという要求である。


パソコンのうなり音が相変わらず多い。購入予定の3月まで持ってくれればよいがと思う。4月で丸4年が来る。

パソコンより2ヶ月ほど遅れて購入したデジカメは今使っているのが3台目。毎日使っていると1~2年でどこかガタがくる。メカに全く弱いが、このデジカメだけは誰でも撮れる。始めて購入したカメラなるものが、ブログのために購入したデジカメだった。カメラは嫌いだったのに今は必需品。ただ、人物は写したくない。

パソコンの寿命とともにメガネも寿命が来るかもしれない。メガネも4~5年。


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「宇根 豊」という論客

日本の原風景である草屋根の民家を描き続けた画家「向井潤吉」。生涯の主題となる民家を描き始めたのは1945年44才の時で、以来1995年に亡くなるまで50年間にわたって日本全国を訪ね歩き、古里の原風景を描き続けた。

田舎育ちの人なら誰でも「古里の原風景」があると思うが、開発、開発でその原風景を壊し続けてきたのが、この50年間だった。

滅び去ろうとしている故郷

滅び去ろうとしている農業

滅び去ろうとしている里山

滅びゆくものは美しい


「宇根 豊」という論客

1日に2回「田まわり」する百姓と、3日に1回しか「田まわり」しない百姓とでは、コストは後者が低い。

あぜを年に6回刈っている百姓と、除草剤を散布して刈り取りを半減させている百姓とでは、後者が生産性は高い。

「田まわり」の回数を減らすから、うっかり水を切らして生きものが死ぬ。

除草剤を散布して、あぜ草刈りの回数を減らすから、野の花の種類が減り、落ち着いた風景が荒れていく。

「田まわり」をするから稲と一緒にカエルやトンボも育ち、あぜ草刈りをするから野の花は変わらずに咲き、風景も美しい。

ほとんどの日本人は「自然が大切だ」と言う。その自然を守るための、本格的な農業政策が必要だ。そのためにも、自然と風景の「生産」も農業生産だと位置付け直して、「環境支払い」という政策で実現したらいいだろう。(宇根 豊 「農」の正当な評価)


効率、非効率

生産性 非生産性

「効率や生産性」は「環境」と反比例する。

効率がよく生産性の高い農業が優秀とされる。

効率や生産性だけが目標の農業も多い。

定年帰農や家庭菜園、小規模農業のように、癒しや楽しみを半分目的とする農業もある。癒しや楽しみの農業は、田んぼの生き物や野の花や家畜や風景も重要視する。

自分は、できうるならば効率や生産性の高い農業をしたかった。

その能力が自分にはなかった。適性もあまりなかった。

だから、癒しや風景という農業のもう一つの価値観にシフトしていったのかも知れないが、経済のために、これらを犠牲にすることは性格的にできなかった。


宇根 豊さんの言われるように、自然と風景の「生産」も農業生産である。

集落営農や農業法人では、効率や生産性だけが重んじられるのではなかろうか。そして補助金目的で立ち上げられる場合が多いと思う。

集落営農や農業法人に、風景の創出や癒しという概念が入り込む余地があるだろうか。

自分の意に反しても、組織の論理である効率や生産性に同調せざるをえないだろう。

集落営農や農業法人は、旧ソ連のコルホーズやソフホーズに何となく似ている。生産性は全く上がらないと思う。

工業や商業と異なり、農業は組織化すると生産性は上がらず、環境破壊にもつながる。

農業や里山や故郷や環境を守れるのは、小さな個人農業しかない。


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農村観光

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冷えこんだ日の朝は太陽が銀色に輝く。何か、後光が射しているように見える。時刻は8時50分。農業者としてはこんな時刻に田んぼに出てくるのは失格だが、冬の朝は土や野菜が凍っていて、溶けないと仕事にならない。

午前中は、山仕事の後片付けの続きで雑木を焼いた。いわゆる「たき火」であるが今日で4日目。最も楽しい農作業の一つである。

午後からUさんが援農に来てくれた。「山仕事はレジャー」と言ってくださるので、その言葉に甘えている。

今日も城山の太い木を切ってもらった。木を切ると見上げるような巨岩がくっきり見えだす。この巨岩も「売り」にしたい。

山仕事が一段落ついて、ヤギパドックが完成したら、再度、阪急交通社や近畿日本ツーリスト等の旅行会社に電話をして、「農村観光」の売り込みをしたい。こんなに風景がよくなっているのに、自分ひとりだけで楽しむのは惜しい。

自分の能力だけでは風景をビジネスにすることはできないが、その道のプロに見てもらったら、農村観光の道が開けるのではないかと思っている。あきらめない。

ヤギと戯れ、ニワトリを抱き、ハーブティやゆで卵を楽しみ、雑木林セラピー、池の土手の散策、歩いて5分の所にバンガローやキャンプ場、宿泊施設のある美しい森。


8才年上のUさんの作業スピードについていくのが結構しんどい。Uさんの山仕事はそれくらい手早い。自分の仕事はチェーンソーで切ってもらう大木の周囲の雑木をナタで切り、足場をよくして、木が倒れる時の逃げ場を作ること。Uさんの指示に従ってしているが、とても勉強になる。

山仕事の主目的は、冬の日当たりをよくし、ヤギのパドックを明るくするためであったが、切った木の一部をシイタケの原木にし、他の太い所はUさんが「薪割り」をして薪ストーブに使い、他の細い部分や枝葉、雑木は燃やす。これらの過程で観光農業が意識に上がった。

山仕事もこれくらい目的が多くなると、やりがいが出る。  

原因を作ったのはヤギ。

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しかし、ヤギを安易に導入することは禁物である。できればこのブログで「疑似体験」することだけに留めておいて頂きたい。

飼い始めた後で手放したくなっても、それは難しい。

今はそんな気持ちはないが、もらってきて4ヶ月間ほどの間は何度も後悔した。

欠点
(1)ヤギの世話に1日30分ほど取られる
(2)草刈効果は草刈機よりはるかに劣る
(3)ヤギ小屋、ヤギの鎖や杭、首輪等に計4万ほどの出費
(4)1円にもならない
(5)口のある生き物なので拘束される
(6)平均寿命15年の間に飼育者の状況(意志)が変わる
(7)野菜残渣の処理はニワトリの方がはるかに優れる
(8)ニワトリより随分手間を取られる
(9)ヤギは獣医さんが必要な場合もある

長所
(1)風景効果
(2)癒し効果
(3)観光効果

これ以上手間を取られると困るので、将来的にヤギ乳はどうするか未定。種付費用も5千~1万円かかるだろう。


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次の代は田んぼは荒れ放題、家は空き家

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木曜日が雨の予報だったので今日、耕運した。

1年、田んぼを放置したら田んぼは草山になる。乗用トラクターは使えず、まず草刈機で草を刈って、焼くなり、田んぼの外へ持ち出す必要がある。3年も放置しておけば、田んぼに笹が生えてきて、元の田に戻すのに苦労するだろう。

このように田畑は毎年、手を加え続けていく必要がある。

手を加え続けれるのは後20年ほどと思っている。

その後は、この田んぼがどうなるかわからない。

大体、我が家は次の代がどういう選択をするかまだ未定である。結婚して出て行っているか、非婚のままこの家を継いでいるか、それもわからない。

「ムコ殿」が来てくれて、我が家を継いでいるという可能性もほとんどない。そういう選択は親子ともしないと思う。

家は続いても続かなくても、どちらでもよい。「家」とか、そういうものにはあまり重きを置いていないから。

つまり、田んぼは荒れ放題、家は空き家という可能性も大きい。

集落内でもそういう家が増えているだろう。

実際問題として、害獣防御のための電柵を管理するのも大変である。夏は電柵の下の草刈をしょっちゅうする必要がある。

楽しみのための家庭菜園でも、害獣のために手間ばかりかかると、段々ばからしくなるだろう。

ただ、ボクの農業を誰かが引き継ぐのは簡単である。技術的にめぼしいものは、ほとんどないし、設備投資も少ない(鳥小屋、物置、井戸、エンジンポンプとホース、草刈機、管理機)ので、補修や買換え費用もあまりかからない。果樹も1~2本ずつ多種類植えている放任栽培。

それでも農業は春夏秋冬のものだから、引き継ぎは1年あった方がいいし、身体が戸外の空気に慣れるには3年ほどかかる。

自分はもう現状をキープするだけであるが、現状をキープすることは極めて大変である。直売所出荷になったら、
(1)今まで洗ったことのない根菜類も、洗わざるをえないだろう。
(2)いちいち袋詰めをする必要がある(今までは新聞紙で包装)。
(3)他の農家と単価や見栄えの競争も始まる。

 果たしてやっていけるだろうかという不安がある。それでもやっていかないと他に稼げる手段がない。
 
  自分のベーシック・インカムである65才になって年金がもらえるようになるまでは、働き続ける必要がある。その年金であるが、介護保険料と国民健康保険料を合わせて、年間10万円ほど引かれるようで、84万もらっても実際に入ってくるのは74万ほど。月に6万ほどである。それでも農業のおかげで救われている精神面は大きい。


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秋冬作の最後の宅配

今日、秋冬作の最後のワンパック宅配をした。

ムラサキイモ1キロ(300円)、サトイモ800g(300円)、サニーレタス(100円)、ダイコン3本(250円)、ニンジン1キロ(250円)、シュンギク・ネギ(200円)、キャベツ・ハクサイ(250円)、ロケット(150円)、ヤーコン1キロ(350円)、ホウレンソウ500g(250円)、タマネギ3個(サービス品)、送料800円、合計3200円

※ムラサキイモは劣化していないのを選ぶのに手間取った。出荷できるギリギリの状態。明日は一部劣化が始まっている芋を全部焼き芋にするつもり。

※サトイモも残り少なく、いつもなら1キロ入れるが今回は800gにした。残りは種芋。

※サニーレタスは、べた掛け資材を2重にして覆っていたら、何とかもった。

※ダイコンは2本で250円にしているが、少し小さいので3本入れた。

※株張りシュンギクも、べた掛け資材を2重にして覆っていたら、何とかもった。

※キャベツは小型だったので2個入れた。ハクサイは霜害と虫害が多く、これも小型なので2個入れた。両方で250円。

ロケットはレタスとサラダに。おひたしや炒め物もよい。

※ヤーコンは採算が合わない。少しだけ作っている。

※この時期のホウレンソウはおいしい。

※サービス品をたいてい3品入れるが、今回は最後で野菜が少なく、タマネギだけにした。


田んぼに残っているのは食べ量の野菜と、ニワトリとヤギ用の野菜が少し残っているだけである。

春夏作に備えて、今週中に第1回目の耕運をする。春ジャガイモ、キクイモ、ヤーコンを定植する3月15日頃まで後50日しかない。この間に合計3回耕す。

2月、3月の2ヶ月間、出荷するものがないが、農閑期しかできない仕事も多いのでそれを順次こなす。


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ヤギに与える雑草や野菜クズが少なくても、山の近くで飼うといつでもドングリの葉がやれて好都合である。だから「山羊」。


土手草がいくらでもあるので、時間が取れたら、今年は「堆肥作り」をしようと思う。材料は、
(1)大量の土手草を「飼い葉切り」で切る
(2)有機物混じりの鶏糞やヤギ糞を少々
(3)米ヌカ
(4)水
これらを交互にサンドイッチにしながら、時おり水をかけて、よく踏み込みをする。小山でなく大山にしないと発熱が少なく、いい堆肥ができない。一人ですると半日仕事になる。「飼い葉切り」は画像の農具である。子供の頃から牛小屋にあった。
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最近の山陽新聞に若い農業者やヤギを飼っている農業者の取材記事が載っているようだ。山陽新聞は取るのを止めたので、地域のニュースはほとんどわからなくなった。それでももう山陽新聞を購読することはないだろう。朝日新聞の方がはるかに読み応えがあるから。

習慣とは恐ろしいもので、新聞を替えてみようとは終ぞ思わなかった。ブログを始めて半年ほどしてから地方紙でなく全国紙を読む必要性を感じた。

1対3で家族の反対が強かったが、3ヶ月ごとに変えようという約束で、とりあえず朝日新聞を取ることにしたら、いつのまにかその状況が固定した。

山陽新聞と朝日新聞を並行して読んでいたときも、ブログネタになるのは大半が朝日新聞の方だった。

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古里は遠きにありて思うもの

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「古里は遠きにありて思うもの」と言うが、遠くにいなくてもボクはこの田んぼの風景が大好きである。池の土手の草刈が終わったのでますます風景がよくなった。

ここの風景、土地、そして農業が自分の大きな財産である。どれもカネにはならないが、いつも支えてくれている。

本当にありがたい。

細々と暮らしていければよいのだ。もう土から離れては生きていけないのだから。

ひとつ歯車が狂っていたら、釜ケ崎周辺の簡易宿泊所が居住地になっていたような気がする。5回以上転職を繰り返し、サラリーマンではとても勤まりそうになかったから。

歯車がひとつ間違っていたら・・・

でも自分には湯浅誠さんのいう「ため」があった。家とか家族とか故郷という「ため」である。

9回目の転職が農業だった。

この先どうしよう・・・、この先どうなるんだろう・・・と悶々としていた時、農業がひらめいた。同時にここの田んぼが脳裏に浮かんだ。

本当にめぐまれていた。サラリーマン以外の「逃げ場」がイメージできたのだから。

あれから22年(2年後に農業転身)。ここの田んぼがますます気に入っている。多少の段々畑の小さな田んぼが14枚、借地した大きな田んぼが4枚、田んぼの上にため池、ため池の北側の山の斜面30アールほどの持ち山。その持ち山の中に10アールほどの「葉タバコ跡地」がある。つまりこの一帯が「里山」になっている。

こんな「里山」を背にして何の不足があろうか。故郷と大地と農業とため池と山と。かけがいのない財産だった。

サラリーマンとして普通にやっていけたら、この財産に気づくことはなかったであろう。

人生の途上でのたび重なるアクシデントが、新しい運命に導いてくれた。それが農業だったとは、35才まで気づくことはなかった。

歯車が一つ違ってきた。

これは単なる「運」ではなく、それまでの自分の生き方が伏線となって気づかされたものと思っている。

何かに挫折した時、どんなものでもいいから「逃げ場」をあなたも気づいて欲しい。

 しかし現在の世の中は、逃げ場がほとんどなくなっている気がする。

逃げ場がなくても、最低限の保障(高齢者なら年金、現役世代も同じような年金)があれば、急な転落は防げる。

都会の非正規雇用の現状を見ても、働いたその収入で生活できるという資本主義の前提はすでに壊れ、安定した雇用がいつ不安定になるかわからない。そんな時代に社会保障制度の機能不全を解決する根本的な発想の転換策がベーシック・インカム(基本所得=全員・無条件・現金給付)です。(京都府立大・小沢修司教授)

「ベーシック・インカムで大地への回帰を」、時代はそういう方向に向かっている。そういう方向に向けなければ、この国に未来はない。


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補助金の公開

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明日の日曜日は、年に1回する池の土手の草刈がある。1軒の家に1人出て、この池ともう一つ上の池の2箇所の土手草を刈る。


19世紀の英国に始まった労働運動は、単調な工場労働から疎外された労働者が、仲間とのつながりにより人間性を回復させるという契機ははらんでいた。しかし今、人々は賃労働に縛り付けられ、一方で、常にそれを失う不安とも背中合わせだ。先立つものはお金。だが、働いても貧困から抜け出せない、働く機会さえない・・・(朝日新聞1月4日)

働いても働いても、たいしたカネにはならないので働き過ぎない。

頑張りすぎて病気になったら、医療費の方が高くつく。 

カネがなくてもストレスをためない「田舎暮らし術」を自分なりに身につける。

出歩くと出費につながる。田んぼで楽しく1日を過ごす。 

農具をできるだけ持たない(必ず買い替え時期が来る)。

面積を広げない(拡大メリットはほとんどない)。

少なく稼いで少なく使う。 

いらないと思えるものを削り続けていけば、心身ともにやせ細るように思えるが、本当に必要な物は少ないし、内面はだんだん充実する。


農業予算は10年前より1兆円も少ない2.5兆円で、国家予算の2.7%しかない・・・2.5兆円ばら撒いても農業はもっと失速する。日本の場合、資本主義が高度になればなるほど(高度成長すればするほど)、農業はそれに反比例して衰退してきた。

経済成長はもういらないし、農業をこれ以上「効率化」したり「機械化」したり「大規模化」したり「組織化」したりしてはいけない。生産性はあがらず環境破壊につながるだけ。

ヨーロッパの農業はほとんどが個人農業(家族農業)で、集落営農など聞いたことがないし、農業法人も少ない。補助金の率も、日本はEUに比べてかなり高いと指摘されている。

EUの場合、補助金を受けた農家はインターネットに全て表示されていて、地域と氏名を入力すればたちどころに補助金の額が表示される。日本でも、集落営農と農業法人ぐらいは、受け取った補助金の公開がなされるべきである。

 
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つぶやき

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今日の農業新聞にちょっと異質な人が登場していた。

小規模農業こそ主軸(国立西洋美術館館長・青柳正規)
 今、日本では農業に企業が進出し始めている。世界全体が市場原理を優先する社会構造に突き進む中、日本でも古来の小規模多品目の家族農業は非効率的だと、企業がずずっと手を突っ込んでくる。目先の効率性だけ見れば成功を収めるかもしれない。だが、50年、100年という長いスパンで考えると、将来に大きな禍根を残すのではないか。


農業においては、その人の現状の全てが田んぼに現れる。

農業における能力
生き方や考え方
稼いでいる金額
費やしている年間経費
その人の将来性
その人の環境に対する考え方

農業は、

その年の気候の影響を受けやすい
戸外放任なので盗難に遭いやすい
輸入野菜の動向に左右されやすい
一応の技術を身につけるには3年ほどかかる 
農具をそろえるにはかなりの支出を伴う
土地が必要である

自分の場合は、

土地があって
農具はすでにそろっていて
父という農業の先人もいて
しようと思えばいつでもできる状態にあった

しようと思わなかったのは、

若い頃は職業としての農業など想像もしなかった
カネにならないと思った
農業で生活できるだろうかと思った
地域に農業で生活している人は皆無だった
定年後に楽しみでする遊びだと思った
自分には農業の能力がないように思った

農業は、

作ることより売ることの方が難しい
市場へ出すには外観や規格が問われる
直売所の単価は安い
独力で売るには営業力も必要


農閑期は短い

山仕事は農閑期にしかできない

農閑期の間に、水路掃除、クン炭作り、家の納屋や田んぼの物置の片付け、黒マルチを産業廃棄物処理会社へ持参、春夏作の種の注文、確定申告、春に向けての田んぼの片付けと耕運、果樹の剪定、果樹の寒肥等。これだけあると農閑期とは名ばかり。

視線はすでに春の作付や出荷に向いている

半農半Xなど夢物語

それでも農業から離れられないのは

組織人のように他人の目顔を気にする必要もなく

独立自営業で

自然に抱かれて

自然を相手の仕事ができて

身体を動かす肉体労働が心地よく

定年後の長い時間を持てあますようなこともなく

人類が2000年以上続けてきた仕事と同じ仕事に従事できている


それでも農業では食えない

家人の定期収入というバックがあるから農業ができている

補助金漬け農業と言えるかもしれない

現役世代にもベーシック・インカムという最低限の保障があれば

もっともっと多くの人が農業に新規参入できる

日本農業再生の道はベーシック・インカムの導入しかないと思う

規模拡大 企業農業 集落営農

そんな農業形態は第2次、第3次産業と同じで人間疎外的。利益追求で環境や景観は二の次になる

雇用、環境、農業を守るには、大規模少人数ではなく、小規模多人数でするしかなく、少量多種類という農業形態と同じ考えである


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岩のある田んぼ

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ニワトリ小屋のそばに大きな岩がある。ニワトリ小屋のそばの道の「のり面」にも岩が4つある。そして、今回伐採した城山の北側には見上げるような巨岩があり、大木を伐採したことでその巨岩が全貌を現した。

「田んぼに岩がある」のは楽しい。ヤギはもっと喜ぶだろう。岩をうまく取り入れ、高低差のあるパドック(遊び場)にする。

最初は、今ある小屋と地続きの田んぼをパドックにする予定だったが、イノシシの襲撃で、使い勝手のいい田んぼはすべて電柵で囲うことにしたので、電柵で囲わなかった鳥小屋から上の田んぼの一部をパドックにすることに急きょ変更した。

変更したことにより、太い笹が被って「ごそ」だった画像一帯の場所を所有者から借り(無料)、開墾整備した後、太い木も切らせてもらったので、明るく見晴らしもよく、日当たりも少しよくなった。

全然カネにならないヤギのために「そこまで」と思われるかも知れませんが、この一帯をきれいにすることで、田んぼ全体の風景も数段上昇した。ここで1日の大半の時間を過ごすのだから、風景がよくなることは、ものすごい「やすらぎ」になる。だから、ヤギのためというより自分のためである。しかしヤギがいたから開墾できたのであり、風景のためだけの開墾はありえなかった。

圃場整備した30~40アールの大区画の田んぼなど、面白みも味気もないが、1枚の田んぼが小さく、曲がった、高低差のある田んぼは独特の味がある。

少量多種類を作る農業形態では、輪作の面からも、大きな田んぼより小さな田んぼの方が使い勝手がよい。しかし、借地している道をへだてた4枚の田んぼは、下から5アール、8アール、4アール、4アールの面積でほぼ長方形である。耕運したり黒マルチをしたりする場合はこちらの方が便利なので、両方のいい面を利用できる。

ヤギやニワトリという昔ながらの家畜がいて、山すその風景に心をなごまされ、小さな多少の段々畑の田んぼは作っていて楽しい。

だから、たいした収入にならなくても農業が止められない。 
  
 
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今日のエサ
焼き芋1個、キンカン10個ほど、ニンジン1本(鎌で乱切り)、もらった大豆クズ少々
ドングリの葉(今はエサ全体の8割がこれ)、やつでの葉、名前を知らない木の葉。


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農業という「逃げ場」

サラリーマンなら、好むと好まざるにかかわらず、携帯が必須になるだろう。

農業者なら持たなくても生活できる。たまに必要な時(人との待ち合わせ)は、家人のを借りていく。

組織をドロップアウトした時、もしくは失業した時に、受け皿として、サラリーマンではない独立自営業をすることができれば、どんなに楽な気持ちでおれるだろう。たいした収入にならなくても手取りが150~180万になる自営業があれば、生きていくことにそう苦しめられることはないのに。

たった50年ほど前までは、農業という自営業者が、職業の半分近くを占めていたのではなかろうか。

今、農業をすることは、農家の跡取りであっても、かなり高いハードルになっている。

サラリーマンに挫折した時、農業という「逃げ場」があればどんなに救われるだろう。自分は救われた一人である。

農協や行政は、150~180万になる農業をきちんと提示する、もしくはマニュアル化する必要がある。確実に150~180万になるなら、現役世代の農業者人口はすぐに10倍ほどになるだろう。たった100万にもならないから、大多数の人は農業を選択できない。

農業の雇用ではなく、独立自営ができる農業でないと、農業をする意味もない。

現在の社会で、独立自営業のできる人が現役成人の5%もいるだろうか。

職業の選択肢が、組織人(サラリーマン)しかないという救われない状況が現在の日本社会である。そんな社会はある種のファシズムであり、うつ病や自殺が減ることはないだろう。

文化や科学や社会の進歩が人間を苦しめている。

もう一度、土の上に戻るしかないと思う。大地の上で考えないと、「環境」も「農業」も「精神の自由」も「人間の解放」も「疎外感からの脱出」も、なかなか身に迫ってこない。

土の上に戻ること(農業をすること)が、なぜこんなに難しくなったのだろう。

それはニワトリを見ればわかる。

50年前までは集落のどこの家にも庭先や軒先や納屋の一角で10~20羽ほどのニワトリを飼っていた。それが40年ほど前にはすでに庭先からすっかり姿を消してしまい、ケージという身動きもできない(後ろにも向けない)小さな檻の中に閉じ込められるようになった。

理由はいろいろある。衛生的、管理がしやすい、効率生産、大羽数飼育が可能。つまり資本主義が発達すればするほど、ニワトリという生き物としてではなく、卵を産む機械という扱いをされるようになった。

人間もニワトリと同じように資本主義に取り込まれてしまっているので、人間という生き物ではなく、管理がしやすく、効率生産(少量生産という農業から大量生産という工場労働へ)、大人数教育(管理が簡単で経費がかからずコントロールしやすい)という、物品(ロボット)扱いをされるようになった。

物から人間に戻るには、大地の上に帰るしかない。

しかし、生まれたときからすでにサラリーマン家庭が多いので、大地がどんなものか全く知らないし、わからない人も多い。

資本主義(組織人)から離れて、自給自足主義(独立人)として自然の中に戻るには、必要最低限の文化的生活を保障される生活保護費程度の支援が必要である。つまりベーシック・インカムという最低限の保障のある資本主義に変えていくことが緊急の課題である。

あらゆる補助金を、平等なベーシック・インカムにまわせ!


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昨日切り倒した「生木」を今日は一日中燃やした。生木でもいったん火力がつけばよく燃える。夕方、焼き芋をした。

いろんな木の葉があったので、少しずつヤギに与えた。好きなものなら食べるだろうし、毒になるものは本能的に避けるだろうと思った。

 
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資本主義と農業

資本主義は、自然と折り合いをつけながら人々の暮らしとその営みを伴にしてきた農業から、工業化できる部分を分離して発展してきたものであり、以来、農業は資本主義にとって「苦手」な産業として、厄介者扱いを受けてきた。
  ここに資本主義特有の農業問題が発生する。資本主義自らでは解消できず、国家の果たす役割が増していく。ひとつには、農業補助金の支出が恒常化していく。
(農業新聞1月18日、「資本主義と農業」 工藤照彦・著)

多様な担い手が経営を続けられる農業の将来像・・・それは特定農業者へ農地集積をしたり、特定農業者だけに補助金を支出するやり方を止めることである。

自民党政権が進めた「圃場整備」は、農家に、大きな負担と借金だけを残した。

「コンクリートから人へ」、ハコモノはもういらない。

集落営農は「補助金」なしではやっていけないと思う。そして、集落営農には「圃場整備」の問題が必ず浮上してくるだろう。

集落営農を補助金の受け皿にしてはいけない。

農業や地域の環境や里山を維持できるのは、集落営農でも農業法人でも少数の認定農業者でもなく、小規模の自給自足型農家である。大規模から小規模へ、集中から分散へ、売上や利益ではなく、経費節減と自給を中心にした清貧の農業が21世紀の農業を形づくる。

自民党の「大きな政府」は業界団体にお金を入れていくものだったが、民主党の「大きな政府」は個々に支給する。農家への補償で言えば、農協を通すのか政府が戸別に渡すのか、そこが違う。国から出て行くお金がたとえ同額でも、配分の仕方が大きく変わった。(朝日新聞1月17日、若田部昌澄・早稲田教授)

 

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ヤギパドック予定地に隣接する城山の北側の山林を少し切らせてもらった。これで随分と見晴らしがよくなり、昼間でも薄暗かった場所が明るくなった。

Uさんがチェーンソーを使って、落下すると地響きがするような太い木を6本切り倒してくれた。

チェーンソーはかなり危険な農具なので、怪我をされないように、そればかり気になった。

ヤギは近くにいたが、あまり驚いていないようだった。人の気配を好み、ヤギのそばを行ったりきたりしていたので安心していたようだ。


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長く続いた閉塞感をヤギが一変させた

去年は大きな出来事がいろいろあったが、その中でも一番大きかったのは「ヤギをもらったこと」である。
ヤギは、
(1)毎日のようにブログのネタを提供してくれる。
(2)ヤギを介してUさんが援農にきてくださるようになった。
(3)ヤギを介してKさんとまた出会い、出荷形態の変更をも促した。
(4)朝夕の「村道の電柵の開閉」という拘束を半分にしてくれている。
(5)田んぼ全体の風景を変えた。
(6)山仕事やパドックのための非農耕地開墾をも導いた。

Uさんは月に2~3回、午後から来てくださる。自分の不得意なことが得意なので大いに助かっている。子供の頃から高校卒業まで10年以上ヤギの世話や乳しぼりをされ、ヤギにとても詳しい。農業高校の林業科を出られていて農業全般のことにも詳しい。
月に2~3回、午後から農業塾に行く感覚で、質問事項をまとめておき、自分ではできない大工仕事をお願いし、山仕事の作業のやり方や道具の使い方を教えてもらっている。井戸の蓋、ヤギ小屋作り、簡易鳥小屋作りは全てUさんの援農のおかげである。

同じ瀬戸内市のKさんには、10年ほど前に瀬戸内市内のハーブ園を案内してもらったことがあるが、その後あまり行き来がなかった。ヤギを見学に行った先でたまたま出会い、その後、新たな出荷先を紹介してもらった。このことがきっかけで、出荷形態を変えようと考えた。4年ほど前からヤギも飼っていて、1ヘクタール規模で野菜を作り、ハウスも6棟持たれている。いろんな出荷先を持ち、直売所にも出されているので、直売所への出荷の仕方や単価のつけ方も教えてもらっている。

電柵のゲート(村道)の開閉が、朝、夕の日課となったが、ヤギも朝、夕の小屋からの出し入れがあるので、拘束(負担)を半減してくれる形になっている。


ヤギ導入の「伏線」は3つあった。
(1)農業新聞に鳥取県の「ヤギのリース」が何回か取り上げられ、岡山県にもそんな事業があるならぜひ飼いたいと思った。
(2)10~20年後、ヤギがまた日本農業史に復活するだろうと予想した。
(3)ブログのネタに行き詰まっていた。

ヤギを飼ってみたいと始めて友人に話したとき、抜群のタイミングでヤギを飼っている人を紹介してくれて、もらえる話がその日に決まった。

 

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Uさんは名刺に、レジャー林業探求家(働・遊・作・学・食)、野良仕事研究家と書かれている。
暖房に「薪ストーブ」を使われているので、大量の「割り木」を家の軒下に積み重ねている。軒下がいっぱいになり、菜園にも画像のように積み重ねている。まさに林業を生活の中に取り入れ、それを楽しんでおられる。

50年ほど前には集落のどこの家にも「クド」があったので、軒下には画像と同じような割り木が積み重ねてあった。クドの火や風呂焚きの火は台所の暖房になると同時に、見る人に「安らぎ」を与えた。火は人の心を癒すが、現在人のほとんどは「木材の炎」を間近に見る機会さえ失っている。


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Uさんの家庭菜園。通路と畝の場所は決まっているので、不耕起栽培に近い。輪作で新たに植える時に少しだけ畝の上を耕す。右の画像のように少量の麦を蒔いて「敷き藁」も自給している。


60年近く生きていると、人生の大きな転換期になったと後でわかることがある。16才、26才、36才の時に大きな出来事があったので、末尾に6がつく56才の去年は、その前年からそんな予感と期待をしていた。長く続いていた閉塞感をヤギが一変させてくれた。

田んぼ全体を囲うきっかけとなったイノシシの襲撃が去年の10月7日だったということも、大変ありがたいタイミングだった。その年の2月5日にもらったヤギと順序が逆だったら、電柵の手間隙や経費の負担ばかりが頭について、ヤギ導入のような「悠長なこと」はできず、「状況の変化」は起こらなかったかも知れない。それどころか、農業の出処進退の危機に陥っていたかもしれない。

イノシシの襲撃の前にヤギが来ていたということは、自分にとってそれくらい大きな出来事だった。

ヤギがうまくいかせるかどうかは、人や場所や時によって異なる。いろんが偶然が重なって自分の場合はヤギに助けられた。

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今年は国際生物多様性年

農業は、一人もしくは家族という最小単位でする仕事だと思う。これを離れたら農業をする意味はないと思っている。集落営農や農業法人からは農業というイメージがあまりしない。

組織として判断するのではなく、個人として判断することが農業だと思う。肥料にしても農薬にしても除草剤にしても、いつ、どれだけ使うかを組織の判断にゆだねる、もしくは従うのでは第2次、第3次産業と同じである。環境保全とか農の喜び(癒し)からは遠ざかってしまう。

一人もしくは家族でするから「農業」なのである。

今年は国連が定める国際生物多様性年。10月には名古屋市で生物多様性条約締結国会議が開かれる。

地域を離れた生物多様性なんて存在しない。現地の人の、現地の人による、現地の人のための生物多様性を考えてほしい。トップダウンではなく、地域から国、世界へと積み上げていかなければならない。(山階鳥類研究所所長、朝日新聞1月15日)

生物多様性とは、とにかく少量多品種を作り、いろんな事に手を出すことだと思う。

多種類の野菜、多種類のハーブ、多種類の果樹、ヤギ、ニワトリ等の家畜、簡易方式の炭焼き、ミツバチ、ミツバチの蜜源作物、景観作物(花)、山菜、シイタケ、ビオトープ(水辺)、飼料作物。

できるだけ農薬や化学肥料や除草剤を使わず、旬に忠実に、黒マルチや各種ビニール資材も極力控える。(完璧に否定することには反対。それでは人類が飢えてしまう)

こういう農業をしていると、毎日、田んぼへ行くのが楽しみになる。単一でないので自然災害のリスクも最小限に抑えれる。

問題は、あまりカネにならないことだけ。

それでも、風景とか、鳥の鳴き声とか、空の雲とか、水の音とか、季節の草花とか、春夏秋冬の変化とか、土に触れる喜びとか、自然との一体感とか、他の職業では決して味わうことができない。

他所へ刺激を求めて出かけなくても、交友範囲や生活圏が狭くても、教養が少なくても、農業の能力がかなり劣っていても、これだけの農業ができればもう十分と思っている。

後はこれを平行線で持続するだけ。

ただ、ボランティアで農業をしているわけでも、趣味でやっているわけでも、家庭菜園でもないので、「売上」には常に目を向けている。

昨日の春夏野菜の定植数をどう思われましたか。

あれだけでも、小走りで収穫して毎日1時間では終わらないし、仕訳や袋詰めに同じくらいの時間がかかるし、数店の直売所へ持参して帰るだけで小1時間かかってしまうだろう。合計3時間かかる。午後からの半日しか農作業時間は取れない。

1日の総売上1万、それを週5日続けて5万円、4週(1ヶ月)で20万。野菜の端境期のため2月、3月、4月の3ヶ月間はあまり出荷できないとすると、年間では20万×9ヶ月=180万。年間の農業経費は60~80万になるから、これでやっと100万ほど。

それにしても、手取り100万を稼ぐことがなぜこんなに厳しいのだろう。



阪神大震災から15年


今日は阪神大震災から15年。あの日のことは今でも覚えている。当地でも「すごい揺れ」だった。それでもあれだけの大災害だったとは夕方まで知らなかった。家人が職場から帰ってすぐ「あんた、神戸の顧客、大丈夫なん」と聞いてからだった。
農業をスタートして丸5年が来ようとしていた。

それまで少しずつ増えていた神戸の顧客が、あの震災後、減少に転じた。野菜の個人会員は阪神大震災の前がピークだった。ハーブを勉強してハーブの電話営業を始めたのはその3年後のことである。


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踏み込み温床

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今日の農業新聞に金子美登さんの「踏み込み温床」の記事が載っていた。それを見て、今年は踏み込み温床を作ろうと思った。

この20年間、春の温床については、作ったり作らなかったりだった。作っても温度が出すぎて煮えたりして、うまくいかないことが多く、少し時期を遅らせて「冷床」で蒔きなおすことも多かった。冷床だと温床に比べて収穫が3週間ほど遅れる。

今年の計画は、
(1)キュウリ→3本
(2)ナスビ→30本(苗は購入)
(3)ピーマン→15本(苗は購入)
(4)オクラ→120×3本立ち

(5)ナンキン→25本
(6)トウガン→6本
(7)ニガウリ→6本(苗は購入)

(8)スイカ→6本(苗は購入、出荷はなし)
(9)トマト→20本(苗は購入、出荷はなし)

(10)エンサイ→240本
(11)ツルムラサキ→200本

(12)青シソ→70本
(13)スイートバジル→70本

その他
ハーブティ用ハーブはすでに定植している。
タマネギもすでに定植している。
ジャガイモは種芋を15キロ購入予定

つまり、
キュウリ、オクラ、ナンキン、トウガン、エンサイ、ツルムラサキ、スイートバジルの踏み込み温床を作ろうと思う。

失敗すると困るので電熱温床と併用する。

踏み込み温床の外枠は毎年作らなくてもよいように、鳥小屋の前に固定しようと思う。外枠作りが負担なら、そうした方がよいと助言してもらった。

去年まで何回か作った「穴掘り温床」は失敗だった。ヌートリアかアナグマのような害獣に毎年荒らされた。


堆肥作り

メタン菌液肥を使うようになってからは、「堆肥作り」を全くしなかった。しかし、金子美登さんを見習って今後は堆肥作りもしようと思う。原材料はいくらでもある。
(1)鳥小屋の有機物混じりの鶏糞
(2)ヤギの糞尿のかかった下敷き
(3)米ヌカ
(4)落ち葉
(5)カヤ・ササ・土手草・山草
㊟稲ワラ、籾殻、麦ワラは別用途に利用するので堆肥には使わない。

堆肥場も3箇所を固定的に確保することにした。
(1)前だしに便利なヤギ小屋の前
(2)前だしに便利な鳥小屋の前
(3)落ち葉や山草を使うので山に最も近い畑

堆肥作りも一から勉強しなおす必要がある。
(1)日当たりのいい場所
(2)あまり湿気ない場所
(3)水をかけながら踏み込みするので水の便のいい場所
(4)何回切り返すか
(5)堆肥に覆いはした方がいいか、しなくてもよいか
(6) 出来上がりはどんな状態になった時か
(7)どういう使い方をするのが一番効果的か

鶏糞やヤギの下敷きをいきなり作物の畝に施すより、いったん堆肥に積んでから施した方が効果的のようだ。一手間かかっても、そうした方がいいのかも知れない。

一昔前は集落のどこの家にも、牛小屋の前に堆肥の山があった。覆いなどなく、野ざらしだった。

どこの家の堆肥にミミズが多くいるか、釣りをするほとんどの子供が知っていた。

釣り針と釣り糸を自分で結んだことがない。結べなかった。いっしょに釣りに行った人が結んでくれた。そんな能力が今に通じている。
 
 
 
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石垣を見ると、昔の人はたいした能力だったと思う。60才以下の人で「石垣の石積み」ができる人がいるだろうか。土建業に従事している人ならできるのだろうか。自分は石積みなど全くできない。

どこからか石を集めてきて
石の大きさや格好を見比べながら
この石、あの石と選びながら積み上げていったのだろう
ゆっくりとした時間が流れていたであろう
一人ではなく二人か数人の共同作業だったであろう
完成したのはいつ頃のことだろう
自分はその恩恵を享受している
どんな人が積んだのだろう
会えるものなら会って話しがしたい
ここで石垣を作って、どんな作物を作っていたのだろう
あなたの生きた時代はいつ
教えてほしい
あなたが考えたことや悩んだことを

 
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グーグル・アマゾン

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きょうも「どんど(たき火)」をして焼き芋を作った。右の画像がそう。

焼き芋にすると少し甘味が出てくるのにヤギはあまり食べない。ところが、食べそうに思えない「キンカン」はヤギの好物。ただ、一度にたくさんは食べないので、1日10個ほどずつ与えている。

キンカンは隔年結果などなく、毎年鈴なりになる。収穫せずに放置することもあったが、去年からヤギのおかげで有効活用できるようになった。キンカンはビタミンの宝庫。ヤギにやるついでに自分の口にも1~2個入る。2月中頃まで与え続ける。

ここ数日冷え込んでいるが、ヤギは大丈夫なのだろうかと思う。それでも、夏の「おびただしい蚊」に比べたら、寒さの方がましなのではなかろうか。蚊は防ぎようがない。蚊取り線香を2ヶ月ほど使ったが効果は少ない気がする。


グーグル

グーグル、中国に「決別宣言」という新聞の見出しが目に飛び込んできた。

グーグルには毎日のようにお世話になっている。ちょっと不確かなことを確認する時に、今開いている画面を縮小して、グーグルを開いて検索する。

グーグルで検索するようになってから国語辞典がほとんど必要でなくなった。

グーグルは、亡くなったA先生が「困った時のグーグル頼み」と口癖のように話されていたので、その影響で困った時にグーグルが思い出せるようになった。つまり、「困った時の神頼み」ではなく「困った時のグーグル頼み」と教えてくれた。

グーグルは1998年、米スタンフォード大の大学院生2人が創業したシリコンバレーを代表する新興企業で、できてまだ12年。

中国13億人市場への参入と引換えに一度は甘受した言論統制に反旗を翻した。09年の調査では、国内最大手の「百度」の市場占有率は8割に迫る。グーグルの発表は、中国市場での苦戦が原因ではないかとの冷ややかな見方もあるが、中国のネット人口は昨年9月末に3億6千万人に達し、世界一の規模を誇る。今後の成長も見込めるだけに、簡単な決断ではなかったはずだ。(朝日新聞1月14日)


アマゾン

13日の朝日新聞の一面に「電子書籍元年 出版21社団結」という見出しがあった。「アマゾン」に対抗ということらしい。

例えば、今まで1500円した本が電子書籍で 300円ほどで購入できるなら、また買い始めるかも知れない。

公民館の図書館で借りるには、なければ予約の注文をして、届いたら取りに行って、また返却に行く必要がある。注文から届くまでに2週間ほどの期間があると、その間に、読みたいと思った熱意が冷めることもある。

「読書専用端末」を購入すれば、携帯電話やパソコンで、いつでもどこでも読めるようになるらしい。

ボクはすでに「電子書籍」を出している。このブログを始める前まで、毎年、あめんぼ通信を一冊の小冊子にして10社ほどの出版社に、夢の商業出版を期待して3年ほど送ったが日の目を見なかった。それでもあきらめきれなくて「でじたる書房」というネット出版社に送って「ネット本」にしたが、1冊も売れなかった。

この挫折が「ブログ」に出会うきっかけになり、今も続けれている原動力になっている。


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今日のつぶやき

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午後から稲ワラをもらいに行った。「稲ワラいるか」と、毎年声かけしてくれる集落の稲作農家から、4アール分ほどもらった。

集落に稲作農家がいるおかげで、籾殻をもらえるし、ワラを頂くこともできる。田植えや、秋の稲穂の風景が見えるのも稲作農家のおけであるし、6月にカエルの合唱が聞けるのも水を張った田んぼのおかげである。

稲ワラは、ナンキンやトウガンに敷いたり、サトイモやヤーコンの畝の草押さえ等に使う。ヤギ小屋の下敷きにも使える。ヤギは清潔好きと言われているし、小屋にいる時間は17時間(戸外が7時間ほど)と長いので糞尿も多く、3~4週間に1度は前出し(糞出し)をしている。

農閑期とは名ばかりで、ゆっくりする間は少ない。


伊藤光晴「ゆたかな社会でなぜワーキングプアが増えるのか」
生活に追われている人の場合は、賃金率が下がれば所得の減少を補わねばならず、もっと長い時間働こうとするはずだとし、賃金が下がれば下がるほど労働の供給が需要を上回り、失業が増える可能性があることを指摘している。(朝日新聞12月26日)

・・・農業労働と農産物の多さもこれに似ている。働けば働くほど、農産物は安くなる。


農業の後継者が育たないのはなぜか。答えは簡単。農業は儲からない、割の合わない職業だからだ。農業は他産業に対して収益性で劣る。従って経済が成長すれば資本・労働力・農地は農業分野から他産業に収奪される。これは経済の原則だ。(農業新聞1月13日)


〇〇さん(30才)は、雑誌「ビッグイシュー」を道行く人に売ることで、路上生活からの脱出を目指す。雑誌は1冊売れば160円の稼ぎ。販売のコツを教わった。「ヒゲを整え、ツメを切る。臭いに気をつける」。100円ショップで携帯用消臭スプレーも買った。毎朝、公園で身支度を調え、足にスプレーをかけて出かける。「世界から存在を消されているよう」と、路上暮らしの孤独を手紙に書き、雑誌にしのばせていた。(朝日新聞1月5日)


雇用創出の現場を歩いてつくづく思うのは地域再生のキーパーソンがいないということ。人材は外から連れてきてもいい。そうすることで地元を支える人が育ってくる。そういう視点で取り組めた地方から、先に再生していくだろう。このままでは、地方に仕事がないと都会に出た人たちが再び戻ってくる道筋も描けず、過疎化・廃村の流れを食い止めることは出来ない。(1月5日朝日新聞)

・・・雇用創出ではなく、自給自足ができる環境を整えてあげることだと思う。社会保険料やライフラインがこう高くては、とても農業で自給自足を中心とした生活はおくれない。電気代、上下水道代、電話代、プロパンガス代、新聞代、NHK受信料、国民健康保険料、国民年金保険料、固定資産税、火災保険料・・・。

社会保険料(25万)とライフラインの支払い(5万×12ヶ月=60万)、火災保険料と固定資産税(10万)、冠婚葬祭費(3~4万)だけで、田舎暮らしでも最低100万はかかる。


団塊の世代の人は「逃げ切れる」が、それよりちょっと遅れて生まれた昭和26年以降はもう逃げ切れない。それでも厚生年金の人はまだいいが、ボクのように国民年金だともらえる金額も知れている。

全ては自分が選択したことである。経済と引き換えに手にしたものも大きいが・・・。企業社会をドロップアウトする生き方が極めて難しい時代である。

生きていく仕組みを変えるには、農業を中心にした自給自足のライフスタイルの選択ができるようになればいいのだが、それには現役世代の「べーシック・インカム」の導入が不可欠である。

 
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焼き芋 第2弾

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また、焼き芋をした。低温が続くと腐れが多くなるので、早めに処置してニワトリとヤギに与える。遅くとも20日までには残り全てを焼き芋にしようと思う。

ニワトリは生でも食べないことはないが、焼き芋にすると飛びついて食べる。

まず「どんど(たき火)」をする。火がほとんど消えてから芋をくべる(投入する)。そして芋が隠れるように炭火を元にもどす。

1時間ほどして取り出してみたら、量が多かったからか、少ししか焼けていなかった。焼けていない芋はまた元に戻し、2時間後に見たら、今度は全部焼けていた。

冷ましてから、ニワトリとヤギに与えたが、ヤギはあまり食べなかった。

ふかし芋は一度にたくさんできないが、焼き芋だとたくさんできる。田んぼで食べるからだろうか、ふかし芋より焼き芋の方がおいしかった。

例年たくさん購入してくれるイタリア料理店が今年はあまり購入してくれなかったので、ムラサキイモがたくさん残った。

ちょっともったいないが、売れなかった場合に家畜のエサになる野菜は他に、ナンキン、トウガン、キクイモがある。

秋冬野菜では、巻かなかったキャベツや、虫食いの多いハクサイ、外観の悪いダイコンなどが家畜のエサにもってこいである。家畜を飼っている人は、秋冬作ではこの3種類を多めに作る人が多いようである。

 

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今日も合計7個産んだ。ここ数日、巣箱の外には産み落としていない。ただ、1日7個が最高で、これ以上は産んでいない。メスは28羽なので、産卵率はまだ3割に到達していない。

昨日の1月12日で、ヒヨコを購入して8ヶ月が過ぎた。通常なら8ヶ月の頃が産卵ピークだが、エサが足らなかったことと厳寒期であることから、まだ産み始めていないニワトリが多い。3月上旬頃がピークになるだろう。


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こちらは老婆。老婆だからといって、エサを節約して虐待しているわけではない。それどころか、5月26日で丸5年がくるのに、バンバン産んでいる。1日2~4個。産卵率は約4割。ヒヨコを導入する時に7羽だけ残してこっちに移したが、1羽も死んでいない。

こんなにがんばって産んでくれているから、淘汰は先延ばしにしようと思う。このスペースがじゃまになるわけではなく、そんなに手間もかからないから。

6羽(メス4羽、オス2羽)を引き取ってもらった赤磐市のYさんに、古い方の7羽も引き取ってほしいと頼んだら、5年も飼っているニワトリは肉にもならないから、引き取れないと言われる。

Yさんは産み始めて2年が経過したら、お世話になっている飼料の購入先や食品残渣をもらっている人に、生きたままあげるらしい。中国人の従業員さんがおられて、とても喜ばれるという。5年も飼っているニワトリをあげたら信用が崩れると言われる。

Yさんは400羽ほど飼っているが、ニワトリは自分では絞めれないと言う。ニワトリで生計を立てさせてもらっているかららしい。牛肉や豚肉は食べても鶏肉は決して食べないという徹底ぶりである。

 
 
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左の田んぼにはライムギとライコムギを蒔き、右の田んぼはオオムギを蒔いている。合計3アールほど。

麦は明日への活力。めでる楽しみがあるが、同じように気に入っているのがイノシシとシカ。麦を作ることは害獣を呼び込むことでもあるらしい。この時期に青々としているのは麦くらいだから。まさに一長一短。

      
   
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雑草化しているハーブの「カモミール」はヤギの好物である。他の田んぼで雑草化しているので、取ってきて与える。
タマネギと生育ステージが同じであり、タマネギのコンパニオンプランツなので、例年、タマネギの畝間(通路)に2メートル間隔ほどに定植している。麦と同じで、この時期には踏みつけた方が生育がよいらしい。だから通路に定植する。

5月中旬頃には無数の小菊の花がこぼれるように咲く。10片ほどちぎって湯のみに入れ、沸騰した湯を注ぐと、リンゴの香りの「カモミールティー」ができる。

タマネギの収穫が終わる頃には、カモミールの種が落ち、翌年はその場所から雑草のようにカモミールが生えてくる。何回耕運しても生えてくるほどたくましい。

タマネギの定植が終わってから、通路にカモミールを定植すれば、タマネギ畑が花畑になり、ミツバチも大喜び。


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変わり果てた郷土の山河

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木曜日に切り出した木の後片付けを少しずつしている。杭になる部分以外の枝葉は、1メートルのほどの長さに切ったり折ったりして、持ち運びができる適当な束にする。

50年ほど前にはこんな束を重ね上げているのを道端でよく見かけた。クドや風呂焚きに使う1年間分を冬の間に用意した。太い部分は「割り木」にしていた。

束にする紐は、産地で水やりに使う潅水チューブを適当な長さに切って利用している。義兄にもらったものであるが、チューブは伸び縮みがするので、稲ワラや麦ワラを結束したり、長い草や笹を結束したり、画像のような枝葉を結束するにも便利である。昔は縄で結束していた。

池の土手でこれらの作業をした。小学校の間はこの池で泳いでいたが、中学校卒業の頃にこの池の上流の山に牧場が誘致され、牧場が倒産してからは長く放置されていた。その後、県下10ヶ所にある「美しい森施設」の一つとして整備された。

牧場のために、かなりの面積の山を切り開いてから、山の保水力が無くなった。この池と、上流のダム、もう一つ上の池の3つで、地域の稲田の水は何百年にわたって賄えていたのに、切り開いたためにできなくなった。今はこの池に、岡山三大河川の一つである吉井川からポンプアップする設備ができている。

何のための「ため池」か。美しいため池とは到底いえない。
ポンプアップするようになってから、稲の作付面積に応じて「水代」がかかるようになった。

11年前に井戸を掘ってからは、池の水はほとんど利用していない。収穫後の野菜のジョロ散水と、ニワトリの飲み水とヤギの飲み水は、家の簡易水道の水を16リットルのポリ容器に入れて持参している。16リットルもあれば十分に足りる。

井戸水には限りがあるので、夏野菜の作付は井戸水の量で限定される。

池の上流の開発をなぜ集落の会合で許可したのかわからない。水の生態系が変わることくらい誰もがわかりすぎるほどわかっていたはずなのに。

開発、開発の時代だった・・・。1970年代の10年間は日本全国でこのような乱開発が行われたのだろう。開発の名のもとに、この国の美しい山河は破壊されてしまった。

モツを釣りにいった岩坪やダム

祖父に連れられてマツタケを引きにいった山

セイセンゴ(イタドリ)を取りに行った山

アケビをとりに行った山

ツララを見に行った谷

下刈りを積み重ねていた山道

山仕事の昼時の湯煙が立ち昇っていた奥山

これらの記憶は心の片隅に残っているだけで、開発されてからは、どこがどうなっていたか抹消されてしまった。

たった56年生きてきただけなのに、郷土の山河は変わり果ててしまった。

子供の頃に遊んだ山へ行こうにも、その山はもう陰も形もない。地形が変わってしまったのだ。

でも仕方がない。どうしようもなくむなしいだけ。

それでも現代のすさまじい経済社会で、自然を相手の仕事に従事できていることだけでも、ありがたいと思わなければ。
 


簡易小型ハウスをリース
 

岡山県JA岡山西は、直売所向け農産物を出荷する組合員を対象に、地産地消リース整備事業を始めた。簡易な小型のパイプハウスを農家に有利条件でリースし、露地野菜の出荷ピーク調整や農家の所得向上につなげる。

建設費込みで100万以下のハウスを対象とする。事業を普及することで、軟弱野菜の産地化、少量多品目生産の確立、野菜の周年栽培につなげる。利子はJA住宅ローンの最低金利である1.5%。リース期間は5年間。

JAが農地にハウスを建設し農家に提供し、農家は5年間均等割りで利用料をJAに払う仕組みだ。ハウスは5年後にJAが農家に無償譲渡するのが特徴だ。

直売所出荷は露地野菜が大半で、同一時期に同じ作物の出荷が集中するケースがあった。同事業の推進で小規模農家の意欲喚起、地産地消の拡大を目指す。
(農業新聞1月12日)

ハウスに関してはこの20年間で何回か建てようと考えたことがある。しかし結局、ハウスは持たなかった。

(1)ハウスに投資すると、「元」は取れないのではなかろうか。上記の場合、80万円のハウスを5年リースで購入すると、1年間では16万円の支払い。60万円のハウスだと1年間では12万円の支払い。

(2)ハウスは風と雨と少し太陽も遮るので、露地野菜とは違った技術が必要になる。

(3)ハウスは病害虫の発生を抑える場合と、逆に多くなる場合と相反する状況が出てくると思う。

(4)ハウスの場合、水の便が必要になる。

(5)ハウスがあるからといって、1年間で12万~16万の収入アップが期待できるとは思えない。

(6)農閑期が少なくなる(なくなる)可能性がある。

(7)育苗のための小さなハウスだけ所持している場合が多いようである。

(8)大雪や台風などリスクが大きい。

(9)ビニールは一人で張れない場合もあるし、3年ほどで張り替えの必要があるだろうし、廃棄処分料もかかってくる。張替えビニール代と廃棄処分料を加えると、年間に2万以上の経費が余計にかかるだろう。

このように考えると、ハウスはあまりいい投資ではないように思う。

ブドウやトマトの専業農家は本格的なハウスを持たれているが、なかなか真似はできない。

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多様なエサで乗り切ろう

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毎朝、電柵のゲートの前で車を止めると南向きで歓迎してくれ、ゲートを開けて、物置の前のいつもの場所に車を止めると、すぐにこっち向きで2頭が歓迎してくれる。

だから、ヤギだけが知っている踊りをして感謝を表す。

「もう、2頭いっしょにしてもいいのでは」と、Uさんに言われるが、半ば習慣的に別々にしている。新しいパドックが完成したら一緒にしようと思うが、新しいヤギ小屋は、オスヤギが使っている鳥取方式のヤギ小屋を2つ作る(並べる)予定。1メートル四角なので、2頭入れないこともないが、それはヤギの選択に任す。

ヤギは人の気配を好む。この小屋は車置き場の前であり、物置でもあるので、最も多く行き来する場所であり、一昔前の牛小屋でいえば玄関先のような場所。ヤギ小屋としては最も適する。わざに歩を進めなくても、到着と同時にヤギのその日の体調がわかる。新しいパドックに移したら、こういうわけにはいかない。

夜だけはここの小屋でもいいが、そうすれば今の時期なら、夕方5時~朝8時半頃まで15時間ほど拘束することになる。

夜間もそして夜明けからヤギを自由にしてあげるには、パドック(3アールほど)の中に寝場所を作るしかない。


電柵

電柵ができる前は、今後は電柵の世話が大変だろうと思ったが、できてみると意外とすぐに慣れるものである。今はまだ草刈をしなくていいからかもしれないが。

ただしこれは農業歴が20年あるからであり、これから農業をスタートすると考えたら、電柵の経費と手間を考えると、農業への転身は相当な(致命的な)ブレーキになっただろう。


多様なエサで乗り切ろう

ヤギは雑草と木の葉だけだから、エサは完全自給できるが、ニワトリはたった30羽でもエサの自給は無理。輸入品の方がはるかに安いから、国内ではエサ(トウモロコシ等)を作る農家もいない。だから購入エサ=輸入品である。 

 そのため、自分のような少羽数で、地べた飼いで、青菜をいっぱい与えても、卵の安全性は「かなり?」がつく。

30羽でなく7~8羽に減らしても、エサの自給は難しい。例えばコゴメだけだったら卵はたくさん産んでくれないだろう。家から出る「食べ残り」はエサになるほどたくさんは出ない。畑から出るくず野菜だけ与えても、ニワトリは卵を産まない。

当日食べた物が翌日には「卵もしくは糞として」表現される。若鶏の間は毎日のように卵を産むし、もちろん糞も毎日する。

「味噌や醤油等の食品製造業や食品関係の流通業、飲食店、学校給食等から排出される残渣(エコフィード)も貴重な飼料資源である。本来、人の食料である米も飼料として注目されてきた。単一飼料を使う畜産から抜け出し、地域の多様な飼料資源の活用を目指したい」と、今日の農業新聞に出ていた。

自分も今まで幾度となく「学校給食の食べ残りなどがもらえたらいいな」と考えたことがあるが、いかんせん羽数が少ない。中途半端な羽数では、もらいに行くこと自体が手間であるし、2~3日で全部食べきれなければ夏などは困る。

エサをどうするか考えて、ニワトリの羽数を決める必要がある。

現在の養鶏では、配合飼料のエサは何が何%と精密に計算されているし、プロの養鶏農家は1日に与える量も厳密に決めている。だから内容物が精査できない食品残渣は、あくまで補助飼料としてしか使えない。

ケージ飼いのニワトリでは、その補助飼料の利用もほとんど無理だろう。牛や豚なら可能だろうが、それでも肉質とか問われるなら無理。ニワトリなら300~400羽飼いの農家が食品残渣を最も利用しやすいと思う。

30アールほどの作付から生じる野菜クズのリサイクルには、30~32羽はもってこいの数字であるが、卵も欲しいとなると、親戚からもらっているコゴメの他に購入飼料も必要になる。

菜食主義(コゴメや野菜クズ主体)のニワトリの鶏舎はほとんど臭わないが、市販の購入飼料(濃厚飼料)をやっていないと窒素分は少なく、糞の「肥料効果」も少ないだろう。

自分が飼っているニワトリの卵の安全性はそんなに高くはないかも知れない。ただ、安全性に絶対的なものはなく、すべて相対的(他と比較して)なものと認識しているので、我が家の卵の安全性を自負している。

素性のわからない購入飼料を「解毒」する意味で、青菜(野菜クズや雑草)をたらふく与えている。

こういう観点から、スーパーで豚肉や牛肉を購入する場合、国産かどうかではなく、どちらが安いかで選択している。国産でもエサの大半は輸入飼料だから肉は輸入品と同じ。

牛乳はほとんど買わないし、卵もそんなに食べない。栄養素を取り入れるというより、健康のためにあまり食べてはいけないと考える。健康には粗食が大切。

一昔前のように、飼っているニワトリも食べない。スーパーで買った方がはるかに安くつくし、手間もかからない。だいたい、健康によくないので我が家では肉をそんなに食べない。

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農商工連携、自分の場合だったら

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薄暗くなって鳥小屋に入ると、どの「止まり木」を気に入ったのかわかる。右下の画像のように、5~6羽はいつもこの傾斜の所で寝る。

飼い始めて18年間は、巣箱の前に3本の平行棒を置いていただけだった。止まり木を少し工夫するだけでニワトリが随分楽しめるのに、「大工仕事が苦手」でできなかった。

少し器用だったら、鳥小屋のそばに金網かネットで囲んだ露天の遊び場くらいは作っていただろう。


渡り鳥の居場所を用意


冬場は水田に水を張り、渡り鳥の居場所を用意する。冬季湛水(たんすい)のため、ポンプで水をくみあげる。(滋賀県 高島市有機農法研究会、農業新聞1月10日)・・・ここまでやれたらすごいと思う。当地周辺では「冬季湛水」の田んぼなど見たことがない。


農商工連携

この言葉を最近よく目にする。自分の場合にこれができるとすれば、
(1)旅行会社とタイアップした日帰りもしくは一泊二日のグリーンツーリズム。
(2)企業や小さな事務所等の職員研修(農業研修)もしくは日帰りのレクレーションとして利用してもらう。

つまり、お客の募集を旅行会社にしてもらいたい。以前、阪急交通社に電話をしたことがあるが、後日電話をしますと言ったきり、連絡がない。

提供できるメニューは、
(1)農の風景
(2)里山の風景
(3)ヤギやニワトリと遊ぶ
(4)旬の野菜やハーブを見て楽しむ
(5)七輪でハーブティ、ゆで卵
(6)雑木林の散策


野菜の味

先日のテレビで金子美登さんが作った米や野菜の「味」は、他の物とは全然違うと顧客が話されていたが、農業者の技術レベルは「味」でわかる。

土の質、肥料の質、肥料の投入時期、生育時期、風土、手の加え方、収穫時期等、当事者のあらゆる能力が味に反映されることになるだろう。果樹では特に端的に現れる。

「無農薬、無化学肥料」=「味のよさ」ではない。無農薬、無化学肥料にトライすることより味の良さにトライすることの方が数段難しい。


正反対の思想

国や企業の成長は当たり前ではない。成長し続けると考えることの方がおかしい。もう景気回復などありえない。今後も不況がずっと続く。

とにかく、国の大借金を返すこと。補助金をばらまくような余裕はないはずだ。国民全員がつつましく清貧に暮らすしかない。

『地方で成り立ち得る産業として、有力なのは農業だろう。問題は既得権だ。農村では耕作地の放棄が進んでいるのに、手を打てない。さかのぼれば戦後の農地改革で農地を得た人たちが既得権者と化して、大規模化、集約化が進まないためだ。大規模化すれば競争力が生じ、雇用も生まれて産業として成り立つかも知れないのに、農地に関する複雑な法体系が大規模化を阻害している。』・・・朝日新聞のオピニオンに出ていた著名人の論考だが、ボクとは正反対の考えである。自分なら、
(1)これ以上の大規模化をしたら環境を破壊するだけだ。
(2)農業が衰退しているのは資本主義という政治経済システムそのものの中にある。
(3)農業を経済の視点で捉えるのではなく、人間疎外からの癒しの視点で捉える必要がある。農業と商工業の最大の違いはそれ。
(4)21世紀は大規模化ではなく小規模化を目指す時代である。
(5)成長を考えるのではなく、過去のよい方法へ戻す時代である。


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農林水産予算が2兆5千億円を下回るのは34年ぶり

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昼から「籾殻運び」をした。集落内の稲作農家からもらっているが、今年は2往復だけにした。たくさんもらえば稲作農家も手間が省けて喜んでもらえるが、籾殻は使える用途が少ない。
(1)サトイモの寒さ避け・・・11月に使用
(2)冬越しハーブの寒さ避け(ルバーブ、レモンバーベナ、レモングラス、ステビア)・・・11月に使用
(3)クン炭作り

(1)と(2)で使う量は知れているので、主に(3)だけに使う。ニワトリ小屋の下敷きには籾殻より落ち葉の方がよい。
籾殻運びもクン炭作りと同じで、風のないおだやかな日でないと積み込みや積み下ろしの時に風で舞い散る。

積み下ろしの時には画像の毛布を使った。ヒヨコの保温に使った毛布である。

籾殻置き場はいつもこの田んぼになる。置き場の隣で2月末までに2山×2回籾殻を焼く。これだけで1年中使える。


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左の画像のあぜ岸に所々、青々とした草が生えているが、これが彼岸花だとは全く知らなかった。子ヤギをもらってきて間なしの2月中下旬頃、何も知らずにこれをやったら、翌日1日中とろんとして、他に何も食べようとしなかった。確認のためにグーグルで「冬の彼岸花」と検索したら、やっぱり間違いなく彼岸花だった。
 
 

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電柵を大急ぎでしてもらっていたら、いい結果にならなかったと思う。10月7日の台風の日の夜に大きな被害に遭い、電柵を設置してもらったのは11月24日で、その間、50日ほどあったが、この間にいろいろ考えることができた。

イノシシは台風や大雨の日に被害が出やすいとわかったし、毎日出没するのではなく、たまに来て、集団で襲うことが多いようだ。

この50日間の被害状況で、電柵なしではもうできないと痛感させられた。

どこに設置するかも大切なポイントである。隣の休耕田の畦に設置させてもらったら、耕運が随分楽だとひらめいたのも、田んぼをぐるぐる回りしている時だった。


シイタケの多くはシカに食われたようだ。これでは原木を補充しても意味がない。対策を考える必要がある。 

 
派遣村や生活保護のことは新聞によく取り上げられるのに、「ベーシック・インカム」という政策は、朝日新聞に1回しか大きく取り上げられていない。

すでに資本主義の底が抜けてしまっているのに、最低限の生活補償もないし、働き口もないし、雇用自体も正職員、臨時、パート等、全く公平でない。

ゆりかごから墓場まで(年令に関係なく)、貧乏人も金持ちも(所得に関係なく)、平等にベーシック・インカム(基礎年金)が受給できるような政策を、新聞、テレビ、週刊誌、インターネット等は頻繁に取り上げるべきだと思う。

去年の総選挙では新党日本(田中康夫代表)が唯一、マニフェストに「すべての個人に最低生活保障=ベーシック・インカムを支給する」政策を明確に掲げた政党であるらしい。

田中代表は、「ベーシック・インカム」は自由経済学者も左翼的な学者も、まさに対照的な左右の学者が支持する政策であると説明した。(去年の朝日新聞9月12日)


3年後60才になったら、国民年金保険料17万余りを支払わなくてすむし、厚生年金部分を12万ほどもらえるようになるので、合計で30万ほど収入アップになる。自分にとってこれは大きい。

8年後65才になったら、年金が84万円ほどもらえる予定なので、これはもっと大きい。

ベーシック・インカムで取り上げられる金額は月8万円だから年間では96万円。自分に関していえば、年金の場合より12万円多くなる。

農業の手取りも「年間100万の攻防(目標)」である。 

つまり、もらえる年金、ベーシック・インカム、農業の手取り、どれも似通った金額である。

農業という職業を選択するには、現役世代も受給できるベーシック・インカム(最低生活保障)が不可欠だと思う。

ベーシック・インカムによって最低限の生活が補償されるなら、失業もさほど怖くないし、職業や人生の選択肢が大幅に広がる。

ベーシック・インカムを導入すると、配偶者控除や扶養控除などの現行の各種の所得控除が不要となり、年金、児童手当、生活保護など、社会保障の現金給付部分が全部、ベーシック・インカムに一括される。

 去年9月12日の朝日新聞に載った試算例では、
年収700万円の3人家族→最終所得は48万ほど増える。
年収400万円のシングル→最終所得は43万ほど減る。 


農林予算(農業補助金)2兆5千億円をすべて、年間80万円×10年間=800万円のベーシック・インカムに振り向けたら、2500000000000÷8000000=312500人もの農業希望者を毎年「自給自足型山村移住」させてあげることができる。ベーシックインカムが仮に20年間なら毎年15万6千人ほどになる。

ベーシック・インカムは家族(世帯)ではなく個人を対象とするから、3人家族なら240万円の受給である。十分に生活していける金額である。


2010年度の農林水産予算は2兆4517億円で、農林水産予算が2兆5千億円を下回るのは1976年度以来34年ぶり。

すでに30年以上にわたって、毎年2兆5千億円以上の補助金が投入され続けてきたにもかかわらず、農業は衰退の一途であるということは、補助金の投入先を全く誤っている。

農業補助金の全てを農業希望者ベーシック・インカムに振り向けるなら、雇用も、農業も、環境も全ていい方向に回転を始めて、人生に希望も見出せる。


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耕作放棄地「山林」に

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ニワトリがいると、田んぼでできたもので無駄になるものがない。ヤギよりかなり「雑食性」が高い。

日中はどんどん動く。動くといっても「田んぼぐるぐるまわり」などで、実際には農作業がはかどっていないこともある。

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ヤギパドックの予定地に、使わなくなった以前の電柵の支柱を立てて、場所と広さを何度も確認しながら歩いた。

農業は身体を動かして「何ぼ」の世界である。一つ一つの動作や作業が短期間に農業収入に反映することはなくても、「自分の農業世界」を構築するうえでは、早かれ遅かれする必要のある農作業である。  


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昨日切り出した雑木の大半は「ドングリの木」だった。我が家の持ち山にはこの木が多い。

全部、ヤギに食べきって欲しいが、ヤギの1日の食べ量は限られている。新鮮な葉を好むが、冬なのでそれほど鮮度は落ちず、1週間ほどは食べ続けてくれるだろう。

杭になりそうな木は140センチの長さで切り、その他の枝は120センチほどの長さに結束して、おいおいに焼く。

今は雑木林の木は使い道がない。45年ほど前までなら、どこの家でも「風呂炊き」に使っていた。

「クド」には「割り木」を使っていた。「クド」は奥行きがあまりないので、長い雑木は適さなかった。「クド」も50年ほど前にプロパンガスにとって代わられたので、集落の「土間の台所」から「クド」は消え去った(撤去された)。

たった50年ほど前に、「この国の木材の使命」は終わってしまったのだ。その後、集落の誰も山林を顧みることはなかった。有史以来の、木を使う(木は命ほど大切なものであった)時代は終わった。

日本人は50年ほど前に山を後にした。つまり、山から出て行ったのだ。


耕作放棄地「山林」に


 長野県によると、2008年度の林野化した県内の放棄地面積は6626ヘクタールで、」鹿児島県に次いで全国2番目。このうち4175ヘクタールについて、2010年度から5年間かけて、森林として整備できるかを検討する。
 山林に用途変更されれば、国から森林整備の補助を受ける道が開かれる。木材利用をはじめ、周辺の森林と一体化した有害鳥獣対策なども実施できるという。
 長野県の担当者は「農地として復旧できる放棄地と、森林資源として活用を探るという放棄地を分けて、両面の対策で耕作放棄地を減少させたい」としている。(農業新聞1月8日) 

たった1~2代前に、汗水流して「開墾」した山の畑が多いのに、それをまた、たった1代のうちに「荒らしてしまう」というこの国の現実。

経済が発展して「百姓では食えなくなった」という現実。

農業よりサラリーマンになった方がはるかに生活が楽になるという現実。

農業をしていたのでは結婚相手も見つからないという現実。

親が農業を否定的に捉えると、子供は農業という職業にはつかない。

我が家もご多分に漏れず。

親子とも、農業など職業として考えもしなかった。


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昨日切り出した雑木林のすぐ上は「葉タバコ跡地」である。戦後に祖父と父が開墾したが、葉タバコを作ったのは20年ほどで、その後は放棄田となった。

放棄されて45年ほどになる。ボクはまだ小学生で、この池から水を汲んで、葉タバコに「植え付け水」を与えた記憶がある。

等高線に畝立てされた後も消え、今はもう、笹やカヤや低木が生えているだけだが、1年に1回だけ、これらを草刈機で刈り払っている。

ここで葉タバコを植えたり遊んだりした記憶をとどめておくためにも、放棄してしまうことはできない。

刈ったままで放置する年もあるが、結束して田んぼに持って下り、果菜類の下敷き(草抑え)や畝の通路の草抑えや堆肥や春の温床作りに使ったこともある。今年はヤギ小屋の下敷きに使っている。ヤギは枯れ草も少しは食べるので、下敷きと食用になる。

20年後は、田んぼも葉タバコ跡地もどうなるかわからない。2人の子供には農業も農業の風景も全く伝えることができなかった。この場所以外の、方々に散らばっている11枚の田んぼのありか(場所)も全く知らない。

父も田んぼがどうなるか先が見えなかったはずだ。ところがある日突然、バトンゾーンに人が現れて、亡くなる前のちょうど3年間、引き継ぎができたのだった。田んぼのありかの再確認や山の境界線、旬の野菜の種蒔き時期や蒔き方など。

自分の場合はどうなるか。そんなこと知る由もない。ボクはただ、あめんぼ通信を書き続けるだけ。


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人間も地球も現状維持か縮小する時代

年齢的なものかも知れないが、農業も自分自身もそんなに成長させる必要はないと思っている。

人間は幼年時代、少年時代、青年時代、壮年時代 老年時代というサイクルで、いつまでも成長を続けるのではなく、身体的には現状維持、下降に向かう。

歴史も、地球もそうだと思う。すでに文化は成熟し、成長の時代から現状維持、縮小に向かっているのではなかろうか。

現代はまさに経済に「成長」を求める時代ではなく、成長を続けるなら、環境を壊すだけになる。

農業も同じである。規模拡大から現状維持、もしくは縮小に向かう方向がいいと思う。

自分の場合、スタート時の36才の時から、規模も、建物も、農具もほとんど変化していない。つまり、この20年間に新しい投資はなく平行線だった。

成長がなかったわけではない。人生的には壮年期の真っ只中であるから、いろいろトライはしてきた。そのほとんどがハード的な部分ではなくソフト的な部分だっただけのことである。

ハード的なことに投資をしない限り、農業はそんなに運転資金(ランニングコスト)はかからない。自分の場合で年間60~80万ほどである。

農業も生活も人生も、ランニングコストは極力少ない方がよい。


山仕事(杭にする木を切り出し)

今日はUさんが援農にきてくれて、新しく作るヤギパドックの杭にする木を切り出した。

直径5センチほどの杭に適する木だけを切り出せばよいと思っていたが、端から端から切っていかないと、木が絡まって目的の木が切れないと言われる。

随分、山仕事をしていないので、そんなこともわからなかった。

チェーンソーは持っているが、この農具?を自分は使えない。農業をスタートして数年後、シイタケの原木を切ろうと思って購入したが、数回使っただけに終わった。

なかなか難しい農具だと思う。

Uさんがチェーンソーを持参してくれて切り倒してくれたので、自分はそれを140センチの長さ(杭の長さ)に鋸で切る作業をした。鋸で切るくらいはできる。

1時間半ほどでも、チェーンソーの作業は早い。

一度にたくさん切ると作業がしづらいので、3時頃から杭の先を尖らして予定地の土中に木槌で打ち込み、メッシュ(鉄柵)を杭に止める作業をした。

その段階で自分に迷いが生じた。予定地(パドック)が広すぎると、完成までに時間がかかりすぎるし、その後の補修や補強が大変になる。面積を半分に縮小することにした。

予定地を紐で囲って、もう一度、場所と面積を熟考する必要があると思った。

できあがってからの逐次修正(手直し)は、自分には難しいので、最初が肝心になる。19年前にした物置や鳥小屋の大きさや場所設定と同じ作業を頭の中でしている。

ヤギのパドックにこだわる理由は、
(1)少しは、鎖から解き放たれた自由空間が必要である。
(2)オスもメスも現在のパドックでは狭すぎる。
(3)逆に広すぎると柵作りに経費も時間もかかるし、ヤギが野生化する危険性もある。
(4)朝起きたら自由に草場に行けるようにしたい。
(5)5月中旬~9月中旬頃までの4ヶ月間、日中の暑いときに移動させなくてもよい日陰になる場所が必要。
(6)パドックには冬の朝陽が8時頃にはあたる場所も必ず必要。
(7)経費はメッシュ(鉄柵)代だけであり、1枚450円×50枚=22500円ほど。
(8)新しいパドックができても、半分は従来の「けい牧(鎖でつなぐ)」も必要と思う。

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農業は、商業や工業とは全く異質

昨日の金子美登さんの農業歴は40年、義兄の農業歴もすでに40年を越えている。メタン菌液肥を指導してもらった赤磐市のKさんの農業歴も40年を越えている。八塔寺のNさんは同年齢であるが農業歴はこの春で30年。しばしば援農をしてもらっているUさんは定年までずっと農業(山林)関係の仕事に従事されていたので40年を超えている。

この人たちに共通していることは、みんな農業高校(金子さんは農業大学校)で、農業の基礎をきちんと勉強されていること。現在65才以上の方が学ばれた時代の農業高校の授業のレベルは高かったらしい。Kさんは農業高校で豚を屠殺してソーセージにすることなども学ばれたようだ。友人は誰も豚を「よう殺さなかった」ので、自分が率先してその係りを引き受けると「豚殺し」というあだ名がついたそうだ。

現代社会の致命的欠陥は、スーパーに並んだ肉からは「生きている姿」を全く想像できないということ。牛を育てる人がいて、牛を屠殺する人がいて、始めてスーパーに肉が並ぶのに、牛肉を購入する人には、牛を育てている人の姿も、牛を屠殺する人の姿も全く垣間見ることができない。 

自分はニワトリなら屠殺できるが、牛、豚、ヤギのような哺乳類となると怖くてできそうにない。

一昔前までは、牛は1~2年飼って、もしくは牛耕の使役に役立たなくなると、「博労(ばくろう)」と呼ばれた仲買人さんに売っていたようだ。

ヤギを1~2年飼って博労さんに売ることが、当時に生きていたらできただろうか。

こんなにヤギに「感情移入」をしていたら到底できない。しかし50年前の人は、家族同様にして育てていた牛(玄関先の特等の部屋が牛小屋だった)を、生きていくために、身を切るようにして売っていたのだ。


ボクが農業歴40年になるのは76才になった時。

18才~22才で農業という選択は、とても自分にはできなかった。

農業は、肩書きや金力やりっぱな(価値ある)仕事とは無縁の仕事と思った。

資本主義の興隆(経済成長)と、農業は反比例する。

資本主義(商業や工業)と、農業は全く異質である。

資本主義で論じられる「規模拡大」や「生産性」や「近代化」を農業にも同様に取り入れようとしても、いい結果にならない。

田んぼの圃場整備をしても、儲けたのは土建業者だけで、多くの農家はその負担(自己負担分)に苦しめられてきた。
農業は圃場整備と全く反比例するように衰退していった。

なのに、「集落営農」でまた「圃場整備」が浮上してきている。

集落営農という「組織化」や「企業化」は、「規模拡大」や「生産性」や「近代化」と同じ流れであり、全く誤っている。

農業はあくまで、個人の独立自営農か、小さな家族農でするものである。

そうしないと、「環境」も「農業」も「自由」も守れない。

農業を育てるには「補助金」ではなく、「農業というライフスタイル」を支援するしかない。

補助金が得られるのは「規模拡大」や「生産性」や「近代化」を対象にしたものだけである。

補助金は力関係や、時の政権、圧力団体によって決まるので、不平等極まりない。

農業というライフスタイルを選択するためのベーシック・インカム(基礎年金)が、現役世代にも与えられない限り、農業が復活する道はない。

そのための財源は、あらゆる補助金や所得控除をベーシック・インカムに統合していくことだと思う。


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ドングリの木がいくらでもあるので、冬でもエサには事欠かないが、多種類を好むので、ドングリの木だけではすぐに飽いてしまう。生後1年を過ぎても大人のヤギのサイズになっていないのは、木の葉と雑草以外はほとんど与えていないことに起因するかもしれない。

先日、「大豆くず」をたくさんもらったので毎日与えているが、堅いのによく食べる。

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NHK、金子美登さんの特集

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今日のヤギ。


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ダイコンは収穫期には上半分が地中から飛び出しているので、寒い日が続くと凍ってしまう。

例年今頃の時期に、残りのダイコンを全部抜いて茎葉を落とし、横に並べて土をかぶせる。こうすれば上部の凍害が免れて、2月末頃までいい状態が保てる。
 

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ヤギ小屋の隣に昨年はトマト20本、ニガウリ6本を植えていたが、今年も「不耕起連作」をする予定。連作障害を緩和するために、トマトの足元にすでにニラを植えている。


金子美登さんの特集

さきほど10時から10時50分まで、NHKで金子美登さんの特集をしていた。金子さんは埼玉県 小川町にお住まいの有名な有機農業家である。

埼玉県というと県全体が大都会というイメージがあるが、小川町は山に囲まれた純農村地帯のようだった。

毎月100人ほどの見学者が訪れ、常時10人ほどの研修生がいるという金子さんの農場。

昭和23年生まれ、61才。60種類ほどの野菜を無農薬、無化学肥料で作っている。

米も3種類作っている。月の光、もち米、コシヒカリ。アイガモ農法であるが、コシヒカリにはアイガモが使えないらしい。手押しの除草機を使っていた。

50分間の放送の中で、稲作りの映像が多かった。自分としては野菜や家畜の映像を期待していたのに。

バイオガス発生装置を作り、メタン菌液肥も使われているが、その映像は一瞬で終わった。牛の糞や人糞を投入。

肥料はそれだけではなく、大量の落ち葉堆肥(腐葉土)を1年かけて完熟させて利用。

朝5時に起き、朝食前の3時間が最も重要な農作業と話されていた。

カボチャは宙吊りの仕立て方だった


チンゲンサイ、レタス、シュンギクの混ぜ植え。アブラナ科野菜のそばにこれらの野菜を植えるとアブラナ科野菜の虫害が少ない。

その他、イチゴのそばに大麦を植える。イチゴの根にニンニクを絡ませる。ナスビの株元にパセリを植える。トマトの株元にニラを植える映像が出ていた。

司会者がニンジンを生でかじって、鍋で煮たように甘いと言っていた。

1グラムの土には10億の微生物が住んでいるらしい。

「変わった人」扱いだったのに、50才を過ぎた頃、地元の農家が「学びたい」とやってきて、現在は集落のほとんどが有機農業になっている。

地元の造り酒屋や豆腐屋が、米や大豆を買いに来ている。

200羽のニワトリ、5頭の牛、60種類ほどの野菜を作っているが、主体は稲作のようだ。

合計3ヘクタールほどを10人の研修生とされている。

収穫祭に集う老若男女多数。
 

農業者大学校で、一楽照雄という一人の講師と運命的な出会いをして、卒業後、有機農業を志した。

有機農業がうまくいかず、何度か、農業を止めて就職しようとしたことがあったようだ。

悩んでいた時、作家の有吉佐和子さんから野菜を買いたいという申し入れがあった。著作の「複合汚染」にも登場している。

30軒ほどの契約消費者に週に1回配達。

金子さんのメッセージは、
(1)ベストを尽くして我慢する。
(2)困難を楽しめ。
(3)作物の声を聞け、人間はちょっと見守るだけ。
(4)田植えの最適期は1週間で、これを逃すと後では挽回できない。

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ユズ酢 ユズジャム

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夕方、ふかし芋を作った。

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左から、ムラサキ芋、オレンジ芋、ふかし芋用品種。

ムラサキ芋とオレンジ芋は、見た目はきれいだが加工用品種なので、ふかし芋にするとおいしくない。

このオレンジ芋は収量があまり多くないので、今年は止める予定。



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ふかし芋と並行して、ゆず酢を搾った。

ユズを横切りして画像の竹筒に入れ、もう一方の竹で上から押えて搾る。搾ったカスは種と袋をのぞいて、皮だけを細切りして、鍋に入れて煮る。1回煮こぼれさせてザルにあげ、もう1回煮こぼれさせてザルにあげ水気を取り、ユズ皮1.5キロに対して砂糖を1キロ入れて、弱火でことこと煮るとできあがり。


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ユズ酢は茶漉しで漉してコーヒーのビンに入れたが、量はあまり取れなかった。11月中旬頃に収穫してすぐに搾ればたくさん取れるようだ。

ユズジャムは1時間ほど煮たが、水分があまり減らなかった。それでも初めてにしては上出来だった。

これでしばらくは、ヤマザキの「薄皮あんぱん」を買わなくてすむ。自分で加工品を作ってみると、市販のものには怖いくらい砂糖が入っているのが実感としてわかる。


今までは「ユズ茶(半分に切って果汁を湯のみに搾り、湯を注ぐ)」にするだけだったが、ユズは利用範囲が広いことを始めて知った。

当地ではユズは虫害が多いが、ユズ酢やユズジャムにするなら外観は問題にならない。

ユズは3本植えているが、生り始めるまでに年数がかかる。2本目が生り始めたばかりで、3本目はまだ生らない。人にあげても喜ばれるので、春にもう2~3本増やそうと思う。

柑橘類はカラスが狙わないのがいい。


ルバーブのジャムは、茎を小口切りして、目方の半分の量の砂糖を加え、弱火で25分ほど煮るとできるので、ユズジャムよりもっと簡単。好き好きだが、ルバーブのジャムも酸味があっておいしい。

農産加工はいろいろ知っていると楽しいと思うが、梅漬け、ラッキョ漬けくらいしか知らない。


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ブログ炎上

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最近、オスの鳴き声が少しよくなった。今日は巣箱の中に2個、外に3個産んでいた。



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今年も1年、元気でいてほしい。


ネットが世界を縛る。強まる相互監視

ネットほど便利なものはないが、負の部分は、それが思わぬ監視機構として機能してしまうことだろう。

今は誰でもブログを書く時代だが、それは自分の行動や居場所や思考が、不特定多数の人々の目に曝されることでもある。僕(写真家で作家の藤原新也)のような弱小ブロガーにも、アフガン戦争について否定的なことを書いた時にはアメリカの国防総省からアクセスがあったほどだ。ネット社会における監視の目は、交友関係のみならず世界規模になっている。

大人社会がそういった相互監視の風圧に曝される一方、「学校裏サイト」に見られるように、ケータイやネット環境は監視装置として子供の個人情報や発信をも白日の下に曝し、子供たちは空気を読んで行動せざるをえなくなった。

今急速に広まっている「ツイッター 」は140字以内のつぶやきをライブで交信するネットシステムだが、おじさんおばさん世代が嬉々としてツイッターにはまっている光景は、ネット相互監視のダメージの経験のない世代の平和な光景にも見える。(コミュニケーションと社会、藤原新也、朝日新聞1月3日) 


そんな脅威を時々感じている自分が「ブログ炎上」を免れているのは、農業という肉体労働に「逃避」でき、日々「土に接している」からである。

ブログで本音をかけば、疎遠になる人間関係や、圧力を感じる組織もある。

それでもブログの方を大事にしたい。


ワンパック宅配と直売所出荷

ワンパック宅配では、その野菜の最もいい状態の時に出荷できるのは一部だけで、まだ成長途上や、ピークを越して果熟気味でも出荷せざるをえないことが多い。

直売所出荷ではその野菜のピークの時に全量を収穫することも可能である。

少々の虫食いや泥付き野菜等、ワンパック宅配では問題にならなかったことが、直売所出荷では致命的になる場合もある。



補助金漬け農業


主食用米を作りたい(米戸別所得補償モデル事業→3371億円)・・・10アール15000円を交付。

麦・大豆を作りたい(水田利活用自給力向上事業→2167億円)・・・10アール35000円を交付。

安全に作業したい(農作業事故防止活動事業→1000万円)・・・地域に事故防止の中心となる指導者設置。

機械が高い(農畜産業機械等リース支援事業→27億円)・・・農機や施設などをリース方式で導入した場合に助成。

後継者を育てたい(農の雇用事業→21億円)・・・研修生を受け入れれば、1人あたり月額最大97000円を助成。

鳥獣被害を何とかしたい(鳥獣被害防止総合対策交付金→23億円)・・・箱ワナなど捕獲機材の導入に助成。

高齢化で集落がピンチだ(中山間地域等直接支払い制度→265億円)・・・耕作放棄地の発生防止の取り組みに助成。

農産物に付加価値をつけて売りたい(未来を切り拓く6次産業創出総合対策→131億円)・・・地産地消、商品開発、販路拡大などを支援。

有機農業に力を入れたい(有機農業推進事業→16億円)・・・量販店での販売促進などに助成

おいしい果実を作りたい(果樹経営支援対策事業→63億円)・・・優良品種への改植などに助成。

環境に優しい農業をやりたい(生産環境総合対策事業→10億円)・・・省エネ設備の導入に助成。

国産粗飼料に切り替えたい(耕畜連携粗飼料増産対策事業→16億円)・・・飼料用米の稲ワラ利用で10アール最大13000円を交付。

チーズを増やしたい(国産チーズ供給拡大・高付加価値化対策事業→29億円)・・・拡大数量に応じて奨励金を交付。
豚肉価格が安くて厳しい(養豚緊急支援対策→35億円)・・・枝肉価格下落の際、最大1㎏20円を追加補てん。
(以上 農業新聞1月3日)


どの補助金も農業の足腰を強くするとは到底思えない。これと同類の過去30年以上にわたる自民党政権時代の補助金は、農業の衰退を加速させただけだった。特定の人や法人が儲けるだけの補助金である。

いったい、これらの補助金の恩恵を受ける人は何割の農業者(法人)だろうか。

補助金制度の抜本的改革が必要である。崩壊しつつある日本の農業を考えたら、ロストジョネレーションを中心とした「ベーシック・インカム」の導入以外にないと思う。


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正月2日目

夜は何をしようと自由だが、家畜がいるので、正月といえども昼間に1回は田んぼをのぞく必要がある。

昨日の昼から今日の昼まで24時間留守にしていた。田んぼに直行してヤギを外に出し、ニワトリにエサをやってから家に戻り、一寝入りして夕方また田んぼに行った。

酒は飲まないし、「おせち」を食べる習慣もない。

大晦日の紅白歌合戦も、もう随分見ていない。

年越しそばと、ブリ一切れと、ブロッコリーと、漬物を食べた。元旦は市販のおもち3個を入れた雑煮を食べて正月料理は了。

何か、寂しそう?

それが全然そんなことはなくて、十分満足している。自分がしたいことをしているのだから。

 駅伝やマラソンは好きなので見る。箱根駅伝の往路は見えなかったので、明日の復路を楽しみにしている。

農業という、したくてもなかなかできない「ぜいたくな職業」についているので、その他諸々のことはできなくても、不足感はあまりない。 


今年の農業計画

ニワトリ30羽(メス28羽、オス2羽)・・・4~5年間飼う予定。

ヤギ2頭・・・メスヤギの大きさを見て種付を考えたい。種付するとすれば10月20日頃で、出産は3月20日頃を予定。状況を見て1年先延ばしにする。

春夏作・・・ナンキンを増やしたい。他の春夏作は10月末頃まで収穫できるので、後作に秋冬野菜を作付することはできないが、ナンキンとトウガンだけは8月末頃には終わるので、その後作に秋冬作を作付することができる。

秋冬作・・・レタスとシュンギクは作りやすいので10月中下旬頃から年内いっぱい欠かさず出荷できるようにしたい。
 ダイコンとキャベツを増やしたい。カブとハクサイは害虫が多すぎて出荷は難しいだろう。カブとハクサイに害虫をおびき寄せて、ダイコンとキャベツを生かしたいと思う。カブとハクサイは家畜のエサ用でもよい。

管理機・・・購入して20年ほどになり、そろそろ寿命であるが、買い替えはできるだけ先延ばししたい。壊れたら購入せざるをえない。

早朝6時~7時半の1時間半で収穫。
7時半~9時の1時間半で仕分、袋詰め
9時~10時に直売所納入
午後からは通常の農作業を予定
週に5日間は出荷したい。


TさんとHさん

Tさん(32才)は元ホテルマン。農業の経験はないが、ものづくりに興味があり、夫婦で取り組もうとイチゴに着目した。栽培ノウハウを学ぶため、昨年11月に福山北いちご生産部会の門をたたき、部会長のOさんに一から学んだ。

Tさんは市内の元イチゴ農家から使わなくなった加温ハウス2棟(8アール)を借り受け「とちおとめ」と「レッドパール」を栽培する。ハウス内に残されていた高床栽培用のベッドや潅水、ボイラーなどの設備を有効活用する。

現在、Tさん夫婦は自宅から10キロ離れたハウスまで軽トラックで通い、温度調節や潅水、収穫作業に励む。

O部会長は「部会メンバーの高齢化が進む中、元気な30代の部会員が入った。イチゴ栽培を考えている若い人の呼び水になれば」と期待する。(農業新聞12月25日)


北海道羅臼町に今年、35年ぶりに新規就農があった。就農したのはHさん(26才)。Hさん一家(妻と子ども2人)は長男の誕生を機に、「自然の中で家族と暮らしたい」と考えた。別海町酪農研修牧場の募集を知り、東京での会社勤めを辞め、2007年1月から2年2ヶ月間、酪農のノウハウを学んだ。
 JA標津から今春、離農跡地を活用してほしいと誘われた。就農した同町峯浜地区は景色が素晴らしく、学校・保育所が近くにあり、子育てに最適と決めた。
 導入予定数は60頭。草地面積は72ヘクタール。
 同町峯浜地区の酪農家は、Hさんを合わせ10戸。35年前に新規就農したAさん(62才)は、「就農時は除雪で苦労した。Hさんにはマイペースで頑張ってほしい。地域でできることは全力で応援する」と話す。(農業新聞12月6日)

上記のTさんやHさんのように、最近はすでにある施設を賃借して始めるケースも多いようである。農業は大型投資になるので全部を自分で調達することは難しいし、リスクが大きすぎる。このような賃借の場合、本人ができるだろうとイメージできれば、短期間に軌道にのせる人もいるようである。

自分のような農家の跡取りの場合は、こういう選択は難しいので、地域に合致した農業を選択するようになる。もし野菜産地だったら、産地のそういう農業を選択しただろう。

特定の野菜を多量にきちんと作り上げることは不向きと感じ、ハウスで集約栽培するような技術志向も自分に向いていないように思い、できそうに思えたのは、「多種類作ってセット野菜を宅配すること」だけだった。




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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