ヤギに始まってヤギに終わった1年だった。
大晦日だが普通に農作業をした。
今朝、麦畑に害獣が入った跡があった。一周見回ったが、柵線のたるんだ形跡はなかったので、小型の害獣が地際から入ったのだろう。
他に何か被害にあっていないか見回ったら、レタスの育苗床、植え替えしたハーブにも踏まれた足跡があった。それでも困るような被害ではない。
害獣は、大雨、大雪、台風、強い季節風の夜に侵入することが多いので、昨晩はちょっと心配していた。
足跡は小さく、以前に猟師さんが話していた「アナグマ」かもしれない。春にサツマイモの苗床に何度も入った害獣である。アナグマはまだ見たことはないがヌートリアは何度か目にしたことがあるので、ヌートリアの仕業かも知れない。今後もしばしば入られるようなら、電柵をしてもらったNさんに相談してみようと思う。
今日の朝日新聞に上野千鶴子・著 「男おひとりさま道」 下り坂を降りるスキルを身につけて・・・という広告が出ていた。そして、死別、離別、非婚シングル、おひとり様の老後に生きる道はあるか? 充実した日々を送るための「男おひとりさま道10か条」・・・とあった。
読む気はないが、題名がおもしろくて目にとびこんできた。シングルで困るのは「食事」だと思うが、その点農業では、ハクサイ、ダイコン、サトイモの煮物等をしておけば、2~3日食べれるし、続けて食べても野菜は飽きがこない。昼、晩などそのつどコンビニ等で買えば、高くついてしまう。
「何もすることがない」という恐怖も、田んぼが遊び場になってくれることが多い。
犬や猫のペットを飼えばエサ代が高くつくが、ヤギならエサ代は無料であり、1坪ほどのスペースでニワトリを6~7羽ほど飼えば、食べきれないほど卵を産んでくれるし、6~7羽ならエサ代もごくわずかだし、田んぼの食べきれない野菜を全てエサにすることができる。
「男おひとりさま道」は、農業なら、大自然と家畜が相手だから、そんなに孤独にはならない。都会なら、地位や経済力の有る無しにかかわらず、深い孤独に襲われるかもしれない。それは都会が「自然の摂理に反した空間」であり、人間が住むには適さない空間だからである。
首相 成長戦略を発表(朝日新聞、12月31日)
これ以上の経済成長をめざす必要はない。後退させる必要はないが現状維持で十分である。成長がなければ衰退するとでも考えているのだろうか。
なぜ経済成長し続けなければならないのか!
農業には「成長」という概念はない。作物は成長するが、これは経済成長の成長とは意味が違う。
農業をしていると、これ以上の経済成長も、文明の発展も必要はないと思う。今以上に機械化する必要もなければ、規模拡大する必要もなく、旬に逆らって作る必要もない。
そうした方が多少はカネになるのかもしれないが、それでもサラリーマンほど稼げない。
逆に、機械化や規模拡大をすることによって、失うものも大きいし、背負うリスクも大きくなる。足を地につけた小規模の農業をしないなら、大地から癒しも感動ももらえない。
「経済成長などいらない」というより、思考の回路が違う。成長や金儲けやスピードではなく、風景の構築や、環境保全や、現状をこれ以上悪化させないなど、成長路線ではなく現状維持だけを考える。
現状維持より一歩進んで、一昔前の「有畜・小農・複合・自給」型の農業に回帰(逆戻りではなく、それが進展)させる必要がある。
麦と同じくエンドウも目を楽しませてくれる。秋深くに蒔いて冬を越す野菜はたくましい。
ツルナシエンドウなので支柱はいらず、蒔いた後は収穫するだけ。エンドウ類はウドンコ病が発生しやすく収穫期間は1ヶ月弱なので、手間をかけたくない。
ロケットは生食、おひたし、炒めものと何にでも合う。ホウレンソウと同じくらい耐寒性があり、ハーブでは少ない「アブラナ科」に属するが、強い「ゴマ風味」のせいか、アブラナ科の中では最も害虫被害が少ない。
葉だけ摘み取り収穫もできる。春先の花も食べれる。2月中下旬にじゃまにならない場所に植え替えれば、4月に白い清楚な花が楽しめて、5月末~6月梅雨入り前に種取りも簡単にできる。
今日も巣箱の外に2個、産み落としていた。これで4日連続2個で、全て巣箱外で産んでいる。もう巣箱に慣れてもいいはずなのに。同じニワトリが産んでいると思う。
2030年 農業の旅→

政治にも2通りの考え方がある。経済にも相反する考え方がある。農業にも2通りの生き方がある。
農協は一方の農業者の利害は反映しているのかもしれないが、残り半分のもう一方の農業者の利害は反映していない。つまり、半分の農業者のための農業協同組合(JA)になっている。
そして農業補助金は一方の農業者のためだけに使われているのではなかろうか。我らもう一方の農業者は、土地改良も、農村整備事業も、これ以上の農道整備もいらない。求めるのはベーシック・インカムだけだ。2兆5千億円の農林予算の半分は、相反するもう一方の農業者のためのベーシック・インカムにまわしてもらう権利があると考える。環境保全や、里山の維持、農村風景、生物多様性を維持しているのは、我々の農業なのだ。
記録映画としては韓国で史上最高の300万人が見たという「牛の鈴音」という映画の紹介が26日の朝日新聞に出ていた。
韓国の農村で暮らす老夫婦と、年老いた農耕用の牛の日常を撮ったドキュメンタリー映画であり、「土を離れては生きていけないという、農民の原型を見るような思いがした」と書いてあった。
自分もすでに、土から離れては生きていけそうにない。ここは、農業をするには抜群の場所だったと今も思う。農業がひらめいた時にもそれを直感した。
池の下の14枚の田んぼ(合計で22アールほど)が全て我が家の所有地であり、道を隔てた4枚の田んぼ(合計で22アールほど)も一人の所有者であり、その全部を借地したら、合計で45アールほどになった。
池の土手までは鳥小屋から80メートルほどであり、その池の土手から50メートルも歩かないうちに、画像に少し見える「葉タバコ跡地」に行ける。
この里山の雑木林は、鳥小屋に敷く落ち葉を提供してくれ、春の育苗時の腐葉土を提供してくれ、シイタケの原木置き場を提供してくれ、ヤギのエサのドングリの木も提供してくれる。
今日は葉タバコ跡地の草刈をした。1年に1回するだけであるが、毎年欠かさないことで、竹の侵入を防ぎ、木が生えることを防ぐ。そしてこの刈り草は、ニワトリの下敷きになるし、野菜の畝に敷けば雑草を抑える。ヤギのエサになるし、小屋の下敷きにも使える。
その他に、この雑木林は人間の根源であるDNA(土着性)を騒がす癒しの空間であり、50年前のことをつい昨日のように思い起こさせてくれる「葉タバコの空間」でもある。
ありがたき里山。
農業に大きな投資をしてはいけない
農業は30代半ば頃に転身する人が多い。そうすると現役でがんばれるのは、60代半ば頃までの30年間しかない。仮に、合計で300万円の投資をすれば、1年間の償却が10万円にもなる。
自分の場合でも、物置、鳥小屋に41万円、井戸と井戸小屋(台風で崩壊)で37万円、軽四74万の合計で150万ほどの投資になっている。管理機、チェーンソー、エンジンポンプ、草刈機を加えれば180万ほどの投資になっている。
150万なら1年間の償却は5万円、180万なら6万円である。
投資が多くなれば、修理代やガソリン代、軽油代も多くなるし、それらを収納する納屋(物置)が必要になる場合もあり、必然的にランニングコストが高くなる。ハウスがあれば、2~3年に一度のハウスの張替え、廃棄処分代もかかるのでますますランニングコストが高くなる。
人生も農業も、ランニングコストが高いと、自由を縛られる。
2030年 農業の旅→
今日も巣箱の外に2個、産み落としていた。昨日から2羽が産み始めたようだ。昨日「前だし」をして見つけていなかったら、落ち葉の中に埋もれていた今日の産卵にも気づかなかっただろうと思う。
右の画像が「前だし」した鶏糞。30羽でもかなりの量になる。家畜の「糞出し」を父は、「前肥え(めえ肥え)」と言っていた。
鳥小屋の糞は鳥小屋の前に、牛小屋の糞は牛の尻が向いた方の前に出していた。
前に出したから「前肥え(めえ肥え)」、なのか、牛まやの「まや」出しを、「まや肥え(めえ肥え)」、と言ったのか、どちらかだろう。
数は少なくなったが、イタリア料理店から注文の電話をもらえることは、本当にありがたい。今後も週1回はクロネコ発送日を残そうと思う。
料理用のハーブは下記の9種類であるが、
(1)タイム類、ミント類、セイジ
(2)スイートバジル、イタリアンパセリ、ローズマリー
(3)ロケット、ディル、チャービル(この3種類は秋冬作)
(1)はハーブティ用ハーブと用途が重なるし、(2)のローズマリーは多年草だし、イタリアンパセリ、ロケット、チャービル(グルメのパセリと呼ばれる)は、レタス類とサラダセットにして直売所で売れる。
個人の顧客も、6月後半~翌年1月末までの7ヶ月半は、業務用と合わせて週1回だけは、送らせてもらおうと思う。
野菜を12種類揃えるのが大変な5月~6月前半と、翌年2月は止めようと思う。3月、4月は従来も送っていなかった。
直売所出荷を主体にするつもりだが、作付に関しては、
(春夏作)
キュウリは「各3~4本×3回蒔き」に減らす
(秋冬作)
ソラマメは止める
グリンピースは自家用だけにする
ハーブは秋冬作のディルだけ止める
「全然なつかない」、「毛が抜けて困る」、「手間がかかり過ぎる」、「オスをどうしよう」、という試練は、飼い始めの3~4ヶ月間だった。その期間が過ぎたら、いつの間にか、いなくてはならない存在になった。
ヤギはニワトリより手間がかかるが、電柵の開閉や見まわりに比べたら、手間は大分少ない。
2030年 農業の旅→

昨日からレンゲ畑にヤギをつないでいる。青々とした草がここしかなくなったから。
春にレンゲの花が咲いたらつなごうと思っていたが、どうやらレンゲは雑草に負けてしまったようだ。
畑作でレンゲというのはあまり聞かないが、ミツバチとヤギのために10月にレンゲの種を蒔いた。少しは咲いてくれるだろう。
鳩山政権支持
現政権を圧倒的に支持している。政治とは単に比較の問題であり、前政権に比べたら、今の政権の方がはるかに「まし」だと思う。ただ、政治に期待はしていない。
長年生きてきて、政治には全く期待しなくなった。しても無駄である。国家に苦しめられたり、国家に殺されたり(第2次世界大戦時の赤紙召集)するような事態より、今の政治状況の方が大分良い。ただ、いつ急変するかわからないので、目を光らせる必要がある。
稲作農家への「戸別所得補償制度」
新政権が主張する稲作農家への「戸別所得補償制度」の概要が明らかになった。
標準的な生産費(60キロあたり13703円)
標準的な販売価格(60キロあたり11978円)
この差額(1725円)を10アールあたりに換算して15000円を定額補償するというものである。
義父や近所の稲作農家は2ヘクタールほどの作付だから30万円の補償。
10ヘクタール作付している友人は150万円の補償。
多少とも潤うのではなかろうか。それでも補償金をもらうには、こまごまとしたいろんな「制約」が決められているだろう。
ただ、この程度の補償金では、新規参入を促したり、稲作継続の励みになったりはしないと思う。
来年度農林予算案
2010年度の政府予算案が閣議で決まった。農林水産関係予算は前年度を4.2%下回る2兆4517億円で、10年連続の減少となった。
一般会計予算が過去最高に膨れる中で、農林水産予算は34年ぶりに2兆5千億円を下回る厳しい内容である。(農業新聞12月27日)
今まで、こんなに莫大な農業関連予算は、いったいどこに落とされていたのだろうか。農業農村整備事業というハコモノの「公共事業」ばかりではなかったか。その結果としての農村の激しい衰退である。
ハコモノ・・・もういらない。美しい郷土の山や川や池を返せ! この50年間、「農村整備事業」とやらで、破壊しまくってきた。土建国家=自民党だった。
集落営農では、1枚の区画を拡大する基盤整備を要望する声が高い・・・全く反対。いまさらまだ公共事業か。
集落営農は「基盤整備」と「補助金」がセットになっている。
農林予算の2兆5千億円を、一人80万円の「ベーシック・インカム」に振り向けたら、いったい何人のロストジェネレーションの「山村で自給自足的なライフスタイル」の希望をかなえてあげられるだろう。
このライフスタイルこそが、雇用と、環境と、農業という3本柱を解決に向けるキーワードである。
感動の初産
午後から、鳥小屋の「前だし(糞出し)」をした。ヒヨコを入れてから1度も前だしをしていなかったし、有機物(食べ残し)もかなりたまったので、きれいにしようと思った。
その有機物の上で2個の卵を見つけた。ちょっとびっくり、それは感動の初産だった。初産の卵を手にするのは4年ぶりである。
7ヶ月を過ぎても初産を迎えなかったので、それまでの2倍のエサを与え始めていた。
ところが、そのエサの「食い」が悪かった。米ヌカを止めて、コゴメと購入飼料だけにしていたが、朝やって、夕方同じ量を与えようとすると、まだ残っていることもあった。
先々週の「突然激変した7日間の寒波」以降、どうもニワトリに元気がないような気がしていた。エサを持って入っても近寄ってこないし、6羽を引き取ってもらった友人がニワトリのトサカや目方や肛門の辺りを確認しながら、後1ヶ月ほど産まないかも知れないと言われたので、見つけた卵にびっくりしたのだった。
産み始めは巣箱以外の場所に産み落とすことが多い。あと10日もすれば、きちんと巣箱の中に産むようになるだろう。
今日見つけた2個は同じニワトリかもしれないが、1個は確実に100%初産である。不信心な自分でも初産の卵だけは、御霊様にちょっとお供えしておこうという気持ちになる。
明日からは多分、1~2個は毎日産むだろう。3割(メス28羽で1日8個)の大台にのるのは後2週間ほどかかるだろう。
初産は始まったが、まだ「闘鶏」も「交尾」も一度も目にしていない。オンドリの鳴き声もしわがれた、喉になにかつまったような鳴き声なので、あの大寒波で気管支炎にでもなったのでないかと心配していた。
「食い」が悪く、年が明けたら家畜保健所に電話して糞を調べてもらおうと思っていたくらいだから、初産が始まって一応やれやれである。
2030年 農業の旅→

派遣村1年 君たちに明日はない
百姓20年 俺たちにも明日はない
ただ、少し違うのは、
君たちはコンクリートに囲まれた中で生活
俺たちは土に囲まれた中で生活
同じぎりぎりの生活でも、土は人の心をやわらげてくれる
どちらを選択しても未来が見えないなら
コンクリートより土に囲まれた生活の方がいい
田舎への道を提示したいが
その道がまだ自分には見えてこない
滅び行く社会
滅び行く山村
滅び行くものには郷愁を覚える
美しく滅びたい
日中は汗ばむほど身体を動かし、頭に浮かんだ「よしなしごと」はすぐに軽四に走りメモ書きする。夕飯がすんだら一寝入りするか、静かな時間を持つようにする。こうすれば、その日のブログが書け始める。
麦が発芽した。
ここの岩場で遊ぶ銀ちゃん、ラムちゃんを何度となくシミュレーションしている。ヤギのパドックは電柵でなくメッシュ(鉄柵)で囲う。
鳥取県方式のヤギ小屋2つを、鳥小屋の前4メートルの所に平行に置く予定。
昨日のお飾り
「お飾りをつける」という一つの慣習を「打破する」、もしくは「人と同じようにしない」ということは、ほんの少しだが勇気がいる。
「今年はもうお飾りは買わんから」と家人に言うと、「玄関のお飾りぐらいは付けにゃあおえまあ、人が笑うよ」と言う。
そんなに型や形式にこだわりたいか。お飾りつけたらええ「おかげ」でもあるんか。ええ縁談でも見つかるか。そんなことありゃせまあ。そんなに飾りたいなら、あんたが買うてくりゃあええが。
昼から買い物に出た。
コメリで、蜂の巣箱をのせるブロックを10個買い、
寅壱で、発熱肌着2枚と裏起毛の野良着を1枚買い、
スーパーで買い物をして、
ガソリンスタンドで軽四を満タンにした。
家に帰って、「正月用のミカン」を買うてきたと家人に話すと、何ぼしたんと聞くので、1箱980円じゃったと言うと、「お飾りの980円よりミカンの方がやっぱりええなあ」と言う。
朝から、ナスビの木、スイートバジルの木、オクラの木、青シソの木、キクイモの木、芋づる、グイなどの枯れ草を焼いた。それが焼き終わった頃、ふと「焼き芋」を思いついた。紫芋のクズがコンテナ1杯あって、それを生でニワトリに与えるつもりだったが、生だったら一度にたくさんは食べない。
10時半頃にくべて(入れて)、買い物から帰った2時半頃に灰の中から取り出してみると、一部の芋は炭になっていたが、大部分はいい「焼き芋」になっていた。甘くない紫芋が、こうやって食べるとおいしかった。冷えてからニワトリとヤギに与えたが、ヤギは臭いをかいだだけで食べなかった。
子どもの頃には早朝、「どんど」をした後でよく焼き芋を作った経験があるのに、忘れてしまっていた。今日思い出したのは、「サツマイモは年を越したら腐れが多くなるから早く処分したいなあ」と頭の中で想像した時と、ナスビの木等の焼却がタイミングよく一致したから。
2030年 農業の旅→

今、「ふかし芋」を食べている。芋を洗って蒸し器に入れ、ガスの火をつけて、ちょうど25分でゆであがる。
太い芋も細い芋もどちらも、ちょうど25分でゆであがる。
ふかし芋には細い芋の方が適するように思えるが、太い芋の方がおいしい。
前日に芋を食べると翌朝の便通がいいし、午後9時を過ぎて食べても、芋なら胃にもたれない。
ほのかな甘味が口の中に広がる。
農家であることの幸せ。
農家育ちなら、昔、ふかし芋をよく食べませんでしたか。
確か、蒸し器の下の方に細い芋を置き、上の方に太い芋を置く。蒸し器の中での蒸気の還流で、上の方が早くゆであがる。
このふかし芋も、後2回ほどで終わってしまう。1月には寒さで腐敗が多くなるので、たくさんは保存していない。少量の種芋は発泡スチロールの籾殻の中に入れて冷蔵庫の上で保存すると、我が家では春まで保存できる。
そのふかし芋も、来春は作付を3分の1ほどに減らす。理由は、
(1)紫芋がスーパーの直売所であまり売れなかった。
(2)黒マルチが必須で、マルチ代、敷く手間、収穫後それをはがす手間、そして廃棄処分代がかかる。
(3)野ネズミの被害が大きい。
(4)直売所では1キロ300円で売るのは難しい。これより安い価格で出回っている。300円以下なら売りたくない。
来春の作付予定は、4月7日頃、「冷床」に種芋を伏せる。
(1)紫芋・・・25本(作らないと種芋が途切れる)
(2)スイオウ・・・25本(芋の茎葉も食べれる品種)
(3)高系14号・・・100本(ふかし芋用・収量が少ない・晩生種)
ワンパック野菜(セット野菜)では、競争というものはなかったが、直売所では、他の生産者との競争がある。
それは「単価の競争」と「見栄えの競争」である。どちらの競争にも巻き込まれたくないが、直売所出荷では宿命である。
安売り合戦に気分を滅入らすことなく、見栄えのよさに圧倒されることなく、超然と「自分流の野菜」で挑むしかない。
直売所でも、生産者の「淘汰」は進むだろう。
直売所が全国になぜこんなにたくさんできつつあるか、理由が想像できますか。それは、田舎でも家庭菜園をする人がだんだん少なくなり、「需要」が生じたからである。
「地産池消の流れ」など単なるこじつけである。
義兄のような大規模専業農家は直売所などには出荷しない。
直売所出荷は、家庭菜園の人や、小規模農家が主体になるだろう。
一箇所の直売所だけなら、とても自信はないが、片道15分以内に3箇所、片道30分以内に2箇所あるので、選択しつつ出したい。
まだ年賀状を書いていない。どうでもいい「義理賀状」だが、数枚は出さざるをえない。
頂いた年賀状に返事を書かなかったら、だんだん来なくなる。
ほとんど使うことのないプリンターであるが、使おうとすると4色のどれかに警告表示が出て、インクを買わざるをえない。蒸発でもしているのではなかろうか。
年賀状の印刷方法も、1年に1回なので覚えれない。
今年は手書きの数枚をのぞいて、年賀状はパスすることにした。
玄関に1個だけ飾っていた「お飾り」も、毎年スーパーで980円で購入していたが、それもばかばかしくなって今年は止めることにした。
2030年 農業の旅→
オランダではお前たちの仲間がどんどん殺されているんだぞ。「Q熱」とやらで。まるで鳥インフルエンザのヤギ版。
Q熱はヤギによって拡大し、人間にも感染する。
止まり木を少し工夫することで、ニワトリが楽しんでいるように見える。
これ以前のニワトリは、巣箱に並行した3本の止まり木だけで、空間を生かすことができず、平面的な飼い方しかできなかった。この止まり木に変更できたのも、Uさんの援農のおかげである。
今年も鳥インフルエンザが発生しやすい時期になった。例年、冬に多いという事実は、渡り鳥の野鳥との接触も考えられるのかも知れない。
うちのニワトリは4坪半の小屋に閉じ込めてはいるが、ダイコンやニンジンの葉、菜っ葉、ハクサイやキャベツの外葉を通して、野鳥の糞との接触は大いにありえる。
それでも、青菜はニワトリの命である。1日6~8キロ与えている。
農政転換決着
農水省は2010年度の予算の2本柱と位置付ける「米戸別所得補償モデル事業」と「水田利活用自給力向上事業」の内容を固めた。生産現場の声を受け、両事業ともこれまで打ち出していた検討方向を修正し軟着陸を図った形だ。(農業新聞12月23日)
どちらの事業も複雑でわかりづらいから、読む気がしない。
農政はどうせまた、ころころ変わる。
どちらにしろ、我々のような農業者に補助金は縁がない。
もっと大局的に、もっと環境的に、もっと農業の多面的価値を、もっと農業における癒し効果を、もっと農業の独立自営業価値を、もっと農業における生き方そのものを考えたら、そして2050年から2010年の農業を透視したら、今、自分がしているような農業が最も未来的だと感じる。
10の大規模農家や、集落営農や、企業農業を支援して育てるのではなく、1000の小規模農家が農業を継続できるように支援することが大切である。これは時代の趨勢である。
小規模農家を育てる視点が全くない。
農業を大規模にしていい結果にならなかったことは歴史が証明している。
2030年 農業の旅→

今日がクリスマスじゃったかなあ、明日じゃなかったかなあ~と言う、家人の一言で「クリスマスの夜」が更けていった。
でも、人に期待してはいけない。自分がクリスマスらしきことを何一つお膳立てせずに、家の誰かがするだろうと思うこと自体、あまかった。
ヤギやニワトリにもクリスマスはない。クリスマスだから特別なエサを与える気遣いもしていない。
夜が遅いので、昼寝か夕寝をするが、冬は昼の時間が短いので、昼寝をすると農作業が全くはかどらない。だから、夕飯後の夕寝が多くなった。
インスタントコーヒーとユズ茶を作って、片付かない乱雑な私室に行く。今年の冬は、「私室」と「納屋」と「田んぼの物置」の3つを片付けることが目標である。几帳面で整頓好きに見えますか・・・? ただし、目に付く外側と「体裁」だけはできるだけ整える。
30年前の調度品が全く新しくならず、まことに殺風景な私室であるが、住めば都。
この1週間の寒さがやっと和らいだ今日、1週間前にもらった早生タマネギと赤タマネギを定植した。
年末はいろいろと支払いが多い。借地料(22.77アール×10アールが5500円=12523円)と、農機具店の修理代(56978円)。
乗用トラクタは、平成14年の2月に点検整備に出しているが、12月に正味8年ぶりの点検整備をしてもらった。爪の交換30本(19920円)も合わせてしてもらい47334円かかった。他に管理機修理3000円、チェーンソー修理6644円の合計で56978円。
不器用なので油で動く農具はできるだけ買わないようにしている。持っていなければ修理代も発生しない。
しかし、下記の農具だけはどうしても必要だった。
(1)乗用トラクタ
(2)草刈機
(3)管理機
(4)エンジンポンプとホース
(5)チェーンソー
過去に農機具店に支払った修理費を総勘定元帳で確認してみた。
平成14年度→乗用トラクタと管理機の修理 76357円
平成15年度→エンジンポンプ修理 7403円
平成16年度→エンジンポンプ修理 2331円
平成17年度→なし
平成18年度→管理機修理(ツメの交換等) 13464円
平成19年度→エンジンポンプ等 11582円
平成20年度→管理機、エンジンポンプ等 8306円
エンジンポンプと管理機は小型農具なのに、結構修理費がかかっている。理由はオイル交換等もしてもらっていたから。
(5)のチェーンソーは購入しただけで、ほとんど使っていない。山の手入れやシイタケの原木切りに使おうと思ったが、刃が研げなくて(何回か教えてもらったが理解できなかった)投げ出してしまった。
2030年 農業の旅→
12月25日にオープンするJA直売所の施設利用の研修会に午後から出席した。
しかし今は出荷する野菜がない。ハーブが収穫できるようになる4月中旬頃からの出荷になる。
父の代からの組合員であるが、農業を始めてからの20年間、ほとんど農協との付き合いはなかった。
21年目にして始めての「農協出荷」に感慨深いものがある。
別に敵対していたわけではないが、自分のような農業者が農協に関与する場面は何一つなかった。
吉井川流域の小さな圏域で生活している。それでもたった30キロも走れば、見知らぬ土地ばかり。
この小さな生活圏で自分の人生は終わるだろう。生活圏は小さくても、四季折々の自然のドラマがある。
まさか自分が農業をするとは思わなかった。
転職を繰り返していた頃、ふと農業を思いついたことが、身震いするほどうれしかった。
身の回りにいつも「農業」はあったのに、「職業として成り立たない」という潜在意識があまりに強かった。
多くの人は今、農業をしたくてもできなくなっている。
生活していくためには卒業時に「就活」をして、名の通った企業に入るしか、生きていく選択肢がなくなりつつある。
こんな社会はおかしい。
こんな資本主義社会はおかしい。
実際、農業をしようとすると、とてつもないハードルにつきあたるだろう。
土地がない
水がない
作り方がわからない
先生もいない
どう始めていいのかわからない
何から何までわからない
農の風景の記憶もない
土の上に放り出されても、ただ足がすくむだけ
わからない
何が何だかわからない
この世に生を受けたヒヨコの大半は
太陽の光も大地という土も、どんなものか全く知らずに
ケージという狭い檻の中で、短い生を終わる
人間もケージの中のニワトリに似ている
1993年に「完全自殺マニュアル」を出版した鶴見済さん(45才)は今、友人と畑で野菜を作りながら、新自由主義を批判する文章を書き続けている。「あのころは生き方を変えようとしたが、今は社会を変えないと生きていけない」(朝日新聞12月17日、3万人の命に)
2030年 農業の旅→

いっしょに購入した赤磐市のYさんに、オス2羽、メス4羽を引き取ってもらった。
3人でメス48羽、オス2羽の合わせて50羽を注文していた。
自分が導入したのはメス30羽、オス2羽で、おまけのメス3羽、オス1羽が入っていた。だから合計36羽になっていた。
この品種は体躯も通常の鶏の1.2倍ほどあるし、自分の「農業体系」で36羽は多すぎるし、オスがどうやら4羽いたので、その内の2羽とメス4羽を今日、引き取ってもらった。
オスは早晩「闘鶏」が始まって、どれかが怪我をする可能性が高いし、エサも高くつくのでメスも4羽減らした。
赤磐市のYさん夫婦は400羽ほどの卵の販売が主体であるが、大型ハウスが1棟あり、露地野菜も30アールほど作られている。
国のパイロットファーム事業であるこの地を購入して入られて既に25年以上になる。
長年、農業一本で生計を立ててこられた人は何か、特筆すべき得意技を持っている。
そんなに器用という人でもない。
野菜作りが特に上手というほどでもない。
仕入れて売るという得意技である。自分が作っていない「米」や「果樹」や「いちご」等は生産者から直接買って、それも売っている。
それと、鶏のエサの多くは、近くの「うどん店」等から、出し殻をもらってきている。つまり店が廃棄に困っているものを引き取ってエサにしている。
この二つの高いセンスこそが、Yさんが農業を継続できた理由と思う。
直売所や産直市等に依存することなく、「独力で売る」のは、本当に難しいことである。自分が作っているものでも難しいのに、作っていないものまで売るのは、直のこと難しい。
これはYさんが、友人や地域の生産者や料理店等と築いてきた人間関係のたまものと思う。
その人間関係から、7アールほどのブドウの世話も委託され、ブドウも作って売るようになった。
農業で生活していくための「トータルの能力」が高い人である。
驚くべきことは、農業収入だけで、入植地の土地代を昨年、払い終えられたことである。ボクの年収ほどを毎年、20年ほどにわたって・・・。
今から20~25年前に入植された人の多くは土地家屋を「購入」して入られた人が多い。その10年後の人たちは「借地」「借家」で入植されるようになった。
左はYさんが飼っているヤギで、右は鶏舎に隣接した農場。Yさんは動物好きで、犬、猫、ウサギ、ガチョウ、ヤギ、ウコッケイ等、いろんな動物がいる。ヤギはペット。
2030年 農業の旅→
田んぼに到着したら、2頭ともこんなポーズで出迎えてくれる。だからボクは、ヤギだけが知っている特別のポーズでお礼をする。
ベトナム戦争でたくさん使われた農薬は、「除草剤」ではなく「枯れ葉剤」と呼ばれた。
アフガニスタンの報道では、日本の「神風特攻隊」のような行為が「自爆テロ」と呼ばれる。こちら側かれみれば「自爆テロ」でも、相手方から見れば「自爆特攻隊」かも知れない。呼び方一つで、こちら側からみれば犯罪であり、相手方からみれば英雄行為になる。
「家畜福祉」と言えば、そのものずばりでわかりやすいのに、「アニマルウエルファアー」という呼び方にしているのは偽善だと思う。
自衛隊では、毎年100人近くが自殺する。若くて健康な人が多いのに、10万人あたりの割合は平均の1.5倍。教師は年100人を超す。それらは、本人の弱さの問題として片付けられている。(朝日新聞12月19日・3万人の命に)
自衛隊員より教師の方がもっと多いのか!
オランダ、Q熱拡大
オランダ国内で人畜共通感染症のQ熱が広がっている。オランダ国内で既に2200人の患者が確認され、感染源の疑いのある3万5千頭のヤギを殺処分したが、さらに5千頭を上積みする方針を明らかにした。オランダ国内ではヤギとメン羊が155万頭飼育され、外電によると既に60農場で感染が確認されている。今年に入ってオランダで6人の農場労働者がQ熱の合併症などで死亡している。
日本では「ここ数年は毎年ひとけたの数のQ熱患者の発生が確認されている。国内の病原体の細菌がヤギの糞尿や殺菌不十分なヤギ乳を通じて人間に感染する」ためとみられる。日本では「届け出を義務付ける家畜対象疾病になっていない(農水省)」。(農業新聞12月20日)
「食料自給率を上げるために、わたしたちに何ができる?」という政府の広報が朝日新聞に出ていた。
あなたの「アクション」は何?・・・これには消費者の立場からの意見がほとんどで、生産者の意見はゼロだった。
(1)田んぼを耕して、種を蒔いて、水や肥料を与えて、草を抜いて、2ヶ月待って収穫するより、産直市やスーパーで購入した方が、手間も考慮したら3倍以上安くつく。
(2)家庭菜園をして自給野菜を作れるのは、暇人か、趣味か、高齢者か、金持ちか、どれかにあてはまる。
(3)イノシシやシカ、サルに追いつめられて、家庭菜園で自給野菜も作れなくなりつつある。
(4)現役世代は家庭菜園どころではない。自分の専門を磨くために日夜努力を迫られる。そうしないと組織の中で自分の居場所がなくなってしまう。
65才以上の高齢者が半数を超え、消滅の恐れがある「限界集落」という言葉が広まって20年以上がたつ。その「先進県」の島根県では、実際「消滅集落」が相次いで出現している。
島根大教育学部の作野和准教授(農業・農村地理学)は今年、過疎研究の拠点となる研究室を1級河川江の川沿いの山間部にある江津市・松平地区に置いた。この地区では少なくとも6つの集落が消滅した。(朝日新聞12月5日)
限界集落は、岡山三大河川の一つである吉井川流域にもいくらでもある。この流れを止めるには、限界集落に現役世代の若い人を呼び込む必要があるが、近くに従事できる職場もないし、イノシシやシカやサルの出没で農業もままならない。
しかし現実には、現在の社会システムから逃れて、過疎の山村で自給自足的な生活をしたいという潜在意識を持っている人は一定数存在する。
そういう人たちに過疎の山村(限界集落)に移住してもらうには、定年帰農者の「年金」と同じような基礎年金(ベーシック・インカム)がぜひ必要である。これ以外に限界集落復興の道はない。
農水省関連の補助金の半分は、ベーシック・インカム的補助にまわす必要がある。農業における一方の方向だけに補助金を投入するのではなく、もう半分の異なる流れ(過疎の山村での自給自足的生活)に同等の補助金を投入していかないと、この国の山村も田畑も里山も、ますます崩壊する。
2030年 農業の旅→
16日の夜から急に冷え込んでいる。右の画像のように、ブルーネットで囲んだ7羽の鳥小屋は、屋根に2枚のトタン板を乗せてあるだけで、周囲は寒風が素通りするし、メスヤギの小屋は一応、物置の中であるが、その部分だけは金網になっており、ここも寒風が素通りする。
オスヤギの小屋は画像のような鳥取方式の1メートルの立方形の小屋と、もう一つはブルーネットの鳥小屋の隣に1畳ほどの小屋の両方あるが、鳥取方式の小屋の中で寝ている。
あまりに冷えるので、物置のメスヤギの小屋の南側にトタン板を2枚もたせかけて、少しは風が防げるようにした。鳥小屋にも同じようにした。
鶏もヤギも、飼い主の力量の範囲内でしか、快適な空間は望めない。
末尾の「あなたの一票が農業ルポライターへの道を開いてくれます」を、「2030年 農業の旅」に変更することにした。
この言葉の方がより的確だと思った。理由はまた後日に。
2030年には76才。野菜の出荷はしていなくても、元気なら自給野菜は作っているだろう。ヤギはその頃には死んでいる。平均寿命は15年ほどなので長生きしても70才前後までだろう。2頭以上は飼わない。自分には2頭の世話が限度。60才頃までにどちらか、もしくはどちらもが死んだら新たにまた飼うと思うが、60代半ばとかでそういう状況になったら、新たに導入はしない。下手をしたら自分よりヤギが長生きをする可能性があるから。
20年後の2030年は自分が特にこだわっている年である。元気で農業を続けたいのはもちろんのこと、ブログも続けたいという大目標の年である。
36才で農業に転身したので、今年は20年目で、76才まで農業ができるなら、今年はその中間点である。
来年以降の57才、58才、59才の3年間の農業は、今まで以上に厳しいものになる。野菜の作り方の変動は少ないが、出荷方法を変えるので、特に来年1年間が勝負になる。来年1年間で、農業が継続できるか否かの分かれ道になる。
場合によってはブログを中断してでも、売上に集中していかなければと思っている。
直売所を紹介してくれたり、袋への入れ方、単価のつけ方を教えてくれた同じ瀬戸内市のKさんが、「365日出荷することを目標にしている」と話されていたが、自分もできれば週5日間は出荷に当てたいと思う。ワンパック野菜の顧客が多かった時は、月、水、金の3日間は、収穫、仕分、出荷作業で丸1日がつぶれていた。だから半日を収穫、仕分、出荷作業にあてることは、時間的にはワンパック宅配と変わりはない。
今日はパソコン教室の日だった。まだ高校生だったO君に教えてもらい始めたが、早、就職活動の時期になった。県内の企業になるか、県外の企業になるかわからないし、就職したら今までのように教えてもらうわけにいかないだろう。だから実質あと1年である。
そのことも考慮しながら、0君と相談して、来年は「あめんぼ通信2010」を作らず、今年の「あめんぼ通信2009」をそのまま続行して2013年の頃までいくことにした。「あめんぼ通信2009」はFC2ブログの許容量の20%も使っていないので、計算上は2010年、2011年、2012年、2013年もいけるはずである。ただ、表示した場合に右の帯が長くなるだけである。
「あめんぼ通信2010」を作ることは、新たなブログを作る作業と同じことであり、毎年これをするには自分の力ではできないのでいつもO君の力を借りなければならず、就職したら時間が取れるかどうかわからないので、上記のような表示方法にすることにした。
現在のノートパソコンも来年4月15日で、購入して満4年が来る。大きなうなり音も頻繁になった。
来年の3月頃に、現在と同じメーカーのDELLのノートパソコンをO君にネットで購入してもらおうと思う。3月は春休みであるし、購入後の初期設定やウインドウズ7のブログ処理方法も教えてもらえる。
「2030年 農業の旅」は「2030年 ブログの旅」でもある。
2030年 農業の旅→
八塔寺のNさん方へ、先日の電柵代を払いに行った。
県北に向かってドライブしながら途中で立ち寄る箇所が二箇所あり、その一つが旧跡、閑谷学校。創設したのは津田永忠(1640~1707年)で、日本最古の庶民のための学校である。
講堂のそばにある有名な櫂の木の紅葉(赤色と黄色)はすでに終わり、あたり一帯は初冬の景色だったが、それでも観光バスが何台か止まっていた。
その次に軽四を止めるのが八塔寺川ダム。ここでたいてい缶コーヒーを飲みながらぶらぶら歩く。河畔にはダム公園があり、とんがり屋根の観光案内所には1年ほど前にバイキング形式の和風レストランが開業し、今日は平日にもかかわらず席は満席で、待っている人もいた。ブログのネタにしたいのでと許可をもらって料理の画像を少し撮らせてもらった。
店は今までに何回かオープンしては閉められていたが、今回、26才の若いオーナーがオープンしたバイキング形式の1人1000円の和風料理はあたったようだ。山陽新聞にも大きく2回ほど取り上げられていた。
近くにある観光名所は「八塔寺ふるさと村」くらいだが、ここで食事をしてふるさと村に行くのだろう。
そのダム公園から15分ほどでNさん方に到着する。大阪からここに入植されて24年ほどになる。32才の時に、廃村になっていたここ一帯の田んぼと家を購入して入られた。
すでに25年以上も前に廃村になったくらいだから、随分辺鄙な所で、麓の集落から山道をさらに3キロほど上った、他に民家は全くない場所である。
人がしり込みするような場所を、農業に適していると思ったようだ。
現在は平飼いの鶏1300羽ほどの卵と、キュウリ、インゲン、ピーマンを大阪の「ビオマーケット(自然食品取扱店)」に全量出荷されている。そのための有機認証も取得している。
鶏舎は5棟あるが、その全部をほとんど独力で建てている。大工仕事や機械の操作、農具の修理、ハウスの建造、電柵設置などはまるで朝飯前の人である。世の中には、そういうことが全く苦にならないどころか、楽しみながらできる人もいるようだ。
鶏、野菜の他に稲作も1ヘクタールほどされている。
3人の子どもは親の出身地である都会の大学を卒業し、すでに巣立って行った。
23~25年ほど前(1980年代後半)に岡山に来られたNさんたちが入植1期生だと思う。「自然食通信」という雑誌が読者数を伸ばしていた時期でもある。相前後してこの東備地域に入植された6人のうち、今も農業だけで生活を維持されているのは2人しかいない。3人はすでに農業を止め、1人は主たる収入を農業以外に求められた。
この数字を見ても農業の厳しさがわかる。
Nさんは最初はワンパック野菜(セット野菜)を出身の大阪に送っていた。徐々に鶏を増やし、野菜も品目をしぼってビオマーケットに出荷するようになってまだ10年ほどなので、大阪時代を含めワンパック野菜を20年近くされてきた。
この地で農業を継続していくのは、並大抵のことではなかっただろう。
1991年2月に、地球百姓ネットワークが発行した「百姓天国」という雑誌の第一集(すでに8年ほど前に廃刊になった)にNさん(当時36才)の手記が載っているので、その冒頭部分を紹介します。
『「農業なんかで食っていけるか」という周りの声をはねのけての百姓稼業は10年目に入った。俗に言う脱サラ百姓である。大阪の北端、能勢町に始まり、今、岡山の山村で4年を経た。試行錯誤の日々は今も続いているが、夫婦のみの出発は、今、おじいちゃんも入れて6人の大家族になり、(立派に?)「農業なんか」で食っている。田畑は借地も入れて約1町。採卵用の地鶏が200羽。米は自給用のみ。無農薬野菜づくりが中心で、生産物は大阪へ出荷している。自然の生態系を壊さないような、循環型の小さな農業の確立が目標である。
「どうして百姓になったん」と、よく聞かれるが、いつも答えに困ってしまう。今から思えば無茶な百姓志願だった。耕す土地もなく住む家もない。そのうえ農業高校は出たものの素人同然、鍬や鎌の使い方もままならない。それでも、この道に足を踏み込ませた、「世の中変える力になるのは有機農業しかない」という、若気のいたりともいえる思い込みに他ならない。ええかっこうするつもりはないが、自然をつぶしていくような都市の生活をこれ以上したくないと正直思ったのである。
東京に次ぐ大都市、大阪。そこで生まれ育った私は大阪が大好きだ。でも大都市の効率優先・金銭第一主義の社会はもうこりごりである。むろんこれは、地方にも波及していて、日本全土をおおいつくしている。都市の論理は、今やムラを巻き込み、四季折々、様々な顔を見せてくれる日本の自然は息たえだえである・・・』
Nさんは普通の人より10年早く、26才の時にスタートを切っている。この10年の違いは大きい。なかなか、20代半ばのスタートは切れない。
それと、Nさんは農業でやっていける自信が「おぼろげに」あったから、入植してきたのだろう。全然自信がなかったら、人はそんな選択をしない。
岡山ニューファーマーズ制度を利用して入植が始まったのは、それから10年後のことである。その第一期生は入植して13年目くらいになるだろう。
2030年 農業の旅→

ユズを縦に切るか、横に切るか、ミカンを頭からむくか、尻からむくか。人生はそんなちょっとした違い?
しかし自分には、ユズを横に切るという発想がなかったし、ミカンも尻からむいたことはない。
他人のそんな発想に触れる機会がなかったら、自分がいつの間にか身につけた習慣を繰り返してしまう。
発想の打破も、習慣の打破も、外的な力が必要だろう。
ただ、その時は「なるほど」、「こういう方法もあるのか」と気付いても、翌日にはもう以前の自分の方法に戻っている。
懲りないというか、学ぶ力が弱いというか、真似る力が弱いというか、頭が固いというか、進歩しないというか、そんな自分に付き合っていくしかない。
今日は小春日和。ヤギが寝そべっている姿を見るとほのぼのする。ヤギの世話をさせてもらうのも楽しい。ヤギは散歩とエサ代がかからないので、単に手間だけ。手間といっても、朝夕の連れ出し連れ戻しと、山からドングリの木を切ってくるだけ。他には収穫したニンジンの葉や、霜で枯れたヤーコンの茎葉を与えるくらいで、後は、つないだ周囲の雑草を食べている。
田んぼが随分と空いているように見えるが、実際、ワンパック野菜の顧客は減っていたので、田んぼはかなり空いていた。
直売所出荷が中心になっても、作付面積はそれほど変わらない。ツルムラサキ、エンサイ、青シソは増えるが、ナスビ、ピーマン、サトイモ、スイートバジルは減る。
キクイモは増えるがサツマイモが3分の1に減る。
ナンキン、トウガンは増やす予定だが、この2種類だけは秋冬作に「またがらない」ので、2倍に増やしても問題ない。
ハーブティ用ハーブは増やすが、面積的には知れている。
秋冬作では、
ダイコン、キャベツは増えるが、ロケット、ホウレンソウは減る。
レタス、シュンギク、各種菜っ葉は増やす予定だが、量的には知れている。
つまり、ワンパック野菜から直売所出荷中心に切り替えても、面積的には少し増える程度である。
井戸水の量には限りがあるので、実際、作付は少ししか増やすことはできない。
その井戸水を「つるべ」で汲みあげ、土曜日に定植したタマネギにジョロで潅水した。エンジンポンプは初霜の前に家に持ち帰っている。エンジンポンプでは苦い経験を2回もしているので、3回も繰り返すわけにはいかない。
1回め・・・オイル交換を忘れてパーになり買い替え
2回め・・・ポンプの水抜きを忘れて凍り、過大な修理費
画像の「つるべ」はUさんが作ってくれたもので、これから3月中旬頃まで重宝する。井戸の蓋もUさんが作ってくれて、井戸掃除(11年ぶりの井戸の泥上げ)も手伝ってもらった。
6月15日~9月20日頃までの3ヶ月間しか、田んぼの傍らの細い水路を水が流れない(稲に水が必要な期間だけ池の脾が抜かれる)。
それでも9年間は、その水を利用させてもらうだけで足りた。理由は、
(1)梅雨には梅雨の雨が、秋には秋雨前線が一定の雨をもたらしてくれたので、夏の3ヶ月間だけ水路の水を使わせてもらえば足りた。
(2)まだメタン菌液肥を利用していなかった。
(3)春の育苗が少なく、育苗にさほど水がいらなかった。
(4)どうしても必要な時は川からタゴで汲んできた。
9年目の秋に井戸を掘った。27万円だった。
井戸の上に10万円で作ってもらった小屋があったが、2004年10月20日の台風23号で吹き飛んだ。子どもが井戸に落ちたらいけないと思ったことと、「水は命」だから、小屋を作って鍵を付けようと考えたが、そこまで固執する必要はなかった。
画像のような蓋で十分だったのだ。頭が固すぎたというか、周囲にそれを助言してくれるような人が誰もいなかった。
Uさんが作ってくれた蓋は、枯れ草やゴミが落ちる心配もなく、カエルや野ネズミが落ちたりすることもなく、上を踏んでも頑丈で、蓋も開けやすい。
合衆国のゴールドラッシュの時、西へ向かえば仕事にありつけた。今の日本では、都会にも仕事先がなく、田舎でも自給自足はできない。農業ができるのは、都会人でも田舎人でも年金がもらえる世代だけ。現役世代が農業をするには定年帰農者と同じように、基礎年金(ベーシック・インカム)として70~80万円ほどが毎年支給されないと、農業には参入できないのではなかろうか。
この国の資本主義はすでに底が抜けていて、最低限の生活の保障という受け皿もない。だから全国民に一律の70~80万のベーシック・インカムがぜひ必要と思う。これにより生活保護等のあらゆる支援金が無くせるし、最低限の生活の保障により、土に帰依する人たち(自給自足的農業志向)が大きな流れになる。
このベーシック・インカムによってのみ、
(1)日本の自給率や里山の環境、生物多様性農業が維持される。
(2)ロストジェネレーション世代の雇用問題も解決に向かう。
(3)自給自足型農業だけが、今以上の温暖化を阻止できる。
とにかく、小さな個人の農業を増やすことが大切で、それには、ベーシック・インカムの導入しかない。
農業の大規模化(環境破壊)、企業化(利益のみ追求)、集落営農化(補助金の受け皿)は、日本の農業を壊滅させる。
農業における過大投資
農業には平気で500万ほど投資する。それくらいの元手がないとできない農業形態も多い。
他の産業で起業する場合、安易に500万という金額を投入するだろうか。
農業に大きな投資をすると、
(1)その農業形態の変更ができなくなる。
(2)機械が機械を呼び、ますます機械が必要になる。
(3)農業からのリタイアも機械や設備に振り回される。
(4)盗難や災害のリスクが大きいと強く認識すべきだ。
(5)機械や設備を収納する大型倉庫も必要になる。
(6)機械や設備が肩に重くのしかかる。
(7)儲かるかどうかは、農業では水物。
(8)機械や設備からは人間疎外を感じるだけ。できるだけ土に足をつけた農業が望ましい。
(9)機械や設備に大きな投資をすると、それだけランニングコストが高くなり、資金ショートが起き易い。
(10)機械や設備には必ず「耐用年数」があり、また買い替えを迫られる。
(11)21世紀の農業は、小さな個人が、手作業で、土に癒される農業が主体になる。
早朝到着したら道のゲートを開け、夕方帰る時に3箇所のゲートを閉めて帰る。すでに「檻の中でする農業」に慣れてきた。慣れなければ、この地で農業の継続はできない。
朝、ゲートに到着した時、昨日の「初鳴き」に続き、オンドリの鳴き声がした。全然、美声でなかった。どろんとした鳴き声だった。鶏を飼う楽しみは卵だけでなく、「羽装の美しさ」や「声の美しさ」も選択する条件なのに、この品種は鳴き声がぱっとしない。まだ鳴き初めたばかりで、うまく発声ができないのだろうか。
それと最近気づいたことだが、オンドリが4羽いるようだ。2羽注文して1羽おまけが入っていたので合計3羽のはずだが、鑑定士が間違えたか、あるいは単なる入れ間違いだろう。赤のチェック印は3羽だけだったから。
当鶏舎に4羽もオンドリがいたら大変である。限度は2羽なので、残りの2羽は早く引き取ってもらわないと、闘鶏が始まって怪我をしても困るし、他のオンドリの交尾のじゃまをするし、エサもよく食べる。
一緒に購入した友人が引き取ってくれるが、早く持ってこないとエサ代がばからしかろうと言ってくれた。
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今日、オンドリの初鳴きがあった。ちょうどその時、農機具店さんが来られていて、耳をそちらに向けることができなかった。今日鳴いたのは、その時だけで、その後は、鳴かなかった。
オンドリが初鳴きしたことは、初産が近くなった証拠だと思うが、まだ闘鶏も交尾もない。
今年は、サツマイモは温床でなく冷床で育苗するつもりであるが、冷床でも、4月7日頃に伏せれば、1ヶ月後の5月連休頃には発芽が始まり、5月末には第1回目の苗が切り取れる。
12月7日の農業新聞に、「種芋は、発芽促進と黒斑病予防のために47、48度の湯に40分漬ける」と書いてあった。
種芋として残したキクイモやヤーコンの芽は、翌春までに野ネズミの被害に合うことが多い。この被害を少なくするために、何ヶ所かに分散して埋めている。
今日、集落の人と話をしていたら、数日前の夜、車で走行中に近くの山道で2頭のサルを見たと言う。サルの話も時々話題にあがるようになった。イノシシ、シカだけならまだしも、サルが出始めたらもうお手上げ。
当地では10年前頃にはイノシシなど話題にもならなかった。今見かけるということは、サルも10年後は頻繁に出没するようになっているかも知れない。
しかし10年後には、84万円ほどの年金をもらい始めているだろうから、農業に依存しなくもすむ。
害獣対策をきちんと取らなければ、次の世代は農業ができなくなる。害獣が出始めたら、農業の技術や販路の開拓の前に、とにかく害獣にやられないことが、全ての農業問題に優先する。
ヤギのパドック予定地を「なめるくらい」きれいにした。1年何もしなかったら、またもとの木阿弥になるので、今後は太い笹が伸び出したらすぐに草刈機を使おうと思う。これを繰り返していたら、この場所の「植生」が変わると思う。
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有機農業をしている人なら誰でも知っている超有名人。埼玉県 小川町の金子美登さん。
「金子美登」と検索しても「霜里農場」と検索してもすぐに出てきますので、ブログを御覧ください。
ものすごく参考になると思います。
お近くなら、ぜひ訪ねてみてください。
ひょっとしてあなたの人生が変わる風景に出会えるかも知れません。
今、農業新聞には「金子さんちの有機自給農園」がシリーズで載っている。
金子さんもバイオガスプラント(メタンガス発生装置)を作られているが、冬場の対策として太陽熱温水器を設置。太陽光で温めた温水を、バイオガスプラントの発酵層の中に設置した熱交換パイプに流し、夜温を上げ冬でもガスの発生量を多くするワザを使っていますと書かれていた。
牛は電柵で囲って5頭飼っていて、飼料は田んぼのあぜや畑の雑草と稲ワラ(アイガモ農法)で、ジャガイモやダイコンは牛たちの分を考えて多めに栽培。搾乳牛には米ヌカとふすまを与え、国産飼料100%で牛を飼育している。
井戸水も、太陽光発電を利用して畑に潅水している。
(直売所では売りたくない野菜)
サトイモ・・・梅雨~夏の水不足で収量が少ない。井戸水には限りがあるのでサトイモに水をまわせない。
ヤーコン・・・収量が安定しない。クズが多い。
(一人なら問題、皆ですれば問題にならない)
委託していた稲作農家から、田んぼ10枚(40アール余り)を返却された。引き続き作ってもらえるのは圃場整備した田んぼ1枚(27アール)だけ。
10枚の田んぼのうち8枚は湿田で野菜は作れず、2枚は野菜が作れるが、隣村近くのその田んぼにもイノシシが迫っていて、無防備ではすでに野菜は作れない。
だから田んぼは、草をはやさないために、年に5~6回の耕運と、あぜ草刈だけをするようになる。耕運の時間もかかるし、燃料代もかかる。しかし、放置しておいて1年に1~2回、田んぼ全体の草刈をすることに比べれば、5~6回の耕運の方がかなり楽だと思う。
「田んぼは負債」という道を歩み始めた。現在耕作している田んぼ以外は、できれば売りたい。しかし現在は10アールの価格は30~50万円ほどではないだろうか。先祖代々の土地をそんな安い値段で売りたくない人もいる。売りたくなければ(売れないなら)、田んぼの耕運という時間と燃料代、あぜ草刈という手間がかかってくる。他人に依存するなら10アールの耕運代が1回につき5千円で、6回耕運してもらうなら3万円もかかる。それでも隣の田んぼも草ぼうぼうなら、放置しておいて構わない。集落でもそんな田んぼがだんだん増えている。今後ますます増えていくだろう。
1人なら問題だが、みんなが草ぼうぼうにすれば問題にならない。田んぼの景観は? そんなもの1円にもならない。
(大切な肥料が大きな負債に)
ダイコンを収穫すればダイコンの葉が、ニンジンを収穫すればニンジンの葉が、キャベツを収穫すればキャベツの外葉が、ハクサイを収穫すればハクサイの外葉が、ヤーコンを収穫すればヤーコンのクズが出る。これらを全て田んぼに放置しておくのはもったいないし、景観もよくない。鶏がいれば、これらがすべて飼料(緑エサ)になる。その上、表口の卵と裏口の糞もいただける。
古い鶏7羽を一度に処分しようとするとエネルギーがいるが、1羽ずつ処分していけば、そんなにエネルギーはいらないかも知れない。しかし自分には「鶏を絞める」行為が日常の行為となっていない。1世代前の人は、鶏を絞めることが、食の楽しみであった。飼っていてもめったに食べることはできず、お祭りの日とか、月に1~2回の間隔でしか食べれなかった。理由は卵買いの人に卵を売っていたし、鶏自体の売買も日常茶飯だったからである。つまり鶏はカネだったのである。
今の自分は、
(1)鶏をつぶす(絞める)ような悠長な時間がない。
(2)鶏をつぶすより、買った方が安い。
(3)鶏をつぶすことがへた。
(4)飼っている鶏より購入した鶏肉の方がおいしい。
世の中は激変したのだ。
それと同じく、50年前までは「大切な肥料」であった人糞尿が、現在は産業廃棄物であり、下水道代という大きな負担(負債)になっている。
それでも、時代はすぐに回転する。
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価格競争、規模拡大競争、品ぞろえ競争、この3つは中小企業が絶対にしてはならない競争らしい。
価格競争・・・勝っても負けても、我が身を削る消耗戦だ。
規模拡大競争・・・自分の体力を無視した背伸び経営。
豊富な品ぞろえ・・・無駄な在庫をかかえる。
不毛な競争を避け、健全な体質にするには、
(1)新技術を開発し、独自の市場で勝負すること
(2)新製品でなくても、他の追随を許さない技能を身につける
(3)他者に先駆けて最先端の設備を活用する
(4)固定資産は原則として自己資本の範囲内で調達する
不況は企業破綻のきっかけにはなるが、原因ではない。真の原因は、経営の仕方そのものにある。そのことを肝に銘じ、しっかり永続できる企業づくりを目指したい。
朝日新聞に載っていた上記の記事は、農業にもよくあてはまる。
価格競争・・・JAの直売所には多数の生産者が出荷するので、とかく価格競争に陥る危険が高いらしい。それを避けるには、
(1)あくまで自分の設定した価格を守り、安売りしない。
(2)売れなければその店には出荷しない。他の直売所に出す。そのためにも出荷先を常時3~4店は確保しておきたい。
規模拡大競争・・・自分の場合、これはない。
豊富な品ぞろえ・・・直売所出荷を主体にしたら、逆に作付品目は減らす予定である。
不毛な競争を避け、健全な体質にするには、
(1)の新技術を開発し、独自の市場で勝負するとは、自分の場合はハーブティ用ハーブ。
(2)の新製品でなくても、他の追随を許さない技能→これは自分の得意作物に絞ることだと考える。
(3)他者に先駆けて最先端の設備を活用するとは、袋を止めるバックシーラーを卓上シーラーにすること。
(4)固定資産は原則として自己資本の範囲内で調達→固定資産の購入は全く考えていない。
昨日12月12日で、ヒヨコを導入して7ヶ月が経過したのに、まだ産む気配がない。3人で一緒に購入したが、一人の友人(鶏を400羽ほど平飼いしている)は5ヶ月を経過した頃から産み始めていると言う。初産が遅い原因として次のことを指摘された。
(1)エサが基本的に少ない。1羽が1日に100グラム必要だから、36羽なら3.6キロで、20キロ袋の飼料を購入しているなら1週間しかもたないはず。それを3週間ももたしているなら、明らかにエサ不足であり、今の3倍に与える量を増やす。
(2)朝、エサを与えて、夕方にも与えた方がいい。その時に、朝与えたエサがまだ残っているくらいが望ましい。つまり不断給与にする。
(3)蛋白源は成鶏より、むしろ成長過程に必要であり、成鶏になったら粗食でもよいが、それまでは栄養十分にした方がよい。
(4)米ヌカ、コゴメ、野菜クズはあくまで補助飼料であり、蛋白源を与えないと鶏は卵を産まない。
一般的には、ヒヨコから6ヶ月経過したら産み始めるので、明らかに栄養不足。
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45アールほどのこの一帯は、本当にありがたい空間である。ここだから農業ができる。電柵をするにも、した後で眺めてみれば、比較的に囲い安い地形だった。
先祖が残してくれた、猫の額ほどの14枚(計23アール)の田んぼと、借地4枚(計22アール)の合計である。
この秋はイノシシによる大きな被害が出て、収入も少なく、啓蟄の頃までカエルやヘビのような冬眠生活(あまり出歩かない生活)をしようと思っているが、こういう状態になっても、田んぼは大きな癒しの空間であり、遊び場になってくれている。
イノシシの襲撃、電柵の出費と、気持ちがかなり落ち込んだが、ヤギがいつも目に飛び込んでくるという風景も大きな慰めになった。ヤギは「電柵から受けた自分の心身の衝撃」をも癒してくれている。
少羽数のニワトリやヤギの世話をしていると、50年ほど前までの集落の人も、こういうふうに家畜を楽しんだろうと思う。
朝晩のゲートの開閉という電柵の拘束も、ニワトリとヤギという生き物の拘束があるから、電柵の拘束がそれほど負担になっていないという自分に、あらためて気づかされた。
イノシシの襲撃より、ヤギの導入が「ほんの一歩早かった」という現実が、今の自分の農業を支えてくれている。
逆だったら、ヤギの導入ができているかどうかわからない。
そしてヤギという家畜は、自分のラストステージである「2030年、農業の旅」をしっかり支えてくれようとしている。
田んぼは遊び場。こんな農業がもっと広まったらいいなと思う。
レタスがきちんと発芽した。今までは顧客数の関係で、この一部しか定植できなかったが、直売所出荷となると大半を定植しようと思う。定植したレタスの多くを売り抜くことができるかどうかがポイント。
ハーブのレモンバーベナとレモンバーム。今年は不気味なほど暖かいので、まだどちらも冬枯れしていない。霜は初霜の1回だけである。
当地ではハーブは、4月中旬~12月上旬頃までの8ヶ月間は出荷できそうである。ハーブティ用ハーブが3~4箇所の直売所で売れるかどうかが来季の収入の鍵になる。
ハーブ以外でポイントと考えている野菜は、
春夏作
(1)エンサイ
(2)ツルムラサキ
(3)青シソ
(4)レタス(サニーレタス、チマサンチュ)
(5)春ジャガイモ(ダンシャク)
(6)キクイモ
(7)4月下旬蒔きツルナシインゲン
秋冬作
(1)ダイコン
(2)シュンギク(株張り品種)
(3)ネギ(ヤグラネギ)
(4)8月中下旬蒔きツルナシインゲン
(5)サラダセット(レタス類、イタリアンパセリ、チャービル、ロケット)
木曜日にもらったタマネギが1200本ほど定植できた。とてもありがたい。
ナスビを鋸で切り倒し、その足元に蒔いた「つるなしエンドウ」が生え揃った。エンドウは1ヶ月ほどしか収穫できないのに、支柱作りにかなり手間を取られていたので、今年はツルナシ品種にした。これだったら手間は収穫の手間だけなので、たくさん蒔くことも可能だと思っている。
左からニンニク、ラッキョ、ワケギ。植え付けを忘れないように、10月下旬~11月上旬頃に同一日に植えている。
ニンニクはワンパック野菜にサービス品として毎回1個(4ヶ月間)入れていた。ラッキョとワケギは自給用。
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どんな世界でも「能力差」はあるが、農業の世界ではそれが顕著に出てしまう。真似ることは難しいので、自分らしさを追及していくしかない。
何とか、手取り100万円を稼ぐ「モデル農業」を提示したいと思う。元手がなくても、能力がなくても稼げる100万という数字を。
農業経費は自分の場合でも年間に60~70万はかかり、今年のように電柵代が加われば、70~80万になってしまう。
だから100万の手取りにするには100万+70万=170万を稼ぐ必要がある。野菜には端境期があり、特に3月、4月は野菜が少ない。だから10ヶ月間出荷できるとするなら1ヶ月に17万円を売り上げないと、手取り100万にならない。
しかし現実には、ほとんどの直売所で売上の15%は販売手数料として取られるので、実質的には200万(200万×15%=30万で、200万-30万=170万)を売り上げないと、手取り100万にならず、1ヶ月に20万の売上が必要になる。
つまり、1日1万円の売上を月に20日間×10ヶ月間しないと、目標の手取り100万にならない。
ああ、何という独立自営業の厳しさだろう。
しかも今は、単位を小さくして(量を少なくして)、「百均」で売るのが主流だから、1万円売ろうと思えば、1日100袋を売る必要がある。
袋代が1袋平均2円とすると1日で200円、20日間で4000円、10ヶ月で4万円。これにプラスして、自己アピールの2円のシールを貼れば10ヶ月で4万円。この経費は直売所に出荷するようになってから新たに発生する経費なので、年間経費に入れていない。つまり余分に8万円を稼ぐ必要もある。
100袋の袋詰め(仕分)には最低1時間はかかるだろうし、100袋の収穫にはその2倍の2時間がかかるだろう。そして3つほどの直売所に納品する時間が1時間とすると、合計で4時間。朝6時からスタートしたとすると、終わるのは10時であり、それを週に5日間はしないと、手取り100万にならない。
みなさん、ボクの目標は実現可能と思われますか。
昨日は出かけたために、今日は雨のために、ヤギは2日連続で外に出せなかった。好物のドングリの木をたっぷり与えたので、さほどストレスにはなっていないようだった。
久しぶりに米ヌカを容器で与え、手のひらに少し塩をとって与えた。
ニワトリが自分の頭より高い位置にいるというのは不思議な感覚である。何か、見下ろされている気がする。
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たとえばピオーネが1房500円なら、ダイコン4本(単価120円)を480円で売った方が得だと思う。
ピオーネは成り始めるまでに3年かかるが、ダイコンは9月15日に蒔けば12月15日頃には成長がピークになる。つまり3ヶ月でできる。すなわちピオーネはダイコンの12倍の月数が必要である。
ピオーネにはブドウ棚や雨避けのビニール、防虫ネット、害獣避けなど、元手がたくさんかかる。
それでも果樹は年間の半分は農閑期なのかも知れない。
あなたが生産者なら、どちらが得だと思われますか。
ボクは3年も待てない。3ヶ月で決着がつくダイコンの方がはるかにいい。しかし長い年数がかかる果樹生産者の方が、野菜生産者よりずっと頭がよくなる農業形態と思う。
多くの作物がイノシシの被害にあったが、ニワトリがいるので、出荷できそうにない野菜は全部たいらげてくれる。だから無残な状態をそんなに長く目にすることもない。
ニワトリは本当に重宝な家畜だと思う。
高くて、牛肉や豚肉はほとんど口にすることができなかった50年前の人たちは、ニワトリが「肉に見えた」かも知れないが、自分の場合はリサイクル鳥である。
ヤギは家畜としてはニワトリよりかなり劣る。草刈能力も低い。単なるペット。
野菜の作付が30~35アール、ニワトリ32羽、鳥小屋4坪半、物置6坪、粗放な果樹園5アール、遊休地2アール、メタン菌液肥は市販の500リットルタンクが2つ、麦3~4アールという、ちょうどよいリズムができあがっている。
農業をスタートする前に自分がイメージした野菜の面積は30~40アールほどであり、イメージした面積を超えることはできなかった。
夕方、近所の稲作農家で籾殻をもらい、レモングラス、レモンバーベナ、ステビア、ルバーブ等のハーブの根元に敷いて防寒対策をした。
ニワトリの巣箱にも籾殻を入れて、巣箱で気持ちよく産める状態に整えた。
麦の成長を自分だけが楽しみにしているのではなく、麦はイノシシ、シカ、ヒヨドリの大好物でもある。だから麦を蒔くことは、害獣に「餌場」を提供しているようなものである。できれば麦は蒔かない方が害獣対策としてはいいらしい。それでも、目の保養になる麦の成長の楽しみを覚えたら、蒔かずにはいられない。
電柵でイノシシ、シカは80~90%防げるだろうが、ヒヨドリは防げない。しかし、食われても食われても麦は強く再生してくる。
140字以内の「つぶやき」を不特定多数の人に発信できる無料のウエブサービス「ツイッター」。3年前に米国で始まったばかりだが、すでに日本でも100万人以上が利用しているという。有名人も企業も政治家も新聞社もこぞって「つぶやき」始め、関連本の刊行も相次ぐ。
ブログやSNSとの違いは、リアルタイムで起きていることがわかること。本書(ツイッター社会論・津田大介 著)ではハドソン川の旅客機不時着事故、オバマの選挙戦略などを例に、その場での人々の「つぶやき」がいかに社会にインパクトを与えたかに紙幅が割かれている。(朝日新聞12月6日)
日本社会の貧困率は15.7%。この数字は、1ヶ月を10万円程度で暮らさなければならない飢餓すれすれの人が約2千万人も存在することを示す。子どもに限れば約300万人である。私が書きたかったことは貧しい若者たちの物語だけではない。崩壊の危機が迫る日本社会の現実なのである。(ドキュメント高校中退・青砥恭 著)(朝日新聞12月6日)
(今日の最後のつぶやき)
人格を越えて「カネが全て」の社会になっていると思う。
35才を過ぎてからの再就職はほとんど閉ざされている。
企業組織からドロップアウトすると経済的に困窮する。
こんな資本主義社会だからこそ、ゆりかごから墓場まで、全ての個人に「ベーシック・インカム(月に7~8万円)」が必要である。
年金がもらえる65歳まで待てない。現役世代が食べていけない。だから自殺者が年間3万人(自殺未遂はその10倍)を越える。
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今日の農業新聞に、害獣対策で効果があると思い込まれている例として、下記の事例が載っていた。
(1)有刺鉄線は有効・・・・・痛さを感じにくい。簡単に通過する。
(2)跳躍能力を生かし柵を飛び越える・・・・・できるだけ下をくぐり抜けようとする。飛ぶことは嫌がる。
つまり電柵の下部が重要らしい。だから画像のように地面との空間が少し広い所や傾斜の所には竹を置いている。一周300メートルで3~4分であるが、毎日見回りは欠かしていない。
ゆるんだ柵線をピンと張る方法を何度も教えてもらい、その画像ももらっていたのに、どうもうまくできなかった。午後から援農にきてくれたUさんに尋ねたら、その画像を見てすぐに方法がわかったようだった。全く初めてのUさんに教えてもらいながら、柵線のゆるんだ箇所をピンと張り直した。
新しくヤギのパドックを作ったらヤギ小屋をどうするか決めかねていた。Uさんに相談したら、左の画像の鳥取県 八頭方式のヤギ小屋を2つ作るのが一番簡単だと言われるので、それを鳥小屋の前に並べることにした。
今までのヤギ小屋も残しておく予定。
午前中、麦(ライムギ、ライコムギ、オオムギ各1キロ)を蒔いた。麦はニワトリ用とヤギ用であるが、最も大きな位置付けは「景観作物」である。
麦を見ると元気をもらえる。1月、2月にこれほど人を元気づける作物は他にない。
田んぼの景観作物としては、
(1)ナタネ・・・ 3月咲(蒔いたがイノシシにもくられた)
(2)レンゲ・・・ 5月咲(2アールほど現在生育中)
(3)ヒマワリ・・7月咲(蒔いたが草に覆われて負けた)
(4)コスモス・・9月咲(種は買ったが蒔くゆとりがなかった)
今年は麦の後作にニワトリ用のソルゴーを蒔いたが、これも草に負けてしまった。
来年はヒマワリ、コスモスの代用としてキクイモの花(9月10日~10月10日)を楽しむつもり。
ナタネはアブラナ科で害虫が多いので止める。出荷用の「ナバナ(同じくアブラナ科)」を増やしたい。
来年は秋冬作を少し増やす予定なのでレンゲを蒔くスペースはないかも知れない。
結局来年の景観作物は、最も実用的な「キクイモ」と「麦」の2種類になるだろう。
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出荷の帰りに、今年の4月から就農されたHさんの田んぼを見せてもらった。
大きなハウスが2棟あり、ホウレンソウとコマツナの周年栽培を目指されているようで、露地でもホウレンソウをたくさん作っていた。
面積はハウスを含めて合計25アールほどと言われる。
2005年、京都大学より「暖季における湖沼の塩基性化と微量酸素酸アニオンの動態変化」に関する研究で博士号の学位を取得されている。
2006年~2007年と高校の講師をされた後、2008年の1年間は三重県伊賀市で有機農業の第一人者に師事し、実践的な野菜の有機栽培について学び、2009年から瀬戸内市で新規就農した。
りっぱな経歴の持ち主である。研究されたことを現場で試したくなったのかも知れない。
Hさんの農法に関して、ある朝市でHさんからパンフレットをもらったという知人がメールの添付ファイルで送ってくれたので、それをブログに載せようとしたが、何回トライしてもコピーがうまくできなかった。
土地も購入されているのでハウスと合わせるとかなり初期投資の大きな農業である。
有機農業であるが、2種類の作物を大量に作るという方法を選択されている。
農業のスタートがボクより3年ほど早い。
今は出荷先をいろいろ模索されているようだった。例えば1種類でも6店の直売所へ出荷すればかなりの量になると思うが、現在は主に市場に出荷されているらしい。
場所は吉井川沿いだから砂地土壌であり、ニンジンやゴボウ等の根菜類のいいのができそうな気がする。イノシシやシカの出没はありえない場所で、ハウスでなく露地野菜を作るにも恵まれた場所だと思う。
どれくらいの年収をイメージされているのだろうか。
仮に元手が600~700万ほどかかっているとしたら、手取り年収200~300万は欲しい。
自分の場合は軽四(62万)と管理機(8万円)と物置・鳥小屋(41万)の合わせて110万ほどが元手である。乗用トラクタはすでに我が家にあった。
農業は本当に元手がたくさんかかる職業だと思う。
Hさんと自分の共通点が一つあるとすれば、それは肥料に「液肥」を使っていることだった。しかもその原料が、Hさんは近隣の味噌屋さんからもらう大豆カスと米ぬか。違いは大豆カスとナタネカスの違いだけ。液肥の製造場所は他の場所だったので今日は見学できなかった。
Hさんとは最近、スーパーの直売所で時々顔を合わせるようになった。菌にくわしい人なので、今度メタン菌液肥についていろいろ分析してもらおうと思う。
12月7日、今日が初霜で、液肥を担ぐタゴに初氷が張っていた。一夜にしてヤーコンやハヤトウリの葉が萎えた。今朝は出荷だったが、朝陽にあたって霜が溶け始める8時50分頃まで収穫ができなかった。
シュンギクとレタスは霜に弱い。夕方、パオパオというべた掛け資材を二重にかぶせた。かぶせても連日のように霜が降り始めると、年明け頃には傷んで出荷ができなくなる。
午後、麦蒔き予定地で管理機を使おうとしたら、始動時に使うチョークの状態がおかしい。結局、農機具店に依頼せざるをえなかった。
乗用トラクタのツメの交換と点検整備、チェーンソーの点検修理も依頼したので、合わせて5~7万円かかるかも知れない。
不得意なので農機具はほとんど持っていないが、最低限必要な農具の修理費がバカにならない。
夕方、ニワトリにもう一度青菜を与え、ヤギにドングリを切ってきて、電柵を一回りし、散らかった農具を片付けたりする作業が、日が暮れるのと競争になる。
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城山の北側の湿地は我が家の所有地ではなく、太い笹とクズが生い茂って「ごそ」になっていたが、日陰になるので夏はこの場所に連れて来ていた。所有者に頼んだら快く貸してくれたので、ヤギのパドック(遊び場)にすることにした。
草刈機で何回か刈り払ってきれいにしたら、今までの風景とは変わって見えた。そして先人の築いた「石垣」が全貌を現した。
我が家は多少の段々畑であるが、石垣が必要なほどの段々畑ではない。しかし画像のこの場所だけは段差が大きいので何箇所か石垣が組んである。
昔の人は猫の額ほどの田んぼでも石垣を組んで利用していた。それくらい田んぼが足らなかったのだろうか。
石垣は時間と経験と腕がないと作れない。長い長い時間が費やされたであろう。
石垣を見ると先人の苦労がしのばれる。
作ったのは江戸時代であろうか、それとももっと以前のことだろうか。
自分に後継者はいないが、この石垣は次の世代に残したい(伝えたい)。
ここをヤギのパドックにしたら、石垣が壊されてしまう。
だから石垣に青竹を並べてヤギが登れないようにする。
面積も広すぎて、ヤギが野生化する恐れがあるのでパドックを少し狭めようと思う。

12月12日で7ヶ月が来るのに、まだ産む気配がない。オンドリの初鳴きも、決闘も、交尾もまだ目にしていない。オンドリとメンドリの識別だけははっきりわかるようになった。
いくら遅くとも、年内には産み始めると思う。
昼からちょっと出かけて、帰りが6時頃になった。すでにとっぷり日は暮れている。電柵を閉めていないので気が気ではなく、家に寄って懐中電灯を持つと田んぼに直行した。
昨日、メタン菌液肥に米ぬかとナタネカスと井戸水を補充して攪拌した。すでにメタン菌は深い眠りについて、暖かくならないと活動を始めない。
次にメタン菌液肥を使うのは春ジャガイモの植え付け(3月中旬)の頃から。
タキイ種苗や、サカタの種や、ナント種苗から2010年春作の種のカタログが届いた。ナンキンはナント種苗の「鈴成錦2号」という品種を気に入っている。1個が800グラムほどの中玉で1株で30玉というキャッチフレーズになっている。
ナンキンは毎年収穫期に入る頃、またたく間に「ウドンコ病」という病気が蔓延する。直売所で出会う同業者にこの防除法を尋ねてみようと思う。
シイタケをイノシシかシカに全部食われた。こうなると、シイタケの原木の置き場がない。
荒地をきれいにしたら、1年きりではなく、毎年少しでも手を加える必要がある。手を加えることを怠ったら、1年で元通りに戻ってしまう。だから、毎年手を加えることができない限り、開墾などしても無意味になる。
電柵は1日に1回は見回っている。余計な手間がかかり出したが仕方がない。電柵の漏電を防ぐには、
(1)電柵に触れないよう、草刈の回数を多くする。
(2)電柵の下だけ除草剤を使う。
(3)電柵の下の草が生えないように草押さえの資材を使う。
まだ、どうするか決めていない。
50年ほど前までは、山仕事自体が「生活」だった。まだプロパンガスがない時代だったので、どこの家にも「クド」があり、クドでご飯を炊いたり、おかずを煮たり、湯を沸かしたりしていた。そのクドの焚き付けに、大量の「落ち葉」が必要であり、どこの家にも「落ち葉置き場」が軒下などにあった。そしてクドで炊くために大量の「割り木」が必要であり、「割り木置き場」もどこの家にもあった。風呂焚きには長めの「下刈り」をくべていた。下刈りは割り木にした木の枝や低木を束にしたものである。
村の人たちは稲秋が終わると競争のように山に入り、冬の間に1年間分の落ち葉や割り木や下刈りを準備した。
地域の山はそれぞれ区分けされて売り出され、その一画を購入して落ち葉や割り木や下刈りをすることも多かった。それが遠方の山だったら、昨日書いた「飯ごう炊飯」をして家に帰らず1日、山仕事に費やすのだった。立ち昇る昼時の湯煙は、古き良き時代のつかの間の風景として脳裏に残っている。
今、山は不要になった。資源としてもう一度、山が必要になることがあるだろうか。そうならない限り、山が顧みられることはないだろう。
ふるさとの山に向かいて言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな
(石川啄木)
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キーウイ・・・病気や害虫がほとんどなく、カラスが狙わない。作る上でこれほどメリットのある果樹は少ない。自分の場合はキーウイとハッサクとキンカンの3種類だけ。
他の果樹は害虫が多かったり、カラスが狙ったりするので、口に入ることは少なく、サクランボのようにもっぱら花を楽しむだけの果樹もある。
リンゴ、ナシ、ブドウ、モモのような作物は放任栽培では食べれそうにないので、植える気がしない。
午後から、枯れ木や竹の枝の焚き木をした。焚き木は楽しい農作業の一つであるが、一昔前のように、朝、暖をとるための「どんど」とか、奥山の山仕事に行った時、昼に家まで帰るのは遠いので「飯ごう炊飯」をしたりとか、そんな目的があってするのではなく、単に片付けるためだけ。それでも焚き木の火は見る人の心を癒す。なぜ火がこんなに人の心を癒すのか、それは人類が始めて洞窟の中で火を燃やした頃まで遡る必要がある。
ジョロで水をして帰ったが、今晩は特に風が強い。心配になって7時半頃また田んぼに行って火の元を確認してきた。火はおごっていたので、水をかけ、長靴で何度も踏みつけて帰った。
セット野菜と並行して備前市のスーパーへも週に何回か出し始めたが、ムラサキイモがあまり売れない。しかし、他に出す野菜がないので、これとシュンギクを出している。
シュンギクは1回に20袋ほどしか出荷しないが、これは全て売れる。株張りシュンギクなので20袋というより20株と言った方が適切かも知れない。1株が200グラムほどで、単価は90円にしている。
今日は小型のサニーレタスに、タカナを1枚と、ロケットの茎を4~5本つけて「サラダミックス」として単価90円で出した。一見、面倒くさいように見えるが、そんなことはなかった。直売所ではこんな一手間が売れる要因につながると思う。
ロケットは株ごと収穫するのではなく、「かいで」いく方法の収穫もできる。つまりレタスの「チマサンチュ」と同じ収穫方法であるが、逆にチマサンチュは、株ごと出荷する方法もある。
ヤギの導入と、イノシシの壊滅的襲撃が、逆でなくてよかった。もしこの順序が逆だったら、ヤギの導入はできなかったかも知れない。
人生では、「あのタイミングだったからできたが、今だったらもうできない」ということは多いような気がする。その時の勢いとか、その時の流れとか、その時のタイミングで物事が進む。
ニワトリから受ける拘束、ヤギから受ける拘束、電柵から受ける拘束のうち、最も強い拘束を感じるのが電柵で、次がヤギで、拘束が最も弱いのがニワトリである。
農業を始めてからの20年間で2泊の外泊は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の色川集落へ見学にいった1回きりである。後はすべて1泊どまり。
1泊の外泊も年に数えるほどしかしていない。
今年からヤギと電柵が加わったので、1泊の外泊も簡単ではなくなった。有料で誰かに依頼するようになる。もしくは夕方4時頃に出発~翌朝8時半頃までには帰ってくるという1泊なら可能。誰もほとんど通らないというものの、村道をふさぐような形の電柵が大きなネックになっている。田んぼ全体を囲うにはこの方法しかなかった。
自分の田んぼを電柵で囲んでしまうと、囲んでいない近所の田んぼが狙われるということにもつながる。
野菜の生産方法はあまり変えずに、出荷方法を変える「めど」がついたのは、新たな売り先が数箇所見つかったからに他ならない。
そういう点では、岡山市のベッドタウンという立地条件や、近くに牛窓町という観光名所があり、岡山ブルーラインという海岸沿いの道路には道の駅が2箇所あり、土曜、日曜には県外の観光客が多いという地の利もある。
それに比べて、和歌山県那智勝浦町の色川地域は、紀伊半島のどんずまりの場所に位置している。那智勝浦町は温泉や日本一の滝で有名であり、一生に一度は行って見たい場所であるが、実際に住むとなると大変だろう。
第一に経済をどうするかという問題が立ちはだかる。産業といえば、林業、お茶、漁業と観光だけで、農作物の販路のパイは限られている。現役世代だったら、その場所でどうな生き方があるだろうか。農作物を売ろうにも、先人の農家の農産物だけですでに飽和状態であろう。しかも色川ではイノシシだけでなく「サル」という害獣が多いと聞く。
経済の保障された定年帰農者なら住むことが可能かも知れないが、現役世代ではあまりに厳しいと思う。定年帰農者でも、高齢になってからの「運転」と「病院」は大きな障壁になるような気がする。
しかし、繰り返し行ってみたい郷愁にとらわれる不思議な集落である。
もし機会があれば、温泉と滝を訪ねた後、もう一歩足を伸ばして、バスで片道30分ほどの色川集落を訪ねて見られませんか。1~2泊して集落の中を歩き回ったら、カルチャーショックを受けるかも知れません。
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今年はまだ「初霜」が降りない。例年より10日以上遅れている。今日はもう12月4日なのに。そして雨がよく降る。この時期の雨は野菜が腐ったり劣化する原因になる。
画像はヤーコンの葉。いつもなら霜ですでに枯れているが、ことしはまだ青々としているのでヤギに与えた。
いったい、補助金をもらっている農家は農業者全体の何パーセントになるのだろう。10~20%ほどになるのだろうか。
自分のような農業者はなぜその恩恵に預かれないのだろう。地域貢献力は計り知れないくらい多いはずなのに。
繰り返しになりますが、
(1)田んぼ周辺の農道の草刈
(2)池に上がる道や、のり面の草刈
(3)道に侵入してくる竹の子を倒す作業
(4)田んぼ沿いの細い水路の泥あげ
(5)多種類を作って、生物多様性を保持する
(6)お墓に来る人に、昔ながらの農村風景(ヤギが草を食べている風景や、ニワトリの鳴き声)を提供する。
つまり、自分のような30~40アールの小規模農家でも、これだけの地域貢献をしている。
補助金がもらえる10~20%ほどの大規模農家や法人が、いったいどれだけ地域や環境に貢献しているだろうか。逆の場合も多いのではなかろうか。
自給率向上には全く貢献していないような家庭菜園や定年帰農型農業、小規模農業が、現実には多大な地域貢献をしているのである。
大規模機械化農業や、農業法人や、集落営農は、利益追求オンリー農業であり、人間疎外型農業であり、補助金漬け農業である。
「小さな一人の農業者」を増やす施策が必要と思う。現代人は挫折した時に「農業という逃げ場」もぜひ必要である。それには、月7~8万円を無条件で支給する「農業者ベーシック・インカム」の他にないと思う。この方法こそが、農業問題、雇用問題、環境問題を解決の方向に向ける。
20世紀型農業とは決別し、小さな個人の農業に立ち返ること。それは復古趣味でも懐古趣味でもなく、これこそ21世紀の農業なのである。
現在の農業補助金を全て、平等に「農業者ベーシックインカム」にふりむけたら、いったいどれくらいの新規農業者を育てることができるだろう。
農業生産は、商工業における生産とは少し赴きが異なる。同じ資本主義の土俵で論じる産業ではない。同じ土俵で評価するから衰退してしまう。農業は時間概念からして商工業とは全く違った生産形態である。
昨日、田んぼぐるぐる回りの途中、ヤギにドングリの木を与えるために池の土手にあがったら、真昼間になんと数頭のシカに出くわした。すぐに池の上の山に逃げ込んだが、すでにかなりの密度になっていると考えざるをえない。
今朝は、我が家のすぐ裏の近所の休耕田がイノシシにかなり掘り返されていた。我が家と3メートルほどしか離れていない。
こんなに害獣が押し寄せてきたらたまらない。抜本的な対策が講じられないと、家庭菜園を含む農業の継続がますます困難になる。
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今日は雨が降ったりやんだりした1日だった。小雨の中、朝8時前には田んぼに行き、左の画像の黄色のボックスの場所に設置したゲートを開ける。ゲートと言っても電線4本です。
ゲートの手前に軽四を止めると、晴れた日ならたいてい銀ちゃんが、パドックの竹に足をのせてこちらを伺っている。ボクはすぐに世話人であることを知らせるために、頭の上に手で丸い輪を作る。
今日は雨だったので、いつものお迎えはなかった。雨の日は農作業はできないので、百均の傘をさして田んぼのぐるぐる回りを始めた。まず、昨日害獣が田んぼに入ろうとした形跡はないか電柵を見てまわる。設置してからまだ1回しか入ろうとした形跡はない。
その後も田んぼのぐるぐる回りを続けた。何と昼前まで4時間もぐるぐるまわりをしたのだった。何か考え事をするでもなく、考えたことも思い出せない。ただ、飽きもせずにぐるぐる回りを続けた。
晴れた日なら、近くの田んぼにちらほら人影も見えるが、雨の日は誰も出てこない。だから人影に気が散ることもなく、一心に回り続けても見ているのはお天道様だけ。
ヤギも雨がわかっていて、外に出せと督促しない。口をもぐもぐさせながら静かにこちらの動向を見ている。
そして、まだまだ歩き続けた。晴れた日ならこんな悠長なことはやっておれない。
電柵の設置場所が良かったかどうかも、歩きながら確認し続けた。しかし、いったん設置したものは容易に動かせない(動かし方がわからない)ので、自分の場合はその場所に固定してしまう。当面はこのままの状態で様子を見るしかない。
鳥小屋の上に新しく作る予定のヤギのパドックも、歩き回りながら場所を確認する。歩き回っていると、ここより、こっちにした方が良いなど、いい案を思いつく。
同じように歩き回って、どこにしようか考え続けたのが、19年前の物置と鳥小屋の設置場所である。
農業を始めて1年後だったのに、場所といい、規模といい、仕様といい、見た目の景観といい、19年後の今でも、最もいい選択だったと思う。
農業にかけた思い、もう後がない切羽詰まった状態での農業という選択、挫折の連続だったので今度こそ失敗はできないという切迫感、そんな諸々の事情がこの選択をさせてくれたのだろう。
その当時にイメージした農業から逸脱していないし、逸脱できていない(あまり進歩していない)。
ニワトリの数も・・・
物置の中の道具も・・・
田んぼの規模も・・・
そして自分自身も・・・
ひとつだけ変わったのは、今年からヤギが加わったこと。
そして全く想像もしなかったイノシシが3年前から出始めたこと。
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パソコンが時々、大きな「うなり音」を出すようになった。もし3日以上更新がなかったら、パソコンが壊れたとご推察下さい。
来年の4月15日で、パソコンを買ってちょうど4年が来る。購入してくださったパソコンのA先生はもういない。テニスの後で突然倒れられて亡くなった。パソコンもテニスも詩吟も折り紙もまさに何にでも秀でたマルチ人間だった。
買ってもらったDELLの「ウインドウズXP」と、してもらったADSLへの電話回線変更が、ブログへの道を開いてくれた。
壊れてしまう前に来年の4月(予定)には購入した方がいいのかなと思う。今度買うとしたら「ウインドウズ7」だろうが、どうするかは現在のO先生に相談して決める。
自分にとっては日常の普通の1日であっても、ある人にとっては、今日という日が重大な1日の場合もある。今日はその人のことを案じながら過ごした。
上の画像は城山の紅葉。紅葉といっても当地の紅葉にモミジはなく黄土色の紅葉である。今の時期のこの時間帯(4時頃)が好きである。自分はつくづく晩秋型の人間だと思う。桜やタンポポの咲く4月もいいが、11月末~12月始めのこの時期にはかなわない。風に吹かれて紅葉がひらひらと舞い落ちる風情もいい。
夕方もう一度、ニワトリに青菜をやり、水を確認し、卵を集める。その後、2頭のヤギを小屋に戻す。50年ほど前までは、集落の多くの家で、夕方はこんなふうに家畜の世話をしながら終い支度をしたのだろうと思う。ヤギではなく牛に草を与えながら。
ニワトリはびっくりするほど青菜をよく食べる。朝あれだけやったのにと思っても、夕方になると跡形もないことが多い。あぜ草や野菜くずで10アールにつき10羽ほど飼えると言われているが、まさに30アールほどで32羽(メス30羽、オス2羽)は最適の数だと思う。それでも12月、1月、2月、3月の4ヶ月は青菜が足らなくなる。ハクサイ、キャベツ、ダイコンの大型野菜を多少多めに作っておくと家畜のエサに助かる。
この田んぼは小屋続きなのでヤギのパドック(遊び場)にする予定だったが、イノシシが出て電柵をした関係上、従来通り田んぼとして使うことにした。麦蒔きの準備のために今日は乗用トラクタで「荒起こし」をした。
トリ小屋の下のこの田んぼも麦を蒔く。上と合わせて3アールほど。左端に見えるのは電柵の支柱で、トリ小屋の下までを電柵で囲んでいる。
トリ小屋から上の野菜に適さない畑と、城山の北側の荒地の合わせて10アールほど(周囲120メートル)をメッシュ(鉄柵)で囲い、ここをヤギのパドックに変更した。トリ小屋の隣に鳥取県八頭方式のヤギ小屋二つを新たに作って置く予定。ここは大きな岩が3つあり、岩壁を好むヤギの格好の遊び場になるはず。
夕飯のおかずに、ダイコン、ニンジン、タマネギに市販の肉団子を入れて煮物にした。鍋いっぱい作っておくと2~3日食べれる。翌日、翌々日に温め直して食べると煮てすぐよりおいしい。昼のおかずにも便利なので、サトイモの煮物とともに自分で作る。
他にロケット(ルッコラ)とレタスに馬路村の「ゆずポン酢」をかけて食べた。ロケットというハーブは外観はホウレンソウそっくりで、生食、おひたし、炒め物と三拍子そろったすぐれもの。ロケットとレタス(チマサンチュ)とイタリアンパセリの3種類をサラダセットとして直売所で売る予定だったが、レタスの多くをイノシシにもくられて予定が狂った。
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ベーシック・インカムは、農業問題、雇用問題、環境問題を克服すると思う。
多くのベーシック・インカム論者もそう言っている。
基本的な生活保障があれば、多様な人間が多様な場所で多様な暮らしができ、生きる選択肢が広がる。都会から農村へも移住しやすくなる。(長野県中川村村長)
国民全員に平等に年金を支給し、老後の生活を保障するという制度がありえるならば、全ての国民に平等に所得補助を行うというやり方は決して荒唐無稽ではない。(経済学者、中谷巌)
各種の社会保障・社会福祉は、できるだけベーシック・インカムに集約し、それ以上に必要な人が利用する保健、年金、各種サービスなどは、民間に任せる。福祉的制度・行政の大半はなくせるだろうし、私が支持する大きな理由もそこにある。(経済評論家、山崎元)
農業は大規模にして少数の人がする職業ではない。それは環境破壊型農業であり、人間疎外の農業であり、生物多様性を著しく阻害する農業である。
農業が環境を守り、自身の解放の場になりえるのは、
(1)できるだけ小さな規模で
(2)農薬や化学肥料の使用を少なくし
(3)黒マルチや各種ビニール被覆等の農業資材の利用を控え
(4)機械化を最小限に抑え
(5)大きな投資は極力控え
(6)できるだけ少量多種類を作付し
(7)旬に従順に
(8)農閑期のある農業をする
極めて不器用で、農業能力のない自分でも、楽しく農業ができるのは、(1)~(8)に忠実だったからである。
農業で稼げるのは100万ほどのものである。それ以上に稼ごうとすれば、環境破壊型になったり、意に反する農業をせざるをえなくなったり、農業から受ける豊かさも半減する。
出荷形態が変わっても、作ることに関しては今までの農業とあまり変わらない。
(1)不得意作物を減らし
(2)採算の悪い作物は減らし
(3)比較的得意な作物は増やし
(4)今までどおり農閑期は保持する
毎年、何兆円という規模の農業補助金は、自分とは異次元の世界にばら撒かれている。
あらゆる農業補助金に反対である。
莫大な補助金がばら撒かれても、ますます農業は衰退の一途である。
今まで、何の効果があっただろうか。
特定農業者の利益につながっただけなのか。
農協の利益につながっただけなのか。
農業と、雇用と、環境を改善する最も近道は、ベーシック・インカムの他にないと思う。
ベーシック・インカムで取りざたされる金額は1人月8万円。
自分がもらえる年金は、月8万にならない。
自分が稼いでいる農業収入も、月8万にならない。
ベーシック・インカムで月8万もらえるなら、戦時中の疎開のように、都会から田舎へ民族大移動が起こる可能性がある。
土の上に帰りたい
土にひれ伏したい
土の上に寝転びたい
他に何も望まない。
ただ、最低限の生きていく保障が欲しい。
それがベーシック・インカムの8万である。
65才からの老後の保障だけでなく、
今現在の保障が必要なのだ。
なぜなら働く場所がないから。
田舎で自給自足型の農業で、自分の雇用と、農業と、自然環境が守れる。
人間は土着性の生き物である。
土は人を解放する。
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