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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

作る能力は限界でも、売り先で活路を開く

「人間は結局、与えられた環境を与えられた能力で生きることしかできないんです」(俳優、大沢たかお)

朝日新聞に出ていた週間番組案内の大沢たかおの言葉にふと目が留まった。

サラリーマンでもそうだと思う。たまたま入った企業を運命(天職)と考え、その企業に「しがみついて」、多くの人は定年まで勤めるしかない。

努力によって能力を磨くことはできるだろうが、その世界、その世界で、どうしても真似ができなかったり、少々学んでも身につかないこともある。

長年の間に培われた社交性とか、会話のうまさとか、声かけ能力とか、企画力とか、人をまとめる力とか、うまく取り入る力・・・等。

農業はたいした能力がいるわけではない。しかし、器用、不器用の違いで、農業では大きな差がついてしまう。

つまり、真似ができない(学べない)ことが、農業の世界では多く出てくる。

自分はいまだに草刈機の刃が研げない。最もよく使う農具であるが、集落の大工さんに研いでもらっている。野菜は作られていないので、野菜と物々交換のような形である。

一時期、真剣に「刃の研ぎ方くらいは最低限、身に付けよう」と努力したが、どうしてもうまく研げない。そのうち、あきらめてしまった。

こういうことが自分には多い。

たとえばキュウリとかインゲン等の支柱作物であるが、支柱がうまく作れず、20年間の大半は「地這いキュウリ」や「つるなしインゲン」を作ってきた。

他人の圃場を見学しても、「真似る力」がなければ、何回見学してもたいした意味はない。

努力しても、努力しても、身につかない(学べない)ことも多い。


たまたま農業に転身でき(農業がひらめいた時、田んぼがあり、父という農業の先人もいた。農業では食えないという意識が強かったが、サラリーマンはもう続けたくなかった)、やっと、他人に惑わされずに、独立自営業ができるようになった。

めぐりあうことができた農業という環境の中で、水を得た魚のように楽しくなったが、すぐに農業の世界での能力のなさを感じた。

他の農家の真似をしようと思ったが、とても真似ができそうになかった。だから結局、自分にできる方法でするしかなかった。自分にできる方法では「手取り100万の攻防」でしかなかった。

それでも家人が勤め始めていたので、何とか我が家の生活はまわっていった。

そんな生活を20年ほど続けてきた。ぬるま湯につかった状態だったが、ここ数年「手取り100万の攻防」が次第に遠くなり、こんな農業をしていてはいけないと強く意識させられ、農業形態の変更を今まで以上に考えるようになった。

考えても、他にできるような農業形態が思いつかなかった。能力があったら、とっくに現在の農業形態を変更している。

変えれるかも知れないと意識し始めたは、9月に入ってからである。
(1)Kさんによるスーパー出荷の紹介。
(2)JAの直売所が12月にできるという情報。
(3)近くのホームセンターの直売所が農家募集の広告を出しているのを見た。
(4)家から30分内に、直売所が他に3箇所あった。

つまり、売り先を変えてみようと思いついた。

セット野菜の顧客は開拓するのが難しく、3年以上続けてもらうことも極めて難しい。業務用の顧客は注文が不安定。

能力の限界もあって、農作業のやり方はあまり(ほとんど)変えることはできないが、出荷先を変えることによって、現在より収入がアップするように思えた。

週1回は宅配を残し、直売所主体に切り替えていこうと思う。

野菜を作る能力を変えることは困難だが、売り先で活路を見出すことはできるはずである。

現にシュンギクは、今までは顧客数の関係で少ししか作ることができなかったが、この秋は5倍ほど作り、セット野菜とあまり変わらない価格で、全部売ることができつつある。



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ハーブティ用ハーブ

直売所に出荷する場合、野菜では他の農業者に太刀打ちできそうにないので、何とか、ハーブで勝負したい。

2種類をボードン袋8号(単価1円58銭)に入れて、卓上シーラー(27000円ほど)で密封し、シールをはり、単価98円で売るという戦略。
 
ハーブティの作り方は、
(1)やかんの湯が沸騰したら火を止める。
(2)2種類のハーブを少しずつやかんの中に入れる。
(3)5分ほど蒸らし、きれいな草色がついたら出来上がり。
(4)ハーブは取り出す。麦茶パックと同じ要領です。
(5)3回ほどに分けてお使い下さい。冷やしてもおいしい。

ハーブティ用ハーブは6種類。
(1)レモンバーム
(2)レモンバーベナ
(3)レモングラス
(4)タイム類 (レモンタイム、コモンタイム)
(5)ミント類(アップルミント、ブラックミント、スペアミント)
(6)セイジ

収穫期間はどれも7~8ヶ月間連続。肥料もあまり欲しがらない。つまりハーブは「収穫する手間」と「袋詰めの手間」だけ。


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左はレモンバーム、右はレモンバーベナ。霜が降りると上部は枯れるが、翌春元気に新芽が出る。


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レモングラスを株分けしたのが左の画像。右は株分けする前。1株で15株ほどに株分けできる。
10月末頃、スイートバジルを鋸で切り倒し、その株間に定植した。


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タイム類はコモンタイムとレモンタイム。コモンタイムは主に料理用。
ハーブティ用ハーブはレモンタイムが軸。理由は、袋に入れた場合の見た目がきれいなことと、ハーブティにした時、きれいな色が出る。


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ミント類は、左からアップルミント、ブラックミント、スペアミント。ハーブティには左の2種類。スペアミントは料理店用で主に料理の飾りに使う。


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セイジ。とてもおいしいハーブティになるが、セイジは突然枯れることが多い。青枯病か立枯病。料理に使うイタリアンパセリにも同じ病気が出て困る。


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その他のハーブとして、左はステビア。湯のみにステビアの葉を適量入れ沸騰した湯をそそぐと「砂糖湯」ができる。

右はルバーブ。5月に成長した太い茎を小口切りし、目方の半分の砂糖を加え、水は入れずに、弱火で25分ほど煮ると、酸味のあるおいしいルバーブのジャムができる。
株分けに強い(簡単)。収穫期間は5月、6月と、10月、11月。夏場は成長が止まるようだ。
 
  

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左は今回定植をし直した画像で、右は、スイートバジルやオクラを鋸で切り倒し、その株間にレモングラスやレモンタイムを定植した。全部で2アールほど。ちょっと多すぎたかも知れない。来年1年の売れ具合で、どれくらい定植すればよいかわかる。
 

 
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10月20日頃にレンゲを蒔いたが、草に負けそうになっている。負けてしまうかも知れない。通常は稲を収穫する前に、稲の上から種をばらまくのでタイミング的に草に負けたりすることはないが、前作を作らず草むらだったのを耕してしばらくして蒔いたら、草との競合になった。


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レタス(サニーレタスとチマサンチュ)の苗床。この状態で冬越しして3月中下旬に定植する予定。キャベツの苗床はイノシシにもくられ、来春収穫の春キャベツは定植できなかった。時期的に蒔き直しはできなかった。


5時が過ぎたらもう薄暗くなる。薄暗くなる前に、電柵の周囲を小走りで見回った。草は伸びないが、害獣が電柵に触れて電柵が緩んでいる箇所があればピンと張りなおす必要がある。電柵を張って5日間が過ぎたが、1回だけそんな状況があった。

電柵をしてから、きちんと戸締りをして帰るという感覚になった。最後に軽四をゲートの外に出し、道(門)のゲートを閉めるわけだから、まさにそういう状況である。

蛇足ですが、ここらあたり一帯は「大門田(だいもんだ)」という田んぼ名になっている。大きな門があったと考えられる。池を支えるような形の低い丸い山は「城山」と呼ばれ、池の北側の山は「寺山」と呼ばれている。竹薮の中には高い石垣が組まれ、墓の上には土塀のようなものがある。


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ミツバチの「待ち受け」と「巣箱」

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イノシシにもくられたハーブの定植をし直している。1日で終わらず明日も続く。


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この田んぼだけはあまり被害がなかった。シュンギク、ロケット、サニーレタス等。


ミツバチの「待ち受け」と「巣箱」

日本ミツバチの巣箱は結局、作れそうにない。

実際にミツバチを飼っている人の巣箱を借りて、それを参考にしながら、Uさんに手伝ってもらい2人で作り始めたが、半日かかっても箱の半分もできなかった。

電動ドライバー等を購入したが結局投げ出し、友人の木工作家に依頼することにした。1セット5000円と言われてすぐに注文をした。

その後、それっきりになっていたが、友人はいろいろと研究し、養蜂家を訪問して再度教えてもらったり、数万円出して他の巣箱を宅急便で取り寄せたりして研究されたようだ。

そして最終的に、ミツバチの「待ち受け」が2000円、4段重ねの巣箱が5000円で売り出すことにした。

つまり、待ち受けを山の中の何ヶ所かにおいて、毎日見回りをして、捕まえることができたら(待ち受けに入ったら)、それを4段重ねの巣箱に移すという方法である。

とりあえず、待ち受け3つと巣箱1つ(すでに試作品の1つを購入しているので合計2つ)を購入することにした。

ただ、「待ち受け」だけではミツバチは捕まえることができず、待ち受けに「蜜蝋」と呼ばれる蝋をぬることと、「キンリョウヘン」というランの一種の花がミツバチを呼ぶために必要らしい。

蜜蝋は1000円ほどで、キンリョウヘンは3000円ほどでインターネットで手に入るらしい。

つまり、趣味でミツバチを飼おうと思えば、
(1)待ち受け(とりあえず3つほど)2千円×3=6000円
(2)巣箱(とりあえず2つほど)5千円×2=10000円
(3)蜜蝋1000円
(4)キンリョウヘンという花3000円
合計で2万円ほどの初期費用がかかる。

これを高いと思うか安いと思うか、人それぞれ違う。

インターネットや農業新聞で見る限り、通常、巣箱だけで2~4万ほどしている。だから、トータルで2万円というのはかなり安いと思う。

「待ち受け」や「巣箱」を自分で作るのは、実際にミツバチを飼っている人でないと難しい。

自分で作ろうと思えば、器用な人でも、
(1)実際に飼っている人の巣箱を見せてもらい
(2)材料の買い方や作り方をいろいろ教えてもらい
(3)材料(木材)を購入し
(4)ネジクギやネジクギを締める電動ドライバーを購入し(手作業では時間がかかり過ぎる)
(5)半日では作れず、作り慣れるまでは1日かかるだろう
こんなに費用と時間をかけるなら、友人が提示してくれた価格で購入した方がはるかに安い。実際にUさんに手伝ってもらいながら半日ほど作りかけてみて、つくづくそう思った。

とにかく、友人にも自分にも「成功体験」がない。そしてミツバチを捕まえるチャンス(分蜂)は4月、5月の2ヶ月間ほどの間らしい。だからその時期を逃せばまた1年後ということになる。

ミツバチを飼いたいなら、巣箱にエネルギーをかけてはいけないと思う。

それよりもはるかに前進する道は、3月中旬頃から、3~4つの待ち受けを方々に設置して、毎日もしくは1日おきに見回りをして、蜂が入りそうな状況であるかどうか確認し、入りそうにないなら場所を変えて、4月、5月に全エネルギーを注ぐことだと思う。

ヤギによって田んぼの風景が一変したように、もしミツバチを捕まえることができたら、自然を見る目がまた変わってくると思う。ミツバチの大量死(環境)や蜜源の花のことも意識し始めるだろう。

どうしても成功(体験)が欲しい。

2万円ほどの投資でミツバチを捕まえることができるなら安い。

ミツバチの飼育が広がらないのは、「巣箱の値段が高過ぎる」ことと、実際に捕まえる要領(待ち受けの設置場所、蜜蝋、キンリョウヘン等)が全くわからないという2点だと思う。

来年の4月、5月に成功すれば、もっとわかりやすくブログに書けるだろう。

ミツバチに興味がある方はメールを下さい。友人の木工作家を紹介します。最初は「待ち受け(これで捕まえる)」3つ、「巣箱」1つでスタートしたらどうでしょうか。

ただ、友人も自分もまだ成功体験がないので、うまく捕まえることができるかどうかはわかりません。


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百姓とは・・・

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害獣はハーブの「レモングラス」を嫌がるらしい。確かに、レモングラスを100株ほど株分けした畝だけは被害を免れた。しかしこれは他のハーブとは別の場所に植えていたからかも知れない。

レモングラスは越冬が難しいが、温暖化のせいか、ここ数年当地でも越冬するようになった。

サツマイモの種芋を、籾殻を入れた発泡スチロールに入れて、冷蔵庫の上においていたら、腐らずに越冬できた。今年も種芋はこの方法でしている。


毎年、勤労感謝の日の頃には「初霜」が降りるのに、今年はまだ霜が降りそうな気配がない。


先日、菜っ葉のポリ袋への入れ方を教えてもらった。セット野菜では野菜を包むのは全て新聞紙だったが、直売所ではポリ袋に入れる必要がある。「菜っ葉を厚手のビニールに包んで入れる」という方法だった。これだけでも袋詰めの時間が大幅に短縮できる。


昨晩、害獣が田んぼに入ろうして電柵に触れたようだ。今朝、電柵が緩んでいた箇所があったのでわかった。


タマネギの苗はイノシシにやられたが、
早生品種・・・義父にもらったのを昨日定植した
中晩生品種・・・12月中旬頃、友人にもらって定植予定
 


電柵ができたので麦蒔きの準備を始める。まだ耕運もできていないので種蒔きは12月中旬頃の予定。種は雪印種苗で購入した。
ライムギ  1キロ
ライコムギ 1キロ
オオムギ  1キロ


エンドウとスナップエンドウが発芽した。エンドウ類の手(竹の先を利用した支柱)をするのはとても面倒であり、ウドンコ病も毎年発生するし、収穫期間は1ヶ月ほどなので、今年は支柱のいらないツルナシ品種にした。
  ナスビやツルムラサキの後作に、畝をくずさずに無肥料で、黒マルチに穴を開けて4粒ずつ蒔いたが、その時に「マルチの穴あけ器具」を使った。コメリ(農業資材店)で買った800円ほどの器具であったが、今まではハサミで開けていたので、それより随分早かった。
 

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今晩の寝姿。どんな止まり木を好むか、ニワトリに聞いてみないとわからない。地面から飛び上がることはできず、何ヶ所かの止まり木を通らないと行けれない止まり木もある。上の画像の真ん中の二つは到達しにくい止まり木であるが、気に入っているようだ。

とにかく、空間を利用していろんな止まり木を作ってあげれば、ニワトリも喜ぶし、世話人も楽しめる。どちらも楽しめるのが「家畜福祉」だと思う。


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上のニワトリが卵を産み始めたら、こちらの7羽は淘汰する予定であるが、また、つぶす(絞める)ためのエネルギーが必要になる。


自分の農業は人の援助で成り立っている部分が多い。釘、カナヅチ、ノコ、針金等の扱いが極めて苦手。

備前市のNさん・・・今回の電柵

和気町のNさん・・・10年ほど前のドラムカン炭焼き窯

援農してもらっているUさん・・・ヤギ小屋2つ、ヤギの小パドック、井戸のフタ、ニワトリの止まり木、7羽の簡易トリ小屋、竹切り、シイタケの原木切り、紐結び各種。今後、ヤギの大パドック、ビオトープ(生物が生息する小池)作りを援農して頂く。

全てボランティアでしてもらった。いいのかな・・・


以下は有料で依頼した。

19年前のトリ小屋と物置・・・大工さん

旧電柵・・・農機具店で購入し、設置も依頼した

キーウイの棚・・・大工さん

トリ小屋と物置の屋根のトタン板の張替え・・・大工さん


百姓とは100種類の仕事をするから百姓、何でも作るから百作、農は創意工夫の世界ということらしいが、自分の場合は創意工夫はゼロというか、そういう能力はゼロ。


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農業者として、農業関連の補助金に反対

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08年度に国が補助金などとして支出した天下り「指定席」法人数と金額で、断トツに多いのが国土交通省と農林水産省の二つ。

国土交通省 法人数(79) 支出額(3165億円)
農林水産省 法人数(55) 支出額(3435億円)

いわゆる土木建設業と農業(農協)関連。

自民党の集票マシーンとして機能してきた。

天下り一つ見ても、事業仕分けで農水省関係の補助金が削られるのは当然のことだと思う。

農業関連の莫大な補助金はいったいどこに落とされてきたのだろう。

自分のような農業者は全く蚊帳の外だった。


農業関連の補助金には反対である。

今まで莫大な補助金が振舞われてきたにもかかわらず、農業は衰退の一途だった。

つまり、補助金が何の役にもたっていないか、もしくは効果的な補助金がごく少なかったと言える。

こんな過去の実績からも、農業関連の補助金は使途が厳しくチェックされる必要がある。

EUのように、補助金を受けた個人と法人は、名前と金額がインターネット上にきちんと表示されるべきだと思う。

そうしないと、どんな補助金がどこにまわっているのか、農業者の自分にも全くわからない。

個人名や企業名がきちんと公開表示されない補助金なら支出すべきではない。


結局の所、補助金漬け農業はいいことにならない。

現在、事業仕分けを批判しているのは、今まで補助金をもらっていて「梯子をはずされた人たち」と思う。

永遠に補助金がもらえ続けるとでも思っているのだろうか。


補助金がおりるのは、自分と対極に位置するような農業者ばかりである。

しかし自分こそ理想的な農業と自負している。

農業に決して大きな投資をせず、

生活と農業経費のランニングコストを徹底的に少なくして、農業の「自由度」を高め、

「有畜・小農・複合・自給」という農業をしている。

無農薬、無化学肥料という農業には否定的で、少農薬、少化学肥料という、より「自然な」農業をめざしている。

集落の一画で40アールほどの農業を継続することで、農の風景を維持し、家畜を飼うことによって農業本来の姿を維持し、田んぼ周辺の農道の草刈をして地域の農道を保全し、田んぼの傍らの水路の泥上げをして水路を維持し、竹の子を取って竹の道への侵入を防ぐ。

こんな環境対応・景観創出の農家は無視されて、何が戸別所得補償だろうか。

あくまで、農業関連の補助金には反対である。

その代わりに、ロストジェネレーションの世代を中心にした「農業者ベーシック・インカム」を導入して、年間80万ほどの金額を平等に支援し続けることこそが「農業の維持継続」につながる。

大規模生産者や集落営農を支援するのではなく、小規模な個人の農業を支援すべきだと思う。
 

 

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これから2月末頃までの3ヶ月間は草はあまり伸びないので、電柵に触れて漏電は少ないから、見回りの必要はないかも知れない。

右の画像のように休耕田のあぜ岸に電柵を設置させてもらったので、トラクタの耕運は今まで通りで不便はない。

左の画像のように、田んぼは道を隔てて半分半分あるが、道を横切るように電柵を設置した。こうしなかったら電柵本体が2つ必要になるし、耕運がとても不便になる。心得ておくことは朝一番に道をふさいだ電柵のゲートを開けること。



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電柵 (3)

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Nさんはこんな収納箱まで作ってきてくれた。上は電柵の本体で、下はバッテリーが納まるようにできている。そして、扉には盗難防止の鍵がつけれるようになっていた。扉を閉めると上部は透明で、電柵が機能している点滅が見えるようになっているという細やかな収納箱。

ここが第1の出入口。道をふさいでいるが、どん詰まりの場所なので誰も通らない。



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ここが第2の出入口。物置のすぐ左で、池に通じる道であるが、池に通じる道は3箇所あり、ほとんど誰も通らない。
 

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ここが第3の出入口。鳥小屋に行くために設けた。

 
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画像は出入口で、伸び縮みするバネがついたフックをひっかける。買うと高いからと、手作りしてくれていた。

杭の地ぎわには、画像のようなパイプをすべてに付けてくれ、草刈機の刃が杭に触れても損傷しないようになっている。

コーナーと出入口には画像のように杭に鉄の棒の補強を入れてくれるなど、経験者にしかわからない数々の工夫をしてくれている。

地際から30センチ、30センチ、40センチ、40センチという4段張りで、周囲300メートル×4段=1キロ200メートル。杭は4メートルに1本。杭の補強(鉄の棒)が数十本。

集落初の本格的電柵だったので、何人かが見学に来られ、そのつど説明に追われた。 
  
 
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束縛(朝夕の3箇所の開閉と1日1回の周囲の見回り)されるのは電柵だけでなく、ニワトリ(1日1回のエサやり)とヤギ(朝出して、夕方入れる)にも束縛されているので、毎日の束縛が3項目に増えた。束縛が1項目でもあれば、2項目も3項目も同じ。

出荷には束縛されないが、口のある生き物と電柵は束縛になる。ただ、農家にとって口のある生き物は必須だと思う。45年ほど前まではいない方が稀だった。我が家にはニワトリが20羽ほど、黒い牛が1頭、豚が2頭いた。

ヤギは集落で3軒ほどだった。ヤギは換金動物ではなく、ヤギ乳を飲むという自給動物だったから。



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電柵 (2)

8時半から始めて、雨が本降りになり始めた4時半頃に終わった。

いろんな加工(細工)をしてきてくれたので、1日で終わった。加工にまる2日間はかかったのではなかろうか。

昨日、門を2箇所、出入口を1箇所と書いたが、自分の認識不足だった。単に出入口を3箇所作ったということです。説明しづらいので明日、画像をアップします。

Nさんは誰に教えてもらったというのではなく、試行錯誤しながら自分で電柵の張り方を覚えていったらしい。

こういうことが簡単にできる人だから山深い山村に住み続けれるのだろう。

完成した電柵を見ながら、これから毎日、この電柵を自分で管理していかなければならないのだと思った。

ゆっくり(歩いて)触れたら問題ないが、突進して(走って)触れたら、電柵を突き破って入ってしまうらしい。

電柵がゆるんだ時の処置方とか、電柵の杭が壊された時の対処方も教えてもらったが自信がない。繰り返しているうちに、身体で覚えていくしかない。

電柵でも、苦手な「結び方」がしばしば出てくる。

道(公道)をふさいでしまったので、朝8時頃には開けて、日暮れに帰る時に閉めるということが日課になる。突きあたりの道なので、誰もあまり通らないが、道をふさいだ状態がしばしば人目にふれるのは問題なので、朝、晩の開閉は雨の日でも怠ることはできない。

どうのこうの思っても仕方がない。「電柵がある」というこの状態に慣れていくしかない。

こういう思いを繰り返しながら、農業から退いていくのだろう。

10月7日から今日までの1ヶ月半ほどは、貴重な体験だった。イノシシやシカが出没する地域の人の苦労が身に沁みてわからされた。

そしてこれから先10年、自分がどういうふうに害獣を防いでいけるか、頭に描けない。

わかっているのは、どんなことがあっても年100万ほどは「農業で」稼いでいかなければならないという現実である。84万ほどの年金がもらえ始める65才までは。



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電柵 (1)

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晩秋。1年で最もいい季節だが、景色どころか気持ちは電柵の方だけに向いている。

明日は備前市八塔寺から1時間ほどかけて、Nさんが電柵を張りに来てくれる。

Nさんにとっては朝飯前かもしれないが、自分は明日のために、土曜日と今日の出荷は休み、この3日間、電柵いっぽんに集中してきた。

それは自分の最も苦手とすることであり、いったん張ってもらうと、容易に動かしたりすることができず、その場に固定してしまうから。

だから、張ると決めた場所は何回も、何十回も歩いて、どこに、どう張ってもらうのが一番いいか、この10日間ほど考え続けてきた。

電柵を張ってまた害獣に入られたら、さらに身体にこたえる。それでも農業は止めるわけにはいかないので、どんなことがあっても侵入させることはできない。

3年前まで、害獣は他人事だった。

3年前からサツマイモだけ防御するようになったが、サツマイモだけならまだ楽だった。

今年の10月7日の台風の夜から、害獣との闘いは明らかに第2ステージに入った。

いったい何頭が集団で来たのだろうと思えるひどさだった。
鳥小屋の下までの35アールほどを電柵で囲うことにした。
(1)門が2箇所(公道なので門にしてもらう)
(2)出入口が1箇所
(3)周囲は300メートル×4段=1キロ200メートル

これからは絶えず、頭や気持ちが電柵に向くだろう。夕方帰る時、一回りするのが日課になるかもしれない。

新たな電柵への出費が10万円余りは仕方がないとして、電柵の下の草刈や見回りに多大な時間を費やしてはいけない。場合によっては電柵の下だけ、除草剤も視野に入れている。

Nさんが、電柵は1日で張れるだろうと言う。自分は電柵を張る準備に今日まで膨大なエネルギーを費やしてきた。

電柵など朝飯前、入られたらその場所を補強すればよい、設置場所もころころ変えてみる、こんなことによだたない(時間はかからない)、そういう能力の持ち主でないと、これからの農業は難しいかもしれない。

電柵に精通している人はまだ少ない。今までイノシシやシカに何度も痛い目にあってきたNさんしか、電柵を頼める人は思い浮かばなかった。



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悪循環からの解放、その後また長い停滞

人は何らかの理由で長く停滞してしまうことがある。

留まるべきでない職場にずるずると居続けたり、

受からない資格試験にこだわり続けたり、

嫁姑、親子の確執に囚われ続けたり、

自分の場合も農業を始める36才まで、退職・求職を繰り返した10年以上の長い悪循環が続いた。

農業はその悪循環を断ち切ってくれたが、やはり、長い農業の停滞期を続けてしまった。

技術力もほとんど上げることができなかった。

売り先も視野が狭すぎた。

「セット野菜」にこだわり過ぎてしまった。

「セット野菜」が比較的安定していたので、それに安住してしまった。

低い安定だったのに、安住してしまった。


今年、同じ瀬戸内市の若い農業者グループと知り合うことができたが、それぞれが皆、いろんな出荷先を持っている。それも4箇所も5箇所も。

多分、リーダーのKさんが手一杯になり、自分のかかえていたいろんな販路を紹介していったのも一因だろう。

彼らの場合、「作った野菜は全部売る(売れる)」という形なので、多種類の野菜を広い面積で作っている。

ボクのように、セット野菜の顧客が何軒だからこれ以上作っても売れないとか、イタリア料理店の注文はこれくらいだから、これ以上作っても仕方がないとか、そこに「生産ロス、出荷ロス」を発生させていない。

いろんな出荷先をかかえていると、徐々に、自分にとって最も出荷しやすい店とか、自分にとって最も利益率のいい店とかが見えてくると思うので、そんな店や作物に比重をおくことができる。

10年前と違って、今は「直売所」が地域にたくさんできていて、少々の虫食いとか、不揃いの野菜でも、自分で単価をつけて売ることができるようになっている。

とにかく、売り先さえあれば、何とか100万ほどにはすることができると思う。売り先が先で、作ることはそれに比べればはるかに簡単である。

この秋冬作はイノシシにやられて出せないが、来春からは、瀬戸内市内のJAの4箇所の直売所、備前市のホームセンター、備前市のスーパーの6箇所に出し、自分に最も合う店、最も売れる店の1~2店に比重を置いていこうと思う。

週に1回は宅配野菜(個人用と業務用)も残そうと思う。宅急便の回数券がかなり残っているし、宅急便を急に全部止めるのは不安だから。



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あかぎれ

 阪神大震災からまもなく15年が来るんだなあ。もうそんなに経っているのか。あの日のことは今でもよく覚えている。震度のすごさ、家人との会話も。

 これほど記憶に残ったのは、神戸に宅配の顧客が多かったから。それとミニコミ(あめんぼ通信)に書いたからなおのこと記憶に残っている。お隣の備前市の人が、バスが半分落ちかけで間一髪止まった高速道路の高架橋で、トラックが落下して亡くなられた。

 もう15年が来るのが信じられない。農業をスタートして5年が経過する頃だった。

 あの頃から農業の技術力が全然進歩していない。情けないが、技術にあまり目が向かなかった。それでも結構野菜は作れた。

 
 昨晩Nさんから、24日の火曜日に電柵を張りに行くという電話をもらった。月末頃と思っていたので、ちょっとあわてた。

 竹薮の竹を整理して焼却したり、電柵を張る場所の草刈は終えていたが、最も手間がかかる物置周辺の竹の整理がまだで、今日はそれをした。自分の悪い癖で、肝心な場所は後回しにして、いつも周辺からやっていくというパターンが出てしまった。
 物置周辺の竹薮には藤が多く。藤は竹に巻きついて、その重さで竹がしわり、おじぎするような格好になり、電柵に触れる可能性があるので、惜しかったが何本かの太い藤の幹を切った。害獣のせいで、例年楽しみにしていた5月の藤の花が、来年は少ししか見れないだろう。

 

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 ヤギは最近、メスの方が急に太ってきた。食欲の秋のせいだろうか。と言っても変わったものは何も与えていない。今のうちによく食べてもらわないと、冬~早春にかけては常緑樹の木の葉はあっても草が少ない。


 この時期になると、手にどうしても「あかぎれ」ができる。寒さが原因であるが、手には使い捨ての軍手(10足が200円。はたして手洗いに耐えるだろうか)をしているが、軍手をしていても「あかぎれ」になる。日中は指先の3箇所ほどにバンドエイドをするが、風呂から出たらバンドエイドをとり、メンタム(メンソレータム)をつける。メンタムは随分昔からあり、風呂上りによく祖母が手につけていた。手があかぎれだらけで見るからに痛そうだった。
 自分もメンタムを愛用する年令になったのだと思うが、このメンタムがあかぎれにはまことによく効く。

 夜9時のおやつは「ふかし芋」。1回作ると3日間は食べれるので、4日目にまた3日分を作る。

 ユズ茶(ユズを半分に切って搾り、湯を注ぐ)も欠かさず飲んでいる。ユズ茶にでもしないとユズの利用方法がない。



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山森亮「ベーシック・インカム入門」を読んで

 19日に次のようなコメントを頂きました。
ベーシックインカム構想の問題点の一つは、全国一律の金額でいいのかという点です。大都市だと80万円もらっても家賃で消えてしまい、生活できません。必ず「不公平だ」という議論がおき、「物価の安い地方は金額を減らせ」というようなことになりかねません。なかなか難しいですね』

 
 誰かの紹介があるなら、山村の1軒家の借家料金は1万円ほどが世間相場と思います。田んぼは無料と思います。
 下水道が来ていなければ、ライフライン料金もそんなにかからないと思います。

 1~3人の生活で、何とか80万ほどでギリギリの生活はまわっていくと思います。

 つまり、80万は都会からの逃げ場としての「山村暮らし」で、最低限生きていけるのではなかろうかと思う金額です。
 その場所で生きていけなければ、80万を元手に、生き方や生きる場所を代えることではないでしょうか。



バートランド・ラッセル(20世紀を代表する英国の哲学者)


 ラッセルは、アナーキズム(無政府主義)や社会主義について考察し、ベーシック・インカム+有益な仕事に従事した人々への分配(給与)という仕組みが、「純粋な正統派社会主義」よりも「遥かに成功の機会が多い」ものとして提起されている。(P142)

 ここで展開された4時間労働の部分は、1932年の著作「怠惰への賛歌」で再度詳論されることになる。こちらでは、資本家の唱える勤労倫理への批判が正面から語られている。(P142)

 仕事はある程度は「私たちの生存に必要」であるが、「決して人生の目的の中には入らない」。にもかかわらず、仕事が人生の目的のように私たちが感じているとすれば、それは私たちが欺かれているからである。(P142) 


パレイス

 ベーシック・インカムが保障されているもとでは、生存のために労働を強いられるということはないはずであるから、より多く働く労働者は、自分の意志でそうしているのであり、金銭に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。他方、より少なく働く者は、時間に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。
 後者を「怠け者(レージー)」と呼ぶことがもし許されるのであれば、前者を「クレージー」と呼ぶことが許されるだろうか。
 ベーシック・インカム制度のもとでは、レージーな生き方も、クレージーな生き方も、あるいはそれほど極端ではない「どっちつかず」の生き方も自由に選択することができる。(P147)

 
 炭鉱労働者、石切工、煙突掃除人、ごみ運搬人などの危険ないし汚れる仕事は、ベーシック・インカムによって彼らが飢餓から自由になれば、現状の労働条件ではあえてそれらの仕事をしないだろう。しかし危険や汚れることを補償するだけの高い賃金を払えば、働き続ける人はいるだろうと言う。こうした高報酬こそ、例えば私たちを火事の危険から守ってくれる煙突掃除人に対して社会が正しく尊厳を払うあり方であり、そうした人々が困窮の淵にいるベーシック・インカムなき社会はおかしいと考える。(P165)


 ベーシック・インカムが労働を阻害するのではなく、かえって労働を促進する。また糊口をしのぐための労働と、楽しみのための労働を対比し、後者の生産性の高さを主張している。(P167)


 年金は若い世代から年老いた世代への強制的な所得移転であり、貧困層ほど若くして働き始め、富裕層ほど長生きをするから、これは「より貧困な人々から豊かな人々への所得の移転」を行っていると述べる。
 社会保障が「金持ちの負担で貧困者を助ける」というのは、年金に関していえば必ずしも当てはまらないというのである。(P199)


 興味深いのは保証所得が環境保護に資するという論文の他、所得が保障されることで、人々が創造的な活動に従事できるという論文が含まれており、貧困の解消や労働意欲といった議論とは異なった新しい視点が提示されていることである。(P209)


 市井のエコノミストでイギリスを中心に活動しているジェイムズ・ロバートソンも、ベーシックインカムの導入が不可避であるという認識はガルブレイスと同じであるが、ガルブレイスにない新たな視点として、そもそも雇用という形態は仕事のあり方として限界を抱えているとして、別の仕事観を提示していることである。
(第一)雇用は家庭と仕事を乖離させ、また仕事をするうえでの当人の独立性も損なってきた(依存としての雇用)。
(第二)雇用は男性的で非人格的なものとして組織されてきた。
(第三)雇用中心のシステムのもとで雇用されない者(失業者、主婦、子ども)は劣等感をもたされてきた(雇用の排他的性質)
(第四)雇用中心のシステムの下での分業と専門化の進展によって、「ローカルな仕事が、ますますどこか他所でなされる決定にコントロールされる」ようになった。(P209)
 
 ロバートソンが雇用に代わるものとして提示するのが「自身の仕事」という働き方である。つまり、労働=雇用という価値観のもとでの、労働者↔非労働者という分断を解消し、市場での消費の生活に占める割合を減らすこと(自給)で、生活に足る所得としてのベーシックインカムの給付額も低いもので十分となる可能性が生じる。(P212)

 
 ベーシックインカムはすべての人に、個人単位で、稼動能力調査や資力調査を行わず無条件で給付される。(P243)


 「自由からの逃走」で著名な心理学者で、哲学者としても知られるエーリッヒ・フロムは、人類史において人間の自由を制約してきたのは、支配者による生殺与奪の権力と、「自分に課せられた労働ならびに社会的な生存の条件に服したがらないものにたいする餓死の恐怖」であったとしし、ベーシックインカムは後者を克服することによって自由を拡大するというのである。
 現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)、「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし、一度仕事への強制や恐怖がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「常態の病理」だとされる。(P250)


 私たちがベーシックインカムについて語る時、所得を失う恐怖に誰もさらされるべきではないということだけを主張しているのではない。現在失業者あるいは非生産的とラベルを貼られている多くの人々によって担われている不払い労働への報酬としてのベーシック・インカムをも要求しているのである。私たちは慈悲が欲しいのではない。生産の非常に大きな割合は国家や賃金労働の領域内では遂行されず、しかもそれらは社会的に生産的で価値があり重要であるという事実への承認が欲しいのである。(P265)
(注)非生産的とは炊事、家事労働、自給自足農業者の里山保全、風景創出等が考えられる。


 
 自分の頭の中で整理がつかず、言葉が出せなかったものが、9月12日の新聞記事を読んで「あ、これだったんだ」と気付いた。

 ベーシック・インカムという考え方には200年余りの歴史があるという。

 年金を払い続けていれば65才になったらもらえる。それが、年金も払わずに、現役世代(正しくは0才から)でも基本所得として一定金額をもらうことができる。しかもこれが、所得控除や補助金を全廃することによって比較的簡単に実現可能な政策だったとは。

 しかも企業にとっても、ベーシック・インカムがあればリストラしやすく、より低賃金で雇うこともできて有利になる場合もあるという。

 社会主義や共産主義より、ベーシック・インカム資本主義の方がかなり優れたシステムのように感じる。スターリン(恐怖政治)やベルリンの壁(西側への逃亡)が社会主義や共産主義思想からいつも自分を遠ざけてきた。

 この本の著者である山森亮さんは、1990年代の初頭にベーシックインカムについて初めて耳にした時、激しい嫌悪感をおぼえた。何か的外れな話に聞こえた。その時に覚えた違和感は以下のようなものである・・・と、本の最初の方で書かれていたが、ボクは全く逆に、激しい一体感を感じた。

 その後で山森さんは、無条件の所得補償というベーシック・インカムの考え方は、共感であれ、反感であれ、個人の生き方や感覚に根ざした反応に直面することが多い考え方であるようだ、と書かれている。

 自分は元来、ベーシックインカムを求む「稼げない人間」だったのだ。そして20年の農業経験は、ベーシックインカムの思想(制度)にますます近づけたと考えれる。


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農業は非生産的な仕事が多い

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昨日ふと思いついて、隣の休耕田のあぜに電柵を張らせてもらおうと思って、お願いにいったら、こころよく了解してもらえたので、今朝はさっそくその周辺の草刈をした。すでに5年ほど放棄田になっていて、笹やグイチゴの木が茂っていたので、1時間ほどかかった。

ここに電柵を張らせてもらうと、耕運の時に電柵がじゃまにならず、田んぼが今まで通りに使える。

刈り草はヤギ小屋の下敷きに使った。前回の下敷きを外に出して入れ替えるが、オスの小屋(1畳ほど)、メスの小屋(3畳)と狭いので、下敷きにする雑草の量は少しで足り、時間はかからない。

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午後から、電柵の妨げになるので切り出していた竹を焼いた。竹の枝を落としたり、竹や雑木を焼いたりする作業がすでに何日も続いている。農業にはこんな非生産労働が多い。あぜ草刈もその一つである。

イノシシやシカにやられて出荷できる野菜が少ない。スーパーの直売所にも、ムラサキイモとシュンギクとキクイモくらいしか出せる野菜がない。セット野菜も種類が揃わないので、いつまで送れるかわからない。

タマネギと春キャベツの苗床もやられて、今年は苗がない。電柵ができてから、誰かに苗をもらい少量植えるつもり。麦類も電柵ができてから12月中旬に蒔こうと思う。

電柵という新たな出費の発生。それにかかわる雑用の大幅な増加。加えて出荷する野菜が被害に遭い、出せる野菜が少ないというトリプルパンチ。

落ち込んでいても仕方がない。前に進むか、撤退する(やめる)か選択肢はどちらか一つであり、前に進むなら電柵をするしかない。これからは電柵という檻の中でする農業になる。

集落の人はあまり困っていない。家庭菜園は家の近くで作っており、そこまではまだ害獣は近づいていない。

稲作も山が(山の近く)の小さい田んぼは休耕田にしてあまり作っていないので、害獣の影響は少ない。

だから集落で防御しようとする雰囲気はなく、自分の田んぼは自分で防御するしかない。



我が家は親が比較的早くに亡くなったので、「介護」という問題がない。しなければならなかったら大変だろうと思う。

加えて「嫁、姑、問題」も結婚当初の3年ほどだった。

母は精神的にえらかっただろうと思う。姑(祖母)より母の方が早く亡くなったから、家の中で母が楽をできたことはなかったと思う。

ずっと母と祖母の確執を見てきたので、ボクら夫婦は別居して住めばよかったのだが、自分に経済力がなく3代同居になったので、なおさら母にとって、しんどかっただろう。

父に兄弟が多く、それも母にとってかなり負担になっていたと思う。

これらが複合的に母の寿命を短くしたかも知れない。しかも15年ほど日雇いの土方仕事に行っていたから。

母は6~7人の夕飯を作っていたが、自分が時々作るようになって初めて、大変な負担だったろうと感じた。

今、集落内ではほとんど同居はない。同一敷地内に若夫婦の家が別に建ててあったり、近くに建ててあったり、あるいは出て行っていない。

40軒ほどの集落であるが、すでに子供がほとんどいない。小学生の子供が3人ほどと思う。子供の姿を全然見かけない。


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ベーシック・インカム (2)

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84万円ほどの年金がもらえるようになる65才までは働いて、その後は自分のテーマ(山村、県境の村、棚田)を追っていこうと思う。

質素にすれば生活はまわっていく。テーマを追求するにしても、半径50キロ内を想定しているから、日帰りコースである。

我が家は一人一人の独立採算制(ライフラインの支払いも今は分割している)だから、とにかく自分の生活費だけの収入が入ってくればよい。

病気とか突然の災害などは考慮に入れていない。言うなれば「その日暮らし」である。考えたらきりがない。

とにかく、65才までは何とかして80~100万円ほどは稼ぐ必要がある。

農業ではこの金額がなかなか稼げない。

働きたくても、働く場所がない人も同じ。
働きたくても、自分に向いた仕事に出会えない人も同じ。
働きたくても、病気や怪我で働けない人も同じ。 
働きたくても、最低賃金に近い所でしか働けない人も同じ。
働きたくても、子供や両親の世話があり働けない人も同じ。
当然権利があるのに、生活保護ももらえない人も同じ。

65才になってからではなく、0才から65才までの一人一人に一律に80万円ほどが支給されたら、精神的にどんなに楽だろう。

生きるために最低限必要な「基本所得」は保証される必要がある。

仮に来年から80万円ほどがもらえるようになったとしても、出荷農業を止めてすぐに「自分のテーマ」を追い求める生活に入ったりはしない。

切り替えようとしている農業形態を少なくとも5~6年はしようと思うし、害獣との闘いは今始まったばかりだし、次の世代に少しは参考にしてもらいたいという気持ちもある。この期間を通過せずにパスしたら、追求しようとするテーマに深みが出ない。

65才になってからではなく、現役世代にも一律に80万円ほどの現金が支給されるなら、山村に入って自給自足的な農業を始めようとする人が飛躍的に増えると思う。現在の社会状況や生存環境に多くの人はすでに懲り懲りしているだろうから。

こんな人たちが、日本の食や、里山の風景や、里山の環境を守っていく。

開発や整備はもういらない。開発や整備は便利や快適性ではなく環境破壊である。

農業補助金の使い方が完全に誤っていると思う。20世紀型農業者に補助金を投入するのではなく、小規模、里山保全、自給自足的21世紀型農業者に補助金を投入していくべきだと思う。

もしベーシック・インカムが早急に導入されたら、いわゆるロストジェネレーション世代(30代)の雇用問題が大幅に解決に向かうし、農業問題が大きく改善されるし、環境問題も改善に向かう。まさに3拍子そろって解決に向かうだろう。


『月8万円を国民全員に支給するというベーシック・インカムの試算を手がけた京都府立大の小沢修司教授は「都会の非正規雇用の現状を見ても、働いたその収入で生活できるという資本主義の前提はすでに壊れ、安定した雇用がいつ不安定になるかわからない。そんな時代に社会保障制度の機能不全を解決する根本的な発想の転換策なのです」と説明する。

ベーシック・インカムを導入すると、配偶者控除や扶養控除などの各種控除が不要となり、年金、児童手当、生活保護など社会保障の現金給付分が全てベーシック・インカムに一括され、膨大な行政コストも不要になる。

先の定額給付金は1回限りだが、「全員が国から現金給付を受ける」感覚を身近にしたとする指摘もある。

人口約5400人、長野県南部に広がる美しい中川村の村長は、ベーシック・インカムが過疎に苦しむ村を救う策になりえるのではと関心を持つ。グローバリゼーションに翻弄され、生きるためにギリギリで働く都会の若者と、効率主義の経済優先の中で切り捨てられている農村の高齢者の問題は根が同じ。

基本的な生活保障があれば、多様な人間が多様な場所で多様な暮らしができ、生きる選択肢が広がる。都会から農村へも移住しやすくなる。「食うために田舎を離れるというギスギスした状況が緩和され、過疎の村でも手を差しのべ合うゆとりもできる」と期待する。』
 (以上朝日新聞9月12日。再度掲載させて頂きました)


農業者戸別所得補償制度等、農業関連の補助金は莫大であるが、ますます混迷の度を深めている。前政権よりはるかにましであるが、解決の道にはほど遠い。補助金の大半は単なる「ばらまき(無駄)」に終わるだろう。

農業関連の補助金は全廃してその全てを、山村へ移住して自給自足的農業を希望する20代、30代、40代にベーシック・インカムとして年間80万ほど支給する。これこそが、食糧問題、環境問題、雇用問題を同時に解決する唯一の道だと思う。

20世紀型の大規模、機械化、単作、農薬や化学肥料を多投する農業から決別して、21世紀型の小規模、環境、風景、少数の家畜、循環的農業に切り替えていく必要がある。

 
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農業者ベーシック・インカム

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「事業仕分け」の作業で、農道整備事業(168億円)、里山エリア再生交付金(84億円)、田園整備事業(6億円)などを廃止すべきだとの判断を示した。

農業農村整備事業のかんがい排水事業(1930億円)は予算縮減、農業集落排水事業(54億円)は財源と対応を地方に委ねるべきだとした。

これら廃止や縮減に自分は賛成であるが、農業者戸別所得補償制度には反対である。

農水省関連の補助金が何兆円ばらまかれようと、自分のような農業者には1円の補助金もない。

農業農村整備事業などは農業者以外の利益につながっているのではなかろうか。

農水省関連の補助金は、自分から見れば異次元の世界の補助金に見える。

補助金は分捕り合戦になってしまい、良い方向には決して向かない。

農水省関連の補助金を全廃して、それらを全て「農業者ベーシック・インカム」として一律に月7~8万円支給して欲しいと思う。

月7万円なら、年間で84万円
月8万円なら、年間で96万円

これだけあれば山の中で1人、自給自足的な生活もできる。


9月12日の朝日新聞で初めて知った「ベーシック・インカム」は衝撃だった。

その後、しばしばベーシック・インカムが頭に浮かんでくるようになった。

65才になってからでなく、我ら現役世代にも平等に年80万円ほどの基本所得を与えて欲しい。

働きたくても働く場所がない。働いても働いても生活が苦しい。そんな現役世代がベーシック・インカムによって救われる。

ベーシック・インカムによってのみ、環境保全型農業が成り立つ。今の農水省関連の補助金ではこれと反対の農業が保護される。

農水省関連の補助金は全廃して、それらをすべて農業者ベーシック・インカムにという思考がボクの頭の中でぐるぐるまわっている。

農業者ベーシック・インカムではなく、日本人全ての一人一人にベーシック・インカムが適用されることこそ、あらゆる問題の解決の道ではないかと思う。

つまり、ベーシック・インカムさえあれば、後は限りなく規制緩和された完全自由競争のベーシック・インカム資本主義を希望する。

ベーシック・インカムをもっともっと勉強しようと思う。

 

 今日は朝から雨。雨が降っていれば農作業はできないので、たまっていた新聞を読んだ。昼飯をはさんで3時頃まで読み続けると結構疲れる。農作業なら1日しても疲れたりしないのに。

 4時頃、田んぼへ行った。雨の日は外に出れないことがわかるのかヤギもあまり騒ぎ立てなかった。ドングリの枝やイノシシに倒された菜っ葉やハクサイを与えた。

 ニワトリにも菜っ葉を与え、他にコゴメ、米ぬか、購入飼料の3種類を与えた。



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 農業新聞にかっこいい写真が載っていたのでアップした。切り倒した丸太を馬が引いて出すという林業がまだ残っているのが宮城県加美町。

 「シー(進め)、ドー(止まれ)」。声を掛けて馬を動かす。

 「シー(進め)、ドー(止まれ)」というのは、当地で50年ほど前まで牛の耕運に使われていた言葉と全く同じである。シーシー、ドードーと父が大声で牛に怒鳴っていた声が記憶に残っている。シー(進め)、ドー(止まれ)が50年の歳月を越えて今でも宮城県の奥地で使われていることに、ちょっと感動した。


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新聞の論調

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 必ず自分が調理するものに、「ふかし芋」と「サトイモの煮物」がある。ふかし芋は蒸し器に入れて火をつけると、ちょうど25分で蒸しあがる。サトイモの煮物は皮をむくのに手間がかかるので家人が嫌がり、食べたい時に自分で調理するようになった。

 ふかし芋があると、間食のパンが減らせる。

 
 新聞は10月から朝日新聞だけにする予定だったが、9月末の新聞の盗難騒ぎで新聞受けの場所を代えてもらい、新しい新聞受けケースを設置してもらったので、明日から2紙やめて1紙だけにしますというのが言い出しづらく、結局、山陽新聞の1紙だけやめ、農業新聞と朝日新聞は継続することにした。

 
 農業新聞にめぼしい記事はなく、自分にとって参考になる記事も少ないが、この国の農業の方向とか流れ、農協の活動などが概略的にわかる。
 ただ、新聞枚数の割りには購読料が2550円と高い。家人の携帯電話代は月に2300円ほどだと言うが、果たして農業新聞とどちらが情報価値が高いだろうか。今の自分の経済状況では両方は保持できないので、どちらか一方になる。

  農業新聞は、政権が変わるまでは完全に自民党寄りの姿勢だったのに、政権が変わって急に論調が変わった。

 同じ読むなら、イベントや事件や地域行事を並べただけの地方紙より、全国紙を読まないと政治が見えなくなると思う。ずっと山陽新聞だけを読み続けてきたが、なぜもっと早く朝日新聞に切り替えれなかったか。家族3人が山陽新聞派だったので多数決で負けていた。
 
 今は読んでいないのでわからないが、政権が変わるまで、山陽新聞も自民党よりの姿勢が顕著だった。

 農業者でも有機農業系の人は反自民の人が多い。慣行農法を否定して有機農業をしているのだから、反自民、反農協というのもわかる。ただ、政権が交替してから自民党も農協も急に変わってきたような気がする。もっと早く変えるべきだった。10年遅いような気がする。現政権がいかにごたごたしようとも、今後10年は旧政権を復帰させてはいけないと思う。

 
 家人が定職につけれていなかったら、今頃我が家は生活苦で路頭に迷っていたと思う。農業収入が低収入でもやってこれたのは、家人の定期収入のおかげである。

 
 生涯を通して、収入を得る能力が自分には決定的に欠けていた。しかし今の世の中で、独立自営業で手取り200万になる仕事があるだろうか。農業で簡単にそれくらいになるなら、若い世代の農業志向は爆発的に増えるだろう。200万の半分の100万の手取りが極めて難しいから、誰も農業に参入できない。
 
 農業に新規参入してうまくいっているのは、ほんの一握りであり、真似はできないと思った方がよい。それくらい農業は多方面の能力を要する仕事である。

 100万円の攻防をしておればよかったから、農業を継続することができた。200万円にしなければならないなら、農業は続けれていない。

 
 サラリーマン社会から完全に落ちこぼれたから、農業がひらめいたのであり、普通にサラリーマンができていたら、農業などしていない。カネにならないのは当時から一目瞭然だったから。

 転職を繰り返して履歴書が埋まってしまい、どこも使ってもらえなくなって初めて農業がひらめき、藁をもすがるような思いでさばりついた。

 家つき、田んぼつき、先生つき(まだ父が健在だった)だったが、自分の能力で農業で食えるだろうかと大いに迷った。迷ったけれど農業以外につけれる仕事はもう見当たらなかった。

 
 今、世の中を見渡して見ても、独立自営業の仕事はほとんどない。これまで集落に何人もいた大工さん、左官さんも全くいなくなった。好きでも嫌いでも、向いていても向いていなくても、組織の一員として働くしか生きるすべがなくなっている。その組織は、卒業時にレールに乗れなかったら、あるいは途中でレールから降りたら、次にレールに戻るのは極めてむずかしい。

 生きる選択肢がどんどん少なくなり、レールにしがみついていないと生きていけない。「しがみつかない生き方」などできない。そして今の自分は農業にしがみついている。なんでもいいからしがみついていないと自分が壊れそう。カネにならないが、しがみついていないともっとカネにならなくなる恐れがあるし、農業以外のことをするのは不安だし、年をとりすぎている。


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稲作農家から返された田んぼ

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 ニワトリがこの「止まり木」を気に入ってくれたようでうれしい。低い位置にも止まり木があるが、たいてい高い位置の止まり木で一服している。

 
 集落内の親戚に委託している70アールの稲作のうち、圃場整備している1枚(28アールほど)を除く10枚(40アールほど)は来年から返すと言われた。つまり稲を作ってもらえなくなった。高齢になったからというのが最も大きい理由だが、この秋、イノシシやシカの被害をかなり受けたことも、山際の田んぼはもう作らないという気持ちにつながったと思う。

 返された10枚の田んぼは、来年からは年に4~5回耕運だけして草を伸ばさないようにする。草刈をするより耕運の方がまだ楽だと思うから。しかし「あぜ草」は刈らなければならない。いらぬ手間が増え、その上、小作料としてもらっていた米も少ししかもらえなくなるのでダブルパンチ。

 年に4~5回耕運だけして田んぼを管理しなければならないなら、何か野菜でも作った方がいいが、作る作物が思い浮かばない。誰か他の人に稲作を委託したいが、してくれそうな人は一人もいない。

 完全に荷物(負債)の田んぼである。しかし売れない。売るには周囲の田んぼの持ち主の了解も必要なのでまず売れない。

 こんな田んぼが全国にますます増えていくだろう。 

 当地でも随分、休耕田(荒地)が増えた。採算が合わないから作ろうとしない。加えて水辺を住みかとする「ヌートリア」の被害も激しいらしい。

 
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 田んぼの周囲の木々が色づいてきたが、イノシシショックで、出かける気がしない。とにかく電柵の設置が終わらないと、気持ちが前に進まない。

 イノシシは電柵で防げても、シカは高くジャンプするので、設置場所を誤れば飛び越えられてしまう。設置して入られたらダメージが大きいので、よく相談しながら進めようと思う。

 害獣の被害から受けるショックは、台風や豪雨や日照りの比ではない。

 害獣の被害は天候の被害と異なり、1年中、そして永遠に続く。その上、害獣は加速的に増え続けている。すでに次の世代が普通に農業などできる状況ではない。



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 ヤギは意外と利口な家畜だと思う。世話係のボクをはっきり識別してくれる。薄暗くなって杭から鎖を外すと、小屋に向かって一目散に走り始めるので、手綱(鎖)をしっかり握ってスピードを少しゆるめる。朝もスムーズに目的地に向かってくれる。
 
 朝田んぼに着いて外に出す時に5分ほど、昼に帰る時に1分ほど、午後来た時に1分ほど、そして薄暗くなって帰る時に5分ほど世話をしている。


 米国で最もよく使われる農薬の一つであり、日本でも使われている除草剤のアトラジンについて、安全性の再評価をすることを決めた。体内に取り込まれた場合、微量でも胎児に低体重や先天異常を起こす可能性が最近の研究で指摘されていることが主な理由。(農業新聞10月24日)

 夕方、イノシシの被害を見に来た集落の人に、電柵を張ったらその下の草刈が大変という話をしたら、ラウンドアップ(除草剤の名)を使やあええんじゃがな。畦に使うだけじゃから問題なかろう。噴霧する時に三角のジョウゴみたいなのを先につければ他へ拡散することはないと言われた。



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農業も環境汚染産業の一つ

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 親戚の法事に出かけていた先で、同じ集落の人から、定年後、兄弟で2ヘクタール余りの野菜を作っていると聞かされた。

 定年後に始めるといっても、休みの日には親の農業を手伝われていたようだから、経験は十分である。

 ここは、秋冬はハクサイとキャベツの大産地だから、投入する肥料の量も、防除暦も決まっていて、それに基づいてしているのだろう。

 産地ではマニュアルがすでに出来上がっているし、競争のようにしてするから、それも一つの気分的な張りになると思う。

 我が家が昔していた「葉タバコ」も、集落の10軒余りがしていて、競争のようになっていた。8月末頃に出荷すると検査で何等か決まり、それが金額にはねかえってくる。どこの家が何等というのはすぐにわかり、作付面積もわかっているから、どこの家にいくらの収入があったかは、つつぬけ。夕飯時に、両親はひとしきり、その話をしていた。

 今は当地では専業農家などほとんどなく、自分は単独で農業をしてきたので、他の人と競争したり、教えてもらったり、互いに情報交換する機会もなかった。

 産地でなくても、近くに似通った農業をしている人が何人かいれば、協力して出荷先を探したり、技術的なことの相談もできる。仲間がいれば競争にもなるし、励みにもなる。

 「郷に入れば郷に従え」という諺もあるが、うまくのっかることができれば、産地の農業は就農したその年から「きちんとカネにする仕組み」ができている。



「水」「土」「空気」についての「安全管理のためのGAP規範」


 欧州の全農家は、適正農業管理(GAP)の規範に示される基本に従って家畜を飼い、作物を栽培する。
 欧州連合(EU)には、過剰な施肥で地下水や河川などを汚染したり、化学農薬の使い過ぎや誤った使用法で環境を汚染したりすることを禁止する法律があり、違反者は激しく罰せられる。
 農業による環境の汚染も、公害同様に「汚染者負担の原則」の考え方だ。英国政府の食糧省は、農業による環境汚染をなくすための指導書として「GAP規範」を発行し、全農家にその実施を義務付けている。GAPはすなわち「農家が守るべき最低限のマナー」なのだ。(農業新聞10月30日)

 
 農業も環境汚染産業の一つとして捉えている、こういう考え方はいいと思う。

 日本だとすぐに「無農薬、無化学肥料=安全」という意識があるが、GAP(適正農業管理)という概念の方が優れている。

 農業者の負担を軽減するためにも、無農薬、無化学肥料という考え方に自分は反対であるし、無農薬、無化学肥料だけが安全の基準と考えてしまう危険性も大きい。例えば無化学肥料でも素性のわからない有機肥料を大量に使うような農業では、その方が安全性は低い。

 GAPは、いつ、どのような作物に、どれくらい使ったかを表示するものであり、これによって多くの農産物の履歴が赤裸々になる。日本ではこの点が著しく遅れている(劣っている)。

 ただ、今までの自分のような「ごちゃごちゃ作り」では、各作物別だと表示方法がかなりややこしいが、年間に使った化学肥料が何袋で価格の合計はいくらか、メタン菌液肥に使った米ぬかとナタネカスは何袋で価格の合計はいくらかの表示は帳簿(金銭出納帳、元帳)を見れば簡単にわかるし、青色申告書には明瞭に表示している。
化学肥料・・・・年間に1~2袋
米ぬか・・・・・・年間に50~60袋ほど、無料
ナタネカス・・・年間に4~5袋


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5年ほど前、岡山市から備前市へ抜ける海沿いのブルーラインが無料化されてから、大型トラック等の国道2号線を通る量がぐんと減ったと、2号線沿いにある行きつけの理髪店の店主が話していたが、昨日も農業仲間から同じ話を聞かされた。

つまり、国道2号線の夜間の通行量が減ったことも、イノシシが国道2号線を渡って南下した原因の一つらしい。

当地でイノシシが出るのだから、すでに岡山県下の90%近い地域がイノシシの被害にあっているだろう。まだイノシシが進出していないのは、海沿いの一部の地域になりつつある。

こんなにイノシシが増えたら、農林業はもうお手上げである。国全体で害獣防御を考える国民運動のようなものが必要と思う。そうでなければ、イノシシ被害に困るのは農林業従事者だけの問題になる。効果的な対策がとられない間に密度は増え、すでに限界を超えている。

ボクのような理工系の能力の全くない人間は農業ができなくなる。

電柵を張っても、それでも突破されるようなら、その時、自分の出荷農業は終わる。

電柵をせばめて自給用だけにし、農業以外の他の収入の道を模索せざるをえない。


ふりかえってみれば、自分の殻にとらわれた、劣った農業を展開してきた。

これぞ農業の理想形と思って、他の農業形態を顧みず、閉じこもってしまった。

経済的に追い込まれて、今頃になって、これではいけないと思い直したが、出荷農業ができそうなのは後10年ほどだろう。


人は誰も心の準備ができないままに命の終わりを迎える

目に焼きついたはずの風景も

もっと見続けたいと願う

この紅葉をもう一度見たいと思う


40年前、この地を開墾して入ってきたのだ

あなたのやってきたことは、誰も真似ができない

誰よりもずば抜けた農業人生だったと思う

もっともっと教えてもらいたかった

誰もがその実力を認めただろう

もうやり残したことがないように見えるが

あなたにとってはまだまだこれからだったのかも知れない

しかし誰もがある日突然に、農業からのリタイアを迫られる


自分の場合はどうだろう

農業のスタートが37才の直前と遅かったから

20年ではまだまだ一通りやった気がしない

これからの10年は農業の理想形を追うのではなく

稼げる農業をめざしたい

その過程で、病気、害獣、経済的理由等でリタイアを迫られたら

受容できなくても受容せざるをえないだろう


受容せざるをえないのはあなただけではない

あなたの家族やあなたの友人たちみんななのだ

受容の重さに、差はあるだろうか

あなたのいない世界を考えたらとても寂しい

しかし同じ時間の中で同じレベルで受容できたら

一人は従容として風になることを受け入れ

一人は風になる時にその時の光景を思い起こす

 


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イノシシの被害で気分が落ち込む

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こんなに田んぼをぐちゃぐちゃにされたら、精神衛生上よくない。Nさんに電話をしたら今月末か来月頭には行けそうだと言われる。

福立菜、チカラ菜、雪白体菜、ビタミン菜、いい菜っ葉ができていたのに、2割ほどしか出荷できそうにない。

踏みつけられた菜っ葉はニワトリに少しずつ与えている。


気分が落ち込んだり、体調がすぐれなかったりする時は、菜っ葉の煮物、サトイモの煮物、レタス、味噌汁、ふかし芋、ユズ茶のような食べ物が食欲をさそってくれる。これらは2~3日食べ続けても飽きがこない。


悪癖が止めれない

身体にいいものをたくさん作っているのに、それを利用せずに、市販のものばかり愛用している。

インスタントコーヒー中毒を、いつかヤギ乳中毒に替えたい。

アンパン好きなのでステビア茶(砂糖湯)を習慣にしたい、

インスタントコーヒーの代わりに、ユズ茶やハーブティを習慣にしたい。

健康のためにそれを心がけた方がいいのに、なかなか悪癖が打破できない。


供養より体裁

お墓のすぐ下にいてもなかなかお墓に上がれない。お盆や正月前、春秋の彼岸くらいであるが、11月15日は「花くらべ」なので、花を供えにお墓に上がらざるをえない。この時期の花は菊くらいしかなく、作っていないので、わざわざ親戚にもらいに行って花を供える。供養よりも体裁。


今後の農作業

エンドウの種蒔き・・・何かと忙しく、雨でまた種蒔きが遅れた。今年からはツルナシエンドウにして、少し多めに蒔くつもり。

グリンピース、スナップエンドウ・・・今年からは自給用に少量だけ蒔く。

ソラマメ・・・今年から作付を止めた。

タマネギ、春キャベツ・・・苗床をイノシシにもくられたため、苗が例年の3分の1ほど。

レタス類の種蒔き・・・17日頃までには蒔きたい。3月中旬頃に定植予定。


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またイノシシの襲撃

冠婚葬祭が続いて出かけることが多い。今日も夕方から、そして明日も、そして土曜日も。

昨晩また、かなりイノシシに荒らされた。前回荒らされたのは10月7日の台風が通過した晩だったが、今日は2回目。その間にも出没していた形跡は、あぜ岸や果樹の根元を見た時にわかっていたが、野菜の被害はあまりなかった。

今日は前回の襲撃から1ヶ月ほど経過しているが、荒れた大雨の夜という状況は同じだった。イノシシは雨の日を好み、雨の日に被害が多いと聞いたことがあるが、まさにその通りの状況だった。


イノシシが始めて当地に現れたのは3年前の8月末である。

近辺の田んぼのサツマイモが軒並み被害を受けたのを知って、農機具店に依頼し9月1日に電柵を張ってもらった。

その後今日まで3年余り、サツマイモ畑に電柵を張るだけで、他の作物にはほとんど被害はなかった。

ただ今年の1~2月頃、麦畑にシカやイノシシらしい足跡がいっぱいついて、麦をかなり食われ、ホウレンソウも被害にあっていた。

しかしいろんな作物にこれほど被害が出たのは10月7日の夜が始めてで11月10日の夜が2回めである。

今日はまたかなり気分が落ち込んだ。でもどうすることもできない。

電柵は友人に距離等を測ってもらって、注文もしてもらっているし、農作業が一段落したら来てもらって設置を頼んでいるが、肝心の自分の方の準備がまだ整わない。

つまり、電柵を張るための竹薮の竹や雑木の整理であるが、半日かかりっきりで、後2日ほどかかる。


秋冬作の3分の1ほどが被害を受けた。こんなにやられると投げやりな気分になる。

電柵ができたらまた気分が違ってくるだろうが、電柵を張れば、週に何日かは電柵の下の草が伸びて漏電しないか見て回るという、余分の手間がかかってくる。草刈の回数も多くする必要があるし、杭の下の草は草刈機は使いづらいので手刈りする必要もある。

イノシシやシカの出現は、費用も手間も大きく増やす。

でもどうすることもできない。増え続けるだろう。

そして次の世代は、家庭菜園でさえするのが馬鹿らしくなるほど、害獣の被害が増えるだろう。 

とにかく後10年、どんなにかして自分の畑の被害だけは食い止めなければと思う。

誰も助けてはくれない。

行政や農協には何の期待もできない。

集落で防御するという発想もまだ起きない。みんな家庭菜園だから、集落の出仕事で防御柵を設置し、各戸で費用を負担するという考えは、まだまだ先のことになるだろう。

ただでさえ収入にならないのに、害獣に対する手間がこの先どんどん増えていくことを考えると、ばからしくなる。

20年やってきて安定どころか、農業を続けることがますます試練になっている。

それでも後10年は農業を続ける必要がある。60才が近くなるとバイト先も少ないし、仮にあっても時間給が高くて800円ではむなし過ぎる。今まで20年間、農閑期でもバイトをしていないのに、今頃になってできるとも思えない。

がたがた言っても、農業からは離れられない。離れたら自分が壊れてしまう。なけなしの年金がもらえる65才までは農業収入でつなぐ必要がある。


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簡易水道

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農業は投下労働、投下資本の割に、年収が少なすぎる。

農業に投資したら取り戻せない。機械は機械を呼ぶ。
稲作の農具を見ればよくわかる。

ハウスを持てば、台風の心配が新たに発生し、ビニールの廃棄処分料の問題も発生する。下手をすれば農閑期さえなくなる。ハウスでは雨水は期待できないので、水を入れるエンジンポンプのガソリン代も新たに発生する。

大きな設備投資を背負い込んではいけないと思う。これでは農業が止めれなくなるし、農業形態の変更もできない。

農家の設備投資としては200万円ほどが限度と思う。自分の場合でも最初の1年余りの間に、軽四、管理機、物置、鳥小屋で120万円ほど必要になり、その後、エンジンポンプとチェーンソーと草刈機で20万円ほどの投資が必要になり、その後、井戸と井戸の小屋(10万円、台風で吹き飛んだ)で37万円ほど必要になり、その後、電柵で8万余り必要になり、ここで追加の10万余りの支出が必要になっている。これらの合計でも200万ほどになる。 
 
設備投資をすればするほど、それに付属する小さな経費もいっぱい増えていく。


簡易水道

我が家にはまだ「簡易水道」が残っている。集落の10軒ほどで共有している簡易水道であるが、家のすぐ東の山の中腹から湧き出ていて、今まで切れたことがない。ものすごくありがたい湧き水である。
(1)毎日ペットボトルに入れて水筒代わりにしている
(2)ニワトリの飲み水と、ヤギの飲み水と、収穫野菜の打ち水に使う(16ℓの容器に入れて持参)
(3)出荷当日や前日が雨の時、泥だらけの野菜を洗う
(4)自給用のサトイモやダイコンやニンジンを洗う
(5)風呂水に使う→下水道代はかかってくる
(6)洗濯水に使う→下水道代はかかってくる


待っている生き物がいることは「束縛」と「負担」になるが、くず野菜のリサイクルのためにニワトリは「必須動物」であり、牧歌的風景と癒しのためにヤギがいると楽しめる

束縛と負担と費用の発生は、リサイクルと風景と癒しで相殺される。プラスマイナスゼロなら飼う価値がある。


農作物を作るだけなら楽しい作業だが、農作物を売らなければならない時に能力が試される。


農業の世界で自分が稼げる金額は3~4年の間に見通せるようになるが、その中でベストをつくすしかない。


外は強い雨が降っている。雨は強制的に身体を休ませてくれる。それでも大降りになるまで、電柵設置のために切り倒した竹や椿を燃やしていた。

何か事を起こせば用が増える。
(1)ヤギを飼えば、ヤギ小屋やヤギの遊び場がいる
(2)卵が切れないようにするには、その間をつなぐための鳥小屋がいる
(3)電柵を設置するには邪魔になる竹や木の整理が必要
(4)キーウイを作るには棚が必要
(5)鳥小屋を立体的に使うには止まり木に工夫が必要

少しは大工仕事ができないと「事」が起こせない。これは長い間、自分の農業を制約してきた。今回はUさんの援農のおかげで事が進んだ。


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8年間は井戸がなくても作れた理由

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昼寝をして目が覚めたら、田んぼまで散歩をしてきたという家人が、銀ちゃんは警戒して逃げるのに、ラムちゃんが全然動かないと言う。

夏に病気になってからメスヤギに元気がない。農作業の合い間に見ても、横たわって寝ていることが多い。首もいつも少し傾けている。それでも食欲はあるので大丈夫だろう。

ただ最近は頭突きを見なくなった。元気だったら頭突きをして遊ぶことが多いのに。 

エサは草と木の葉だけ。米ぬかも4ヶ月ほど与えていないし、与えた方がいいらしい「塩」も月に1~2回、申し訳程度に与えるだけ。水だけは小屋に常時置いているが、ほとんど飲まない(草で水分補給が十分できているのだと思う)。

 
  
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今回、白黒のニワトリに変更したのは、今までの茶色のニワトリに飽きたから。18年、茶色のニワトリを飼ってきたので、違った色のニワトリを飼ってみたかった。

11月12日で半年が来るので、卵を産み始めてもおかしくないが、まだその気配は全くない。茶色のニワトリは、
(1)初産、交尾
(2)オンドリどうしの闘鶏
(3)オンドリの初鳴き
の3つがほとんど同時期にあったので、今回もそうだと思うが、まだオスとメスの区別も定かでないから、初産はまだ1ヶ月ほど先になると思う。前回導入したニワトリも初産は7ヶ月が過ぎた頃だった。

ニワトリは1坪(2畳)に8~10羽までと言われるが、高さの空間が大事だと思う。ニワトリは食べる時以外は止まり木にいることも多いので、止まり木が天井近くの高い所や、地べたから1メートルほどの所など高低にたくさんあれば、4坪半しかない地べたでも、空間を有効利用
して2倍の9坪の広さに使える。

今回の「岡崎おうはん」という品種は通常のニワトリの1.2倍ほどの大きさになる卵肉兼用種であり、おまけが4羽も入っていたので36羽いるが、空間を有効利用できれば4坪半でも飼えると思う。



家人は散歩でたまに田んぼに来るが、農作業を手伝ってもらったことは一度もない。農業がひらめいた時も「一人でする農業」だった。二人でする農業など想像もしなかった。夫婦でしている人は主となる方の能力が高い。


田んぼが一箇所にまとまってあり、収穫時も農作業時も「移動」しなくていいのは、ずいぶん楽である。


防御力

20年前、現在のようにイノシシやシカが出ていたら、農業に二の足を踏んだと思う。

現在の農業者はイノシシやシカからの「防御力」という能力も要求される。電柵等を購入する経済力と、それらを設置する設備造作の能力の2つが防御力である。 

動物による被害は台風による被害より数段大きい。

今後は害獣によって「農業からの撤退」を迫られる現実が多くなるだろう。


井戸がなくても作れた理由

田んぼに井戸を掘ったのは農業を始めて9年目の夏だった。
農業を始める前、野菜に水が必要とは知らなかった。雨水だけでできるものと思っていた。

それでも8年間は井戸なしでできたのは、

(1)秋冬作の種蒔きや定植時期の9月12日~9月20日頃には、秋雨前線が雨をもたらしてくれた。→最近はこの時期に雨がほとんど降らないことが多く、9月、10月の少雨が目立つ。

(2)6月15日~9月15日頃の3ヶ月間は池の水を引かせてもらっていた。しかし、梅雨の少雨が原因で池の渇水が目立つようになり、池の水を引かせてもらうのが難しくなった。不本意ながら口論になってしまい、それが「井戸をつくらなければ」という引き金になった。業者に「探り堀り」をしてもらったが1箇所だけ水が出た。それが現在の井戸であり27万円かかった。直径1メートル深さ3メートルほどであるが、雨が長く降らなくても、毎日60~90分はエンジンポンプが使える。逆に言えば、90分で賄える水の量しか夏野菜は作れない。

(3)メタン菌液肥の導入は井戸ができてから後のことである。液肥だから水がないとできない。

(4)4月の育苗時に水がたくさん必要になりだしたのは、スイートバジルの育苗を始めた9年目からであり、それまでは4月、5月にさほど水を必要としなかった。



ニワトリ小屋(4坪半)と物置(6坪)は、就農して1年後に大工さんに建ててもらった(合計41万円)。中島正著「自然卵養鶏」に出てくる鶏舎と同じように建ててもらった。ニワトリ小屋ができる2ヶ月前にヒヨコを姫路まで買いに行き、家の軒下で飼い始めた。

就農したその年に必要になったのは軽四と管理機(ミニ耕運機)の2つだけだった。乗用トラクターはすでにあった。

できた野菜を軽四に積み、7月には近くの団地を引き売りしながら「野菜会員」の募集をした。野菜会員(1パック1500円×月2回配達)はすぐに20軒ほどでき、最も多い時は地元だけで30軒を越えていたが、なかなか「継続して」もらえなかった。地元の会員が続かず、県外の宅配を考え始めたのは3年目の秋からであり、友人や知人や親戚に依頼をした。

8年間は地元と県外の個人の顧客だけであり、ハーブの電話営業を始めた9年目以降からイタリア料理店の宅配も始まった。

あめんぼ通信の小冊子を作り始めた13年目の末から、そっちに力点が移り、個人や業務用の営業活動を全くしなくなり、それが顧客の「ジリ貧」につながり現在に至る。今また「稼ぐ」ことに必死になり始めた。


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若さに打ち負かされそうになる

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海の近くの産直店。今日は土曜日だが、農業者にとって土曜、日曜、祝日は休みではない。雨の日に少し休めるだけ。

ハーブティ用ハーブに関しては、1日50袋、週に5日間、7ヶ月間連続して出荷できる量は定植した。と言ってもハーブは雑草のように伸長するので2アールもあれば足りる。

売れるかどうかは来春4月中旬~11月中旬の7ヶ月間で決まる。

来年中に売れた量がハーブの作付限度面積である。


不得意作物が多いので、ハーブがあまり売れなかったら産直店で他に勝負できそうな野菜がない。


産直店に出荷を始めてから、週に2回は若い農業者に会うようになった。若さに打ち負かされそうになる。それでも簡単に遅れをとるわけにはいかない。20年やってきた自尊心がある。

若い人と対等にやっていくには、「徹底した自分らしさ」を前面に出すしかない。

それは価格や外観だけではない、作物の品格である。直売所に並んだ野菜を見ていると案外感じるものである。

昨日のUさんもKさんも固有のシールを作られている。Uさんの話によると、直売所では出荷物に生産者の名前が表示されるから、いったん信用を落とすと取り戻すのが大変であり、特定の人(ブランド名)の野菜が売れる固定客商売だと言われる。


先日ある人から、数店の直売所に出荷したら、ガソリン代がかなりかかるのではと言われたが、片道30分以内くらいならガソリン代も、要する時間も妥協できる範囲と思う。独力で固定客を確保(継続)できない以上、直売所等へ出荷せざるをえない。


果樹農家と話す場合、反とう(1反あたり)60万とか70万と言う数字が出てくる。つまり1反あたりの稼ぎ高のことであるが、自分の場合も少なくとも「反とう30万」にはしたい。野菜の作付可能面積は3反(30アール)余りある。

来年古希を迎えるUさんやKさんの現在の作付面積は5反ほどであるが、現在5反を軽く?まわしているのだから、40~50代には7~8反の作付だったのではなかろうか。

 

言葉は、忙しすぎても出てこないし、経済的に困窮しても出てこない。

田んぼで歩いた歩数に比例して言葉が出てくるということもない。

どんなに忙しくても、新聞に毎日目を通し、週に1~2日は出歩いたり、農業以外のことに時間を使う余裕を持たないと、早晩、言葉が出てこなくなる。

・・・たら、もし・・・を待っていたら、いつまでたっても言葉が発せない。現在の未成熟な自分を未成熟な言葉で書き連ねるのが作文だと思う。完成した自分を待っていたら死んでからでないと書けない。40才で書かなければ60才になっても書けない。功なり名を遂げてから書こうと思うなら、それは自慢話になるし、だいたい凡人は名を残せない。だから現在の未成熟な自分や不完全な言葉を今書くしかない。


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まねる力

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ここはお茶で有名な美作市の海田高原。紅葉にはまだ少し早い。この近道を通り、今日は美作市のUさんの田んぼを見せてもらいに行った。我が家から1時間半ほどかかる。


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15年ほど前に山陽新聞でUさんのことを知り、何回か訪問させてもらったことがある。今日は知人を案内して数年ぶりの訪問だった。

今は主に地域の直売所へ出荷されている。直売所ではタマネギ苗、キャベツ苗、イチゴ苗なども売り、米やお餅も売られているが、主体は野菜である。

作付量は野菜が5反(50アール)ほどで年間を通してコンスタントに出荷されている。ボクより2反も多く、その上、米も4反ほど作られている。

化学肥料は一切使わない有機栽培、ただ特定の野菜には農薬を少し使われているようだった。

 
 
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Uさんからの帰り道、赤磐市のKさん方にも立ち寄らせてもらった。画像はKさんのメイン作物であるニンジンとホウレンソウ。完全無農薬で、肥料は画像のメタン菌液肥。自然食品店と生協に出荷されている。作付量はUさんと同じく5反ほど。冬の農閑期にはネパールへ農業指導にもう20年行かれている。

どちらの方も来年「古希」を迎えられる。年令は同じ。

どちらの方もかなりの有名人である。

2人の接点は今までなかったのだろうか。お互いご存じないようだったが、距離は近く、車で30分ほどである。


帰り道の車の中で、自分は何が足らなかったのだろうと考えていたら、

浮かんだのが「真似る力」だった。

2人にはいろいろ教えてもらいながら、技術的なことはほとんど真似ることができなかった。

農業ができる人は、この「真似る力」がある人だと思う。

ボクは何回教えてもらっても、真似ることができない。

紐結びが全くできないように。

メタンガス発生装置(メタン菌液肥)の仕組みも何回聞いても理解できなかった。

それぞれ学びに来られている人は多いので、彼らから見れば、誰がどのくらいやってのけれるか(伸びるか)、一目瞭然にわかるだろう。

相当の遠方からでも指導を受けに来られているようである。


やはり農業は理系の人の職業だと思う。

真似ることは簡単だと思うかも知れないが、農業において、これほど難しいことはないと思う。

そんなに簡単に真似れるのなら、皆が皆、農業で食える。

真似れないから、大多数の人が農業で食べていけないのである。

できる人から見れば、こんなに丁寧に教えているのに、なぜできないのだろうと思うかもしれない。

しかし、真似ができない人から見れば、真似ができないのである。

確かに自分は、Kさんのメタン菌液肥は真似ているが、メタンガス発生装置は作れないし、ニンジンやホウレンソウは未だに苦手作物の筆頭である。

真似れる人が農業の世界で生き残っていく。

真似れる人はちょっと教えてもらったり、現場をみせてもらえば、その後は自分でできるようである。

慣行農法でも有機栽培でも、真似ることは本当に難しい。

例えば、就農準備期間中に、果樹園や施設園芸等、いろんな農業形態を見せてもらって、これなら自分でもできるだろうと思えた農業形態だけしかできないものである。

自分の場合のそれは、
(1)規模は30~40アールほど
(2)果樹は無理
(3)ハウスも立てれそうにない
(4)単一作物を大規模に作ることも自分には難しい

できると思ったのは、多種類をごちゃごちゃ作る方法で、できるだけ有機栽培で、単品ではなくセット野菜で、ニワトリを飼い、顧客に直接売るという方法だけだった。そういう農家の本を読んで「これしかない(これならできる)」と思った。


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ハーブの株分け

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ユズが色づく季節になった。半分に切ったユズをカップに入れ、沸騰した湯を注ぐとおいしい「ユズ茶」のできあがり。

インスタントコーヒーとユズ茶のカップを並べ、ふかし芋を食べながらブログをしている。農家であることの幸せ。


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農業への転身も、ヤギの導入も、農業形態の変更も、借家探しも「タイミング」があると思う。タイミングを逃すと、できるかどうかわからなくなる。

タイミングをうまくつかめるかどうかは、日頃の精進が関係すると思う。

100万円を目標にする農業と、200万以上を目標にする農業とでは、まるで異なる。100万なら凡人でも何とか稼ぐことができても、200万は難しい。


ハーブの株分け

来春に備えてのハーブの株分けが終わった。

初霜(11月23日頃)が降りる2週間ほど前には終わらせたい作業である。

直売所では、ハーブティ用ハーブを中心に組み立てようと思う。

ナスビ、ピーマン、キュウリ、ナンキン等では、その安さに対応できない。

直売所は安売り競争になってしまう面もある。

かといって、奇をてらった作物は売れるかどうかわかならい。

1年やれば、ハーブティ用ハーブがどれくらい売れるかわかる。

株分けしたのは下記の6種類である。(注、レモンバーベナとセイジは株分けより挿し木で増やす)

(1)レモンバーム
(2)レモンバーベナ
(3)レモングラス

(4)タイム類(レモンタイム、コモンタイム)
(5)ミント類(アップルミント、ブラックミント、スペアミント)
(6)セイジ


その他のハーブは、

カモミール・・・タマネギのコンパニオンプランツであり、タマネギの畝間に植えるが、至る所で雑草化している。花を利用するので収穫期間が短い。

ステビア・・・湯のみに入れ湯をそそげば、甘い砂糖水ができる(株分けが簡単)。

ルバーブ・・・茎をジャムにする。6株が30株以上に分割できた。売れるかどうかこれも1年で判断できる。ハーブティ同様、需要の喚起が自分にできるかどうかが大きなポイントになる。



売れ残ったキクイモは土の中に埋めた。キクイモはジャガイモのように掘りあげて5日間ほど経過すると皮がかたくなるので、皮をむかずに調理するキクイモは5日経過して売れ残ったら来春の種芋にする。

ムラサキイモは後日また出荷する。袋に入れているので人の手にも触れないし、洗わない限り年内は劣化しない。10度以下が続き出すと次第に劣化する。

スーパーの直売に2回出しただけだが、手間の多さと売上金額の少なさ(野菜が少ないせいでもあるが)に、早くも自信喪失気味。ワンパック宅配(個人用と業務用)を週1回だけでも残そうか迷っている。

ブログ上ではワンパック宅配を止めて直売所出荷に変更を公言しているが、顧客にはまだ報告していない。今期(自分の場合は5月連休明けからスタートして翌年2月末に終わる)が終わる来年2月末までもう少し考えてみようと思う。


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直売店出荷 2回目

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今日、直売店へ出荷した。

タマネギ700g (単価120円×6袋) ボードン11号の袋
紫イモ750g  (単価190円×4袋)  ボードン12号の袋
キクイモ350g (単価120円×10袋) ボードン10号の袋
ビタミン菜200g(単価90円×18袋) ボードン12号の袋
ハーブティ用  (単価90円×5袋)  ボードン11号の袋

これが全部売れたとすると4750円。自分の取り分は4750円×85%=4037円。

前回に出荷したムラサキイモは18袋のうち10袋が売れ残り、キクイモは18袋のうち4袋が売れ残った。売れ残りは回収し、今日新たに出荷したのが、上記のようにムラサキイモ4袋とキクイモ10袋である。

ハーブティ用ハーブは前回4袋出荷したが、全部売れたのかどうか定かではない。菜っ葉類は2~3日で劣化するが、ハーブも同じであり、見栄えが悪くなった時点で処分される。

サツマイモとキクイモは今日も洗わなかった。洗う手間も取れないし、洗うと日持ちがしない。

ビタミン菜はKさんに勧められた菜っ葉で、他にシャクシ菜(雪白体菜)、チカラ菜、福立菜を勧められて蒔いた。

このスーパーの産直に出荷している自分以外の6人の生産者は、同じ瀬戸内市の30代、40代の若い農業者である。野菜にも出荷量にも勢いがある。

 
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左が直播きした菜っ葉、右は育苗して定植した菜っ葉。

これらの菜っ葉を順次、直売店に出荷する予定である。

右の画像のサニーレタスは種蒔き、定植が少し遅れた。

株張りシュンギクとロケットは11月20日頃から出荷するつもり。

他に出荷できるものがない。ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブはワンパック野菜用だから、他へはあまり回せない。ニンジンはイノシシにもくられたので収量は半減するだろう。

 

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出荷の日に朝7時頃に起きたのでは、のんびりしすぎである。しかも朝飯を食べて田んぼに出た。田んぼに到着するとすぐにヤギを外に連れ出す(メエ~メエ~とうるさいので)が、ニワトリに餌をやる時間はなかった。午後、与えた。

菜っ葉は初めて出荷したが、袋に入れるのが手間取った。直売店で合流した時に尋ねたら、菜っ葉を入れる袋はボードンの袋ではなく、上部が少し広がった菜っ葉専用の袋があるからそれを使うように教えてくれた。その袋の下部の隅の2箇所には水抜き用の小さな穴があるが、ボードンの袋には、サイドに空気穴はあっても、下部の隅に水抜き用の穴はなく、ボードンの袋は根菜類や夏の果菜類を入れる袋だと教えてくれた。

サトイモ、ヤーコンは誰も出荷していないし、サツマイモ、キクイモも自分以外は出荷していない。特にサトイモは採算が合わないと言う。

自分はワンパック野菜のサトイモは1キロ400円にしているが、中国産のサトイモは1キロ100円を切っている。


午後、ワケギ、ニンニク、ラッキョを植えた。10月下旬を予定していたが、ちょっと遅れた。主に自給用である。

株分けして定植したアップルミント、ブラックミント、スペアミントが、秋冬雑草に覆われて負けそうになっている。黒マルチをしてもう一度植えなおそうと思っている。


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気持ちのブレ

電柵を張る前に、道沿いの竹や雑木を切って整理する必要がある。電柵を張ってからでは作業がやりづらい。切った雑木は乾いてから焼却する必要もある。

ヤギを飼えば、遊び場のような少し広い空間を作ってあげたいと思う。

直売出荷を始めようと思えば、野菜を入れる袋や、袋を閉じるバックシーラーや卓上シーラーのような備品も必要になる。


とにかく、事を起こせば、それに付随した費用や手間が発生してくる。安価な費用や簡単な手間ではなく、自分のポリシーを曲げざるを得ない事態も発生する。

それが大きなストレスになったり、気持ちのブレにつながったりする。

(1)出荷する野菜は今まで洗ったことなどないのに、直売所出荷では洗わざるをえない場合が出てくる(特に根菜類)。
(2)新聞紙でごそっと包むだけだったのに、きちんとポリ袋に入れる必要がある。
(3)少々の傷や外観の多少の悪さは気にせず出荷していたが、直売所出荷ではそれは売れない原因になる。
(4)選別にやたらと時間がかかってしまう。

そんなことを考えていたらばかばかしくなった。自分の今までやってきた価値観と異なる価値観も受け入れていかないと直売所出荷はうまくいかない。

慣れていかなければならないのだろうか。それとも嫌になってしまうのだろうか。


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都市生活者の田舎暮らし術

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左のネットで囲んでいるのが7羽の鳥小屋。隣接した右がオスヤギの小屋。メスヤギは物置の4分の1を小屋にしている。



農業者であり続けるには、トータルの力が必要と思う。

(1)野菜や果樹を作る力
(2)野菜や果樹を売る力
(3)同業者とつきあっていく力

ボクは(3)が弱い。これができないと損をする。販路の紹介や同業者とのネットワークも広がらないし、情報も入ってこない。

(1)に関しては、農業者はみんな忙しいので、手取り足取り教えてもらえるわけではない。できる人(やってのけれる人)は、ちょっと見せてもらったり、ちょっと教えてもらえば、その後は何とか自分の力で進めることができる人なんだと思う。

自分の場合、例えば農作業でよく使う「紐結び」をその場で3~4回連続して教えてもらっても、全然結べない。

身近なことでは、
(1)メタン菌液肥を担ぐタゴの紐
(2)稲ワラを軽四に高く積んだ時のロープの結び方

紐結びは教えてもらっても覚えれないのであきらめた。


(3)の同業者とつきあっていく力は、自分の場合は地元だから、人付き合いが悪くてもやっていけるが、都会からの移住者だと(3)ができるかできないかで、その後の展開が違ってくるように思う。


移住地探しも簡単ではない。田舎へ移住するには何らかの「人づて」がないと地域に入るのは難しい。田んぼは地域の人の仲立ちがあれば、低料金で貸してもらえることも多いが、借家となると、間にたってくれる人にかなり骨折りをしてもらわないと前に進まない。


有機農業系では行政や農協の支援は期待できない。ほとんど食べていけない農業形態を支援しても意味がないからである。

有機農業系で入るにしても、
(1)農業を主体にするのか
(2)アルバイトを主体にするのか
(3)半農半Xを主体にするのか
の3つのパターンがあると思う。いずれにしても年収100万円の世界だろう。田舎に来てもあくせく働き続けるのなら、田舎移住の意味がない。だから年間100万ほどで生活がまわっていかないと続かなくなる。

友人の一人は単身であるが年30万あれば楽にやっていけると言う。内訳は大きな一軒家の家賃が月5千円、電気代、ガス代、電話代(固定電話で携帯は持っていない)のライフラインが月に1万円以内。水道は簡易水道なので無料。家賃とライフラインで年間に18万円。残りは軽四の維持費と食費等。

何年かかけて「田舎暮らし術」を身につけていくしかない。稼ぐ能力はなくても、少ない金額で生きていける能力があれば田舎暮らしはまわっていく。


元々の地元だから、他所から入って来られる人の苦労を知らない。多くの移住者は、考えて、計画して、熟慮して、年数をかけて田舎移住を実現したのではなく、流れの中でたまたまそこに住むようになった、あるいは、結果的に長く住んでいるから当地が合っているのだろうといった「成り行きの移住」が多いように思う。

移住して何年か経過してみないことには、水や空気や風景が合うかどうかわからないし、2箇所同時に住むことはできないので比較もできない。

もちろん、借地借家は最低限の常識だろう。田舎では空き家や耕作放棄地が加速的に増えているから購入する必要はないし、購入すると土地や家屋に終生束縛される。


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思考の断片(2)

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『200万にはならないだろうが、150万くらいにはなるだろう』、就農準備期間中にはそう考えていた。現実はその半分にしかならなかった。

『農業には向いているが、能力はかなり劣る』、就農準備期間中にそれもはっきり感じていた。

やっぱり、最終的には技術力だと思う。ある程度見栄えの良い、味のよい野菜を、一定量作るという技術。

その技術力を磨いてこなかった。

磨く機会がなかった。

そんなに磨かなくても間に合った(売ることができた)。

しかし直売所出荷となると、今までのような野菜では売れない。

作り方をもう一度教えてもらおうと思う。


20年してきたが技術力はほとんどあがっていない。しかし長年の経験で、当地ではどの野菜に、いつの時期に、どんな病気や害虫が多いかわかっている。

作りづらい野菜、作りやすい野菜もわかる。

台風の影響を受けやすい野菜、受けない野菜もわかる。

また、不得意作物、得意作物(これは少ない)もすっかり定着してしまった。

アブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)のうち、カブは特に虫害が多い。そしてカブは出荷する時に「葉つき」が望まれる。

来年からはハクサイ、キャベツ、ダイコンの3種類にするかもしれない。ダイコンがあればカブはさほど食べない。

草の少ない冬に、ハクサイとキャベツはニワトリとヤギの餌にもってこいだが、カブはそれほどでもない。たくさん作れば、商品価値のないハクサイとキャベツも比例して多くなるからそれらは緑餌にまわす。


2頭飼えばヤギの特性がよくわかる。それぞれ個性が違う。オスは愛想がよく表情が豊かであるが、メスはあまり愛想がなく表情もオスほど豊かでない。

雨が降り出したり、夕暮れになると、メエ~と鳴いて小屋に戻りたいことを促す。鎖をはずすと小屋の方に向かって一目散に走り始める。まだそのスピードについて行ける。

朝も、右方向か左方向か、方向だけ決めてやれば、前日につながれていた場所に向かって小走りになる。今月で満1歳が来る。


サツマイモに使っていた黒マルチを片付けながら、黒マルチが必須のこの作物は、止める(友人から買う)か、自給用の少量だけにしようとつくづく思った。畝上には新品、畝と畝の間は使い古しの黒マルチを使っているので、片付ける時にかなり時間がかかる。

サツマイモの他に、サトイモ(水の要求量が多すぎる)、ヤーコン(天候に大いに影響される)も自給用だけにしたい。

サツマイモとサトイモの入らないワンパック野菜(セット野菜)は考えられない。


机でうんうんうなっても、いい知恵は浮かばないが、田んぼだと、一瞬、ひらめくことがある。田んぼの土の上では身体と頭がリラックスしているせいだと思う。革靴ではない地下足袋の感触は大地との一体感になる。

バニシングポイント(消滅点)まで、一介の百姓でありたい。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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