右の画像は昨日したビワの取り木。
産直(春夏作)のシミュレーションをしてみた。
ナスビ(20本定植)・・・・・・・・・・収穫時間(5分)
ピーマン(20本定植)・・・・・・・・収穫時間(5分)
オクラ(120×4本立ち)・・・・・・収穫時間(10分)
エンサイ(300本定植)・・・・・・・収穫時間(20分)
ツルムラサキ(270本定植)・・・収穫時間(20分)
青シソ(66本定植)・・・・・・・・・・収穫時間(10分)
この3種類は3分の1ずつ収穫する
アップルミント(20メートル)・・・収穫時間(10分)
レモンタイム(20メートル)・・・・収穫時間(10分)
合計面積・・・・・・・・7アールほど
収穫合計時間・・・1時間30分
仕分合計時間・・・1時間
出荷・・・・・・・・・・・・週に5日間は出荷したい
ナスビ(3~4本)・・・・・・90円×5単位=450円
ピーマン(150g)・・・・・・90円×5単位=450円
オクラ(10個)・・・・・・・・90円×10単位=900円
エンサイ(200g)・・・・・・・90円×20単位=1800円
ツルムラサキ(220g)・・・90円×20単位=1800円
青シソ(適量)・・・・・・・・・・90円×20単位=1800円
ミント・タイム(適量)・・・・・90円×20単位=1800円
これで合計100単位になり9000円。農閑期もあるので、少なくとも1日にこれくらいは売らないと、目標の手取り100万円には届かない。
スーパー、ホームセンター、JAの直売所の3箇所に交互に置かせてもらおうと思う。
差別化商品として、直径3センチほどのシールを作ろうと思う。ブログ・あめんぼ通信と2頭のヤギの画像。
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今日、Uさんの指導を受けながらビワの「取り木」をした。
グーグルで検索して、「取り木」の方法を紙に書いておいたが、その必要もなかったくらいUさんは「取り木」にも詳しかった。
15本ほど「取り木」をした。画像は明日。
ビワの実が目的ではなく、ビワの花(蜜蜂の特に重要な蜜源)と、ビワの葉(ヤギの好物)が必要だから。
実を取るにはきちんと整枝したり、農薬を散布したり、袋掛けをしたりの四季の管理が必要である。花を楽しむ目的(たとえばサクランボ等)なら放任栽培でよい。
カラスも絶えず狙っているので、口に入れるのは安易ではない。
昼にホームセンターから「必要な書類が届きましたので、いつでも野菜の出荷をしてください」という電話をもらった。ありがたい電話だった。
農協の10月号の「ぱれっと」という広報誌に、「直売所会員登録申込み希望者への説明会」というチラシが入っていた。10月8日午前10時から農協支所で開かれる。
直売所に出すようになると、ここ5年ほど作っていなかったアブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)以外の菜っ葉類(ほとんどがアブラナ科に属し、害虫が多い)も作って見ようと思う。
すでに蒔いたのが、山東菜、ナバナ、ミズナ。
今日蒔いたのが、ビタミン菜、ちから菜、雪白体菜(別名しゃくしな)で、ホウレンソウ(アカザ科)も蒔いた。
蒔き方は、
(1)直播
(2)地床育苗し、定植
(3)ポット(連結ポット)育苗し、定植
という3方法を比較している。
定植の場合は、黒マルチを敷いて定植する。黒マルチを敷いておけば、出荷の時に洗わなくてもすむし、生育がよい。
ボクは(2)の方法を好む。(1)はあまり得意でない。
(2)の方法は収穫・仕分が早いし、1ヶ月弱の育苗期間中に農薬を使うことがあっても、ごく小面積だから少しですむし、定植期の10月中下旬頃には害虫の被害が少なくなり、定植後は農薬を使わないですむ。
直播だと、アブラナ科野菜の場合、面積的に農薬が広範囲になってしまう。
今日、ヤギパドックの構想をUさんに説明した。「このようにしたい」という自分の考えを述べて、それがいい方法であるかどうか、Uさんの判断を仰ぐ。
周囲が60メートルだから、1メートルおきに60本の杭と、メッシュの支えに3段×60メートル=180メートルの竹と、外から杭を支える少し長い杭を2メートルおきに30本用意する必要があると言われた。
竹の切り時は10月、杭の木の切り時は11月、12月頃からパドック作りに取りかかる。話を聞いているうちに、これはかなり手間のかかる作業であり、来春の3月までに完成できるかどうかわからないと思った。
その他に、ミツバチの巣箱作り、シイタケの原木切りもある。
直売所に出荷するようになったら、作物を少し絞ろうと思う。20年ほど農業をやっているので、どれが得意作物でどれが不得意作物かは身に沁みてわかっている。何回も書いてきたが、
(1)エンサイ
(2)ツルムラサキ
(3)青シソ
(4)株張りシュンギク
(5)不結球レタス(サニーレタス、チマサンチュ)
不得意な作物が圧倒的に多いが、その中では上記5種類が得意な方。
その他、
ツル有りエンドウでなく→ツル無しエンドウを作る
晩生タマネギでなく→病気を逃れれる早生タマネギに絞る
春キャベツは早生品種でなく→4月中旬取りの極早生品種
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このヤギ小屋から自由に出入できる2アール余りのパドック(放牧場)をこの冬の間に作ろうと思う。今日、周囲を囲う「メッシュ(鉄柵)」をコメリで購入した。1枚が398円の値引販売中で、31枚購入して12000円ほどだった。
このメッシュは縦1メートル横2メートルで、田んぼの周囲は60メートルなので、31枚あれば囲える。メッシュを支える杭は山の木を切り出す予定。
25メートルほどの細長い田んぼなので、ヤギが全速力で走れる長さがある。ヤギが喜んでくれると思う。
ただ、パドックができても、自分が田んぼにいる時は従来通り、パドックの外に鎖でつなぐ。パドックは早朝とか、出荷の朝は忙しいのでヤギを外に連れ出す時間が取れないので、出荷が終わるまではパドックで遊んでもらう。
メッシュは厚さ5ミリの鉄棒であるが、腐食に弱いので、いつまで持つかわからないと言われる。
小屋の前にある現在の小さなパドック(3坪ほど)には、ヤギの好物の「オオバコ」なども生えているのに食べない。ヤギは清潔好きで、自身の糞尿が何度もついたものは食べないのかも知れない。
鳥取県方式のヤギ小屋を作ってからは、こっちの小屋で寝なくなった。こっちの方が広々としているのにヤギの好みはわからない。そして今こっちの小屋は糞尿をする場所になっている。
ヤギを放す場合、電柵でもよいらしい。サツマイモの電柵があく予定なので、ヤギ用にまわすことも可能であるが、電柵に触れさせて覚えさせ、電柵を怖がる(電柵の外に出ないようにする)ように仕向けるのが、ちょっとかわいそうで、今は使えそうにない。
2アール余りのパドックが完成すれば、1~2日留守にしても、ドングリの木などを大量に投げ込んでおけば、ストレスは感じないと思う。
ヤギはほとんど水も飲まないので、雑草と樹木の葉だけで飼育が可能。
2アールほどの条件の良い田んぼをヤギに提供するわけだが、田んぼはかなり空いているので問題ない。それよりも、毎朝田んぼに着いた時、牧場で三々五々草を食んでいる姿を想像すると、今から楽しみである。
自分は作れそうにないので、Uさんの援農に依存。
サツマイモの作付を止める理由
(1)電柵の設置にかなり手間がかかる。
(2)漏電するので、電柵の下の草刈が頻繁に必要。
(3)サツマイモは黒マルチが必須で、環境的にもあまり好ましくない。畝間にも使い古しの黒マルチを敷くので、片付けるのが相当に大変である。
(4)おいしい品種の芋には野ネズミの被害が多い。
(5)堀り上げが結構大変な作業である。
(6)田んぼで作る芋なので、総じて味がよくない。特に「ベニアズマ」は甘味が全く乏しい。これでは出荷しづらい。
(7)ムラサキ芋を主体に作っているが、収量が多く、外観も良い(甘味が乏しいので野ネズミの被害が少ない)が、加工用に使う業務用ならいいが、個人客に出す場合は出荷しづらい。
(8)1キロ300円で出荷していたのでは、とても採算に合わない。1キロ400円でももう作りたくない。
(9)しかし、ワンパック宅配なら必須野菜。
(10)田んぼで作っても「高系14号」という品種はおいしいが、晩生品種であり、収量も少ない。
(11)芋はイノシシやアナグマが特に好物であり、茎葉はシカが好物であり、上も下も害獣に狙われる。
(12)1キロ300円くらいで購入できるなら、15キロ(4500円)ほど友人から購入すれば1シーズン食べれる。
(13)ツルが伸びて、かなりの場所を占領する作物である。
(14)当地では温床でなく冷床で苗作りが可能なので、苗作り自体はさほど手間はかからないが、種芋の保存が難しい。
(15)サツマイモは品種によってもかなり味が異なるが、やはり「土の力」が最も大きいと思う。田んぼで作るサツマイモはまずい。まずい芋は出荷がしづらい。
(16)サツマイモほど生産者によって味の良し悪しが顕著に現れる作物はない。他人のおいしい芋を食べると作りたくなくなる。山の赤土で作ったサツマイモはびっくりするほど甘い。
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知っている農業仲間のほとんどが、ワンパック宅配から撤退し、それぞれ、専門農業型に転換していった。
自分にもその時期が来たのかもしれない。
昨日、スーパーへの農家の直接販売を見せてもらって、なおさらそう思った。
苦手な作物は自給用だけに減らしたい。
逆に得意な、もしくは不得意でない作物は何倍にも増やしたい。
毎朝3時間(6時~9時)を収穫・仕分け・持ち込みにあて、午後からは通常の農作業をするというリズムにしたい。
農協やスーパーやホームセンターでの産直出荷なら、当日どれくらいの売上になったか当事者ならすぐに計算できる。
1日1万円は売上をしないと、目標の年間100万円の純売上(手取り収入)に届かない。その計算根拠は、
週に5日間、1日1万円売り上げたとすると、月間売上は約20万円。
3月、4月は野菜の大きな端境期なので、出荷できる野菜がないとすると、年間では20万×10ヶ月=200万円。
産直ではたいてい、売上の15%の手数料(店舗料及び販売人件費)を取られるから、200万円×85%=170万円
年間農業経費は自分の場合、合計60万~70万円で推移する。
つまり、170万-70万=100万(手取り収入)という計算になる。
すなわち、産直出荷を始めたら、週のうち最低5日間は出荷(土曜、日曜は稼ぎ時だから休まない)をして、1日平均1万の売上という「臨場感」のある勝負をしていかなければならない。
たとえば、
ハーブティセット90円×20袋=1800円
青シソ90円×20袋=1800円
ツルムラサキ200g・90円×25袋=2250円
エンサイ250グラム・90円×25袋=2250円
オクラ10個・90円×10袋=900円
ナスビ3本90円×5袋=450円
ピーマン200g90円×5袋=450円
これだけ売れば約1万円の売上になる。産直では「90円」という単価設定が多いようである。
タマネギ、ジャガイモは新タマネギ、新ジャガイモの旬の時期に一気に出してしまう。
キュウリは苦手なので自給用だけにする。
ニガウリ、トウガンは作付を止める。
ナンキンは従来通り20本ほど定植。
サツマイモは作付を止める。
サトイモ、ヤーコンは自給用にとどめる。
以上、ちょっとシミュレーションしてみた。
ワンパック宅配の場合、
(1)送り状(送付先)の記入が意外と手間。
(2)納品書、振込用紙の記入に結構時間がかかる。
(3)産直にはない箱詰めという作業が別途加わってくる。
(4)宅急便の営業所へ持参するのも、産直でスーパー等へ持参するのも同じくらいの時間を要する。
(5)ワンパック宅配の場合、先方に送料を負担してもらうので、2~3品のサービス品を入れた方がよい。
(6)ワンパック宅配だと、1種類を多くは送れない。
(7)当日の出荷分より多く収穫できた場合、ワンパックでは多い分だけ無駄になる。
(8)ワンパック宅配の場合、最短でも翌日の午前中着だが、産直の場合は当日。
(9)産直の単価もワンパック宅配の単価と同じくらいに設定できる。
こう見てくると、ワンパック宅配より産直の方がかなり有利販売。
15年以上にわたって支え続けてくれている野菜の個人客も何人かいるが・・・。
5年目の老婆なのに、驚異的な産卵率をキープしている。今日は6個。7羽しかいないのに。
エサは、ヌカ漬け、購入飼料、雑草、ナンキンやサツマイモのくず。
液肥を6荷ほど担いだ後、米ぬか5袋、ナタネカス半袋ほどを投入し、井戸水をポンプアップしてよく攪拌した。半分残して仕込むが、今の時期なら、次に使えるのは10月15日頃。
ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ、こういう野菜は産直ではあまり売れないような気がする。
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秋を代表するコスモスと彼岸花。
今年は景観作物としてコスモスとヒマワリの種を購入していたが、コスモスは忙しくて蒔けず、ヒマワリは蒔いたものの草に覆われて大きくならなかった。
やはり換金作物でないと力が入らない。来年は種を買わないが、その代わりキクイモを3アールほど作付する予定なので、右の画像のような花を無数に楽しめるだろう。
野菜を入れるポリ袋を買った
コメリで野菜を入れる「袋」と、袋を閉じる「テープ」と、そのテープをセットする「バックシーラー機」を買った。合計で5千円ほどかかった。袋は穴あきのボードン袋8号~12号を各3袋ずつ購入した。
どんな野菜をどんな袋に入れるか、試行錯誤しながら進める。
今まで野菜をポリ袋に入れたことはなく、全て新聞紙で包んでいた。
単価は先人のKさんが設定している価格を逐次参考にしながら決めたい。
ただ、10月は春夏野菜と秋冬野菜の端境期で、出荷できる野菜は少ない。
産直市は数年前からブームになり、ちょっと足を伸ばせば出荷も可能だったのに、ワンパック宅配に凝り固まり、頭が柔軟でなかった。
これが原因で7~8年の間、出荷先も増えず、技術も全く上がらずという「停滞」をもたらした。
そんなに稼がなくても、農業経費と、出荷の帰りのスーパーでの買い物と、ライフラインを追っかけるだけで、我が家の生活はまわっていった。他の大きな出費は家人が支出した。
だから差し迫った経済の逼迫感が乏しく、これもワンパック宅配に安住してしまう原因になった。
見に迫る経済事情の逼迫を感じて初めて、ワンパック宅配の見直しを迫られた。
タイミング的にもよかった。
(1)ホームセンターでも野菜を売るようになった。
(2)11月から、地域の農協の産直市も始まる。
農協とはこれまで20年近くほとんど無関係にやってきたが、産直市を機に普通に付き合いたい。
同じ瀬戸内市在住のKさんとは10年以上ご無沙汰していたが、実は12年前から知っていた。12年前に「あめんぼ百姓塾」を立ち上げた時、山陽新聞に大きく取り上げてもらったが、その時に新聞を見て電話をくれたのがKさんだった。
その時Kさんは新規就農して4年ほどだったが、既にハウスを何棟も持ち、市場出荷をしており、ボクの農業レベルはとっくに超えていた。
能力が高過ぎて少し敬遠してしまった。それと出荷形態が違ったので、いつの間にか出会うことが少なくなった。
その後Kさんは、産直を中心にした出荷に切り替えたようだった。
風の噂に、技術レベルの高さと規模の拡大を、他人を介して知ることが何度かあった。
10年ほどのブランクの後、また「ヤギ」を介して出会ったのだった。
家人が仕事で時々通る道の傍らにヤギがつながれているというので、見学に行ったら、そこをたまたまKさんが通りがかった。
そしてKさんも去勢オスを1頭(野菜残渣の処理が目的で)飼っていることを知った。すでに3年半になるらしい。
その後、この地域でヤギを飼っている人を何人も紹介してもらい、また行き来するようになった。
そのKさんに農業アルバイト先探しを依頼したら、大手スーパーの産直市を紹介してくれた。
何もかもヤギが出会わせてくれたご縁。
ヤギ導入を後悔することが多かったが、ヤギは幸運を呼ぶ白い天使だったかも知れない。
この7年ほどの間、自分は停滞を続け、Kさんはますます技術レベルを上げ、人脈を広げたようだった。どんな農業形態の人とも広くつきあう柔軟性があり、小口や大口のいろんな出荷先を数多く持っている。まだ40代の後半。

今後出荷する予定の産直店めぐりをした。
備前市の大手スーパー・・・・・・・・・家から15分
国道2号線沿いホームセンター・・・家から7分
国道2号線沿い青空市・・・・・・・・・・・家から9分
農協の産直市・・・・・・・・・・・・・・・・・家から5分
従来の宅配に加えて、上記4店舗に出荷をする予定である。
一店に出せる一人あたりのブース(並べるスペース)は限られているので、4店舗でも出荷はできる。
週に3回だった出荷を、今後は週に5~6回にしたい。その分、出荷にかかる時間を減らすつもり。
朝6時~朝9時までの3時間を収穫出荷にあてるつもり。
朝6時~朝7時半・・・・・・・・・・1時間半で収穫
朝7時半~朝8時半・・・・・・・・1時間で仕訳
田んぼから産直店に直行・・・・15分
予備の時間・・・・・・・・・・・・・・・・・15分
各産直店の売上は、できれば情報公開して、自分自身の励みと、始めたい人の参考に提示したい。
ただ、頑張っても農業収入は知れているので、税金を納めるほど稼げない。
1時間半で収穫できる作付だから、作付面積はそんなに増やせない。
増やす予定の作物は、春夏作では、
ツルムラサキ・・・・従来の約4倍の250本
エンサイ・・・・・・・・・従来の約5倍の200本
青シソ・・・・・・・・・・・従来の約5倍の80本
キクイモ・・・・・・・・・・3アールほど(大きく増やす)
残りの春夏作は例年と同じくらいにする。つまり、
タマネギ・・・・1200~1500本(個)ほど
ジャガイモ・・・種芋12キロ
キュウリ・・・・各10本×4回蒔き=合計40本
ナスビ・・・・・40本
ピーマン・・・20本
オクラ・・・・・90~120ポット(1箇所4本立ち)
ナンキン・・・20本(病気が多くて作りづらい)
ニガウリ・・・・6本
トウガン・・・・6本
サトイモ・・・従来150個、今後は100個に減らす
ヤーコン・・・従来80個、今後は40個に減らす
サツマイモ・・・従来通り450本
秋冬作は、
チマサンチュというレタスを100本ほどに増やす
12~2月どりの寒さ(霜)に強い菜っ葉を作付する
3月どりのナバナを200~300本作付する
ヤグラネギをかなり増やす
ホウレンソウは半分に減らす
他は従来どおりの作付
ハーブは、
バジルを今年の260本から半分の130本に減らす
ロケットを従来の半分に減らす
(1)産直店はすべて15%ほどの売上手数料を取られる。
(2)売れ残ったら引き取る。
(3)単価はだいたい自分で自由につけれる。
(4)入れる袋は自由(透明のポリ袋)。
(5)多くの産直店は毎日でも出荷可能。
※ 15%の手数料を取られても、作ったものが、どんなものでも、全て出荷できるという最大のメリットがある。つまり顧客の注文で出荷するのではなく、田んぼにある野菜の収穫適期の野菜は全て出荷できる。
※ 市場出荷のように、重量やサイズのL寸、M寸、S寸等の細かい規定がないのも大きなメリット
※ 市場出荷のように、ある程度の量を出す必要はなく、逆にブースが限られているので、日々少量でも出荷できるという、これまた大きなメリット。
まだ、取らぬ狸の皮算用であるが、新しい一歩を踏み出したい。


秋、本番。いい時候になってきた。
昨日は昼から「産直市」の会員になる提出書類をもらいに行ってきた。

そこで出会ったヤギさん。うちのと同じくらいの大きさで、メス1頭、去勢オス1頭というのも同じ。ハウスで飼っていた。
ハウスでニワトリを飼っている人(天井は銀色のシート)もいるし、物置にもなるし、春先の育苗には好都合だし、ハウスの利用価値は広いが、無料でも、分解したり組み立てたりの一連の作業が自分にはできそうにない。
秋冬作のアブラナ科野菜だけは農薬を使っている。害虫が多いので、ここ5年ほど、アブラナ科野菜はハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ、ブロッコリーの5種類しか作らなかったが、この秋から産直市にも出す予定で、ミズナ、山東菜、タカナ、ナバナを蒔いた。いずれもアブラナ科。
吹けば飛ぶようなブログの画面に、賭けた命を、笑わば笑え。
たった1~2行にしかならない思考の断片でも、今、残そうと思わなければ、時間が経過したら凡人には残せない。そんな思考の断片は、農作業をしていたり、あぜ道を歩いている時にひらめくので、忘れないうちにメモする。
それでもいざパソコンに向かうと、指が動いてくれないことも多い。
産直市に出すからといって、急に作付が増やせるわけではない。
20年ほどやっているので、どれくらいの作付が限度かわかるし、1種類でも増やせば、液肥を担ぐ手間、種蒔きの手間、途中の除草や中耕の手間、収穫の手間、仕訳の手間、収穫・仕訳ロスを片付ける手間が複合的にかかってくる。
井戸水にも限りがあるので、作付はそんなに増やせない。
少量多種類作付というのは従来と同じ。
特定の作物をたくさん作るという方法は、自分には不向きである。
農業に大きな投資はせず
少量をこまごまと作り
どんな些細なもの(例えばキクイモの花)でも出荷するようにして
小さく稼いで、使わない生活をする
というのが、長年の間に身につけた習性である。
売上は少なくても、農業にかかる経費と、生活のランニングコストが小さければ、なんとかやっていける。
先日頼んでおいた農業アルバイトだが、現在の農業現場の時間給は670円~700円ほどが相場であるらしい。
これではちょっと行く気がしない。これくらいなら自分で稼ぎ出したい。
世間は5連休でも、農業者のほとんどは休みなどない。ただ、職業というより日々の生活の中に農業があるという生き方をすれば「農業は遊び」である。
ブログはあまり営業効果はないと思う。
1日のアクセス数が500を越えれば、多少はあるのかもしれないが、ボクのように100ほどでは、ほとんど営業効果はない。
ただ、ブログを営業のツールとして使おうというはっきりした意志があれば、少ないアクセス数でも営業はできると思う。
今日はその営業のツールを作ってもらうために、O先生の指導を受けに行った。
O先生は21才の大学生であるが、まだ高校生だった時から指導を受けている。かゆい所に手が届くような教え方をしてくれる。
ボクはパソコンも不得意で、ブログ以外の操作はほとんどできない。
疑問点がたまったらメールを入れて、マンツーマンで指導を受けている。
ブログでも、たまにしか使わない操作は何回教えてもらってもなかなか覚えれない。O先生には疑問点の指導の他に、パソコンのセキュリティも依存している。だから安心して「更新」だけに集中できる。
パソコンは2000年の12月に初めて「ウインドウズME」というNECのパソコンをY先生に買ってもらったが、それには「パソコンのいろは」というパソコン初心者のための指導テキストが組み込まれていて、それを毎日やっていたら、短期間でパソコンの動かし方だけは理解できた。
3ヵ月後の2001年3月に、パソコンのT先生に「あめんぼ通信」というホームページを作ってもらい、1週間に1度、更新するようになったが、当時のホームページのパソコン操作はとても煩雑だった。それでも半年ほどは何とか続けたが、その後はネタ切れして更新せず、それっきり放っておいた。
2006年の4月に、パソコンのA先生に「ウインドウズXP」というDELLのノートパソコンを買ってもらったが、それが現在も使っているパソコンである。
このパソコンは以前(最初)のパソコンに比べて、キーボードの背が低くて打ちやすく、画面も大きくて見やすく、処理スピードも速くて、とても使いやすかった。この年の7月からブログを始めた。
2001年に作ってもらったホームページは、表紙だけはそのまま残しておいたので、今回そのホームページを利用した営業広告をO先生に作ってもらった。O先生は4人目の先生である。

ヤギは1円にもならず、手間ばかり取られているように見えるが、実は大仕事をやってのけてくれたのである。
(1)ヤギがきっかけでUさんが見学に来られ、援農をしてもらえるようになった。
(2)ヤギを見学に行った時、長く疎遠になっていた農業仲間のKさんに出会い、瀬戸内市内のヤギ飼育者を何人も紹介してもらった。
(3)ヤギを見学に行った先で、たまたまミツバチ飼育者に出会い、ミツバチの巣箱作りを教えてもらうきっかけになった。
特にUさんには、
(1)井戸のふた(長年の懸案だった)
(2)井戸の底の掃除(泥上げ)
(3)ニワトリの止まり木(新しく作り直した)
(4)つなぎの7羽のトリ小屋
(5)ニワトリの淘汰及び料理(肉のとり方)
(6)ヤギの小さな遊び場
(7)二つのヤギ小屋
(8)ヤギに関する指導(20年ほどヤギを飼われていた)
(9)各種緑肥(ソルゴー、ナタネ、レンゲ)の導入
(10)果樹の剪定
(11)ミツバチの巣箱作り
今後も、
(1)ヤギの第1パドック
(2)ヤギの第2パドック
(3)シイタケの原木切り
(4)山仕事(農業高校の林業科卒)
等を指導して頂くつもりである。
本当に助かっている。
考えてみれば苦手なことの多い農業者だと思う。
それでも農業は継続できた。
苦手なことは避けてきた。
得意なことだけに注意を向けるようにした。
ただヤギに関しては、Uさんの援農がなければ「手放していた」と思う。
秋空にキクイモの花。キクイモと名付けられたのは、菊のような花が無数に咲くからだろう。お彼岸のちょうどこの時期に咲くので、お墓に供えるのに重宝である。
ヤーコンよりはるかに作りやすくて強い。1株あたりの収量も多く、売れ残ってもニワトリのエサに最適。
産直の出荷を紹介してもらったので、今からでも蒔ける種を購入し、今日さっそく蒔いた。サラダミズナ3袋、タカナ、ナバナ、半結球山東菜、サニーレタス。
近くの農協でも11月から産直店を始めるらしい。こんな場合、スタート時点で出荷会員に加えてもらった方がよい。後からでは入りづらい。
野菜産地の牛窓町の現在の様子。キャベツはすでに、かなり大きくなっている。ハクサイは植えたばかり。産地では右の画像のように「畑潅(畑に潅水できる装置」が各田んぼに備わっているので、蛇口をひねれば水が出る。使っても使わなくても、確か年間に7000円(10アール)の維持費がかかる。1ヘクタールで7万円。2ヘクタールだと14万円。
ハクサイは育苗中に少し病気がきたので、牛窓町の義兄に苗をもらいに行き、一部植え直した。
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ニワトリは高い所が好き。天井近くの止まり木にもよく上がっている。
日中はまだまだ暑い。11時頃からここの日陰に移動させた。ここは秋冬作は日陰で作れず、春夏作も半日陰になるので野菜は作りづらい。だから第2パドックにする予定。湿地も入れて3アールほど。ヤギは手がかからないように、できるだけ放牧したい。
新聞のリストラ
10月から1紙だけにしようと思う。
3紙購入は高過ぎる。
山陽新聞・・・3007円
朝日新聞・・・3007円
農業新聞・・・2550円
合計で8564円。1年間で102768円。
朝日新聞の1紙だけにすると、1年間で36084円で、差額66684円が浮いてくる。
この金額を他にまわせば、
(1)デスクトップのパソコンが1台買える。
(2)携帯電話が買える
しかし、どちらも不必要なので買わない。単に1紙にリストラするだけ。
ブログのネタのために3紙が必要だったが、ブログの方向性を少し変えたので、それほど必要ではなくなった。
山陽新聞にするか、朝日新聞にするかで、家庭内守旧派の抵抗に遭い、3対1で負けそうになったが、すったもんだのあげく、とりあえず今年の残りは朝日新聞にすることで合意した。
山陽新聞と朝日新聞では、内容の濃さがまるで違う。読み比べて始めてわかる。
しかし、朝日新聞より山陽新聞の方がはるかに見やすい。それは高校の教科書と小学校の教科書を見て、小学校の教科書が見やすいのと同じ理由。
今まで慣れ親しんだ新聞を他紙に切り替えることは簡単ではないが、冒険は大切だと思う。値段は同じなのだから。
最初、朝日新聞は硬そうで読みづらかったが、いつのまにか慣れた。
山陽新聞は県内の行事やイベントの記事が多く、考えさせる記事が少ない。
山陽新聞は「自民党寄りの姿勢」が顕著にうかがえた。たとえば大きな見出しだけを比較してもそう感じる。政治記事は斜めに(批判的に)読んでいた。
2紙を比較して読むことは、現実にはそれほど大きなメリットはない。逆に時間と経済の無駄が多いような気がする。
農業新聞は一般紙に比べて枚数は半分で、今の自分にとって必要な記事は少ない。
10年ほど前、毎日新聞のモニターをさせてもらい、1年間、毎日新聞を無料で読ませてもらったが、その時には、山陽新聞から毎日新聞に切り替えるところまでは至らなかった。
今回はブログ記事にするために念入りに読むことが多く、山陽新聞と朝日新聞の内容の違いを意識させられることが多かった。
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時間給800円のアルバイトに1日7時間、毎月20日間ほど行ったほうが、農業収入より大分いい・・・
どうしたらいいだろうかと友人に相談に行ったら、
もう一度体勢を立て直して、捲土重来を期するべきだと言う。
止めてしまったら、今までの20年間の実績が水泡に帰するし、
誰にも頼らず、自分の力だけで稼げる手段を残しておくべきだ。60才以降のためにも。
この助言に強く納得させられた。
それでも、1月、2月、3月の農閑期はアルバイトをしたいので、心当たりをあたってみて欲しいと頼んだ。
不景気でアルバイト先もなかなかないし、年明けのアルバイトは今から手をうっておいた方がよい。
ただ、ニワトリとヤギがいるので、びっしり8時間働くと、世話の時間がとれない。
できれば午前中だけ4時間のアルバイトを3ヶ月間したいと頼んだ。
こんな都合のいいアルバイトが見つかるかどうかわからないが・・・。
複数の友人や知人に電話をして依頼した。
そのうちの一人が今日、ヤギの見学かたがた田んぼに立ち寄ってくれて、話の流れの中で、野菜の会員(顧客)が減っているなら、産直で出したらいいと、スーパーの店先で売る産直を紹介してくれた。
(1)出品した野菜の売れ残りは少ない。
(2)単価は自分でつけれる。
(3)できれば少量多種類の出荷を。
(4)完全無農薬、無化学肥料という制約はない。
(5)売上手数料はそんなに取られない。
(6)家から15分ほどの距離。
(7)週に2回の出荷。
(8)他の生産者との競合は少ない。
まだ決まったわけではないが、この話は本当にありがたかった。
今まで特定の顧客へのワンパック宅配にこだわりすぎた。
販路(売り先)は、できるだけ多方面がよい。
販路はもっと柔軟に考えるべきだった。多くの販路を持たないと、どの販路が自分に最も適しているか、収益率がいいか、比較できないし、特定の販路の売上が減った時に、他の売上先でカバーできることもある。
頭が固すぎたと思う。
都会の特定の顧客へのワンパック宅配は、ミニコミ(あめんぼ通信)を続けるには最適だった。
他の販路では、ミニコミが不必要になるような気がした。そういう事態は避けたいと、ワンパック宅配に執着してしまったような気がする。
とにかくこの7年間ほど、営業(販路)はそっちのけで、「小冊子作り」や「ブログ」に 夢中になりすぎた。
しかし結果は出せず、原点の野菜作り、野菜の出荷に立ち帰らざるをえなかった。
夢中になっていた7年間の間に、顧客は減り、売上は減り、作る技術は上がらず、いつのまにか、自分の経済も農業の継続も危機的になっていることを悟った。
そんな中での、友人に相談だった。
湯浅誠さん(派遣村)の言を借りれば、まだ「ため」が少し残っていた。
ブログの毎日の更新は3年が限度だったと思う。今は「やれやれ」という気持ち。
当分は読書で充電しつつ、
新しい売り先(スーパーの産直)に合わせて、作付をもう一度見直して、生産にエネルギーを向け、
農閑期の3ヶ月間はアルバイトをして、
とにかく、体勢を立て直して、
3年後の還暦に捲土重来を期する。
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今日、キャベツとハクサイを定植し、ダイコンとカブの種を蒔き、ハーブのロケット、チャービル、ディル、イタリアンパセリの種を蒔き、シュンギクの種を蒔いた。
キャベツとハクサイには、「ディープテレックス」という粉剤をガーゼに包み、作物の上からふった。
ダイコンサルハムシという害虫にはこの農薬が効果的である。
今の時期、ホームセンターに山積みされている。1キロ(300円ほど)買えば一生?使える。
作物が小さい時に使えば、量が少なくてすむし、定植直後の1週間が特に大事。
秋のアブラナ科野菜の「蒔き直し」はまず不可能。失敗は許されない。
ベーシック・インカム
ベーシック・インカム(すべての個人に最低生活保障・現金給付)という言葉を土曜日の朝日新聞で初めて知った。
この言葉、ご存知でしたか。
月8万円を国民全員に支給するというベーシックインカム(BI)の試算を手がけた京都府立大の小沢修司教授によると、
BIでは、年115兆円必要であるが、所得税を財源にするという考え。
BIでは、基礎控除、扶養控除、配偶者控除等の所得控除が不用になる。
BIでは、累進税率を止め、45%の単一比例課税。
試算によると、
年収700万の3人家族では、50万ほど収入が増える。
年収400万のシングルだと、43万ほど収入が減る。
BIは、対照的な左右の学者(自由経済学者と左翼的学者)が支持する政策であると、今回の総選挙で唯一、マニフェストに掲げた田中康夫(新党日本・代表)が説明している。
決して、荒唐無稽の政策ではないらしい。
参考書「ベーシック・インカム入門」(山森亮・光文社新書)
資本主義経済下で、もしこのような政策が実現されるなら、ボクは左翼主義的思想を即、偏向して、資本主義を圧倒的に支持する。
8万円・・・ベーシックインカム(全ての個人に月8万円支給)
7万円・・・最低年金の一律支給(民主党がマニフェストに掲げた)
5万円・・・5年間で300万(自給自足農業支援としてボクが提唱)
この中では、ベーシックインカムが断トツに優れている。
基本的な生活保障(月に8万円)があれば、多様な人間が多様な場所で多様な暮らしができ、生きる選択肢が広がる。都会から農村へも移住しやすくなる。「食うために田舎を離れるという状況が緩和され、過疎の村でも手を差しのべ合うゆとりもできる」と期待する。(朝日新聞9月12日)
07年に翻訳出版された「ベーシックインカム」(現代書館)の著者ベルナーは欧州ドラッグストアチェーンのオーナー。経営者や経済学者の支持も多い。
これを考えた人、すごい!
65才になって一律に最低年金の7万円が保証されるのではなく、まさにゆりかごから墓場まで国民全員に月8万円が無条件給付される(荒唐無稽ではなく、試算されている)なら、「土への回帰」が始まり、自給自足型農業が爆発的に増えるだろう。自給率も問題にならなくなる。
減反政策も不要。農業の戸別所得補償も不要。
農業における厳しい能力差
60才が近くなってからイチジクを植え、まだ10年にもならないのに、すでにかなりの売上をしている知人がいる。
40代後半に山形県から当地の近くに移り住み、サクランボやブドウ栽培で有名になり、観光農園をしている人がいる。
20年ほど農業をしてきたが、自分の場合は全く実績が上がっていない。
なんでこんなに差がつくのか。
専門作物を持つ能力にも欠けていた。専門作物を持つには、
(1)ある程度は器用であること・・・防御ネット、ハウス、棚
(2)ある程度の元手・・・100~300万
が必要であるが、自分にはどちらも欠けていた。
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先日読んだ向井万起男さんの本で紹介されていた「司馬遼太郎の流儀」を読んだ。
司馬遼太郎の本は1冊も読んだことがない。
この本は、小山内美江子、鶴見俊輔、出久根達郎、半藤一利の4人が司馬遼太郎の人と文学について語ったものである。
この中で半藤一利さんによると、司馬さんの晩年の国家観は「国家というのは、突き詰めれば山川草木のことである。山川草木に依存して暮らす人々と、これらの暮らしの総和のことである」
『これ以上われわれの生活を拡大しない
これ以上われわれが贅沢にならない
生活の裕福さをここまでで止める
そうすれば自然をこれ以上壊さないですむではないか』
というのが、司馬さんの最後の言葉でした。
現在の日本で山川草木に依存して暮らしている人は5%もいない。依存していたら暮らしていけない。
世間(新聞)はいつまでたっても「経済成長(率)」を言うが、現状維持、もしくは下降でいいのではないかと思う。
経済成長率を最大の目的にする資本主義。
農業は資本主義とは相容れない。農業の本質は自給自足主義。
農作物の成長スピードは500年前と何ら変わらない。
時間が、商工業に比べて超スローなので利潤を産み出さない。
商工業はそれだけで成り立つが、農業は昆虫や草木と共存しないと成り立たない。
同じ土俵で論じること自体が誤り。
資本主義は農業の土台の上に成り立っている。農業が壊れる時、資本主義も壊れる。
しかし、農業は生かさず殺さず。
生かしては資本主義が発展せず、殺してしまうと資本主義が成り立たない。
特定の認定農家、集落営農、農業法人に支援を集中させようとしているが、そういう農業からは、土に触れる喜びや、湧き出る喜びはない。儲かるか儲からないかだけを基準にした農業である。環境も悪化させる。
しかし、自分にいい知恵があるわけではない。カネの切れ目が農業の切れ目。
今気づいたのだが、松本清張(1909~1992)と、司馬遼太郎(1923~1996)は、ほとんど同時代を生きた人である。14才しか違わない。
2人の巨人は、お互いのことをどう思っていたのだろうか。
どちらの著作が後世に評価されるだろう。
テーマにした「時代」が違うから、一概に比較はできないだろうが、ボクは松本清張は好きでよく読んだ。
幕末の歴史に疎いことが、司馬遼太郎の著作を敬遠した理由のような気がする。
「坂の上の雲」だけはいつか読もうと思う。
この本の中で、「花鳥風月」と「山川草木」という言葉がよく出てきた。どちらも同じような言葉であるが、ボクは「山川草木」という言葉の方が大分しっくりくる。
この本の評価:★☆☆ (独断と偏見です)
鉄道員(ぽっぽや)を読んで
これは高倉健主演で映画にもなったので、浅田次郎の著作としてよく知られている。
ボクは映画を30年ほど見ていないので、この映画も知らない。
長編だろうと思っていたが、そんなに長くない中篇だった。だからこの本の中には、表題作の鉄道員(ぽっぽや)の他に、ラブレター、悪魔、角筈にて、の他にも4編があり、合計8編で1冊になっていた。
鉄道員、ラブレター、悪魔、角筈にて、の4編を読み、残りの4編は読まなかった。「浅田ワールド」にそれほど感動を覚えなかったから。
本を読んだ時の感動は、人それぞれ異なるが、読んだ時の年令によっても違うように思う。
この本の評価:★☆☆ (独断と偏見です)
公民館の図書室には本の在庫が少ないが、予約をすればたいていの本は取り寄せてくれる。
(1)新聞の書評で紹介されていた本
(2)読んだ本の中で推薦されていた本
を参考にして予約している。
昨日借りてきた本(向井万起男さん推薦)
※ 火車(宮部みゆき)
※ 凍える牙(乃南アサ)
※ アメリカがみつかりましたか(阿川尚之)
※ どうにかこうにかワシントン(阿川佐和子)
※ アメリカ医療の光と影(李啓充)
※ 美しい星(三島由紀夫)
借りても、中身を見て読まない本もある
読み始めても、途中で止める本もある(決断を早く)
常時10冊ほど手許においている
読みかけ、読みかけにして、2冊並行して読むようにしている
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日中は激しい残暑が続いているが、土の中はもう秋。
田んぼの畦に彼岸花が咲き始めた。
昨日、隣の集落の人が、「害獣の被害が出ていないか」といって来られた。
「電柵をしているのにイノシシに入られた」と話すと、現場を見て、これはイノシシの仕業ではなくアナグマの仕業だと言われる。
そんな動物はまだ見たこともないが、この人はプロの猟師さんで、ヌートリアでもアライグマの仕業でもないと言われる。
さっそく、画像の檻を仕掛けてくれた。エサはサツマイモ。サツマイモ畑が荒らされているのだから、エサは当然サツマイモである。
こんな檻一つ設置するにも「許可」がいるらしい。
30年間のブランクの後に
27才~56才までの30年間の間に、専門書以外は10冊ほどしか本を読んでいない。
一般書は、読んでも1円のカネにもならないから。
本を読むような気持ちの余裕も持てなかった。
とにかく、日常に追い立てられるような生活が30年間ほど続いていて、本など読む気にならなかった。
でも、それ以前の年代では結構読んだ。横11センチ、縦15センチほどの文庫本をもっぱら買って読んでいた。
今、それらを見ると、字が小さすぎて読む気がしない。あの頃はまだ若かったし、目もそんなに疲れなかったのだろう。
現在も書棚に、当時読んだ本が並んでいる。
文庫本の価格は200円~400円ほどでそんなに高くはなかったし、本は借りて読んだのでは身につかず、買って読み、本棚に並べると読んだ気がした。
30年ほどのブランクの後、また読み始めた。ブログに読書感想文を書く目的で。
今さら読書などしても遅い? そんなことはない。10代や20代の時とはまた違った感動があると思う。自分とは異なった人生や、経験できないことを疑似体験できる。
ただ、週に2~3冊しか読めそうにないし、読んだ本の全部が読書感想文を書けるわけではない。
週に2回の読書感想文を書くとすると、月間に8回、年間では100回ほどの読書感想文が書ける。
3年続けると300回(300冊)ほどの感想文が書ける。
10年続けると1000回(1000冊)ほどの感想文が書ける。
たった1000冊と思うか、1000冊もと思うかは、人それぞれである。
大上段に構えているが、まだ始めたばかりである。
ボクの人生は、ことごとく挫折を繰り返してきた。
20代の前半から30代の前半まで、ある資格試験をめざしたが、だめだった。「悪循環」の繰り返しになった。
しかし、その挫折があったからこそ、農業に転身できた。
その農業も20年間ほど続けてきたが、結果を出す(一定の収入につなげる)ことができなかった。農業の能力が明らかに不足だった。
ブログも3年間ほとんど毎日続けたが、結果を出すことができなかった。
しかし、結果を出せなかったからこそ、また新たなチャレンジを試みようという気持ちが湧いてきた(いつのまにか、そういう道筋が心の中にできあがっていた)。
人気ブログランキングの中の「生活・文化」のジャンルの中に、『本・読書』 というジャンルがあるが、ずっと『エッセイ』で続けてきたので、このまま継続する。
過去3年間の農業ブログより、これからスタートする読書感想文ブログの方が楽しみが多いし、自己啓発になるし、充電にもなると思う。
公民館の図書館で借りて、自分の手元(書棚)に残らなくても、ブログで感想文を書くことによって、消え失せることなく自分のものになる。
今だから、読書感想文が書ける。20代では書けなかったと思う。
そういう意味では、読書感想文は、50代、60代、70代の「独壇場」と言えるのではなかろうか。
柳田邦男「石に言葉を教える」を読んで
中高年層に広く読まれている日野原重明先生の「生き方上手」では、「いくつになっても創める(始める)ことを忘れない生き方」を提唱している。実際、日野原先生は88才の時、アメリカの哲学者レオ・バスカーリア博士が生涯にただ1冊書いた絵本のミュージカル化に挑戦し、その脚本を書いてヒットさせたのだった。(P181)
日野原先生は、「生き方上手」の中で、こう語っている。「悲しみの体験が、人をやさしくする」と。天は、愛する人との死別や身体機能の喪失などの試練を過酷な形で人に課すが、それは真の意味の喪失ではなく、喪ったように見えたものを、実は心の中に新しい生きる力、新しいいのちとして移植してくれる行為なのかもしれない。(P196)
この本は、柳田邦男さんが2005年の1年間の折々の出会いや出来事をモチーフにして書いてきた「時代評論的エッセイ」で、12編の主題があり、その一つが「石に言葉を教える」である。
柳田さんはこの本の中で「大人こそ絵本を」と、しきりに薦めている。
この本の評価(独断と偏見です):★☆☆
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なくなったので、また「ヌカ漬け」を作った。材料は米ヌカの他に、
(1)ヨーグルト
(2)食パン
(3)塩
(4)納豆
(5)ニンニク
入れる量はどれも適当。ご飯は昨晩の残りで、ニワトリに与えるつもりだったがヌカ漬けに入れた。材料をすべて投入してから、その中にエンサイとツルムラサキの葉物2種類を入れた。あれば、ナスビ、ピーマン、キュウリ等も入れるが、なければ雑草を入れてもよい。もちろん野菜類を入れなくても、ヌカ床だけでよいエサになる。水分調整に少し水を入れた。
(1)毎日1回混ぜることがポイント。エサやりの時に混ぜる。
(2)その後は逐次、野菜類を投入したり、米ヌカや塩を適宜投入する。
購入飼料を少なくするためにヌカ漬けを作っている。ヌカ漬けの原材料代はごくわずか。
米ヌカは液肥にも使うので、とても重宝している。
ヤギにはヌカ漬けは与えていない。もったいないから。ヤギは雑草と木の葉だけ。
キャベツ、ブロッコリー、ハクサイの育苗が順調にすすんでいる。たくさん蒔いているが、定植は半分ほど。残りは「補充苗(植え継ぎ用)」。
キャベツ、ブロッコリーは8月15日蒔き。ハクサイは8月27日蒔き。
ダイコン、カブの種蒔きと、キャベツ、ブロッコリー、ハクサイの定植は同一日を予定している。
大山史朗「山谷崖っぷち日記」を読んで
山谷は西成(釜ヶ崎)と並び、日本の代表的な「ドヤ街」である。
山谷崖っぷち日記を手に取るまで、この本が第9回「開高健・賞」を受賞した本だとは知らなかった。
黒岩重吾の釜ヶ崎シリーズが好きでよく読んでいたので、題名を見て、だいたいの内容は想像できた。
著者の大山史朗は西成で3年、山谷で12年、都合15年間の労務者生活を送ってきた。現在も続いているなら、山谷生活はすでに21年目になっているだろう。
著者によると、
『少年期から、自分がまともな大人の世界の中で生きていけるとはどうしても思えなかった。社会に出て仕事を持ち、一人の女性と家庭をつくって子供をもうけるというような生活が、私にも訪れて来るだろうとは、心の深い部分ではどうしても信じられなかった。そういう生活がしたいかどうかというよりも前に、そういう生活が自分にはどうしても現実感をもっては感じられなかった。
自分は人生には向いていないという深い確信があった。この確信を振り払うようにある時期までは社会への(つまり会社への)過剰な適応努力を続けたこともあったわけだが、結局その努力も生理的に限界があったことがわかり、むしろホッとした気分になった。そうなのだ、あんなところ(会社や社会)が私の生きる場所であるわけはないのだと、深く納得するところがあった』
著者は1947年生まれで、69年大学卒業、現在62才。
30才~33才→西成で労務者。その後上京して、いろいろやってみたが甲斐なく、再び労務者生活に復帰しようとして山谷を訪れたのが昭和62年。40才になっていた。
開高健賞を受賞したこれ以外は、その後、本を出版されていない。つまり「この一作」だけの作家である。
『山谷住人の陋劣さは、一般市民社会の住人の陋劣さよりも洗練と多様性に欠け、はるかに単純で露骨だった。無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現したような人々とは、腐るほど出会ってきた。知識それ自体にはさほどの意味はないのだろうが、知識を手に入れる過程で身につく教養なるものは、なるほど重要なものなんだなということが、これら三位一体を体現した人々と接触するたびに痛感させられるのだった』
『建設作業員として生活費が稼げないとなれば、通常の継続的な人間関係を作れない私に収入の途はなかったわけで、その場合には家族に扶養される準禁治産者といったところが私の生活内容になっていたに違いない。この時の生活場所が、家庭内半監禁であろうと、施設での監禁であろうと、これも私にはとうてい耐えがたいもののように感じられたのである。昨今の世相であれば、生活破綻者だってそうたやすくは監禁などされないことが理解されたのであろうが、私の少年期(昭和30年代)や青年期(昭和40年代)はそうではなかった。その頃、私は常に監禁生活の恐怖に怯えつつ生きていたのである。それあればこその会社(社会)への過剰な適応努力だったのであった』
著者は酒は全く飲めず、ギャンブルはほとんどせず、たまに風俗にカネを使う程度らしい。大半の時間は図書館で本を読んで過ごすと言われる。
小中学生の襲撃があるので、戸外の宿泊場所はできる限り多くの人々の集合する区域でなければならぬ。・・・子供は邪悪な存在だと思う。陰湿ないじめ、クラスで異質な存在を認めず、ずるがしこい。大人や先生の見ていない所では、徹底的に自分より弱いものをいじめる。他の多くの子供は見てみぬふり。こういう子供が大量に世の中に送り出される。子供はその国の大人の世界の縮図である。
大人の世界でも、システムから除外された人間(正社員になれなかった人)の生きていける場所は少ない。システムの中にいても、いったんシステムのレールから外れると、もう一度復帰するのは極めて難しい。
すでにこの国は、システムに必要なパイは限られている。正社員になれない大卒が大量生産され始めた。
システムから除外された人間の生きていく場所はあるか。農家出身でも「農業という逃げ場」はもうない。多くの山村ではイノシシやサルやシカに追われて、農業ができなくなりつつある。
資本主義は自給自足主義を壊さないと成長しないので、すでにこの国では自給自足できるようなシステムは完璧に破壊されている。
システム(正社員)から除外された人間はどこで、どのようにして生きていったらよいのだろうか。
「白い社会」でも、西成や山谷のような生活を強いられる人が、ますます増加している。
これが高度資本主義社会の現実。
生きていくために離農しなければならないという現実。
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夕方、鎖はつけたままで、10分ほど放している。放してもそんなに遠方には行かない。
柿の葉が好きなので、少し折って与えた。
ヤギは頭突きをよくする。多分、遊んでいるんだと思う。
「ヤギによる草刈」は新聞記事に完全に騙された。草刈の手間が省けるどころか、草刈の5倍以上の手間を取られている。
やっと入社できた会社が、入った後に、自分に合わないと感じても、現実を受け入れて勤めざるをえない。そして、与えられた仕事の中に喜びを見出していかざるをえない。ヤギもそんな感じ。
沢木耕太郎「無名」を読んで
沢木は1947年生まれだからボクより6才年上。この本に関しては全く感動はなかった。
朝日新聞に「一瞬の夏」の題材になったボクサーのカシアス内藤のことが載っていたので、いつか読もうと思っていたが、先日の公民館の図書館には「無名」しか置いていなかった。
79年→「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞
82年→「一瞬の夏」で新田次郎文学賞
「無名」は沢木の父親のことを書いている。父親が入院して亡くなるまでの話である。
とても仲の良い親子だった。そして父子共々、発する言葉の一つ一つがとてもやさしい。例えば下のような会話が書かれている。
そこで私は父に訊ねてみた。
「あのとき、映画は何を見たか覚えていますか」
「いや、君は覚えているのかい?」
「確か『遠い太鼓』というゲイリー・クーパーの西部劇でした」
「そうか。よく覚えていたなあ」
「覚えていません?」
「忘れたなあ。ただあのクルクル廻るボクシングだけは・・・」
こんなやさしい会話をボクは親子(父子)でしたことはない。
だいたいボクは、どちらかといえば父親をバカにしていたし、自分の進路に関して相談などしたことは一度もない。
母親にも相談することはなく、進学も就職も進路は自分で勝手に決めた。
母親の晩年も、父親の晩年も、ボクは自分の仕事のことで頭がいっぱいで、他の事に構う余裕がなかった。
ただ、両親とも病院で亡くなったので、最後は兄弟3人(沢木耕太郎さんと同じく姉2人)で、交替で泊まりの付き添いをした。
亡くなった時は悲しかったが、すぐに忘却のかなたとなった。
親は土足で踏み越えていくもの・・・そう思っている。
ボクに似ていたら、子供も同じようにするだろう。
逆に、元気に今でも長生きしていたら、介護に疲れ果てていただろう。
親は必要な時までは元気で、その後は「ころっと」逝ってくれるのがよい。(幼い時に親のどちらかが亡くなっておられて、こういう見解が気に障られたら、どうぞお許し下さい)
親がそうだったように、自分も子供に負担がかからないように、適当な時期に「ころっと」逝きたいが、こればっかりは人それぞれの寿命だから、どうすることもできず、運命を受容するしかない。
別に、親が嫌いだったわけではなく、自分が冷淡とも思わないが、先祖を奉ったり、拝んだりはほとんどしない。
そんなことよりも、自分の人生を精一杯生きることだけを親は望んでいると思う。
死んだら「無」である。
沢木耕太郎さんのような親子関係が築けたら幸せだろう。なかなかそれは難しいと思う。
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