昨晩は1時頃まで選挙報道を見ていた。前政権が残した大借金(860兆円)を引き継ぐのだから、厳しい政権運営になるだろう。
先週も今週も、歌人の公田耕一さんの短歌が朝日歌壇に選ばれていなかった。見えないと寂しい。
『パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる』
今年はまだ「棚田めぐり」を一度もしていない。忙しくて、ほとんど出かけることができなかった。県下最大の棚田がある美咲町 大併和西の棚田では、すでに稲刈りが始まったらしい。
久米南町のいつもの農家民宿に泊まって、黄金色の稲穂と彼岸花が織りなす秋の棚田めぐりをしたいが、行けるかどうかわからない。
まだ、ピヨピヨとヒヨコのような声で鳴く。
オスとメスの見分けがまだつかない。
まだ止まり木に止まって寝ない。地べたで寝る。
エサを急にたくさん食べるようになった。今はコゴメがないので、購入エサ+糠漬け(糠床)を与えている。
ヤギ用の日陰が少ない。ヤギ小屋に隣接する2アールのパドックを作ったら、その中にビワ(常緑樹)とクワ(落葉樹)を交互に植えて日陰を作る予定。
ダイコン、カブ、ハクサイ、キャベツの定植予定地に、2日前、メタン菌液肥を施した。
井戸があるから本当に助かる。夕方、水遣りをした。
8月20日に蒔いたニンジンとインゲンは順調に大きくなっている。
8月27日にイタリアンパセリとディル(黒い寒冷紗の下)、レタス、ハクサイの種を蒔いた。5日過ぎてレタスがまだ発芽しない。明日発芽しなかったら蒔きなおす予定。
向井万起男「ハードボイルドに生きるのだ」を読んで
向井万起男さんというよりも、宇宙飛行士の向井千秋の夫と言った方がよくわかる。
万起男さんは「おかっぱ頭にヒゲ」という顔もユニークだし、千秋さんの夫だから、書いていることもおもしろいだろうと思ったが、おもしろいというより個性的な人だった。
高校時代の先生や大学時代の恩師の話、趣味の話、夫婦の会話(国際電話)、それと読書日記が主な内容だった。
慶応医学部名誉教授の恩師が入院された時、先生の希望により、毎日、スポーツ新聞を届けたこと、その後亡くなられ、棺に納められた先生のご遺体の上にスポーツ新聞を見てとてもうれしかったこと・・・。
恩師は「あのな万起男、体裁なんてどうでもいいんだよ。自分が好きなことをするに限るんだ、人生は」
CTスキャン(ボクもお盆に初めて胸の検査で受けた)の登場は、医療における革命的な出来事だったらしい。現在では、医療の歴史はCTスキャン登場前と登場後に分類されることがあるくらいだという。
ノーベル賞は基礎的学問の業績に対して授与されるのに、CTスキャンを開発した英国のハウンズフィールド博士はノーベル賞を授与された。
ボクはそれまでCTスキャンがどんなものか全く知らなかった。検査は20秒もかからなかった。
万起男さんはいろいろなデータ分析を行うのも大好きで、とくに大リーグと宇宙飛行士のデータ分析。イチローが大リーグに移った初めての年に首位打者を予言した。
読書日記も参考になった。読んだことのない本ばっかりだったのでメモした。
おもしろい本だと、つい夜更かしして、翌朝にさしつかえる。かといって、「小刻みな時間を使って」読むことは難しい。
日数をあけると、それまでに読んだことの内容を忘れる。
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今朝、家から3キロほどの中央公民館で本を借りてきた。
無名・・・沢木耕太郎
故郷・・・水上勉
虫のいのちにも・・・水上勉
山谷崖っぷち日記・・・大山史朗
夕張問題・・・鷲田こやた
すっぴん魂カッパ巻・・・室井滋
ハードボイルドに生きるのだ・・・向井万起男
いつのまにやら本の虫・・・出久根達郎
石に言葉を教える・・・柳田邦男
楼蘭の詩・・・水村孝
以上の10冊。近眼と老眼なので、字が比較的大きいのを選んだ。農業関連の本はあまり読む気がしないので、それ以外のジャンルで、おもしろそうなのを選んだ。
このうち何冊読めるかわからないが、読んだらブログに感想文を書くつもりである。
1日3時間かかるブログをしなかったら、3時間は読書にまわせると思ったが、どっこい、思ったように時間はとれず、またたく間に1週間が過ぎた。
「みずた観光農園」として、このブログを少し営業目的にも使って見ようと思う。
メニューは、
(1)ヤギと遊ぶ
(2)ニワトリ小屋で遊ぶ
(3)ミツバチ(来春)
(4)森林セラピー(樹木の香り)
(5)あぜ道セラピー(小動物や草花の癒し)
(6)風景セラピー(大地と空と風と)
(7)各種野菜
(8)各種ハーブ(主要12品目)
(9)各種果樹
(10)岡山県下への農業移住の相談(借地借家)
(11)1日1人(1家族)限定
(12)企業にも利用してもらえるように営業する
田んぼから歩いて5分の所に「美しい森宿泊施設」がある。素泊り2千円、自炊も可能、風呂も有り。
当地から車で25分で牛窓の岬のペンション、前島の民宿に行ける。1泊2食付きで7500円~9000円。
今度のパソコン教室で表示方法を先生に相談するつもり。
明日は選挙、とにかくチェンジしなければ!
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「作者の久木綾子さんは70才で塔と出会い、取材に14年、執筆に4年をかけ、89才で作家デビューした。遅咲きの作家が取材と執筆を通して見つめた生のあり方とは・・・」
こんな紹介文が8月2日の朝日新聞に大きく載っていたので、読んで見ようと思った。
読み始めたが、結局最後まで読み続けることができなかった。登場人物の名前が覚え辛く、筋も複雑で、100ページを過ぎる頃から、わけがわからなくなった。
この本は、山口県山口市の瑠璃光寺にそびえる五重塔と、この塔を建てた若い番匠(職人)の姿を描いた歴史小説である。
グーグルで「瑠璃光寺」と検索したら、美しい画像とともにたくさんの紹介記事が出ていた。
この本を読んでいて、頭に浮かんだのは岡山県美咲町定宗にある本山寺の三重塔である。
岡山県の人でも、美咲町本山寺がどこにあるか知らない人が多いと思う。
それくらい辺鄙な所にある。
もちろん、興味があって本山寺を知ったのではなく、たまたまそこを通り、密林(過疎の山村で、昼間でも薄暗い山の中)に突如出現した「本山寺」という標識を見て、ふと立ち寄って見ようと思った。
歴史ある建物を見ると、人生の短さやはかなさを感じる。山口市の瑠璃光寺は1442年の建立で、岡山県美咲町定宗の三重塔は1652年の建立で200年ほど歴史は新しいが、それでも初めてこの三重塔を見た時は驚嘆した。瑠璃光寺は五重塔であり30メートルの高さらしいから、もっとすごいのだろう。
ただ、本山寺の本堂は1350年の建立で、瑠璃光寺の五重塔より100年ほど古い。
たまたま、昨日8月23日の山陽新聞にも本山寺のことが大きく載っていた。
1350年とか、1442年とか、1652年という年月の風雪を越えて現代の世に忽然とまだそびえたっているのを見ると、久木綾子さんでなくても、これを建てた人たちはどんな大工さんだったのだろうと想像する。
釘など使わずに建てたのだろう。
江戸時代の頃までは、かやぶき屋根で、当時の百姓は食料だけでなく、身の回りのあらゆるものを自給していたはずだから、住む家も自分たち(狭い地域内の応援があるだけ)で手作りだったと思う。
そんな時代の中で、「宮大工」として特殊技能を持った技能集団だったのだろう。
この本山寺は、日本棚田百選に選ばれている旭川沿いの久米南町周辺の3つの棚田から、吉井川沿いの奥塩田や田土の棚田に移動する時に、地図を見ながら走った山深い山道のそばで出くわした。
今でこそ平野部に人口が集中しているが、近世以前は、湯を沸かすにも、ご飯を炊くにも、おかずを作るにも、暖をとるにも、風呂に入るにも、必ず山の木が必要だったので、山の中か、海に面した山の中で人々は生活した。米だけでなく雑穀や山の幸、川の幸が自給の源になった。
「見残しの塔」を書いた久木綾子さんによると、「人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った」という一文で小説を始めました。長い時間の中で見れば、人間が生きるのは一瞬。しかし、その人間が集まり、塔を残した。人間のはかなさと偉大さを書きたいと念じていました。
山口市の瑠璃光寺の五重塔を見る機会はないだろうが、美咲町の本山寺は棚田めぐりの時に、今後も何度か立ち寄ると思う。
久木綾子さんの「見残しの塔」は、人物と内容がこんがらがって最後まで読めなかったが、本山寺に立ち寄ったら、この作家の書かれた瑠璃光寺の5重塔を思い出すだろう。
歴史のある場所や建物は一人で行くに限る。一人なら何時間でも気が向くままに歩きまわったり、たたずんだりできる。現在、過去、未来を感じながら。
農業ブログで放電し続けたから、しばらく充電が必要になった。自分にとって充電は、
(1)田んぼや山の中で、ぼう~っとしたり
(2)農業仲間の田んぼを訪ねたり
(3)過疎の山村や棚田をドライブしたり
(4)読書したり
することである。
充電に最適なのは読書であり、農業ブログを書かなかったら、その日の3時間は読書にまわせる。しばらく読書で充電しつつ、週2回の読書感想文で放電していきたい。
しかし、まともな読書感想文にならないかも。同じ日にアマゾンで購入した外山滋比古の「思考の整理学」も途中で投げ出してしまった。
そんな読書感想文もあり?
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友人の木工作家に依頼していた巣箱をもらいに行ってきた。
いっしょにアマチュア養蜂家を訪問して、懇切丁寧に説明してもらったが、話されたことの意味をボクはほとんど理解できなかったが、友人は理解できたようだった。その後、日本ミツバチの本を一冊読んでから作ったと言われるのが上記の巣箱。
やっぱり真似ができない。提示された金額を聞いて「それで採算が合うんですか」と聞いたら、それでいいと言われる。これだったら10セットをすぐにでも注文したいと思った。
ただ、この箱での「成功経験」がない。とにかく最初の一群に巣箱に入ってもらうという「成功経験」が持てないと、前に進めない。
それと、せっかく充電式ドライバーも買ったし、自分で3~4箱は作って見ないと他人に説明がしづらい。自分で作るといっても、大半は、援農をしてもらっているUさんの指導を受けながら作る。
いろんな人の巣箱を見せてもらって、いろいろ話を聞かせてもらって、最も簡単そうな箱を最終的に来年の3月までに10セット作りたいと思っている。
ボクは不器用なので、「途中の箱の手直し」というのができない。だからいろんな人の箱を見せてもらって、手直しの必要のない10セットを作りたい。
そして、できるだけ早くミツバチに巣箱に入ってもらいたい。そうしないと一歩が踏み出せない。分蜂のチャンスは4~5月の2ヶ月間らしいので、それを逃すとまた1年遅れる。
ミツバチに関する投資は「箱に関することだけ」である。ただ、新聞等で紹介されている箱は1セットが2~4万円というのが相場である。これではなかなか手が出せない。加えて1セットだけではほとんど用をなさないということも、現場を見せてもらってわかった。
木工作家の手作りの自宅と菜園。他に10羽ほどのニワトリと数羽のウコッケイがいる。
昼に竹薮のそばの日陰に移したが、訪問から帰って夕方行って見ると、竹薮の中で鎖がからんでオスヤギが動けなくなっていた。何時間この状態で耐え忍んだのかわからないが、怪我はしていなかった。
草刈を主目的にヤギを導入したのに、草の伸びの方が早くて、ヤギの草刈効果はほとんど感じられない。逆に手間ばかり取られる。
飼う前に想像したことと、実際に飼ってからわかったことのギャップがあまりに大きい。
「2020年、日本農業史にヤギが復活」と何度かブログに書いたが、今は、現在のような社会経済状況が続く限り「ヤギの復活はありえない」と考えるようになった。
(1)草刈効果はほとんどない。
(2)逆に手間ばかりとられる。
(3)ヤギグッズ、小屋作り、今後のパドック作りを考えると、投資金額もかさむ。
(4)ペットにするなら犬よりかなり知能が劣る。自分の調教が悪いのか、言うことをほとんど聞いてくれない。たった70~80メートルの移動も簡単ではない。
昨日の夕方、ニンジンとツルナシインゲンの種を蒔いた。
ニンジンは、
(1)田んぼを2~3回耕運する。
(2)1メートル20センチほどの畝立てをする。
(3)鍬で2条に薄くがんぎ(蒔き床)をきる。
(4)種を蒔く。
(5)蒔いたら、土をかけずに、片足で踏んづけて鎮圧する。
(6)クン炭を厚めに降る。
(7)井戸水で散水する。
(8)日除けに黒い寒冷紗をかぶせる。
(9)5日過ぎたら発芽する。
(10)当地でのニンジンの種蒔きの旬は8月17日~8月25日頃までの8日間。
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胸部の「CT検査」というのを受けた。お盆に感傷的な気分になったのはこれが理由だった。胸部に異常はなかったが、この検査で呼吸器の病気はすぐに発見できるらしかった。
もし何か異常が発見されていたら、瞬間に、世の中の風景が変わって見えただろう。そして事実を受け入れるのに困難を伴うだろう。運命を嘆き、身に降りかかった悲嘆や家族の悲嘆を思う時、どうしようもなく落ち込み、それでも決して神にすがったりするばかげたことはせず、やっとどうにか自分自身を取り戻し、事実と現実を受け入れて、残された時間で14日に書いたようなことをするだろう。
CT検査はたった1分ほどで終わったのに18300円。ほんとうに医療費は高い。3割負担で13日と17日の2日間で9000円ほどかかった。
CT検査を受ける前、ヤギは自分と運命共同体なのだと思った。自分の身体に何かあったら、ヤギも当地での生活を失う。家族は世話はできないし、人に頼んでも1~2日が限度である。
ニワトリのことは何も思わなかった。ニワトリにはヤギのような「表情」がない。だから手間がかからないし、あまり負担にもならない。
今日も4個産んでいた。30羽いた時とそれほど変わらない産卵数である。ということは、以前のニワトリに対して、餌の量が全く不足していたということになる。餌が足らなかったから、あまり卵を産まず、今も若々しくてよく産んでくれる。
今回導入したヒヨコ(岡崎おうはん)は、4年でなく5年を目標にして飼うつもりである。
全部元気でぴんぴんしている。ニワトリはじめじめした湿気を嫌う。炎天の方がまだましだと思う。こっちは屋根がきちんとしているから問題はなかったが、7羽の方は屋根が一部しかないので、雨後の「前出し」を何度も繰り返した。放っておくと地面がなかなか乾かないから。コクシジウム等の病気も心配したが、やっと夏空になった。
政治家の世襲と同じく、農家も2代目3代目は大いに恵まれている。
(1)農具もあるし田んぼもある。
(2)地域での人間関係も継続できる。
(3)子供の時から身近に見ているので、農業がどんなものか知っている。20年ほどのブランクがあっても簡単に農業に参入できる。
(4)親が健在であればノウハウも引き継げる。
(5)健在でなくても地域の誰に聞けばいいかすぐに判断できる。
農業のことをよく知っているから、次の世代が農業を継がない。逆に政治家は地盤、看板、かばんで、次の世代も甘い蜜を吸う。衆院選「世襲」候補予定者は自民114人、民主34人。
なかなか断ち切れないのが家系。顔やカネや遺伝子まで引き継いでしまう。性格も生き方や社会的なことも。自分のように反動的になることもあるが、根のところが似ていて、ぞっとすることがある。祖父母の蒔いた種の因果応報が孫に出て、場合によっては命まで失うこともありうる。
悪循環は10~20年ほどすぐに続いてしまい、好循環に切り替えることが難しい。
今は「働く場所もない」というおかしな時代である。しかし、独立自営業で食べていくことは極めて難しいので、企業(収入の出所)への依存度をますます高めている。
企業での上下関係は固定化する。そして経済という首根っこをつかまえられているので、江戸時代のような身分差別よりたちが悪い。それは絶対的貧困と相対的貧困の違いでもある。
資本主義社会では絶対的貧困が生じる。歌人の公田耕一さんのような現実が誰にでも短期間に生じる危険性がある。
それに対して江戸時代では、自給自足が可能だったので、生きていくための最低限のことは自分や家族だけで構築することができた。
資本主義は自給自足主義を破壊しないと発展しないという事実のために、現代人は生きるための最低限の防波堤も外されてしまった。農業も同じである。
農業や漁業は一見すると自給自足ができるように見える。自給自足の両輪はライフラインと食料の2つであるが、現在、水道、電気、ガスのほとんどは自給できなくなった。食料の元である「種」を自給するのも困難を極める。つまり、自給できずにすべて「カネ」を介在しないと成り立たなくなった。
現在も未来も、高度資本主義社会を生き抜いていくことは、少数の人を除いて、生き死にをかけた闘いになるだろう。そして、「マインドコントロール」や「発狂」や「無意識の世界」、「集団主義」とも闘わなければならなくなる。
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キャベツとブロッコリーの種を蒔いた。今日から秋冬作のスタートとなる。発泡スチロールの144穴の苗箱で、
キャベツ4ケース×144穴=576本
ブロッコリ1ケース×144穴=144本
土は市販の育苗土を利用し、クン炭(焼きすくも)で少し増量して使った。
雨がよく降って田んぼがなかなか乾かず、今日やっと田んぼを耕運できた。来週中にもう1回耕運して、22日までにニンジンとツルナシインゲンの種を蒔きたい。
田んぼの準備ができず、4回目のキュウリの定植場所がなかったので、ツルムラサキを一部片付けて、そこに定植をした。
田んぼも畦も草山になっているが、9月10日を過ぎる頃から彼岸花が芽を出してくるので、それまでに畦はきれいに草刈して彼岸花の生育を整えてあげる。
今日は朝から炎天。朝露が消えた頃、鳥小屋の北側の日陰に移した。
今日の朝日歌壇(公田耕一さん)
『マクドナルドの無料コーヒー飲みながら方代さんの伝記読み継ぐ』
グーグルで「ホームレス歌人」と検索したら、公田耕一さん関連のニュースがいっぱい出てきた。記憶に残っている歌は、
『百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞』
『パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる』
『雨匂ふ五十六年駆け抜けて「グイン・サーガ」は未完のままに』
公田さんは現状を脱出することができるのだろうか。年令が高くなればなるほど難しい。アルバイト先もない。
まるで学生のように、時間割を作ってみた。
3時間→朝・昼・晩飯
7時間→睡眠5時間・昼寝2時間
7時間→農作業
7時間→ブログ3時間・運動半時間・新聞1時間半・読書2時間
農家には土曜も、日曜も、盆も、雨の休みもない。
この中でどうしても時間を捻出できないのが、運動半時間と読書2時間。農作業にくい込んでしまう。それでも並行処理を進めないと、現状の打開は決してできない。
農業や漁業をはじめ、自然を相手にする人々は語るべきこと、伝承する言葉を膨大に持っている。(宮本常一「塩の道」)→宮本常一は日本を代表する民俗学者
・・・こんな言葉を聞くとうれしくなる。作文は、
(1)若い頃、わりに本を読むことが好きで
(2)ある時期から仕事上、書く必要に迫られて
(3)最初は仕方なく書き始めて
(4)1ヶ月に1度書くだけでも、3年ほど経過する間にそれほど負担でなくなり
(5)仕事で必要(ワンパック野菜にミニコミをつけていた)だったので10年ほど続けているうちに、いつか1冊の本にしたいと思った。
(6)書く量が飛躍的に増えたのはブログに出会って「いきなり入力」に方向転換できたから。
(7)10年以上手書き→清書する時にワープロ・パソコン入力だったが、毎日ブログを更新するようになって4日間ほどで「いきなり入力」に切り替えることができた。ブログの作文をいちいち下書きしてパソコン入力していたのでは、とても間に合わなかった。
ボールペンで書くのとキーボードをたたくのでは、楽しさが違う。
マニフェストといっても、書いたことの結果の責任をとる必要がないのだから、なんとでも書ける。どちらのマニフェストも読む気がしない。
毎日ブログを更新するようになって20日で満3年が来る。何をやっても続かなかったのに信じられない。
自分に合った職業に出会えれば続く。
出会えるかどうかは運、不運もあるかも知れないが、
求め続けなければ出会えない。
9回目の転職が農業だった。
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農業補助金は先進国の平均をはるかにしのぐ水準
(2月20日の更新記事を再度紹介)
世界貿易機関(WTO)は18日、日本の貿易政策を検証した審査報告書を公表した。昨年9月の世界的な金融危機以降、日本は保護主義的な貿易措置を導入していないと評価。
農業補助金については、先進国を中心とした経済協力開発機構(OECD)の加盟30カ国の平均をはるかにしのぐ高い水準とし、日本は米や小麦、大麦向けの補助金総額を、03年度で1850億円拠出したとWTO事務局に報告しているが、米の補助金額については明らかにしていないと明記している。
WTOは定期的に全加盟国・地域の貿易政策を審査しており、日本に対する審査は2年に1度行われる。(農業新聞2月19日)
WT0のラミー事務局長は18日、難航している新多角的貿易交渉(ドーハラウンド)について、鉱工業品、サービス分野の貿易自由化が進めば「日本に多大な利益をもたらす」と強調。
日本は見返りに農業分野で、高関税を維持できる「重要品目」の数を原則4%に抑えることなどを盛り込んだ大筋合意案を受け入れ、農業市場開放を進めるべきだとの認識を示した。(山陽新聞2月20日)
農業補助金をチェックするインターネットサイト
(1月28日の更新記事を再度紹介)
欧州で、農家補助金額をチェックするインターネットサイト(FSC)が立ち上がったのは3年前。
以来、330万件に及ぶ「検索」が行われた。このサイトは欧州連合(EU)内の農家の個人名と受け取った農業補助金の額をたちどころに示す。
試みに「ジョン」と入力すると、3951の農家名が得られ、それぞれについてEUから支払われた補助金額が細かく明示される。国によっては農家の住所まで特定される。
加盟27カ国で7兆円の共通農業政策(CAP)予算の中身を、支払い先から丸裸にしてしまおうというのが運営元の狙いだ。
創設者であるジャック・サーストン代表に話を聞いた。
「誰がどれだけ補助金をもらっているのかを知ることは納税者の権利。大口受益者に対する支払い削減や、予算の透明性確保などCAP見直し議論の中で、農家補助金をチェックするFSCの活動が現実に影響を与え始めている。
納税者が農業補助金の使い道を知りたいのは当然だ。農民組織の中にいろいろと意見はあるが、情報を隠すべきではないと考える。
国民が使い道に激しいチェックを要求する一方で、農業保護そのものを否定する意見は、欧州内では大きくはない。手厚い農業保護を支える論理の背景に、農業が果たしているさまざまな機能への支持があるとみる。(以上農業新聞1月27日、変わる欧州農政)
スイスの農家Aさんが受け取る補助金
Aさんは18ヘクタールで20頭の乳牛と100本のリンゴ園を経営
農地面積支払い・・・1ヘクタールあたり91800円
傾斜地追加払い・・・傾斜地の場合、1ヘクタール38250円追加支払いされる。
草食家畜飼養支払い・・・1頭あたり17000円
家畜山岳地飼養支払い・・・山岳地帯の分類によって1頭あたりの支払額が変動。
山岳地支払い・・・山岳地帯の草地管理として1ヘクタールあたり31450円。
環境補償支払い(大型果実)・・・1本あたり1275円。
環境補償支払い(無肥料、刈り取り制限)・・・1ヘクタール分127500円
家畜日常放牧支払い・・・原則として毎日放牧、1頭15300円
合計307万7千円。
(以上、農業新聞1月28日)
誰にいくら補助金が支払われたか、どういう項目に対してどれくらいの補助金が支払われたか、細かく情報公開されている。
ひるがえって、日本の場合はどうだろうか。それぞれの補助金の一括した金額がわかるだけである。
特に、
(1)農業法人
(2)集落営農法人
(3)担い手農家
に対する補助金はEUなみに公開する必要があると思う。不正の温床になったり、不必要なものにまで補助金が出されたり、あまりに高額だったりする。
一定金額以上の補助金を受け取った法人・個人の氏名はインターネットで即座に確認できるような整備が必要である。なぜなら、膨大な補助金が農業分野に下りているのだから。
そのために必要なことは、
(1)自民党 農水省 農協の三位一体の打破
(2)農協に対する公認会計士監査の導入
(3)いわゆる農林族議員の問題
FTAとWTO
FTA・・・2国間・地域の自由貿易協定
WTO・・・世界貿易機関に加盟する153の国・地域が参加し、鉱工業品・農産品の関税引き下げやサービスの自由化、貿易円滑化などについて協議する。01年11月、中東カタールのドーハでの閣僚会合で立ち上がった。
FTAと異なり、参加国・地域の関税を一括で引き下げる効力がある
2国間協定のFTAの場合、双方が合意すれば、農産物など特定分野を関税引き下げの対象から除外できる。だが、世界共通の貿易ルールを決めるドーハ・ラウンドではそうはいかない。
昨年夏の閣僚交渉でWTO事務局が示した案では、各国が関税引き下げを緩和できる重要品目数は最大で全体の6%。
日本は農産品1332品目のうち、米や小麦など125品目に100%超の高関税をかけている。日本はこれらの品目のほとんどを保護できる「8%」を主張したが、理解は得られなかった。6%なら40品目以上の関税引き下げが迫られる。
輸出立国の日本にとって貿易自由化の恩恵は大きい。国全体の利益を考えれば、打撃を受ける農業を国で支えながら、貿易自由化を」進めるのが現実的だ。
だが、どんな分野をどこまで支援するのか。貿易自由化と農業重視の両立は簡単ではなく、一体的な戦略が求められる。(以上、朝日新聞8月14日)
米韓FTAの内容(米韓FTAとグーグルで検索し、よくわかる政治、ALL Aboutからコピーして引用)
 |
FTAによって両国は自国の得意分野産業の輸出を増やすことができるが、アメリカの農産物輸出拡大には韓国農家などが反対している。 |
今月3日、アメリカと韓国のあいだで米韓FTAを締結することが合意されました。アメリカ大陸以外の国がFTAを結ぶのはイスラエルについで2例目となります。
このFTAにより、韓国はアメリカからの輸入品のうち99%について、アメリカは韓国からの輸入品のうち100%について、それぞれ関税を撤廃するように努力することになります。
特に韓国の主要輸出品である自動車については、排気量3000CC以下の乗用車と自動車部品の関税が即時撤廃されることになっています。
その代わりアメリカはほとんどの農産物を関税ゼロで韓国に輸出できるようになります。牛肉については15年以内に撤廃します。ただしコメについては対象から除外されました。
こうして米韓FTAによって、両国は1つの経済圏となり、貿易は飛躍的に拡大するものとみられています。
最近の農業新聞では、日米FTAに反対一色であるが、韓国の国会で承認・批准されれば、日本も流れとして締結に向かうだろう。
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人生はもうそんなに長くない。
ある日突然、消滅点を宣告されることもある。
まだ、心の準備ができていない。
もう、ちょっと待って。
若くして亡くなった著名人も多い。
もし、そんな日が突然やってきたら・・・
ヤギの処分
ニワトリの処分
田んぼのありか(場所)を家人に伝え
山の境界線を教える
葬儀をする場所を決め(集落でも最近は家でしなくなり、葬儀場で通夜や葬儀をする)、
葬儀にかかる費用の概算をする(葬儀場を利用すると、最低でも80万~100万ほどかかる)。
葬儀など形式的なことはせず、ごく質素に家族と親族だけでいいと思うが、集落では葬儀の自由もない。
集落の人が参加しない葬儀はまだ見たことがない。
葬儀は集落での最後の参加行事であり、「見世物」である。
今は田舎でも土葬はなく全て火葬。
穴掘りをして土葬のような、集落の人の手を煩わせることはもうできない。それは25年ほど前で終わった。現実には土葬できるようなスペースも今はない。
死体は産業廃棄物であり、土葬より火葬の方がはるかに簡単。
墓は、母が亡くなってから父が先祖墓を建てたので、墓代の心配はない。墓も新たに作ろうと思えば200万ほどかかるのではなかろうか。
しかし、墓がなければ、墓を建てない自由はない。
集落の中にいれば、集落の人がやっているような常識(社会的通念)にはある程度従う必要がある。
あそこの家には、死んでかなり経つのに墓石も立てていないということになる。
なにごとにおいても、いわゆる社会の常識に掉さすことは、かなりの勇気とエネルギーがいる。
ボクは死んでも、残せる遺産が何もない。
しいてあげるなら田んぼであるが、田んぼは先祖から受け継いだものである。90アールほどあるが湿田が多く、野菜ができるのは現在作っている20アールほど。残りの70アールは稲作を委託できる人がいなければ、荒れてしまうだろう。
周囲の田も荒れていれば問題ないが、周囲が稲作をしていれば迷惑がかかるので、シルバー等に委託して定期的な耕運とあぜ草刈りだけは有料でしてもらうしかない。
売りたくても買い手はほとんどいない。つまり田舎の土地は負債。
山は放置しておけばよい。どこにもそうだから。
父が亡くなってから、稲作の農具を何人かに引き取ってもらったが、現在の自分はそんな大型農具はない。父から引き継いだ乗用トラクタがあるが、小型なのでそんなに場所はとらない。
田んぼの構築物は、物置と鳥小屋と井戸であるが、これは別に問題にならない。
ただ、ガンだったら、死ぬ前にかなりカネがかかる。家人がアメリカンファミリーというガン保険に入っているので、費用のいくらかは出るだろう。
ガンはある日、突然の宣告
まだ、心の準備ができていない
でも晩年の20年を土に帰依した仕事ができたのだから
これでよしとしなければ・・・
いや、今はまだ中間点。76才まであと20年が目標。
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きっこのブログ
「操作された嘘の情報を信じるのはバカの勝手。真実を書くのはあたしの自由」
昨今の就農出版ブームは、将来の農業を明るく描き出す。こんな状況を見て、上記の言葉を捧げたい。
どのような職業であれ、「なる」ことは意外に簡単でも、なりつづけること、ありつづけることは極めて難しい。(作家、沢木耕太郎)
農業者であり続けることは難しい。たとえ10年のベテラン、20年のベテランと言えども。
1990年に82万戸だった主業農家が、19年後の2009年には35万戸に減った状況を見ても、農業所得の増大策が必要である。(農業新聞8月13日、食料自給率)
農水省の調べでは、昨年12月末~6月末までに、全国各地の出先機関、農業会議所などの窓口で、就農相談を受けたのは29800件にもなる。このうち、4000人弱が農林漁業に新規採用された。このほか、こうした窓口を通さず地縁・血縁で就農した人がいる。実数は定かでないものの、農業分野は雇用の受け皿になっている。(農業新聞8月11日)
農業は独立自営業であることが、他の産業と異なる所であり、農業に雇用されるのなら、他産業に従事することと何ら変わりない。
農業の行く手を阻む最も大きな原因は「害獣」に尽きると思う。
見えない農村の将来像
農業に未来などない。このまま沈没するだけ。農業は「自給自足」することが基本であり、自給自足ができなくなった資本主義社会の元では、大半の人は農業ができない。
今後は、
(1)単なる趣味の自己満足の農業
(2)定年帰農者が楽しみでする自給自足農業
(3)企業型経営でする農業
この3つに集約されていく。民主党が「戸別所得補償制度の創設」をうたっているのは、(3)型の農業者のみ。
耕作放棄地を活用した牛の放牧
牛の草刈りによって、江戸時代に築かれたという棚田の石積みが再び姿を現し、周辺ではイノシシの姿が減ったという(山陽新聞8月13日)・・・この記事は2つ誤っている。一つは、棚田に牛を放牧したら石垣が容易に崩されてしまうことと、もう一つは、イノシシは牛を全く怖がらないという事実において。
牛は糞尿の量の多さによって、地域の水の生態系を壊す危険性が大きいと思う。
牛よりかなり小型のヤギでも、糞尿の多さにはちょっとびっくりする。人間より小さいのに、1回にする尿の量は、大人の人間の量より多く、回数は3倍ほど。糞も1日に大人の人間の糞の3倍ほど排出していると思う。放牧だから、小屋の中での糞尿はたいした量にならないだろうと想像していたが、小屋の糞出しは2~3週間に1度はしている。つまり、かなりの「肥料」が取れている。
ニワトリも20~30羽の庭先養鶏が、たった50年ほどの間に、資本主義の勃興によって駆逐されてきた。
大規模経営型に「戸別所得補償」をしても、環境も里山も全く守れない。逆に破壊されるだろう。本当は家庭菜園型を増やさなければならないのに、この方の施策はゼロ。
農業で最低限の自給自足ができれば、それだけで十分満足できる人も多いと思うが、資本主義は自給自足主義を駆逐することによってしか成り立たないので、世界の密林の奥地の集落の自給自足をも破壊してきた。
だめだったら、農業があるさ
農業に逃避できる
これが許されなくなっている
生きることの全てにわたって、カネがないと何もできない。
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名前:しの
********************
「器用貧乏」などと世の人は言いますが、あれは間違いです。
正解は、「貧乏器用」。
こうでなければ生きていけません。(笑)
衝撃のコメントでした。
「貧乏でも器用なら何とか生きていける・・・。」こういう現実を時々目にするからです。それは都会から山村へ入植した人たち。
こういう人たちの共通点は「たいていのことは人に頼まず自分でしている」。たとえば、
(1)小さな鳥小屋なら自分で立てている。
(2)簡単な家の修理ができる。
(3)山の湧き水をうまく引いている。
(4)薪割りができる・・・風呂焚きに利用
(5)農業には百種類の仕事があるから「百姓」と言われるが、器用さを要求されることが多い。例えばヒモ結び。農業ではよく使う。
食料が逼迫してもサバイバルに生き残るのはこんな人たちだと思う。自分くらいの年令では、低年齢の頃(昭和30年代)はまだ社会全体が貧しかったので、遊ぶ道具までこしらえた時代であり、器用な人が多い。
ボクが例外なのかも知れない。中学校の「技術家庭」という時間が苦手だった。援農してもらっているUさんに「鉛筆は自分で削っていたん」と聞かれた。
小学校の時、川釣りをしていたが、テグスと針がどうしても結べなかった。中学以後、釣りはしたことがない。
工業高校の機械科では、旋盤や溶接の提出物は友人がしてくれた。
5月12日に導入したので、今日でちょうど3ヶ月目。ハトほどの大きさになっている。
今日は中間点。つまり、3ヵ月後の11月12日には「初産」を迎えるはずである。それにしては現在のサイズが小さい。ここまでの成長はゆっくりだが、今後は成長スピードが加速するだろう。
今までは市販の飼料は全くやらなかったが、精米くずや麦が残りわずかとなり、糠漬けだけでは足らないので、出荷の帰りにコメリで餌を買った。
穀類 (59%)トウモロコシ、マイロ
植物性油かす類(28%)大豆油かす、なたね油かす
動物性飼料 (1%)魚粉
等が入った配合飼料である。飼料の原料はほとんど輸入品であるが、これらの飼料も少しは与えていかないと、今後の成長が遅れる。
いつも思うことだが、ニワトリの餌にはなぜ「賞味期限」が書かれていないのだろうか。
夕方には10分ほど、鎖をつけたまま放している。鎖をつけていれば、すぐに捕まえれる。
この時間はヤギが最も喜ぶ時間である。2頭は連れ立って行動する。オスの「さかり行動」も目につくが、メスが受け入れ体勢になっていないので、まだ大丈夫。
オスの去勢手術(いろんな方法があり、パイプカット)は終わっているが、獣医さんが言われるようには、睾丸が小さくならない。
9月下旬頃から発情期が始まるので、その時に「異様な臭い」がしなければ、オスの機能は失っているはず。
発情期のオスは長く「異臭がする」ということを、ヤギを飼い始めるまで知らなかった。
アマゾンの本
先日書いた「アマゾンで本購入」に関して、図書館や公民館で借りれば無料というメールを頂いた。
公民館で注文すると、本によっては1ヶ月以上かかる場合があり、借りに行ってまた返しに行くという時間が意外とかかると思ったが、今回アマゾンで本を注文してみて、やっぱり高く感じた。公民館で1冊ずつ借りる方法にしようとあらためて思った。
新聞3紙購読はブログネタのためだった。
ヤギ導入もブログネタのためだった。
ミツバチもブログネタのためだった。
本(購入もしくは借りる)もブログネタのためだった。
ブログはいつも自分を前向きにしてくれる。
「ヤギの平均寿命は15年」を思うと、時々ぞっとする。しかし、ブログのグラビアを飾ってくれるのはヤギ以外にない。ブログが続く限りヤギも挫折しないで飼える。
農業ライターになるのは難しい。5年、10年と続けて、可能性は半々だと思っている。ライターは無理でも「ブログ」が残せる。
農協に批判的な記事が多いから「家の光」や「農業新聞」からのアプローチは考えられないし・・・
慣行農法にも、有機農業にも批判的でどっちつかずだし・・・
ブログを書いて「放電」するのと同じくらいの時間を、本を読んで「充電」する時間にあてないと、早晩、心も言葉も干からびる。
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援農してもらっているUさんの指導を受けながら、蜂の巣箱作りをした。借りているサンプルの巣箱を参考にしながらの作業だった。
これだけで半日かかった。慣れればもう少し早くなると思う。これは3段だが、完成品は4段。
下段だけ「ゴミを出す引き出し口」を作った。
板を同じ大きさの4枚に切り、それらを充電式ドライバーを使ってネジクギで止める。
(1)充電式ドライバーは初めてなので、うまくできなかった。
(2)ネジクギが大き過ぎて、板が何度か割れた。
(3)板を持ってもらって充電式ドライバーを使ったからできたが、一人では難しいと思った。
援農してもらった日に1セットずつ作ろうと思う。月に3セットほど。
工作系が大の苦手なので大いに助かる。これから秋、冬にかけて蜂の巣箱作り、ヤギのパドック作り、シイタケの原木切り(チェーンソーがうまく使えない)、蜂のための雑木林の間伐。
援農してもらえなかったら、
(1)蜂の巣箱は3~4セット止まり。
(2)つなぎ(7羽)の鳥小屋・・・作れなかった。
(3)ヤギ小屋とパドックは大工さんに有料で依頼。
(4)シイタケの原木・・・増やせない。
(5)山仕事はしない。落ち葉かきだけ。
ドラムカン炭焼きも、竹の間伐が不得手で続かなかった。
もし工作系が得意なら、遅くとも農業をスタートして10年目頃には、これらを並行して始めただろうと思う。
しかし、それが良かったか悪かったかはわからない。
器用貧乏という言葉もある。
自分の場合は、工作系に時間をかけず、田んぼ見学やあめんぼ通信に時間をかけた。
しかし農業は、工作系が得意の方が何かと便利であるし、農業に転身するためには「必要な能力」と思う。、
(1)果樹系
(2)ハウス系
(3)畜産系
(4)稲作系
(5)花系
工作系が苦手だと「専門作物」を持つことはほぼ絶望的。
待ちくたびれた
もう政権を変えなければならない。すでに手遅れに近い。細川政権ができた時、これで変わると思ったのに。
今度こそ政権が変わると思うが、待ちくたびれて、この国にはもう期待する気持ちが失せた。
政権が変わっても、右寄りから左寄りまで、ごちゃまぜだから、内輪もめばかり続くだろう。
だいたい二大政党制をめざすこと自体がおかしい。これでは、思想の違う集団が同居してしまう。民主主義がきちんと機能していない日本では、アメリカやイギリスのような二大政党制はうまくいかない。6~7つほどの政治集団が競うのが日本では適していると思う。
国民一人当たり借金 約674万円
財務省は「国の借金」が6月末時点で860兆2557億円になったと発表した。前回公表した3月末時点に比べ13兆7587億円増え、過去最大を更新した。経済対策に伴う国債増発が主因だ。
7月1日時点の推計総人口(1億2761万人)から算出すると、国民一人当たり約674万円になり、3月末から3ヶ月間で約10万円増加した。(農業新聞8月11日)
こんな借金どうやって返すのだろう。次の世代へおくるのか。

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大雨が続き、今日の出荷はできなかった。
昨日から今日の午前中にかけて1日半、外に出れなかったので、ヤギも大きなストレスだったと思う。元気づけるために、柿の葉とサクランボの葉を手に持って与えた。
大雨の翌朝は水路を見て回り、落ち葉や枯れ草が水路をふさいでいないか確認する。
昼から買い物に出た。
充電式インパクトドライバー・・7980円(蜂の箱用)
ネジクギ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・598円(蜂の箱用)
丁番(4個)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・592円(蜂の箱用)
パワートーチ・・・・・・・・・・・・・・・ 1480円(蜂の箱用)
布テープ(黒)・・・・・・・・・・・・・・・・498円(蜂の箱用)
蚊取り線香(3箱目)・・・・・・・・・・698円(ヤギ用)
水苔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1280円(ビワの取り木用)
箱に使う板(コメリで売っている野地板)は前もって買っている。パワートーチは焼き板にする時に使う。板を切る丸ノコ(電動ノコ)が4000円ほどだったが、迷って買わなかった。
蜂の箱を作る一式は先日の先生が勧めてくださったものである。
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最近ノートパソコンが時々「うなり音」を上げる。古くなった(来年4月で、購入4年になる)せいかも知れない。他にも質問事項がたまったので、マンツーマンの指導を受けに行った。
高校生の時に出会い、今は大学生であるが、この先生のおかげでパソコンパニックから解放され、本来の文と画像だけに集中できるようになった。
ブログ以外のパソコンの使い方はほとんど知らない。以前は画像の処理とかパワーポイントなどを教えてもらったこともあるが、日々使う機能でないとほとんど覚えられないので、今はブログの処理でつまづいた項目だけを教えてもらっている。それでも1~2ヶ月に1度は指導を受けているので、質問事項がかなり生じる。
今日は「アマゾン」の本の注文方法も教えてもらった。以前に教えてもらったことがあるのに、1年以上使わなかったら忘れた。
注文したのは、
見残しの塔(久木綾子)・・・・・・2520円
思考の整理学(外山滋比古)・・・546円
どちらも朝日新聞の書評に出ていて興味を持った。中古本でよいと思ったが、中古本は送料が無料でないらしく、支払いも現金支払いを扱っていないらしいので新品にするしかなかった。
本を時々購入するなら、新聞をどれか止めようと思い、山陽新聞を止めて、朝日新聞と農業新聞だけにしたいと提案したら、家人3人に、朝日より山陽と猛反対を受けた。内容のレベルが全然違うのに。
自殺者数と自殺未遂者数
岡山労働局が7月31日発表した岡山県内の6月の有効求人倍率は0.56倍と、12ヶ月連続で低下。県内8ヶ所の職業安定所の有効求人倍率は0.31~0.86倍といずれも過去最低水準に。
不況を契機に、うつ病、雇用・家庭の不安、生活苦・・・など、様々な要因が絡まり、あえぐ人たち。
昨年1年間の自殺者は全国で3万2249人(岡山県407人)と、1998年から連続で3万人を越えている。今年も上半期で1万7076人と過去最悪ペースが続く。(山陽新聞8月8日)
自殺者の数にゼロを一つ増やした数が「自殺未遂者」の数だと言われる。つまり昨年1年間の自殺未遂者数は32万2490人という数字。
昨年1年間の交通事故死者数は5155人なので、自殺者はその6倍という数字。
惜別
佐々木(永田)七恵さん・・・マラソンランナー 53歳 直腸がん
「中村先生(瀬古選手を育てた監督)との4年間はそれまでの二十数年より濃かった。今では夢のようですが。幸せでした」(朝日新聞8月9日)
自分の場合も、農業を始める前の36年の人生と、農業を始めてからの20年の人生は、濃さがまるで違う。
農業で結果は残せなかったが、まだ夢を持っている。夢を持ち続けているからブログが書ける。農業に否定的なことと、農業に夢を持つことは自分の中で共存している。
裁判員候補(呼び出し状)・・・これは戦時の赤紙なのか。裁判員などしたくもない。人をみちびきたくないという、ただそれだけの理由。
アナログ、デジタル、地デジ、何の意味かよくわからない。先日我が家でも、よそ様よりかなり遅れてテレビを買い換えたが、今朝、家人が「2年後は強制的にこのテレビになるんじゃろう・・・」と言うので、下水道と同じじゃがと返答した。
集落に下水道が来れば、どんな理由があろうと下水道に連結することを強制される。しかし、そうは問屋が卸さない。現実には下水道に連結しない家も集落で1~2割は生じるだろう。理由は次の二つ。
(1)水洗便所に変更するカネがない。
(2)高齢の一人暮らしで後何年生きれるかわからないのに、何十万も出せない。
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あまり他のブログを見る余裕がないが、紹介するくらいはできる。
社会・経済の中の転職・キャリア→新しい「農」のかたち
この中の8月3日更新記事の「農協シリーズ第6弾」を、よろしければ御覧下さい。
生活・文化の中のライフスタイル→フリョウノウミンと元気野菜園ブログ。どちらの方も技術レベルが高い。
最近、同じ生活・文化の中に家庭菜園というジャンルが新たにできた。
このところ、ブログランキングに新しいジャンルが増えているが、第一次産業ではミニコミを出している人も多いので、生活・文化の中に第一次産業として、「農業」「林業」「水産業」というジャンルができたらいいのにと思う。
麦の後に蒔いたソルゴーが草に覆われてしまった。忙しくて手がかけれなかったら、こんなになった。お盆には、田んぼのすぐ上のお墓にお参りしてくる人も多く、お墓からは「丸見え」なので、ちょっと恥ずかしい。
農家としては、草山になっている田んぼを見られたくない。どの田んぼもお墓から見ると、草か野菜かわからなくなっているので、なおさら。
ヤギを飼うには3つのポイントがあると思う。
(1)ヤギ小屋作り・・・鳥取県の八頭総合事務所のHP参照
(2)杭と鎖
(3)ヤギのパドック
特に最近、(3)はどうしても必要だと痛感した。オスヤギの小屋には3坪(6畳)ほどの小さなパドックがあるが、これでは小さい。
ヤギが小屋から自由に出入できて、全速力で走ったりできる「細長い2アールほどのパドック」があれば、もっと手をかけなくてすむ。
害獣防御用のメッシュを使えば、2アールでメッシュが30枚ほどあれば足りるので、30枚×約550円=16500円ほど。
2アールあれば草の再生が可能であることと、朝晩、小屋からの出入がヤギの自由にできる。そして日陰になる樹木を植えてあれば、夏の暑さを回避できる。
モデル確立「年間100万円 生計は農業」
今日の農業新聞に「年間100万円 生計は農業」モデル生活確立へ始動という記事が大きく載っていた。
初めて、現実的な記事だと思った。農家の跡取りでもない非農家出身の人が山村で生きるには、特別の能力や技術がない限り、「年間100万円」で生活できなければ、現実問題として山村には住み続けれないと思う。
考えてみれば、一人生きるためのランニングコストが年間100万円ですめば、生きる自由度が飛躍的に増す。
農的生活や山村暮らしを楽しむためには、適度にアルバイトをし、アルバイトで100万円ほどなら稼げるだろうと見通しが立ち、100万あれば何とか生活が回っていくなら、「田舎暮らし」も可能である。
山口県や島根県で活躍する若者らがつくる「米と個性で自立塾」が、農山村での新しい農業スタイル確立を目指す「100万円育成プロジェクト」を始めた。都会より少ない収入でも過疎地で生きていけることをモデル的に示す。今後3年以内に、プロジェクトに参加した100人の若者を農村に定住させるのが目標だ。( 農業新聞8月8日)
こんなモデル生活確立の始動にこそ「補助金」を投じるべきだと思う。
中山間地域等直接支払制度や、スペシャリスト型農業をめざすニューファーマーズへの2年間360万円の支援があるが、日本の農業にたいしたインパクトは与えない。
里山の景観や環境を維持していくには、「年間100万円 生計は農業」というロストジョネレーション世代を「日本版ニューディール政策」として最も重点的に支援しないと、日本の農業に未来はない。
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現状に留まっていたら先が見えない。転身しようと思うと、厳しい決断を迫られる。
もう4年近くになるが、39才の時にサラリーマンから農業に転身し、17年続けた農業を57才の時に止めて、元の都会へ戻られた農業仲間がいた。
農業への転身も
農業からまたサラリーマン社会への転身も
どちらも難しい決断だったと思う。
農業を止める決心をしたのは、ぎりぎりになって決断するよりも、まだ余裕のある今、決断した方がいいし、60才まではあと3年あるから、働こうと思えば今ならまだ働けると言われた。
つらい決断をされたのだろうと思ったが、今から思えば、鮮やかな決断だったとも思える。
1年後にお会いした時、今の方がはるかに楽だと言われた。
自分も来年は57才。ずるずると決断を先送りしてきたなあという気がする。
確かに、ぎりぎりになって決断をしたのではいいことにならない。
来年はいろんな決断を迫られると思う。
仮にワンパックを止めざるをえなくなっても、ヤギは手放せないし、ニワトリも止めないし、これから始めようとしているミツバチも進めたい。
ワンパックは止めても自給野菜はもちろん作り続ける。
確かに20年ほどやってきたワンパックを止めることは大きな挫折である。
しかし、土曜、日曜もなく、あくせく働いても、たいした収入にはならない。
仮に、時間給が900円のアルバイトを1日3時間するなら2700円。月20日間働くとすると54000円。年間では648000円になる。3時間働いてこれくらいになるなら、農業収入よりいい。
残りの半日を自由に使える。
しかし、世の中、そんなに甘くない。
(1)最近の世間相場は時間給はせいぜい800円。
(2)こんな虫のいい働き先があるかどうかもわからない。
(3)現実は、アルバイト先も今はほとんどない。人づてで探すしかない。
(4)農業は自分のペースでできるが、勤めるとこうはできない。
(5)農業と全く違う仕事だとストレスも大きいだろう。
(6)農業とアルバイトで、気持ちの切り替えが簡単にできるだろうか。
だいたい、身体がその方向に簡単に向いてくれるかどうかわからない。
しかし、外的なちょっとした事柄で、農業の継続が簡単にとどめをさされそうな、綱渡りのような農業をしている。
(1)家人に何か生じた。
(2)電柵をしているサツマイモ以外の野菜に害獣被害が発生した。
(3)乗用トラクタが壊れた。
(4)自身の病気。
仮にワンパックを止めても、惜しい大きな投資はない。しいてあげれば井戸であるが、これは自給用野菜にも使う。
ブログは止めない。週に2回ほどの更新になるかもしれないが、ブログは自分が最も大切にしているものなので、止めれない。
先行きのよい選択になれば、それが一番いい。
ワンパックを止めざるをえなくなっても、農業本体まで手放すわけではないし、自給野菜と家畜は続ける。
確かにワンパックを止めることは大きな挫折である。
長年にわたって支え続けてくれた顧客もある。
しかし、展望が見えないものをずるずると続けていける余裕はなくなった。
今後の目標を見定めて、そのためにはどうすればいいか。
確かに現状が維持できて生活もまわっていくなら、それにこしたことはない。
その位置に安住できた方が精神的には楽である。
しかしそうすれば、将来の危機が膨らんでしまうこともある。
留まるにも先が見えない。進むにも方向が見えない。
いろんな選択肢を日々考えながら、今年、来年を過ごす必要がある。
急には方向転換できない。毎日毎日考え続けていれば、半年後、1年後、あるいは1年半後の転身もなんとか一歩が踏み出せる。
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45軒ほどの集落であるが、
36才で農業を始めたとき、60才以下の専業農家は集落に一人もいなかった。
現在56才で、やはり60才以下の専業農家は集落に一人もいない。
つまり、この20年間で農業を始めた現役世代は一人もいない。
今後の20年間も同じだろう。
いわゆる「産地」ではないから、作るにしても、売るにしても、自分で開拓する必要がある。
野菜にするか、稲作にするか、果樹にするか、動物にするか。
どうやって販路をつかむか。
岡山県での新規就農者(多くは県外の非農家出身)の多くは、いわゆる「産地」の後継者募集の一環であり、「ブドウ」か「トマト」を選択する人が多い。
産地では、指導体制も、設備も、販路もできあがっており、当人がそれに「乗っかる」ことができれば、わずか4~5年でかなりの収入を上げることができるだろう。現在は、後継者がいない農家の設備等をそのまま引き継ぐ「リース方式」の新規参入も増えているようである。
2ヶ月間の体験研修もあるし、それまでの人生経験から、やってのけれるかどうかは判断がつくだろう。
有機農業者は、産地以外の場所で、単独で始める場合が多い。
自分の場合は、サラリーマン社会に落ちこぼれて、農業はいわゆる「逃げ場」のような感覚だった。
逃げ場がなかったら、絶望だけである。
自分はあまり気にとめなかったが、集落の人は笑っていただろう。「農業では食えない」ということを骨身にしみて知っていたから。
家人に定期収入があったので、農業から淘汰されることはなかった。これは「甘えの構造」につながったかも知れない。
しゃにむに農業をしてきたが、いろんな能力が欠けていたと思う。
今のままではいけないと思っている。
今のままの農業を続けるなら、このブログの意味もない。
ワンパックでは、多少顧客を増やしても、収入は知れている。
「2頭のヤギの放牧」、「ニワトリ32羽」、「ミツバチ20~30群」、「現状の野菜」、「現状のハーブ」、「各種1~2本植えている果樹」、これらをトータルした「農の風景全体を売っていく」という、強い意志を持たなければと思っている。
この点に関する「営業」ができるかどうかが、今後の農業のポイントになる。
農業で稼げないなら、このブログの存在意義もない。現役世代にモデル例を提示するなら、手取り200~250万ほどにはする必要がある。そして、これくらいの収入にアップしたら、ブログの訪問者も連動して増えるだろう。
現物で稼ぐのではなく、風景で稼ぐ。その営業が自分にできるかどうかが、ライターへのカギだと思う。
カネがないと本も買えないし、時間の余裕もとれない。
引っ込み思案にならず、もっと攻撃的になれるかどうか・・・。
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大都会の片隅でもんもんと暮らす
田舎であくせく暮らす
群集の中の孤独
田んぼの中の一人
どこに住んでも大同小異
困難や不安と同居しながら
今日も一日が過ぎていく
人生いろいろ

サツマイモが草に負けそうになっているが、何とか大丈夫だろう。
キュウリの4回目の種蒔きを7月末にした。定植は8月11~12日で、収穫は9月中旬頃から。
7月は雨天が続いたので、サトイモが遅れを取り戻しつつある。
2月5日にヤギをもらってきて、今日でちょうど半年目。
去年の12月にはまだ空想もしていなかったヤギ。それが今、風景の中にいつも見える。
目の前に見える風景だけが変わったのではなく、自分も少し変わった。
ヤギも必死で生きている。のどかに草を食べたり、寝そべったりしているが、それはこの家畜の常。
絶滅種とは言わないが、この家畜は50年前に比べて激減している。
メリットが少ないからだと思う。乳量も少ないし、肉にしても少ない。
この家畜の存在価値は、風前の灯である。
復活する道はあるのか。
今の世の中のシステムが変わらない限り、復活はないかもしれない。
ペットにするなら、犬や猫に比べて、その能力はかなり劣る。
しかし今、風景の中になくてはならない存在。
養蚕とは、日本の心、日本の故郷、日本の農業。
しかし養蚕は全く記憶にないし、見たこともない。桑の木も知らなかった。
その桑の木を初めて知ったのは、農業を始めてしばらくしてから田んぼ訪問をした時だった。記念に1本だけ植えていると言われた。
3年前、苗物店で見て急に植えたくなり、買ってきた。
蚕が大好きだった桑の葉は、ヤギも大好物だった。それを見て、桑の木を増やそうと挿し木をした。1回目は全滅だったが、懲りずに2回目の挿し木をすると、画像のようにうまくいった。6本育っている。
ヤギはビワの葉も大好物だったが、そのビワの木が今回、ミツバチとドッキングした。養蜂家の誰もがビワの木を最重要な「蜜源」だと言われる。
ヤギが大好物だったので、桑と共にビワも挿し木をしたが、1回目、2回目とも全滅。
グーグル検索を思いついて、さっき検索したら、ビワは「ミズゴケを利用した取り木」が良いとあった。7~8月は時期が悪いらしいので、9月中旬になったら20本ほど取り木を試みようと思う。
ビワの開花期間は10月~2月で、花の少ない冬季に長期間咲く。これがミツバチに最重要と言われる理由である。
【ビワの取り木】
<必要品> ミズゴケ、ビニール袋、ヒモ、ナイフ
<方法>
①取り木する場所は、直径1cm以上の部分ならどこでも可能。
②ナイフで樹皮を幅1cm程度、環状に剥皮する。
③環状剥皮部分の5cm位の部分に、ビニール袋を切り広げ、ゆるく巻き付け、ヒモで縛る。
④巻き付けたビニールの内側に、水に湿らせたミズゴケをコブシ大に握り、上下に3~4個詰める。
⑤ビニール袋の上方をひもで縛る。
ビワの取り木は、真夏の7~8月をのぞき、いつの時期でも行える。
冬行えば“4~5月には根が出る”ので切り離し、鉢植えや地植えできる。(以上は、ヤフーの知恵袋でベストアンサーに選ばれた回答)
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7月26日にアマチュア養蜂家の家でお会いした、同じ瀬戸内市の養蜂家の巣箱を見せてもらいに行った。
こちらの人の方が、よりシンプルだった。
こちらの方が真似はしやすいと思った。
苦手な箱作りであるが、箱作りの全てを依存し続けていたら、箱が増やせないと感じた。
7月26日の方はすでに20セット以上を、今日の方もすでに9セットを据え付けられていた。キャリアはそれぞれ4年と1年半。
2年で20セット(1セットは4箱)を目標にするなら、箱作りの壁はどうしても突破する必要があった。
真似をするのも自分にとってはベルリンの壁であるが、普通の人には、朝飯前なのかも知れない。
お願いして、一つ見本をもらって帰った。これは一番下になる箱で、掃除するための小さな扉があるが、その上の3箱は扉はいらず、同じサイズの箱を重ねるだけで完了。
もう一人の方のように細かい細工があれば自分には難しいが、とにかくこれで十分まにあうらしいので、まず一つ作って「慣れて」いくしかない。
設置する所までを、できるだけ早くしたい。
今作っても、運がよければ入るくらいで、大半の分蜂は4月中旬~6月上旬頃らしい。
しかし苦手だから秋~冬の間に作って、箱に慣れたい。
2人の方の置き場を見せてもらったので、置き場のイメージはかなり前進した。
今日の方の巣箱は全くの山の中で、蜜源はほとんど樹木の花のようだった。
ボクの所も、葉タバコ跡地の山の斜面が10アールほどあるし、田んぼに設置して簾をしてもいいようなので、置き場所はいくらでもある。
問題は、日本ミツバチがいるかどうかということと、箱を気に入ってくれるかどうかという2点だけ。
ミツバチがいれば、山は深いし広いので、2年で20セットという数字も夢ではないと思う。
ただ、日本ミツバチを日常ほとんど見かけたことがない。
巣箱を見せてもらったお二人とも、まことに器用で、最初は独学でスタートされている。
農業=ミツバチのように思っていたが、お二人とも家庭菜園はされていない。一人はサラリーマンで、今日の方はなんと「金光教の先生」だった。
我が家も代々「金光教」なので、急に親近感を覚えたが、現在の自分は全く信仰はしていない。
ボクは親の信仰の反動で全く信心しなくなったということが一つと、物心ついた時からずっと宗教的な雰囲気だったので、卒業という気持ちが一つ。
信仰よりブログ。
今日の方は同世代であり、「本も3冊出されている金光教の先生」なので、今後「信仰」の事には触れないようにしようと思う。
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今、農業ができている自分に十二分に満足しているし、この仕事に誇りとプライドを持っている。
里山を維持するためにも、一人でも多くの人が農業に参入し、農的生活ができるようになればいいと思うが、現実は、田舎に住んでいても、農的生活はできないのが現実である。
現在では、農業ができるできないは、都会に住んでいるか、田舎に住んでいるかの区別ではなく、経済力があるかないかに左右される。
ずっと農業がして来れたのは、家人に定職があったからである。
もっと収入が上がるように農業形態の変更をいろいろ模索したが、結局、変更することができなかった。
20年ほどやってきて、農業で食べていくのは大変だと思う。
政権が変わっても、有畜、小農、複合、自給型の農業者には、何の援助(補助)も期待はできない。
もちろん、農協など何の役にも立たない。
あっという間の20年だった。
田舎の20~30羽養鶏や、使役を兼ねた牛の1頭飼いが、たった50年ほどの間に廃れてしまい、10万~100万羽単位のケージ養鶏や、牛の多頭飼いに移ってしまったように、今後の農業は、
(1)企業農業
(2)集落営農(補助金の受け皿)
(3)大規模認定農家
等に集約されていくのだろう。そして、こういう農業に莫大な補助金を投入し始めている。
農業の二極化がますます進む。
一人でするから農業は楽しい
雇用農業など会社勤務と同じである
一人または家族農業でないと、環境も里山も守れない
組織農業や大規模農業は人間疎外型農業である
つまり、国が推し進めようとしている農業は、いわゆる20世紀型農業であり、時代に逆行している。
ボクが農業を選択した時代はまだよかったが、今は農業を取り巻く状況がますます悪化している。害獣の進出や気候の問題が大きい。
定年帰農型農業しか、農業への新規参入が困難になっている。
心を解放してくれるのは大地しかないのに、現役世代は、土に触れることさえできなくなっている。
どうやったら自分らしい生き方ができるのか。
田舎で農業をしながら、多くを持たず、多くを期待せず、小さな生活圏で、自然を相手に謙虚に生きる。こんなつつましい生活さえ、一人だと150万円、家族だと250万円ほどの生活費がかかるだろう。いったい、どうやって稼いだらいいのか。
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政府の一般会計予算
毎年度の支出(歳出)・・・80兆円
毎年度の収入(税収)・・・50兆円
というのが平時の姿である。差額の30兆円は赤字で、新たな借金でまかなわねばならない。
この不健全な状態が続いてきたため、積み上がった国と地方の借金は800兆円。財政状態は主要国で最悪だ。早期に立て直さなければ、将来世代に重い国民負担がのしかかる。
80兆円と50兆円の構造問題を解く筋道を描くことが前提だ。
仮に支出(歳出)の無駄を10兆円削って70兆円まで圧縮しても、均衡させるには20兆円の税収増が必要だ。これは消費税7~8%分にあたる。
(以上、朝日新聞社説・7月31日)
08年度末時点で、国民一人当たり663万円の借金を抱えている計算になる。4人家族だと2652万円の借金。
我が家も4人家族だが、そんな借金があったら一家心中、というより、そんなカネは貸してもらえない。
なのに国は平気。
いくらでも「国債」という借金を連発する。
この国に生まれてくる子供がかわいそう。
全国一律に均質化され、多様性のない社会。
くそおもしろくもない学校の授業。
いったんレール(企業組織の正社員)から外れると、経済的に極めて困窮する。
大学3年時から就活→新卒入社→40年ほど勤務→定年退職・・・そんなレールにさばりついていないと生きていけない劣悪な国家。
でも、どうすることもできない。
言い事は米櫃(とびつ)から。
カネの切れ目が縁の切れ目。
家族でも財布はもちろん別。
自分の食い扶持くらい自分で稼げ・・・自分に言う
あんた、いつ死んでも悔いはなかろう、好き勝手なことばかりしとんじゃから・・・家人の言葉
金儲けと死に病(やまい)は、えらい。
農業という自由と引き換えに失った経済力。
今は自分のことだけを考えておればいいお気軽な身であるが、たった100万円ほど稼ぐのも農業ではなんと厳しい。
自業自得・・・ 自己責任・・・
しかし、農業のランニングコスト及び生活のランニングコストは少ない。だからやっていけている。
65才になれば、84万円ほどの年金がもらえるはずだから、それまで何とか農業収入で食いつないでいこう。今年を入れて後9年。
その間、病気をしないことが前提。この前提が崩れると、全てが瓦解する。
農業収入も、今以上に害獣が出てこないことが前提。害獣防御は自分の苦手な農作業の一つだから。
顧客はイタリア料理店が主体であり、取引はさほど安定していない。
今より減れば、また電話営業をして「一本釣り」する必要がある。
電話営業は「数打ちゃあたる」。ただ継続した顧客になってくれるかどうかはわからない。
そんなこんなで厳しい日々である。まるで綱渡りのような農業・生活をしている。
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1週間前にうかがったアマチュア養蜂家の所に、友人の木工作家といっしょに行き、箱の作り方をまた詳しく教えてもらった。
とりあえず1セットか2セット、8月中には木工作家に作ってもらおうと思う。
左下の画像は、重箱のような箱を置く台。右下の画像は重箱のような箱をネジクギで止めている。採蜜する時に、このネジクギをはずし、鯛釣りのテグス(ケプラート12号)を箱と箱の隙間に入れて切るらしい。
板材は、畳の下に敷く座板(杉板)が、2メートル、300円ほどで材木店に売っているらしい。
重箱のような箱は正方形で長さ30センチ(内径25~27センチ)。
板は15ミリの厚さで一つの重箱の高さは15センチ。
ミツバチが出入する巣門は、8ミリ×125ミリ。
重箱の上部の箱には、対角に棒のようなものを入れる。重箱の下部の箱(育児箱)には入れない。
上の画像は「キンリョウヘン」という東洋ラン。4月~5月にミツバチが分蜂する時に、この花を置いておけば、それに群がるらしい。
9時過ぎに家を出た時にはまだ雨は降っていなかったが、まもなく大粒の雨が落ち出した。養蜂家の家に近づいた頃には土砂降りになったので、外につないできたヤギのことが気になって仕方がなかった。
昼過ぎに帰った時に家人に聞くと、こっちはちょっと降っただけだと言う。
ヤギ小屋のある2アールほどのこの田んぼを、ヤギのパドック(小さな放牧場)にしようと思う。
(1)パドックがあれば、今日のような雨の時、小屋に戻る。
(2)パドックがあれば、日中、暑くなれば、小屋に戻る。
(3)パドックがあれば、杭を打ってつなぐ回数が少し減らせる。
(4)パドックがあれば、ヤギが格段に自由になる。
(5)パドックがあれば、夜が明けると自由にパドックに出て、日が暮れると自由に小屋に戻る。
(6)パドックがあれば、1泊2日の小旅行をしても放任しておける。
(7)パドックがあれば、ヤギの喜ぶ姿が目に浮かぶ。
2アールの周囲は65メートルほどなので、竹で囲うか、ヤギ用の金網で囲うか、害獣防御用のメッシュで囲うか、援農してもらっているUさんに相談しながら決めたい。この冬の農閑期の一大仕事。
農業は百種類の仕事をこなす必要があるから「百姓」というらしいが、不得意な農作業が多くて困る。特に苦手なのは、
(1)紐を結ぶ作業
(2)クギ、カナヅチ、ノコを使う作業
(3)トラクタ、管理機、エンジンポンプ、草刈機の点検整備・・・全くできない。故障したら農機具店に依頼。
(4)ハウス・・・やっぱり無理。中古なら、もらいに行って、分解して、軽四に乗せて、また組み立てる必要がある。
ビニールを張ったりするのも、一人でできそうにない。
これらの現実は、やはり自分の農業を大きく制約してきたと思う。避けるしかなかった。
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