「限界集落」という言葉を始めて作った大野晃教授。この言葉ひとつで、後世に名をとどめるだろう。
この言葉を初めて見つけたのは、いつ頃のことだったか、はっきり思い出せないが、この4文字熟語が与えたインパクトは強烈だった。
この4文字熟語に批判が相次いでいるらしいが、ボクは圧倒的に支持する。
「血が通っていない」「住民の痛みを考えていない」。山口県は「小規模・高齢化集落」、宮崎県は「いきいき集落」と言い換えた。
とんでもない。「限界集落」という言葉ほど状況を的確に表現した言葉はないのに。
この言葉に、「血が通っていない」とか「住民の痛みを考えていない」と思えるなら、ボクとは人生観や感覚がまるで異なる。
「小規模・高齢化集落」とか「いきいき集落」では、言葉が軟弱すぎるし、危機感がまるでないし、現実をオブラートで包み隠そうとしているように見える。
田舎にも、農業にも、ほとんど未来をイメージできない。
農業で稼げていないからだろうか
農業の能力が低いからだろうか
だから農業を否定的に捉えるのだろうか
それもあるかもしれない。しかし、田舎の人は農業では生活ができないと骨身にしみている。それが証拠に、職業として農業を選択する人は、皆無に近い。
義兄はかなり稼いでいる部類の「認定農業者」であるが、それでも2人の息子はどちらも農業を継いでいない。サラリーマンをしている。
瀬戸内市の牛窓町は県下でも有数の野菜産地だが、後継者はほとんどなく、定年後に始める人がいるくらいである。
普通、10年、20年と続けていたら、状況は好転してくるものだと思うが、害獣はますます増え続けているし、異常気象の頻度も増している。野菜単価は20年一日のごとく変化しない。
現在耕作している田んぼ以外に所有している田んぼは70アールあり、集落内の親戚の稲作農家に委託しているが、すでに70代後半なので、いつまでしてもらえるかわからない。
他に稲作をしてくれる人はいない。45軒ほどの集落で、稲作をしている家はすでに10軒を下回っている。
田舎の土地は「負債」。できれば70アールの田んぼは売ってしまいたいが、誰も買い手はいない。
稲作をしてもらえなくなったら、年に5回ほどは耕運しないと、草ぼうぼうになってしまう。草ぼうぼうになってから草刈機で刈るより、そうなるまえに耕運した方が労力的に楽である。
自分で耕運できなかったら、放置しておく(すぐに荒地になる)か、有料で委託するか、どちらかである。隣の田んぼも放置していれば問題ないが、何らかの作付をしておれば迷惑がかかるので耕運する必要がある。田舎の土地は「負債」というのはこういう理由からである。
農業に転身できたことを感謝しているが、農業の現実はますます厳しくなっている。
50年前に農業で自給自足できたのは、国民年金や国民健康保険の支払いもなく、ライフラインといえば電気代だけだった。テレビもない、電話もない、洗濯機もクーラーも掃除機も冷蔵庫も田舎にはない時代だったので、それらを購入するために稼ぎに出る必要はなかった。農業を普通にやっておれば食えた(生きていけた)時代だった。
現在、自給自足しようとすればかえって高くつく。たとえば、卵のためにニワトリを飼うことは、卵を買うことにくらべ10倍ほど高くつく。
卵を月に2パック買うとすると合計300円。年間ではたった3600円。
ニワトリを10羽飼えば、
(1)ヒヨコ代は10羽×250円=2500円
(2)購入飼料代
(3)エサに麦等を作るなら種代と肥料代と作る手間代
(4)日々のニワトリの世話の時間
(5)最初にニワトリ小屋を作るので、その減価償却費
家庭菜園で野菜を作ることは、ニワトリと同じようなことが考えられる。
経済的余裕がなければ、家庭菜園もできなくなっている。
田舎でも自給自足できるものは何ひとつない。社会保険料やライフライン等のシステムの利用料金は都会と何ら変わらない。
逆に交通は不便なので車は必須であるし、田舎へいけばいくほど諸物価は高い。家賃はただといっても、家賃分くらいの家の修理費用が10~20年のうちに発生する。
加えて雇用先は少なく、都会に比べて給料は低い。
病院、郵便局、銀行、役所、スーパー、ホームセンター等は遠く、時間とガソリン代がかかる。
田舎では冠婚葬祭費も必須。
定年後の楽しみとしての家庭菜園も、山間地では「檻の中で野菜を作る」のが現実である。それくらい害獣が進出している。
まさに、都会より田舎で住む方が高くつく。しかも雇用先が限られているのだから、若い人は都会に出て行くしかない。これが「限界集落」以外の何であろう。
マスコミは田舎の現実をきちんと伝えていない。
身に迫る危機を感じながら、日々、農業にいそしんでいる。
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ニヒリズム(虚無主義)とは、 一切の既成の価値・秩序・権威を否定する立場。
近代へのニヒリズム 内山 節(哲学者)
今日ではさまざまな場面で「危機」という言葉が用いられている。
もしかすると、資本主義の発展と一体になって展開してきた近代文明そのものが、歴史的な限界を示し始めたのではないか。
今日の社会の奥には、この問題がよこたわっていると私は思っている。だから、進歩とか科学の発展、自由な個人の確立といった近代を動かした言葉に、多くの人は輝きを感じなくなった。
そして、本物ではない世界に漂白している自分を感じるようになった。
働くことに対してもそうである。現代システムのもとで働くこと自体に、自己の消費しか感じられない人々がいかに多くなったことか。だから簡単に仕事を辞め、しかし仕方なく仕事を探し、そんなことを繰り返す人たちが大量に現れてくる。
根底に流れているのは、持続性を感じられなくなった社会、信頼できなくなった近代のシステムに対する一種のニヒリズムである。
もっともこの現象は、すでに半世紀近く前から生まれていたものでもあった。1970年代には「脱サラ」という言葉がブームになっているし、その頃から職人的な仕事や農業を志す人たちもでてきている。
大きなシステムに個人がのみ込まれていくのではなく、生きること、暮らすことを自分でデザインする。1970年代から農業や農山村での暮らしを志す人たちがでてくるのは、そのような生き方ができる場として、農業や農山村に可能性が感じられたからである。
自然とともに生きる自分をデザインする。作物をつくり、消費者と結ばれ、地域のコミュニティや文化とともに生きる自分を、自分でデザインする。それは近代的世界へのニヒリズムを通過して生まれた、持続性のある社会や生き方を再確立していこうという試みである。
新規就農者の多くが、なぜ有機農業を進めているのかも、このことと関係している。それは、安全、安心な作物を作るということだけではなかった。自然を含む他者を破壊することは、いずれ自己を破壊することに帰着するという確信が意識の底に存在している。
それは、他者の世界を破壊しながら発展してきた近代文明に対する批判であった。
そんな先駆的な行動によって基礎がつくられ、いま都市の人たちをも巻き込んで大きな動きになってきたのが、農業や農山村に対する今日の一種のブームである。
非正規雇用の人たちが3割を越す社会は、ワーキングプアの発生だけに問題があるのではない。この労働には、生活費を得るという以上の意義や価値が見いだせないのである。
それは労働自体への虚無感を深め、この社会や経済、人間の存在をなぜ持続させなければいけないかのという思いを生みだす。
そしてここに今日の危機の根本があるからこそ、自分の生をデザインしていく生き方に、多くの人たちが共感しはじめているのである。
以上は7月23日の朝日新聞に載っていた「近代へのニヒリズム」(内山 節 哲学者)の抜粋であるが、今の自分の力では書けれないことを的確に表現されている。
昨日コメントを頂いたneet-manさんに、内山節さんのこの一文を捧げたいと思います。
都会の非農家出身で、過疎の山村で自給自足的な生活を始める人がだんだんいます。単身の人が多いですが、主たる収入は農業以外のこと(アルバイト等)で稼ぎ、残った時間で自分のやりたい方法で農業をされています。収入といっても年間50~60万のようですが、それで生活をされている方を何人か知っています。
要はそんな人と出会い、その真似ができるかどうか、自分もそういう生き方をしたいかどうかだと思います。興味があれば、話を聞くだけでも参考になると思います。
どこの県でも、農業をやっている人は、そんな生き方をしている人を何人か知っていると思います。岡山県でよければご紹介いたします。
田んぼが乾かず、なかなか耕運できなかったが、今日、第2回目の耕運ができた。
トノサマガエル、そこのけそこのけ、乗用トラクタが通る
8月17日~8月20日頃に、ニンジン、ツルナシインゲン、レタスの種を蒔き、8月25日頃に秋ジャガイモを伏せる。
まだ続いている糠漬け。水分が多くなったり、量が減ってきたら、米糠と塩を適宜補充する。
続いている理由は、家で食べる糠漬けと違って、いちいち手を洗ったり、キュウリを洗ったりする必要がないから。
それと、毎日作らないと(混ぜないと)すぐにカビが湧く。
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警戒もなく無防備な姿で寝そべっている姿を見ると、気持ちがなごむ。
ヤギは居場所を確保し、風景を作りつつある。
ヤギはエサ代はいらない。手間だけ。
種類の違う杭が8本あるが、常時動かしているのは2本の杭だけ。杭の長さは40センチ。
鎖の長さは2メートル。直径4メートルの円が食べれる範囲。
1日中同じ場所でなく、1回は移動させている。
日射病になるので、暑い時は日陰に移す。
食べているか寝ているかどちらかであり、ものすごく食べているように見えるが、草の成長の勢いには、はるかに及ばない。
ヤギの草刈能力は草刈機に比べたら、比較にならないくらい劣る。
ペットとして飼うしかない。平均寿命15年ほど。
そんなに生きられたら困る。
逆に早く死んでしまったら、せっかく作った小屋や、今まで費やしてきた労力が無駄になる。
オスの去勢手術は1回目がうまくいかなかったようで、2回めをしてもらった。
睾丸が小さくなるはずと獣医さんが言われたが、小さくならない。しかしその後大きくはならず、気のせいか、多少縮んで見える。
去勢手術にこだわっているのは、
(1)近親だから交尾は避けたい
(2)2頭いっしょの小屋で飼いたい
(3)発情期(数ヶ月間)の異様な臭いは御免被りたい
今後の楽しみは、メスの受胎、出産、乳しぼり。
ただ、種付け料が1万円ほどかかるようである。
10月受胎、5ヶ月(150日)後の3月出産を考えているが、今のメスの大きさ(成長度合い)から見て、今年の10月種付けは見送りになると思う。
乳といっても1頭では、自家用と親しい人におすそ分けする程度の量だろうし、搾るための時間が1日15~20分ほど避けられなくなる。
ヤギ乳が飲めるだろうという楽しみと、今以上に手間を取られるという気持ちの相殺感情で、+-ゼロ。
何と世知辛い世の中なんだ。いや、自分で世知辛くしているだけなのかも知れない。
まだ現役だから、農業収入のアップが必要。
しかし、あくせく頑張ってみても、たかがしれている。
頑張り過ぎて病気にでもなれば、農業収入の何倍もの出費になる。
それは最も避けたい現実。でも、あくせくせざるをえない。
頑張りすぎても、農業ではいい結果にならないから、農業そのもののなかに楽しみを見出していくしかない。
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カネにならない今後のミツバチ飼育
しかし、これらの大いなる無駄があるから、心の平衡が保てている。
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イチジクとクワには、画像のようなカミキリムシが来て樹皮をかみ、枝を折られることが多い。今日も2つ見つけたので、足で踏み潰した。
ルバーブ(ハーブの一種で茎をジャムにする)は突然枯れることも多いが、場所が気に入れば、画像のようによくおごり、5月~11月頃まで収穫を続けることができる。
まだ止まり木にとまって寝ない。夜7時半過ぎに見たら、入り口の扉あたりに集まっていた。隅のコーナーでは、集まった時に暑すぎるのだと思う。
今日はUさんが援農にきてくださったので、ナスビの葉を全部落とすのを手伝ってもらった。枝はもう少し切り戻す(切り詰める)予定。
35日経過すれば、ピカピカの秋ナスが成り始める。
サツマイモのツルが電柵の外にはみだし、電柵がほとんど機能していない状態だった。ただ、この1ヶ月あまり、シカもイノシシも出ていない。当地での出没は主に冬場であるが、サツマイモの収穫期にはイノシシが狙う。
民主党マニフェストの「戸別所得補償制度」は、米や麦、大豆などの農産物のほか、水産、畜産分野でも生産数量目標を設定。従う農家には、生産費用と販売額との差額の大部分を政府が補償する仕組みだ。補償額は年額1兆円で、段階的に導入する水産、畜産物への補償もあわせると1兆4千億円に膨らむ。(朝日新聞7月28日)
民主党の戸別所得補償制度も、自分の農業には関係ないようである。つまり1~2割ほどの農家に恩恵があるだけで、残りの8~9割ほどの小規模農家や家庭菜園には全く意味のない制度である。
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自民党の集票マシン
御三家
医師会
建設業教会
農協
今回もまだ大半が自民党支持のようだ。
だいたい、二大政党制では、少数意見がほとんど反映されない。自分の考えに最も近い政党は「社民党」であるが、二大政党制の中では完全に埋没している。
政権が変わっても期待はしない。莫大な負の遺産(大借金)を引き継ぐのだから、うまくいくはずがない。
今日の朝日新聞の社説は「企業献金」だった。
経団連会員企業の献金は07年には、
自民党・・・29億円余り
民主党・・・8300万円
何と自民党は民主党の35倍ほどの企業献金がある。
岡山県でも、07年の企業献金は、
自民党・・・2億3801万円
民主党・・・240万円
何と自民党は民主党の100倍近い企業献金がある。
企業献金を廃止しなければ、この国に民主主義は育たない。
企業・団体献金は政治腐敗や疑惑の温床となる、あるいは政策をゆがめるとして批判を浴びてきた。
経済界が求める政策を実現する手段としての献金、という性格はぬぐえない。
民主党は「3年後の企業・団体献金の廃止」を掲げて総選挙に臨む。
経営者も、期待する政策の推進や政党を応援する自由はある。だが、会社の金ではいけない。個人の自由な献金で政治を支える文化を育む方向にかじを切るべき時ではないか。
(朝日新聞7月24日)
政権が変わってもほとんど期待できないが、もう「変えなければならない」。既に遅すぎるくらいだ。
地方選挙でも国政選挙でも、地元にとって得な人ではなく、地域にとって得な人ではなく、自分が属している団体にとって得な人ではなく、この国の未来のために有益な人を選びたい。
昨日は好天で猛暑だった。これがありがたかった。朝、ずたずただった鳥小屋の前だし(糞出し)をしたが、夕方には地面がだいぶ乾いていた。
日陰になる場所は、物置の北、鳥小屋の北、そしてこの場所の3箇所しかない。
先日作った寒冷紗の日陰は、ちょっと使い勝手がわるい。
メロンやスイカをもらった容器を返しに牛窓町に行ったら、早、キャベツの種を蒔いていた。これだけでも、
12ケース×15×144穴=25920本(苗)
姉も義兄もいなかったので、どうやって蒔いたのか、あといくら蒔くのか聞けなかった。
産地の農業のスケールには、ついていけない。
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コメントを頂いた生分解性マルチ・・・今日、出荷の帰りに農業資材店へ寄って生分解性マルチを聞いたら、取り扱っていないという返事。近くに農業資材店が他に2店あるが、いずれも取り扱いなし。
以前、「日本農業システム株式会社」の通販で購入したことがあるが、その時はポリマルチの4倍の価格だった。2倍なら、はがす手間や廃棄処分料を考えたら、もちろん生分解性マルチを選ぶ。3倍になるとちょっと微妙。
通販だと、農業資材の単品1つでは、送料の関係でなお高くなるように思う。
1998年度を直近のピークに減少してきた農水予算の当初予算額、補正予算額の合計は2007年度の2兆8750億円で底を打ち、09年度は3兆5907億円まで盛り返した。
こんなに農業予算が投じられても、農業は廃れるばかり。効果のない所にばかり注入されている。
過疎債とは、正式には「過疎地域自立促進特別措置法」というもので、自主財源が乏しく、過疎が進む地域の自立を促進するためつくられた特別立法で過疎地域に指定された地域で使用することができるものである。
市町村、都道府県が過疎対策に投入した事業費は過去40年間で89兆円に達する。
過疎債は農道や自治会の活動拠点など、多くの基盤整備に利用された。
道路やハコ物ばかりに予算が投じられ、「なぜ過疎になるのか」と言う根本のところが議論されることはなかった。
これから山村に移住するには
(1)下水道の来ていない、もしくは来そうでない集落を選択
(2)集落営農をしている村は選択しない
(3)できれば簡易水道のある集落を選択
(4)害獣情報をきちんと確認し、「ほどほどの田舎」を選択すれば、害獣は比較的少ない。
中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が就職後3年以内に離職する「753現象」も定着。就職難の時代を迎える一方、就職間もない若者が次々と離職や転職をする状況も、顕著になっている。(朝日新聞7月12日)
自分も753の一人である。初めて就職した会社を1年と3ヶ月ほどで辞めてしまった。まだ高度成長の時代だったので、もう一度レールに乗るチャンスはいくらでもあったが、うまくレールに乗ることができなかった。
今の時代、うまくサラリーマン社会のレールに乗れなかった人は、「自殺か餓死かホームレスか刑務所」になるらしい。
一歩、方向を間違えたら自分もそんな境遇だったろう。たまたま自分は田舎の農家出身だったので、最後、どこも勤める所がなくなった時に、農業がひらめいた。
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オスヤギの遊び場に水がたまるほどよく降った。
隣のニワトリ小屋は、水はたまってはいなかったが、天井の屋根が一部しかないので、足元はずたずた。
ニワトリは止まり木に待避してくれていた。ニワトリは夜は目が見えないが、どの止まり木に止まったら雨にあたらないか、本能的にわかっているようである。
サトイモの畝間にも水がたまっているが、この作物には都合がよい。
エンサイも雨にあたるとますます勢いを増す。
朝から強い雨が降り続いていたが、そのおかげで、先日購入したミツバチの本が読めた。
ミツバチに関しては、もう少し早く、10年ほど前に導入できなかったかと残念に思う。
8年目に入った時に、ハーブや食用花、ドラム缶炭焼き、百姓塾など、いろんな事にトライしたのに、ミツバチだけは頭に浮かばなかった。
2~3箱では売るほど蜜は採れず、趣味では飼えないという先入観が強すぎたように思う。
友人等から分けてもらうにしても、箱代がかなり高いので、5万円は下らないようである。
ミツバチは巣箱から3キロ以内が生活圏らしい。その生活圏の「蜜源(草木の花)」について、2冊ともかなり詳述していた。
雨が小雨になった3時頃から田んぼに行った。ヤギにはドングリなどの木を与えた。両方のニワトリには糠漬けを与えた。糠漬けは3日坊主で終わらなかった。昨日の出荷で残ったキュウリ、ナスビ、ピーマン、ニンジンを適当に切って糠漬けにしていたので、その内の半分ほどを与えた。明日、残りを与えた後、出荷が終わってからまた仕込む。
一手間余計にかかるが、習慣になるかどうかがポイント。
(1)米糠・・・水気が多くなれば補充する
(2)塩・・・米糠を補充した時に少し入れる
(3)ニンニク・・・3個ほど皮をむいて入れた
(4)ヨーグルト・・・シーズンに1度だけ補充
(5)食パン・・・シーズンに1度だけ補充
漬け床は一度作れば何年でも利用できるが、ポイントは「毎日かきまぜること」、これに尽きるらしい。
エサとして毎日やれば、毎日かき混ぜることになる。
4時頃から雨があがったが、ヤギは外に出さなかった。出してくれと、メエメエ騒ぎ立てていたが、いつもこつもヤギの立場にはなれない。
田んぼで食べるトマトは格別である。ミニトマト(赤)3本、(黄)3本、中玉トマト2本、大玉12本の計20本植えているが、今年は珍しくよく成っている。しかし、出荷できるほどの量ではない(トマトは農業を始めてから一度も出荷したことがない)し、家に持ち帰るほどの量もない。田んぼで自分一人で食べている。
出荷の日は朝飯を食べずに来るので、途中でトマトを食べるのは楽しみであるし、毎日、仕事の合い間にトマトにかぶりつくのは、無上の楽しみである。
先日、家人がトマトを買ってきていた。
田んぼはどこも水浸しだった。田んぼのわきの細い水路は、至る所で枯れ草や落ち場に堰止めされていたので、1時間ほどかかって水路掃除をした。
ミツバチの本を読みながら、ブログを1日パスすれば、1冊の本が読めると思った。週に2~3冊は読んで充電していかないと、頭の中がひからびつつある。
リズムを壊しても、週に3回ほどの更新にとどめた方が先々のためかなあとも思う。
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農業者でも、ヤギを飼ったり、ニワトリを飼ったりすることが、ほとんどなくなった。
50年ほど前には、集落のほとんど全部の家で10~30羽ほどのニワトリが飼われていた。
それが50年後には全く姿を消してしまった。
資本主義という経済システムに農業が適さない。
サラリーマンという生き方がうまくできなくても、農業という生き方があるんだよということが言えない。
子供にも全く農業を伝えることができなかった。
最近は集落営農が農業新聞によく取り上げられている。
たとえば当集落で集落営農を考えた場合、どういう作物が考えられるだろうか。
稲作しか思い浮かばない。
しかし稲作の純利益は、10アールで3万円、100アール(1ヘクタール)で30万円、10ヘクタールで300万円と言われている。
10ヘクタールの規模がどれくらいの広さかイメージできますか。
それくらいの面積で作付しても、大卒の初任給ほどの収入にしかならない。
当集落全部合わせても、30ヘクタールにはならないはず。ということは、集落営農をしても、稲作では900万円ほどしかならない。
この30ヘクタールには、小さな田んぼも含めての面積だから、効率は悪い。
30へクタールという規模を6人(1人あたり5ヘクタール)で耕作したとすると、1人当たりの収入は150万円にしかならない。
こう見てくると、集落営農は「補助金の受け皿」としか考えられない。
つまり、特定の誰かに農業を続けてもらい、その人に補助金を投じようという流れだと思う。
農業に生きがいや、やりがいを見出す若い人が集落営農のリーダーになれば、少し違ってくるかもしれないが、現実は、リーダーも従事する人も60才を越えた人ばかり。
同じ収入をあげるなら、農業より他産業の方がはるかに収入になる。
農業に生きがいや、やりがいを感じるのは、経済効率ばかりを追い求めるのではなく、それに逆行した農業をする場合だと思う。
大規模化、機械化、組織化という、農業の資本主義路線が、いい結果につながらなかったことは、ここ50年ほどの歴史がはっきり証明しているのに、未だに、その路線を踏襲し、もっとそれを推し進めようとしている。
農業は効率や採算という側面だけでは捉えきれないことが多いのに、そればかりを追い求めようとする。
21世紀は、小規模化、手作業化、個人化に戻っていく時代である。
実は、この農業者たちしか、環境も里山風景も生物多様性も保持することはできない。
農業法人や集落営農(いずれ法人化)では、経済効率ばかりを追い求めざるを得ない。環境に敵対的農業と思える。
しかし、個人農業者は、農業では生活ができないので、ますます減っている。
休耕田や荒地が増えるのをとどめるために、企業の農業参入や集落営農を促し、それに多額の補助金を出すという方向になっている。
しかし、農業法人も集落営農も認定農家も、中国やEUやオセアニア、ブラジル等の農業には到底太刀打ちできないので、いつまでも補助金を出し続ける必要がある。
農業が資本主義(競争や広域化)に適さないということをはっきり認識し、自給自足型農業者(家庭菜園型農業者)が、過疎の山村でも生きていけるようなシステムを構築する必要がある。
トヨタグループの総合商社、豊田通商の農業参入に、ハウス建設等の総事業費のほぼ半分に当たる約12億円を、国の補助金「強い農業づくり交付金」で賄うという事実に対して、「それはおかしい」と、多くの農業評論家は声をあげないのだろうか。
農業の補助金が、この国の「小さな個人農業の振興」に何ら役立っていない。農協はいったい何をしてきたんだろう。
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今日、ヤマダ電機へテレビを買いに行った。シャープのアクオス26型と37型の2台で、27万円ほどだった。スポンサーは世帯主?で、他の3人で2万円ずつ出し合った。
自分はテレビは見ないが、「いいだしっぺ」だったので2万円の支出。
テレビをそろそろ買い替えなければならないと思ったのは、「家電製品の経年劣化で事故が多発」という新聞記事を読んでからだった。我が家のテレビは、
平成4年購入(17年経過)・・・25型
平成7年購入(14年経過)・・・14型
だったので、火災事故でもあったら大変だし、今、テレビが安くなっていると家人を促したら、急に、買いに行こうという話になった。
「液晶+32型+10万円以下」が人気で、売れ筋はシャープのアクオスと出ていたので、15万円も出せば2台買えると思いながら2人で出かけた。
ところが結局それより12万円も高い27万円。理由は、32型ではなく37型にしたことと、子供が「ブルーレイディスクレコーダーを内臓し、テレビと録画機を兼ねるのが欲しい」と言っていたからだ。
もう一台の方はそんな機能はなしで、大きさも26型にした。
リサイクル運搬料とかBSアンテナとかも含めるとトータルで27万円ほどになった。
安いからと思って買いに行ったが、かなり高くついた。自分の出費は2万円ですんだが・・・。
帰りに本屋によって、農文協の「ミツバチ」と、山と渓谷社の「庭で飼うはじめてのみつばち」の2冊を買った。テレビを見る時間もないが、本を読む時間もない。しかし、近々入ってくるだろう「ミツバチ」のために、どうしても1~2冊は読んでおく必要がある。
ホームセンターにもよって「除草剤」を買った。この20年間、田んぼには一度も除草剤を使ったことはないが、家まわりには、年に3回ほど除草剤を使う。築58年の家で、昔はどこの家でも門(かど)にムシロを敷いて脱穀した籾の「天日乾燥」をしていたので、門がだだっぴろい。その広い門の草を手取りするのは、梅雨の時期はなかなか大変である。
田んぼには除草剤ではなく黒マルチを使っている。除草剤は生えている草を直接に枯らす農薬であり、黒マルチは地面をポリで覆って草を生えなくする資材であり、使用後、多くは産業廃棄物となる。
集落の大半は「除草剤派」である。もちろん、家まわりにも田んぼにも両方で使っている。黒マルチに比べて、除草剤は圧倒的に安価で手間もかからない。
除草剤は直接に作物や土壌を汚染し、黒マルチは産業廃棄物として間接的に環境を悪化させる。
有機無農薬基準には、除草剤はもちろん認められていないが、黒マルチに関する基準はないようである。本当の有機無農薬基準なら黒マルチを認めるべきではないが、これも認めないとなると、労力は一段と増し、収穫量もかなり低下するだろう。
1メートル四角のこのヤギ小屋によく入っているが、寝るのは元の一畳の方の小屋のようである。
物置の片隅に植えているハヤトウリはすでに物置の天井にとどき、ニガウリやトマトの棚の方に伸びようとしている。収穫開始(10月10日頃)まで後80日もあるので、そんなに早く伸びたら困る。
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ヤギはエサ代がかからないのが、せめてもの救い。
最近は米ヌカも与えていないので、エサは草と木だけ。
ただヤギによって、自分の行動はかなり制約を受けている。
時代がヤギを飼う事に適さなくなっている。
50年ほど前には、ヤギ乳が目的で、メスを1頭飼うというのが一般的だったのだろう。家族みんなで飼っていた。
今は、ヤギの目になれるのは自分1人しかいない。
草刈機もなく鎌の時代だったから、時代がヤギのペースに合っていた。
気に入らない職場に入ったのと同様、ヤギの飼育も簡単には止めれない。
失敗だったかも知れない。
しかし、就職と同様、簡単に方向転換はできない。
現代という時代でヤギを飼うことは、ペットの犬を飼うことと、ほとんど同じ。
自分は犬は好きではない。
そんな悠長な時間も、相手をしてやれる時間もない。
それでも、エサ代と散歩をさせる必要がないので、犬よりまだましか。
本当に自分にはゆとりがない。これが農業を始めて20年ほどヤギを飼わなかった理由である。
逆に、ニワトリはいろんなメリットがあったから、農業をスタートして1年後、小屋ができる2ヶ月前から飼い始めた。
自分には犬(ヤギ)の癒しは不必要。何もしないで、ぼう~っとできる時間の方が大事。
しかし犬(ヤギ)を飼い始めた以上、その現実に運命をゆだねるしかない。
世間では、飼っていた犬を保健所に引き取ってもらったり、飼育放棄する人も多い。
その時のちょっとした思い、勢い、タイミングで飼い始めても、熱情の冷める時がすぐにやってくる。
いいのだろうか。残り少ない人生の貴重な時間を犬(ヤギ)のごとき動物に時間を費やして。
先のことは考えまい。
時の過ぎ行くままに、ヤギのいる現実に、身を任せるしかない。
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朝、義兄からメロンやスイカ、ナンキンがいったら取りに来るようにと電話をもらった。
画像はトウガン。瀬戸内市の牛窓町は「トウガン音頭」もあるほど、国内でも有数のトウガン産地である。このトウガンは2日間で収穫した量。お盆頃まで収穫は続く。
青空市
「青空市で月に10万稼ぐ人もいる」・・・それだけ稼げたらすごい。ボクの場合は青空市へ出荷したことがない。
(1)青空市が近くにない。片道20分かかれば、納品したり、会話したりで、往復だと、それだけで1時間ほどの時間がかかる。
(2)売上に対して10~15%ほどの手数料がかかる。
(3)売れ残っても、引き取ってはくれない。ナンキン、ジャガイモ、タマネギならいいが、他の野菜は日持ちがしない。
(4)すでに既存の生産者で固まっている場合、新しく加えてもらうのは少し難しいような気がする。ある意味、他の生産者はライバルでは。
(5)例えば、旬のナスビやキュウリが大量に持ち込まれた場合、単価はどうなるか、他の生産者との出荷量の調整はどうなるか。
ボクは、
(1)顔の見える関係でしか売りたくない。
(2)自分で単価設定ができる。単価設定はスーパーの価格を基準とし、送料分(箱代と運賃で800円)ほどのサービス品を入れる。
(3)サービス品は、当日に出荷からもれた野菜や、外観不良の野菜をまわす。
(4)クロネコ営業所への往復で20分ほどかかるが、出荷に合わせてスーパーでの買い物やその他の用事を済ませることにしている。
要は自分に合った販売方法を早く見つけることだと思う。たとえば、無農薬無化学肥料の野菜を青空市で売ったのではメリットは少ない。こだわりの野菜なら、そういう販路を見つけないと、高くは買ってくれない。
農業では、1年間に少なくとも60~70万円ほどの経費がかかってくると思う。
月に10万というのは、多分、売上金額のことだと思う。そして、野菜は1年間通して売ることはできず、たいてい10ヶ月間ほどだから10万円×10ヶ月=100万円 100万円-年間経費70万円=30万円ほど(差引手取り金額)。
野菜産地でない場合、売り先は通常「地元の青空市」ということになるのではなかろうか。軽四で「引き売り」したり、特定の顧客にセット野菜を配達したり、宅急便を利用してセット野菜を送付するには、少し「営業力」が必要になる。
農協へ出荷するには、外観のよい、サイズの揃った野菜を、ある程度まとまった量にする必要があるが、最初から、それに自信がなかったし、農薬や化学肥料はできるだけ使わない野菜作りをしようと思った。
作った野菜を売るには「引き売り」するしかなかった。
引き売りは時間ばかりかかるし、「売れ残り」という致命的ロスが生じる。
だから最初から引き売りが目的ではなく、セット野菜の会員を探すために引き売りをした。
2年半ほど軽四で引き売りをした。片道25分ほどの範囲内でセット野菜の会員をかなり獲得したが、顧客の出入が激しかった。現在はほとんど県外の顧客であり、県内の顧客は1軒だけ。配達していたが、数年前から宅配に変更してもらった。すでに18年を越えている顧客である。
友人や知人や親戚に野菜会員の紹介を依頼し、3年目の秋から県外宅配も始めた。地元の顧客はなかなか続けてくれなかったので、県外に顧客を求めざるをえなかった。
8年目に入った時からハーブも作り始めた。県外の顧客も出入が多かったので、いろんな農業形態を模索し始めた。
ハーブも、売れなければハーブが続けれなくなると思った。ハーブの売り先はイタリア料理店とフランス料理店しか思い浮かばなかった。
職業別電話帳をみながら、かたっぱしから電話営業をした。
現在の顧客は8割ほどがイタリア料理店。
ハーブや野菜は新聞紙で包み、クール宅急便は使ったことはない。
近々、近くの農協に青空市ができると小耳にはさんだが、出荷する予定はない。
売ることを他人(青空市等)に依存すると、長くは、安定出荷ができないと思う。
シンプルに、自分で作って、自分で売りたい。
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今年、スイカとナンキンが少ししか成っていない。ミツバチが活躍してくれなかった(少なかった)せいだろうか。
今まで「人工授粉」というものをしたことがないが、来年は少し試みようと思う。
スズメの異変
1960年代の1割ほどに減ったという研究者の推計もある。何かがスズメに起きているのは確かなようだ。街の変化で巣が作りにくくなり、田畑が減ってエサが足りないともいう。作物を荒らすと嫌われつつ、人と生きてきた鳥である。追いつめられても、深山幽谷へ引っ越すわけにはいかない。(朝日新聞・天声人語)
当地では困るほどスズメが多い。今年は麦を作ったから、なおのことスズメが目立った。穀類や雑穀を作らないと、スズメを見る機会は少ない。
有機農産物は0.18%
有機農業推進法が施行されて2年過ぎたが、推進計画を作った市町村はわずか8%。有機農産物のJAS法による格付け数量は総生産量の0.18%に過ぎない。(農業新聞7月15日)
・・・今後もほとんど増えないと思う。全ての野菜を完全無農薬、完全無化学肥料にするのは、生産の上でリスクが高くなるし、労働強度が飛躍的に増す。農業者に負担を負わせるだけ。
特に完全無農薬は、
(1)個人の技術力のレベルに影響される。
(2)コンパニオンプランツでは害虫は防げない。
(3)少量多種類生産でも防げない作物がある。
(4)田畑の立地条件により、無農薬が難しい場合がある。
(5)隣接して慣行農法の田畑があれば、飛散も多い。
農家の労災加入・・・10年で1万9千人減
従来入っていた人が、高齢化でリタイアし労災も解約したのだと思う。若い人は農業労災には入らない。そんな経済的余裕はないと思う。
トヨタ関連商社 農業へ本格参入
宮城県でパプリカ ハウス4ヘクタール建設
新たな施設の建設費など総事業費は24億4千万円で、「強い農業づくり交付金」という補助金で、約半分にあたる12億円を活用する。
(1)天下のトヨタグループに、いくら農業参入だからといって、総事業費の半分もの補助金が下りるのか。それも12億円!
(2)日本のパプリカはほとんど韓国からの輸入品だが、パプリカなら勝負できると踏んだのだろう。
(3)ハウス栽培だから害獣被害は考慮する必要がない。
(4)国内の従来のパプリカ生産者は、作目の変更を迫られるだろう。
(5)このようにして日本各地に野菜工場が進出するのかも知れない。何億、何十億という補助金をもらって。
中山間地直接支払い→すすまぬ世代交代
中山間地域直接支払い制度に参加している集落協定役員の平均年齢が、61.8才となったことが、農水省のアンケートでわかった。高齢化によるリーダーの不在は同制度への不参加の一因になっており、現在検討中の次期対策の仕組みによっては、高齢化で脱落する集落が出かねない情勢だ。さらに役員以外の平均年齢は63.7才で役員より2才高い。(農業新聞7月15日)
滅びようとしている地域に、いくら補助金を投入しても、時間が先送りされるだけで、早かれ遅かれ地域は消滅する。
滅びようとしているものに補助金を投入するのではなく、滅びようとしても、そこを(それを)気に入って移住したいと思う若い世代の人に、惜しみなく補助金を投じるべきだ。
なぜ過疎地が生じたか。それは若者が出て行ったから。なぜ出て行かなければならなかったか。その地では働く場所もなく、農業では生活のめども立たず、だから都会の企業に就職せざるをえなかった。資本主義の必然の成り行きである。その根本のところを考えずに、いくら補助金を投じても、過疎は止まらない。
投じられた補助金もほとんが道路や下水道等のインフラ整備にまわされた。雇用の場所を作るとか、自給自足できるような方策が講じられたのなら少しは意義があるが、ハコモノに投じられた補助金は地域の人のためではなく業者のために投じられた補助金と言える。
今後の過疎地への補助金は「移住の流れを作る補助金」にする必要がある。
(1)中山間地直接支払いも
(2)集落営農という補助金の受け皿も
(3)過疎法により過疎対策に投入された巨額の事業費も
どれも過疎対策に全く役立っていない。若い人(働き口が少なく、貧乏くじを引いたロストジェネレーション世代)に移住してもらうという観点もない。
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精神病大国
映画「精神」 想田和弘監督・・・なぜ日本は「精神病大国」なのかという疑問が、撮影の動機の一つだった。撮り終えて、「社会が敷いたレールから外れたら大変という強迫観念がある」と感じる。「生き方のパターンがもっと多様なら、ここじゃなくてもあっちがあるさ、と救われるのに」(朝日新聞7月14日)
いったんレールから外れたら、食べていくのが大変である。特別の能力がないと、レールの外では食べていけない。
農業でもほとんど食べれない。食べていけるのは極めて優秀な一部の農業者だけ。
ふりかえってみれば、この30年余り、こんな状態は全く変わっていない。
「女房(亭主)は丈夫で留守がいい」
この言葉に納得する。
自分は農業という自由業なのに、配偶者や子供には、安定した勤め先(レールの上)を望む。
この身勝手さ。
この国では生きていく(食べていく)ための手段が、どこかの組織に勤めるという方法しか、選択肢がないと思う。
消えゆく農家(結城登美雄さん)
21世紀を目前にした2000年、我が国にはまだ389万人の農業者がいた。既にそのうちの66%が60歳以上の高齢世代で占められていたとはいえ、懸命に田園に立ち国民食料を支えていた。しかし、その後も毎年10万人ほどが田園を去り、9年後の今年には289万人までに減ってしまった。
10年足らずの間に100万人もやめていく仕事が他にあるだろうか。この間にも30兆円近い農業予算は投じられたはずである。そのなのに農業情勢は何ひとつ好転する兆しなく、あきらめたのだろうか、離農する動きだけが加速化していく。
日本農政が最も期待を寄せる「本格的な農業」の担い手である主業農家がこの1年で2万戸も減り、この15年では半減の34万5千戸になってしまった。その減少理由は高齢化ではなく農業経営の苦しさにあり、主業農家でさえ「家族を養えない」のである。
もうひとつ気になる離農の動きがある。39才以下の若き農業者がこの3年間で6万人近くも減り、わずか23万人ほどになってしまった。このままいけば10年後は次世代の食をささえる農業者がいなくなってしまうぞとデータは予告している。
それにしても単純素朴に思う。農を愛し、食の未来を憂え、懸命に田園で汗する人々に、なぜ日本農政は希望と意欲を与えられないのか。なぜ離農せねばならないのか、止まらないのか。何のための、だれのための毎年3兆円近い農業予算か。それを根本から問う必要はないのか。
(農業新聞7月13日)
先日、毎年2兆円ほどの農業予算と書きましたが、毎年3兆円の誤りでした。まことに申し訳ありません。
3兆円近い農業予算のうち、2千億円は減反に関する費用である。
農業集落排水事業も農業予算である。
倉敷オンブズマンのMさんは、「同じ汚水処理の補助金行政でも、下水道は建設省、合併処理浄化槽は厚生省、農業集落排水事業は農水省と、各省庁が不統一に進めれば、膨大な無駄が生まれる」と書かれている。
考えてみれば、新規就農支援策もおかしい
新規就農支援策は、
(1)後継者もなく高齢化してリタイアする事態が続くと、産地の供給量も産地のネームバリューも低下する。残った生産者のためにも、産地価格維持のためにも、新規就農者を迎え入れる必要が生じた。
(2)大きな投資をした設備が後継者がいないために放棄されるのは、もったいないので、それを引き継いで(レンタル方式)でやってくれる人が欲しい。
(3)畑潅水設備、あるいは果樹園潅水設備に莫大な投資をしているにもかかわらず、その畑や果樹園に後継者がいないなら、それらの設備の利用料金を支払ってくれる人がいない。
これらの理由は産地側の理由ばかりで、新規就農者のための観点は一つもない。
それでも、かなりの手厚い支援がされるようだから、それをやってのけれる人や、敷かれたレールの上をうまく走れる新規就農者のためにはなっているのかもしれない。
行政や農協も、途中で投げ出されては困るので、個人面接や、2ヶ月間ほどの体験研修、2年間の実地研修とステップを組み、中途でリタイアする人を極力少なくするようなカリキュラムにしているようだ。
2年間の実地研修では360万円(1ヶ月15万円×24ヶ月)が支給される。
新規就農支援策では、表にでてくるのは成功者だけである。既にこの事業が始まって10年以上が経過しているのだから、現在続けている人も、途中リタイアした人も含めて、きちんとしたデータの公開が必要だと思う。
農業予算が、広域農道等の道路予算であったり、農業集落排水事業であったり、農業関連のハコモノに関するものであったりするなら、何ら農業者のためにはなっていない。それは農業者以外の業者利益といえる。
ドイツには「過疎」がないと言う。EUにおける農業者支援の状況や補助金行政のあり方を、もっと真似る必要があると思う。
毎年3兆円近い農業予算の使い道をもっとわかりやすく、具体的に、明瞭に表示して欲しいと思う。インターネットで検索すれば「一目瞭然」という「公開」がなされる必要がある。EUでは農業補助金は個人名も金額もインターネットにすべて公開表示されているという。
農業予算がほとんど農業者のためになっていないから、離農が多く、新規就農も少ない。
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今日でちょうど2ヶ月。卵を産み始めるまで後4ヶ月。
(1)卵を産み始める
(2)オンドリの闘い(闘鶏)が始まる
(3)オンドリの初鳴き
(4)交尾の始まり
この4つはほとんど同時である。オスは3羽いるので、それまでに1羽は処分(人にあげる)する必要がある。
昨夕仕込んだヌカ漬けをヒヨコと成鶏にやり、新たにまたナスビとピーマンを仕込んだ。1昼夜この状態にして、また明日同じことを繰り返す。
ミョウガが出始めた。ミョウガは刻んで、冷やした豆腐にのせて食べている。昨年、大量に収穫した時に「ミョウガの酢漬け」を作ったが、ほとんど食べず、結局、ニワトリとヤギにやった。ニワトリはもちろん、ヤギも喜んだ。
ニワトリのエサにするソルゴー。一部だけ生育がよいのは、蒔いた前日に木や竹を燃やしたから。
間の草を草刈機で刈り払った。
ピーマン・・・20本定植した内の4本に病気が発生。残りは16本。
ナスビ・・・今年はまだテントウムシダマシという害虫が少ない。来始めたら2週間でやられてしまう。いずれにしろ7月末には秋ナスに向けて3分の2は切り戻し、葉も全部落とす。
ツルムラサキ・・・育苗がうまくできず、結局、苗を購入し、自分が育てた苗は「植え継ぎ用」にまわした。78本定植し欠株なし。
ウルシ(正しくはヌルデ)
コメントを頂いたので、グーグルで「ヌルデ」と検索して確認したら、やはり「ヌルデ」でした。今までずっと「ウルシ」と思い込み、触ったらかぶれると思っていました。
ヌルデの名は、かつて幹を傷つけて白い汁を採り塗料として使った事に由来すると書いてあった。
ヤギがおいしそうに食べていなかったら話題にすることもなかったが、あまりの食いっぷりに何回か「ウルシ(正しくはヌルデ)」のことを書いた。
今後も誤った草木名を書いていましたら、ご指摘のほどよろしくお願い致します。
単独浄化槽 合併処理浄化槽
次のようなコメントも頂きました。ご説明をありがとうございます。
『一点気になったのでメールします。
浄化槽屋(工事も管理もしています)です。
下水道の項目で単独浄化槽との表記がありましたが、
単独浄化槽=水洗トイレのみ処理 流し・風呂・洗濯排水等は未処理で放流
合併処理浄化槽=建物から出る排水を全て処理
※現在単独処理浄化槽は新規に設置できません。
おっしゃりたい事は「単独処理浄化槽」ではなくて「合併処理浄化槽」についてでは無いでしょうか?
意味合いが違ってきますので気になってメールしました。
因みに、行政設置型(工事費用は市町村が支払い、リースのような形式で管理費用を負担する)の浄化槽であれば使用者の負担が少ないと思います。
この機会に少し排水処理について調べていただけると嬉しいです。
特に、下水道という物が維持管理費にどれほど莫大な予算を必要とし行政の財政を圧迫しているのかは先が恐ろしくなります。
この件に関しましては意見交換大歓迎ですので、私で解ることがあれば聞いていただければご説明致します。』
単独浄化槽と合併処理浄化槽の区別もきちんと理解せずに「言葉」を使っていました。申し訳ありません。
私の集落では下水道が完成する前に、すでに半分近くの家は合併処理浄化槽にしていたようです。
我が家は業者に汲み取りを依頼していました。だから単独浄化槽や合併処理浄化槽の期間がなく、いきなり、下水道になりました。
汲み取り依頼をするようになる前、つまり父が健在だった時は、父が自分で汲み取りをして、田んぼの野菜に施していました。つまり19年前までは、我が家では「下肥」として、田んぼの野菜を通して完全リサイクルをしていました。
我が家が一番遅い部類で、集落では25年前くらいからすでに業者に汲み取りを依頼するのが一般的になっていました。
その頃から、家を新築すると合併処理浄化槽にされていたようです。
下水道が来ると、全て下水につなぐ義務が発生するので、合併処理浄化槽の家も、受益者分担金(19万5千円)と「公共ます」への接続切り替え費用の合計金額がかかってきます。
だから、すでに合併処理浄化槽にしていた家は、今回の下水道の完成で「余計な出費」を迫られたのではないでしょうか。
下水道は敷設が予定された時に反対しないと、決定されたら反対しようがない。完成したらレールを外れることができません。
集落では下水道の誘致に賛成が100%でした。我が家は反対でしたが、どうしても反対できない「事情」があり、賛成に丸をせざるをえませんでした。
集落の4分の1ほどの家ではまだ「簡易水道(山の湧き水)」の恩恵があり、我が家でも、洗濯と風呂は簡易水道(無料)と上水道(有料)を今でも併用しています。もちろん下水道料金は両方にかかります。
門先にも簡易水道がありますが、これは下水にはつないでおらず、ニワトリとヤギの飲み水と、収穫した野菜の「打ち水」と、自分の飲み水(ペットボトルで田んぼへ持参)に使い、時々、野菜の収穫容器(コンテナ)を洗う時にも使っています。
簡易水道は雨の日は多少濁りますが、いざという時(大地震等)の命の水だと思っています。
上下水道料金は月間で8千円ほどであり、年間で10万円ほどになるのはこたえる。下水道代がかかるようになってから、家人の口座から落ちるように変えてもらった。
下水道施設の総事業費は、当地域の集落333戸(1200人)で、何と14億9280万円の事業でした。国が50%、県が15%、市が35%を負担し、その内の5%(19万5千円)が受益者分担金だから、1戸当たり400万円ほどの事業費がかかっている計算になる。
下水道には耐用年数もある。
田舎の下水道事業は本当に環境のためになっているのでしょうか。それとも借金大国への道を突き進んでいるのでしょうか。
時間が遅いので今日はこれくらいにします。
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田舎で働き隊・・・最長1年間、月標準手当14万円
地域おこし協力隊・・・都会の若者が農山漁村に住み込みながら農林水産業などを支援する。報酬は1人当たり約200万円。これに旅費や活動経費などを加え、最高350万円を市町村に交付する。
集落支援員・・・地域事情に明るい職員OBや農業委員などの経験者
地域マネジメント法人・・・地域で生活支援サービスや環境保全活動を行うJAや農業生産法人などの法人を国などの公的機関が認定・支援し、農山漁村の活性化につなげる。2010年度予算の概算要求の目玉にする方針だ。
持続可能性のある農業
これからの農業政策で最も重要になるのは、持続可能性だ。世界の歴史を見ると、かつてのソビエト連邦のコルホーズ、中国の人民公社も失敗した。米国の企業農業も土地からの収奪が激しく、農地の荒廃を招いている。長期的には持続できないだろう。
歴史的に見ても、家族経営的な農業が最も持続可能性が高い。植物工場のような一部の農業は、企業的な経営が行われるかもしれないが、政策の主体はこれからも家族農業であるべきだ。(哲学者・内山節氏 農業新聞3月13日)
担い手への農地集積
集落営農
農業法人
確かに上記3つは、農業の一方の核になるかもしれないが、農業が癒しや喜びになり、生物多様性や景観を保持するというもう一方の核も同じくらい重要である。
つまり、もう一方の核になる農業者支援として、ロストジェネレーション世代に対する田舎移住、自給自足型農業支援として月に5万×12ヶ月=60万円を5年間(300万円)という支援を、上記3者支援の合計金額と同じくらいにすべきである。
社会起業家
ケニアで農家と協働で蜂蜜を生産しているファルーク・ジワさん。彼はボランティアとも営利企業とも違い、社会をよりよく変えることが目的の「社会起業家」。
ファルークさんは農家に巣箱を売り、農家が収集した蜂蜜を買い取る。6千円の巣箱代は蜜の買い取り時に少しずつ返済してもらう。(6月3日、朝日新聞)
農林中金
外国証券の運用で巨額の損失を出した農林中央金庫は、JAグループ内から1.9兆円を調達し、とりあえず問題を乗り越えた格好だ。
農林中金を銀行としてみる場合、かなり異色の存在だ。全国に張り巡らされた農協の支店網を通じて、組合員の零細な資金を集めている。08年9月末の資産規模は単体で約58兆円。その巨額の資金を何に使っているか。
農林中金は、ディスクロージャー誌で「農林水産業振興資金の提供」を「業務の根幹」としている。だが、08年9月末の農林水産業への貸出残高は1070億円。業種別貸出残高合計の1.2%にすぎない。
中小企業の資金難や貸し渋りが叫ばれる今、集めるだけ集めた資金を産業貸し出しに回さず、海外のハイリスク資産で運用している。ヘッジファンドや資産運用機関としてならともかく、経済発展を推進し、信用秩序の一翼を担う金融機関としては失格だ。
バブル期、系統農協は住宅金融専門会社(住専)に対し、都銀全体を上回る資金を供給していた。住専は破綻し、処理のため、財政資金6850億円が投入された。血税投入への批判が強まって、銀行部門での不良債権処理をめぐる議論に時間がかかり、早期処理できなかった。不良債権処理に長期間を要したことは、その後の経済停滞の最大の原因だと言ってよい。
(以上、朝日新聞6月3日、オピニオン私の視点 ・横浜市立大学教授(金融論)、随 清遠さん 「意味ある銀行」の姿考えよ)
企業献金
みなさんは勤務先や取引先の会社がどんな政党へ献金しているかご存知ですか? 地元国会議員らが代表を務める政党支部の政治資金収支報告をもとに、身近な会社の気になる献金先をのぞいてみました。(朝日新聞6月13日)
各党の岡山県内支部が企業などから集めた献金総額
自民党 民主党
05年→2億2782万円 329万円
06年→1億8355万円 77万円
07年→2億3801万円 240万円
08年→6億4939万円 646万円
自民党は民主党に比べて、企業献金で圧倒している。
こういう記事はもちろん山陽新聞には出ない。2紙を比較しながら読んだ時に初めて、その新聞が中立なのか、特定の政党に軸足を置いているのかわかる。ちなみに「農協不祥事3年で28件」という記事も山陽新聞には載らなかった。
ネオニコチノイド系農薬・・・人体やクモ類に優しいということで、水田のカメムシ防除に使われるが、栄養源となる花の少ない夏に、稲の花粉に集まるミツバチに影響を与えているとの報告もある。ミツバチの大量死が問題になったフランス、ドイツ、イタリアではネオニコチノイド系農薬がすでに禁止されている。
青年海外協力隊・・・帰国後1年以内に正規雇用された隊員は約6割。いったん会社を辞めた隊員が帰国後に就職しようとしても、新卒者の採用が重視される上、年令制限も足かせとなり激しい状況にある。
「青年海外協力隊」出身の農業者は多い。農業を選択する理由がわかるような気がする。
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2009年度は、補正予算を含めて3兆6千億円の農林水産関係予算が組まれている。
どこにそんなカネがまわされているんだろう。
一覧表にして、誰でもわかるように表示してもらいたい。
過去20年ほどの農業関係予算をグーグルで検索したが出ていない。
確か毎年2兆円ほどの農業予算が組まれているはず。
それだけの予算が投じられても、この国の農業は衰退の一途。
意味のない所に補助金が投じられたと考えられる。
長く政権を担当してきた自民党に責任がないと言えるだろうか。
農水省に責任がないと言えるだろうか。
農協に責任がないと言えるだろうか。
責任は三位一体ではなかろうか。
こんなに農業分野にカネがばらまかれても、1000人に1人ほどしか農業をしていないのだから「我、関せず」がほとんど。
これでは、好き勝手にされてしまう。
こっちにも補助金よこせ
同情するならカネをくれ
そういうみっともない声は出さない。
そんな声を出したところで、自分のような農業形態はまずもらえない。理由は、
(1)農協に出荷したことがない
(2)売上金額が「一定水準」以下
(3)稲作をしていない
(4)いわゆる産地に属していない
(5)耕作面積が40アール以下
(6)いわゆる専門作物をもっていない
(7)所得税を納めるほど稼いだことがない
まさに農家とは言えないような農家。それでも1日の大半を田んぼで汗水流している。
農業能力はトータルではそんなに見劣りするとは思っていない。農業で稼げる金額はこんなもの・・・。実際にやってみれば、理由がわかるだろう。
減反政策
現在の生産調整(減反政策)についてどう思うか、新聞紙上にいろんなアンケート結果が出ているが、生産調整をすると、その事務作業は、とてつもなく煩雑であり、その事務をする人の人件費を考えたら、減反の3倍くらいの人件費がかかっているような気がする。
農家への転作助成金など、減反の財政負担額は年間に約2千億円。農業者全体では、減反に関する考えは二分されているようである。
実はボクは全く補助金をもらっていないわけではない。この転作助成金がそれ。つまり、稲作をせず野菜を作付しているから。
(年度別転作奨励金産地交付金)
平成21年3月19日 1229円
平成20年3月18日 6309円
平成19年3月15日 6720円
平成18年3月14日 6176円
平成17年3月02日 6176円
平成21年に金額が下がっているのは、理由がちょっとわからない。
平成16年以前はもらっていない。16年以前は単一農協だったからだろうか?。出資配当金ももらったことがない。
平成16年に岡山市農協に合併されてから、初めて、微々たる金額であるが「出資配当金」ももらい、転作奨励金ももらえるようになった。
「ぬか漬けの素」を買ってぬか漬けを作っていたが、今日見たら、少しカビが湧いていた。混ぜるのを2~3日怠ったら、すぐにカビが湧く。捨ててしまうのはもったいないので、ニワトリに与えた。ニワトリはこんな発酵食品を好む。少々カビがあっても、ニワトリには問題ない。
ヌカ床を捨てるのももったいないので、ニワトリのためのヌカ漬けを数日間作るつもり。
出荷の日の雨はいやなものだが、長年の習慣でもう慣れている。ハーブのスイートバジル以外は、収穫中の雨はさほど問題でないが、収穫後は雨にあてない方がよい。だから、収穫するとすぐに物置の中に置く。晴れていれば、収穫が終わればただちに「仕訳」に移るが、雨の日は家に帰って、車庫の中で仕訳をする。
過疎法
1970年制定の過疎法は、高度成長期の都市への人口流出でコミュニティーの崩壊にひんした過疎地域に国が示した一つの処方箋だった。10年ごとに延長され、総額90兆円近い巨費がつぎ込まれた。しかし、支援対象は道路など「ハード事業」に事実上限定され、使い勝手の悪さが批判を浴びてきた。(山陽新聞7月9日)
総額2兆円の定額給付金のばらまきも小さく見える90兆円。過疎法とは名前を変えた道路事業だったと考えられる。
「ハード(箱物)からソフト(人や情報)へ」の転換なくして、過疎法延長の意味はない。

午前中はかなりの雨量だったが、昼にはあがった。3時頃、ヤギを外に出した。夕暮れに好物のウルシを折って与えたが、ウルシを食べると口のまわりに「シミ」がついたようになる。ウルシから出る「樹液」が原因だと思うが、ヤギはウルシにまけたりすることはない。
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午後7時40分のヒヨコと成鶏。
午前10時過ぎでも、太陽を避けて、石垣にくっついて日除けにしている。これを見て、竹薮のそばの日陰に移した。
オクラの収穫が明日から始まる。5本立ちになっている所は1本剪定し、3~4本立ちにした。
レモングラスの収穫も明日から始める。
2009年2月現在、
(採卵鶏)
全国で3110戸で、飼養羽数は1億7820万8千羽。
1戸平均の羽数は57300羽になる。
(豚)
全国で6890戸で、飼養頭数は989万9000頭。
1戸平均の頭数は1436頭
(乳用牛)
全国で2万3100戸で、飼養頭数は150万頭。
1戸平均の頭数は65頭
(肉用牛)
全国で7万7300戸で、飼養頭数は292万3000頭。
1戸平均の頭数は38頭
(農業新聞7月9日)
牛は1戸あたりの飼っている頭数が多くないが、採卵鶏や豚は大規模である。どちらも、日常ほとんど目にすることはない。閉鎖的な空間で飼われている。
道路
岩波書店の「世界」という雑誌の8月号の特集記事は「道路」で、広告の見出しには、
道路が暮らしを食い尽くす。「一般財源化」は偽りだった。
かくて道路は際限なく作られ続ける。
道路建設はなぜ止まらないか。
こんな目次が並んでいた。
本当にそう思う。過疎の山村を時々ドライブすることがあるが、りっぱな道路(広域農道等)をほとんど対向車が走っていない光景にでくわす。
いったい誰が使っているのだろう、誰のために作ったのだろうという疑問が常に湧く。
過疎法
過疎法は、都市に比べて遅れている住民福祉、雇用の増大、地域格差の是正を進める目的がある。
過疎法の最大のメリットは、過疎債を使い産業振興・厚生施設、交通など一定の効果があることだ。
過疎地域で遅れていたものが全国レベルに近づいたのは、道路の整備。
下水道
一方、トイレの水洗化率は依然として格差が残っている。全国の水洗化率が88%が対して、過疎地域は62%にとどまる。
道路ばっかり整備しても、結局、過疎にはどめはかからず、ますます過疎になっている。
道路が批判を浴びると、今度は下水道が狙われている。
過疎地域の人は、下水道が整備されると困る人の方が多いと思う。理由は、
(1)トイレの改修費用が100万円ほど必要となる。
(2)上水道に加えて、新たに下水道代の支払いが始まる。
(3)高齢者が多く、後何年生きれるかわからないのに、今さら大きな支出をしてまで、トイレの改修をしたくないし、そんなお金もない。
(4)加えて、1軒あたりの受益者分担金が20万円ほど。
農業収入ではとても払えない額だった。年金暮らしの人にとっても、下水道が来たために負担しなければならない費用は半端でないと思う。そして、残りの人生を考えたら、そこまでトイレに投資したくないと思うだろう。
過疎地の下水道は都市に比べて人家がまばらなので、効率がかなり悪い。過疎地は単独合併浄化槽の方がいいと思う。
下水道が来ると他の全てのシステムが否定され、下水道に統一の道を歩まされる。すでに単独合併浄化槽を敷設している人も、昔ながらの汲み取りをして作物に施している人も。
下水道は「循環」を否定するシステムであり、化学処理した後の残渣(汚泥)は産業廃棄物となる。
下水道には莫大な金額がかかり、多くの地方自治体の財政を破産状態に近付けている。
下水道には「耐用年数」がある。その時にまた莫大な費用がかかる。
下水道は家庭排水の処理だけであり、田畑に施される農薬や化学肥料や除草剤は雨と共に川に流れ込む。下水道で全て解決というわけではない。
結局、田舎の下水道は、個人にも国や県や市町村にも過大な負担となり、道路以上にこの国を食いつぶしている。
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ヒヨコがすでに天井近くの止まり木を歩き出した。体躯が大きくなるので、天井近くに張り巡らした止まり木を十分に活用してもらう必要がある。つまり、平面的に動くのではなく、上部の空間を利用して立体的に動いてくれると、鶏舎が狭いのが緩和できる。
オスヤギの小屋の遊び場には、これだけ草が生えている。好物の「オオバコ」も生えているが食べようとしない。小屋の外で食い足りているからだろうか。
今朝は雨だったので、草を刈って投げ込んで家に帰ったが、11時過ぎに雨が上がった。外に出すためにまた田んぼに行くと、与えた草はほとんど食べておらず、「早く小屋から出せ」と鳴き声で攻め立てる。
雨は嫌いなのに、雨が上がると一刻も早く出たがる。昨日と同じ場所につないだ。
今日初めて、両方のヤギ小屋に「蚊取り線香」をつけた。蚊が多く、ヤギが蚊を嫌がっている仕草をよくしていたから。
戦争へ向かった空気を阻止できなかった原因
日本人は一人になったり、集団からはずれたり、異端であったりすることを極めて恐れる。
例えば、
便所飯・・・トイレの個室でご飯を食べる。こんな「?」行動は「便所飯」と呼ばれ、実は学生を中心に若者に広がっている。みんなが楽しく語らうキャンパスで、自分には友達がおらず、独りぼっち。学食などで一人で食べている姿を見られるのが嫌で「便所飯」に走るという。(朝日新聞7月7日)
空気が読めない・・・集団の空気が読めない人を忌避する。
新型インフル・・・多くの人々や企業はパンデミック(限られた期間にある感染症が世界的に大流行すること)に怯えているのではなく、世の中の空気に怯えているだけと非難。(山陽新聞7月7日)
鳥インフルエンザ・・・定年帰農者の楽しみとしての20~30羽養鶏の道を閉ざした。いつでもどこでも発生しうる「野鳥からの感染」という風評被害。
大規模な養鶏場ではニワトリの病気を抑えるために、抗生物質や殺菌剤を多投する。一部のウイルスは生き延びるために変異する。つまり、他からの感染ではなく、「そこで発生した」ということも考えられる。
こんなにしばしば発生しているのに、感染経路がつかめない。大規模養鶏場は野鳥との接触は皆無の構造のはず。日本での発生源の全部(一度だけの例外が大分県のペットのチャボ)が大規模養鶏場という現実。
天皇制に疑問・・・世の中のタブーだから論じれない
先の戦争の敗戦・・・日本は加害者なのに、まるで被害者のよう。これもタブー。
戦死者・・・国家に殺された人々。これも異端・・・タブー。
村八分・・・集落で異端を排除する。
選挙・・・集落推薦で圧力。
カリスマ・・・異端を逆手に取る一つの手法。騙されるパターンはこれ。
特定の集団(たとえば、集落とか企業)の中で、牽制したり、監視したり、異端を封じたり、流れを向けたり作ったりしてきたのが、この国の為政者が国を統治するために使ってきた方法。
例えば連帯責任がこれ。江戸時代に年貢を納めることができなかったら、他の人(5人組という制度があった)が納める義務が生じた。
つまり、互いに監視したり、逃れられない手法で取り立てた。
江戸時代のこういうやり方が、明治維新を経た近世以降も続いた。
つまり近世以降の為政者の手法が「空気が読めない」や「便所飯」的統率方であり、「戦争へ向かった空気」を、この国の民衆(集落)が止めることができなかった最大の要因である。
「空気が読めない」や「便所飯」とは、異端や一人を怖がらせる態度であるが、村八分や5人組も同じような思想である。
こんな空気が、新型インフルでも集団パニックを起こした。マスコミも煽り立てた。
ブログで発信することが、現在の自分のささやかな戦い方。
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ノウゼンカズラの花が咲くと、まもなく梅雨明けする。
キーウイが鈴なり。7月20日頃までに摘果作業をする必要がある。
ヤギは石垣を好む。身体をなすりつける仕草をよくする。かゆいのだろうか。それとも「ブラッシング不足」をあてつけているのだろうか。
中山間地域等直接支払制度で、約7万6000ヘクタールの農用地の減少が防止できていることが、農水省の推計でわかった。
農用地の減少を防げたことによる多面的機能の評価額は年間で合計1587億円に上がった。その機能は、
洪水防止機能・・・・・・・・・・・466億円
水源の涵養機能・・・・・・・・・347億円
土壌浸食防止機能・・・・・・・・76億円
土砂崩壊防止機能・・・・・・・・97億円
気候の緩和機能・・・・・・・・・・・・1億円
保健休養・やすらぎ機能・・・600億円
確かに、田んぼが荒廃していないことによる「やすらぎ機能」は大きいと思う。集落の田んぼが荒れていると、地域の人心まで荒れているように見える。
わが集落では、山に面した田んぼの半分はすでに荒廃している。これは増えることはあっても減ることはない。
だからボクは貴重な存在。ここ一帯の40アールほどの作付と、池の土手に上がる道の草刈、田んぼ周辺の水路の掃除、竹薮の侵入の阻止(竹の子を取る)等をしている。
全く手を加えなければ、草は1年で1メートルほど伸びるし、田んぼをしなくなれば、隣接する水路の掃除もしなくなる。
田舎における農の風景は、大人にも子供にも大切な風景である。それがまさに荒廃しつつある。
宮崎県 獣害対策に1億円
鳥獣害自衛対策緊急事業は、集落の耕作放棄地での下草刈り、放任果樹園の伐採、集落隣接森林の除間伐、餌場や隠れがの除去などを行い、警報システムを導入していく。その上で、集落全体や一定単位の集落で、大規模な防止策を設置し、効果的な防止対策を行う。
すでに7~8年前になると思うが、イギリスでキツネの狩猟に関して、農家と動物愛護団体が衝突して流血騒ぎになったが、農家にとって、害獣被害は切実である。
「動物愛護運動 」とか「鳥獣保護区」という施策には大反対である。これ以上害獣が増えたら、農業をすることがむなしくなってしまう。
家畜と野生動物は同じ扱いにすべきである。家畜の肉は平気で食べておいて、「野生動物の保護」を唱えるのはおかしい。
地域マネジメント法人
総務省の「集落支援員」、農水省の「田舎で働き隊」、そして「地域マネジメント法人」。次から次に増やせばいいというものではない。
「地域マネジメント法人」とは、地域で生活支援サービスや環境保全活動を行うJAや農業生産法人などの法人を国などの公的機関が認定・支援し、農山漁村の活性化につなげる。2010年度予算の概算要求の目玉にする方針だ。
これは明らかにJAや農業法人の支援に他ならない。
農山漁村の活性化は「JA」や「法人」では活性化しない。農業はあくまで「個人」でした場合だけ「癒しになり」、「喜びになり」、「環境保全」ができる。
それを法人(組織)でするなら、なんら一般企業と変わらず、「歯車の一つであるという疎外感」や「意思決定が自分でできない疎外感」や「不本意でも組織の命で動かなければならない疎外感」や、個人なら当然環境保全の動きになるのに、組織(集団)であるがゆえに、経済を優先せざるを得なくなったり、個人で判断すればいいものを、組織の判断を優先する。
つまり、農業は個人や家族農業でする場合には、農業本来の癒しや土に触れる喜びを感じるが、法人(組織)となると、それが農業を主体とする仕事であっても、組織固有の疎外感や孤独感に陥る。
農業は個人でするものである。組織でするなら、農業の喜びは全くない。一般企業で働くことと同じ。
2~4人の組織なら個人とそれほど変わらないが、10人以上となると、個人農業の喜びは味わえない。経済だけを追求するなら、農業より他産業の方が儲かる。
集落単位でくくったり、集落単位で支援するのではなく、あくまで「個人支援」にしないと、農業は決して活性化しない。方向が基本的に誤っている。
農山漁村の活性化に欠かせないと言われている、
(1)所得・就業機会の確保・・・農業法人に就職ということか。
(2)地域コミュニティの維持・・・すでに田舎もほとんどサラリーマンであり、家は帰って寝るだけの場所。共通の話題は少ない。
(3)環境保全を下支え・・・個人は組織に属すると急に人格が変わる。個人なら(私有地なら)使わない肥料を、法人なら平気で使うだろう。たとえば汚泥肥料。いかに肥料効果が高くても、個人なら使いたくない。しかし法人なら、そして私有地でないなら、平気で汚泥肥料も使われるだろう。
農業を「認定農家」だとか「集落営農」だとか「農業法人」という方向で捉えるなら、農業はますます経済オンリーになり、荒廃する。
農業を楽しみ、農業に癒され、地域の風土や農環境を保持できるのは、ボクのような小さな個人農業のみ。
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お盆明けから始まる秋冬作予定地を耕運した。2~3週間の間隔で後2回ほど耕運してから作付する。
毎年、タキイの通信販売で購入しているが、この2年間で、軒並み値上がりしている。一部抜粋してみた。
ダイコン(耐病総太り)525円→577円
カブ(耐病ひかり)1134円→1260円
ニンジン(新黒田五寸)1417円→1701円
タマネギ(ネオアース)1155円→1260円
キャベツ(おきな)525円→577円
ほとんどの種が値上がりしている。アップ率が大きい気がする。しかし、慣れ親しんだ品種を変えたり、他の種苗会社に切り替えたりは、大多数の農業者はしないと思う。
まさに種苗会社の思うがまま。でも買わざるをえない・・・。
本当に切り詰めるなら、家庭菜園など全くしない方が得。まさに、農業をしていることが「ステイタスシンボル」の時代になりつつある。
田舎でも、貧乏人は農業をすることができない時代に突入している。スーパーで売っている野菜を購入した方がはるかに安くつくのだから。
夕方、好物の「ウルシ」をたくさん与えたら、口の周りを汚している。メスも汚していたから、多分「ウルシ」が原因と思う。
ウルシは素手で折ると「まける」ので、軍手で折った。ウルシの木はポキッと簡単に折れる。
集落の行事や出仕事
1月25日・・・2つの池の土手の草刈
3月 8日・・・彼岸前の共同墓地の掃除
3月29日・・・集落のその年の実行長の会計報告
5月 3日・・・春の農業祭
5月10日・・・用水の掃除(川掃除、みぞ掃除)
7月 5日・・・クリーン作戦(空き缶や粗大ゴミ拾い)
7月26日・・・通学路の草刈(小学生はたった3人)
8月 2日・・・お盆前の共同墓地の掃除
8月 2日・・・簡易水道の掃除(集落の10軒ほど)
10月18日・・・秋の農業祭
これに加えて今年は、8年に一度の「祷組」という、集落内を何組かに分けたお祭りがある。その中の一つの組の世話役が自分にまわってきているので、今年の10月は何かと忙しい。
夕方、集落の人が来て、田んぼに入れる水の話を聞いた。今も昔も稲作をめぐる水の揉め事はよくある。
子供の頃、夕飯の時にしばしば田んぼの水「我田引水」の話をしていたのが記憶に残っている。
そういう自分の場合も、「水喧嘩」が井戸につながった。今ふりかえってみても、あの時に水を巡るごたごたがなかったら、井戸を作っていなかった。井戸がなければその後の天候異変の多発(梅雨に雨が少ない、秋雨前線が停滞しない)に困り果てただろうし、メタン菌液肥の導入もできていない。
つまり、井戸が農業の継続を可能にしてくれた。次の代が農業をするかしないか皆目わからないが、井戸は次の代にも大きな財産になる。
直径110センチ、井戸水の深さ230センチ、地上から底まで350センチほどで、費用は27万円だった。
雨匂ふ五十六年駆け抜けて「グイン・サーガ」は未完のままに
(6月22日朝日歌壇、ホームレス歌人 公田耕一さん)
作家の栗本薫さんを追悼した公田さんの歌に感銘を受け、栗本薫さんと公田耕一さんの2人のことを書いて、7月5日の朝日新聞「声」欄に投稿された酒谷佳子さん。
その酒谷佳子さんの投稿記事に感動して、また公田さんの歌を読み返した。
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農業を始めてからずっとヤギを飼っていなかったのは、ヤギは1円にもならず、手間だけかかると思ったから。
2月5日にもらってきたので、今日でちょうど5ヶ月が来る。犬ほど賢くないかも知れないが、ヤギも人懐こい。
たとえば生まれたばかりの子ヤギが1万円ほどで手に入り、1年後にはそれが5~6万で売れるなら、飼う楽しみもできる。2頭だと1年で10万円の儲け(エサ代はかからないので手間代だけ)になる。
50年ほど前、牛はこのようにして売っていたと思う。子牛を買い、2~3年飼育して仲買人に売る。
しかし、ヤギ肉を食べる習慣は日本では沖縄県だけのようだし、1頭で5万円ほどの肉は取れないだろうから、ヤギはそんなに高く売れそうにない。
そして、1年も飼えば情がわくので、肉になるのがわかって売るのも、ちょっと忍びない。
ヤギ乳が目的ならヤギは売らない。
どう考えても、ヤギは今後も流通にはのりそうにない。
目的は、(1)ヤギ乳であったり、(2)ヤギセラピーであったり、(3)風景を作るヤギであったり、(4)多少の草刈目的であったりする。
10年ほど前、小型の牛(ジャージー種)を1頭飼おうと、かなり真剣に考えたことがある。結局あきらめたが、多少はそれが今のヤギ導入の伏線になったかも知れない。
5ヶ月が過ぎて、ヤギを飼う負担よりメリットの方が大きくなっている。
ヤギのいる風景は「絵」になる。白色というのも、周囲の緑に映える。白色が防御色になっているのかどうかわからないが、猟師さんの目からは確実に防御色になってくれていると思う。この場合、猟師さんの犬の方がはるかに怖い。懸念は今のところ猟犬だけ。
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鳥取県の八頭総合事務所から、メールの添付ファイルで送ってもらった「ヤギ小屋作成手順」を見ながら、Uさんの援農で一緒に作ったが、持ち運びが重く、竹薮のそばに、そのまま置いていた。
今日の昼、田んぼから帰る時に、日陰になるこの場所に移したら、この箱をすぐに気に入り、出たり入ったりして遊んでいた。さすが、ヤギのリースの先進県である八頭総合事務所が考案しただけあると思った。
ただ、これはヤギ小屋として立案されたものであり、「日除け」にするには持ち運びが重すぎた。次回のUさんの援農の日に、新たに「黒い寒冷紗を使った日除け」を試作してもらおうと思う。
単なる「日除け」でもなかなか簡単ではない。
(1)果樹の下につなげば、果樹の樹皮や枝葉を食べる。
(2)支柱に傘をつければ、鎖が支柱にぐるぐる巻きになる。
つまり、鎖でつないだヤギが届かない場所に一畳ほどの黒い寒冷紗を立てようという案。午後からヤギをいちいち日陰に移すより、この方が簡単である。
左の画像は4月1日の農業新聞の第1面に出ていた。これを見た瞬間、唖然とした。これは完全に、農業を「ファッション」として捉えていると思った。記事によると、『撮影のため、スコップを手にポーズをとるタレントの山口もえさん(前列中央)ら若い女性参加者。雑誌の企画「美人百姓」で農作業に挑戦する』と書いてあった。
この画像のインパクトがあまりに強烈だったので切り抜きしておいた。ここまでやると、「やらせ」を通り越して、ひとつの「扇動」だと思った。
右の画像は3月23日の農業新聞の記事。「農業ブーム」あおる?という見出しがあった。
農業をビジネスにするのは大変である。農業では、人の真似をすることは難しい。技術力が身につかないタイプは、農協や市場などを通す迂回経路での出荷はできない。
直接に販路を求めるなら、どんな「へちゃむくれ野菜」でも、鮮度と価格でカバーできるし、直接なので信用してもらえるし、気に入られれば長く購入してくれる。
今日の山陽新聞に、この記事と画像がかなり大きく載っていたが、お隣の鳥取県ですでに実証済みのことばかり。行政の横の連絡は、県が異なれば遮断でもしているのだろうか。
マスコミも、鳥取の事例をまるで知らないのか、あるいは知っていても無視してこの記事を書いたように見える。
減反政策
減反は40年間続けられてきたが、米価はどんどん下がり、所得が低下している。効果が見込めない政策に年間2千億円をつぎ込むのをやめ「確実に所得補償をしてほしい」(富山の農家)
一方、減反でコメの価格維持を明確に求めたのは地元JA幹部や職員だった。JAグループは米価が60キロ1万8千円を下回った場合、差額を政府が補償するように求めている。
減反政策をめぐっては政府与党内で激しい対立がある。民主党を意識した石破農水相は、減反を見直す代わりに農家への所得補償の検討を表明。しかし、自民党の農水系議員は減反を緩和すると米価が下がるとして「水田フル活用(米粉・エサ用の米への転作)」を看板政策と位置付けている。(朝日新聞7月4日)
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止まり木に「はざ掛け」している麦を、地面に近い部分からついばんで食べている。コゴメは在庫がなくなったので、現在の穀類は麦だけ。今日は、ナスビの外観不良分、ジャガイモのくず、エンサイを与えた。
まだ購入飼料(配合飼料)は与えていないが、7月12日で2ヶ月がくるので、少しずつ与えようかと思っている。
ヤギには購入飼料はいらず、草木だけなので、安全性から言えば、卵よりヤギ乳の方が安全性はかなり高い。
西洋ミツバチ
ミツバチが来てくれるのが、ちょっと楽しみになっている。督促するわけではないが、いつ頃になるか、今日また電話で尋ねた。
多分、無料で置いて頂けるのだと思う。世話をさせて頂くだけだから。
品種は日本ミツバチではなく、西洋ミツバチ。プロの養蜂業者さんであり、日本ミツバチではビジネスにならないと言われる。
四国の祖谷地方(標高の高い所、車で日帰り)に一部を持っていくと言われていた。他に、県北の蒜山、奥津、兵庫県南部にも置かれているようだ。
本を1~2冊読むと、飼い方がよくわかると言われた。
置く場所はプロの方が選定してくれる。
越冬は当地では十分可能であるらしい。
天敵のスズメバチに関しては、巣箱のそばに、スズメバチを捕獲する器具をつけているらしい。
稲作の農薬が少し問題になるらしかった。直線で200メートルの所に稲田があるが、農薬散布はしても、年に1回くらいのようだが。
標高(海抜)のことも言われたが、ちょっとその意味がわからなかった。
プロの養蜂業者さんは、お隣の備前市の方で、我が家から15分ほど。まだお目にかかったことはなく、電話で話しているだけ。
あんた方のような(自分の住所は伝えている)平野部ではなく、稲作で食べるのは難しかったので養蜂を始めたと言われる。多分、60代の方だと思う。
農業新聞で、欧州のミツバチの「大量死」が連日のように取り上げられることがなかったら、ミツバチを飼う気はおこらなかったと思う。
環境問題を考える上では、うってつけの昆虫である。ニワトリは、麦やソルゴーの自給飼料作物を呼び込んでくれたが、ミツバチは、ヒマワリ、コスモス、ナバナ、レンゲという景観作物(蜜源)を呼び込もうとしている。
ボクが注意することは、ミツバチの「盗難」と「天敵」と「蜜源」と「生存環境」。
ブログでミツバチのことを色々伝えたい。
ニワトリやヤギではわからない、生態系を考えさせる昆虫との出会いが楽しみ。7月中には来られる。
ニワトリとヤギは競合しない。ヤギは、ジャガイモのくずや劣化したキャベツや、外観不良のナスビ等をほとんど食べない。他に食べる物がなかったら食べるのかも知れないが、毎日、おいしい雑草で満ち足りているせいか、野菜くずをあまり食べようとしない。逆にニワトリは、ジャガイモのくず、外観不良のナスビ、劣化したキャベツ等を好んで食べる。
農プラ再生49%
農業用フィルムなど、生産資材の廃棄物を適正に処理しようとする推進対策協議会が高松市内で開かれた。使用済みの農業用フィルムを回収し、リサイクル率を高めるのが目的。香川県の報告によると、前年度の廃棄フィルム排出量は推計で1531トン。そのうちプラスチックサンダルやクイなどに再生された量は745トンで、リサイクル率は排出量の48.7%だった。
全国平均のリサイクル率は61%。協議会では、塩化ビニールやポリエチレンなど分別回収を徹底して、リサイクル率の目標を全国並みに引き上げることを決めた。(農業新聞7月3日)
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地面が「じる田」のようになり、足も羽もトサカや口ばしまで泥んこで、見るに忍びなくなり、とにかくこの状況を何とかしなければと思い、刈り草をかなりの量、投げ込んで、足が土に触れないようにした。
何回か入れ替えしながら、こういうやり方で、梅雨明けまでやってみようと思う。
愛知県のウズラが感染した鳥インフルエンザでは、約160万羽のウズラが処分されて終息したが、160万羽は全国のウズラの飼育数の3割に相当するという。
「160万羽 」
これは家畜のアウシュビッツ。何十万羽も特定の場所で飼う方法は、鳥インフルエンザのリスクがあまりに大きい。
7羽でも、つぶす(絞める)のはかなり勇気がいるのに。
オクラの花とアマガエル。オクラにはアマガエルをよく見かける。
今日のヤギ
民主党は1日、衆院選マニフェスト(政権公約)で打ち出す廃止事業を固めた。「無駄づかい削減」により、9.1兆円の財源確保をめざす。(7月2日朝日新聞)
(廃止を固めた主な事業 )
川辺川ダム(熊本)・・・・・・・・3300億円
八ツ場ダム(群馬)・・・・・・・・4600億円
減反関係補助金・・・・・・・・・・2000億円
農地集積加速化事業・・・・・・3000億円
アニメの殿堂建設費・・・・・・・・117億円
緊急人材育成支援事業・・・・7000億円
官公庁施設整備費・・・・・・・・・・2.9兆円
対潜水艦作戦送信所(沖縄)・・・36億円
農地集積加速化事業とは
農地集積加速化事業とは農地の面的集積を進めるため、農地の出し手に対し、最高で10アールあたり1万5000円を、最長5年間、交付する。農地の流動化が進まない現状を踏まえ、「農地の出し手に動機を与える」(農水省)のが狙いだ。3年間で50万ヘクタール程度の担い手への面的集積を目指す。
農林関係に莫大な予算が計上されているが、いったいどこに投下され、それが本当に未来の日本農業のためになるのか、よく検討する必要がある。
「中山間地域直接支払い制度」(2007年度の実績は、交付金が514億円)も、未来志向ではなく現状維持志向でしかない。協定を結ぶ約2万8千集落のうち、7割以上が交付金の半分以上を共同で使い、個人配分は1戸平均8万円だという。
なぜ、集落という単位で縛ろうとするのか。半分は共同で使うとは、「道普請」等に使うのだろう。
個人配分が1戸平均8万円では、ほとんど何の役にも立たない。
未来をイメージできないことに多大な補助金を投入すべきでない。
莫大な農林関係予算の半分をロストジョネレーション世代の「田舎移住、自給自足支援」にまわせば、日本は確実に変わると思う。
現実に中山間に移住する若い世代が増えないと、その中山間の集落はいずれ消滅する。
集落ではなく、個人支援でないと意味がない。
ボクの持論は、月間5万円(年間60万円)を5年間(つまり300万円)をロストジョネレーション世代の田舎移住自給自足支援にまわすという論。
毎年10万人の募集をしても、年間の予算は600億円。5年間で3000億円。
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ツルムラサキとエンサイ。この葉野菜を作り始めたのは農業をスタートした20年前からである。それまでこの2種類は全く知らず、見たこともなかった。就農準備期間中に読んだ徳野雅仁さんの「自然流野菜栽培」を読んで初めて知った。
現在でも集落の家庭菜園で作っている人をほとんど見かけないが、ホウレンソウやアブラナ科野菜ができない夏場(6月~9月)の貴重な葉野菜である。
ほとんど害虫の被害がなく、投げていても根付くほど、どちらも「挿し木」が簡単で、摘めば摘むほど脇芽が次々に伸び、収穫期間も6月中下旬~11月中下旬の5ヶ月間、休みなく続く。
挫折
挫折しないと、次のステージには進めない。挫折を感じなければ、ずっとその状態が続く。
20代の時、ある資格試験をめざしていた。周囲の助言も無視して続けていたが、32才頃、年齢的、経済的に完全にあきらめざるを得ない状況であることを悟らされた。
その挫折があったから農業がひらめいた。もうその年令では就職口は少なく、これからどうしようと考え続けていた時、突然に農業がひらめいた。それでも、ひらめくまでに3年ほどの月日がかかった。
ブログに出会ったのも、商業出版を夢見た4冊目のあめんぼ通信(13年目の末から毎年、あめんぼ通信を1冊の小冊子にして自費出版していた)が、十数社の出版社からすべてボツの通知を受けてからだった。
ブログを始めた半年前には、どこにブログが出ているのかも、わからなかった。
何か目的を持って頑張らないと、大きな挫折もない。完全に打ちのめされないと、次のステージには進めない。だらだらと同じことを続けてしまう。
ブログに限界を感じても、また次の新たな目標を見つけれると思う。
しかしブログにはまだ限界を感じていない。
朝起きた時は快晴だったのに、昼頃から雨が降り始め、3時頃から大雨になった。久しぶりに雨が土にしみこんだような気がする。
昨日、サトイモの欠株に「植え継ぎ」をした。雨が降らなかったので、さっぱり大きくならない。春夏作でサトイモだけが失敗している。たった150個しか植えていないのだから、途中で畝間潅水をするなど、手をかければよかったが、その一手間の時間が取れなかった。だからといって投げだすわけにはいかない。9月下旬~12月にサトイモの入らないワンパックはとても組立てづらい。今後は定期的に井戸水を畝間潅水しようと思う。
出荷が終わった夕方、水路掃除をした。大雨が降ったら水路の見回りをしないと、落ち葉や枯れ草が水路を堰止めして、田んぼの方に水が流れ込むことがある。
この大雨で、秋冬作予定地の耕運がいつできるかわからなくなった。
7羽の鳥小屋の地面が雨でずたずたになっている。こんな状態が続けば、ニワトリの健康によくない。
この鳥小屋はキーウイの棚を利用したので、屋根のトタンをきちんと並べることができず、3分の1が露天であり、かつヤギ小屋のトタンに降った雨がニワトリ小屋に入ってしまう。
ニワトリの病気は鳥インフルエンザだけではないので、心配になっている。「ヒヨコが卵を産み始めるまで、つなぎで半年間ほど飼う」というやり方は安易すぎたかも知れない。飼うなら、やはりきちんとした屋根が必要だった。
来週もこの状態が続くようだと、ニワトリの「淘汰」も考える必要が出てきた。一羽ならともかく、立て続けに状態がおかしくなれば家畜保険所に電話をする必要があるし、その場合に責められるのは、きちんとした屋根のない露天でニワトリを飼っていたという自分である。
ヤギ小屋の前だし(糞出し)もする必要があるが、この雨で下敷きにできるものが全て濡れている。野菜にはいい雨だったが、ヤギも7羽のニワトリもかなりストレスになっている。
組織向きでないとわかったから独立自営業ができる資格試験をめざしたが、農業も独立自営業なので同じである。ただ、同じ独立自営業でも農業はほとんどカネにならない。義兄のようにサラリーマンなみに稼いでいる人もいるが、それは農業者の1~2割でしかないだろう。
それでも農業は自尊心を十分に満足させてくれる。農業は「ロックンロール」であり、「全共闘」であると思っている。
通常なら、土に触れる生活は、定年になるまで待たなければならないはずだが、人より25年も早く、それをすることができている。
土に触れることは快感である。これは人間の本性だと思う。今は田舎在住でも、土に触れることが難しくなった。サラリーマン生活が厳しいので、休日はぐったりしたり、自己啓発の勉強も常に強いられる。隠れた努力をしていかないと、現在の地位(居場所)も保持できないだろう。
働き口がなくても、現役世代が農業を始めることは極めて難しくなっている。
大規模にすると、本来の土から離れてしまう。
大規模なら、多くの資本投下が必要になる。
どんな農業でも技術が身につくまでに2~3年かかる。
害獣のおびただしい進出。
地球温暖化など、農業環境の劣化。
国内だけでなく世界の農業者との競争にさらされる。
作ることと売ることは違った能力が要求される。自力で販路を見つけ、かつ継続してもらうことは大変である。
サラリーマンにも働き口はなく、農業のハードルも極めて高い。それがこの国の政治と農協が主導してきた「結果」である。もう変えなければならないが、すでに遅すぎるような気がする。政権が変わっても多大な「負の遺産」を引き継ぐのだから、大変な困難が待ち受ける。
この国の政治が個人ではなく企業のための政治であり、農協は農業者のためでなく、時の政権と結託して組織自体を巨大にしただけだった。こんな巨大組織に外部監査(公認会計士監査)も入らないことがまかり通るのは、自民党、農水省、農協が三位一体と言われるゆえんである。
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