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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  福島まさ子さん(1)




癩の宣告うなずくわれに医師立ちて乳飲ませよと吾子見やりにき




わが乳首吸っては離す幼子もただならぬ気配感じたるらし




くすくすの鼻吸いやればふと笑みて乳首含みし吾子を忘れず




柔らかき舌に包みて乳首吸うこの子を連れて入り難き園




授乳すめば奪うがに夫吾子をとる幼児期の伝染率高しを言われ




義妹に負われて帰る幼子をただに見送るわれの術なさ




わが肩
に夫の手あたたかくおかれあれど地に沈むばかり吾子との別れ




漲りて痛む乳房を抱きつつ吾子いる彼方爪立ちて見き




帰途の車中泣き通しに泣きし吾子とかや義妹の文は今も泣かしむ




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栗生楽泉園  中島栄一さん(3)




義足繃帯着けねばならず人より先に三十分早く起きねばならず




職患合同演劇会に看護婦は癩者と抱き合う劇を演ず




私服姿の看護婦さんに逢いしとき他人の如き表情を見す




手萎え我口もて釦かけており一つかけては息づきながら




月に一度診察台に義足を脱ぎ丸太のごとき足を突き出す




わが義足八本目をば修理せんこの先何本履くことにならん




ひと日終え重たき義足はずすとき幼児のごとく足振る我は




会いに来し弟をそこまでそこまでと義足を鳴らしつつ二キロ歩めり




中島栄一(中島英一)さんの略歴
1902年1月21日群馬県に生まれる。30代半ばで発病し、1941年9月2日栗生楽泉園に入所。1944年左足切断。「潮汐」会員。1978年12月1日死去。著書に歌集『杖の跡義肢の跡』(1976 短歌新聞社)。


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栗生楽泉園  中島栄一さん(2)



北窓を目貼りすましし安けさに起さるるまで眠り続けぬ




山山のせまれる間を流れゆく川といふもの淋しと思ふ




なにがなしに心寂しきときに見る椿の花のもろく散るさま





松葉杖つくことすでに二十年右肩高く体曲れり




木の枝にラジオを吊し鳴らしおき位置を確かめて山菜を採る




庭隅に割れて捨ててある植木鉢の中より秋の虫の声する




娘よりの声の便りを聞くときに老妻は聾いし耳を寄せゆく





面会に来し妹二人わが歌集を読みいるうちに泣き出だしたり



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栗生楽泉園  中島栄一さん(1)


足を断って二十年


二十年前の今日

あのおそろしい大手術に

おれの足は断ち落された

背骨の脇に大きな

麻酔薬の注射がうち込まれた

刻々と迫る悲しみ

無心に時計が時をきざむ

全身がふるえる

手術台のまわりに光る

不気味に並んでいる

メス、鋸、数々の器具


看護婦が静かに

がまんしてねと体をしっかり

おさえる

では始めますと

医師

足もいよいよ最後だ

骨を引く鋸の音

ついに三キロの目方の骨と肉が

おれの体から永久に離れた

三時間のうちに手術が終った

風船のように軽く感じた足

丸太棒のようになって横たわる人間おれ


粘りついた汗が

ベットに沁みとおるほど出た

もうすべてあきらめた

泣けるだけ泣いた

そして今思う

あの大戦争だ

おれの足も戦争がなければ

切らずにすんだ

無理をした無理をした

毎日のように山へ行き

薪を取った畑も耕した

手足から血を流して

良い薬がない、手当がない

もうふたたび戻らない足に

大声で呼ぶ

かえってこいおれの足

だれのための戦争










手の指が欲しい


嘆いても

戻るまい

恐ろしいらい菌に噛み切られた指

でも

どこかであの指が

泣き叫んでいるようだ

血だらけになって

骨に抱かれて。

そうだ

探してみようさがせるだけ

呼べば帰るだろう

親からいただいた

貴い指

ああ働いてくれた指がかわいそう

社会が待っている

大声で呼んでいる

心は走っている

ハンドルを社会に向けて

整形した、拾い集めた、指でもよい

希望を掘るのだ

指がほしいこぶしのさきに。
 









ゴム靴に


おれは変形した足に

ゴム靴を履かせて

ずるこずるこ歩く

悲しそうに靴は泣く


らいの傷足に繃帯して

びっこを引いて

松葉杖にすがって

乞食のように


だがおれは

このゴム靴でないと

一歩も歩けないのだ

なお弱視のおれは

舌先でゴム靴を

舐めてさぐって履く


こんな不潔な動作は

誰にも見せたくない

社会の人はなんと

思うだろう

いやこんな愚痴は

やめよう


お前に願いがある

びっくりするなよ

おれはお前と

近いうちに郷里へ

里帰りする

ゆるしが出たよ


その時はいっしょにたのむ

お前を磨いてやる

郷里の土は温かいか

冷たいかよく踏みつけてくれ

三十年の古里の土を



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栗生楽泉園  田中美佐夫さん(8)




残雪を捜して歩くつえの先




視力消えてまぶたに残る山があり




耳たぶをメスにまかせる菌検査




まひの手に代わりチャンネル回す義歯




まひの手はインターホンをあごで押す




点字うつ音さわやかにきょうも晴れ




目の見えたころの形でいる帽子




ふるさとの夢そばがらのまくらする




友の通夜雪もちらちら泣いてくれ



田中美佐夫さんの略歴
明治41年農家の生まれ。昭和3年21歳のとき発病。昭和6年湯之沢で点灸と大風子油治療を受ける。東京の病人宿で点灸の「色さまし」をしたのち8ヵ月ぶりに帰宅。11年から病状悪化、視力低下。13年5月湯之沢バルナバ医院で治療。11月栗生楽泉園入園。昭和14年春失明。昭和41年高原短歌会入会。42年菌陰性となる。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『凍雪』(昭和63年)『十月ぐみの歌』(平成元年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)第二歌集『向日葵通り』川柳句集に『視力ない車椅子』(平成6年)



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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