あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  松本茂子さん




療園に行くなと泣きし子供たちも今はそれぞれ親になりたり




面会に来し娘の話つきせぬに時計は夜の十二時打ちぬ




麻痺の手に絞りきれず干す肌着よりいまだに雫滴る音す




弱き眼に見えるは白衣の姿のみ挨拶すれど誰か解らぬ




格子柄あかるき色の炬燵掛に親しみながら一人のわが日日




夢かとも思ふ療園の様変わり鉄筋コンクリートの部屋にわが住む




母よりも二十年永らえし我なるかただ病に苦しみ日日を過ごして




新しき足の補装具我が履きて畳の上を暫し歩みぬ




麻痺の手で宵宵に床を敷くことも老いに入りては重労働の如し




故郷の話聞きおり受話器より代わる代わるに子と孫の声




静かなる日暮の一とき個室にて声かけて手足の運動始む




遠く離れて思うばかりの孫六人すでに次次中学に入りぬ




松本茂子さんの略歴
大正5年生まれ。昭和29年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking

このページのトップへ

栗生楽泉園  臣木 至さん



義妹母子のみづから死にし原因にはわが強制収容のことも関はりありき




双手にて鋏持ちつつ摘み落す葡萄の房を妻は籠に受く




うす墨の色に暮れゆく浅間山見馴れて古りぬ齢もやまひも




手術室より運ばれてくる妻の足短かくなりしは衣にかくれゐし




冬の日のまだあるうちに夕餉して咳こみあぐる長き夜となる




妻の骨二つの壺に納むるに箸持てぬ我は手にて拾いぬ




二級一種の障害者手帳手に受けて束の間にしてさびしくなりぬ




人の足わずらわせ
こい一尾買いぬわが衰弱をいやさんとして




帰り来てひとりの食事つくるべく葱抜きに出づ月夜の庭に




看てくるる人なき今はいささかの風邪にもわれは宵早く寝る




七年前の赤城はつつじの盛りなりき今日孤りゆく冬枯の沼べ




庭先に若松の芯太ぶとと伸びゆく見ればすがり生きたし




三十年持ちゐし覚悟崩れゆく或いは死病と思う病床に



臣木 至(山科信夫・牧野西夫)さんの略歴
明治40年2月16日生まれ。はじめ全生病院入院。昭和9年「武蔵野短歌」創刊時には牧野名で編集委員。昭和17年12月16日栗生楽泉園転園。「アララギ」所属。「高原」の編集にも携わる。昭和51年10月3日没。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking

このページのトップへ

栗生楽泉園  内田よしさん




手さぐりに冬日もとめて黄梅の鉢を持ち出し水やるわれは




面会の母に被せむとわが夫はふくれし布団を日にかへしをり




萎えし手に絞り足らざるほし物の凍りて夜半の風にガラス戸叩く




長病みの妻に逝かれし隣室の友が点字打つ音かすかなり




指曲り固く冷たき左手より杖持つ右手は二センチ太し




別れ際に眠りいる子を抱きあげて抱かせくるる嫁はためらいもなく




わが義眼知らぬ幼な孫写真帳を抱えきたりて見よと差出す



内田よしさんの略歴
大正10年2月生れ。昭和21年5月栗生楽泉園入園。『山霧』(昭和41年)『冬の花』(昭和53年)


2030年 農業の旅→ranking



このページのトップへ

栗生楽泉園  名和あいさん




遠き日にオルガン弾きしわが手萎えて今かつがつに鉄琴を打つ




今は亡き母が縫いくれし白足袋を包紙替えてまた仕舞いたり




寄贈されし栗色の木琴弱き眼に見やすき窓辺にわれは据えおく




今日逝きし人の布団が時雨の雨かかれるままにまだひろげあり




癩者の遺体拭い給うリー教母にわれも手伝いて仕合せなりき




わずらわしき雑居ぐらしを語り合うことも時には慰めとなる




われの足断ちしを母に告ぐるなと兄ヘ便りせし遠き日思おゆ




伸びしわが植毛の眉はさみ呉るる看護婦の手の温し柔かし




われに残る僅かな機能いとおしとパラピン浴に足をぬくめおり




帰り来てぬぎし義足の筋金は汗にうっすらと曇りておりぬ



名和あいさんの略歴
明治39年生まれ。昭和16年栗生楽泉園入園。「高原短歌会」所属。昭和52年没。『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking

このページのトップへ

栗生楽泉園  川坂忠勝さん



秋風に
明水さんと坂道を農園先まで散歩せし思い出




病癒えラジオテレビで日日を学び得る今を幸いとせり




たそがれに庭に降りたち杖と手でまさぐりみれば草丈伸びぬ




妹も風邪ひきいるに夜中まで熱に苦しむ吾をみとりくるる




わが部屋へ父が来たれる夢を見き然も弟も連れて来たりて




生れ出でて生かされてきて生きてきて今日は私の誕生日なり




廊下をばから拭きしたりわが体ようやく昔に戻りし如し




歌を学び療養つづけかにかくに四十年を過ぎて来しかな




我が庭のほおずき赤く色づけば遠き故里恋しかりけり




この病吾が身一人であれかしと家族の者の幸を祈れる




父母はわが病ゆえいかばかり苦しみしならん今にして思う




運動会終れば看護婦に手をひかれ虫の音ききて帰りゆくなり




悲しみて嘆き苦しみ生活せしに今は恵まれ豊かに暮す



川坂忠勝(利勝)さんの略歴
明治41年4月生まれ。昭和17年3月栗生楽泉園入園。『盲導鈴』(昭和32年)『冬の花』(昭和53年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


2030年 農業の旅→ranking

このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最新記事

最新コメント

カテゴリ

カウンター

QRコード

QR

検索フォーム

月別アーカイブ