あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  朴 湘錫さん 



病棟雑感(3)



 オ・・・・・イ
 準夜のせわしい時間帯、それとは関係なく
 オ・・・・・イ オ・・・・・イ
 舟は出ないと思った。が舟は出る。
 まあーま、こんなに汚して、ほれ、そんなばっちい手。
 お尻がぶたれる場面が想像され、遠い昔が脳裡をよぎる。
 ぶたれても痛みを感じない母の感触、赤ちゃん嬉しそうだ。
 オ・・・・・イ
 
 たえずそばにいてほしい
 オ・・・・・イ
 たえず何かを語りかけて欲しい
 そうだ、彼は李さんである。
 慶尚北道のある地方のヤンバンの出であるとのことだ。
 ヤンバンとは働くことを知らない種族で、つまり支配階級なのである。
 国が亡び、権力を召し上げられ、土地を奪われて見れば、はやり雑草のそれで、いや、より耐え難い苦しみを味わって来たことは間違いない。
 李さんが入園してきたのは一九四四年、ある炭礦で強制労働に従事、そして発病、四十数年のいま、ふるさとも、家族を思い出す気力もなく、汚物をもて遊ぶ
 忘れることの幸せ
 記憶よ戻るな、今日も明日も・・・


 沈んでいく病棟の夜
 静寂を破って、ナースコールのブザーが鳴る。タイルの床を蹴って不しん番が駈ける。
 地獄より使者
 今宵はどの部屋に忍び入ったのか、しつこい奴、俺のこの部屋は遠慮してほしいものだ。
 又静寂が戻って来た。
 眠れぬ長い夜が続く。
 忍び入る気配に息を整えた。俺の生を確めに来た忍者なのだろう。そーっと夜具をかけ、忍び足で消えていく。
 天使とはなんだろう、
 汚物にまみれて、身も心も捧げる神よりの使者、それを希い強要する心の残酷を感じないわけにはいかない。
 白衣に身を包んで、俺たちの命を支えているこの人たち、天使にして天使に非ず、ビジネスの社会に生きる人なのである。
 といって、職業婦人と割り切ることは更にできない。
 やはり、俺たちの天使でありたい、と、祈りたいのである。



朴湘錫さんのやさしい心情があふれた病棟雑感だった。82歳で亡くなられている。故郷への里帰りで、なつかしい釜山の港を再度訪れることができ、万感の思いが「連絡船」という詩になったと思う。


最後に朴湘錫さんの略歴をもう一度載せておきます。

朴湘錫(星政治/本名・朴錫相)さんの略歴
1919年5月23日、韓国慶尚北道義城郡北安面に生まれる。1944年3月3日、栗生楽泉園入所。2002年1月31日死去。合同作品集に『残影』(1973 私家版)、合同作品集『トラジの詩』(1987 晧星社)がある。


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん


病棟雑感(2)


 午前八時 日勤との交代
 ベッド払いから掃除、治療車のきしむ音、それぞれの任務に分散して、生気をかもし出す病棟の午前。
 電気器具の騒音が止む頃
「どうだい」と
 主治医が入って来た、たったそれだけの声に、ほっと安らぎを覚える。
 愛称髭先生である。面長の輪郭を囲う見事な髭、如何にも人格にふさわしい。
「俺大丈夫かい、先生」
「大丈夫だ、心配ねえよ」
 さらりと言ってのける。山盛りの灰皿を片付けながら、でも吸うなとは言わない。言ってもきくような玉じゃないと思ったのか?
 先生にいま一つ大切なニックネームがある。少しばかり表現は悪いようだが、俺たちは「のんべ先生」とも言っているのだ。
 失礼にも聞こえるが、そうでもない。のんべの中味は濃いのである。
 俺たちの親愛の情が含めてある。医者と患者の壁を感じない。要するに、立場を超越して、俺たちの生活の中に飛び込んでくれる先生とも信じているのだ。
 少し古い話になるが、ある職員が患者の出したお茶をのんでくれた、とのニュースに俺たちは驚いた過去を思いかえす。
 時代も変って、ライへの認識も見直されつつある今日なお、お茶一杯出すことに迷いを感じている俺たち。
 もし、ひざを交えて生の心を語り、酒一杯くみ交わす職員が、又は社会人がいたとすれば、自らの偏見と、コンプレックスにこもりがちな心の扉をひらいてくれることではないだろうか。
 その意味からして、俺たちが生の心をぶっつけ、わがままも言える俺たちの先生に、多分お気に召すまいと思うが、「のんべ」という称号を、心を込めて贈る次第である。


 助けて・・・・・
 看護婦さん助けて・・・・・
 救いを求めているのは一号室の老婆らしい。いま暴漢に襲われているのだ。
 この病室のことを備品室とよんでいる。勿論俺たち仲間の口のわるい誰かである。
 備品室には老婆も含めて、行き場のない何人かの者が収容され、いわゆる彼等は病棟の備品なのである。
 聞き捨てにならない言葉ではあるが、なんてことはない、俺たちが自らを自嘲する言葉なのであるから━━。
 なぜなら、口のわるい彼も、論評を加えているこの俺も、まぎれもない備品の一人なのである。後なき人生を、療養所という名の囲いの中で生き、そして消えていく備品、多少なりと違いがあるとすれば、自力で動き、正常に判断する能力が、まだ残っている、ということにほかならないだろう。


 婦長さん・・・・・
 婦長さん・・・・・
 可愛い叫びは天使の玉子のようだ。
 ウンコよ、Hさんがウンコだらけよ、と、更にそう叫んだ。
 騒ぎはやはり備品室である。
 俺は自分のおむつに手を当ててみた。
 幻想に怯え叫ぶ老婆、何が気に入らんのかわめき散らす者、平和な顔して、汚物と遊ぶHさん。
 彼等の昨日を知る者の誰が、今日の彼等を想像し得たであろうか。
 因果な人生はさておいて、
 因果な役割、と言ってはならないのか、天使の皆さん。

(つづく)


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栗生楽泉園  朴 湘錫さん 


朴湘錫さんは「連絡船」や「古里ってなんだろう」のような記憶に残る詩の他に、こんな面白い散文も書かれている。



病棟雑感(1)


 どの位の時間が過ぎたのだろう。
 俺の鼻に黒い紐が通されて、足にも何かロープで繋がれているような気がする。
 高野ひじりの、あの魔性の女が俺を牛に変えてしまったのかと怪しんだ。
 それにしても大きなおむつである。
 いま俺を取り巻いている、この白い妖精たちが、よってたかって俺の下着を剥ぎ取り、干ししいたけのようにしなびた、俺のむすこの、その首根っこを摘み上げ、この無格好なおむつの中へ閉じ込められたのかと思うと、首を縮めたくなる。



 重い瞼をあけて息を整えた。
 俺は生きているのだ
 俺のコンピューターも正常に作動している感じである
 頭がひどく痛い
 目がまわる
 ベッドが揺れている、波にもまれる小舟のように
 えらいことになったと思った
 いま俺がねかされているこの病室、末路の部屋、あるいは三途への渡し場ともささやいているその個室のようである。
 誰がこんなひどいことを言い始めたのか、それは知らないが、いずれはこの部屋のお世話になる運命も知ってはいたが、遂に俺もこの渡し場へやって来たのか、と目を閉じた。
 数日前のこと、
 句友のちえ女が、あの世とやらへ旅立っている。俺のいるこの部屋のこのベッドからである。
 日頃、彼女は善行の人であった。人の面倒をよくみて、世話好きな人であったから、おそらく彼女は地獄ということはないと思う。
 極楽からのやさしい使者に案内され、いま頃は三途の川瀬を渡っているに違いない。
 そこへいくと俺は駄目だろう。
 日頃の信仰からしても極楽は無理だろうし、天国も玄関払いだろうから、いやでも赤鬼や青鬼にむち打たれながら、火の途の地獄道を行くことになるのだろう。
 ちえ女のように、俺ももう少しいい事をしておけば、と、後悔しても遅きに過ぎた感じである。


 オ・・・・・イ・・・・・
 オ・・・・・イ・・・・・
 ナースコールは、俺のいる渡し場の向い側の住人らしい。長く節をつけて、
 舟が出ルヨ・・・・・
 返事が返っていく、ピッタリした調子、彼とナースのみに通じるコミュニケーションでもあるようだ。
 病棟の一日はこれから始まるのだ。
 検温、洗面、汚物の処理から、おむつの取り換え、てきぱきと作業は進んでいく。
 六時四十分頃と思う
 オイチニ、オイチニ
 NHKの朝の体操ではない
 ナースの肩に手をかけ、三人、四人連なって、声を合わせて、オイチニ
 食堂へ向う人間列車である。
 真新しい機関車だけが目立って、いまにも崩壊しそうなこの列車にも、やはり過去はあった筈。その彼等の、かすみゆく脳裡に去来する、それは果たしてなんだろう。

(つづく)





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栗生楽泉園  朴 湘錫さん


古里ってなんだろう

お地蔵さまがいた

峠に君臨する

さくらんぼの老木もいた

草深い山里

険しい峠道

わが古里

見下す村はずれから犬が吠えている

この村に生を受けたこの俺を

あいつらは知らないのだろう


お地蔵さま

あなたは俺を知っているか

思い出してほしい

五十数年も遠いむかし

朝夕

この峠を通っていた村の子供たち

小石のだんごを差し上げ

あなたにたわむれた

なかのひとりを


さくらんぼの老木よ

まさか

お前に忘れたとは言わさんぞ

部厚いお前の背によじのぼり

折角つけた実を

食い荒したわんぱく共の

そのなかのひとりを


お地蔵さま

ふるさとってなんだろう

俺には

ふるさとを語る何もない

というのに

妙に恋しがり

妙に懐しがる

待つ人もないふるさと

お地蔵さま

きっと

私はまたやってくるだろう














三十八度線

江原道の東海岸

名もない筈のこの海辺は

観光の人で

今日もにぎわっている

売り物はなんだろう

入れ替り、立ちかわり

記念のシャッターを切る人たち

俺もカメラを向けた

無限に広がる海原をバックに

巨大な自然石

あー

三十八度線

深く、鋭く

掘り込んだ朱入りの五文字

赤く

血の色に似て

カメラの視界を覆う

観光を楽しむ人たち

紳士がいる

貴婦人がいる

アベックも学生もいた

シャッターを押す

祖国の人々よ

あなたたちの思いはなんだろう

おだやかな顔して

恨みも

悲しみも忘れた顔して

悠々

横たわる日本海の荒波よ

偉大なお前の力で

打ち砕いてくれ

忌わしい

あの怪物を












祈り


振っています

なびいています

民族の祭典

どよめく歓声

ゆらぐ旗々

ユニバーシアードの大会

競う者も

観る者も燃えています

民族の

熱い血をおどらせて

赤い地に星のマーク

そして

白い地に太極拳

見つけましたわが祖国の旗

南の選手が出ました

赤い旗も振られています

北の選手が出ました

太極拳が振られています

惜しみなく

情熱を燃やして


どす黒く

深い溝

埋められています

民族の赤い血で

私も祈ろう

そして私も振ろう

画面にゆらぐ

二本の旗へ



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栗生楽泉園  朴湘錫さん


連絡船(一)

オモニ

まだ僕は生きています

釜山のこの埠頭に立って

もう忘れてよい筈の過去

その記憶を

懸命にたぐりよせています
 


オモニ

あなたと

僕を乗せてくれた

あの連絡船は見当りません

多くの

涙と悲しみが沁みている筈の

釜山の港

すっかり近代ビルに化け

僕の思い出の上

どっかと

あぐらをかいています



オモニ

あの場所はどの辺だったろう

渡船の書類を大切に持ち

よごれた風呂敷包をかかえた

あのみすぼらしい行列

はねられて哀願する者

ひきずり出されて

泣いて、わめく女がいました

幼い心の怯え

不思議と甦って来ます



オモニ

あなたが教えてくれた

いま一本の通路

あの道はどの辺だろう

泣き叫ぶ女を流し見て

フリーパスで去っていく道

僕たちは通れない道、と

オモニが云う

なぜ?

いつまでも

幼い心は追っていった










連絡船(二)


西陽を受けて

観光船の白い巨体が入って来た

深々と体を沈めて

貨物船が出て行く

にぎわう釜山港

埠頭に立つ、かつての少年

遠い遠いむかし

母に手を引かれて乗った

あの時の連絡船はどこだろう


あの場所はこのビルのどの辺だったろう

気力を失った長い行列だった

疲れた顔をしていた

悲しく

不安な顔をしていた

ふるさとを捨てる悲しみなのか

それとも

明日に生きる不安なのか

植民地、という

衣をつけて

闇をさぐる新しい日本人


心もとない足どりで行列は進む

生きることへの苦悩

肉親との決別

諸々の涙を積んだ連絡船

僕はお前を忘れない

古傷の痛みではない

とてつもなく

お前が懐しいのだ
 


朴湘錫(星政治/本名・朴錫相)さんの略歴
1919年5月23日、韓国慶尚北道義城郡北安面に生まれる。1944年3月3日、栗生楽泉園入所。2002年1月31日死去。合同作品集に『残影』(1973 私家版)、合同作品集『トラジの詩』(1987 晧星社)がある。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


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