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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  川島多一さん(3)




新藁に方苞納豆を灯の下に詰めいし母の面影顕ちくる




再会を共に喜び桑子先生は萎えし我が手を包む如く握る




姪甥らに話聞きおれば夢の如く時は過ぎ汝らは帰り支度始む




友の手に洗いし墓碑は湯の沢当時の明星団の人の暮らしという




麦畑の続く農道にて高高と奴凧揚げし少年の記憶甦る




川島多一さんの略歴
大正2年生まれ。昭和9年栗生楽泉園入園。「高原」に出詠。『山霧』(昭和41年)『棕櫚の葉』(昭和53年)『冬の花』(昭和53年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『凍雪』(昭和63年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)



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栗生楽泉園  川島多一さん(2)



蛇口よりほとばしる寒の水をのみ今朝も廊下の体操にいでゆく




我がことを村人たちに隠し隠し惨めに死にし母の恋おしも




納屋にかくれ機械を踏みて縄ないしかなしき日日は今も忘れず




古里を出でしかの日の記憶悲し水塚のかげに若竹茂りいき




病むわれに会うために兄は善光寺に詣ずと嫁にいつわりて来し




わが杖の音を覚えしと目の見えぬ姪は寝台に坐り待ち居つ




名を呼びつつ探り寄るベッドに応えなく姪の面に白布かけあり




若き日の写真美しと聞くときに病みくずれ死にし姪あわれなり




十五年振りに来し姉は許してと言いながら我の手を取りて泣く



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栗生楽泉園  川島多一さん(1)




松葉杖つきあゆむ身は傘さし得ず今日はプロミンの注射休みぬ




飾りもなき不自由者室に借受けし一鉢の白きバラの花匂ふ




竝べある二足の靴に顔寄せて白きボタンの目印を探す




玄関に梔子くちなしと沈丁花持ちこみて共にきびしき冬を越えんとす




お歳暮よと言われて朗らに頂きぬ二週間分の薬の袋




炬燵の上に置きたる鉢の沈丁花眠らんとするわれに匂いくる




風邪熱の落ちたる今日は玄関の花木に急須の水注ぎやる




閉じぬ眼の涙に汚れしわが眼鏡を看護婦は丹念に清めくれたり




友夫婦に守られて長き冬越えし机の上の鉢の金魚たち




山道にて看護婦の拾いしどんぐりが机の引出にころころ踊る




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栗生楽泉園  金 夏日さん(7)




朝鮮人虐殺のこと知りたくて関東大震災資料館に来つ




鮮人を括りて並べ後ろより射殺したるかこの河原にて




病人まで征きて戦い破れたる大東亜戦争なに残りしや




マラリアの癒えきらぬまま引かれ征き戦死したりしわが兄憶う




賜いたるハングル講座のテープにて文字習いおり六十路に入りて




ハングル講座わが聴きゆけば忘れいし母国語次次甦り来る




金 夏日(金山光男・吉川正夫)さんの略歴
1926年朝鮮慶尚北道桃山洞の農家に生まれる。1939年、先に日本にわたっていた父を追い一家で渡日。菓子工場で働きながら夜学に通う。1941年発病、多摩全生園に入園。1944年長兄が海軍の軍属として徴用、逼迫した家計を助けるため退園、1945年東京大空襲で罹災、長兄戦死。1946年病状悪化し栗生楽泉園に入園。兄弟帰国。1949年失明。「潮汐」に入会。母帰国。1951年日本に残った父と帰国した母が前後して死亡。1953年点字舌読をはじめる。1955年通信教育で朝鮮語の点字を学ぶ。1960年園内の同胞により朝鮮語学校が開かれ母国語を学ぶ。1969年菌陰性となる。昭和50年代から日本名金山光男を改め本名・金夏日に戻す。『陸の中の島』(1956年)『盲導鈴』(昭和32年)『山霧』(昭和41年)『三つの門』(昭和45年)『冬の花』(昭和53年)『無窮花』(1971年)『黄土』(昭和61年)『凍雪』(昭和63年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『高原短歌会合同歌集』(平成4年)『やよひ』(1993年)『機を織る音』(2003年)。




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栗生楽泉園  金 夏日さん(6)




宮腰先生病むみ手に点筆握りしめ点訳しまししこの五十冊




韓国人二十四名集い居て本名名告るはわれ一人のみ




本名をわがなのるまでの苦しみをいっきに語り涙ぐみたり




指紋押す指の無ければ外国人登録証にわが指紋なし




釜山港より渡日したりし五十年前想い浮かべつつ神戸港に立つ




侵略されし国の悲しみ忘れねば侵略戦争わが憎みおり




韓語にてトラジと呼べる白桔梗わが庭いっぱい広がり咲けり




(「点字と共に」群馬県文学賞受賞)
夢かともおもほゆるなり賜いたる県文学賞ずっしりと重し






鮮人と罵倒されつつこの路地をチョゴリの母と繁く通いぬ




ようやくにわれらの願い入れられて指紋押捺廃止となりつ




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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