あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ハミ(マムシ)を仕留めた


定植した苗物の水やりをするために井戸の蓋を開け、つるべで水汲みを始めて、ふと見たら井戸の外周の10センチほどの窪みにハミ(マムシ)がとぐろを巻いている。

まだ4月20日であり、ハミの出る時期としては早いので、ちょっとびっくりした。

ハミは殺しておく必要がある。鍬の一撃で仕留めた。一撃で仕留めないと逃げられる。

数年前にもこの井戸でハミを仕留めた。だから井戸まわりは注意をしている。

ハミと普通のヘビとの違いは、

(1)まず一番に頭が三角かどうか確認する。ハミは頭が三角。

(2)ハミは逃げない。多分、強いという自信からだろう。普通のヘビは、ヘビの方から逃げだす。

(3)ハミはとぐろを巻いていることが大半で、ヘビはとぐろを巻くことは少ない。

(4)ハミは色が土色に近くて目立たず、模様が独特。

(5)ハミは短く、ヘビは長い。

(6)ヘビと違ってハミは、同じ場所にいることが多い。だから、一度見かけた(仕留めた)場所は覚えておき、どういう状況の時に遭遇したかも覚えておく。



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流れの中で 「背筋運動」



自分でも不思議なほど「背筋運動」がまだ続いている。

散歩やジョギングのように出かける必要もなく、服を着替える必要もなく、一定の形をとる必要もなく、特定の時間を準備する必要もない。

しなければ・・・という思考を伴うこともなく、風呂上りの次の流れとして20~30分ほどの背筋運動ができている。

「生命の貯蓄体操」に週に1回通ったこともあるが、その時だけの刺激に終わった。背筋運動は出かける必要もない。水泳教室やフィットネスクラブのように費用もかからない。

「朝起きた時の手足のしびれ」という症状がなければ、背筋運動などしていなかった。ピンチ(不運)が実はチャンス(幸運)だった。

ネットで探した
背筋運動の5つの動作が自分に合っていたことも、続いている原因の一つだろう。

背筋運動は血流のよくなる風呂上りが最も動かしやすいので、風呂も毎日入るようになった。それまでは冬季には入らない日も多かった。

今は「風呂上りの後は背筋運動」という流れの中にある。

脊柱管狭窄症

背中が痛い

手足のしびれ

そんな症状の必要にせまられて始めた背筋運動は、ブログや料理やハンセン病文学と同じように、パスする方がリズムが崩れるという流れの中にある。

死期が迫っても、パスはできないようなものばかり。



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「ジョウビタキ」という小鳥


 あまりに愛想がよくて、この1週間ほど、毎日のように僕のそばに、つかず離れずの距離で接近してくるので、この小鳥の名前が知りたくなり、「腹が黄土色の小鳥の名は」と検索したら「ジョウビタキ」のオスだった。ここに出て来る17枚の画像がとてもきれいだった。


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大阪 ぶらぶら歩き



1泊2日で大阪へ行ってきた。

高速バスを利用して大阪難波の湊町OCATのバスターミナルで降り、ナンバウオークの地下道を15~20分ほど歩くと日本橋駅につく。その5番出口から地上に上ると、すぐ「黒門市場」が見える。ホテルはその黒門市場の道を隔てた対面にある。

シニア割引を活用し、バイキングの朝食付きで5900円のそのホテルを拠点に、3~4分ほど歩けば、道頓堀、心斎橋がある。

ホテルに荷物を置いて、日本橋から近鉄電車に乗り布施駅で降りると、そこは40年ほど前の自分の生活圏である。布施駅周辺をぐるぐる歩き、ポッポアベニューを通って永和駅前まで2キロほど歩くと、昔住んでいたアパートがある。もちろんアパートも周辺も風景は一変している。

近鉄永和駅のそばにJRの河内永和駅があり、そこから2駅で「放出(ハナテンと読む)」に着く。そして駅前の「みゆき通り」という商店街を抜けると、その昔、勤めていた会社の寮があったが、その周辺も変ってしまって、寮の場所を結局、探し当てることはできなかった。


いったん日本橋に戻り、地下鉄堺筋線の北千里行きに乗り、豊津駅で降り、川沿いに2キロほど歩き、名神高速のガード下を抜けると、44年ほど前に住んでいた下宿屋がある。このあたりは全く変わってしまって、まさに浦島太郎の面持ちになった。それでもあたりを歩き回って、確かこの辺だっと目星を付けたところは、近代的なマンションに変っていた。このあたりの小高い丘陵は4~5階の学生マンションが乱立していた。

住んでいた下宿屋のすぐ上に、下宿屋のおばさんの墓があると聞いていたので探したら、平成9年1月1日没、七十八才という墓石を見つけた。本当にお世話になったのに、卒業以来40年余りご無沙汰していた非礼をわびた。


この40年ほど、あまり平穏な人生でもなく、足が向かなかった。農業を始めた5年後の42才の頃に、ワンパック宅配の営業ビラを配りに1度大阪(布施駅周辺)へ行った後は、去年の今頃行ったのが2回目で、今回が3回目だった。


昨日は吹田市上山手町の下宿屋周辺を歩き、下宿屋から300メートルほどの場所にある裏門の急坂を通って学内に入り、学食を食べた。今日もう一度行って、今度は学内を歩いた。

豊津駅から電車に乗って日本橋に戻り、また布施に行って、もう一度布施周辺を歩き回った(卒業後最初に勤めた会社がこの近くにあった)。


7年ほど暮らした大阪だったが、まるで浮草のような暮らしだったし、行動範囲(生活圏)も極めて限定的で、「いったい何をしていたのか」と今更ながら思う。


地元に返ってからも転職の繰り返しになった。36才の時に農業に転身(それができる環境にあった)してからは少し落ち着いたが、日々の生活と農業に追われ続けた。


まもなく64才になる。今までにしてきた事の中から、今後の自分の方向を見つけるしかない。それは還暦が過ぎてから偶然に出会ったハンセン病文学になるだろう。

家から30分ほどの場所(島)に、2つのハンセン病療養所があると言っても、30~50代は全く無関心だった。10年前に始めたブログのネタ目的で、年に2回ほど、風景を写しに行っていただけだった。その風景写真を、「石田雅男さん」という入所者の「講演ポスター」に使わせてほしいと、明石市の人権推進課の職員から電話があった時、「これは自分に縁がある」と痛烈に感じた。

それでもその時には動けず、3年ほど胸中にとどめていた。その講演者を訪ねて、長島愛生園入所者自治会の事務所に行ったのは、61才になる直前だった。


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癩文学をまた始めます


ちょっと、言葉づかいが適切でなかった。

新しいことを始めるとは「癩文学をまた始める」ということ。

4月12日に義父の葬儀があった頃から、自分の中でリズムがくるってしまって、なかなか戻れなかった。

なにもかも「いっぱいいっぱいの受け皿」だったので、何かがショートすると、どれか一つを投げ出さないと、手がまわらなくなっていた。

半年間のブランクになったが、また始めたい。

日々の料理に90分、

寝る前の「
背筋運動」に30分

後継者が見つかったら、癩文学に「半X」と思ったが、今はまだその状況にない。しかし、少しずつまた始める。

癩文学は自分にとって癒しであり、懺悔であり、楽しみであり、この3つがどんぶりになった感情である。60~90分の時間を捻出したい。

料理と背筋運動は日々の生活に切実に結びついていたが、癩文学はそこまでに至らなかった。だから半年間のブランクができた。

好きな作家を繰り返し紹介することとなり、度々の重複になるかもしれませんが、笑ってお見逃し下さい。というか、いっしょに楽しみましょう。

そして、この人から。


癩者


誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ

碧天の風を吸って 腐臭を吐き

黄金の実を喰って

膿汁の足跡を踏む


よろめき まろび

指を失った掌にも

土塊は砕け

何故 花は開くか


捨てられた水を呑んで生き

そそがれる光に

描くは 紫の浮腫 斑紋


己を憎み

人を恋い

闇の彼方に

天を憧れる 無性の渇き

ああ 非情の石よ

己が掌を微塵に砕け

悪魔よ ほくそえめ


除けものにされれば されるほど

自らを知る性


俺は 誰に

生きる表情を向けたらいいのだ


瀬戸内市 長島愛生園  「島の四季 志樹逸馬詩集」
1959年 42歳で生涯を終える


(注)右の帯の一番下にある「検索フォーム」に志樹逸馬と入れると、志樹逸馬さんの過去記事がたくさん出てきます。興味がございましたらご覧ください。



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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