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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

折々のことば  鷲田清一


朝日新聞 4月2日 1面 折々のことば 鷲田清一



高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られる
(オルテガ・イ・ガセット)


高貴ノーブルな人とは、世襲される「血統」のことではなく、「自分を越え、自分にまさった」規範に注目し、自らもまたその礎の一つになることを、たとえ背伸びであっても自分に強く迫る人のことだと、スペインの思想家は言う。

人命を護るため、自らを後回しに奮闘する人はノーブルだが、その人たちの身を案じて行動する人もまたノーブルである。

『大衆の反逆』(神吉敬三訳)から。



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第1回大島渚賞に選ばれた映画監督 小田香さん(32)


朝日新聞 4月1日 2面  「ひと」


第1回大島渚賞に選ばれた映画監督 
小田 香さん(32)


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大器は外からやって来る。世界的監督の名を冠し、新しい才能に贈る賞の第1回受賞者もそうだ。

事務局が用意した候補を蹴り、坂本龍一審査員長は彼女を推した。

2015年の「鉱 ARAGANE」はボスニアの炭鉱、6月劇場公開の新作「セノーテ」はメキシコの洞窟湖にカメラを持ち込んだ。この2本のドキュメンタリーが評価された。

半径5メートル以内にしか関心のない若手監督が目立つなか、スケールが飛び抜けている。

「自分が知らないものを撮りたいんです。撮っている間に、その対象に半歩でも近づきたい」

映画館に行ったこともない青春時代だった。大阪生まれ。バスケットボールに明け暮れ、体育大から実業団に進むと思っていた。だが高校の時に靭帯を2度損傷。バスケットができなくなった。

英語を勉強して米国に留学。そこで映画に出あう。ハンガリーの巨匠タル・ベーラ監督が主催する映画作家育成プログラムに飛び込み、ガス・バン・サントら世界の大監督から指導を受けた。

「彼らの話を聞くと、みんな、映画の作り方も違えば、作る動機も違う。私にとっての映画を見つけなければと思いました」

大島渚自身、映画と無縁の学生生活を送った末、66年前に松竹に入社。日本映画の常識をぶっ壊して独立した男だ。

最初の受賞者にこれほどふさわしい人はいない。




大島渚監督といえば「愛のコリーダ」。40年ほど前に見たことがある。

軍靴の大きな足音のかたわらを、首をすくめ、下を向いて歩く藤竜也の姿が印象に残っている。

しのびよる戦争の気配を背中に、愛ひとすじに生きる・・・。


参考 ウイキペディア 愛のコリーダ



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料理がワンパターン


料理がワンパターンになっている。


始めた頃は、料理の本を図書館で借りたり、


何冊かは買ったり、


クックパッドでレシピを覚えたり、


していたが、今はほとんどしていない。


料理のレシピ数を増やそうという熱意も一時ほどはない。


だからといって、料理を止めることはない。


毎日食べるものだし、ブログのネタにしているから。


今の地点に安住しているわけではないが、


料理のセンスが悪い


応用力が乏しい


料理のレシピ数を増やす時間がとれない


結果としてワンパターンの料理が続いている。


だからといって、料理がまずいとは思わず、おいしく食べている。


今後も現状維持が続くような気がするが、現状に満足しているわけではない。


それでも、できあがった料理は、いつものワンパターンになっている。


しかし、「料理を止めたい」とか「料理定年」とか「料理卒業」という気持ちはさらさらない。


死ぬ前日まで、自分で作って食べたい。


買うと高いし、


料理の宅配便には「旬でない野菜」がしょっちゅう使われているし


どういう素材が使われているかわからないし


味付は先方にお任せだし


だから、時間が1時間以上かかっても、買うことに比べて作る方が高くついても、最後の日まで、自分で作るだろう。


いかにシュフ業が長くても、料理が上手でも、素材(主に野菜)を全て買う必要があるなら、高齢になると「料理卒業」や「料理定年」の気持ちが生じやすいのではなかろうか。


野菜を作っていると、それを使って、簡単でいいから何か作りたくなると思う。


へた、じょうず、 楽しみ、仕方なく・・・にかかわらず、


料理は生涯現役


料理に「飽き」が来るとき、人生の他の諸々にも「飽き」がくる。



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ふと目がいった一句

 
新聞にしばしば載っている短歌や俳句は、まず読まない。


あまり興味がない。


1人1句しか載っていないし、状況がわからなかったり、言葉が難しかったり、ハンセン病短歌や俳句のように、同じ状況にある人が詠んだ歌との比較もできない。


それなのに、ふとこの俳句に目が行ったのは、目立つ場所に1句だけ出ていたから。


それは滋賀患者死亡再審の「西山美香」さんの記事を読んでいる時だった。



花こぶし老いてはならぬ膝頭

(中山皓雪)

「中山皓雪句集」(文学の森)から。作者は千葉県船橋市に住む。

こぶしの花を眺めながら、たとえば膝を鍛えるために散歩をしているのだろうか。

今までに2度、私も膝が立たなくなった。交差点を渡っていたら急に歩けなくなったのだ。

医者に、老化現象ですよ、と軽く言われた。

今、私の仲間はたいていが足を引きずっている。

(季語刻々 坪内稔典)




まるでぼくのことを言われているようだった。年をとると急に膝がおかしくなったりする。しばらく足をひきずっていたが、2ヶ月ほどして知らん間になおった。


そういうことが2回あったのも同じ。


姉が同じようなことを訴えるので、風呂上りに10~15分ほど、自分のやりやすい4つ~5つの動作を繰り返すようにと言った。


医者へ行っても、薬を飲んでも、あまり効果はなく、結局自分で、自分が編み出した方法でコツコツ、死ぬまで続けるしか、他にいい方法はないと話した。


その自分が最近また「ブログ疲れ(終わる時間が遅くなって)」で、風呂上りの背筋運動をパスして、ばたんきゅうで寝てしまうことが増えた。


気をゆるめてはならぬ・・・・・





毎日新聞 3月29日 24面


西山美香さんに「軽度の知的障害や発達障害の傾向がある」と、診断した心療内科の医師は話す。


そのことを初めて新聞記事で読んだが、時々新聞に出ていた西山美香さんの写真を見て、そう感じていた人もいると思う。


すでに12年も服役されている。


虚偽の自白の疑い


西山さんは障害のため、周囲とうまく関係が築けず、友達を作ろうとしてうそをついてきた過去もあり、医師はそうした特性も「虚偽の自白」の一因になったと見る。


西山さんが好意を抱いた警察官らの誘導に迎合して述べた「虚偽の自白」の疑いがあると指摘した。


医師は西山さんについて、自分の置かれた状況をイメージできず、自分の言動がどのような結果を招くか理解できないことから「自分を守るという考えが弱い『供述弱者』だ」と説明する。


ただし、西山さんの障害は軽度で「言語能力が低くはないので、供述弱者とは一見、分からない」という。


大阪高裁で再審開始決定が出るまで、20人以上の裁判官が公判に関わったが、自白を含む証拠の矛盾を指摘することはなかった。


井戸謙一弁護団長は「この裁判が、供述弱者と冤罪について深刻な問題と捉え、刑事司法が変わる契機になってほしい」と訴えた。





病院の同僚も当初から「西山さんは無実」と、本能的に感じていたのではなかろうか。それはなぜ「こだま」しなかったのだろう・・・



20人以上の裁判官が公判に関わったが、自白を含む証拠の矛盾を指摘することはなかった・・・


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選択肢がほとんどない社会


朝日新聞 3月29日 1面 折々のことば 鷲田清一


人生にはたったひとつのレイヤーしかないと思い込んでいる人のなんと多いことか。
(安田登)

能楽師は学生の頃、ちょっとやばい副業をしていて、池袋の駅前に立つと行政区画の上に当時の「シマ」が二十写しに見えるという。

故郷の千葉の漁師町でも、物売りや奇態な人、寺の境内で見世物をする人など人生の幾層ものレイヤー(層)を見てきた。だからただ一つの未来に賭けるという愚をおかさずにすんだと。

地域文芸誌「隣町珈琲の本 mal"(マル)」創刊号から。





大多数の人がそうではないかなあ・・・、生きる道は一つしかないと思い、それ以外の道は考えられないし、自信もないし、能力もない。ぼくもそうだった。


サラリーマンになるしか、生きる道は考えられなかった。


だから30代半ば頃まで、サラリーマンとして生きる道にしがみつき、その中で探そうと思った。


転職を重ねているうちに、履歴が不利となり、希望する職場がなかなか見つからなくなった。


「どうしよう」と考え込んでいた時に、ふと「農業」がひらめいた。


「農業では食えない」という潜在意識があり、職業としての農業は考えたこともなかったが、追い詰められていた。




イメージできたのは、もともとの農家であり、子供の頃に家では「葉タバコ栽培」をしており、稲作(田植えや稲刈り、脱穀)の経験も、12歳の頃まであった。


農業をするとしたら「野菜」しかないと思ったが、あの場所なら野菜作りができるとすぐにイメージしたのが「今、作っている田んぼ」である。


手取り150万にはなるだろう、それくらいは稼ぎたい、それくらいにはしたいと、32年ほど前に考えた。


現実にはそれは届かなかったが、農業を始める1年前に、妻に定職が見つかったことが大きかった。




30年ほど前にそういう状況だったから、その後、選択肢はますます狭くなっているだろう。


社会に用意ができているなら、「手に職をつける方向」に10歳の頃から進めれるのがいいと思う。それに向かなくなったり、おもしろくなくなっても、30代後半くらいまで「何度でも」やり直しができると思う。


第2の人生として農業に参入するのは「30代後半」が最も多い年齢層である。


一口に農業といっても、百人百様の形態である。




それでも、大多数の人にとっては、サラリーマンしか選択肢がないと思い、他にイメージはできないのではなかろうか。


だから、正社員になれなくても、現状に我慢してそこに留まるようになる。


ぼくには、たまたま農業がイメージでき、「生活」の面でもパラサイトに恵まれた。




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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