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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

過去記事より インターネットが生活を一変させた


2020年 2月22日の記事の再掲です。


AI、5G、量子コンピュータ・・・のことはよく知らない。だんだん普及してくればわかるようになるだろう。


インターネットも、あれよあれよという間に普及した。


イノシシもあれよあれよいう間に増えた。



ブログも最初は操作が難しかったのに、いつのまにか簡単になった。


ブログによって、夜の時間割が変わった。


テレビよりネットを見るほうがおもしろくなった。


ブログを続ける(続けれる)ようになって、人生が変わった。


ハンセン病文学を繰り返しアップすることにより、その時間帯(10分ほど)だけでも、ハンセン病文学に触れることができる。この10分が人生を変える。


クイーンも同じことが言える。ブログにアップするという目的がなければ、毎日5分ほど聴き続けるという行為はできない。この5分が人生を変える。


ブログがうまく活用できていると思う。


夕飯作りも、ブログで更新するという目的があるので、自分なりにていねいに作る。


護憲もブログにアップする目的があるので、日々30分ほど、護憲ブログをチェックする。


つぶやきも、新聞を以前より時間をかけて読む。


これらは全て自分のために、自分の癒しのためにしているが、その副産物として見に来てくださる人がいるので、そのことも続けるうえでの励みになっている。


自分の場合、ブログは全く収入にはつながっていない。副産物として収入につながれば「一挙両得」と思うが、そうは問屋がおろさない。


今後も淡々と続くだろう。


止めたら、長い夜をどうやって過ごすのか!


多少の試練(身辺・つぶやき)もあるが、ハンセン病文学とクイーンは癒しに、料理は赤裸々な日々の生活、護憲は自己啓発(社会への関心)。

  

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過去記事より 韓国に学ぶバウチャー制


2020年4月20日の記事の「一部抜粋」を「全文抜粋」にしました。
朝日新聞 4月16日 11面


私の視点 公益社団法人全国公立文化施設協会事務局次長兼事業課長 岸 正人さん


文化産業の打撃に一手 韓国に学ぶバウチャー制


新型コロナウイルスによる感染拡大で、全国の劇場や音楽ホールなど公立の文化施設では、行政からの「要請」を受けて事業の中止や利用のキャンセルが相次いでいる。


全国約1300館を会員とする全国公立文化施設協会で緊急調査を実施したところ、施設の自主事業の9割が中止・縮小もしくは延期となり、貸し館の9割はキャンセル、そのうち8割が本来は収入になる会場使用料を返還していた(回答率約61%、3月15日時点)。


無観客上演で6千万円を超えるチケット代の払い戻しを余儀なくされたオペラ公演や千万円超の使用料がキャンセルとなった大型施設もあった。


さらに政府の緊急事態宣言を受けて施設の閉鎖も広がっている。


施設を運営する側は多額の負担が強いられ、作品に出演予定だった俳優や演奏者ら、そしてフリーランスも多い「裏方」の専門スタッフへの仕事のキャンセルも広がり、長引けば、劇団などの運営団体の倒産や関わる人たちの長期失業につながる。


舞台芸術だけではない。美術館や映画館、観光業なども含め、人が集うことで営まれている文化関連産業への打撃も深刻だ。


中長期的にみても日本の文化関連の産業基盤の「弱さ」を理由に、若い人たちが職業とすることを避けるようになると、将来の発展や継承が危惧される。


新型コロナウイルスの感染がいつ終息するか、現段階ではまったく見通せない。施設や公演などをいつ再開できるのか。仮にできたとして利用者や観客は戻るのか。


ただ、今後のヒントになる事例はある。


韓国では1997年の通貨危機で大きな打撃を受けた後、金大中政権は復興策のなかで、「文化産業は21世紀の基幹産業」と位置づけた。


以来、各政権が継続的に具体的な政策を掲げ、需要喚起や文化産業の育成を積極的に進めている。


実施されているひとつが「文化ヌリカード」事業だ。低所得者らを対象に公演・展示・映画・観光などの分野で使用可能な「文化バウチャー」を発行している。


161万人(20年)を対象に年間8千円相当を支給し、国民の「文化享受」格差の解消を進めている。また、チケット購入費用を所得控除の対象にすることで消費促進にもつなげている。


同時に、文化芸術分野で働く人を対象に職業的地位を保護するためフリーランスを含めて雇用保険の適用を進める動きも進んでいる。


社会がにぎわいを取り戻し、さらにそこで働く人々にも安定的で継続的な仕事を提供する。


隣国のように「危機」を機に、新たな文化政策が打ち出され、経済復興にいかされることを希望する。



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過去記事より  めぐみは数ではない


2020年8月23日の記事の再掲です。



読んだ本の記憶が頭にあまり残っていない。


多分、素通りしただけ。


記憶に残る本に出会うことができなかった。

出会っていたかも知れないが、それを読解できなかった。




雑念はうかばずなりてひたすらに生きむと思ふひとりの為に
(津田治子)




神谷先生に捧ぐ


そこに一人の医者がいた

五十年の入院生活を続けている私たちにとって

記憶に残るほどの医者に恵まれてきたわけではないが

めぐみは数ではない


そこには一人の医師がいた

「なぜ私たちでなくて、あなたが?」とあなたはいう

「私の”初めの愛”」ともあなたはいう

代わることのできない私たちとのへだたりをあなたは

いつもみずから負い目とされた


そこにはたしかに一人の医師がいた

私たちは いまとなっては真実にめぐり会うために痛み

病むことによってあなたにめぐりあい

あなたのはげましを生きることで

こうして

あなたとお別れする日を迎えねばならない


さようなら

神谷美恵子


さようなら


これは入所者の島田ひとしさんが書かれた神谷美恵子さんの弔辞(詩)である。島田さんは独学でフランス語とドイツ語を学んでおり、神谷先生が来られると疑問点を尋ねていました。詩人で理論家、患者運動にも積極的で、愛生園入園者五十年史『隔絶の里程』の中心編集者、執筆者の一人でした。(いつの日にか 帰らん P203)








胸の泉に


かかわらなければ

この愛しさを知るすべはなかった

この親しさは湧かなかった

この大らかな依存の安らいは得られなかった

この甘い思いや

きびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

子は親とかかわり

親は子とかかわることによって

恋も友情も

かかわることから始まって

かかわったが故に起こる

幸や不幸を

積み重ねて大きくなり

繰り返すことで磨かれ

そして人は

人の間で思いを削り思いをふくらませ

生を綴る

ああ

何億の人がいようとも

かかわらなければ路傍の人

私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも

落としてはくれない

(大島青松園 塔 和子)










一生の間に縁のある人も本も、数人であり、数冊である。

たった一人の人が、己の人生を左右することもある。

たとえ風のように通り過ぎてしまった人でも。



還暦の頃まで40年近く、本を読んだりする時間がとれなかった。

自分の中で、ゆっくりする時間がなかった。

性格だったのか、生活のためだったのか。

そんな自分であるが、講演のポスターがきっかけで石田雅男さんと出会い、ハンセン病文学に導かれた。そして短歌や詩を楽しむようになった。感動し癒された。

そういう心が自分に残っていた。

繰り返しているうちに、感動が薄れていくことはない。逆に深まっていくように思う。

繰り返すことを続けると、他のことに手を広げれない。

広げようとすると、感動の深みや癒しから遠ざかってしまう。

だからおのずと、多くは読めない。

他に広げなくても、たった数冊の本で気持ちを気高く保つことができる。



人生で出会える人も本も、限りなく少ない。

多く出会う必要もなく、多く読む必要もない。

いいと思ったら、飽きるまでは、それを繰り返せばいい。繰り返すほど新たな感動がある。



 

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過去記事より 芸術家集団 chim↑pom メンバー


2020年2月18日の記事の再掲です。



(記事追加)

何でも、同じことを繰り返さないと、あまり意味がないと思う。


スポーツなら、毎日同じ練習を繰り返す。


体育系でなく人文系でもその意味するところは同じと思う。


繰り返し、繰り返し を繰り返さないと身につかないし、覚えれないし、役にも立たない。


繰り返していると、他にあまり手を広げることができないし、人生で成し遂げられることは、こんなに少ないと痛感する。


繰り返し読んだり、繰り返し書き写したり、昔の人はこのようにしていた。


料理も同じ料理を繰り返し作らないと覚えれない。


ハンセン病文学に出会うまで、その時まで30年以上、短歌や俳句や詩を全くといっていいほど読んでいない。新聞に載っていても素通りしていた。今も、ハンセン病文学以外は、目にとめない。理由はハンセン病文学だけで手いっぱいでそれ以上に広げる余裕もないし、広げる必要もないと思っている。そんなことをしていたらハンセン病文学自体が身に迫ってこない。


護憲記事も晴天とら日和さんのブログに出てくる15ほどの個人や組織をチェックしているだけで、その他は見ていない。


とにかく、狭い分野にしぼらないと、1日の時間も人生の時間も少ないので、よそ見をすると自分自身が溺れてしまう。


狭くしぼっているが、カテゴリーは広げないと1つだけでは窮屈だ。一つのカテゴリーを小さくしぼっているから、比較的多いカテゴリーを持つ余裕もできる。


そんな感じで今は、料理もハンセン病文学もクイーンも単なる繰り返し。身辺記事も再掲が多くなった。これって、楽で、癒しになる。とにかく、広げないことと思う。人生が残り少なくなってこのことに気づいた。少年老い易く学成り難し




芸術家集団「chim↑pom」メンバー 卯城竜太さん

 
 
朝日新聞2月18日 11面 「公」から消える「個」 一部抜粋

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━━時に悪ふざけ集団と呼ばれ、たたかれ慣れてもいる卯城さんが先日、アーティストに「死」の覚悟が求められる時代が日本に来た、と月刊誌に書きましたね。衝撃を受けました。


「アーティストとして生きる覚悟は持ってきたつもりですが、アーティストとして死ぬイメージは持っていませんでした。今は、そういうことも起きうるのだという予感があります。心のどこかで『死ぬ』ということまで意識していないと、躊躇なく時代を表現することができなくなってしまった。そんな覚悟です」




━━死ぬとは具体的にどういうイメージですか。


「抹殺や弾圧は想像できるようになりました。アーティストを監視する権力の姿もアートを憎む市民の姿も想像できます。もちろん今の段階では『考えすぎだよ』と言う自分もまだいます。ただここ5年間の『公』の変化があまりに早い。非日常だったはずの検閲の話題も日常化していますよね」


「たった数年でこれだけ悪く変わってしまったということは、今から数年後にはさらに想像以上のところまで変化が進んでいる可能性がある、と僕には思えます」




━━先ほど、わずか5年ほどで悪化したと言いましたが、本当にそんなに急だったのですか。


「そう感じさせられる理由がいくつもあります。たとえば14年にバングラデシュで開かれた『アジアン・アート・ビエンナーレ』でのこと。『気合い100連発』に対して国際交流基金の担当者から、放射能や福島はNGワードだと言われました。そういう状況になったのは第2次安倍政権以降だ、とも。基金は従来、表現の自由には理解のある組織でした。みんなのものであるべき『公』が異質なものに変わってしまっているのを感じました」


「安倍さんが首相をやめるまでは我慢しなければ、という趣旨の話もされました。でも愛知トリエンナーレを経験した今から見ると、当時の方がマシだった気がします。ネトウヨの人々は今回、集団的な電話攻撃で展示を中止させる手法を覚えました。彼らなりの『正義の主張』も共有されています。いまや、安倍さんがいなくなっても事態は改善されないのです」




━━約5年前と比べての悪化は権力側にも見られますか。


「ええ。表現を規制する行為は、以前は人目につかない場で行われていました。する側に『憲法違反になるかも』という罪悪感があったからです。でも愛知トリエンナーレでは、展示をやめろとの圧力を名古屋市長は公の場でかけました。もはや罪悪感が見えません」




━━急激な悪化がこの時期に進んだ理由は何でしょうか。


「3・11とそれに続く五輪誘致がきっかけになったと見ています。震災の後、みんなで復興しようという意識が高まりましたよね。それ自体はいい意味での『みんな化』だったと思いますが、次第に変質していったように見えます。目標が『復興という大きなテーマにみんなで従うこと』へと微妙にシフトしたような」


「人間は儚く死ぬけれど、作品や生き方は歴史の中に生きて未来から問われ続ける。正義も常識も変わっていくという前提で生きることが、アーティストとしての僕の原点です」




━━アティストの役割とは?


「アーティストは、社会でどこまで『エクストリーム(極端)な個』の幅を広げられるかを模索する存在です。極端な個が消えたら、次に消えるのは『常識的な個』です」




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そよかぜ ガイド歴32年 磨いた技(シンガポール)

 
2月27日 朝日新聞 9面


マスクをしていない人はいないか。行列が込みすぎていないか━。


2月初め、シンガポール中心部の繁華街を、赤いポロシャツを着た2人の男性がパトロールしていた。ジェームズ・パンさん(60)と、デビッド・チューさん(55)。住民に新型コロナウイルス対策を守るよう促す、政府の指導員だ。


ふたりとも、本職は日本語の旅行ガイド。「こんなことになるとは、思いもしなかったですね」。パンさんが言った。


パンさんはガイド歴32年、勤めていた日本企業で東京からの出張者を案内していた経験を生かし、フリーのガイドになった。


観光業は、景気や社会の状況に左右されやすい。


2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したときも、しばらく旅行は下火になった。だから収入を安定させるため、中華料理店チェーンの営業マンとしても働いて「二足のわらじ」を履いてきた。


だが、今回の危機は想像を超えていた。昨年1月下旬から、ガイドの依頼はゼロ。料理店からも契約を切られた。


シンガポールは4月から約2ヶ月間の外出制限に入り、いよいよ仕事を再開するめどは立たなくなった。


焦りと不安の日々。「職を見つけるには、自分を高める必要があった」。政府の就職支援プログラムに参加し、小売業のマネジメントなどについてオンラインで学んだ。


政府観光局からコロナ指導員の依頼が来たのは、7月。「収入面でも、とてもありがたかった」


巡回は週5日、休憩を挟んで8時間。楽な仕事ではない。歩く距離は長く、市民の視線も集める。中には注意をすると、逆に怒り出す人もいる。殴られた同僚もいる。


でも、怖くはなかった。相手の機嫌を損ねないようにしながら言うことを聞いてもらうのは、ガイドの仕事で何度も経験してきたことだ。


表情、見ぶり、声、言葉、磨いてきた接客技術が生きた。「普通の人よりは、少しだけ、面の皮が厚いんです」。パトロールを応援してくれる人もいて、やりがいがある。


観光の再開はいまだ見通せない。でも、パンさんは楽観的だ。「日本からの旅行客?明日にでも来てほしいね」と笑いつつ、「ワクチンの接種も始まったし、少しずつ状況はよくなっていますよ」。


旅行客たちを得意の「おやじギャグ」で笑わせる日が、遠からず来ると信じている。

(西村宏治)




ガイドって、おもしろく、やりがいのある仕事なのだなあと、後年になって気づいた。

先日紹介した「はとバスガイド」

原爆資料館を訪れた外国人観光客を英語で案内(定年まで高校の英語の先生だった)

ハンセン病療養所の学芸員・・・主に団体客を相手に歴史や、園内を引率して説明

大阪の近鉄日本橋駅の駅員さん・・・主に中国、韓国、台湾の観光客に母国語で説明

道頓堀近くのホテル・・・中国、韓国、台湾の観光客に母国語で説明


語学が一つしゃべれたら、職業選択の大きな武器になるのだなあと、駅員さんを見てふと思った。



ぼくは、働くことに関して(就職に関して)は、まるでお客さんだった。

自分のしたい仕事がわからず、

どういう仕事が向いているかわからず、

ひと昔前、モラトリアムという言葉が出回っていたが、典型的なモラトリアム人間だった。



ガイドは自分を高める(高めざるをえない)仕事のように思う。

京都観光ガイドとか、

目標にしているハンセン病文学ガイドは、コロナ禍で、どこの療養所も団体客が来なくなっているように思う。

ガイドはやはり「対面の仕事」と思うから、いろんな分野のガイドさんは、シンガポールのパンさんのように大変な状況だろう。

しかし、各方面のガイドはどうしても必要なので、対面のガイドの仕事はなくならないと思う。


ボランティアガイドも楽しいだろうが、それが収入につながれば、もっと充実する。

ぼくが知らないだけで、世の中には無数のガイドが存在するのだろう。




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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