あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

沖縄愛楽園  青木恵哉さん



吾が骨を埋むる島や紅葉降る




木の実熟れ教え子多き老の幸




減塩食に慣れ一人居の秋深む




また一人旧知の去りし園の秋




夜長の灯明治を語る髯ゆらぎ




半身腐朽の老樹囲みて虫時雨




鷹渡る島永住の地と定め




三十年の足跡消えず落葉路




灯し寝る秋や闘病五十年




口笛の吹かれぬ痼疾老の秋




妻子なき一代信徒落葉降る




秋灯下祈りの灯影ゆらぎけり



青木恵哉(本名・安二郎)さんの略歴
沖縄愛楽園 明治26年徳島県生れ。明治42年16歳でハンセン病を発症。大正5年1月23歳で大島療養所に入所。大正7年園内で米国宣教師エリクスンから洗礼を受ける。同所で異性の問題で悩み、大正11年一時帰郷した機会にハンナ・リデルに会い回春病院に移ることを決意。このとき名前を恵哉と改名。大正13年日本基督教会から聖公会に転会。この頃、玉木愛子への愛が芽生えるもリデルの方針に合わず懊悩。昭和2年愛苦を絶つため沖縄伝道を決意。離島伊江島を拠点とし洞窟や山に隠れ住んでいた患者たちに食事や衣服を与え共に礼拝を行う。昭和5年伝道の拠点を屋部に移し伝道に努めるが昭和10年6月焼き討ち事件に遭遇。難を逃れ無人島ジャルマに渡り洞窟とテントで40人ほどで共同生活。その後、屋我地島に安住の地を得て昭和12年同地に相談所を設置。翌年ここを拠点に国頭(のちの沖縄)愛楽園が誕生。青木は戦後伝道師に任じられ、園内「祈りの家」を指導。昭和44年64歳で逝去。合同句集に『蘇鉄の実』(昭和40年)。個人句集に『一葉』(昭和46年)。著書に『選ばれた島』(昭和46年)。


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沖縄愛楽園  新井節子さん



祖国を隔つ海遠く与論島の見ゆひとたむろせる秋雲のもと




蔑まれ痛み来し日もベッド
きよ
くわれを愛しむ砦となせり




荒地野菊
ぎて嗚咽す新患の少年夕焼も言葉も容れず




海触の洞吹きぬけてくる風も明るし
くずれゆく吾の日も




アルコールに浸して夜は爪ぬぐう吾に残りたる宝石のごと


新井節子さんの略歴
大正11年沖縄県国頭郡生まれ。昭和13年沖縄愛楽園入園。昭和15年頃婦長三上千代の影響で作歌をはじめる。「樹木」「未来」所属。昭和34年「短歌研究会」の新人推薦賞をうける。『陸の中の島』(1956年)『蘇鉄の実』(1965年)『三つの門』(昭和45年)



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沖縄愛楽園  真喜 操さん



北風にあふられし落葉のころころと朝拝に行く我を追いかく




木枯に盲導鈴の音消され朝拝に行く我戸惑いており




夜となれば庭の鯉らもはなやぎて時折り大きな水音立てる




面会と呼ばれて急ぐ道すがら誰ならんかと胸のときめく




久久に会う姉なれば色色と思いし事も胸につまりて




輪郭を覚えていてと奉仕団の君痲痺の我が手を頬に触れさす


真喜 操さんの略歴
大正10年沖縄県宜野湾村生まれ。家は貧しく父は日雇い母は行商で生計を立てていた。戸籍がなく就学年齢になっても就学できず働いて家計を助けていた。12歳の時兆候が現れ点灸治療を受ける。病気を秘密にしていたが昭和13年沖縄愛楽園の第1回収容で入園。入園時父はすでになく、まもなく母も死んだことを人づてに聞く。18歳で少年舎に入り学園で2年ほど学び一般舎に移り、園内作業に従事。昭和24年過労と栄養不足で失明。不自由舎の友人らのすすめで短歌を始める。「樹木」所属。『地の上』(1980年)


義務付けられた患者が患者を看とる作業(他にも、開墾して自給野菜を作る作業や道路作りや自分たちのすむ住居の建設。いわゆる開拓団の扱いだった。療養所とは名ばかりで、戦前、戦後の一時期までこれが現実だった)は、かなりの重労働で、本来安静にしていなければならない療養者なのに、これによって失明等の悲劇に遭遇した人が多い。


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沖縄愛楽園  平良栄輝さん



めしい我が使い古せし竹杖を菊のささえに君が使いぬ




ベトナムに危機迫りしか夕闇の空に激しく飛行機のとぶ




暫くの命と思いて始めたる聖書を読むも二十年経ぬ




近づきがたく思い居りたるシスターも逢う度ごとに親しみの湧く




階段を盲杖でさぐり登り来て奥の慰霊塔に君とぬかずく


平良栄輝さんの略歴
『蘇鉄の実』(1965年)


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沖縄愛楽園  上間幹夫さん



青木翁とかつて祈りし岩陰に透る千鳥の声のなつかし




君を焼く煙はみ空高く消え木立に小鳥ももの憂げに鳴く




浜木綿は哀しくもありこの匂いめでにし君の今は世になく




かつての日
木樵きこりしつつ親しみし古里の山も基地と化しおり




埋めらるる穴を自ら掘らされて斬られしという慶良間の人人




朝の祈りに行く道の辺の花
木槿むくげ頬に触るれば露したたりぬ



上間幹夫さんの過去記事


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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