あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園  つきだまさしさん(11)



道路は生活の顔である


この道路を通るのは

近郷の農民と

生徒と

敬愛園の職員と

患者たちである

近くに観光地はなく

金儲けにはならず

市街地図には悪路とは記してない


道路は生活の顔である


みてくれよ! 

どしゃぶりだと顔を沈めて

慟哭する小川になり

天気が続くと土埃りを巻き上げ

怒る砂漠になる


すると この道を通る

人びとの顔が

悪路の表情になる








美しい島をさがして
━五月十五日



沖縄よ

おまえ きょう

しんそこから うれしいか

おめでとう と

おれは言えぬから

おまえの こころ深くおりてゆく

沖縄よ そこには

おまえの屈辱が光っている

VOAは 汚れた音楽を

木の葉からも流しつづけ

空から降ったトレーラーの下敷になって

殺された少女もいて

エメラルドの海が

洗っても

削っても

岩礁の痛みは消えず

死臭をかくされて

沖縄よ

おまえへの おれのやさしさが

新しい炎となるとき

けっして青い空は忘れることがない

美しい島をさがして

かそかな翅音が

限りないおもいで━









ゆっくり歩こう
━医療の充実要求七・三デモ


<ハンセン氏病ってなんだい>

<公害病と違うか>

<らい患者だって>

とっくに解決し 東南アジアの救らいに乗りだしていたのじゃないのか


おれたちは 厳然と終わっていない

総裁入札に億の札束が飛び交う首都を

沖縄と青森からはさみ打ちに

日本のらいが ときならぬデモをする

いのちが いのちでなくなるとき

隔離と差別の政策を彫りこんだ後遺症の貌を

白日に指さし

自ら説明をしなければならぬ


去年 おれたちが使った医薬品等購入費は

一人一日平均 五六円六七銭

そのうえ 祝祭日は病気も休日にされて算定の基礎にないのだ

<医療の差別をやめよ!>

これは いま死にかけている病友の分

<医師をよこせ! いますぐだ!>

これは いま失明寸前の病友の分


近よらずに 警備の警官が

もうすこし早くというから

おれたちは 足の裏に傷をもち

おれたちは 垂足でびっこのように歩き

おれたちは 車椅子をおしてのデモだ

副指揮者のおれは後尾から先頭に呼びかける

<ゆっくり歩こう>


ここは 首都のどまん中というのに

おれたちのシュプレヒコールは

古井戸に反響した

首がだるくなるまで厚生省を睨み上げ

こぶしは その高さにとどいたが

冷房の窓は一枚も開かなかった


都民よ はじめてみただろう

日本のらいを

とくと見届けてくれ!



つきだまさし(濱田峰一)さんの略歴
1923年11月11日、長崎県に生まれる。高等小学校卒業。1942年4月22日星塚敬愛園に入所。1947年より詩作を始め、1953年詩誌「木馬」、1964年詩誌「らい」に参加。著書に詩集『川のない貌』(1975 私家版)、『物語・ものがたり』(2001 私家版)。


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星塚敬愛園  つきだまさしさん(10)



六十年の証言



星塚敬愛園入所者数               1051人  

受療実態調査回答者数             800人

一年間に眼科治療を受けた者         413人

手・足・顔・植毛の形成手術を受けた件数  237件

これから形成手術を希望する件数      308件

傷のある者                       475人

足の裏傷がある者                 202人


傷の年数

半年~五年                142人

六年~十年                  16人

二十年                       5人

四十年                     2人

六十年                     1人

医師定員                  11人

実人員(園長・歯科医三人を含む)    8人


一人しかいない外科医がほしいのだ

一人もいない形成外科医がほしいのだ

一人もいない眼科医は絶対にほしいのだ

おれたちは 何一つ欲ばってはいない


死者と社会復帰者が

偽名を呼び交わして去った日

六十年もの傷が六月のひかりに浮きでた

おれたち 共産党員はじっーと羞じた


十七の娘のときから 七七歳

もう 傷なんてものじゃない

これは 歴史だ

これは 療養所の中の無医村の表札

これは 太陽が昇りはじめると暗くなっていく人間の部分である

これは 半世紀をこえる証言がこもって塞がらぬ

これは 現実と馴れ合った弁解を裁く唯一の論理

である


どうして こうも

おれたちらいは 過去の骨をしゃぶらねばならぬか!

高度の資本主義の狐火がつらなり

鹿児島から青森まで高速縦断道路が

昼と夜をつきぬけても

おれたちの 問いは法則になり

おれたちは 日本列島の岩をかむ荒波である


   らいは治る

   らい問題は解決した

   いっさいの特殊性は認めない

   東南アジアの救らいに眼をむける


確かにらいは治った

だが みろ!

二十年の 四十年の 六十年の傷は

足の裏で土を拒み

ひかりの色と明るさを忘れている

わかるか!

季節が肉や骨をむしりながら長くかかって

傷の中を移り過ぎるのが

一万人が九千人に滅びたところで

おれたち一人ひとりの

きょうの分担は少しも軽くはなっていない

偽名が雑踏の奥にかくれているから

死も埋葬されず終わっていないから


作業賃を稼がねばならず

生きる総重量を集約する足の 裏傷に

傷だから 薬をつけ ガーゼを当て ホータイをするだけには

現代はない

とりまくものの光と影を閉ざされた眼底の

なりゆきまかせの洗眼に

未来はない

それは 治すきびしさと 治るよろこびの

二つとも奪っている


療養所はいのちの不安を確認するところ

療養所に医者はいない

おれたちらいは 日本の医療の中にはいない



註一、一九六八年六月、日本共産党星塚支部の調査。
註二、穿孔傷を日常裏傷といっている。
註三、外科医一人は医務部長で、公務出張も多く、その時は、外科医は一人もいないことになる。


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星塚敬愛園  つきだまさしさん(9)



うつむいては先が見えない



シラスとからいもの大隅半島の

黒潮がかきむしる胸元から

沖縄の炎を引き太陽が昇ってくる

昨夜 あすに向っておれから溢れでた言葉が

庭の真赤なカンナの花の上に

確信のすがすがしさで星をつつんでいた

棍棒にくっついた黒い皮膚が露にぬれ

ボール爆弾がくいこんだ傷がひかっていた

七月の朝


病友の要求は めしをくいながらうまれるから

園内放送はおれを呼び

おれも めしをくいかけて飛び出す

患者が患者を看る安上がりの

日本のらい政策の風土にむかって

人間らしく生きる最低に

不自由な者の不自由度が鉈のように迫る

重病棟の便所のぶよぶよした床を

いのちの重さで確かめる

盲人の竹杖の先の手ごたえが

そのまま 生きることの

すばらしさになる日をおもう

おれは その手ごたえに


らいと二人三脚で

おれは四十歳の二分の一以上を生きて

あなたにたどりついた

知りえたことに遅いということはない

かけがえのない真実

いまは 七月のみどり

いまは 七月のひかり

おれは 純潔とはがねの火花を打ち上げる


<患者はそんな活動をする必要はない>

意識まで根を張った檜垣を嘆いてばかりはおれぬ

<こんなに 平和じゃないの?>

若く美しい唇に疑問の口紅はぬってはいない

アカ!

うつむいては後もかくれ

まして 先が見えない

道理にかなってないから放り出し 投げつける中傷を

おれは 七月のみどりにする

陰湿なまなざしを

おれは 七月のひかりにする


人類の長い歴史をたくましい階級の手で

曇らぬ鏡にしたのは

あなただけだ

人間のほんとうの美しさがうつる

おれの 指の曲った両手 眉毛を植毛した顔は醜悪にはうつらぬ

氾濫するまぎらわしいものの中から本物を選ぶすべを

涙はひとりのものでないことを

教えた

あなたの ためされたすべての

その一部分にしかすぎないが

きびしさとやさしさを

おれの体内にそそぎこむと

知覚が麻痺した部分にも

いつも冷たい 指の曲ってひかりが当らぬ部分にも

熱く 沁みこんでいく

らいが鮮明になる

おれの これからの課題は

最後のらいになる ということ

らいの歴史を

日本の労働者階級の歴史まで高めること

らいは おれの拠点

党よ



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星塚敬愛園  つきだまさしさん(8)




三州バスセンターで

━鹿屋平和委員会結成準備会の帰途


僕は 闊歩する自衛隊員の間を通り抜け

脊髄を重く病んでいる平和について

触角の砥ぎ合わせをやり

帰りのバスを待った


空いている場所に腰かけたまでだが

僕のすぐ真向いの構内掲示板に

自衛隊員募集と 行方不明者相談の

ポスターが上下に貼ってあった


「この街は 自衛隊員の楽園ですよ」

一人の仲間が言った実感が

二つのポスターの構図を拡充していく

歴史からの逃亡者と

世相からの逃避者と

特攻の碑が建っている鹿屋の街は

どっかりと真空を抱き

平和の行方不明を宣言している


一時間以上待ち 街はうす暗くなった

あすへの起点に近づく時間を信じるから

僕は硬貨を落さぬように気づかいながら

切符を求め

どろどろの偏見の底に帰ってゆく


最終のバスが来て 僕は立ち上がった



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星塚敬愛園  つきだまさしさん(7)



告白



冬のある日 僕は久しぶりに不自由舎の友をたずねた

習慣は申し合わせよりも確実に

座る場所がきまって火鉢を囲んでいた

当てこみをねらってラジオは 李ラインの街頭討論をはじめた

━何という政府の無策だ

━おれたちはめしを食わねばならんのだぞ

  どうしてくれるんだ

━あくまでも話し合いでいくべきである

━なまぬるいぞ 相手は機銃を持っているんだ

━何のための自衛隊だ


僕らもささやかな意見を交した

「機銃ときくと ぞーっとするね」

「米 日 韓のなれあいみたいだ」

「これじゃ 漁民もうかばれんなあ━」

「そのうしろで 再軍備ときやがる」

それみろ! 熱中した討論から抜け出てきた自衛隊機が

何回も僕らの会話を巻きあげていった

漁民の怒りの背後で拍手しにんまりほくそ笑んだ顔が操縦していた

退屈の灰をかぶっていた炭火がかーっとおきてきた


いきなり 一人が言った

「支那で二人の女をはずかしめたことが こんなになってみると 耐えられない気持ちになることがあるよ」

僕ら四人を同じ速さで貫いた

友はそれっきり黙った

僕は激しくゆさぶられながら 何かを言わなければと思った

「それ以上の ひどいことをやった人間が多くいるんだ 勲章のかわりに」

僕は本質的でないことを言ったことに後悔した


  息子が二人いながら、二人とも病気になって・・・

  兵役免除の手続きを療養所でした日

  親父の手紙を読み返して 僕は涙を流した


軍人と正反対の位置でゴクツブシで生かされ

そして みんなと同じように信じていた

存分に ファシズムに染まる可能性があった

僕はいま光を拒んだ友の眼の暗い深さに

無償のまま這入ることは出来ない

涙腺をおかされていつも濡れている眼は

すばやくかすめるものを映すことはないが

むしろそれで 内部に向いたレンズは

内部の悔恨の油絵を鮮やかに映すのだろう

いつも膝の上に用意しておくタオルで友は眼をこすった


もう一人が語りはじめた

「中支だった 前の部隊が一部落の住民を皆殺しにしていた おれたちの部隊はそこに休憩した しばらくすると どこにかくれていたのか たしか 七つか八つぐらいの男の子が生きていて 道に横たわった死体を覗きはじめたんだよ」

第一機関銃撃てっ!

・・・・・・・・・

「おれは撃たなかった 撃てなかったね」

子供は 殺された親や兄弟たちを探した

一つ一つの死体を覗きこんで確かめた

撃てっ! 早く撃つのだ 撃てー!

・・・・・・・・・

「それでもおれは撃たなかった」

子供はようやく親を見つけた

引っぱる 動かぬ  

人間は死ぬと重い

死体と死体にはさまっている

引っぱる 引っぱる 動かない

子供は狙われていることを知っている

みんな殺されたのだから

子供は 死んだ親の重さの中に自分をみた


撃つのだ 何をしとるか 命令だ!

「いまになっても 命令という言葉にどきっとするよ」

それは 血を吸い いのちが灼ける匂であった

「撃ったのか?」

「うん そのときほど おれはおれの眼を信じようと思ったことはなかった」

弾丸は正確に飛び

死体が少しずつ動いた

子供はこっちを向き ほんのしばらく睨んでいたが 逃げ出した

死体をよけて走るのがもどかしくてならない

「おれは 子供が走る速度に合わせて 一定の間隔をおいて撃った やがて道を曲ってかくれたよ」

角膜を覆ったすりガラスのような白い膜の厚みにあえぎ

僕は子供といっしょに逃げていた

━道を曲って━

まだ 遠いひびきではない

だまされやすい僕らを埋め

踏み固めた日は


侵略戦争で女をはずかしめた盲人の友よ

そして子供を 救った盲人の友よ

その時代に 僕らの肺には青空がなかったのだ

やすやすと応じた献血のからくりを

解く距離に

自分を映すひかりを持たなかったのだ

長く長く風の方向が狂った季節であった

もう 告白することはないか

忘れるためでも 気持ちを軽くする操作でもない

自らを告発することでなければ

あやまちは 犯した同じ土質で生きつづけるだろう

人間に叛かれて 関節をはずされるように

一つ一つを奪われて生き残り

きょうをらい園に生きる意味を

そのことに移さねばならぬ


支那は中国に変った

中国は近いが遠い

故郷にさえ自由でない僕ら

許可制で檜垣を出ると

海上自衛隊鹿屋飛行場の有刺線が皮膚を引き裂き

長い海岸線は太平洋のむこうに媚態をくねらせている

僕らにもわかる

海が山一つむこうの海岸に波打っていることを

この屋根の上の空が一つであることを

近いものは近くに 遠ければ近づく行為があり

こがらしに顔をむけると もう匂ってくるものがある


「きっとその子供は たくましい中国の青年になっているだろう」

僕は 三つに切ったバットをキセルにつめ

火をつけ 口にくわえさせた




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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