あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園



見わたせばなの花麦とつづきけるここは悲しき敬愛の村




母の顔まぶたにありて思いだす別れの言葉耳にのこれり


日野弘毅さんの略歴
1933年宮崎県に生れる。1947年発病し、家族とともに偏見差別に苦しめられ、1949年10月29日星塚敬愛園に入所を余儀なくされる。53年間の隔離の後、2003年4月故郷に帰ったが、母も姉も自分の帰りを待ちきれず、すでに死亡していた。





荒畑のすみに咲きにし日照草そっとおこして鉢に植えたり




たえがたき暑さに外に出てみれば十三夜の月照りて涼しも




カいぶしつつ友と歌えりなき母の好みし歌の「仏の子ども」を


貞子さん
略歴の記載はありません






さらさらと木の葉のおちるささやきにモズのひとこえひびくなり




友だちの看病しつつ本よめば遠く聞こゆるふくろうの声




冬きたり健児ヶ丘の窓に見ゆるかえでの葉のもみじしており


Y・M夫さん


(『南風』1958年3月28日)


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星塚敬愛園



コスモスは庭いちめんに咲きみちて明るいながめとなりにけるかな




看護婦の注射うつ手のつめたさにすくめど液のまわりてぬくし




どす黒い空より舞い散る大雪やただ病床よりながめておりぬ


川島光夫(川島光男)さんの略歴
1942年1月5日、鹿児島県に生まれる。1953年4月16日、星塚敬愛園に入所。




引揚者でなき友らはうらやまし引揚げてきて衣服なきわれは




まっかに沈みゆく夕日をながめつつきょう一日をふりかえりみる




「楓の間」にひとりいて歌よみおればどこからか小鳥のさえずり聞ゆ


郡山幸子さんの略歴
幼少時を外地で過ごす。戦後、引揚げで日本に戻るが、発病、星塚敬愛園に入所。


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星塚敬愛園


(重夫さん)

お別れのことばをのべ給う父の声とぎれとぎれに細くかすれぬ




別れをば短くのべし父さまは春雨しぶく庭を見つめぬ




わが胸の悲しみ知らぬ父母に悲しみ知らせず書くたよりかな




土壁の土の落ちたる竹組の間より見ゆる青き秋空




壇上に初めて立ちて朗読すわれの手ふるえて顔ほてるなり





(K・Hさん)

よもぎだんご友がつくっているそばにぼくはすわってなめているなり




遠方の汽車の煙を見るたびにかあさんと来たことを思い出す






(一郎さん)

ひよの群れ流れるように飛んでゆく春風強く吹いている空に




西空に真赤にそまりし太陽のガラスの窓にうつりておるかも




空高くあがりしつばめ羽ひろげそのままおりくる池すれすれに




岩の間をはさみをあげて逃げてゆくカニのあと追う子らの小さき手




学徒らの帰り道をば吹きならす草笛きこゆ病室の窓



(『南風』1958年3月28日)


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星塚敬愛園


俳人


はや日は沈み

ほのぐらき公園の道を

ゆっくりゆっくり歩いている人

ああ、あの人は俳人だ

すいれんはもう眠っている

俳人はたゆまず

スリの目のように

観察の目を輝かしている

右手に鉛筆

左手に手帳を持ち

俳人はゆっくりゆっくり歩く

一歩一歩をあじわって

歩いているようだ


S・Tさん
(『南風』1958年3月28日)






口笛


だれがならす口笛か

風のふくたびごとに

遠くなったり

近くでなったり

あれはだれがならす口笛か

わたしは耳をかたむけて

じっと口笛をきく

しずかな夕暮れ

へやにはだれもいない


良子さん
(『南風』1958年3月28日)





慰霊祭


みんなしんとしている

広い堂に

お坊さんのお経の声がひびく

線香のけむりがうすくほそい

おそなえしてあるくだものが

白く光っている

焼香をする人の足がゆっくりあるく

うしろのほうで

おばあさんのせきがつよくした

ゆるい風に

ろうそくの火がチラチラッとうごいた


S・Tさん
(『南風』1958年3月28日)








一歩も歩けなかったこの足が

新しいクツで地面をふむ

なんだか

かってが悪いような

うれしいような気がする

みんなも笑い声でぼくを見ていた


匿名
(『南風』1958年3月28日)






梅雨


いまから三週間は

梅雨だ

みんなは梅雨といえば

いやだと思うにちがいない

梅雨のような

農家にとって

喜ばしいものはない

さあいまだ

農家の忙しさ、楽しさは


Y・Mさん
(『南風』1958年3月28日)







さびしくなると


ぼくの心はさびしくなると

山にのぼるんだ

山の上をはしるんだ

なにも思わないで

弓矢のように・・・

そしたらぼくはたのしくなるんだ


K・Hさん
(『南風』1958年3月28日)


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星塚敬愛園  徳山義久さん



日の本に生れて桜をまだ知らぬ父母へたよりにそえてやるかな




ふるさとの南をさしてタカの群れ静かにわたる朝あけの空




家に待つ友らの顔をうかべつついちごをとれば疲れ忘れぬ




わがゆけば首さしのべてしたい来る乳牛の背に夕日やさしも




乳牛の首をかかえてたわむれば牛の目にあかし秋の夕焼



徳山義久(徳山良久)さんの略歴
1929年3月2日鹿児島県に生まれる。7歳になって、8人兄弟の5番目だったので親にも付き添われず小学校の入学式に行ったが、校長先生に呼ばれて、お前は明日から学校に来なくてもいい、これをお父さんに持っていきなさいと言われて、一通の手紙を渡された。左手の小指が少しおかしいと思っていたので幼心にもぴんと感じて、自分などもうこの世にいないほうがいいのではと思い、死を意識して川伝いに山を登っていったことを覚えている。叔父が追いかけてきて連れ戻されたが、それから3年間、10歳になるまで妹の子守をしながら、入れてはもらえない学校の周りを回っていた。1939年4月30日、収容で星塚敬愛園に連れてこられ、3年遅れで一年生に入学した。1956年ワゼクトミー(断種手術)を避け逃走。無一文で結婚生活を始める。7年間屋台をひいてお金をため、小さな中華料理店を開いた。子どもができ、学校に上った頃、決心して32年ぶりに母のいる徳之島に帰った時のことが心に残っている。現在は園に戻り、子どもの頃一緒に育った人たちとともに暮らしている。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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