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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園  品川 清さん



さようなら
━━失格者のノート



わたしに 生きる場をあたえたひと言

━━空をいただいた山なみ 笹舟にメルヘンをながした小川 土橋 校庭の大欅 机のらくがき わたしのいのちとともにあるふるさとのすべてに

母にさえ ひとりこころに言わなければならなかった

「さようなら」!

あなたを そしてわたしを 生かしてくれたひと言

━━あのとき

あなたに 祈るように言った

「さようなら」!


「さようなら!」

行くことも

会うことも

あしたも

わたしに ただひとつのこされたことば

「さようなら!」

わたしの

生きるしるし━━。











切断した左足の葬いの日に


ひとすじのけむりになり

日かげに透き

そらにとけていった

わたしの片足


やがて 日かげのなか

ふるさとにつらなる空のなかから

すきとおるあおさと

あふれるひかりをあつめ

わたしのなかにかえってきた


しきりに ふるさとに近づくおもい

わたしのなかに

そらのあおさがあふれ

ひかげのあたたかさがみち

ふるさとは ひろがり ひろがる。









日記
━━1947年最終の記


しびれ くずれた わたしのししむらに あと数分で 又年輪がくい入ろうとしている おいつめられた わたしのこころを過去へ 必然へ 容赦なくきざんでゆく 振子のおと


━━きずついた童心をいだき 鉄の車に身をゆだねた・・・ あれから まる十一年 うしなった知覚 切れた指 くずれていく人のかたち ひとびとのことばが 音になって過ぎ わたしは いつのまにか ことばをうしなっていった・・・
ふるさと━━ それは ゆめにのみおとずれ 次第にふかく はっきりと わたしのなかにはきざまれてゆくものの うつつには あの星座より遠く


━━この夜半を ひとり聴入るふりこのおとに
ひしひしと 胸奥ふかく沁みこんでくることば
南のふるさとの島へ帰った友が わたしの手をみながら たわむれに言った
「こりゃー君 にんげんの手じゃないよ━━ハハハハハ・・・」
手だけではない もう手だけではないのだ いま居たら言ってくれるかもしれない いや わたしは言ってほしい

「いったい 君は にんげんか!━━」と。




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星塚敬愛園  つきだまさしさん(11)



道路は生活の顔である


この道路を通るのは

近郷の農民と

生徒と

敬愛園の職員と

患者たちである

近くに観光地はなく

金儲けにはならず

市街地図には悪路とは記してない


道路は生活の顔である


みてくれよ! 

どしゃぶりだと顔を沈めて

慟哭する小川になり

天気が続くと土埃りを巻き上げ

怒る砂漠になる


すると この道を通る

人びとの顔が

悪路の表情になる








美しい島をさがして
━五月十五日



沖縄よ

おまえ きょう

しんそこから うれしいか

おめでとう と

おれは言えぬから

おまえの こころ深くおりてゆく

沖縄よ そこには

おまえの屈辱が光っている

VOAは 汚れた音楽を

木の葉からも流しつづけ

空から降ったトレーラーの下敷になって

殺された少女もいて

エメラルドの海が

洗っても

削っても

岩礁の痛みは消えず

死臭をかくされて

沖縄よ

おまえへの おれのやさしさが

新しい炎となるとき

けっして青い空は忘れることがない

美しい島をさがして

かそかな翅音が

限りないおもいで━









ゆっくり歩こう
━医療の充実要求七・三デモ


<ハンセン氏病ってなんだい>

<公害病と違うか>

<らい患者だって>

とっくに解決し 東南アジアの救らいに乗りだしていたのじゃないのか


おれたちは 厳然と終わっていない

総裁入札に億の札束が飛び交う首都を

沖縄と青森からはさみ打ちに

日本のらいが ときならぬデモをする

いのちが いのちでなくなるとき

隔離と差別の政策を彫りこんだ後遺症の貌を

白日に指さし

自ら説明をしなければならぬ


去年 おれたちが使った医薬品等購入費は

一人一日平均 五六円六七銭

そのうえ 祝祭日は病気も休日にされて算定の基礎にないのだ

<医療の差別をやめよ!>

これは いま死にかけている病友の分

<医師をよこせ! いますぐだ!>

これは いま失明寸前の病友の分


近よらずに 警備の警官が

もうすこし早くというから

おれたちは 足の裏に傷をもち

おれたちは 垂足でびっこのように歩き

おれたちは 車椅子をおしてのデモだ

副指揮者のおれは後尾から先頭に呼びかける

<ゆっくり歩こう>


ここは 首都のどまん中というのに

おれたちのシュプレヒコールは

古井戸に反響した

首がだるくなるまで厚生省を睨み上げ

こぶしは その高さにとどいたが

冷房の窓は一枚も開かなかった


都民よ はじめてみただろう

日本のらいを

とくと見届けてくれ!



つきだまさし(濱田峰一)さんの略歴
1923年11月11日、長崎県に生まれる。高等小学校卒業。1942年4月22日星塚敬愛園に入所。1947年より詩作を始め、1953年詩誌「木馬」、1964年詩誌「らい」に参加。著書に詩集『川のない貌』(1975 私家版)、『物語・ものがたり』(2001 私家版)。


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星塚敬愛園  つきだまさしさん(10)



六十年の証言



星塚敬愛園入所者数               1051人  

受療実態調査回答者数             800人

一年間に眼科治療を受けた者         413人

手・足・顔・植毛の形成手術を受けた件数  237件

これから形成手術を希望する件数      308件

傷のある者                       475人

足の裏傷がある者                 202人


傷の年数

半年~五年                142人

六年~十年                  16人

二十年                       5人

四十年                     2人

六十年                     1人

医師定員                  11人

実人員(園長・歯科医三人を含む)    8人


一人しかいない外科医がほしいのだ

一人もいない形成外科医がほしいのだ

一人もいない眼科医は絶対にほしいのだ

おれたちは 何一つ欲ばってはいない


死者と社会復帰者が

偽名を呼び交わして去った日

六十年もの傷が六月のひかりに浮きでた

おれたち 共産党員はじっーと羞じた


十七の娘のときから 七七歳

もう 傷なんてものじゃない

これは 歴史だ

これは 療養所の中の無医村の表札

これは 太陽が昇りはじめると暗くなっていく人間の部分である

これは 半世紀をこえる証言がこもって塞がらぬ

これは 現実と馴れ合った弁解を裁く唯一の論理

である


どうして こうも

おれたちらいは 過去の骨をしゃぶらねばならぬか!

高度の資本主義の狐火がつらなり

鹿児島から青森まで高速縦断道路が

昼と夜をつきぬけても

おれたちの 問いは法則になり

おれたちは 日本列島の岩をかむ荒波である


   らいは治る

   らい問題は解決した

   いっさいの特殊性は認めない

   東南アジアの救らいに眼をむける


確かにらいは治った

だが みろ!

二十年の 四十年の 六十年の傷は

足の裏で土を拒み

ひかりの色と明るさを忘れている

わかるか!

季節が肉や骨をむしりながら長くかかって

傷の中を移り過ぎるのが

一万人が九千人に滅びたところで

おれたち一人ひとりの

きょうの分担は少しも軽くはなっていない

偽名が雑踏の奥にかくれているから

死も埋葬されず終わっていないから


作業賃を稼がねばならず

生きる総重量を集約する足の 裏傷に

傷だから 薬をつけ ガーゼを当て ホータイをするだけには

現代はない

とりまくものの光と影を閉ざされた眼底の

なりゆきまかせの洗眼に

未来はない

それは 治すきびしさと 治るよろこびの

二つとも奪っている


療養所はいのちの不安を確認するところ

療養所に医者はいない

おれたちらいは 日本の医療の中にはいない



註一、一九六八年六月、日本共産党星塚支部の調査。
註二、穿孔傷を日常裏傷といっている。
註三、外科医一人は医務部長で、公務出張も多く、その時は、外科医は一人もいないことになる。


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星塚敬愛園  つきだまさしさん(9)



うつむいては先が見えない



シラスとからいもの大隅半島の

黒潮がかきむしる胸元から

沖縄の炎を引き太陽が昇ってくる

昨夜 あすに向っておれから溢れでた言葉が

庭の真赤なカンナの花の上に

確信のすがすがしさで星をつつんでいた

棍棒にくっついた黒い皮膚が露にぬれ

ボール爆弾がくいこんだ傷がひかっていた

七月の朝


病友の要求は めしをくいながらうまれるから

園内放送はおれを呼び

おれも めしをくいかけて飛び出す

患者が患者を看る安上がりの

日本のらい政策の風土にむかって

人間らしく生きる最低に

不自由な者の不自由度が鉈のように迫る

重病棟の便所のぶよぶよした床を

いのちの重さで確かめる

盲人の竹杖の先の手ごたえが

そのまま 生きることの

すばらしさになる日をおもう

おれは その手ごたえに


らいと二人三脚で

おれは四十歳の二分の一以上を生きて

あなたにたどりついた

知りえたことに遅いということはない

かけがえのない真実

いまは 七月のみどり

いまは 七月のひかり

おれは 純潔とはがねの火花を打ち上げる


<患者はそんな活動をする必要はない>

意識まで根を張った檜垣を嘆いてばかりはおれぬ

<こんなに 平和じゃないの?>

若く美しい唇に疑問の口紅はぬってはいない

アカ!

うつむいては後もかくれ

まして 先が見えない

道理にかなってないから放り出し 投げつける中傷を

おれは 七月のみどりにする

陰湿なまなざしを

おれは 七月のひかりにする


人類の長い歴史をたくましい階級の手で

曇らぬ鏡にしたのは

あなただけだ

人間のほんとうの美しさがうつる

おれの 指の曲った両手 眉毛を植毛した顔は醜悪にはうつらぬ

氾濫するまぎらわしいものの中から本物を選ぶすべを

涙はひとりのものでないことを

教えた

あなたの ためされたすべての

その一部分にしかすぎないが

きびしさとやさしさを

おれの体内にそそぎこむと

知覚が麻痺した部分にも

いつも冷たい 指の曲ってひかりが当らぬ部分にも

熱く 沁みこんでいく

らいが鮮明になる

おれの これからの課題は

最後のらいになる ということ

らいの歴史を

日本の労働者階級の歴史まで高めること

らいは おれの拠点

党よ



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星塚敬愛園  つきだまさしさん(8)




三州バスセンターで

━鹿屋平和委員会結成準備会の帰途


僕は 闊歩する自衛隊員の間を通り抜け

脊髄を重く病んでいる平和について

触角の砥ぎ合わせをやり

帰りのバスを待った


空いている場所に腰かけたまでだが

僕のすぐ真向いの構内掲示板に

自衛隊員募集と 行方不明者相談の

ポスターが上下に貼ってあった


「この街は 自衛隊員の楽園ですよ」

一人の仲間が言った実感が

二つのポスターの構図を拡充していく

歴史からの逃亡者と

世相からの逃避者と

特攻の碑が建っている鹿屋の街は

どっかりと真空を抱き

平和の行方不明を宣言している


一時間以上待ち 街はうす暗くなった

あすへの起点に近づく時間を信じるから

僕は硬貨を落さぬように気づかいながら

切符を求め

どろどろの偏見の底に帰ってゆく


最終のバスが来て 僕は立ち上がった



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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