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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

星塚敬愛園  つきだまさしさん(7)



告白



冬のある日 僕は久しぶりに不自由舎の友をたずねた

習慣は申し合わせよりも確実に

座る場所がきまって火鉢を囲んでいた

当てこみをねらってラジオは 李ラインの街頭討論をはじめた

━何という政府の無策だ

━おれたちはめしを食わねばならんのだぞ

  どうしてくれるんだ

━あくまでも話し合いでいくべきである

━なまぬるいぞ 相手は機銃を持っているんだ

━何のための自衛隊だ


僕らもささやかな意見を交した

「機銃ときくと ぞーっとするね」

「米 日 韓のなれあいみたいだ」

「これじゃ 漁民もうかばれんなあ━」

「そのうしろで 再軍備ときやがる」

それみろ! 熱中した討論から抜け出てきた自衛隊機が

何回も僕らの会話を巻きあげていった

漁民の怒りの背後で拍手しにんまりほくそ笑んだ顔が操縦していた

退屈の灰をかぶっていた炭火がかーっとおきてきた


いきなり 一人が言った

「支那で二人の女をはずかしめたことが こんなになってみると 耐えられない気持ちになることがあるよ」

僕ら四人を同じ速さで貫いた

友はそれっきり黙った

僕は激しくゆさぶられながら 何かを言わなければと思った

「それ以上の ひどいことをやった人間が多くいるんだ 勲章のかわりに」

僕は本質的でないことを言ったことに後悔した


  息子が二人いながら、二人とも病気になって・・・

  兵役免除の手続きを療養所でした日

  親父の手紙を読み返して 僕は涙を流した


軍人と正反対の位置でゴクツブシで生かされ

そして みんなと同じように信じていた

存分に ファシズムに染まる可能性があった

僕はいま光を拒んだ友の眼の暗い深さに

無償のまま這入ることは出来ない

涙腺をおかされていつも濡れている眼は

すばやくかすめるものを映すことはないが

むしろそれで 内部に向いたレンズは

内部の悔恨の油絵を鮮やかに映すのだろう

いつも膝の上に用意しておくタオルで友は眼をこすった


もう一人が語りはじめた

「中支だった 前の部隊が一部落の住民を皆殺しにしていた おれたちの部隊はそこに休憩した しばらくすると どこにかくれていたのか たしか 七つか八つぐらいの男の子が生きていて 道に横たわった死体を覗きはじめたんだよ」

第一機関銃撃てっ!

・・・・・・・・・

「おれは撃たなかった 撃てなかったね」

子供は 殺された親や兄弟たちを探した

一つ一つの死体を覗きこんで確かめた

撃てっ! 早く撃つのだ 撃てー!

・・・・・・・・・

「それでもおれは撃たなかった」

子供はようやく親を見つけた

引っぱる 動かぬ  

人間は死ぬと重い

死体と死体にはさまっている

引っぱる 引っぱる 動かない

子供は狙われていることを知っている

みんな殺されたのだから

子供は 死んだ親の重さの中に自分をみた


撃つのだ 何をしとるか 命令だ!

「いまになっても 命令という言葉にどきっとするよ」

それは 血を吸い いのちが灼ける匂であった

「撃ったのか?」

「うん そのときほど おれはおれの眼を信じようと思ったことはなかった」

弾丸は正確に飛び

死体が少しずつ動いた

子供はこっちを向き ほんのしばらく睨んでいたが 逃げ出した

死体をよけて走るのがもどかしくてならない

「おれは 子供が走る速度に合わせて 一定の間隔をおいて撃った やがて道を曲ってかくれたよ」

角膜を覆ったすりガラスのような白い膜の厚みにあえぎ

僕は子供といっしょに逃げていた

━道を曲って━

まだ 遠いひびきではない

だまされやすい僕らを埋め

踏み固めた日は


侵略戦争で女をはずかしめた盲人の友よ

そして子供を 救った盲人の友よ

その時代に 僕らの肺には青空がなかったのだ

やすやすと応じた献血のからくりを

解く距離に

自分を映すひかりを持たなかったのだ

長く長く風の方向が狂った季節であった

もう 告白することはないか

忘れるためでも 気持ちを軽くする操作でもない

自らを告発することでなければ

あやまちは 犯した同じ土質で生きつづけるだろう

人間に叛かれて 関節をはずされるように

一つ一つを奪われて生き残り

きょうをらい園に生きる意味を

そのことに移さねばならぬ


支那は中国に変った

中国は近いが遠い

故郷にさえ自由でない僕ら

許可制で檜垣を出ると

海上自衛隊鹿屋飛行場の有刺線が皮膚を引き裂き

長い海岸線は太平洋のむこうに媚態をくねらせている

僕らにもわかる

海が山一つむこうの海岸に波打っていることを

この屋根の上の空が一つであることを

近いものは近くに 遠ければ近づく行為があり

こがらしに顔をむけると もう匂ってくるものがある


「きっとその子供は たくましい中国の青年になっているだろう」

僕は 三つに切ったバットをキセルにつめ

火をつけ 口にくわえさせた




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星塚敬愛園  つきだまさしさん(6)



歴史の反復



らいは 原始病

結核は 近代病

原爆症は 原子病


らい菌は 皮膚と神経をくい漁り

結核菌は 肺に巣くい

放射能は 出血し内蔵をくい尽くす


人間にあとに残る部分は何もない


らい菌は 光と空気にふれた瞬間に死滅し

結核菌は 数十分うごめき

放射能は 光に生まれ 気流でひろがり 地表につもる

地面に寝ころぶことさえ出来ない


光と空気を隔離するのだ!


おれは発見した

原始病と原子病の歴史性を

底辺から跳躍した科学の頂点で

見え隠れたりはしたが

その一条の反復を

結節のあとと

ケロイドと

実際に見くらべて

ぞーっとするほど似ていた


ある日 おれのその腕の静脈に

注射針が光って刺さったとたんに看護婦が悲鳴をあげた

血管から血が噴き出て 看護婦の白衣を染め

窓から伸びていった

まだ 向こうの山にとどかず中途で切れ

その血はおれの眼に充血した


それでも おれは虹をかけるのをやめない

虹におれのいのちを彫り込まねばならぬ


いまおれは とおく失った歳月をとりもどすのに

おかされていない軀のどこかを空白の部分に移植し

人間の原型に近づくが

ごまかしの平和の弾頭に装置した物質は

死の逆算をくりかえす

消すことの出来ない記録は先天的畸形児の氾濫を予告しても

医学は半周もおくれて追いつかない

光と空気を隔離するのだ!


朝になると おれは

生きている確かめの公約数のあいさつをする

すると もっと不幸でないことを実感する

原水爆を造った人間でないことを

確実に落せと命じた人間でないことを

殺戮の成功を念じて落した人間でないことを

奴らの股の下で結びついた人間でないことを


広島と長崎の被爆者二人がらいになった


たとえ その利用でらいが全治するとしても

多くの人々がほしいままに殺されるなら

おれもその中の一人

おれは拒む

おれはらいで死ぬ

だが 拒む前に奴らが握りしめた手は

おれに向いて開かぬだろう


こうも偏見と屈辱にあばらぼねをへし折られても

おれは恥ない

おれは汚れた手を求めない

長崎の被爆者と向き合い

隔離の深いよどみと

知ったばかりで広がるおののきの

理解や励ましは

ひんむかれたいのちをくぐった怒りである


地球に柵はない

奴らを強制隔離するのだ!


病歴  一九四五年八月六日と九日 最初にして末期的症状で発病し 以後慢性的殺戮症を呈する

病型  N型

病状  全身物質性で知覚麻痺 頭脳は精密なレーダーに転化 人間感情は喪失するも 数字 ブザー 指一本の動きには敏感に反応する なお点字によって神に祈るも視点はすでに生と死からそれている

所見  飼い殺しを必要とする

附記  死亡後は人類発展のため解剖することを認める

本人  印


隔離と同時にサインをとる


殺した数の墓標で柵をめぐらし

0.1パーセントの自由も与えない

あの日 燃え始めてから燃え終わるまでの

炎の色 炎が炎をこがし

切れ目のない苦痛を

生から死への急激な移行を

あるいは ゆっくり 寸分たがわずに焼き付けた

あの死者たちの眼球を部屋の壁にはめこみ


今日 咲きほこったコスモスは

一つの陣痛の習性を見極め

秋の光と空気にふれたばかりの産声が

反逆の野生をはりあげてひびき渡った


おれに虹はまだとどかないが

その嬰児は無垢であろうか


らいは原始病

原爆症は原子病

二つの歴史性には

人間の尊厳と原型への反復だけがある



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星塚敬愛園  つきだまさしさん(5)



そらしてならぬ
━長崎原爆青年乙女の会、辻さん、小幡さんへ



なつかしい長崎の訛りがあった

閃光が区切った以前と以後の風景に

こころに温めてきた多くの

人びとにわたしは会った


あなたの青春にしがみついた

わたしの青春が変形した


そらしてならぬから

あなたのケロイドを焼き付けた

わたしの結節のあとの陰影になった


あなたの憎しみと希いを掴みとった

わたしの絶望やかなしみは塩酸に溶解した


あなたが長崎の坂道をのぼるとき

わたしは後から坂の角度を担ぎ上げる

でこぼこの道を歩くときは

そのくぼみをわたしで埋めなければならぬ


涙がどっと出た

会場いっぱいの病友の中で

それがどうしてはずかしいことであろう

言葉がつまり のみこむと

存在のおびえが胃袋いっぱいになった

あなたの軀に記録された予告のように


━働かねばなりません

 食うために 治療する金のために

━それでも 働くところがありません

 かたわでない者があふれています

━銭湯にゆくと じろじろ見られます

 生きようと努力しています

 原爆のおそろしさと むごたらしさを知らせる使命に

 あなたはそう結んだ


十一年たって 忘れてしまったのだろうか

いちどは 広島も長崎も破壊してしまったことを

まだ 記憶とならぬ きょうを

あなたを好奇と新しい差別が指さす そこに

原爆実験とそれにつながる実体をみた


あなたの乗ったジープが

道を曲って教会にかくれると

わたしの内部に真正面にあらわれた

七月の太陽は真上

世界の人びとの平和への希いは向日葵に燃え


原水爆の製造をやめてくれ!

原水爆の実験をやめてくれ!

すべての核兵器は

人間が人間に叛いた呻きがとどかぬ深さに

埋めてくれ!



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星塚敬愛園  つきだまさしさん(4)



削られて私は近づく
━━第二病棟にて



からだとこころの

老い を計測されるように

私と妻がそこに立つと

扉は無造作に開き

ふり返ろうとする背中を

押しやって

ぎこちなく閉まる


師走の小春日和を

もずのこえが突き抜けたように

するどく

この穏やかなときも待ったなしに

問われるもの


いま しずかな息づかいと

看護婦や介護員の動く

その空気の流れが

かすかに通りみちのように

私の皮下を流れる


「毎日きてくれる友人もわからんし・・・」

つるされた脈拍は正確にしたたり

細い管をつたって体内にそそがれる

「僕だけはわかるようだが・・・」

手にまきつける管をはずしながら

夫はそう言った

連れて出られる入室者は広間で昼食をすませ

畳や ベッドや 車いすで

思いおもいにとはいえないが

それぞれのいま在るがままの姿で

すっぽり

いのちにもぐり

覗いても時間の深くは見えない

どこからも見せない深くから絶えずに伝わる

さざなみを聴く

いのちが ひびきあうのは いのち


かがんだ背中いっぱいに一字ずつカナで書く

うつむいた顔のそれとわかるだけのこっくり

仰向けの微笑はうなずき

話し声でわかっていたと旧い友はすぐ返す

手渡ししても届かないことばはかなしいが

眼の動きがその気配をただよわせる


いのちと いのちの

にんげんの ひとりの

この いとおしく

そして

そのものの非情性に

削られて私は近づく




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星塚敬愛園  つきだまさしさん(3)



応えられなくて
━━ある独白



おかしな病気です


若い世代は

ハンセン病 で理解し

五十代ぐらいからは

らい でうなずきます

その二つとも知らない人たちもいます


心臓病 癌 公害病 肝臓病 エイズ

いろいろな病気があって 重ると

かならずと言っていいほど

いのちが奪われます


らい は一度失えば元に戻らないが

重度の身体障害者になっても

ハンセン病 で死ぬことはありません

百五歳まで 生きた長寿者もいました

新聞は偽名で小さい記事でした


太平洋戦争が始まる

三日前の

昭和十六年十二月五日

長崎から鹿児島の

らい療養所に

強制収容されました

閉まったら内からは開かない門でした

空襲で病友が何人も死にました


らいに追われ グラマンから逃げ延びて

あれから四十九年 生きて 生きたものです

百歳になりました


百歳の誕生日には そのお祝いを

総理大臣様より頂きました

「国連平和協力法案」が

オーバーランして頭上をかすめました

ひとりの方が 剣と曲玉を証に観せて

高い高い座に着いた宣言と祭がありました


園内のカーブミラーを覗くように

いま を映すのに

ついつい振り返ります


どこかの国で 斜めに手を上げ

「人種的優秀性」

が 狂気したように

この国が 狙った戒名のような

「癩撲滅祖国浄化」

に 応えられなくて

百五歳や百歳まで 生きました


十二単のように

春夏秋冬を

偏見と差別で着飾りました


どれほど 耐えることを

後生大事に それ以上にしても

吹雪くような思いの 向こうから

かならず 近づくとは限りません

血のつながった灯りの ひとすじは

百歳の どの断層から沁み入り

その存在を示すのでしょう

長い年月の 一日いちにちを

くるしみの小石に 割って

失いました

かなしみの砂に 砕いて

老いました


長い年月をかけて それを残さずに

砂から小石の順に積み重ねて

濾過した

赤の他人ばかりの やさしさは

点滴のように

しんしんと 沁みる

人間の確かさです

どうしても 出てこない

長崎の田舎言葉を

百歳は 鉱脈のように抱いています


ハンセン病って

おかしな病気です が

おかしくは生きられません



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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