あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大島青松園  恵美かおるさん






四季は

襖を開くように変る

そしていま青葉は美しく差し交す枝枝にまっさかり

あたりには

あらゆるものの芽が一斉に精気を漲ぎらせる

ぬるま湯のような陽気に

ぼくはまた持病をおこして寝た


━━折角これからよい季節だというのに

”これから気をつけなくっちゃあ”といった

老婆のあの時の痰がからみついて

ぼくはいっそういらいらと咳をする


向うでは

オリーブの実る島がえんぜんと霞んでいるし

枕元の壁穴を塞ぐスザンナの絵は

病床のぼくには恰好の調和なのだが

この白豚の下で

終日しなびた杏子のような肌を横たえているのは淋しいことだ

ぼくは

此処から逃れていっときも早く

生臭い精気のかからぬ裸木の根方に座りたいし

腹の底から

君と不幸を語りたいのに━━



恵美かおるさんの略歴
1922年9月22日、山口県に生まれる。1940年5月4日大島療養所に入所。入所後、胸を冒され長く臥す。1947年頃から詩作を始める。1977年3月19日死去。



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大島青松園  中石としおさん



岩礁



がば がば

にがい水を呑まされ

終日 呑まされて

岩は

身動きもならず

ずぶ濡れ


天をさす指が欲しいと思う

蟹の足が欲しいと思う

ときには

砕けて虹になりたいと思う


岩は執念の塊り

赤銅色に渇いて

じっと

水平線を凝視する









石女


一輪の朝顔が咲いたといって

女は

少女のように喜んだ


女の乳房は硬く

花を育てることで

ふくまする子のない

むなしさをまぎらせようとしたが

ときにははげしく

花のような子供が欲しいと思う


今朝

花粉は

女の指を黄色く染めて

かなわぬ思いを孕ませる


女は

聖母マリヤを思う


女は

うっとり

一輪の花の下で

美しく身籠る



中石としおさんの略歴
1927年7月22日、香川県に生まれる。1944年12月26日大島青松園に入所。自治会長、全患協事務局長、「青松」編集長などを歴任。『閉ざされた島の昭和史』(1981 青松園自治会)の編纂にあたる。詩のほかに俳句もある。2001年11月17日死去。



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大島青松園  島内真砂美さん



入浴





芋を洗うような

裸と裸の話が

こんなにも美しくひびくのは

立ち昇る湯気の魔術だろうか

底まで澄みきった

熱い包容に眼をつむる快感


どろんこに下駄をとられたこと

怖かった朽ち橋や

国会の乱闘 世界の秩序

いっさいを衣類籠に脱ぎすて

からっぽになった思念の外で

たえまなく流れ去るものの音


きびしい邂逅の秩序に

出口の大鏡のまえで

おのれをたしかめ ほてりをさますと

超えねばならない深い溝

選ばねばならない十字路がある

虚しい爽快さで人はどろんこの道を帰る

中にまじって跛の僕がいる

(1955・2)











━━絞首刑受刑者尾畑竜男兄に捧ぐ


「肉の咎は肉に

死ぬるは生きる日に勝る」

そういって

奨められた減刑嘆願を

謝絶したタッチャンだった


1954年12月22日

「遺言はただ一つ

レプラ患者は悲惨です

レプラ患者を愛して下さい」

それは 妾の子に生れ

野原で犬とたわむれた指先で

四年間レプラの疵底にふれた

タッチャンの慟哭だった


「ひとりで食べたくないね」

笑って 生菓子を皆と食い

「われは永遠にエホバの宮に住まん」と

覆われた白布ではばたくように

絞首台に上ったタッチャンだった


わたしらはわすれない

「癩患者なんか死んだらいい」

何食わぬ顔で云った憲兵を

わたしらはしっている

虐殺の血を塗り合うのが

軍人と心得た将軍のあったことを


わたしは

キリストの血を全身に浴びた

タッチャンの生と死のまえに

心からおめでとうと云おう

(1955・12)



島内真砂美さんの略歴
1907年3月31日島根県に生まれる。郵便局に勤務中発病(1934年頃)。1939年9月27日大島療養所に入所。入所後肺結核を併発。1949年頃から詩作を始めた。1967年9月3日死去。


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大島青松園  馬場照市さん



朝の空気




香り高い朝の空気を

胸一ぱい吸って

昨日の悲しい想出を振り棄てよう

汚れのない青い空を無心に仰ごう

泥溝の臭い カビの臭いも

遠く果てしない処へ溶け込んでゆくだろう


今日の生も

明日の死も

誰にも判らない人生のきびしさ

新しい朝の空気を腹一ぱいたべると

全身の血が

一せいに流れわたる









荷物


午前十時 荷物受取り

あけてのぞけば

母の匂い 室内に流れる















何と醜い細長く

影 影

月光の下で重く胸につかえて

僕は はるか彼方へ

眸を通すと

赤く渋く光る灯

漁村の灯火なのか

今日は愉しい暮しであろうか?

煙草の立ち登る煙が

夢と溜息を

煙に包まれ星空へ向って

飛び散って行く









勇気


澄んでる 秋の空

眺めていると

悲しい気持が心底から流れ出る

僕は癩 癩 癩

思いきって遠くへ行こう

静かに港の方へいそぐ

あの船の方向に

黒い不吉な死の鳥の様に

帆を見つめて走って行く

その青さに滴っている

あの悪い血を海の辛い液体の中で

刻み殺すだろう

ささやかな風にのって

声が聞えて来る

ああ そうだ

妹の声

兄さん 兄さん

と呼んでいる

勇気をだそう

歯を喰いしばり敢えて

耐える為の勇気をもとう











ショボ ショボ降る雨の中

一人で雨雲を眺めていると

ああ 妹の顔 顔 顔

悲しげに僕を見ている

妹よ

寂しいだろう

僕のために悲しかろう

辛かろう

しかし強く生き抜いてくれ

妹よ

母と力を合せて

一生懸命勉強してくれ



馬場照市さんの略歴
1934年3月20日香川県に生まれる。1955年2月24日大島青松園に入所。「花虎魚」同人。
 


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大島青松園  山沢 芳さん


三十歳 


一つ一つ

たんねんに積み重ねた

歳月が三十ある

その数が

冬の陽に凍てついている

不幸を担いで

クシャミをした三十の数よ

私は

いとも大切にお前を抱く

これから先が

いくつあろう

干からびた数字が

ヒイヒイ

ひきつった笑いをする


私と歩いたお前よ

これから先が

いくつある

涙と笑いと不平不満とをかき集めて

又一つ一つ

たんねんに積み重ねていく

三十の年齢よ

振り返ってもなんにもない

これから先も

真暗い

寒々とした

冬の空を仰いで

阿呆のような

鬼ごっこをしていこう









跛の人生


びっこ

やはりリズムを持った歩行である


いびつでゆがんで

跛のぼくの人生


泣いて笑うて怒って

やり直しのきかないサイコロを

今日も一人コロコロと振る

いくらリズムがあっても

跛は━━跛

奇型の歩行には変わりがない


つまずいた石を拾い上げても

過去へのセンチだけ

沈みゆく夕陽に

滅びゆくものの美しさを賛美し

夕焼の素晴しさは

明日の晴天を

約束してくれる



山沢 芳さんの略歴
1924年5月17日高知県に生まれる。1945年発病、1946年7月11日大島青松園に入所。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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