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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

大島青松園  桜井学(山本巌)さん(5)


憂愁の影



私の心の片隅から降り出した雨が果てしなく広がってゆきます

憂愁が鉛の重さでのしかかるのです

虐げられた悲惨な生活を閉じたものの激しい憤怒の怨霊が

青白い天井にしがみついています

空腹な悪魔が浄土の美名で誘惑するのです

恐しく灰色な時間です

S0Sを発信しても 誰も受信してはくれません

救助に価するもののみが受信されるのです

そのような日には

忘却の河に追憶の花弁を拾いにゆくのです

(1953・6)










ピエロの歌


道化た仕種で 今日も漸く幕が下ろされました 恐しく長い時間です

こんな処で まともに前途を考えていたのでは自殺があるばかりです

時折訪れるものは

ワンダフル! を連発しパラダイスの印を押して帰ってゆきますが

再び訪れるものは稀です

人間は他の不幸を察する能力を持たない最も愚鈍な動物のようです

或は知らぬ振りをする最も冷血な動物かも分りません

それとも 四囲が黒い壁に囲まれて陽光も届かないので

暗中で七色の幻覚に陶酔っているのかもしれません

眼が馴れれば直ぐにお分りになる筈です

私は平静を偽装うピエロです

今日も一日悲哀をじっと噛みしめて踊り疲れました

やがて 私の上に死の幕が静かに下される時

冷酷な人間共は窃かに乾杯するでしょう

その日まで

私はピエロの歌を唄い続けるのです

それは私に与えられた唯一のレジスタンスでもあります


(1956・5)




山本巌(桜井学)さんの略歴
1926年11月3日愛媛県に生まれる。1942年7月広島逓信講習所を卒業し、下関電信局に勤務。1944年5月海軍飛行予科練習生として入隊。1950年8月大島青松園に入所。1988年頃から「青松」に川柳を発表。全身の衰えにより長文を書くのがむずかしくなり、唯一川柳に熱を入れていた。川柳句集『試歩の道』(桜井学著 1990 私家版)、『冬の月』(桜井学著 1993 私家版)。



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大島青松園  桜井学(山本巌)さん(4)


 


お前は歌ってはならない 

ライ者だからとて 他人に憐憫を乞う歌を! 

不自由をかこって同情心を求むる歌を! 


ライ者の代名詞 乞食かたいを葬り去れ 

醜悪なるが故に 人間失格を自任し自己嫌悪する卑屈心を捨てよ 

弱者が抱く一切の観念を一掃せよ 


お前は如何なる逆境にも屈しない歌を 

不当な圧迫には激しい抵抗の歌を 

ライ者としてより人間としてのヒューマニティを高らかに歌え! 

(1953・9) 









今更と言わないで下さい


レプラになって 

今更勉強してどうする気かと言わないで下さい 

地位や名声が欲しいのではありません 

己の無智が恐しいのです 

人並の智識が欲しいのです 


レプラになって 

今更読書してどうする気かと言わないで下さい 

偉大なる思想や永遠の真理を探究しているのではありません 

書籍は孤独な私を慰めてくれる唯一の友なのです 

恋人のように好きなのです 

人生の真実にでもふれれば望外の喜びなのです 


レプラになって 

今更詩を書いてどうする気かと言わないで下さい 

他人ひと様の賞賛を得たいのではありません 

自からの生の確証が得たいからです 

醜い自画像を描いているだけです 

秀作が生れる筈はないのです 

(1956・5) 


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大島青松園  桜井学(山本巌)さん(3)



散り際を思案している寒椿




青い空ごらんとナース窓を開け




合槌を打って味方に数えられ




シナリオが無いから明日も生きられる




不甲斐なや傘寿の母に看とられる




輝いた日は忘れない痴呆症




本読める視力が欲しい秋夜長




長いながい絆で友の骨拾う





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大島青松園  桜井学(山本巌)さん(2)

 

酸欠の金魚のように生きてます




代読をしてもらえそう雨の午後




末席の正論私語のまま終り




紙コップにされてたまるか老いの自負




病臥して見ていたバラが散りました




翔びたいと思うわたしと病むわたし




はいチーズ麻痺した頬がままならず




五十年病む天刑か天恵か




残存機能フルに活かして生きる欲




落ち葉焚くわたしもやがて地に還る






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大島青松園  桜井学(山本巌)さん(1)




風景が輝いている試歩の道




咳すれば背にやわらかなナースの手




真剣に生きた証が欲しくなり




生死不明どっこい此処に生きている




帰りたい帰りたくない故郷があり




待つ人は来ず花時計見てるふり




聞き上手に腹の底まで吐かされる




この写真あなたですかと疑われ




病む前の顔アルバムが知っている




五官病み六感さえも鈍くなり




足萎えの苦労知らない歩道橋
 




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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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