あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

長島愛生園  山田青路さん


黄昏の感傷


今日も曠野の真中に突っ立って

落ちてゆく夕陽を懸命に呼んでいる

破れ
案山子かかし


  呼べばとて戻る夕陽にあらねども

  明日を待てぬ宿命の

  あはれ痛ましきその姿よ、その声よ


黝い黄昏はすでに足下の草叢を包んで・・・・

刻刻に迫る己が身の終焉の恐怖に

虚空に伸した双手は

何をつかみ

何にすがればいいのか


あはれ黒
からすの羽搏きは遠く

薄暮の嶺にそが
いやはてヽヽヽヽの宿命を嘲笑わらう

・・・晩秋の暮景に立って

私はほとほとに疲れ痩せてゆく










郷愁


遠く山河のへだたりを 痩せた胸骨の疼きに埋めて

レプラ十年旅に臥すれば

日毎老ひ 日毎朽ちゆくこの身内に

炎の如く燃え立つ郷愁の心切なく

幾度を思慕の小鳩の 杳かなる青空を望んで

この胸を飛び立ちしことか


だが 十年を流れながれる歳月の波濤に

古里は日毎遠のき 遠のいて

あはれ空しくも翼疲れて

この胸に舞ひ戻りし 我が思慕の小鳩よ


あゝ今日も

蜿蜒と連なる山脈の彼方

赫々と燃ゆるあかねの雲を眺めては

又しても我が思慕の小鳩は

薄暮れの空にあえかなる想出の夢を追って

はた・・・はた・・・と

羽搏くのだ 飛び立つのだ








冬近き墓場に


━━レプラ病みて十年古里は懐かしされど山川草木ことごとく我に冷たし━━


鬱蒼と繁る常緑樹の葉陰を盗んで、ちらちらとこぼれ落ちる薄れ陽に、磨かれた石面を蜥蜴の眸の様にうるませて、冷めたい墓石の沈黙よ。


父の! 祖父の! 曾祖父の! つながる血縁の上に課せられた永久の寂寥を慰むと、墓前に植えられた菊花の薫香も、打ち振ふ季節の触手に霜枯れて・・・。
死におくれた蟋蟀の一つ二つ・・・鳥も啼かぬこの静謐の真昼間。亡霊の咽ぶが如きすすり音の哀しさをなんとする。


十年を歳月のデスタンスに断たれ、今墓前にぬかづく宿命の子の脳裡によみがへるものは冷めたく、六十余年の足跡を自ら柿の小枝に消した祖父の死貌と・・・愛憐の双手に火の鞭を下げて宿命の子を裏木戸に追った父の涙の眸と・・・


あゝ、だが総てはこれ杳い想出、父よ! 祖父よ! 我が血縁の諸霊よ、陰鬱な墓場の木洩陽をすくって、永久に瞑想の胡坐を続けよ、宿命の子は再び旅に出る、諸行無情の木枯を衝いて、遠く山河の果てに宿命の旅に出る。


山田青路さんの略歴
1933年8月9日長島愛生園入所。1945年9月5日死去。



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長島愛生園  坂井新一さん


孤冬


こんなにも

静寂りかへった冬朝

しんしんと身に喰ひ入る

この冷たさはどうだ。


からりっと

晴れ渡った空にも

憂愁の翳はあるのだらうか

杳々、山脈の端に

わびしい雲が動いている


ああ遠く離れ住む恋人よ

あったかい便りをくれないか。
 







五月


すっきりと晴れ渡った碧空

土蔵の白壁は五月の太陽を正面に浴びてゐた


とほく 若葉で飾ったポプラの舗道

チラ、ホラ掠める桃色パラソル

五月の風景は皆若々しく活発である


ああ だが

俺は痩せこけた胸に掌をあて

乱れたラッセルのおとを聴きながら

木陰で五月の日射を避けてゐる。










床を取る


身も冷へた 心も冷へた 冬の夜、

隙間洩る 風の心も 恨めしい。


待つ人も 待たるる人も ない身空

いつ知らず 胸の埋火 消へてゆく。


何んとせう 生きて居る身を 何んとせう

のろのろと 今宵も独り 床を取る。



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長島愛生園  瀬戸美佐夫さん


彼と松

島に来て

毎日松ばかり写生していた

日本画家を 私は知っていた。

天気さえ良ければ

彼は画用紙を持って

島の中を 彼方 此方と松を描いて歩き、

彼は一人楽しそうだった。


これは 南海岸の松、

これは 北海岸の松、

谷間の湿地に二本並んでいた松

又 これは岸頭に一本突立っていた松の枝 と

彼は松の素描を 何十枚も

大事に描き溜めていた。

彼はその一つ一つを私に示して、

松の生態については 実に驚くほど

細い観察と 感覚を

熱心に私に語ってきかした。

彼は一生かかっても

何とかして松の素描を大成してみたいとの

希望を持っていた。


彼は又、

金原さんの東洋美術史等を出して

民族的な日本画の特性、と云うようなことで、

夜遅く迄、

私と論争したことがある。

彼は私を頑固だと云った が、

彼もなかなか頑固で 自分の主張をまげなかった。

彼は島で二三年病の養生をして

再び中央へ画の勉強に出たいと云っていた。


彼は自分の病は

きっと自分で治せるものと、

何か一つの信念でもあるらしく

彼の顔色は何時も生き生きとして、

病にとりつかれたような、

暗い影は少しも見えなかった。


秋の終り頃だった。

突然 彼の家から電報が来て、

彼は急に あわてて帰省した。

家には

若くて美しい細君と 子供が

彼の留守居をしていた。

細君は一度 子供を連れて

島へ 面会に来たことがある。

鐘楼のある松林の丘を

彼と並んで、

むつまじそうに歩いていた後姿を

私はよく覚えている。


帰省した彼からは

それっきり何の便りも来なかった。

帰省後 間もなく彼は余病で死んだ と

云うことを

最近 私は人から聞いた が、

私には嘘のような━━

誤聞のような気がしてならない。


終戦後、

島の松は 次第に乱伐されて

淋しく手薄になったが、

処々まだ切り残された

松の茂みの青さの中から、

画用紙を持った 彼の笑顔が、

ぽっかりと 私を呼んでいるような。


春が来て

長く伸び立った松のみどりに

彼の命が匂っていて、

たとい 彼が死んでいたにしても、

たぶん 彼は最後迄捨てなかったであろう、

彼の 美しい頑固さが

まだ何処かに 生きていて、

一心に、

松の写生をしているように思われてならない。



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長島愛生園  志樹逸馬さん




露(二)




縁側で白いダリヤの花を

一枝もらった



数えきれないほどの

雨の滴りが

いっぱい光っている



淡いみどり色の

小さなくもがとまっている

葉の裏に

あずきほどのかたつむりが

じっとしている



そっとみていると

まだまだ私の知らない世界が

いくつも

かくされていそうだ










夕映え


夕映えの空に

うすもも色の雲は

じっと動こうともしない

ああだのに

もう・・・

山も 海も 人家も 樹木も

いつしか

うす暗い暮色の中に

沈んでいこうとする



夕映えよ

あした またあした

いいえ

━━これからさき

私がどのような環境におかれ

孤独と病苦に

汚れた体を

暗いベッドにすがらせるときも

きっと

この美しい素顔を見せておくれ



しずかな入江の桟橋にたって

私は

いつまでも生きていたいと思う




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長島愛生園  志樹逸馬さん


この詩は癩文学近代文学の頂点に位置する詩だと思います。




癩者




誰が 俺に怪異の面を烙印したのだ

碧天の風を吸って 腐臭を吐き

黄金の実を喰って

膿汁の足跡を踏む



よろめき まろび

指を失った掌にも

土塊は砕け

何故 花は開くか



捨てられた水を呑んで生き

そそがれる光に

描くは 紫の浮腫 斑紋



己を憎み

人を恋い

闇の彼方に

天を憧れる 無性の渇き

ああ 非情の石よ

己が掌を微塵に砕け

悪魔よ ほくそえめ



除けものにされれば されるほど

自らを知る性



俺は 誰に

生きる表情を向けたらいいのだ



瀬戸内市 長島愛生園  「島の四季 志樹逸馬詩集」
1959年 42歳で生涯を終える



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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