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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

神山復生病院  山本羽宇路さん



愛憎もいまは超へつつ口開けて息絶えし友の口結びやる




われ病みて見るすべもなき西の果われにつながる血族生る




妹の幸をおもへる安らぎに冬の夕の陽があたたかし




けふのごとく明日も活きるのか余光さへやがて消えたる療院の庭




争ひが今日も起きたと告げてゐる部屋を少しの風が通過す




癩を病むわが顔よりもその心なほ醜しと告げてゆく風


山本羽宇路さんの略歴
神山復生病院。『陸の中の島』(1956年)『未明の鳥』(昭和33年)


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神山復生病院  大峰則夫さん



療友にからかはれつつ盲ひ吾れラジオの英語声あげ学ぶ




四年ぶりに畳の暮し許されて今宵しみじみ部屋さぐり見る




五百余の御霊が眠る癩院墓地言葉すくなに療友ら草刈る




冷える夜は吾れ早早と床に入りまがりし指のマッサージする




社会復帰してより生れし子だと言い盲ひの吾れに抱かせて呉れぬ




子供二人連れて見舞に来し友は今の暮らしを控へ目に語る




碧き目の修女は今朝もにこやかに患者の便器洗ひ下さる


大峰則夫さんの略歴
大正12年生まれ。昭和40年神山復生病院入院。所属なし。『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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神山復生病院  坂田泡光さん



大演習近づきぬれば癩院は厳しき監視のなかにあるべし




咽喉を穿ち救はれしいのち呼吸管より嗄れし笑みをかそかに洩らす




日に三枚越えぬ消費を限度とし塵紙が癩者に支給されたり




痺れたる唇をもてやうやくに息をころして薬包紙解く




幾度も匙落としては食む飯の十匙が程に汗は流れぬ




窓際を手探りしつつゆくわれに冬日の匂ひがあたたかくする




数十歩の湯槽の距離をゐざりゆく盲ひわが今の喜びにして




かなしくも離ればなれに義眼二つしづもりて居り洗面器の中




手萎えわが幸とせむ歯を使ひ録音ボタン押せるだけでも


坂田泡光さんの略歴
大正6年生まれ。昭和8年神山復生病院入院。「短歌人会」所属。『陸の中の島』(1956年)『未明の鳥』(昭和33年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)


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神山復生病院  高原 出さん



たった二つ古榾木に椎茸産ましめ今年の秋は小走りに逝った




扇風機を背に恋をしている女の便り読んでもらっている晩夏




風呂に行く玄関に寒の月上ったばかり「ああ会いたいのきやああれん達に」




芝を刈る背に声をかけ咳ばらい一つ落して足音がゆく




受話器から「おとうさんの墓はきっと建ててあげますから」だってさやれやれ




チチロ鳴く場所は昨日に変らねど吾が草を刈るは少し移れり




帰天の女の黒ミサの最中すすり泣く人ら何がそんなに悲しいの




何かこう楽しきものを溢れさせ購入パーマ機めぐり女患ら働く




五年間見えざりし左眼やや明るめば見える眼閉じて病廊を歩む




一里近き癩院持山に来て草刈ると放たるる思ひ鎌を研ぎつつ




盲導鈴頭上に暫く鳴り休むとき遙か下谷に郭公きこゆ




逝きし桂司がその前年くれたりき山椒せいせいと生きていにけり


高原 出さんの略歴
『陸の中の島』(1956年)『未明の鳥』(昭和33年)以後、「苔龍胆』に参加。『苔龍胆』第五集(昭和48年)『苔龍胆』第六集(昭和55年)


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在67才、農業歴31年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp
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