あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

栗生楽泉園  中島栄一さん(2)



北窓を目貼りすましし安けさに起さるるまで眠り続けぬ




山山のせまれる間を流れゆく川といふもの淋しと思ふ




なにがなしに心寂しきときに見る椿の花のもろく散るさま





松葉杖つくことすでに二十年右肩高く体曲れり




木の枝にラジオを吊し鳴らしおき位置を確かめて山菜を採る




庭隅に割れて捨ててある植木鉢の中より秋の虫の声する




娘よりの声の便りを聞くときに老妻は聾いし耳を寄せゆく





面会に来し妹二人わが歌集を読みいるうちに泣き出だしたり



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栗生楽泉園  中島栄一さん(1)

 

足を断って二十年


二十年前の今日

あのおそろしい大手術に

おれの足は断ち落された

背骨の脇に大きな

麻酔薬の注射がうち込まれた

刻々と迫る悲しみ

無心に時計が時をきざむ

全身がふるえる

手術台のまわりに光る

不気味に並んでいる

メス、鋸、数々の器具


看護婦が静かに

がまんしてねと体をしっかり

おさえる

では始めますと

医師

足もいよいよ最後だ

骨を引く鋸の音

ついに三キロの目方の骨と肉が

おれの体から永久に離れた

三時間のうちに手術が終った

風船のように軽く感じた足

丸太棒のようになって横たわる人間おれ


粘りついた汗が

ベットに沁みとおるほど出た

もうすべてあきらめた

泣けるだけ泣いた

そして今思う

あの大戦争だ

おれの足も戦争がなければ

切らずにすんだ

無理をした無理をした

毎日のように山へ行き

薪を取った畑も耕した

手足から血を流して

良い薬がない、手当がない

もうふたたび戻らない足に

大声で呼ぶ

かえってこいおれの足

だれのための戦争










手の指が欲しい


嘆いても

戻るまい

恐ろしいらい菌に噛み切られた指

でも

どこかであの指が

泣き叫んでいるようだ

血だらけになって

骨に抱かれて。

そうだ

探してみようさがせるだけ

呼べば帰るだろう

親からいただいた

貴い指

ああ働いてくれた指がかわいそう

社会が待っている

大声で呼んでいる

心は走っている

ハンドルを社会に向けて

整形した、拾い集めた、指でもよい

希望を掘るのだ

指がほしいこぶしのさきに。
 









ゴム靴に


おれは変形した足に

ゴム靴を履かせて

ずるこずるこ歩く

悲しそうに靴は泣く


らいの傷足に繃帯して

びっこを引いて

松葉杖にすがって

乞食のように


だがおれは

このゴム靴でないと

一歩も歩けないのだ

なお弱視のおれは

舌先でゴム靴を

舐めてさぐって履く


こんな不潔な動作は

誰にも見せたくない

社会の人はなんと

思うだろう

いやこんな愚痴は

やめよう


お前に願いがある

びっくりするなよ

おれはお前と

近いうちに郷里へ

里帰りする

ゆるしが出たよ


その時はいっしょにたのむ

お前を磨いてやる

郷里の土は温かいか

冷たいかよく踏みつけてくれ

三十年の古里の土を



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栗生楽泉園  香山末子さん(6)



私が二十三歳だったとき



浅間山を眺めるのによい縁側

真白い雪の山

馬の背に似ている

枯枝がいっぱい

大きな岩山がごろごろ

私は青く澄んだ空が

白くぼやけていくまで眺めた


ため息とながいキセルをふかす母

その頬に大きな涙がおちた

発病のわかった私は

赤ん坊を背負って

母のもとを去った

私は二十三歳だった









うれしい便り


戦争で死んだことになっている私に

どこからも便りがくるはずがない

そう思うと 胸がふさぎそう

そんなある日

園長先生からの便りが届いた

「群馬県藤楓協会会長の清水知事さんから表彰される・・・」

私のつたない詩が

ライ啓蒙のお役に立った

ということであった

本当だろうか!

うれしくて 恥ずかしくて

最高によい便りを受けとった









高野桑子先生
━当時内科医として勤務していた


県知事から感謝状をもらった日から

医局へ行っても

散歩に出ても

みんながおめでとうとお祝いの言葉をかけてくれる

でも私には

ありがとうの言葉がすんなり出てこない

おめでとうの言葉を受ける時

私の背中が重くなり

淋しくなる

学校は一日も行かない

自分の名前も知らない

この気持ちは何故か重く苦しい

高野先生から何か書くようにすすめられた時

その言葉をうるさく感じた

けれど今になって

先生の言葉がうれしく

書き続けて来てよかったと思う

心や身体がいくらか軽くなったように

感じている

なんにもわからんものが

書こうと思うと骨が折れた

何回も投げすてていった原稿

やはりまた思いなおして書き続けている











長い廊下を伝わって

部屋に帰ると一番先に

唇を出し 生けた花びらをなめてみる

見えないけれど

今日は私の坐る方に向けて生けてある

うれしさがこみあげてくる

外から帰って部屋に入ると

自分が飲んでいる 薬の匂いで一杯

だから花が好き

花の香が私を慰めてくれる



香山末子(金末子)さんの略歴
1922年1月27日、韓国慶尚南道晋陽群晋城面温水里に生まれる。1941年、夫のあとを追って渡日、1942年に第一子、1944年に第二子を出産。同年発病し、1945年12月8日、第二子を背負って栗生楽泉園に入所した。1996年5月4日死去。合同作品集『トラジの詩』(1987、晧星社)、合同詩集『骨片文字』(1980、晧星社)、第一詩集『草津アリラン』(1983、梨花書房)、第二詩集『鶯の啼く地獄谷』(1991、晧星社)、第三詩集『青いめがね』(1995、晧星社)『エプロンのうた』(榎本初子編、2002、晧星社)。



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芋飯


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サツマイモがイノシシによって全滅したので、農業仲間から売ってもらった。赤土の土質で、おいしいサツマイモである。

その芋を使って芋飯にした。3合の白米を洗い、酒50CCと水を入れ、3合の水加減にし、塩をひとつまみ入れ混ぜる。

乱切りしたサツマイモを入れ(置き)、炊きあがったら混ぜて出来上がり。




インゲンの蒸し煮

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サツマイモを買いに行って、もらったインゲン。

無水鍋に半分に切ったインゲンを入れ、大さじ2の水を入れ、ニンニク醤油で味付けし、煮立ったら極弱火にして20分、火を消して余熱5分で蓋を開け、混ぜて出来上がり。

出荷の時に「はねた」インゲンと聞いたが、上質のインゲンだった。



塩サバ

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イタリアンパセリ、サラダエンサイ、タマネギのサラダ

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イタリアンパセリは粗みじん切り、サラダエンサイはざく切り、タマネギはスライスして皿にとり、手作りドレッシング(大さじ1の酢とみりん、大さじ2の醤油、小さじ1のゴマ油にニンニク1片をすりおろして混ぜる)で。
 


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栗生楽泉園  香山末子さん(5)



空に座って


澄んでいる空 真っ青な空

二十何年も見ないんで

おあずけ おあずけ

これからも何年も何年も死ぬまで

おあずけしたまま

見るのはもう夢だけ

真っ青で

澄んでいる空色が

あの空の上でピーンと張っている

手でさわったらどんな感じだろうな

毎日毎日外科通いしている

繃帯を今日も巻いてもらって帰る

うっとおしいこと

あのピーンと張った空の中で

じゃぶじゃぶと

洗えたら

なんぼか気持がいいだろうな

いっそ あの空に上って空の上で坐って

空を撫でていたら━━

そんなことばかり考えて









母の面影


お母さんも日本にきていた

お母さんは朝から晩までため息をついて

私の病気を嘆いていた

私が家に戻って半年後

お母さんは心が変ったように

国へ帰ると頑張りだし

言葉もわからん、末子が病気になっては━━

情けない 情けないと繰り返して

私が入園すると帰って行った

重い心を私一人が背負っているようだった


それから三年たったある日

お母さんが亡くなった、と

おじさんからの便りであった

私は一晩中闇の中を歩き廻わりながら

お母さんの面影に向って

掌を合わすばかりだった









汐風


十五銭のうどん一杯

うまい、匂もいい

あんなうどんは

もう戻らんだろうな・・・


夜中の十二時

豊橋の駅

最終列車は止まった

みんな店を閉めて

静まっていたが

店屋のおじさんに

特別にたのんで作って貰ったうどん

十五銭か二十銭の

あのうどんを食べた時は

病気もない

何んの苦労もなかった

大きな希望に燃えて

先に日本へ来ている主人の

そこに胸の思いは走っていた


唱和十六年三月十日

豊橋の駅に着いた時には

真暗い駅で

夜明けまで待っていた

汐風が冷たく

一番電車を待つ時間が永かった


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在64才、農業歴28年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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