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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

琉球新報

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長島愛生園  明石海人さん

(歌日記)

癩に棲む島に盲ひて秋ひと日替へし畳をあたらしと嗅ぐ


 この療養所に来てから二度目の畳の表替である。前の度にはまだ眼が見えていて、淡緑の面をくぎる黒い縁の直線が、すがすがしく眼にも映ったのであるが、今でも眼には見えなくとも畳の新しいのは快い。切味のよい剃刀の手ざわりである。もぎたての果物に歯をあてた感じである。

 臭覚にしみる特有の匂い━━畳の上に生れ、畳の上で育って来た過去のあらゆる経験が、この匂いに籠もっている。我々の一生というのも、あたらしい畳が古びてゆく過程の幾つかに外ならない。火屋の真上の天井のひとところだけが円く明るくなっている吊りランプの下で、ふと目を醒した夜更けの静寂の中に、弟の産声を聞いたのも、その弟が七つになった夏の或日、半夜の熱に急死したのも、その翌る朝ふと触れた弟の額の、魂をおののかす冷たさに、世の無常を知りそめたのも、棺を閉じて泣崩れる母をたしなめた父の眼にも涙が光っているの見た時、私も声をあげて泣いてしまったことなども、皆畳の匂いに染みついた記憶である。

 六畳の部屋を三畳だけ替えて、畳屋は帰って行った。今日は生憎茶菓子になるものもなかったので、明日は何かお茶うけの用意をしておこう、そんな事を云いながら、室の中や縁先などを掃いていた附添さんは、外した縁の障子をはめ込みながら、「ひどい夕焼だなあ」と呟いていた。その夕焼の空から吹いて来るのであろう、障子の破れを鳴らす風が、室の中を水のように流れ去る。
 用事を済まして附添さんも帰って行った。あたらしい畳の室には夜の冷気が静寂となってたちこめる。庭先にはまた蟋蟀こおろぎが鳴きだしていた。

清畳にほへる室の壁ぞひに白きふすまを展べて長まる


(注)ここに書かれている「付添さん」とは同病者であり、明石海人さんの時代には、軽い病者が重い病者の世話をするという「強制労働」が義務付けられていた。



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シイタケとピーマンの煮物



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醤油、砂糖、酒、みりんを鍋に入れ、水と削り節を入れ、煮立ったら弱火にしてシイタケを入れ10分ほど煮て、ピーマンを入れ、5分ほど煮て出来上がり。



豆ご飯

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4合の白米を洗って炊飯器に入れ、酒50CCと水を入れて4合の目盛りに合わせ、塩を一つまみ入れて混ぜ、200gのグリンピースを入れて炊飯器のスイッチを入れる。炊けたら混ぜて出来上がり。



ダイコンおろし

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味噌汁

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サツマイモ、ダイコン、ニンジン、シイタケ、ナス、タマネギを鍋に入れ、水とダシの素を入れ、煮立ったら弱火にして15分煮て、味噌を溶き入れ、薬味にニラの小口切りをふって出来上がり。 
 


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ウィンザー通信

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長島愛生園  明石海人さん


(歌日記)

捜りゆく道は空地にひらけたりこのひろがりの杖にあまるも
 
 
 眼が見えなくなって、始めて杖を突いて出て歩くのはかなりな勇気を要する。人に見られるのが嫌だと云ふよりも、自分自身に対する侘しさに堪え難いものがある。自由自在に出歩いてゐた道を、杖に頼らなければ一歩も歩けないと言ふ、生活能力の低下に対する忌々しさである。
 
 眼が見えなくなってからずっと閉じ籠っていたが、或日美しい小春日和に誘はれて、初めて杖を突いて出掛けた。嘗ては、無雑作に歩き廻っていた道である。大体の木石の配置は記憶に残ってゐる。にも拘わらず、杖の先でさぐるとだいぶん趣が変って来る。嘗ては気にも止めなかった極く僅かな路面の凹凸が、ともすれば身体の平衡を脅かす。第一、自分の足からして頗る不確かなもので、真っ直ぐに歩いてゐるつもりでも、何時の間にか横へそれてゐる。狭い道の処はまだよかったが、十字路のようになった一寸した空地へ出ると、杖は忽ち方位を失ってしまった。
 
 記憶をたよりにあちらこちらと叩き廻って見たが、思わぬ処に溝が出来てゐたり、物が置いてあったりして、くるくる廻っている中に、雨水の溜まっていたらしいぬかるみに吸われて、片方の靴が脱げてしまった。よろめく途端に足袋をよごすまいとして、二三度ちんちんをしてから一本足で立ち直った時には、脱げた靴のありかは見当さえつかなくなっていた。仕方がないので、杖を支えにしばらく片足で佇んでいた。
 
 それにしても、網膜にものを映す一生理機能の喪失が、我々の生活能力を如何に局限してしまう事か。今の私には音さえしなければ、命を狙う銃口が目の前に擬せられている事をさえ感じる事が出来ない。肉身の支えをうしなった精神力の、唯心論が拠ってもって人間存在の根源なりとする意識とは、何と言う哀れな低能児でしかないことか。
 
 私は自分の立っている所が空地の何の辺に当たるのか、視覚を借らずに感得出来ないものかと、全精神を集中して天来の啓示を待った。が、唯心論を侮蔑した祟りか、識閾に影を落として来る何ものも無い。人間の叡智とは、舞い上って方位を悟る鳩の本能に比してかくも凡庸なのだ。かの論者を今の私の位置に立たせたら、何と言うであろう。それとも、彼等はこの空白をも、神秘主義の泥絵具で塗潰してしまうであろうか。
 
 肉身の機能を抹殺して、理性の外縁に直に人格的な神を凝集させたり、個体の経験が肉身を越えて生存すると説く霊魂不滅論などの感傷には、どうも近づき難いが、さりとて、音波のみしか聴き得ない耳や、光波だけしか見得ない眼の行動半径を飛躍することの余りに少ない唯物弁証法の精悍な認識論にも、安んじてしまうことが出来ない。
 
 彼らの論理は強靭でもあり精緻でもあるが、立場の根底をなす前提に━━前提の設定に━━前提を設定することそれ自身に対する懐疑がある。けれど、科学も理論も、前提なしには成り立たないとすれば、こう言う見解はすでに知性の限界を超えたものである。が、単なる知性にとどまらず、人間性能の総和によって、側面から照射されるとき、彼等の論理は、始めて複雑微妙な立体感を現して来るのであろう。
 
 例えば、科学が分析し尽すことの出来ない微量の物質に、我々の味覚が反応するように、論理の網の目にすくい残された雰囲気が、知性以外の方向から、(例えば感性の如き)を通して、人生や社会に対する我々の見取図に反映し得るものであり、また、そうなければならない━━。

 「どうした? やあ、靴が脱げているね。ちょっと待って・・・よしよし、それでちゃんとはけたよ。何処へ行くね、××寮?それなら、この柵を伝わって行くがいい。真っ直ぐな道だから・・・」
 
 聞き憶えのある声だが、誰だか思い出せない。それにしても、私の全精神を尽くして窺い知ることの出来なかった私自身の位置を、彼の肉眼は、至って簡単に指示して呉れた。それが、飽くなき真実究明の過程を、睡魔のようにまやかしてしまうニイチェの所謂『隣人の愛』に過ぎないにしても、行きずりのささやかな行為は、いつか私の心を明るくしていた。


天国も地獄も見えぬ日のひかり顱頂にしみて酒よりもうま



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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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