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あめんぼ通信(農家の夕飯)

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

しあわせの青い鳥

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長島愛生園  甲斐八郎さん(5)



文字書けずなりし手首をはげまして歌一首書くに汗を流しぬ




ながき永き療養に親しき友いくたり逝きしがこの冬もっとも多き




水俣病にたおれし人のいうを聞け「父と不知火の海を返せ」




看護助手足らぬしくみが不自由者同士の争いとなる国の医療ぞ




竹筒にくりたるベトナム支援カンパに硬貨をおとす僅かなれども




こころ弱りいのち貧しきありしとき『党生活者』の多喜二によりぬ




うかららの皆死に絶えし現身に父の十三回忌近づくころか




足病みて久しくあればこの園を海のめぐれること忘れいし




枯草にてんてんと青草混りいて冬日しづかにたそがれむとす




甲斐八郎(香取勉・不二木穣・川畑又一・甲斐又一)さんの略歴
1918年12月16日大阪市生まれ。父は大工。小学6年の春大阪大学皮膚科で診断。高等科2年卒業。翌年の徴兵検査を避けて1937年11月1日長島愛生園入園。まもなく短歌・創作に取り組む。1945年3月8日父母と面会。3月10日の大阪の空襲で弟妹たちは爆死。1947年7月不自由者棟に移る。戦後、園内民主化運動、予防法闘争、自治会活動に参加。1967年日本共産党45周年記念文芸の短歌佳作。新日本歌人協会会員。1977年日本共産党永年党員証。1987年4月7日逝去。『青磁』(昭和26年)『小島に生きる』(昭和27年)『陸の中の島』(1956年)『青芝』(昭和32年)『風光』(昭和43年)『海光』(昭和55年)『サンルームの風』(1979年)『その日━━らい予防法闘争記録集』(1988年)


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長島愛生園  甲斐八郎さん(4)




いささかの事なりながら看護婦の胸のボタン掛けくるる親切に会う




付添い等吾が身囲みて拭い居るみどり児の如く屍のごとく




陳情にゆきし代表が座り込みに入れりと真夜の報告きびし




手当なく失いし足の指幾本ひとつひとつに歎き残りて




痛痛しきまで卑屈になり看護婦にもの頼む性よはや憎みつつ




出来てきし義足をはくと身をかがむかかる動作に生きゆく吾か




新しく入りし看護学院生徒今年もなべて奄美より来し




四畳半の個室もらいて居る今宵このわびしさはいづこより来る




兵役を忌避するごとくライ園に逃れきたりぬ三十五年前




巨大なる棺桶といわれし島の園に芋うえ野草食べ生きしのぎ来し



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長島愛生園  甲斐八郎さん(3)



過ぎゆきの記憶の中によみがえる炎のなかに逝きし弟妹ら




百余日知らされざりし父の死をつぶさに姉が書きて来にけり




移り来し家に目ざめて聞く夜の潮は遠くにまた近くなる





厠まで長き廊下をゆきかえりこの家の生活にも馴れてゆくべし




ささやかな我が実践として売れり朝日茂歌集「人間裁判」七部




足弱き吾が行く範囲定まりて患者会議室図書室不自由者集会場




麻痺のため顔の表情うごかぬを恐れられ怒ってもの言うという




生産的といえる一日か療園に原稿を書き陳情書を書く




いくばくの内職にならんひと冬を育てし鈴虫を療友は売るという




ののしられても侮られても原則はふみはずすまいと言葉をつくす



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豚肉炒め


IMG_7826.jpg
 

今日は外出していたので、家人が作った。豚肉を炒めて生姜醤油で味付け。紫ミズナの煮物。



ダイコンとニンジンの酢の物

IMG_7828_20181213190425abd.jpg

ダイコンとニンジンをスライサーで切り、酢、砂糖、みりん、カツオブシで味付け。


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プロフィール

Author:水田 祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在65才、農業歴29年目。農業形態はセット野菜の宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ20羽。子供の頃、家は葉タバコ農家であり、脱サラ後の3年間は父が健在だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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